2022
2022.12.31
というわけで、皆さん、今年も大変お世話になりました。
いったいこの日記をどれだけの人が見ているか、まったく不明なのだけれど、お読みくださりありがとうございました。
時間の浪費です。無駄です。こんなものを見る時間があるならヤフーニュースでも眺めていた方がなんぼかマシだと思います。
それでも読むというのなら、止めません。物好きにも過ぎる。
いや、こういう態度はよくないなあ。素直に読者の皆さん、ありがとうございましたといえばよい。タンゴ先生にはげましのお手紙を出しましょう。
今年は、昨日の日記で52万字を越えました。
最長不倒記録の更新です。よくも書いたもんだ。とにかく終盤になっての追い上げが凄かった。よくもあれだけ中身のない話を膨らませたもんだ。この調子で来年は初っぱなから1日3000字の勢いで書き続けたら、1年間で100万字を越える計算だ。とてつもない金字塔ではないか。
といいつつ、普段から仕事ではそれぐらい書いているわけだ。仮に1日4000字を書いているとしたら1年で146万字。これに日記の100万字を加えたら246万字。
これほど、だからどうしたと言われる数字もないだろう。
まあよい。今年もいい話、哀しい話、興奮する話、怒る話、いろんなことを体験し、時間と一緒に過去へと流してきた。
年が明けてすぐ、オレは法律上も高齢者の仲間入りである。オレ自身がこんな年になるということに驚くのであるが、ちょっと前まで定年といえば60歳だったわけで、この年で隠居させられていたなんておかしいよなあと思うのである。
ともかく健康を。家族の平穏を。安定した収入を。アルビレックス新潟の残留を。
今年の我が家は身内に不幸がありました。そのためお年賀はお休みします。
2022年の日記はこれでおしまい。来年の日記は別のURLです。ここに直接ブックマークしている方は、2023年版にマークしなおしてくださいませ。
妄言多謝。
皆さん、良いお年を。
2022.12.30
サザンオールスターズのカラオケが流れた瞬間、オレは明らかに苛立った。
それを、西やんにはすっかり見破られていた。「かいちょ(会長のことである。幼稚園時代のパパ友の西やんは、オレのことをそう呼ぶ)、サザンだったからぶんむくれてたでしょ、ひゃひゃひゃ」と西やんは言うのである。
とにかくオレはサザンと桑田某が嫌いで嫌いでしょうがないのだ。初期の頃はアルバムも買っていた。NUDEMANあたりまではよかった。
だがそれ以降の、自分パクリが始まって、感性のなさを下品なギャグでごまかそうとし始めたあたりから大嫌いになった。嫌悪していると言ってもいい。
せっかく気分よく飲んでいる酒場で突然サザンのカラオケが流れ出し、40代独身のオッサンがマイクでがなり立てたことで、オレの年末は台無しになったのである。
今日は、地元のパパ友の忘年会である。西やんをはじめ、幼稚園時代のパパたちとの飲み会だ。毎年夏と冬に集まって飲んでいる。気の置けない仲間たちだ。
子供たちが幼稚園に入る前からの付き合いである。
幼稚園デビューを前にしたママたちは子どものためにも自分のためにもと考え、初めての土地、慣れない土地で必死になって友達作りをしていた。その中で出会った家族たちである。
出会った場所は、近所の小さい公園。ブランコなどの遊具が補修中で、塗られたさび止めがオレンジ色だったから、いつしかオレンジ公園と呼ばれるようになった小さな公園でママたちと子供たちは出会い、同じ幼稚園へ行くということで親しさを増していった関係だ。
それ以来だから18年ぐらいの付き合いになるんじゃないかなあ。当然子供たちも付き合いが続いている。まさに家族ぐるみで18年。幼稚園から続いているなんて、なかなかこれは凄いことなんじゃないかなと驚く。
そんなパパ忘年会が今日で、一軒目に新しくできた寿司居酒屋に行ったあと、二軒目に立ち寄ったのがこのバーなのであった。
本当はオレはキャバクラに行きたかった。石神井公園の駅前に昔からある、古いキャバクラだ。一度も行ったことがないのでぜひのぞいてみたいと思ったのである。きっと地元のおばちゃんたちが派手な化粧にミニスカートですり寄ってくる、そんな世紀末の店に違いない。1年の厄落としにちょうどいいではないか。
だがキャバクラ行きを主張するのはオレだけだった。仕方なくオレは、以前から気になっていたバーに連れていくことにしたのである。とにかく飲み会というとアテンド役はオレ。地元の店はすべて飲み尽くしていると思われているのだ。
行ってみることにした二軒目は、小さなバー。というかダイナーという看板を掲げているので、食事もちゃんとできる店のようだ。
初めて入ったけれどなかなかに居心地がよく、店主も穏やかで渋くてかっこいい。料理も大に美味しかった。これはいい店だ、こぢんまりとした落ち着ける隠れ家だと思った次第である。
だがそんな渋いバーだと思っていたところに突如流れたサザンのカラオケ。おっさんのダミ声に合わせて店の女(おばちゃん二人)も手拍子で盛り上がり、渋いバーは一挙に駅前スナックに変身してしまったのである。
よいのである。駅前スナックはオレも大好きだ。笹塚時代はフォアローゼスのボトルを入れてよく飲んでいたものだ。
だがサザンはやめてほしい。サザンは流すべきではなかった。一気にオレはぶんむくれ、激しい怒りを胸に貯め込む。それを離れた席から眺めていた西やんにからかわれた次第である。
読売新聞の朝刊に人生相談のコーナーがあって、今日は「夫が悪口ばかり言うのでうんざりします」という相談が載っていた。「××県のやつは馬鹿だ」「××大学はアホばかりだ」「あの店はマズい」「この番組はくだらない」ととにかく全方位に向けて悪口全開の夫。私はもう耐えられませんという内容だった。
うむむ、もしやこれはオレのヨメのが投稿したのではないか。
そう疑いつつ答えを読んだら「ご主人の人格を変えてしまいましょう」という回答が載っていた。すげえな読売新聞は。朝刊全国版で堂々と人格改造を勧めているのだから。
オレはヨメに向かって、オレの人格を改造しようと企んでもそうはいくかと凄んでみせたのだが、ヨメはアホじゃなかろうかという冷たい目でオレを見るのであった。
そんなふうに口を開けば悪口を言っているオレだからサザンのカラオケにも噛みつくのかというとそういうわけではなくて、要するにシンプルに嫌いなだけである。NHKに出るのに「桑子じゃないよ桑田だよ」と番組欄に書く、そのセンスが虫唾が走るほど嫌いなのである。
あまりに嫌いすぎて気分を害したオレは、そろそろ帰ろうぜとパパ友を促し、そしてファミマに向かったのであった。割り勘のお釣りが2000円。これでみんなでアイスを買い食いするのだ。
でもまあ寒いからというのでオレはアイスではなくシュークリームを選び、そして仲間たちと、オレたちも長い付き合いだよなあ、それそれ子供らも社会人になってすぐに結婚とか孫とかという話になるんだろうなあと笑い合いながら、12月30日から31日への日付をまたぎ、遙かに澄んだ夜空を見上げるのだった。
「ミチルさん、今日も上機嫌」原田ひ香・集英社文庫。先日読んで面白かった原田ひ香を読む。これは46歳、バツイチ、無職の女がバブル時代の栄光を忘れられずにもがきながら生きていく話である。なるほど、この作者は経済的に苦しみながら生きる人の姿をユーモラスに描くことが得意なようだ。オレたちはその話を読みながら、バブル世代ってやっぱり甘ったれた馬鹿ばっかりだよなあと溜飲を下げるのだが、しかし経済的な厳しさって言うのは人ごとではないから、一方で身につまされる思いにさせられるのである。オレはバブル世代の一つ前で、バブルの恩恵はさして受けなかったと思っているが、振り返ってみればそれなりにいい思いはしていたのだろう。
2022.12.29
オレのやる気のなさに比べて、オレの出身地の若者たちのなんと素晴らしいことよ。
今日は高校サッカーで新潟代表が1回戦を勝ち、その裏の高校バスケットボールではオレの地元の町の高校がなんと全国優勝だ。これは控えめに言っても奇跡だろう。
新潟県は、地元出身のスポーツ選手はと問われて誰もが「ジャイアント馬場」と答えていた県である。スポーツ不毛の地だったのだ。不毛と書いたがハゲと言う意味ではないぞ。念のため。
その理由を県民は「雪のため」と言い訳していた。雪で練習する時間が他県より少ない。雪の対応で練習時間が削られる。雪があるから雪があるから。みんな雪のせいだ。JR東日本。
確かにプロレスなら雪は関係ない。
そんな中で出発したのがアルビレックス新潟だ。そもそも2002ワールドカップを新潟で開催することになったというのが大きな転換点で、それで大きなスタジアムができ、プロサッカーチームができて、それがトップリーグへの昇格も果たしてしまったのだ。
もはやスポーツ後進県とは言わせない。やればできる子だったんだ、ボクたちは。
そんな意識が根づいて、高校野球では甲子園で準優勝しちゃうし、今度はバスケが全国優勝だ。
考えてみればオレの地元の町のこの高校には、あの平野歩夢が在籍していた。平野歩夢は田んぼのあぜ道をランニングする姿がよく目撃されていた。
全国優勝どころではない。オリンピックの金メダリストさえ輩出しているではないか、オレの町は。
何はともあれ、めでたいことだ。
それにしてもついに高校サッカーが始まってしまった。真冬の風物詩である。今日の日本文理の試合は西が丘だったから、観に行けばよかったな。
高校サッカーは、ついつい見ちゃうんだよねー。野球好きが甲子園大会をついつい見ちゃうようなものだろう。
今日のゲームこそ勝ったけれど、このサッカーでは日本文理の上位進出は難しい。試合の運び方や緩急の付け方ができてなく、しっかりとキープしてゲームを自分のものにすることができない。技術が足りないのか、高校生だからということで姑息な試合運びはあえてさせていないのか。
それでもよく知らないチーム同士の、高校生たちの真剣なゲームは面白い。戦術や技術の違いなども浮き彫りになって、それが逆にサッカーの奥深さを教えてくれる。
しかし中継のひどさは毎回どうにかならないものかと思う。試合の流れに関係なく応援席のちょっといい話をぶち込んでくるし。今日のゲームでは選手の家族ネタはなかったが、大会が進むにつれて選手のお母さんが毎朝早起きして弁当を作ってくれたとか、お父さんが練習の送り迎えをしてくれたとか、怪我でサッカーを諦めたお兄さんが応援席にかけつけているとか、そういう話題をゲームの流れと関係なくぶち込んでくるのである。
困ったもんだ。いや、別に困っているわけではないが。
そんなふうに高校サッカーを観た後は「もう一つの幕末史」半藤一利・三笠書房を読む。
半藤一利は面白いなあ。特に「幕末史」は常に机の上に置いてあって、時間があるとぱらぱらと読み返している。「日本の一番長い日」も面白かった。
この「もう一つの幕末史」は「幕末史」の続編的な本で、聞いたことのあるようなこぼれネタ、トリビア、エピソードを集めた本である。相変わらず読みやすいのが半藤一利の持ち味だ。同時に薩長史観に敢然と異議を唱える立場なのも魅力。「孝明天皇は長州が毒殺したに決まってる」とか「西郷隆盛は要するに毛沢東」とか「鳥羽・伏見の戦いの錦の御旗は岩倉具視が偽造したいかさま」とか、面白いことをどんどん書いてくれるのが楽しい。司馬遼太郎をちょくちょくおちょくるのも笑える。
そんな半藤一利が大好きなのが勝海舟である。オレもその影響で勝海舟のファンである。なんというか、今の日本を作った偉人の一人が西郷隆盛であることは間違いない。勝海舟にはそんな偉人ぶったところがまったくなく、セコい小役人風情というところがあって、ぶつぶつと愚痴をこぼしながら「しょうがねえなあ」と仕事を片づけていった印象がある。その小物感が好きだなあ。それでいて誰よりも時代の先行きを見通していたところが素晴らしい。
小役人だから首長には仕えなくてはならないというので徳川慶喜のことはサポートするのだが、慶喜は勝海舟と合わないのでけっこう冷たく当たり散らしたりする。勝海舟はそんな慶喜を小馬鹿にしつつ、実はうまく手のひらで転がしていたりする。そして二人ともじじいになったある日、慶喜は勝海舟の家へ遊びに行き、手打ちする。この頃には勝海舟はもう歩けないほど弱っていたらしいが、歴史の大きな転換点を互いに嫌悪しつつ歩いてきた二人が人生の最終盤を迎えて見つめ合う、そんな物語の深さを感じる。
勝海舟は、なんと言っても江戸城の無血開城だ。ヤクザや半グレを巻き込んで、いざとなったら江戸の町に火を放って燃やしてしまえと命令。首都大炎上というとんでもない自爆作戦を仕込んで西郷隆盛との直談判に臨んだという無茶苦茶なエピソードが、オレは好きだ。
もし西郷隆盛と物別れに終わったら江戸の町は大火で焼失し、世界中の笑いものになっただろう。小役人のくせに、こういうアホな計画を本気で準備したのが勝海舟の面白さだ。
この本では勝海舟にもたっぶりとページを割いている。そしてもっと勝海舟は評価されてしかるべき人物と、半藤一利も言うのである。坂本龍馬は天才だったし西郷隆盛は偉人だったが、勝海舟だってそれらと並ぶ人物だと思う。それでいて女にはだらしなくて妾がやたらといたというあたりのしょうもなさも素晴らしいではないか。
いやあ、やっぱり幕末から維新は、勝海舟が面白いなあ。
日米修好通商条約の批准書を交換するために勝海舟は咸臨丸に乗ってアメリカに向かったが、この航海には福沢諭吉も同行していた。勝海舟は伝染病の疑いがあったので自室にこもりっきりとなっていた。それを見た福沢諭吉は、勝海舟は船酔いでずっと引きこもっていた役立たずと笑いものにした。これを根に持って勝海舟は福沢諭吉を目の敵にし、福沢諭吉も勝海舟を小馬鹿にし続けた。偉人たちのそんなバカバカしいエピソードが大好きだ。
2022.12.28
いかん、相変わらずやる気が出ない。
あまりにもやる気が出ないので、息子を誘って飲みに行くことにした。
今日は12月28日。多くの職場で仕事納めである。
そんな日なのに夕方から夜にかけて仕事の依頼が舞い込んできた。舞い込むと言ってもメールできたわけだが。
このタイミングでの発注だ。正月返上で原稿を書けという狙いなのは見え見えだ。
もちろん受けて立つ。どんな状況でも投げられたボールは打ち返すのがフリーランスだ。正々堂々と戦ってやろうじゃないか。
などと威勢だけはいいのだが、どうにもやる気が出ない。
どうせ長い休みなのだ。予定は何も入っていない。紅白歌合戦を見るくらいしか、予定がない。
だから別に今やらなくてもいいじゃん、年が明けてからぼちぼちやればいいじゃんと思ってしまうのである。
「今日できることは明日に延ばすな」というのはよく言われるがオレの格言は「明日できることは今日やるな」である。なぜならあさってに必要とされるものを今日やってしまうと、明日には古くなってしまうからだ。
正月休みは長いのだから、年明けにできることを年内にやってしまってはいけないのだ。なぜならそれは去年に書いた原稿ということで古くなってしまうからだ。
という理屈を立てて、サボっている次第である。
息子は今日で年内のバイトは終了だ。会計事務所でバイトをしており、ボーナス代わり、お歳暮代わりに事務所からおそばをお土産にもらって帰ってきた。明日から3日まで正月休みである。4日から授業が始まるというから、さすがだ。
ちなみに息子の大学では授業の出席なんか取らないそうである。サボるなら勝手にサボれ。カネを払ってるのはそっち(学生)なんだから。そういう方針を貫いているのだ。なるほど、確かにそれでスジが通っている。
娘は先週で大学が終わったが、アルバイトの休みは元日だけ。あとは冬休み中もずっとバイトだそうである。
そしてヨメは30日まで仕事で、年明けは4日から仕事というハードスケジュールだ。
要するに家族それぞれが忙しく過ごしている中で、世帯主であるオレだけがヒマで、鼻から提灯という次第である。
そんなわけで、年内最後のバイトが終わった慰労も兼ねて、息子と飲みに行ったのである。
向かった先は地元の店。日本酒に力を入れているバーだ。以前からちょっと気になっていたのである。
予約して向かった先ではカウンターに座り、山形の十四代などをいただく。酒は旨い。そりゃあ他にもいろいろな銘柄がそろっていて、これなら旨いに決まっている。
ただバーなのでそんなに食べられない。フードも手が込んでいて旨いのだが、居酒屋じゃないからなあ。
グラスビールと日本酒を2杯ずついただいて6600円。案外安かった。これにPayPayで払うと20%がキャッシュバックされるという練馬区の特典を利用して支払う。
明らかに晩飯代わりとしては食べ物が不足していたので、そばを食べようと駅前のそば屋に行く。富士そばでもよかったのだが、さすがにそれではしょぼすぎる。
駅前のそば屋では、ざるそばをつまみに日本酒を2杯。やっぱ日本酒にはそばが合うねえ。
いい気分になりながら、春には4年生になる息子と就職のことなどを話し合う。
就職か、大学院か。息子の成績GPA4.09なら大学院も文句なしに進学できる。大学院へ行けるのは生涯で他にチャンスはないのだから、行ったほうがいいだろう。息子自身もその選択肢を残しつつ、就職も考えているようだ。
別にオレに相談するようなこともなく、オレも人に相談されるのは好きじゃないので、自分のいいようにすればいいと答える。どの道へ進むにせよ、もはやオレの手には負えない。というか既にオレを追い越してしまっているから、オレがコントロールなどできるわけがないのだ。わははは。
自由に好きな道を走ればよいのだ。
いい気分になって店を出て、コンビニでヨメへのお土産にスイーツなどを買って帰る。酔っ払って寿司折りを振り回して帰った昭和のおとっつぁんそのものだな、オレは。
2022.12.27
いかん、どうにもやる気が出ない。
年末となり、すっかり冬休みモードだ。オレも再三書いているように仕事はほとんど終わっている。
それでもまだ少しは書き残した原稿があり、さらにありがたいことに今日になって「冬休み中にやっとくように」という宿題みたいな仕事が舞い込んできた。ありがたやありがたや。
だから呑気に過ごしている場合ではなく、とっとと働かなくてはならないのである。
だが気分が乗らない。何をしているというわけではないが、ただひたすら、だらだらと過ごしている。この無為な時間がむしろ気持ちよかったりするわけで、困ったものだ。
というわけで今日は今年のタンゴちゃん十大ニュースの発表だ。世間の誰もが気にしない、関心度ゼロの発表である。それにしてもいつも思うのだけれど、この日記、何人くらいの人が読んでいるのだろう。カウンターでも設置すればわかるのだろうか。
十大ニュースは年末のお楽しみである。読売新聞は読者の投票で決めていて毎年、そうだったこんな事件があったんだ、へーそんなに関心が高かったのかあなどと振り返っている。ただ対象となる期間が11月までだったと思うから、例の飯能ハンマー男事件は入らないのではないか。近年まれに見る猟奇犯罪で、隣人トラブルが原因だとしたら、こりゃあ日本も銃を解禁しなきゃなあと思わせるほどの衝撃だった。
まあ、今年の日本の十大ニュースのトップは阿倍さんで、世界の十大ニュースのトップはウクライナに間違いない。
それに対してタンゴちゃん十大ニュースは限りなくしょぼいのだ。
まずはこれだな。娘が大学入学だ。これは文句なしに我が家のトップニュースだろう。
入ったのは明治大学である。明治大学って、オレたちが学生だった頃はしょぼい大学だった。オレも受験して合格したのだが、母が「明治しか受からなかったら浪人させるつもりだった」と後になって教えてくれたほど、ランクの低い大学だった。
それが今では青学をはるかに抜き去り、早稲田と肩を並べるほどの人気である。実際娘も青学にも合格したのに、明治を選んだ。オレと真逆だったわけだ。
学生の就職率アップに力を入れたこと、他の大学が郊外へ移転する中で徹底して都心志向を強めてタワー型の校舎を建てたことなどが功を奏し、人気向上につながったようだ。
数年前に若い青学卒業生に会ったら「明治なんて恐れ多いです」と口にしていたのが忘れられない。オレの母校はそこまで明治に差をつけられてしまったのかと、唖然としたっけ。まるで青学がドイツで日本が明治だな。
娘の関係では、夏にサークルの大会で高知まで旅行したこともニュースだ。一週間近くの旅で、なんと行き帰りがバス。高知までバス旅行とは、学生時代にしかできないことだよなあ。これは十大ニュースの8位ぐらいだ。
娘の大学入学と並ぶビッグニュースは、言うまでもなくアルビレックスのJ2優勝&J1昇格である。これはアルビレックスのニュースであって我が家のニュースではないだろうという指摘もあろうが、シャラップである。なんと言っても大変なニュースなのだ。だがさすがに娘の大学入学を押しのけてトップというのは気が引けるので、これは2位に置こう。
さて、他にもいろいろあったな。
例えば家族のケータイをドコモからahamoに変えた。おかけで電話代が三分の一に減った。驚くほど安くなった。もっと早くahamoにすればよかった。
格安のahamoに変えたことで何か問題はあるかといえば、ほとんどない。通話もネットも何の違和感なく、まったく普通に使えている。唯一、あれっと思ったのが、アルビレックス対町田ゼルビアの試合を見るために町田のスタジアムに行ったときだった。
町田のスタジアムは、やつらは天空のスタジアムと偉そうにしているが、なんのことはない、山の中のむちゃくちゃ不便な場所にあるスタジアムだ。交通アクセス最低。そのくせ駐車場は貧弱で、臨時のバス便も人を舐めたような本数しか用意されていない。オレと息子は仕方なく遠く離れた駐車場に止めて2キロ以上も歩き、山道を登って、スタジアムに向かったのである。
毎度のことながらもう二度と来るか、こんなスタジアムと思いながらの登山であった。J1に昇格したおかげでもうここには二度と来なくて済むかと思うと、心からホッとしている。
そんな苦労をして登った町田のスタジアムでは、山の中ならではの狭い広場に屋台がぎっしりと並んでいた。当然人だかりも酷くて、これぞ密。その中で屋台の買い物にPayPayを使おうとしたら、つながらない。混んだときに格安回線は後回しにされるとは、こういうことかと知ったわけだ。ははあ、こりゃあ災害の時もオレたちは後回しなんだなあと思い知った次第である。
このドコモからahamoへの変更は7位だな。となるとさすがに娘の高知旅行より上というのはないから、娘の高知旅行は5位に格上げしよう。
買い換えということでは洗濯機も買い換えた。それまで使っていた洗濯機が不調になり、たぶんソフトの問題だと思うのだが、指示したとおりに作動しなくなったのである。毎日使うものだから壊れると大変に困る。いちいちコインランドリーというわけにもいかない。
オレはすぐさま地元の西友に行き、在庫のある洗濯機をくれと言って難をしのいだのだった。「これなら明日お届けできます」と店員が示したハイアール製の洗濯機を注文して終了。実はブランドさえ問わなければ、家電は西友が安くて融通が利くのだ。これは9位ぐらいだな。
あとは車両通行許可証事件というのもあった。
ある朝、いつものように息子を駅まで車で送ろうとした(娘はいつも自転車だ)ら、パトカーに停められた。こら、おまわり。オレは急いでいるんだ。余計なことをするな。
聞けばなんということだ、我が家の前の道路はスクールゾーンなので、朝は通行禁止なのだという。知らなかった。ここに住んで18年になるのに知らなかった。
オレはここの住民だ、何をほざく、寝言は寝て言えとパトカーに言い放ったら、住民でも車両通行許可証が必要なのだという。マジかよ。
警官によれば、近所の区立保育園から、車の通行が危険という通報があったので取り締まりをしているのだそうだ。
それを聞いてオレは逆上。というのもこの保育園、朝晩は送迎の車が路上駐車するし、子どもが道路を走り回っても親は知らん顔だし、というので地元としてけっこう迷惑していたのである。だが子どものことだし、そこは我慢して目をつぶってきたのだ。そんな地元民に対して、車が危険だからと通報したというのか。
逆上したオレは早速その日のうちに光が丘警察まで行き、車両通行許可証というのを手に入れた。無料である。いろいろと書類に不備があったのに窓口のおじさん警官はいい人で、見逃しながら受け付けてくれた。
こうして通行許可証を手に入れたオレは、もはや誰に何を言われることもなく堂々と通行していいのである。
さあ、かかってこい。オレに何も落ち度はない。パトカーよ、オレを停めてみろ。保育園よ、通報してみろ。
だがその後は何ごともなく過ぎているのである。
これは8位でどうだろう。なんだかしょぼいニュースばかりが続くなあ。
息子のネタで行くと、車をこすって20万円の出費というのがあるが、あまり嬉しいニュースではないので、これはやめよう。仙台へ試合のために一週間ほど合宿に行ったというのでどうだろう。これは4位くらいだな。
七帝戦といって全国の旧帝国大学のチームが集まって試合をするというものだ。今年は仙台。コロナの第七波だか六波だかの真っ最中で、そんなときに全国から集まってクラスターでも発生したら叩かれるに決まっている。そんな状況での開催であったから、陽性反応が1人出た瞬間にチームは解散。速攻で東京に帰ることになってしまった。
もちろん息子はこれ幸いと仙台で遊びまくり、旨いものをたらふく食って、そして当時J2トップにいたベガルタ仙台に向かって「負けろ負けろ負けてしまえ」という呪いをかけて帰ってきた。そのおかげで仙台はJ1昇格に失敗。史上まれに見る失速ぶりで落ちていったのである。その仙台を3-0で破ってアルビレックスは昇格を決めたのだから、陰の立役者は呪いをかけてきた息子なのだった。
これは4位でどうだ。
そろそろ疲れてきた。そんな具合でだいたい十大ニュースも決まったことで、今年も無事に過ぎていくのであった。
どうしてこういう具合に克明に覚えているかというと、これとは別にノートに日々の記録をちゃんとメモしているからである。つまりもう一つの日記というものが存在するわけで、要するにオレは日記を毎日2つも書いているのだ。仕事もせずに。わははは。
と1年を振り返りながら読んだのが「事故物件、いかがですか?」原田ひ香・集英社文庫である。また女流作家だ。ここのところ女流作家ばかりだ。
原田ひ香は気になっていたが未読だった。初めて読んだのがこの作品。そしてちょっとびっくりする。上手いのだ。実に上手い。へえと感心してしまった。女流作家でオレが好きなのは三浦しをんと宮部みゆきなのだが、この2人に並ぶぐらい上手い作家ではないか。
これは賃貸不動産を巡る短編集で、登場人物それぞれの人生が実に丁寧に描かれている。例えば冒頭の一作目は、不誠実すぎる旦那にほとほと疲れ果ててしまったヨメが子どもを連れて家を出るという話で、旦那の酷さというのが実に上手く描かれていて、ヨメへの感情移入もひときわだ。読みながら感心する。
この作家の本はいくつか出ているので、しばらくはそこを中心に攻められるな。冬休みに仕事をしないで読書をするにはちょうどいいだろう。
2022.12.26
「ほうほう、今日のこの様子をどう書くんすか。楽しみですわ、ふふふん」
オザキはそう鼻を膨らませ、1杯150円のチューハイをあおるのである。
ここは赤羽駅の場末の居酒屋。生ビールのジョッキが190円、チューハイが150円という激安だけが売り物の酒場である。赤羽自体が場末だから、その場末の店となるともはや地の果て、断崖絶壁。
名物の鶏皮の串揚げなど1本50円という恐ろしい安さ。まるで脂そのものを食っているようなものだから、安い安いこれなら安く満腹になれると調子に乗って食べていると、確実に体を壊すであろう。
いや、安いだけではなかった。実はこの店にはもう一つ売り物があった。
店員のほとんどが若い女子なのである。20歳前後。そして全員がポニーテール。おじさんの大好きなポニーテール。その女子たちを嬉しそうに眺めてオザキは、オレをそう挑発するのであった。
何しろ話題が酷い。これほど下品で下世話で下劣な話題が他にあろうかと思えるほど、酷いのだ。とうていこの日記に書けるようなシロモノではない。
最近の日記は長すぎてうんざりするというオザキは、その意趣返しにか、オレを挑発するのであった。
よし、ならばここで明かそう。
実はその下品で下世話で下劣な会話を、おれはICレコーダーにしっかり隠し録りしていたのである。取材はオレの仕事。インタビューはオレの武器。会話の隠し録りなど、朝飯前だ。
オザキがそこまで言うならば、この音声をネットで公開してやろうか。
何しろ極めて堅い職場に勤めるオザキは、その職場でことのほか堅物として通っているらしいのだ。この音声が知れ渡った日には「黙々と仕事に打ち込む」「あんなに真面目で誠実な人が」「裏ではこんなことを」という具合に、一気に容疑者を知る地域の住民の声にさらされてしまうだろう。
どうだ、オザキ。口を慎み給え。オザキ。この音声を消去してほしければ、個別に相談を聞こうではないか。取引に乗らないわけではないぞ。
というわけで今日は赤羽でいつものメンバーで忘年会であった。実になんというか、なんの気取りも障りもない、実に気の置けない愉快なメンバーでの忘年会だった。
たまには面白かろうと赤羽にしてみたのだが、これでは別にどこの店でもかまわないような飲み会となった。
オザキよ、今度は新橋でどうだろう。新橋のサラリーマンが徘徊する飲み屋街で泥酔し、そしてSL広場で街の声インタビューにつかまってみるというのは。あるいは家、ついていってイイですかもいいな。
オレも新橋の飲み屋街なんてコロナになってから足を踏み入れていない。
それにしてもこういう楽しい忘年会をすると、サントリーのコマーシャルじゃないが、日本には飲み会が必要だと痛感する。会社の半強制的な宴会ではなく、こういう気の置けない仲間との飲み会はやっぱり大切な時間だ。飲み会万歳。
この時期になるとさすがに取材仕事はなく、原稿仕事もほとんど終わり。あとは年明けの仕事始めまでにメールしておけばいい原稿がいくつか残っているだけなので(しかもこの日記を書いている労力で書けてしまうような原稿なので)、まったく焦る気にならず、そのうちやっつけようと放ってある。
それより優先すべきは経理業務だ。個人事業主であるオレは12月で締めなくてはならないので、ぼちぼち経理の仕事をしなくてはならないのだ。夏頃までは終わっており、残りはさっさと片づけないといけない。
とはいえ、基本的に数字の仕事は苦手だし、経理の仕事をするとオレがいかに稼げない甲斐性なしであるかをつきけつられ、通帳の残高に恐れおののくという現実が待っているから、どうしても手が出ない。これこそ後回しである。困ったもんだ。オレが。
そんなふうに困った困ったと言いながら朝から向かったのが、かかりつけ医のご存じナカムラ医院。毎月の定期検診である。
今日は3ヵ月に一度の採血で血液検査も行う。
眼科医は半年に一度、歯医者は4ヵ月に一度、健康診断は1年に一度。オレはけっこうマメに体のチェックをしている。早期発見早期治療はどんな病気にでも大鉄則だからな。
と言いつつナカムラで検診して夜は赤羽で脂をたっぷり吸った鶏皮を食って泥酔だから、健康に気をつかってているといいながらの二枚舌でもある。
さてナカムラ医院での採血では、朝に何を食べたかをナースに申告しなくてはならない。これが毎回ちょっとした騒動になる。というのもオレは毎朝毎晩、もずくとメカブを混ぜたものを食べているからだ。もちろん健康のためである。
これを申告するとナカムラのナースたちは、毎度のことであるにもかかわらず「も、もずくとメカブぅ?」と目を丸くするのだ。
そうです、もずくとメカブです。混ぜて食べるのです。決して美味しいものではありません。私は薬だと思って食べているのです。
するとナースたちは「もずくは美味しいのに」「メカブもおいしいのに」「別々で食べればいいのに」と盛り上がり、今日は熊本旅行で食べたもずくの天ぷらがいかに旨かったかという話にまで発展した。自宅で作ったけどあんまり美味しくできなかったそうである。いいことである。職場に話の花が咲いた。
こうして過ぎていく年の瀬なのであった。
さて、ぼちぼち今年の十大ニュースでも発表しなくては。
2022.12.25
キター! 25日に藤原奏哉が契約更新だ。
クリスマスプレゼントかよ。いや、背番号が25だから25日の発表なのだろう。ということは大晦日にはきゃあブテンの堀米の更新発表だな。
藤原奏哉はアルビレックス新潟の右サイドバックである。ちょっと悪い子キャラで、絶大な女子人気を誇る。もちろん男子人気も高いが、それはプレーによるものだ。
いわゆる偽サイドバックである。ガンガン攻め上がって、時にはトップ下の位置からシュートを決めたりする。今シーズンも3試合連続ゴールをやってのけた。右サイドバックなのに。
J2では文句なしにナンバーワンの右サイドバックだ。だから引き抜かれるのもやむなしと覚悟していたのだが、よく残ってくれたぜ、藤原奏哉。
もともとはJ3からキャリアをスタートさせて、J2の新潟に移籍し、そしてついに地力でJ1昇格をつかみ取ったのだ。だからそのままJ1でプレーするのは当たり前、とならないのが浮き草稼業のサッカー選手。
要するに商売、職業だから仕事内容が同じなら条件のいい会社に移るのは当然のことだ。この点、チームを移籍できないサポーターとは大きく違う。
もちろん話はそんなに簡単じゃなくて、たぶん藤原にはいい条件で引き抜きの話があったはずなのだが、アルビレックス新潟の特殊なサッカーでどれだけ通用するか試したくなったのだろう。
年齢もある。27歳という最も脂ののりきった年齢で、ここで新しいチームの新しい戦術にフィットするかどうかというのはけっこうなリスクと考えたのだろう。アルビレックスの特殊なサッカーだから自分の持ち味が活きてくるというのはけっこう正しい判断だ。
藤原奏哉の弱点は後ろを取られたときの対処の甘さである。J1は徹底してそこを突いてくるだろうから、いかに対応できるかがチームとしてのカギになるんじゃないかなあ。
そもそもアルビレックスの特殊なサッカーがJ1で通用するかというのは、純粋に興味がある。
ワールドカップでもはっきりしたようにポゼッション率がますます無意味になる時代にあって、ボールを握る新潟のサッカーは果たしてどうなのか。
もっともやっているのはポゼッションサッカーではなくて、ポゼショナルサッカー。これはけっこう勘違いされがちだが、ボールの保有を目的としているのではなくて、常に正しい位置取りで数的優位性をつくり、決めるときはショートカウンターというのがポゼショナルサッカーだ。
前任のプッチがポゼショナルの基本を植え付けたところに、現在の松橋監督がポステコ式のショートカウンターを融合させた形だ。うーん、マリノスとの対戦が楽しみだぜ。ボコボコにされたりして。
J2とはプレスの強度がまったく違うというのは、松橋も当然織り込み済みだろう。選手も百も承知のはずだ。その上でのチャレンジだから、これは楽しみ。ワクワクするぞ。
ああ、早く開幕しないかなあ。
などと1人で勝手に盛り上がっているところに、玄関チャイムがピンポンと鳴った。すわ、もしや飯能の事件の犯人が逃げてきたか。
違った、宅急便だった。
とにかく朝から酷い事件が起きたもんだ。数日前には湘南でも似たような酷い事件が起きているし。年末の日本はどうしてしまったのか。
その宅急便であるが、Amazonで買ったイスが届いたのだった。仕事用のイスが壊れてしまったことは先日ここに書いた。その買い換えが今日やっと来たのである。
イスと言っても自分で組み立てなくてはならない。ああ、めんどくせえよ。オレはこういう組み立てものが嫌いで苦手なのだ。
そこでリビングでぼけっとテレビを見ていたヨメの前で梱包を開き、わざとらしくため息をつきながら組み立て始めた。するとしょうがないなあという感じでヨメも手伝い始めたのである。
ヨメは意外と手先が器用で工作も案外いける。この夏には、風呂場の窓が壊れてしまったのをさっさと直してくれた。業者を呼んで窓交換の見積もりを取ったら15万円もして、びびってそのままにしていた窓である。ヨメは「あたしのおかげで15万も払わずに済んだよね」と鼻高々である。その手先の器用さを見込んで、ぜひ手伝ってもらいたいと、あえて目の前で組み立て始めたのである。
仕方なく手伝い始めたヨメは、イスの背もたれを見て「オレンジか」と呆れる。
そうである。イスはもちろんオレンジなのだ。Amazonで検索する時点で「イス オレンジ」と入力したほど、当然の選択である。
手こずりながらもイスは完成。
もっとも完成したのはいいが、仕事部屋への搬入に一苦労。入り口が狭くて入らない。こ、このままでは「だから最初から仕事部屋で組み立てたほうが」というヨメの勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
オレは必死になって仕事部屋の入り口に完成したばかりのイスを押し込み、何とかギリギリ運び込むことに成功したのだった。
輝くオレンジのイスだ。気分も上がるし、これで原稿も少しは上手になるのではないか。オレにとってのクリスマスプレゼントだ。こんなふうに自分の色というのを決めておくと何か選ぶときに迷わずに済むのでよい。
オレの場合、インタビュー用のノートもオレンジだし、ペンケースもオレンジだし、名刺入れもオレンジだ。オレンジのネクタイも持っている。このオレンジセットで某鉄道会社に行ったら呆れられたが。
先日書いたように名刺が切れてしまったので新しい業者に頼んだのだが、そのときもオレンジ基調の名刺を選んだ。ところが送られてきた名刺は、どう見ても赤のデザインである。こ、これではにっくき浦和レッズではないか。
文句を言おうかと思ったがサンプルにははっきりとオレンジと書いてあるし、オレンジと書いてあるものを購入してオレンジじゃないと言い張ったらそれは難癖をつけていることになるから、やめた。まあよい。どうせ名刺なんてその場限り。すぐに捨てられるのだ。
そんなことを考えながら読んだのが「このビル、空きはありません」森ノ薫・集英社オレンジ文庫だ。また女流作家かよ。いやいや、この薫という名前は女とは限らない。三笘だって薫だし。案外、むっさいおっさんだったりする可能性もある。
新人だ。帯とチラシでずいぶんと煽ってあったので、読んでみることにした。タイトルの付け方が「これは経費で落ちません!」と同じ匂いがする。柳の下を狙ったのだろう。
お仕事小説である。職種はタイトルのように不動産屋。それもオフィス専門のBtoBの不動産仲介業である。
お仕事小説の場合、得てして言われるのがその仕事そのものの面白さが小説の面白さに取って代わることである。
例えとしてよく挙げられるのが乃南アサ「凍える牙」だ。直木賞受賞作で、文句なしに面白いミステリーなのだけれど、女性刑事という職業や獣の調教(だったっけ?)みたいな職業的な面白さに引っ張られているのではないかという指摘が当時あった。それはそれで面白ければいいとは思うけれど、あんまりそこに拠って立つのもどうかなあ。
オレが考える興味深い職業としてエンバーマーがある。エンバーミングをするプロで、ちゃんと認定資格みたいなのもある。エンバーミングとは遺体を長く保存する技術のことで、コロナで脚光を浴びた。つまり密を避けるために葬儀に参列できないことが増えたため、後日、改めてお別れをするときのために遺体を大切に保存したいというニーズが増えてきたのである。
こうしたニーズに応えるプロがエンバーマー。オレもインタビューしたことがあるが、死生観などにどこか達観したようなところがあるのが印象的だった。
このエンバーマーを主人公にして、弔問客と故人の生前の物語などを描くと面白いんじゃないか。もっともそれはきっと辛気くさい小説に決まっているし、オレは読みたいとは思わないので、売れないだろう。
まあいいや。不動産屋の小説のことである。
オフィス専門の不動産仲介業とは、確かに面白い舞台装置だ。今までなかったと思う。だからオフィス用空き部屋の争奪戦を巡る力関係(いい物件になると途端に家主が強気になる)とか、競合を出し抜くための作戦とか、興味津々だ。こういうところが小説の本筋と離れた評価につながっていく。
ニッチな職業をのぞき見するような面白さをのぞけば、他の部分、プロットとかキャラクターの設定とかは、そこはオレンジ文庫。甘々でも新人作家のデビュー作だし、という感じだ。
もっとも編集者次第で化ける可能性も感じられるので、シリーズ展開すると面白いかもしれない。「これは経費で」ぐらいに化けてくれるといいのだが。あんまり期待せず、ぬるく見ていきたいと思う。
2022.12.24
名古屋メシというジャンルがある。
きしめん、味噌カツ、ひつまぶし、あんかけスパゲティ、小倉トースト、天むすなどである。
果たしてこれら名古屋メシは旨いのだろうか。
オレは決して旨いとは思わない。名古屋には年に何度か行くのだが、そのたび、これらのメシにはうんざりする。矢場とんという名古屋のとんかつの有名店があるが、底の店の接客には殺意を覚えたこともあった。
もちろん名古屋メシが旨いという人もいる。食の好みは人それぞれだから当然だ。
そもそも名古屋メシはほとんどが塩分爆弾である。健康にまったくよろしくない。ひつまぶしは、ウナギ料理のくせにウナギを食っている気がまったくしない。
あんかけスパゲティは下品だし、小倉トーストに至っては気が違ったとしか思えない。
そういや隣の岐阜県に行ったときには、喫茶店でホットコーラというものを目にした。コーラを鍋で加熱して出してくる飲み物である。
一緒に行った仲間が勇敢にも「試しに頼んでみよう」とチャレンジしたところ、グラスの中で勢いよく湯気を立てている黒い飲み物に口をつけた瞬間「あちちちっ」と飛び上がっていた。出すほうも飲むほうも、狂気の沙汰である。
とにかく何でも味が濃い。八丁味噌というのも味が濃くて、これがとんかつにどどーんと載っているのだから、肉の味ではなくて味噌の味しかしない。
繰り返すが味の好みは人それぞれであり、地域の文化と密接に関わっているから、こんなふうにけなされると気分が悪いだろう。そこは謝る。すまない。オレだって故郷の新潟の米や魚や枝豆をけなされたら、あんまり気分がよくない。
と謝りつつ、なんで唐突に名古屋メシをディスっているかというと、例によってサッカーである。浦和のキャスパー・ユンカーが来期の構想から外れて退団することが確実視され、移籍先が名古屋だろうと目されているのだ。
ユンカーはデンマーク出身のストライカーだ。長身でスリムで、色白。そのいかにも北欧の人間らしいクールな佇まいが女子に大人気である。プレーもなかなかかっこいい。典型的なワンタッチゴーラーで、一瞬の隙を突いて見事にゴールを決めて、クールに笑ってみせるのだ。
おかげで女子どもは「ユンさま−」と嬌声を上げている。
そのユンカーが名古屋に移籍するということで、女子ども含めてサポーターが心配しているのだ。名古屋には旨いラーメンがない、と。
そうなのである。この色白のデンマーク人は、ラーメンが大好物なのである。
来日してラーメンにどハマりし、特に池袋にあるラーメン店が大のお気に入りで、何度も目撃されている。自身も450gのチャーシューをトッピングしてご満悦の様子をSNSにアップしているほどだ。
そんなユンカーが「麺と言えばきしめん」という名古屋に移籍するのである。塩分爆弾で何でもかんでも濃い味の名古屋で食生活を送るのである。
誰だって心配するではないか。大丈夫か、ユンカー。池袋に通える範囲の移籍がいいのではないか。
いや、ラーメンと言えば実は新潟も隠れたラーメンの名所。地元の人は何とも思っていないようだが、実は県外民からすると驚異的なレベルの旨さで、しかもどのラーメン屋もハズレがないという奇跡のような環境だ。
ユンカーよ、名古屋なんかやめて新潟でサッカーしてラーメンを食べないか。
アルビレックスサポーターがそうつぶやくのも当然だろう。でもお高いんだよね、ユン様。困ったらトヨタが財布を開いてくれる名古屋にはかなわないよね。
地方の貧乏クラブは哀しいなあ。意趣返しに名古屋メシをディスるしかないのである。
そんなふうにユンカーのラーメン生活の行く末を暗示ながらオレは我が家から徒歩30秒のラーメン屋に行き、昼飯にチャーシュー麺を食い、そして「呪い人形」望月諒子・集英社文庫を読んだのである。
望月諒子だから、例によってうんざりするような悲惨で暗い話だ。まったく人間というものがイヤになってくるミステリーである。これも知的障害の女子中学生が田舎町の青年たちに暴行されるも、次第に女として目覚めていくという、まったくうんざりするような事件がモチーフとなっている。よくもこんな陰惨な話を思いつくもんだ。書いてて鬱にならないのだろうか。
話の構成とか、細部に至るまでのしつこいまでの描写とか、端役まできっちり描くとか、この作者は明らかにスティーブン・キングを意識しているのだろうなあ。それはいい。オレもキングは大好きだし、キングのねちっこい描写にはしびれる(息子は逆にこのねちっこさが合わないといってキングは読みかけで放り出した)。
ただ全体を通して話が複雑になりすぎる。ややこしくなりすぎる。途中で出てきた伏線回収が、いったい何の伏線だったのだろうということがしばしば。しかも視点がころころ変わるので、これは誰の視点で書いているのだろうと混乱する。
結局話が複雑になりすぎて、登場人物も入り乱れて、驚くべきことに470ページという長尺を最後まで読んだにもかかわらずオレには真犯人とその背景がとうとうわからなかった。オレは馬鹿なのかもしれない。これはあまりの複雑な話しについていけずに終盤はほとんど居眠りしながら読んだためだろう。
こういうところがこの著者の悪い点なのである。
この作品が書かれたのは2004年だそうだ。なるほど、最近は今オレが指摘したような点はだいぶ解決されて読みやすい物語になっているが、そんなふうにこなれる前の作品だったというわけか。さもありなん。
それにしても最近は女流作家の作品ばかり読んでいるなあ。おっと、例によってATOKに「女流は不快言葉です」と怒られてしまった。ワープロ警察かよ、ATOK。
女性作家の作品ばかり読んでいます、と言い換えなくてはならない。面倒なことだ。
という具合に、せっかくのクリスマスイブだというのに息子は昨夜から友達のところを泊まり歩いており、娘も深夜までバイトだ。クリスマスなんてつまらん。仕方なくオレは暗いミステリーを読んで、暗い映画を観て過ごす。
今日観たのは「ルームロンダリング」という映画だ。
自殺とか孤独死とかのあった部屋は不動産業界では事故物件とされ、次の入居者にその旨を伝えなければならないという法律がある。ならば間に誰かを仕込んで短期間住まわせれば、その法律はくぐり抜けられる。まさにルームロンダリングだ。
こういう姑息な手口のビジネスを行っているしょぼい不動産屋をオダギリジョーが演じ、事故物件に住んでロンダリングする仕事を請け負っているのが池田エライザ。エライザは幽霊が見えるので、事故物件に住んでも別に怖くないという設定だ。
エライザという女優はとっても独特で、その見た目どおり、常に根暗な役しかやらない。中身も根暗なキャラなのだろうか。美人なのに。
物語の終盤、風に吹かれて道を歩くシーンではエライザの髪が煽られて、まったく違う印象になる。こ、こっちのほうが何倍も美人やんけ。エライザはあの鬱陶しいヘアスタイルは即刻やめるべきだ。ちゃんと額を出して、耳も出せばものすごい美人ではないか。
花畑の中、母親と再会したエライザが号泣するシーンはなかなか美しかったが、個人的にはもうちょっと引いてほしかったなあ。
小さな作品であるが、それなりによくまとまっている。だけど何かが足りない。何だろう。役者なのか、物語なのか、絵なのか。その何か物足りないという印象がすごくもったいない映画だった。エライザは美人なのだがなあ。まあ、エライザを鑑賞する映画だと思えばいいのか。
2022.12.23
昭和の青春を渋谷で過ごしたオレたちにとって、令和の渋谷は別世界。ラビリンスである。
13時のアポイントだったから余裕を持って到着するように家を出たのだが、改札を出て地下で迷い、マークシティ下に出たつもりが反対側の階段を上がってしまい、慌てて井の頭線入口前の人混みをかき分けて突き進んだらなぜか行き止まりになっていて、オレは軽く遭難者。
Google Mapで検索しながら空を見上げれば、いつの間にか地上には見たことのない大きな歩道橋が架けられていた。
いや、知ってはいたのだ。たぶん人よりも詳しく知ってはいたのだ。
なぜなら数年前にオレは東急グループの取材をして、100年に一度という渋谷大改造プロジェクトの詳細を知っていたのである。だがしょせんは図面での話。リアルに進む渋谷大改造の現場に立つて、オレはいろんなことを見失ってしまったのだ。
13時のアポには間に合ったものの、けっこうオンタイムになってしまった。情けない。昭和の渋谷だったら目をつぶって歩けたのだがなあ。
しかしあれですな、年をとると人混みは疲れますな。昔母親を歌舞伎町の劇場へ、水前寺清子ショーを見るために連れて行ったところ、あまりの人混みに仰天した母親は「今日はなんの祭りだ」と目を丸くしたものだった。
オレも今の渋谷を見ると思うわ。今日はなんの祭りだ。
今日は今年最後のインタビュー仕事である。そつなくこなし、再び渋谷の人混みをかき分けて帰る。
疲れたので西武線直通の副都心線に乗り、各停なのでしっかりと座って帰った。
石神井公園駅について、今日は金曜日だからと駅前の焼き鳥屋による。「かぶらや」だ。
本当はせっかく渋谷に行ったので井の頭線脇のポンコツ焼き鳥屋に寄ろうかと考えたのだが、界隈のあまりの人の多さにおののいて、逃げ帰った次第。ポンコツ焼き鳥屋は間違いなく旨い。しかし酔っ払ってあの人混みをかき分ける勇気がなかった。
マークシティの下、通称マーク下で見上げると、もの凄い数の人が上から奔流のように押し寄せてきたのでびびった。よく見たら改札階から地上に降りてくるエスカレータで、人がきちんと2例に立って並んでいたのである。だから人の質量が凄くて、一気に大量の人が上から降り注いでいるような錯覚に陥ったのだ。
どうやらここではエスカレータの2列並びが定着しているようだ。渋谷の若者だからZ世代が多いだろう。さすが社会課題の解消に真摯に向き合うZ世代たちである。
いくら駅や行政が呼びかけても定着しなかった2列並びも、もしかしたら渋谷マークシティ発祥で広がっていくのかもしれないなあ。
石神井公園駅でホームに上がるとき、エスカレータが点検修理中だったのでオレはエレベータに乗った。オレの真後ろに並んだのがベビーカーのお母さん。オレがエレベータに乗り込んだら満員となってしまって、ベビーカーは乗れなかった。
お母さんは申し訳ない顔をするオレたちに「どうぞどうぞ」と笑顔を返してくれたのだが、どうしてオレは乗る前にベビーカーのお母さんに順番を譲らなかったのだろうと激しい自責の念に駆られた。それはほとんど自己嫌悪に近い感情だった。
そんな自分を振り返りながら、渋谷の若者たちは立派だなあと感心するのだった。
さて「かぶらや」である。
とにかく安い。いつも2000円台。しかも店との触れあいとか、客同士のコミュニケーションとか、まったくない。おっさんたちが(今日はお姉さんも混じっていたが)カウンターに1人で座って黙々と食べて飲んでいる。立ち食いそばみたいだ。
要するに面倒くさくなくて、仕事帰りにスタバで軽くスイッチを切るみたいな感覚でビールが飲めるのだ。
今日は飲みながら「週刊新潮」を読む。以前は月曜から金曜まで毎日雑誌を読んでいたが、今はめったに読まなくなった。たまーにこうして飲みに行くときに夕刊フジか週刊誌かという感じで買う程度である。
今日は小椋佳のインタビュー記事が読みたかったので週刊新潮にした。
小椋佳、とんでもないじいさんになっていて仰天した。78歳。
今でもセブンスターを1日に40本吸って、1.5リットルコーラを1週間に6本飲むのだという。タバコにコーラを思う存分。それで「死ねない死ねない」と嘆いているのだ。なんだか、すげえ迷惑なじいさんだ。隣でコーラをがぶ飲みしながら「死ねない死ねない」とわめかれたら、ひどく鬱陶しいだろうなあ。
8年前には生前葬コンサートというのをやって、チケット代を香典代わりとして集めたそうだ。それでも死ねない。今は人生最後のコンサートツアーをやっているそうである。もはやご臨終ビジネスではないか。
驚いたことに58歳で奥さんと別居を始めたそうだ。奥さんは「なんで」と散々泣いたという。それが最近は週末婚に変わってきたとのこと。何をやりたいのか、さっぱりわからん。
まあ、とにかく面倒くさくて困ったじじいであることは確かなようだ。
コーラを大量に飲み続けても長生きしているという小椋佳のような話は、時々耳にする。
アメリカでは106歳で亡くなるまで毎日ドクターペッパーを飲み続けたおばあちゃんが話題になった。ドクターペッパーはオレも大好きなので、長生きのためにも飲み続けてみようか。
コーラとか、もともとは薬のような使われ方をしていたわけだから、もしかしたらある種の人々には長生きの薬みたいな薬効を発揮するのかもしれない。
もっとも毎日大量にアイスクリームを食べ続けて108歳で亡くなったおばあちゃんもいるらしい。アメリカの医者は「健康に悪いとされることでも毎日ルーティンとして続けることが長生きの秘訣かもしれない」と言ってるが、適当すぎないか、この医者。
小椋佳と言えば高校時代に聞いた「さらば青春」がとにかく衝撃的だったなあ。深い意味などわからなかったが、アホな田舎の高校生なりにこの歌から時代の大きな変化を感じ取ったのかもしれない。
などと「かぶらや」の安くて味はそこそこの焼き鳥を食いながらレモンサワーを飲んで、週刊新潮を読む。週刊文春はネットの記事で充実しているのでわざわざ紙で買って読む必要がない。ネットに記事を流さない週刊新潮の勝ちである。
家に帰ると、J1リーグの開幕戦のカードが発表されていた。オレたちのアルビレックス新潟はにっくきセレッソ大阪との一騎打ちである。
にっくきと書いたが別にセレッソが憎くはないし、普通のサッカーの試合なので一騎打ちで当たり前だ。それでも久々のJ1に今から激しく燃えるのである。その次の相手が札幌だ。これはアルビサ(←ここでちょうど50万字!)ポ的にはなかなか胸の熱い闘いである。ゴメスの里帰りだ。
そんなわけで来年もサッカーには熱く燃えるのだが、一方で相変わらず香ばしさが漂うのもJリーグの魅力である。
今日のニュースはこれ。鈴鹿ポイントゲッターズだ。ポイントゲッターズ、Jリーグサポはポゲと略すのだが、ポゲはご存じカズのいるチームである。何年ぶりかでカズダンスを披露したといつだったか話題になった。
ここの監督が三浦泰年で、カズのお兄さんである。そもそもが客引きのためのカズを加入させようという企みのもとで監督に招聘したのが三浦泰年。要するにカズへの接待だ。
この三浦泰年がとんでもないパワハラをしていたことが判明し、36人の選手のうち28名が「この監督とはやってらんねえよ」と言ってこの冬に退団してしまったのである。どひゃー、大ごとじゃん。
例えばこんなネタもある。
9月中旬にある選手が別の選手の肌の色を揶揄する人種差別発言をして問題になった。しかし、その際三浦泰年監督は『黒人にクロと言って何が悪い?』『白人にシロと言ってもダメなのか』『ブラジルでは当たり前にクロ、シロ、黄色と言っているぞ』と暴言を吐いた。
スタッフたちは、歴史や文化の勉強不足、現在のコンプライアンス意識の欠如に唖然としていた。あげくに次の日には問題発言をした選手が気に入らないからという理由で『差別発言は許せない』と彼を無期限の謹慎にするという手のひら返しだ。
今時ありえねえよ。
選手の退団に加えてこれ以外にも数々のパワハラネタが明るみになり、もはやポゲに三浦泰年の居場所はないだろう。つーか、サッカー界にもないだろう。
呆れるのはカズで、この騒動が明るみになる前にとっととポゲに見切りをつけて、ポルトガルへの移籍に動き出したのだ。カズよ、ボコボコの兄ちゃんを見捨てて自分だけが逃げるのか。そりゃないだろう。
ジュビロ磐田の来シーズン選手補強禁止の制裁が正式に決まったというニュースも飛び込んできて、界隈はますます盛り上がるのだ。
2022.12.22
今日は夏至いや冬至である。
いつも冬至と言おうとして夏至と口に出してしまうのはなぜなんだ。右と言おうとして左と言ってしまうようなものなのか。まったくよくない例えだが。
冬至は一年の底だ。
この日を過ぎるとどんどん日が長くなっていく。そして逆に気温はどんどん下がっていく。
あれ、おかしくね? 冬至が一番寒いはずじゃないのか。
お答えしましょう。気温というのは、太陽がいったん地表を温めてから、上昇する。つまり間がある。このタイムラグが約一ヵ月のズレとなって最低気温として表れるのだ。
豆知識日記である。
スーパーへ買い物に行ったら、入り口にはゆずと南瓜が積んであった。せっかくだからと両方購入する。
小学生向けの塾で講師のアルバイトをしている息子によれば、こういう季節行事を大切にする家庭とまったくやらない家庭にきれいに分かれるそうで、ちゃんと季節行事をやっている家庭の子はだいたい成績がよいらしい。なかなか興味深いではないか。
季節行事と言えば、もうすぐクリスマスである。
こほん。さて、今年のクリスマスはどうするのかな。
オレは家長として家族にそう問うのである。
すると息子は部活の仲間とクリスマスパーティーをして外泊するという。娘は塾のアルバイトの後、バイト仲間とご飯だという。
ななな、なんということだ。せっかくのクリスマスだというのに子供たちは夜遊びに呆けて、オレは夫婦2人で過ごさなくてはならないというのか。母さん、どうなっているのだ。
もちろんヨメは「大学生がクリスマスに家にいるわけがないじゃないの」と答える。そして「あーあ、私も出かけようかな」と口走る。
ななな、なんと今年のクリスマスは1人で過ごすのか。ちょっと待て、母さん。
「だって1人で映画を観ているときが一番楽しそうだし、クリスマスイブはどうぞ心ゆくまで映画でも楽しんでください」とヨメはオレを見捨てるのであった。
今年のクリスマスイブ問題は、禍根を残しそうである。
さて、そんなことはともかくとしてもう一つの問題がイス問題である。
どういうことだろうか。説明しよう。
実はオレが普段使っているイスが壊れたのである。実はでもなんでもなくて、まんま、イス問題だが。
考えてみればこのイスは、結婚してから使い始めたのでもう22年も使っていることになる。22年間オレの体重を支え続けてくれたことに驚く。いや、結婚して22年もたったことに驚く。よくぞオレなんかと一緒に22年間も過ごして我慢できるものだと、ヨメの忍耐強さにも驚く。
在宅で仕事をしているからこのイスの上で過ごす時間が最も長かったわけだ。そう思えば22年間よく頑張ったと思う。寿命だろう。お疲れ様であった。
これはやっぱり買い換えねばならないだろう。カネがないのにえらい出費である。
イスと言ったらあれだ、アーロンチェアだ。馬鹿がすぐに座りたがるアーロンチェア。
イスが仕事をするわけでもないのに、アーロンチェアに座ると仕事ができるようになると思っている馬鹿がいる。いや、自分は仕事ができると思っている馬鹿が、オレこそアーロンチェアにふさわしいと思っている。
オレは馬鹿だが、馬鹿を自覚しているからアーロンチェアなんかには座らない。
そもそもイスなんかに10何万も払うこと自体、馬鹿の証拠である。イスなんて1万円でも高いほどだ。
というわけでオレはAmazonで探す。キーワードはオレンジだ。
そして見つけたのがオレンジ色のオフィスチェア。肘つき。9000円。おお、これはいいではないか。
早速ポチッとしてあとは到着を待つのみである。
そんな具合に今日は一つ、大きな出費をしてしまった。想定外である。
まあ、子供たちにクリスマスプレゼントを買わなくて済むようになったのだから、その代わりと思えばいいだろう。
頑張った自分にイスのクリスマスプレゼント。馬鹿みたいではないか。
まあ、よい。
これからはオレンジのイスの上でオレは原稿を書き続けるのだ。
2022.12.21
いやあ、弱ったよ。弱った弱った。
何が弱ったかって、名刺屋が倒産しちゃったよ。いや、倒産したかどうかはわからないが、いきなりの閉店だと。ネットだけど。ネットだと閉店も簡単だよな。サイトを閉めちゃえばいいんだから、カネもかからないし、工事業者を呼ぶこともないし、隣近所に挨拶に回る必要もない。
それでもオレは会員として登録してたんだから、せめてメールの一つでも送ってほしいよなあ。そろそろ名刺がなくなってきたから補充しなきゃと思ってサイトを開いたら、もうやってません、辞めました、さようならと表示されているだけなんて、まったくもって不親切すぎる。
ネットショップなんてそんなものと言えばそんなものなのだろうが。
名刺を使う機会はここのところ極端に減った。大きな原因はリモートワークである。
リアルで対面しないのだから名刺を渡すことが物理的に不可能なのに加え、名刺交換しなくてもコミュニケーションに何の問題もないことがわかってしまった。だからリアルで対面しても、名刺を交換しない場面が明らかに増えた。特にその場限りでの面会相手には、もうお互い名刺交換なんて要らないよねという空気になってしまっている。
困ったのは部長さんたちだ。名刺を交換して「あ、この人は部長なんだ」と相手にわかってもらうこと以外、同行する価値のない部長は多い。名刺交換できなきゃ只のおじさんである。そういう只のおじさん部長は現場の専門的な話題についていけるわけがないから、名刺交換の機会を逸してしまったら、あとは「この人なんでいるの」という視線に耐えて過ごすだけである。
コロナは部長のプライドも破壊してしまったのだなあ。
何度も書いているように、台湾あたりではもはや紙の名刺は無用の長物。もし名刺を渡そうものなら「どういう認識なのか、御社の見解を聞きたい」と言われる始末。紙資源の無駄であり、相手に名刺管理という時間資源の無駄を強いるものとして受け止められている。もはや名刺は悪ですらあるのだ。
オレ自身も名刺を使う場面がずいぶん減ってきた。リモートでのインタビューは当然だが、リアルでのインタビューでも名刺を出さないことが増えた。「ライターのタンゴちゃんです、みんな、今日だけよろしくね、二度と会うことはないから」とニコッと笑って終わりである。それで何の不都合もない。その場限りのインタビュー相手がほとんどだからだ。
とはいえ、窓口になる人とか、その場限りではない人とも接するから、名刺がまったく要らないかというとそんなことはなくて、やはりある程度は必要になる。消費するペースは明らかにダウンしたが、決してなくなったわけではないのだ。
そんなわけでぼちぼち新しいのを補充しなきゃと思っていつも発注しているネットショップを開いたら終わっていたという次第である。
さて、弱った。
いや、別にたいして弱ったわけではない。名刺を作ってくれるネットショップなんて山のようにある。「名刺」と検索するだけで「ラクスル」を筆頭にずらーっと出てくる。こんなんで商売になるだろうかと心配になるレベルだ。
そもそも振り返ってみれば、オレはどうやって名刺を作ってきたのだろう。
最初、フリーになりたての頃はよく覚えている。新宿の地下街、サブナードの一角にあった名刺屋に足を運んで頼んでいた。
店のカウンターで名刺を作ってほしいんですがと言うと見本の入ったファイルを渡され、好きなものを選んで住所、電話番号棟を申込用紙に手書きすると、数日後にできあがるので再度店まで足を運んで受け取るという方法だった。
新宿の地下街、しかも東口という場所柄か、見本で渡された名刺フィルの中には明らかに組関係の名刺が散見されるのにはいつも笑った。
これが最初の曙橋事務所時代の名刺で、次に引っ越した新宿御苑時代には、どうやって作っていたのか、まったく思い出せない。なんか小さな路面店の名刺屋に発注していたような記憶が薄ぼんやりとあるが、それ以上はまったく思い出せない。
結婚して在宅勤務になってからは、基本的にネット発注だ。会社員じゃないから気分次第でデザインもいろいろと変えている。昔会った人に久しぶりに再会して、改めましてなんて言いながら名刺交換すると「全然違う名刺なんですねー」と言われるのも珍しくなかった。
以来ずっとネットで名刺を作っている。価格の比較も簡単だし、便利なものだ。たいした名刺じゃないから、デザインや品質にもさほどこだわりはないし。
そして話は冒頭に戻って、いつものネット名刺屋が閉店してしまったのである。安いけれど、やたらと時間のかかる名刺屋だった。たぶんベトナムあたりで印刷して船便で日本に送っていたのだろう。
もちろん新しい名刺屋なんて簡単に見つかるし、価格も簡単に比較できる。ネットは便利だ。
面倒なのは、というか煩わしいのは、また新しいデザインをテンプレートから選んで作らなければならないことだ。この点は昔のリアル店舗のほうがずっと楽で、現在使っている名刺を1枚渡して「これと同じに作って」と言えば済んだ。
新しいデザインを選ぶのは面倒だ。
名刺を使う機会が極端に減り、名刺で勝負するような仕事でもないとは言え、テンプレートを選び始めるとやっぱりあれがいいこれがいいと迷い出す。基調はオレンジだぜなんて決めると、ますます大変になる。
ふと気がつけば1時間もテンプレートを眺めていたりして、いかんいかんと適当なところで切り上げて決めるのだった。
名刺のデザインなんて、実は他人は案外気にしていない。凝った名刺があれば、その場でちょっと話題になるが、それで終わりだ。オレたちの商売は。
今回頼んだ名刺屋はかなり安かったなあ。100枚で送料入れても1000円しなかった。1枚10円以下である。昔は50円以上したものだったが。
そんな具合に名刺の手配におろおろしていたら、新潟で大雪のニュースだ。国道8号で立ち往生の発生である。
もしやと思って甥っ子にLINEしてみたら、案の定、立ち往生の真っ最中であった。
ニュースで映し出された国道8号ではなく、そこに合流する高速道路に閉じ込められたらしい。一般道が動かないので高速から降りられないというわけだ。
結局12時間以上の立ち往生となったようで、「人生で最も長い一日だったぜ」というLINEとともに甥っ子は脱出を報告してきた。雪国はこれがあるから大変だなあ。アルビレックスに選手が移籍したがらないのもしょうがない。
柏崎に原発ができてから、地元では雪が降らなくなったと話題だった。海水の気温が上がったためである。
だけど今回の大雪は、海水の気温が上がったことも原因の一つだそうである。いったいどっちなんだ。世の中はわからないことだらけである。
そんな具合に首をひねっていたら、いつもの駅前書店で突然「これは経費で落ちません!」の10巻を見つけてしまった。青木裕子・集英社オレンジ文庫である。新刊だ。
望月諒子の新作文庫が出たというのでそれを買いに立ち寄ったのだが、その隣に平積みされていたのがこの「これは経費で落ちません!」だったわけで、オレは「あ、出た」と言いながら問答無用で迷いなく青木祐子と望月諒子の2冊を手に取ってレジに向かったのである。隣の人は屁でも出たのかと驚いただろう。
シリーズの新作が出たら迷うことなく即座に買うのは「これは経理で落ちません!」シリーズと、似鳥鶏「市立高校」シリーズだ。後者はほぼシリーズも終わったような感じで(作者は終わっていないと言ってるが)、今となってはこの“経理”シリーズが続編の楽しみな唯一のシリーズとなってしまった。
このシリーズは大好きなのだ。
主人公は中堅入浴剤メーカーに勤務する20代後半の経理のお姉さん。彼女を取り巻く様々な経理仕事を縦糸に、彼氏である営業マンとの恋物語を横糸に織りなされるお仕事小説だ。
となるといかにもお気楽なお姉さん小説に思えるが、実は縦糸に関してはかなりリアルでシビア。前回までは化粧品会社を買収するM&Aにまつわる話で、これが様々な思惑のからむ複雑な案件だった。今回は税務調査とうさらにシビアな内容がテーマで、国税局の調査官が乗り込んできて繰り広げられる丁々発止のやりとりが実に生々しい。どうやら買収した化粧品会社の経理処理が相当にずさんでポンコツだったようだ。ありがちな話だ。
お仕事小説だから当然ではあるが、仕事の部分に関しては実にシビアでスリリングなのだ。結局税務調査は何ごともなく終わるのであるが、何ごともないのにこれだけスリリングに読ませるのはなかなかの手腕である。
一方の横糸については、これも意外なことに実に読ませるのである。今回の白眉は東京駅の新幹線ホーム。ここでのやりとりは何というか、ちょっと感動的でさえあって、何度も読み返してしまった。
とにかく主人公のキャラが際立っているのである。仕事とプライベートは完璧に分ける主義で、仕事に関しても常に原理原則に則って動く。「兎を追うな」がモットーなので、原理原則に沿ってさえいれば、逃げ出した兎の後を追いかけることは決してしない。給料分はちゃんと働いて、会社以外では決して会社の人とは付き合わず、土日は1人の部屋で好きな映画を観て過ごす。こんな生活が一生続くといいと考えているのが主人公だ。
年齢的に結婚を意識するようになるものの、今の生活は個人戦だけど結婚すると団体戦が始まる、私は団体戦が苦手なタイプ、と考えるような思考の持ち主。プロポーズされると、結婚までにやるべきことをExcelで(!)リストアップし、一つづす「済み」のマークをつけていかなくてはならないのかとため息をつくような女なのだ。
こういう人間が一緒にいたら息が詰まるのは確かだが、キャラとしては非常に面白く、感情移入してしまうのである。
このシリーズは、巻が進むごとにこうした面白さがどんどん増していき、作者の力量もグングン上がっていくのがわかる。作者の成長物語という側面もあるようだ。
不思議なことにこの作者の他の作品は、ちっとも面白くない。なぜなんだろう。
基本的に連続している話なので、この巻から読み始めても何が何だかわからない。やっぱり第1巻から読み始めることが必要だ。10巻が実に面白かったので(今までも面白かったが)、改めて1巻から読み返そうと思っているところだ。
2022.12.20
東大の近くで仕事が終わったのは17時頃。ちょうど講義も終わりの頃だから、息子と連絡を取って本郷三丁目で飲みに行くことにする。今日はバイトもなければ部活もないはずだ。
赤門の前で待ち合わせて、駅前の加賀屋へ向かった。
今日はバイトも部活もないとはいえ、ゼミを2つ掛け持ちしてもう1つ新たに入ろうかと考えている息子は、別の研究室の補助的なバイトもしていて忙しい。さらに会計事務所のバイトに塾講師に加えてテストの添削のバイトも始めたので、とにかく忙しい。
もはやオレなんかと遊んでいる場合ではないはずなのだが、今日も気持ちよくオレに付き合ってくれる。
なんていい息子なんだと感激する。もはやオレが手を引いてもらって介護されているに等しい。こんないい息子がなんてオレなんかの遺伝子を受け継いで育ったのだろうと心底不思議である。きっと神様からの贈り物なのだろうと思うようにしている。
息子には税金を使って国立大学で勉強させてもらっているのだから、ちゃんとお国に尽くすんだぞと言い聞かせている。親子そろってガチの右派。
今日のオレの仕事は、先週に続いて医科系の有名大学院で基礎研究に取り組む専門家のインタビューだ。いずれもその道の権威である。当然オレなんにか理解できるわけはないから、頭を垂れて教えを請うことになる。
同じ医学であっても専門科が違うから、これは要するに全部違う会社でインタビューするのに等しい。それぞれ作っている製品やサービスが違うわけだ。話を聞かなきゃわからくて当たり前である。
もちろん先生方もそれは百も承知。素人に噛んで含めるように丁寧に教えてくれる。とはいえ、こちらもインタビュアーとして最低限の知識は入れておかなくてはならない。マクロファージってなんですかというレベルでは話は進まないのだ。
よって事前の準備にはかなり時間がかかる。その上で話を聞くから、インタビューはかなり疲れる。
全体の流れを踏まえつつ、ときに軌道修正し、ドクターの専門的な話を理解しながら、次の展開を促す適切な質問を考えなくてはならない。さらにその場の空気にも配慮して穏やかな雰囲気で進むように気を使い、カメラの動きにも目を配りながら残り時間を計算する。細かくメモを取りつつこれだけのことを同時にやっているんだから、オレもたいしたもんだ。そういう商売とはいえ、疲れて当然である。
そんな疲れた体と頭で息子に手を引かれて向かった加賀屋は都内あちこちにある有名居酒屋で、本郷三丁目の駅前にあるのは本店だ。
とにかく昭和のザ・居酒屋そのもの。おっさんたちのグループが「がははは」と笑い、カウンターではスーツ姿のおっさんが一人でホッピーを飲んでいる。座敷は完全に喫煙可なので、タバコが吸い放題。喫煙者にとっては地上の楽園のような店だ。
おっさんで席が埋まっている店は、間違いなく旨くて安い。加賀屋は駅前立地で幹線道路に面しているためそんなに安くはないのだが、とにかく食い物が抜群に美味いことは間違いない。刺し身は寿司屋並みだし、厚揚げはたぶん自家製。小アジの揚げ物も作り置きではなくてその場で揚げてくれるから美味いのなんの。
こういう正しい日本の居酒屋は素晴らしい。
加賀屋で旨い酒を飲み、旨い料理を食べ、さて締めに焼きそばでもと思ったら、息子が隣のうどん屋に行きたいという。いいではないか、うどん。
うどんは血糖値を大きく上げるため、オレは食わないが、息子には好きなものを腹一杯食ってもらいたい。オレは路上で待って、息子だけうどん屋に入る。
なぜオレも入らないかというと、そこが立ち食いうどんの店だからだ。日中は行列もできる店だそうである。そんなに旨いのか。なるほど、今夜も店内にはおっさんに混じってお姉さんが立ち食いうどんをすすっている。女性がこういう立ち食いの店に1人でいるのは珍しく、それだけ引力のある店なのだろう。
いい店でうどんを食うことができてよかったな、息子よ。
帰りは池袋駅から石神井公園駅行きの各駅停車に乗る。急ぐ行程ではない。のんびり行こう。ならばあえて各停で座っていくのが正解だ。酔っ払ったオレのそんな理屈に付き合って、息子も各停に一緒に座ってくれる。息子がいるから酔っ払ったオレも安心して電車に乗れるのだ。
家に帰ったら、あき竹城が亡くなったというニュースが飛び込んできた。大腸がんだったという。
なぜあき竹城に反応するかというと、実はこの人、すぐ近くに住んでいたからだ。
具体的に言うと光が丘と土支田の間ぐらいの場所に建つ一軒家に暮らしていたのだ。それは地元では有名な話で、見た目のもんまの人柄で、地元のスーパーで買い物している姿をよく目撃されていた。近所の人なのである。
そんなわけで何となく親しみを感じていたから、あき竹城が亡くなったというのはちょっと寂しいニュースだった。
最近、がんで亡くなる人がずいぶんと減ったそうだ。それはがん患者自体が減ったのではなくて、コロナのせいでがん検診を受ける人が極端に減っただけのこと。つまり今後、一気にがんで亡くなる人が増える可能性がある。
「コロナの時期に検診を受けていればステージ1か2で助かったはずの人が、数年後、ステージ4でやっと発覚してもう手遅れというケースが増えると思いますよ」とインタビューした医師は言っていた。それは気がかりな予言だ。
そんなことにならないよう、皆さん、がん検診はちゃんと受けておきましょう。
2022.12.19
いま明かすが、実はオレも教員免許を持っている。中学と高校の英語の先生だ。
たいした志があったわけではない。英米文学科に入ったので、ついでに英語の先生の資格が取れるというから、何も考えずに単位を取っただけである。
当時は「でもしか先生」という言葉があったのだ。
ほかにやることがないから先生「でも」やろうか。先生「しか」できない。そんな教諭が山ほどいたのである。だからオレも、食うの困ったら先生でもやるか程度の考えで資格を取ったわけである。実際、オレの高校1年の担任がそれで、クラスの初日の挨拶で、「自分は先生にしかなれなかった」と挨拶していた。
今思えば自虐ネタで笑いを取ろうとしたのだろうが、高校に入学したばかりの子供相手にそりゃ無理だ。それなりに希望に胸を膨らませていた田舎の高校生に向かってそれは、言ってはいけないギャグだったような気がする。
美術の先生だった。特にイヤな先生でもないし、優れた先生でもなく、今思えば美大あたりを卒業したもののいい就職がなくて、田舎の美術教師になる道を選んだ人だったのだろう。
個人面談で毎日家で何をしているのかと問われたオレは、ギターばかり3〜4時間弾いていると答えたところ「それではプロじゃないか、もっと勉強しろ」と言われたのを覚えている。先生、プロは一日中弾いているんだぜと反発したものだった。
特に先生になりたくて英語教師の資格を取ったわけではなかったが、はっきりとこれはないなと思ったのは、教育実習の時だった。
母校の中学で実習を受けたのだけれど、職員室の片隅に座らされたオレは、かつての担任たちがろくでもない噂話や悪口に終始している姿を見て、何じゃこの人たちはと呆れて、そしてこんな場に未来のオレを置きたくないと思った次第である。
特に中1の時の担任のおばちゃん先生が、他の先生について「あの人はアレだから」みたいな口調で小馬鹿にしていたのは今もよく覚えている。純粋で真っすぐな青年だったオレは大いに失望し、こうはなりたいくなと思った。これこそまさに反面教師。
ちなみにこの担任は下(シモ)先生といって、休み時間にクラスで騒いでいると、いつもいたずらばかりしているミツオが「あっ、シモ来た!」と叫んでみんなを驚かせるのだった。そして直後ミツオは叫んだ。「はんとう」と。昭和の中学生は平和だったのだ。
もちろん今は先生だって普通の社会人だし、誰もが聖人君子ではないということも理解できる。
それどころか間違ってオレが教師なんにかっていたら、とんでもなくデタラメな先生になっていたに違いないと思う。なにしろオレは、人に教えたり指導したりするのが嫌いなのだ。向いていないのではなくて、嫌いなのだ。人から「タンゴさん、今度ギター教えてください」とおべんちゃらを言われても、イヤです、上手になってから来てくださいと答えるような男である。
人に教えることが嫌いなのに教師なんかになったら、教わる子供らは不幸だし、保護者はぶち切れるだろうし、オレはストレスで胃を切って入院して悟りを開いていただろうし、まったく教師になんかならなくてよかった。武田鉄矢とは真逆の、犯罪者みたいな教師になっていたのではないか。
そんなことを思い出しながら今日は中野の学校へ行った。そこで働いている先生たちは、だからオレなんかからすると尊敬の一言である。まったくもって頭が下がる。オレとは真逆の存在だ。いや、イヤミではなくてマジでそう思うわ。
それにしても中野というのはおかしな街である。方南町というところに行ったのだが、ここはオレが30代の10年間を過ごした渋谷区の笹塚という街のすぐ隣。笹塚駅から徒歩10分くらいのところだ。その頃から思っていたのだけれど、完璧な下町なのである。方南町は。
商店街は古くてボロボロの店ばかりだし、ネイティブな住民は多いし、偏屈なじじばばだらけである。
よく知られているように、偏屈どもが長生きしているから再開発がちっとも進まず、真冬にひとたび火事が出たら消防車も入れない路地ばかりなのでたちまち消失してまうだろうと言われているほど狭隘というか無茶苦茶というか。
そのおかげで実に旨そうな路面店の居酒屋が多いのは素晴らしいと思う。きっと煮込みはびっくりするほど旨いに違いない。今日はコマちゃんを誘ったら断られてしまったので、今度コマちゃんに内緒で飲みに来ようと思う。
そんな方南町へ行く電車の中で読んだのが、さっき駅前の書店で買った「ふるさと銀河線」田郁・双葉文庫だ。著者は時代物の人情話で知られる。軽そうな内容なので何気なく手に取ってみた。そしてすぐに後悔する。つまらんのだ。話が。
現代を舞台に、電車を小道具に使った、ちょっとイイ話なのである。それが、そんなことあるかいという臭さだ。薄っぺらい、実に薄っぺらい話ばかりで、オレはざーっと飛ばし読みだ。「大坂ほんま本大賞」という聞いたこともない賞を受賞したらしいが、なんでもかんでも賞にすればいいというものではなかろうに。
読んですぐブックオフ行きの段ボールに放り込んだ。
このブックオフ行き段ボールにもそこそこ本がたまってきた。読んでつまらなかった本だけが放り込んであるのではない。基本的に読んだ本はすべてここに放り込んで、たまったらブックオフで売っている。
以前は読んだ本はすべて隣に住むオガワさんにプレゼントしていた。オガワさんは面白そうな本は自分で読み、そうでない本は勤務先の福祉施設の図書コーナーに寄付していた。
今はオガワさんも引っ越していなくなったので、仕方なくブックオフに売りに行く。これは後で必ず読み返すだろうという本、希少価値の高い本、手元に置いておきたいほど大切な本以外は、全部ブックオフ行きだ。だから先日の「風は西から」も「最後の喫煙者」もすべて段ボールの中である。
もちろん本当に大切で手元に置いておきたい本は、Kindleで再度購入している。だから例えば「壬生義士伝」は文庫で買って電子書籍でも買っているし、オールタイムベストワンの「大誘拐」は文庫の新版が出るたびに買った上にKindleでも買った。
やはりKindleはいつでもどこでもすぐに読めるというのが一番の利点で、今日も「ふるさと銀河線」があまりにつまらなかったから、方南町からの帰りの電車では、一昨日の日記で書いたウィレム・ルスカについて読み返したくなって「1976年のアントニオ猪木」の第一章を読んだ。
まったくもってルスカの話は泣けるなあ。病気の妻の治療代を稼ぐためにプロレスラーになり、しかしプライドと不器用さのせいでプロレスラーとしてはまったく成功しなかった。ブラジルで、あのイワン・ゴメスとひそかにシュートマッチを行っていたというのは、ワクワクする。新日本の興業なので、プロレスとしてルスカが勝つという話になっていたのだが、ちょっとしたアクシデントでシュートマッチになってしまったようだ。
レフェリーはミスター高橋。こうなりゃ本気でとことんやらせてどっちが強いかを見てみたいと思いつつ、これは仕事であることを思い出したミスター高橋は両者カウントアウトに持ち込んで強引に終わらせたというのがスリリングでいい。
そんな話を読み返しながら家に帰ってきて、そして読売新聞で面白いネタを見つける。
「デスク爆弾」だ。
会社で仕事をしていると、いつも寄ってきてどうでもいい雑談をする人っているよね。上司から部下、先輩から後輩というパターンが多そうだが、仕事が忙しかろうがどうか関係なく、「最近どう」「昨日のサッカーだけど」みたいな雑談を仕掛けてくる人のことだ。
そういう人のことをデスク爆弾と呼び、「ああ、またデスク爆弾が来た」と敬遠される風潮が出てきたというのである。
なるほどねえ。日本にもそういう意識ができてきたんのか。
風通しのよい職場はよい職場。コミュニケーションの盛んな会社はよい会社。
誰も否定できなかったそうした価値観が揺らいできているようだ。
仕事をする上で別に風通しなんか関係ないし、自分のやるべき仕事をすればいいだけだから関係ない人とコミュニケーションなんか取る必要ないし。
以前から確かにそういう無意識の意識のようなものはあった。どんな会社でも新人に求めるもののトップはコミュニケーション力ととう時代がずっと続いたのだが、世の中にはコミュニケーション力に優れた人間ばかりではないし、人とコミュニケーションなんか取る必要のない仕事だって多い。人とのコミュニケーションは苦手だけれど技術力は図抜けている人間は多いのだ。
以前、どこかの会社が「コミュニケーション力は必要ありません」という求人広告を出したら驚くほどの応募が集まったそうだが、コミュニケーション力全盛の時代にうんざりしている層も確実にいるということだ。
間違いなくそこに拍車をかけたのがリモートワーク。
例えば会議の後の「キミ、さっきの案だけどねえ、オレの知り合いにさあ」というような立ち話や、廊下ですれ違った際の「あ、部長、実は先日訪問した新規のお客が部長のことを知ってて」といった立ち話の効用は実に高い。オフィシャルではない場での化学反応は時に想定外の結果をもたらしてくれるからだ。それを知ってて意識的に立ち話文化を促進しているのが、あの旭化成である。
だがリモートワークの浸透によって、Zoomの会議は時間ブツッと切られ、会議中にアイコンタクトを送るなんてことも不可能になった。出社しないから廊下で偶然すれ違うこともない。
だから久々に出社したときのデスク爆弾が、ことのほか鬱陶しく感じられるのかもしれない。
オレのようなフリーランスの人間は、以前、取引先に訪問したら社内を勝手にうろうろして、知ってる顔を見つけては「コマちゃん、元気? 何かおいしい話ないの?」とか声をかけて仕事をねだったものだった。しかし9.11テロから会社のセキュリティが格段に厳しくなって、受付の突破さえ簡単にできなくなって、そうした営業は不可能になった。
そんな経験をもつフリーランスは、あれ、もしかしてオレってデスク爆弾だったのか、と今さらながら気がつくのであった。
2022.12.18
22時に寝て、目が覚めたのが1時近かった。
トイレに行き、試合を見ていた息子に聞いたら「フランスは酷い。ベンゼマは何をしに来たんだ」と呆れている。スコアはなんと前半で2-0。アルゼンチンだ。なんだこりゃ。
こんな試合なら見なくていいかと思ったものの、こうして夜中に息子と一緒にワールドカップを見るなんて、4年後もできるかどうかわからないのだから、今だけかもしれないなあと思ってオレも一緒に見ることにする。前半30分ぐらいだった。
今日は昼、例によって寝転がって映画を観た。「そして、バトンは渡された」である。
原作は2019年に読んでいる。瀬尾まいこだ。当時の日記を読み返すと「主人公は高校3年の女子高生。実の母は3歳の時に亡くなり、その後、様々な人たちの手で育て上げられた。父親は3人、母親は2人。17歳で名字が3回も変わっている。それなのにこの女子高生は明るくまっすぐで、例えばちょっとしたことでクラスメートから無視されて孤立してしまうという事件の時も軽く乗り越えてしまえるような強さも身につけている。そんな彼女の生き方や考え方に共鳴して物語を読んでいるうちに、実はこれは彼女を育てた親たちの物語であることに気がつく」と書いてある。
本屋大賞を受賞した話題作だった。映画もそこそこ話題になっていたようだった。
137分というのは長いなあ。90分でいいんじゃないか。
いや、言いたいのはそこではない。前半はよかったが後半は酷かった。映画では主人公の女子高生を永野芽郁が務めていて、母親役が石原さとみ。そして話が進んでいくと、実は石原さとみが裏の主役として浮かび上がってくるという仕掛けになっている。
わざとらしい伏線の回収もいやらしい(あんな派手な格好で卒業式に参列したら絶対に気づかれるだろうに!)のだが、とにかく不治の病で亡くなってしまった母親の深い愛情というのが真ん中に置かれているのだ。
いや、原作は違うだろ、とオレは思いましたね。原作は、3番目のお父さんが実にいい人で、こういう善意に支えられて人は生きていくんだという物語になっている。そうした構図と違って、石原さとみが脚光を浴びるようになっているのが違うと思いましたね。
まあいいや。そういうところは別として、石原さとみの腹黒い演技はなかなか見物だった。
こいつはきっと腹の中ではとんでもなく悪いことを企んでいるんだぜと思わせる黒い笑顔をさせたら一級品なのは、石原さとみと高畑充希だ。そんな黒い笑顔を振りまき続ける石原さとみ。さすがの存在感だった。
篠原涼子と離婚した市村正親が若い奥さんに逃げられる役をやっていて、自虐もやりすぎると痛々しいべと苦笑いである。
夜、「家、ついてっててイイですか」の特番3時間を見る。面白いのだが、1時間で十分だ。
「そして、バトンを渡された」でもヘンテコな家族ばかりが出てきたが、こちらの番組でもヘンテコな家族ばかりが出てくる。子供が6人いて40歳で孫ができちゃったお母さんとか。
途中、裏でやっていた「M-1」に切り替える。あんまり面白くない。
夜中にアルバイトから帰ってきた娘は、ネットで再生して見て、結果にはぶち切れていたらしい。娘はM-1を見ながら自分でも採点するのだそうだ。変わった趣味だ。その採点と審査員の採点があまりに違うから、ぶち切れたのかもしれない。オレんちの家族ももしかしてヘンテコなのかもしれないと思う。
娘がそんな採点をしている間にオレは寝ていて、1時になって入れ替わるようにオレが起きて、そして息子と一緒にワールドカップを見たという次第。もちろん娘はサッカーなんかにまったく興味がないからとっとと布団に入って、そしてヨメに向かってひとしきりぶつぶつと採点に文句を言っていたらしい。
そんな具合で見ることになったワールドカップ決勝。前半で2-0とアルゼンチンが圧勝し、フランスはシュートがゼロという酷さ。息子が「ベンゼマは何しに出てきたんだ」と呆れたわけたが、ところがそんなゲームが後半になって一変するのだからサッカーは恐ろしい。
前半がよくて後半が酷かったのは「そして、バトンは渡された」だが、ワールドカップ決勝は前半が酷くて後半が素晴らしかった。
いや、いくら素晴らしいといっても、まさか80分まで0-2だったフランスが2-2と追いつくなんて予想すらできなかったわ。特に81分のエムバペ(オレとしてはムバッペと呼ぶほうがしっくりくる)のダイレクトシュートはスーパーゴールで、フランス人ならこれだけでフランスパン3本は食えるだろう。
それにしてもフランス代表はほとんどが黒人で、いったいどこの国の代表かと思わせてくれる。移民ばかりだからなあ。黒いヨーロッパと白い南米という図式も、なかなか興味深い。
延長後半になってメッシのスーパーゴールが決まった時点で、さすがにこれはアルゼンチンの勝利だと思ったのだが、なんと試合終了直前にフランスが奇跡のPK獲得。まさかまさかの神展開で、これでフランス人はさらにフランスパン3本をお代わりできたに違いない。
もちろんこのPKもエムバペが決めるわけだが、終わってみればエムバペはハットトリックのうち2点がPKで、フランスはエースがハットトリックを決めたというのに優勝できなかったことになる。なんとまあ、驚くではないか。
そしてこの試合終了直前にPKを与えてしまったフランスのディフェンダーがPK戦の最後のキッカーを務めることになったのも勝負の神様が描いた物語のようで、シュートが決まった瞬間、キッカーのモンティエルが全身を震わせるように激しく泣き出したのも、そりやあとんでもないプレッシャーだったろうなあとこちらに感情移入させてくれた。
アルゼンチンのキーパーの目は当初、泳いでいるように見えたが、途中からは明らかにイッてしまった目になり、きっとあれはゾーンに入っていたのだろう。
終了直後、ネットには「伝説の試合」「神展開」「それまでのすべての試合を前座に追いやった」と賞賛の嵐だ。オレも凄いモノを見せてもらったと呆然としたほどの試合だった。
前半のまま塩試合であっさりアルゼンチンが勝って2時には寝られると思ったのに、結局3時までかヵってしまって、オレは睡眠不足。きっと世界中がそうだろう。
終わってみればメッシのワールドカップだった。
そして実は一番強いのはサウジアラビアということになってしまったのだった。
2022.12.17
気温が10度を割ってひとケタ台になると、タイツの出番である。
あんなだっさいもの、誰が履くもんか。そう思っていたが数年前に試してみたところ、快適この上なく、もはや手放せない。いや、足放せない。
タイツといえばユニクロのヒートテックだ。しかしあれは高いので、イオンや西友やしまむらで買っている。しまむらでは去年のやつを安売りしていて一足600円で買えた。ううう、なんとも貧乏くさい日記なのだ。
タイツといえば聞こえはいくらかマシだが、要するに昔の股引である。おとっつぁんたちが履いていた、あのだっさい股引だ。
思い出すのは中学生の頃だ。雪国の実家に暮らしていたオレは、家から50m程の地元のよろず屋へ買い物に行った。何を買ったかはもちろん覚えていないが、店のおばちゃんの顔ははっきり覚えている。なにしろオレの生まれる前からよろずやのおばちゃんとして店番をし、地元の子供らの見張り役をしていたのだから。
中学生になって買い物にやって来たオレに向かって店のおばちゃんは、いきなり「股引を履いているか」と問うたのである。きっと寒い朝だったのだろう。
当然オレは、履いてないと答えた。中学生の青春まっしぐらな男子が、股引なんて履けるわけがなかろう。
するとおばちゃんは「股引を履かないとダメだ、なんで履かないのだ、履かないとダメだ」と繰り返し説教したのである。反抗期まっしぐらのオレは当然のようにそれを無視し、よろず屋の引き戸をパチンと閉めたのだった。
あのときなぜおばちゃんは、あんなにも執拗にオレに股引を強いたのだろう。何かおばちゃんの家庭で股引にまつわる一悶着でもあったのか。あるいは中学生に股引を履かせよう運動のようなものがひそかに進められていたのだろうか。まったくわからない。
そんな出来事に直面していたあの頃のオレに向かって、50年後には気温ひとケタでタイツを履くとあったかいぞうなんて言ってやったら、きっとびっくりするに違いない。
などと言いながら新小岩駅前の町の本屋さんで買った村山由佳の小説を読む。
「風は西から」村山由佳・幻冬舎だ。
村山由佳はだいぶ以前に一冊読んだことがあるのだが、なんというか、女性作家の苦手なところが全面に出てくるような作風がちょっと合わないと感じた。それが2006年。つーことはおよそ15年ぶりに手にするということか。作品はともかくとして、オレの意識や感覚もだいぶ違ってきているから、印象も変わってるかもなあと思いつつ読み始める。
簡単にと言うと、ブラック企業の過労死で自殺した恋人の仇を取ってやろうと戦う話だ。
前半は前途洋々たる未来を夢見て入社した恋人(男)が、あまりのブラックぶりにじわじわと追い詰められていく様を克明に描いている。これがけっこうなリアリティで、読んでいるこちらも追い詰められていく。
モデルになっているのは明らかに「和民」。カリスマ社長として登場するのも渡邉美樹そっくりのキャラクターだ。たぶん事実を下敷きにして描いているのだろう、なかなかの迫力とリアリティである。
物語のちょうど半分あたりでこの恋人がビルから飛び降りてしまう。その背景を探り、ブラック企業に謝罪を迫ろうと奮闘するのが主人公の彼女。広島で小料理屋を営む彼の両親も上京して一緒に戦うのだ。よし、頑張れ。和民なんかぶっとばしてしまえと、こちらもつい力が入る展開である。
最終的にはもちろん渡邉美樹が謝罪して物語は一応のハッピーエンドだ。ただこの謝罪に至る判断がいまいちよくわからないのが残念だった。
読み応えのある小説。でも抜群に読みやすく、登場する人物は少なくて、しかもそれぞれのキャラの立ち方がとてもわかりやすいので、長いお話でも混乱することなく読み進められる。これはとても大切なことだ。
しかしブラック企業って、昭和の頃はブラック企業ばかりだったなあ。徹夜自慢、休日出勤自慢、ただ働き自慢は当たり前。24時間闘えますか。でもそんな企業戦士(笑)がいたから日本も栄えたのは確かだろう。
いま企業戦士と入力したら「不快用語」というアラートが出てびっくりした。ATOKはそんな指摘もするのか。お節介だな。
そうか、企業戦士は不快な用語なのか。
試しに百姓と入れたら、やっぱり不快用語と注意された。外人もそうだ。乞食もそうだ。盲もそうだ。いっぱい出てくるな。これじゃ昭和の時代の筒井康隆の小説は不快用語だらけだ。
もっともこんな程度で言葉狩りがどうのと騒ぐもかったるいから、ほっとけばいいだろう。ジャストシステムは上場会社。それなりに体裁を整えなくてはならないだろうから、不快用語の指摘もその一環と思えばよい。
などと言いながら読み終わって、オレは今週はどの映画を観ようかななどとつぶやきながら、「格闘技世界一」を発見する。Paraviだ。
これは大昔、劇場で観たような記憶がある。大学4年生かその頃じゃなかったか。
アントニオ猪木がモハメド・アリとの一騎打ちでとんでもない借金を背負ってしまい、その返済のために異種格闘技戦という博打に打って出た頃である。この博打は大成功。猪木と新日本プロレスは新たな鉱脈を掘り当てることができた。
だがそうそうブームは長続きせず、次第にマンネリ感が出てくる。そんなときに打ち出されたのが格闘技世界一というコンセプトだ。プロレスや空手、柔道、ボクシング、ムエタイ、なぜか相撲などの格闘技の猛者たちが世界一を争うというストーリーが作られたのだ。仕掛け人はご存じ、商売人・梶原一騎。
こういうことにかけては梶原一騎は天才だ。クライマックスは猪木とウィリー・ウィリアムスとの一騎打ちというロードマップを作って、そこに向かって進んでいくようにプロモーションが図られる。この映画はそのプロパガンダというわけだ。
従ってウィリー・ウィリアムスは冒頭と終盤にしか出てこない。しかも試合のシーンはない。代わりに野生の熊との一騎打ちのシーンがいきなり出てくる。そのインパクトは、今観ても凄まじい。なにしろ本当に本物の熊と素手で組み合っているのだからね。
とはいえ、ナレーションは「野生の熊と30分戦って倒した」と言ってるが、明らかに爪と牙を抜かれた熊だから野性のわけがない。このあたりはそういう時代のお約束だ。今時こんな映像があったら動物愛護団体が黙っていないだろうし、そもそも笑って誰も相手にしないだろう。
この映画ではアメリカの空手選手、ベニー・ユキーデがとにかく推されているのがわかる。格闘家にしてはちょっといい男という程度のルックスと真っ赤なパンタロンが、いかにも格闘技世界一というコンセプトにアイコンにふさわしいと認められたのだろう。梶原一騎がとにかく推しているのだ。
あとは高見山が「ケンカならボクが一番ネ−」などというナレーションをかぶせられて登場したり、藤原敏男や藤猛のファイトがあったり、新日本プロレスの道場での練習風景が披露されたり。なかなか興味深かった。
猪木対モハメド・アリの試合もダイジェストで紹介される。映画用のカメラで撮影され、編集されたもののためか、なかなかの迫力で、あれがいかにリアルなファイトだったかがよくわかった。
そして個人的に最も興味深かったのが、これだ。ウィレム・ルスカ対バッファロー・アレンの柔道ジャケットマッチだ。
ウィレム・ルスカはご存じ、オリンピックの金メダリストで、病気の妻の治療代を稼ぐためにプロレスに転向して猪木と一騎打ちをして華々しく負けた男だ。その実力は伝説的。新日本プロレスの道場で練習した際は、誰もとてもかなわないと思ったほどの強さだった。あのミスター高橋も「自分が知っている中で最も強い男」と語っている。つまり猪木よりも長州よりも藤原よりも前田よりも強い。マササイトーよりも坂口征二よりも強いのがルスカというわけだ。
猪木にはバックドロップ3連発で負けたが、柔道の金メダリストがそんな簡単に裏投げでやられるわけもなく、要するにエンタメだったことは今では定説。勝敗の決まっていたフィクスド・マッチであった。
その後ルスカはプロレスラーとなるも生来の不器用さとプライドが邪魔をしてか、たいした足跡も残せなかった。調べたら後藤達俊ともやっていたようだ。晩年は脳出血で車椅子生活を送ったらしい。
一方のバッファロー・アレンはオリンピックの銅メダリスト。本名、アレン・コージ。こちらもガチの実力者だ。小器用なところがあって、バッドニュース・アレンと名乗ってプロレスラーに転向、ちょこっとだけ反則を織り交ぜるこざかしい悪党というキャラで定着した。調べたら桜庭和志とも戦っていた。
心不全で急逝したとのことで、昔よく見たレスラーたちがどんどん亡くなっていくのは、なんとも寂しい気がする。
さて映画「格闘技世界一」でオレが最も興味深かったのが、このルスカ対アレンなのだが、柔道ジャケットマッチというのは要は柔道着をまとってプロレスをするというもので、場外乱闘もあればドロップキックもある。柔道着でやるところに、新鮮味があるわけだ。
もちろんガチの闘いでドロップキックが決まるわけがないから、これもフィクスド・マッチ。オレも当時テレビで観た記憶がかすかに残っている。闘う必然性の薄い、なんとも盛り上がらない試合だったという記憶がある。
そんな不思議な試合を、まったく予期することなく偶然再び見ることになったわけだ。
試合はごく普通のプロレスに終始。柔道の実力者がプロレスをすれば、安定のケンカマッチになるという見本だった。
面白いのはフィニッシュシーン。突然のようにルスカがアレンに、アキレス腱固めを決めて勝ったのである。それはそれはきれいで見事なアキレス腱固めだった。今の総合格闘技の試合だったら、会場は大変な盛り上がりになるだろうと思えるほど見事なアキレス腱固めだった。
だが当時は誰もそんなワザは知らない。だからルスカが足を取ったと思ったらアレンが突然ギブアップをしたというふうにしか見えず、観客は呆然。「あれ、もう終わっちゃったのか」という反応で、“あっけに取れられて”という表現が実にぴったりだった。
時代の先を走りすぎたフィニッシュだった。見事なアキレス腱固めだちたにも関わらず誰もがぽかーんとして拍手も起こらないことに苛立ったのか、ルスカが会場に向かって怒鳴っていたのが印象的だった。「このジャップのド素人めが!」とでも吠えていたのだろう。
なお、このアキレス腱固めはあまりに唐突で、しかも派手な見せワザでなかったためにアレンも恥をかいたことを思うと、試合中に何らかのアクシデントがあったのかもしれない。例えばアレンが試合前の取り決めを破って、自分だけの見せ場をつくろうと企んだり、ルスカがフィニッシュに持っていくはずの段取りの場面でアレンがワザを受けなかったり。
そんなところがあったのかもしれないなあなんて想像するのもプロレスのロマンで、そしてその本当の理由は永遠にわからないというのも、プロレスのロマンのだった。
2022.12.16
実家に暮らす弟とLINEしていて、というか60も半ばになるというのに兄弟で毎日のようにLINEするっておかしいかもしれないが、まあ仲がいいということでいいじゃないか、というわけで弟とLINEしていて気がついたのだが、もしかしたら今ではワクチンを射つよりはいっそコロナにかかってしまったほうが楽なのではないか。
コロナの致死率がついにインフルエンザを下回ったという。つまりコロナはインフルエンザ以下。
一方でオミクロン型のワクチンになって、副反応が激烈になっているのは確かだ。けっこうしんどいという話をよく聞く。
オレは3回目も何の副反応もなくてけろっとしたものだったが、息子は1回目、2回目とも40度近い熱が出た。こうなるとちょっと怖くて3回目は打っていない。万が一高熱で脳症にでもなったら取り返しが付かないし。前回も解熱剤を用意していて、この大変さだった。
周囲にはコロナにかかった人がけっこういるが「あはは、かかっちゃいました」「ちょっと熱が出たけど一晩で治りました」という人がほとんど。「それよりも一週間仕事を休んで家にいるのがしんどかったです」と異口同音である。
80歳以上の高齢者にはワクチンが有効なのは、もともと免疫力が落ちているところにワクチンによって新たに免疫力を獲得するからだそうだ。それに対して若い人間の場合、既に持っている免疫力で十分なところにさらに免疫力をつけようとするからかえってよくないらしい。へー、そういうもんなのか。
もちろんオレは反ワクチンではない。インフルエンザ予防接種だって毎年ちゃんと受けている。コロナワクチンも第一回、第二回あたりまでは有効だと思って受けている。だがそれでもそろそろこのワクチンはいらないのではないかと思い始めている。
コロナを舐めてはいけないのは当然だ。後遺症が重いことは知られていて、アメリカではこれをロング・コビットと呼ぶのだそうだ。長いコロナだな。ロング・コビットによってアメリカで亡くなったのは3500人以上で、その多くが65歳以上の高齢者。依然として高齢者にはワクチンは必要ということだろう。
若い世代に対してはもうこれ以上のワクチンは不要かもしれんなあ。
そもそもワールドカップでの大騒ぎを見ていると、誰もマスクなんかしないで密な空間で大声を張り上げている。あれを見ればコロナなんてどこの地球の話だろうとなる。ワクチンもマスクも、もういらないのかもしれない。
でも我が家はコロナ前から毎年冬にはインフル対策でマスクをしていたから、これからもマスクはするのだ。わはは。
それにしてもコロナが始まってからもうすぐ丸3年になるわけだが、その間、医療関係者は何をしていたのか、政府行政はアホだったのかと呆れてしまう。
今は第八波らしいが、これまで第一波から第七波まで、とにかく医療関係者や政府は「きたーっ!」と騒ぐだけだ。「きたー、マスクしろー、外出するな−」と繰り返し叫ぶだけ。ばかの一つ覚えとはこのことではないか。何も新しい対策も打てず、毎度おなじみの「ベッドが足りない」「医療従事者がキツい」の繰り返し。学習効果がないどころか、わざとやってんのかとすら思えてくる。
まあ、ひどいもんだ。
もっとも医療なんてそういうものかもしれない。期待しすぎてはならないのかもしれない。
医療関係の人々にインタビューして原稿を書くということをしていると、時々オレたちは医療に期待しすぎているのではないかという気がしてくる。医療なんて、実はたいしたことないのだ。
例えば糖尿病だ。食べ過ぎや運動不足、加齢などが原因で糖尿病になることは知られているが、ではなぜなるのかというメカニズムについてはまだわかっていないのだという。こんなシンプルなことがまだわかっていないのかと、これはちょっとした衝撃だ。しかも糖尿病自体は何百も前から知られている病気だというのに。
こんな具合に医療の分野では未解明だったり、治療法が見つかっていなかったりすることが案外多い。だから期待しすぎてはいけないのだと思う。わからないこと、できないことは、まだまだ多いのだ。
いい医者を見分けるには、わからないことはわからないと正直に言うかどうかが一つの基準だ。オレが信頼していた医者、今のかかりつけの医者も「うーん、なんでだろう、わからないなあ」と正直に口にする。時には患者のオレに対して「なんでだと思いますか」と相談を持ち掛けてきたりもする。今のかかりつけのナカムラなんて「お薬、減らしますかねー、どう思います?」とオレに聞いてくる始末で、オレも「いやあ、もうちょっと今のまま様子を見たほうがいんじゃね?」とか答えている。
とにかく医療に対して過度な期待を寄せるのはよしたほうがいいという話だ。もちろんあえて下に見る必要もない。正しく、ファクトベースで判断すればいい。それが科学的な生き方というものなのだ。
と、私立文系卒のオレが偉そうに通りますよ。
それにしても驚いたのは、新築住宅の屋根に太陽光パネルを取り付ける条例が、都議会であっさりと可決されてしまったことだ。これってけっこうとんでもないことだと思うよ。オレたち東京都民は本当に不幸だ。
こんなことをしてもまかなえる電気は、必要とされる電気の0.何%とからしい。つまりまったく役に立たない。それに対して将来廃棄されることになるパネルの量は膨大で、それが新たなゴミ問題、環境問題になるのは確実。一方で安い中国産のパネルばかりが売れて、儲かるのは中国人だけということになる。
どうしてこんな理不尽がまかり通るのだろう。
都議会では自民党会派が反対したそうだ。自民党が反対したものが可決されてしまうことに、自民党氏支持者としてはすっきりしないものかを感じる。くそう、なんでオレたちのボスが小池百合子なんだよ。はっきりと国賊じゃないか。
東京都民は不幸だなあ。
2022.12.15
当たり前のことだが、日々普通に生活していて、そうそう毎日面白いことがオレの周りにだけ起きるということはあり得ない。
今日は某大学病院の某教授にインタビューしたところ、フグに関する大爆笑の超弩級ネタを仕入れたのだが(サザエさんかよっ!)、とてもこんなところに書いてよいネタではないので、やはり書くことがないということになる。
以前ならば書くことがなければ適当にお茶を濁して今日の日記は終わりとした。しかし年間50万字という偉大な目標に向かってギリギリの年末を走っている今、何としてでも文字数を稼がねばならない。業界風に言うと、尺を稼がねばならない。
この「尺を稼ぐ」というのは言うまでもなくテレビや映画業界の用語であって、それを面白がってやたらと使うのは見苦しいぞ。オレたちの業界にもそんなヤツがたまーにいる。
それはともかく、要するに面白いネタがそうそう毎日あるわけではないのだから、文字数を稼ぐとなるとオレ自身のことについて無茶苦茶どうでもいいことをつらつらと書き連ねるしかなくなる。
というわけでライターという職業についてなのだが。
オレは大学を卒業して社会人になった瞬間からコピーライターだった。以来40年以上。まさかこの年までコピーライターを続けるとは思ってなかった。どこかで管理職とかいうものになって楽ちんになると予想していたのだが、どこで違ってきちゃったんだろう。はい、それはもちろんフリーになったからでした。
コピーライターというのは広告の文章を考える人、つまりコピーを書くからコピーライターというわけだ。
オレ自身はずっとコピーライターだし、依頼を受けて商業的な文章を書く、つまりオレの主義主張趣味とはまったく関係ない内容の文章を第三者的な代書屋として書いているわけだから当然コピーライターだと思っているのだが、世間的にはテレビコマーシャルの決め台詞や駅のポスターのキャッチフレーズなんかを書く人がコピーライターだと思われているので、「タンゴちゃんてコピーも書けるの」なんて言われたりする。いや、オレはコピーライターなんすけど。
そんなわけでオレ自身の認識と世間の認識に若干のズレがあるのは確かだ。
別にそれで仕事に影響しているわけではないし、オレは何のために仕事をしているかといえばただひたすら納品するために仕事をしているのであって、オレがコピーと思っているものを先方がコピーではないと思っていたとしても、それでちゃんと納品して請求書が発行できれば何の問題もない。
それでも若干の認識のズレはいささか気持ち悪い。
そんなオレに対してある人が「ビジネスライターですね」とずばり指摘してくれて、おおなるほどと、オレの腑に落ちた次第。つまりはビジネス全般の文章を幅広く請け負ってまっせというわけだ。まさに名は実体を表してくれる。
ライターにはいろいろある。
よく知られているのはグルメライターだ。あちこちの美味しいお店に出かけていってはミシュランがどうしたの星が何だというようなことを書くライターだ。きっとデブに違いない。
グルメライターの枝葉としては、ラーメンライターというものもある。これも文字通りいろんなラーメン屋に出かけていってラーメンを食い、その感想なんかを書いたりする仕事だ。そんなものがちゃんとビジネスになるのかと疑わしいので、きっとビジネスにはならなのだと思う。つまりプロなんていない世界だ。
パチンコライターというのもいる。というか、パチンコ業界ではライターと言えばパチンコライターのことで、パチンコ攻略本なんかを書いている連中のことだ。まったくわからない業界だが、どうせパチンコ台のメーカーのパブリシティを担がされているに決まっているというのだけは薄ぼんやりと見えてくる。パチンコメーカーやホールから小遣いをもらって、よいしょ記事を書いて生計を立てているわけだ。立つのだろうか、これで生計が。
似たようなものにプロレスライターがいる。こちらもプロレス団体とは持ちつ持たれつで、決して裏側のタブーについては触れず、プロレス団体あってのライターだとわきまえて書いていた。取材に行くと帰りに車代と称して万札をポケットにねじ込まれたなんていう話はどこにもあった。もちろん昭和の時代だが。
温泉ライターというのもある。
全国各地の温泉を巡って、温室がどうの、お肌がどうのと書く仕事だ。もちろん温泉宿からお小遣いをもらって、うまいこと書くということも必要になる。温泉に入っておいしいものを食べて、それで暮らしていけるなんて、なんともはあ、うらやましいお仕事ですなあ。そう思う人もいるだろうが、きっとそれだけでは暮らしていけないだろうから、あんまりうらやましい仕事ではない。
こういうちょうちんライターと違って、もっと骨の通ったのがジャーナリスト系のライターだ。決してちょうちん記事など書かず、お車代をもらったりするのはもってのほか。社会正義のために鋭く闇を追及するという仕事である。ライターというよう記者だ。
ライターと聞くと世間にはこういう仕事を連想する人も一定程度いるらしく、「魚せい」で飲んだくれているオームラがそのタイプだった。
オームラは練馬の片田舎でオヤジの経営していた畳の卸を引き継いだぼんぼんで、酔っ払いながら「いまどき畳なんて売れねーよ」と暴れるのだった。そのオームラはオレの顔を見るたび「あっ、ルポイターが来た、こわいこわい、書かれちゃう」と上目遣いになるのである。
オレは面倒くさいから「書いちゃうぞ」などと脅すのだが、もちろんオレはルポライターではないし、お金をもらわないと決して書かない。そもそもオームラなんて書いても誰も読まないし、書くことすらない。せいぜいこんな日記でさらっと触れる程度である。
というわけで、いろんなライターについてつらつらと書いてきたが、要するにはオレはビジネス領域での仕事に限定したビジネスライターというわけである。例えば冒頭の某大学病院でのインタビューなんかも、広くとらえればビジネス領域ということになるだろう。
もちろんビジネスと言っても実に幅広い。
駆け出しの頃のオレは、住宅業界を中心に書いていた。
当時はサントリーと西武百貨店が二大有名クライアントだった時代。田中裕子が酔っ払って「そしたらねタコなの、タコが泣くのよ」と身もだえするサントリーのCMや、不思議大好きとでかでかと書かれた西武百貨店のポスターなどを眺めつつ、オレは断熱性能がどうしたとか耐久年数が伸びただのとかいった地味な原稿を書いていたものだった。
いや、ほとんどのコピーライターがそうした地味なカタログやチラシの仕事をしており、それでも派手な仕事に対するジェラシーは隠しきれないものだから、コピー年鑑のキャッチフレーズ「コピーは僕だ」に対して、「コピーは僕だと言えないコピーライターも大勢いるんだ」と無名のコピーライターが噛みついたなんてヘンテコな事件も起きたりしていた。
その後フリーランスになってからは来る仕事まったく拒まないで片づけていったので、担当する業界は一気に広がっていった。
IT、製薬、小売、鉄道、金融、医療。
今のところオレが何となく得意なのは、そうした業界である。もちろん住宅もこれに含まれる。
こうして振り返ると、美容やファッションといったビューティ業界、映画やゲームなどのエンタメ業界には、まったく経験がない。もっとざっくり言えばBtoB領域が中心というわけだ。
なるほど、こりゃビジネスライターだわ。言い得て妙。
ライターとしてよく指摘されるのは、専門性を持てということである。どんな分野でもいいから、専門性を持てばそれが自分の強みになるということだ。医療とか金融はその典型で、メディカルライター、フィナンシャルライターは強い。難しい専門分野について素人にもわかりやすく伝えるという仕事の需要は根強いからだ。
これについてはオレはまったく専門性というものをもっておらず、広く浅くということが持ち味になっている。要するに何でもやりまっせなのだが。
「速い、安い、断らない」というのが34年前にフリーランスになって以来のオレのキャッチフレーズで、まさしく何でもやりまっせの精神そのものだ。専門性こそもてなかったが、広く浅く、何でもやりまっせでここまでやって来たのだから、まあ、これはこれでアリなのだろう。別にラーメンを専門性にしたところで食っていけるわけではないし。ラーメンは食えるけど。
2022.12.14
昨日、新小岩に行った。東京と千葉の境目のような場所にある街である。葛飾区だ。
ドのつく下町である。両津勘吉のような男が本当にいる。先日亡くなった佐藤蛾次郎のような男も本当にいる。
そういう具合によその町を見下すお前は、いったいどこの人間なのだと新小岩の民に問われそうだ。へえへえ、おいらはドのつく田舎暮らしでごぜえます、旦那様。練馬区は東京で最後にできた新参ものの区でありやんす。
てなことを言いながらオレは、「なんでだろう〜」のメロディーで「チンコいわ〜、チンコいわ〜」と口ずさみながら駅を出た。前頭葉が思い切り退化したオレの知能は、すでに小学生並みである。
駅の北口を出て左手を見たら、おお、なんと書店があるではないか。昔懐かしい、どこの駅前にもあった町の書店である。今や絶滅危惧種の遺物だ。
珍しい駅前書店に嬉しくなり、迷うことなく立ち寄る。1階のみの狭い書店だ。
文房具等に場所を割くことなく、新刊書、文庫、雑誌、コミック、参考書とまんべんなく並べられている。よく見ると文庫の棚は出版社別ではなく著者別に整理されている。きっと真面目で本好きな店主なのだろう。ちゃんと手間をかけて、客のことを思っているとわかる。
一通り棚を眺め、村山由佳の文庫本を一冊買った。ここでも文庫になった浅田次郎の「大名倒産」を発見。この作品、読んだことがあるようなないような、ぼんやりとした記憶しかない。困った。
たぶん読んでいるはずなのだが、中身をパラパラしてもちっとも記憶が甦ってこない。まあいいやと諦めて棚に戻す。
あとでオレの日記を調べてみたら2019年に新刊で読んでいた。しかもつまらなくて上巻だけで放り投げてしまっていた。
買わなくてよかったぜ。もし買ってしまっていたら、やっぱり上巻だけ読んで、退屈だー、つまんねーと文句を言いながら放り出してしまっただろう。退屈な本を我慢して読むほど苦痛なことはこの世にないとオレは思っているので、つまらない本に出会ったら躊躇せずに放り出す。もったいないのはカネではなく時間だ。
もっともオレがつまらないと放り出した本には名作とされている作品も少なからずあるわけで、要はオレ自身の読む力が足りないのだと突きつけられることにもなる。読書とは奥が深いもんだ。
今日は銀座に行った。
銀座にももちろん書店はある。かの教文館だ。
銀座の中央通り、松屋の向かいあたりに位置するこの書店は、間違いなく日本で最も地価の高い場所にある書店だろう。よくぞ経営が成り立つものだと感心する。書店なんて貧乏商売の代表だろうに。
この店は狭く、しかも縦長のフロア構成なので使いづらい。それでも大人の読者を意識した大人の棚となっているあたり、なかなかやるなと思わせる。
こういう店に入るとこちらも大人であるのかを試されているような気になり、アホな刑事とアホな犯人が対決する吉村達也のずっこけミステリーのような文庫本は買いづらい。いかにも銀座の趣味人が好みそうな高尚な趣味本を買わねばならないような気がしてくる。
そんな無言の圧に負けて以前ここで買ったのは、サッカーのロストフの14秒を解説した本だった。銀座の趣味人はサッカーなんて粗野で卑しいスポーツなんて見ないのだが、親戚の子供に頼まれましてねえ、という表情をしてレジに差し出した次第である。
今日は銀座には行ったけれど、面倒だから教文館には寄らず、仕事だけしてとっとと帰った。いつもの富裕層向けの仕事で、今日は某有名人の対談を取材したのである。
一方の昨日の仕事は、葛飾区の町工場の取材。いかにも町工場のオヤジという70歳にインタビューした。
銀座と新小岩。書店の佇まいも違えば仕事内容も違う。こういうバラエティもオレの仕事の醍醐味の一つだ。
なお銀座でもうちょっと大きい書店に行くならば少し歩いて有楽町駅前の三省堂書店がおすすめ。ここはなかなか充実した書店で例えばスポーツコーナーなんかに行くと知らないプロレス本がぞろぞろと並べられていたりする。音楽コーナーもしかりだ。立ち寄るだけでも楽しい書店である。
書店だけでなく、出先で時間調整でカフェに入るのも楽しみの一つだ。だいたい取材仕事の場合は30分ほどコーヒーを飲んで気持ちを整えるのがオレのルーティン。
もちろんカフェといってもこじゃれたものではなくて、チェーン店ばかりだ。銀座なら六丁目の「ベローチェ」、麹町なら地下鉄から上がったところの「エクセルシオール」、新宿三丁目なら駅並びの地下にある「ルノアール」といった具合。そんな具合にだいたいあそこならあのカフェという感じで決まっている。東京駅日本橋口なら、エスカレーターで上がる中2階の「スターバックスコーヒー」。
「ドトール」はチェーン展開の悪いところが出ていて、オーナーによってサービスレベルのあまりに違いに愕然とする。ひどいオーナーの店舗にあたると接客はろくでもないし、整理整頓はまったくできていないし、呆れる。先日は麹町の「ドトール」に入ったら、トイレに「使えません」と張り紙がしてあった。修理しろよ、修理。これから仕事に向かうというのにトイレが使えないのは困るではないか。きっと業者の気配はしているのだろうが。
こういう困った「ドトール」はドのつく下町に多い気がする。
「スターバックス」は悪くないが、MacBookを広げてヒゲを生やした意識高い系の客が多いことにちょっとうんざりする。Webのお仕事ですか、それともパワポで無駄な企画書でもつくってるんすか。ノマドワーカーですか、フリーターですか、それとも下請けの出入り業者ですか。
メニューもややこしいのが少しだけイラッとする。ここではいつも、アイスコーヒー、小さいの、と言う。「スターバックス」が偉いのは、オレが小さいのと言うとレジのお姉さんもちゃんと「はい、小さいのですね」とリピートすることだ。
「ドトール」の場合、オレが小さいのと言うと「Sサイズでよろしいですか」と聞き返してくることだ。ああ、めんどくせえ。いや、めんどくさいのはオレのほうか。なんて面倒な客だと思われているのかも。いちいちそんなことは思わないか。
最近よくなったのは「ベローチェ」である。ここは「珈琲館」なんかを運営している会社に買収されてから急激にサービスと味が向上した。接客も少しずつだが洗練されてきている。しかも安い。今後に注目である。
新顔では「コメダ珈琲」だ。ここは大型の店舗が多く、とにかく落ち着ける。パソコンを広げてたっぷりと仕事ができる。しかも仕切りがしっかりしていて他の客の視線が気にならない。問題があるとすれば高いことと、昼飯にサンドイッチを頼むとあまりの量の多さに辟易するところである。
もしランチタイムにコメダで仕事しようと思うなら、ここは「サイゼリヤ」に切り替えて500円ランチにコーヒーをつけたほうがよほどトクである。
「コメダ珈琲」路線で案外いけるのが、ご存じ「ルノアール」だ。中年オヤジの味方である「ルノアール」は、なんと昼寝をしていても怒られない。大きな口を空けて昼寝をしていると、店員がそっと熱いお茶を置いていってくれるあたり、涙が出るほどのいたわりの精神である。
お父さん、お疲れさま。もはや家庭では誰からもかけてもらえない言葉を、「ルノアール」なら優しくかけてもらえる。泣けるではないか。
そんな具合にカフェにもいろいろあって、オレは自分勝手に文句ばかりたれているのだが、一番気に入っているのは実は「タリーズ」である。意外性もオチもないが。
おおかたの店内が普通に落ち着くし、長時間を過ごせる。他のチェーンに比べてなんとなく受験生の姿が多いように感じるのも、そのためか。
という具合に町の書店とカフェについての考察をしてみた。
こういうことを語れるのも東京都内だからである。東京から一歩外に出て隣の県に行くと、書店もカフェもない駅なんてざらにある。仕事でこういうところへ行くはめになると、途方に暮れてしまう。駅にたたずんで自販機を眺めて時間を潰したりして、駅前のカフェは公共施設として義務づけるべきではないかなどとしょうもないことを考えて、空を見上げたりする。
まあ、それもギャラのうちさ。こうして人生は線路のように続いていく。
2022.12.13
中国や北朝鮮やロシアから日本を守るためには防衛力を上げなくてはならないけど、それはタダではできないからどうしても税金を増やさなくてはならず、そのためにタバコの税金を上げるけどいいよねと政府が考えているというニュースに接し、喫煙者は大変だなあと同情した。
既に今でもタバコは高いらしい。
聞いたところでは1箱600円もするという。
オレは腰を抜かした。あまりに法外だ。
ヘビースモーカーだった頃、それはつまり今から25年くらい前のことなのだが、オレは一日50本吸っていた。銘柄はセーラムライトである。メンソールの美味しいあのタバコを、一日2箱半。
当時は1箱確か280円だったので2箱半というと700円になる。それが今では1500円なのだから、倍以上だ。ひゃー、たまげた。もし今もタバコを吸っていたら、たちまちオレは破産だ。いや、さすがに破産は大げさだが。
もし本当に防衛力増強を目指して戦車や戦闘機やミサイルなんかを買うためにタバコを増税するとしたら、これを機に禁煙しようという人も出てくるかと思ったが、いや、しかし値上げぐらいで禁煙するほど緩い精神の持ち主はとっくの昔にやめているだろう。いまだに吸い続けている腹の据わった喫煙者は、防衛力増税のための値上げぐらいでは少しも揺らがないのかもしれない。
値上げ上等。かかってこいや、中国。オレの煙で撃ち落としてやるぜ。それぐらい考えながら、北の空に向かって紫煙をくゆらしているのではないか。
そんなことを考えていたら、ふと筒井康隆に「最後の喫煙者」という小説があったことを思い出した。読み返したくなって駅前の書店に寄ったら「自選ドタバタ傑作集1 最後の喫煙者」という文庫本を見つけた。新潮文庫である。
これ幸いと手に取ってレジに並ぶ。dポイントをためつつSuicaで購入だ。
早速電車の中で読み始める。さすがに話は忘れていたが、禁煙運動がファシズムと化して喫煙者が次第に追い詰められていくという無茶苦茶な話は記憶の通りだった。
オチまで書いてしまうけれど、最後はとうとう地上でただ1人の喫煙者になった主人公に対して、なんと今度は「喫煙者は遺物として保護しなければならない」という喫煙者保護運動いうのが始まったというところで終わる。さすが、筒井康隆の切れ味だ。
昭和62年、つまり1987年の作品ということで、案外最近の小説だった。もっと昔に読んだと思ったら、オレがフリーになる前年である。いや、やっぱり最近ではなくて、けっこう昔だな。これは。
小説の中に「オレがコラムを連載している真相の噂という雑誌」という言葉が出てくる。これは「噂の真相」のことだ。確かに当時、筒井康隆は噂の真相に1ページのコラムを連載していて、そして癲癇協会と言葉狩りをめぐる騒動を起こし、断筆宣言をしたのだった。このときの「あたしゃ切れました」という書き出しはよく覚えている。
さてその短編集「最後の喫煙者」だが、表題作こそ面白かったものの、あとはあんまり面白くなかったり、さすがにグロとエロが過ぎて読むに堪えなかったりした。時代が変わったか、オレの感性が変わったか、おそらく両方だろう。
例えば「問題外科」なんて短編はひどいもんだぜ。不良医師が美女を手術するという話で、今なら到底自主規制がかかるだろうひどい描写の連続だ。昔はこんなものを面白がって読んでいたのだなあ、オレも。
いや、筒井康隆は高校時代から好きな作家である。一番好きな作品は「俗物図鑑」という長編だ。これは先日も読み返してやっぱり面白いなあと大喜びした。
いろんな新しい評論家が誕生して世間を騒がせていくという話で、腹を抱えて笑わずにはいられない。この中に出てきたお歳暮評論家が口にした「会社に尽くすなんて馬鹿のすることだ。会社なんて利用するものだ」というセリフには感銘を受けたばかりか、間違いなくオレの職業観そのものになった。
ちんぴら会社に勤めていたポンコツサラリーマン時代も、仕事には100%のロイヤリティを尽くしたが、会社に対してのロイヤリティはゼロで、利用して搾取できるだけしてやるという態度だった。その会社を辞めてフリーになったのも、このままいくと立場上どうしても会社に尽くさざるを得なくなりそうだという危機感と、仕事に尽くそうとすればするほど会社という組織では悪になるという事実にアホらしさを感じたからである。
今でも通用する話だと思うが、仕事があるなら徹夜してでもやる、休日出勤してでもやるというのは当然のことだと思うし、その対価としてギャラをきっちりもらえばいいと思うのだが、それを部下や後輩に強いると非難されるのはこっちである。今ならパワハラのブラック企業だ。
オレはそんな非難がイヤで、つまりはパワハラ上等のブラック企業こそ地上の楽園と信じ、独立したのである。
いかんいかん、喫煙者の話からまたいつもの昔話に広がってしまった。話を戻す。
そんなわけで昔のように1日2箱半も吸ったらカネがいくらあっても足りない(いや、実際は足りるのだが)から、喫煙者は大変だ。深く同情する。
ヘビースモーカーだったオレがタバコをやめたのは、これは理由がはっきりしている。子供が生まれたからだ。
息子が生まれてハイハイをするようになった頃、万が一にもタバコに手を出して誤飲したり、火の付いたタバコに触ってしまったりといったことを想像して、オレは背筋が凍った。それでタバコをやめることにした、なんと立派なリスク管理だろう。
そうして育った息子は21歳になり、娘も19歳である。もう立派な成人だ。
だからそろそろオレもタバコを再び吸ってもいいのではないかという気がしている。なにしろタバコが嫌いでやめたわけではなく、その旨さも、吸ったときのクラクラする気持ちよさも、知っているのだ。
だから、そろそろいいんじゃないかなあ、とヨメにさりげなく持ちかけたりするわけであるが、当然のことながら「冗談じゃない、吸うなら出て行け」という激烈な責めを受け、娘もそれに乗っかって責め立ててくるわけだから、これはあまりに分が悪すぎて、諦めてしまった次第。
せいぜいこっそり隠れて、出先でもらいタバコでもしようかと思うものの、喫煙者そのものがレアであることに加え、タバコ1本が数十円という時代であるから気軽にせびるわけにもいかないわけで、ここはやはりこのまま非喫煙者として過ごすのが最も正しいだろうと自分を納得させた。
いずれ間違いなくタバコ1箱1000円時代がくるだろうなあ。そしてリアルに最後の喫煙者が現れるときがくるかもしれない。それはそれでちょっと楽しみである。
2022.12.12
JR東日本は約500もの駅から時計を撤去するそうだ。
今やスマホで時間を確認する人がほとんどで、高い維持費を払って時計を設置してもあまり意味はないという判断らしい。なるほど、確かに電車に間に合いそうかどうかはスマホの時計で確認するし、駅に時計があってもちらっと目に留める程度だ。
これだけの時計を撤去すると、JR東日本にとっては年間3億円の節約になるらしい。けっこう馬鹿にならない額だな。
ところがこれに噛みついたのが山梨県の大月市だ。
「時計の設置は鉄道事業者の義務」というわけのわからないロジックで大月駅などに時計を再設置することを求めたという。
ついでに「駅のシンボルとも言える時計が撤去されると喪失感を覚える」というまったくロジカルではないメランコリックな理由を付け加えている。
もちろんこんなのをJR東日本が相手にするわけもなく、あっさりスルー。大月市は結局市の負担で時計を購入して駅に寄贈したそうだ。要するに税金で時計を買った。
実は鉄道の場合、こういう一方的で情緒的な思い入れというものがけっこうな迷惑になっている。
よくあるのが廃線問題だ。
昔から慣れ親しんだ路線が廃止されると、故郷の景色が変わってしまう。寂しい。切ない。
だったらもっと乗ってくれませんかねと言うと、いやいや、あたしらはクルマですので、というわけだ。
廃線はイヤだけど、でも乗る気はないよ。そんな勝手すぎる理屈で赤字ローカル線が存続を求められている。
鉄道というのは大量輸送の交通手段だから、人口の少ないところではまったく意味がないのは当然の理屈。しかも満員で走ってもガラガラで走っても、車両や線路の安全維持にかかるカネとヒトは変わらない。走れば走るほど赤字が膨らんでいくのは当たり前のことなのだ。
その点、バスは身軽だ。少ない人間しか運べないから人口減のエリアにもぴったりである。だから鉄道は廃止してバスを代替手段にというのは、実に理にかなったことなのだ。
こういう合理的な判断のできないところが、難しいのだろうなあ。こういう話を聞くと、いつも鉄道事業者に同情してしまう。
と、例によって文字数を稼ごうと調子に乗ってどうでもいいことを書き連ねていたら、リモートミーティングの予定をすっかり忘れてしまっていた。先方から「待ってますよ、まだですか」というメッセージが飛んできて、オレは慌てふためいてZoomした次第。ふう、難しい相手でなかったのが幸いで、笑って許してもらえた。
しかしアレですな、ここのところ、リモートでのインタビュー仕事は一気に減りましたな。ほとんどがリアルの対面インタビューですわ。
出社して仕事しているという会社も増えているようだ。
もちろんコロナ前からすればリモートワークや在宅勤務は一気に広がってすっかり定着してしまったわけで、やはりオレたちの働き方というのは大きな曲がり角を曲がってしまった気がする。
もしこうした大変化が、オレの30代前半に起きていたら、もしかしたらオレは実家のある新潟近郊に拠点を構えたかもしれない。ほとんどの仕事はリモートで済ませて、重要なインタビューの時だけ上京するというスタイルだ。
作家ならば地方にいても編集者から足を運んでくれるだろう。だが単なる下請け外注業者のオレみたいなポンコツライターには、誰も足を運んではくれない。自分から頭を下げて出向かなければ、相手にしてもらえないのである。ああ、哀しきポンコツライター。
などと愚痴っている場合ではなかった。
慌てて遅れて参加したミーティングで事なきを得て、打ち合わせを一つこなすことができた。まずは一安心である。
それにしてもリモートというのはやはり楽ちんだ。これがリアルの打ち合わせだったら、遅刻なんて許されない。ましてや「忘れてました」なんて言おうものなら、出入り禁止、取引停止の事態だったろう。
オレがちんぴら会社のサラリーマンを辞めてフリーとして独立したのが34年前。昭和天皇が崩御する前年だった。そう思うと、ずいぶんと遠いところまで来たんだなあという感慨に駆られる。
あの頃はリモートワークなんて夢にも思わなかった。それどころか携帯電話すら未来の道具で、翻訳機能付きテレビ電話なんてSFだった。それが今や誰もがスマホを持ち歩いているんだものなあ。まったく未来を見通すのは難しい。
フリーになった34年前はまだITの時代ではなかったが、通信や情報処理技術がこれからくるだろうという予感はあって、実際にこの30年はネットワークの時代だった。
次の30年に来るのは生命科学と医療の時代だと予想していたのだが、現実はどうやら環境保護の時代となりそうだ。
いま、食品を買うとパッケージに炭水化物が何グラムで糖分が何グラム、添加剤はこんなものを使っている、というような表示がされている。シールになって貼られていたり。
これと同じように、この食品を作って届けるためにCO2をこれだけ排出して、化石燃料もこれだけ使われています、というような表示が義務づけられる未来がもうすぐやってくる。すると一つの製品を製造して配送するのに関わっている事業者、つまりサプライチェーンの関係者すべてに、自分が排出しているCO2の量を算出することが義務づけられるようになる。
これはけっこうおおごとですよ。
例えばペットボトル飲料のケースを作る業者がどれだけCO2を排出しているかを自分で調べて算出しなければならないし、物流業者もそのケースを運ぶためにどれだけ化石燃料を消費したかを算出しなくてはならない。算出できなければサントリーやキリンから取引を打ち切られるだけだ。
人ごとではない。オレ如きもこのチェーンの中に組み入れられる可能性もある。そうなるとオレも仕事中の移動に車を使ったとしたらどれだけCO2を排出したのか、プリントアウトで森林資源である紙をどれだけ消費したのか、算出して申告しなくてはならないかもしれない。
そんな時代が、実はもうすぐやってこようとしているのだ。
目端の利くヤツはその時代に備えて、簡単な操作でCO2排出量が計算できるアプリを開発し、一発当てようと目論んでいる。先日はそんな業者の話を聞いた。当然先行者ほど有利だから、今は全速力で未開の市場を取りに行っているところのようだ。
というわけで話は大きく飛躍したが、例えば地方に移住して再エネで生活して、異動はローカル線で、という生活をすればCO2排出量も減って、取引が有利に運ぶようになるかもしれない。妄想だが。
今突然思い出したのだが、日本で初めて商用インターネットのサービスプロバイダとなった会社の創業者に以前インタビューしたところ「このままパソコンが普及すると地球規模的に電力不足となり、環境破壊が深刻化する」と警報を発していたっけ。
パソコンはそんなに普及せず、というかスマホに取って代わられたが、環境破壊が深刻化するという予言は当たったようだ。ビットコインのマイニングなど、当時は想像も付かなかったようなことで膨大な電力が消費されているし。まったくこの先はどうなっていくのだろうなあ。
などと未来を憂うふりをして、ちゃっかり文字数を稼ぐのである。なんとも姑息なことよ。
それにしても時計って、駅のシンボルだったのか? そんなことは聞いたことがないぞ。大月市の市議会の感覚はちょっと不思議すぎる。そんなことを勝手に決めつけられても、そりゃあJR東日本だって迷惑だろう。
2022.12.11
週に一本は映画を観るようにしている。
映画といっても映画館で観るのではなくて、AmazonPrimeやNetflixだが。
今日は「柘榴坂の仇討ち」を観た。主演が中井貴一でその女房役が広末涼子、そして敵役が阿部寛である。
原作は浅田次郎の掌編だ。短い話の中に、浅田次郎が幕末を描く際に必ず主題としてきた武士という存在の矛盾、武士の世の滑稽さ、そして哀れさが見事に描かれている。
主君である井伊直弼が桜田門外の変で水戸藩の浪士たちに討ち取られた際、警護に就いていながら大老の命を守ることのできなかった中井貴一が、13年もの時間をかけて憎き残党である阿部寛を追い詰める。
そしていよいよ仇討ちを果たすというその日に、なんと仇討ち禁止令が発令されてしまうというオチだ。
血塗られた幕末を過ぎ、明治の御一新となって、廃藩置県によって水戸藩も彦根藩もとうの昔に消え去り、桜田門外の変でさえ過去の記憶になってしまった中、変わりゆく時代にぽつんと置いて行かれた哀れな武士を、中井貴一と阿部寛が好演している。
見逃していた映画で、AmazonPrimeのセールというので100円で観ることができた。なかなかにいい作品であった。
桜田門外の変を描いた冒頭のシーンに刮目。どういうロケをしたのだろうと驚いてしまった。一面の雪で真っ白になったそこは、まさに有楽町線の桜田駅出口のある三宅坂。CGではあろうが、なんとも見事な絵作りだ。
物語は派手な演出を抑えて淡々と進む。そのテンポが心地よく、漂う空気感も落ち着いている。クライマックス近く、ついに敵役の居場所を知った中井貴一に、もう時代は変わったのだと藤竜也が説く場面がある。
13年も追い詰めてきた敵役をついに見つけたのだ。仇討ちを思いとどまるわけがない。そこをどのように思いとどまらせるのかと観ていたら、椿の花が出てきた。説明しすぎては映画として台無しである。美しい緊張感の中で、語らずに伝えることができなくてはならない。この難しい条件を、監督はギリギリのところでくぐり抜けたような気がする。
中井貴一は相変わらずの好演。「壬生義士伝」同様に殺陣も上手く、時代遅れの哀れさを漂わせながら決して武士としての矜持は失わない日本男児を演じている。これに比べれば、阿部寛はやはり一枚落ちるか。
中井貴一のいかにも古き日本の侍といった佇まいに対し、変わってしまった時代の象徴として阿部寛のバタ臭い顔が使われたということかもしれない。
存外に好演だったのが女房役の広末涼子。
ラストで、もう二度と会えないと思って今朝、その背中に別れを告げた中井貴一が、夜、無事に戻ってきてアルバイト先の居酒屋まで迎えに来てくれた。中井貴一を迎える瞬間の広末涼子の表情が絶品。泣くでもなく、驚くでもなく、ただひたすら見つめる。
その魂の抜けた表情が絶品で、まさかこのオレが広末涼子の演技に感動してちょっと涙すら流してしまうとはなあ。
という具合に、期待以上の作品だった。「シン・ウルトラマン」にがっくりし「夜のあぐら」に脱力し、「シング ネクスト・ステージ」にやっぱり前作は超えられないかと諦め、「ウェディングハイ」にシラけた身にとって、久々に観られた良質の映画だった。
続けて本の話。「暗殺領域」だ。作者は大沢在昌である。
サスペンスが読みたいなあと思っていたところで文庫化されたので手に取る。代表作「新宿鮫」シリーズの10作目だ。
大沢在昌は今でこそミステリ界の重鎮だが、デビューからしばらくは初版作家と呼ばれて軽んじられていた。初版作家、つまり初版こそそこそこ売れるものの決して重版がかからない作家というわけである。フォアボールやポテンヒットで出塁こそするものの、決してホームに帰って勝利に貢献するような選手ではないという感じか。
それが一気にブレークしたのが「新宿鮫」だった。それまでずっと六本木を舞台にした小説を書いていた大沢在昌だったが、一転して新宿を舞台にして、新宿警察のはぐれ刑事を主人公にした作品を描いたのである。これが当たった。
オレも当時読んでみて、たまげた。実に切れ味鋭く、プロットも造形も抜群で、図抜けて面白かったのである。その後、シリーズは続けて読んだがサスペンスものそのものに興味が薄れたことに加えて、とにかくマンネリ感がハンパなかったので、シリーズ何作かでやめてしまったのである。
それが久々に手に取ることになったのが今回のシリーズ10作目というわけだ。
で、結論を言うと今、読み進めるのをやめてしまったのである。放り投げたわけではないのだが、もうこれ以上はいいかなあという状態だ。
とにかく分厚い。長大過ぎる。昨日、凶器にもなるブロック型の本として講談社新書のミステリを上げたが、まさにその文庫版だ。なにしろ文庫で930ページもある。普通の文庫の優に3冊分。
それをオレは740ページまで読み進めて、そしてうんざりして放り投げたところである。
退屈なのだ。とにかく退屈なのだ。
うっかりすると電車の中で手から落ちてしまいそうなくらいの重さの本を、最初から読み始めたから、実に面白い。改めて気がついたのだが、大沢在昌の文章はとにかく読みやすいのだ。例えば文末が同じ調子にならないよう、丁寧に気を使って書いているのがわかる。その結果の抜群のリーダビリティだ。
だがどんどん読み進んでも話がちっとも展開しない。いつかそのうち話が転がり始めるだろうと思っても、なかなか転がらない。同じ調子で捜査の様子が延々と語られるのみである。
えーと、こんなだっけ、新宿鮫って。
我慢して読み進めたものの、退屈でつい眠くなって、重い文庫本を滑り落としてしまったことも幾度か。そしてとうとうやめてしまったということだ。困ったものである。
こうなると無駄に長大な話に付き合って時間を浪費するもったいなさにぐったりして、Kindleに入っている浅田次郎の「柘榴坂の仇討ち」を読み返してしまう。こういうとき、Kindleは超絶に便利だ。
当たり前だけれど小説は長さじゃない。そんなことに改めて気がついた。
それにしても江戸から明治へという時代の転換期の、なんと劇的だったことよ。「柘榴坂の仇討ち」では、背中だけだが西郷隆盛もちらっと出てきた。そろそろオレも西郷隆盛の話をきちんと読んでおきたいと思った。
そんなことを思いながら、机の上に置いてある半藤一利の「幕末史」に手を伸ばす。これももう何度目の再読かわからない。こういう本こそ、Kindleで持っておくべきだったな。
2022.12.10
私は今、瀬戸際にある。
この日記、今年は50万字を目指すと宣言した。50万字というとピンとこない。偉業だとは思うがどんな偉業なのか、私もよくわからない。
そこで調べてみたら普通の文庫本がだいたい25万字なのだそうだ。すると50万字は文庫本2冊に相当するのか。あまりたいした偉業ではないような気がしてきた。
1年かけて文庫本2冊か。昔、吉村達也というミステリー作家がいた。「早書きたっちゃん」と呼ばれたとんでもない乱作の作家で、毎月1冊ぐらいのペースでミステリの文庫本を出していた。
2時間ドラマのような中身の薄いミステリーではあるものの、その多作ぶりは驚異である。量は質を凌駕するというのも、ある程度は真実であるのかもしれない。
そんな吉村たっちゃんが1ヵ月に書くぐらいの文字量を、オレは1年かけてひいひいいいながら書いたことになる。
多作ということで思い出したのが、花村萬月のアニキだ。
ちょっと売れてきて少しばかり続けて小説を発表したところ、アニキは「書きすぎだ」と批判されたという。これに対して萬月先生はぶち切れた。
「カネを払って本を買ってくれた客が作品に対して文句を言うのは自由だ。つまらなかったという批評ならば、申し訳なかったと頭も下げよう。だが書きすぎとはなんだ。そんな文句を言うヤツはぶっ飛ばしてやる」
これはまっこと正論である。小気味いい。
以来オレもこの姿勢には学んでいる。
なお花村萬月は骨髄移植に肺炎、4ヵ所の圧迫骨折ととんでもない病気をして、すっかり枯れ果ててしまったようだ。
かつてはヤクザも逃げ出す武闘派としての恐ろしい風貌だったが、今や人生を悟りきった好々爺のようになっている。なにしろ血液のがんである。なんとか長生きしてもらいたいものだ。
ほかには早書きの多作ということでは梶山季之がいた。何しろお札を書いていると言われたほどの売れっ子作家で、とんでもない量の作品を送り続けていたらしい。
当時は手書きである。万年筆で書いた原稿を編集者が奪い合うようにひったくって、そのまま印刷所へ届けていたという逸話が残っている。印刷所ではそれから活字工が鉛の活字を拾って印刷に取りかかったわけだ。
現代ならパソコンのデータをひょいと送れば、そのままひょいひょいと本になってしまう。なんも便利な時代だ。
そういやパソコン時代になってからの大きな変化が、小説の長大化と文章の長尺化とされる。
一時期のミステリー、特に講談社新書のミステリーはとんでもない分厚さになった。冗談でなくほとんどブロック。マクラ代わりはもちろんのこと、凶器代わりにもなったほどの厚さと重量だった。
万年筆でちまちまと書いていては何年かかるんだという分量の小説も、ワープロならさっさと書けてしまう。その分、中身も重くなったかと言えばそうでもないところが困ったものだが。
そんな分厚い講談社ミステリの代表が京極夏彦。オレも一時期ハマったものだった。
今娘が大学の課題だとかで京極夏彦を読んでいる。面白がって読んでくれているのだろうか。
文章の長尺化については言わずもがなだ。何しろ削除も入れ替えも復活も思いのまま。どんなに複雑な構文もすぐに書けてしまう。だから主語と述語が遠く離れてしまって、一文を読み終わる頃には主語が何だったか忘れてしまうような文章が氾濫することになる。
「ぼんさんがへをこいた」という文章が「お寺の住職であるところのぼんさんと称される中年男性が、腸にたまった臭い気体を尻の穴から放出してしまった」などという文章になってしまうのである。
文章は短いほどいいのだ。一文60文字が限界で、それ以上の長さになるようなら切ることをお勧めする。って、オレは自分に勧めているのだが。
などということはともかくとして、話題はちょっと変わるのだが、アルゼンチン対オランダは酷かったねえ。イエローカード18枚というとんでもない荒れ試合だ。
ここには相手に対するリスペクトやフェアプレーの精神はまるでない。特にアルゼンチンのラフプレーは酷すぎた。アルゼンチンの持ち味とはいえ、やり過ぎである。
こんなチームが賞賛を得られるわけもなく、早く消えるべきではないか。
アルゼンチンもオランダも、どちらも日本が当たらなくてよかったよ。とてもかなわない。
これと対極の試合がイングランド対フランス。なんというか、力と力が真正面からがっぷりとぶつかり合ったようなゴツゴツしたゲームだった。戦術も大切だが、もっと大切なものがあるというのを教えてもらったような気分。どちらも日本と当たらなくてよかった。
そしてびっくりするのがクロアチアとモロッコだ。モロッコはびっくり枠ではあるが、クロアチアはさほどびっくり枠ではないかもしれない。なにしろモドリッチが凄すぎる。
日経新聞に中村憲剛が書いていたコラムが秀逸。クロアチアを不思議なチームととらえ「爆発力もないしスタイルもはっきりしない。戦術的な縛りもない。選手のタイプも様々。実像が見えづらい」と分析し、深い森のようなチームと評する。
この森を成立させているのがモドリッチの名人芸。漂うような立ち位置が時に戦況を膠着させ、「間」をつくっている。試合を支配するというのはまさにこのことで、かつての日本代表の遠藤のような役割だ。
同じようなタイプではオレはベルギーのデブルイネが好きなのだが、ベルギーが敗退した今はモドリッチがイチオシ。たぶん現時点でも中盤では世界最高の選手ではないか。
そういやアルゼンチン対オランダのゲームで、解説の岡田武史が興味深いことを言っていた。
ヨーロッパでコロナ以来久々に戦術会議が開催されて、行きすぎたポゼショナルへの警鐘が鳴らされたというのである。ポゼショナルを意識するあまり選手たちが約束事に縛られて、創造性やアイデアを発揮しにくくなっているというわけだ。
今回のワールドカップでアジアやアフリカの躍進が目につくのも、ポゼショナルの呪縛が薄いからではないかというのが岡ちゃんの指摘である。
まあ、ポゼショナルか、ショートカウンターかというのはいつもの議論で常に堂々巡りで結論は出ないし、最終的には勝ったチームのサッカーがいいサッカーというところに落ち着くのだが、それでもなかなか興味深い指摘ではある。
おっと、つい話が脱線しすぎてしまった。これではまるでオレが文字数稼ぎに走っているみたいではないか。
いや、そうなのである。オレは文字数稼ぎをしているのである。
ここで話は冒頭に戻り、私が瀬戸際にあるというのは、要するに50万字を目指すという宣言の達成が危うくなってきたからである。
実は昨日の時点で今年の日記の文字数は49万字を超えた。もうゴールは目の前である。楽勝だ。残り20日間で1万字だから1日900字で目標に到達する。やれ、めでたし。皆様、よいお年を。
ところがここでオレは気づいてしまった。
この日記はブログではないので、自分でテキストをベタ打ちして、タグを貼り付けている。タグというのは改行とか文字色とか、様々な指示をする記号のようなものだ。
オレが自分で偉いと思うのは、WordPressのような便利な道具を使わずにいちいち面倒なタグを書いて、レイアウトや文字の指定などをしていることである。これは、初期の頃にホームページを作るとはどういう感覚なのだろうと思って、体験してみることにしたためだ。
まずは書店で売っていた安いタグ集のようなものを買って勉強し、あとはいろんなホームページを見てはタグの使い方をパクったものである。それでいてこんな安っぽい作りなのかよと呆れられそうであるが。
要するにこうして書いたタグが文字数のカウントに含まれていて49万字。そのことに気づいたオレは、ではタグをのぞけば何万字なんだろうと、ちょっとドキドキしながら確かめたのである。
するとなんといういうことだ、タグ抜きの純粋な文字だけを数えたところ、45万字だったのである。
オ、オレはタグだけで5万字も書いていたのか。汗。
つまり残り20日間で書くべきはあと5万字。えーと、計算すると1日2500字。
これにはちょっと愕然とした。今日はここまで書いてようやく3000字なのである。これから毎日、これぐらい中身のない文章をこれだけの量、書き続けなければならないのである。
もちろんネタなんぞ、そうそうあるものではない。
仕方なく「お寺の住職であるところのぼんさんと称される中年男性が、腸にたまった臭い気体を尻の穴から放出してしまった」といった文章を、あるいは「禅宗の始祖の達磨大師が座禅した姿に作られたおもちゃが動転して倒れ込んでしまった」(だるまさんがころんだ)といった文章を、書かなくてはならないのである。
これはもはや苦行である。いったいオレは何のためにこんなことに立ち向かわなくてはならないのであろうか。
先日観た「いったい私は何と戦っているのか」という映画は、弱小スーパーのしょぼい店長の日常を安田顕が好演した映画だった。望外に面白かった。
オレもあんなふうに戦わなくてはならないのである。それは何の生産性もない、苦行にしか過ぎないのだ。
オレは先日、森保一のことを、一つも公約を守れなかったのだから辞めなくてはならないと断罪した。だからオレ自身も、自分に対して公約を守れないなら、と断罪しなくてはならないのである。
目標達成も間近と思ったら、本当の闘いはこれからだったのである。グループリーグ突破で満足していては甘い。本当の闘いは決勝トーナメントなのだ。
2022.12.09
ハオ君はマレーシア人だ。
日本で半導体メーカーに勤務している。
幼い頃から日本のアニメに親しみ、日本文化に憧れ、高校卒業と同時に来日した。そして日本語学校で学んだ後、都内の大学に進学して機械工学を専攻する。
それなりに裕福に家に育ったに違いない。だが、母国で就職する道は選ばなかった。どうしてと問うと「経済的に日本で働いたほうがいいから」との言葉が返ってきた。マレーシアよりもまただ日本のほうがしっかり稼げるようだ。
マレーシアの公用語はマレー語である。ハオ君は中国系なので家庭では中国語で会話する。マレーシアでは小学生から英語教育が浸透しているので、英語でのコミュニケーションにもまったく苦はない。そして日本で迎える8年目の今、日本語も完璧に操る。
マレー語、中国語、英語、日本語。いずれもネイティブと遜色ない。語学の専門家でも何でもなく、エンジニアであるハオ君は、こうして4カ国語を自在に使いこなし、ボーダーを軽くひょいと跳び越えて世界で働いている。
かなわないなあと思った。まったくかなわない。
でもいずれ将来は母国に帰るつもりでしょとたずねても「日本で暮らします。永住します」と答える。ただし帰化はしないのだそうだ。マレーシア人として日本で生きるというのだ。
そこには生まれ育った故国への誇りと深い愛情があるのだろう。マレーシア人として胸を張って、世界を舞台に生きていくのだろう。その佇まいは実に立派だ。
だがきっと、いずれハオ君は貧しくなった日本に見切りをつける。中国でもアメリカでも、選び放題だ。やはり軽くひょいと日本から出て行って、語学と技術力を武器に、国境なんて関係なく働くに違いない。
ハオ君は26歳だ。
これからの世界は間違いなく彼のような青年たちがつくっていく。息子や娘も、ハオ君たちのような仲間と一緒に生きていくことになる。
そしてさかえすがえすも、オレたちはこの30年間、何をやってきたのだという激しい自責の念にかられてしまう。どこか東南アジアを下に見て優越感に浸っているうちに教育で追い越され、経済で抜かれる日も近い。
職場で同じように働く中国人と日本語で冗談を言い合うハオ君を見ながら、かれらが活躍するこれからの30年を思う。
2022.12.08
田中碧は「あお」だからギリギリ成立するのであって、これが田中赤とか田中黄とか田中黒とか田中茶とかだったら、呼ぶほうも困るのだった。
「きー」「きー」なんて叫んだら、猿の集団だ。
田中碧はなぜだか必ず名字と名前がセットで呼ばれる。レオ・シルバや矢野貴章と同じ系譜だ。「あお」も「きしょー」もなかなかインパクトがあるから単体では使いづらく、名字とセットにすることで薄味にしようという意識が働くのかもしれない。
それはともかく、森保が続投にその気満々という報道に接して、オレは激おこぷんぷん丸である。
アジアカップの目標が優勝。
東京オリンピックの目標が金メダル。
ワールドカップの目標がベスト8。
この全てを逃したのが森保ジャパンだ。史上最強メンバーとえばっておきながら、この体たらくである。
あえていえば公約違反。一つとして約束を守っていない。
これでは責任者が責任を取るのは当たり前だろう。どんな組織だってそうだ。
森保はクビ。つーか契約満了。退陣。お前は失敗したんだ。
それがまったく正しい判断なのだ。「感動をありかとう」じゃねーよ、「ブラボー」じゃねーんだよ。
ロストフの時は徹底的に敗退の理由が問われた。「なぜ川島は1失点目のハイボールの判断を誤ったのか」「なぜ本田圭佑はショートパスを待つ香川真司には目もくれず、功を焦ったかのようにイージーなコーナーキックを蹴ってキーパーにパスしたのか」「なぜ吉田麻也はキーパーのクルトワがキャッチした瞬間に視線を下に落とし、フィードストップのチャンスを失ったのか」「なぜ山口蛍はデブルイネの前で棒立ちだったのか」「なぜルカクはあんなスルーができたのか」と、とことん分析され、批判された。
だが今回はなぜだか感動の嵐だ。ちっとも敗戦の理由が問われない。
「なぜ鎌田を早急に交替させなかったのか」「なぜ三笘が対策されても何の手も打たなかったのか」「なぜ交代枠が一枚残っていたのにキーパーを川島に代えなかったのか」「なぜPK戦の準備をしていなかったのか」など、追求すべきことは山ほどある。
もっとも若い選手たちはとっくに以前から追求をしていた。
南野「守備の哲学がない」
久保「攻撃の約束事がほしい」
三笘「チームとしての組立がない」
冨安「主導権を持った攻撃がないとこれ以上は勝てない」
守谷「主体性のある攻撃が必要」
その結果の敗退だったから、若い選手たちはとっくに見限っている。
あれほど三苫を使えと言われながら決して招集しなかったほど、人の意見に耳を貸さないのが森保だ。選手だって「ここに大迫がいれば」と思っていただろう。
若手のこんな不満を抑えていたのが長友・吉田・川島の長老たち。森保が再任されたら若手の不満を抑えるために、長老三兄弟も代表に呼ばれ続ける可能性さえあるぞ。
若い彼らは、今やヨーロッパの所属チームで最先端の戦術を吸収しながら戦っている。「相手に8割ボールを支配されて、我慢して後半にカウンターでラッキー。前半は罰ゲーム」みたいな森保サッカーに不満を抱かないわけがない。内心、小馬鹿にしている若手も少なくないはずだ。
再任なんていうことになったらそんな不満も爆発するだろう。
君が代を歌いながら涙を浮かべたり、クロアチア戦敗退後にスタンドに向かって深々と一礼したり、そういった立ち振る舞いは素晴らしいし、人間性は文句なしだ。だがサッカー監督としては失敗した。
サッカー協会は早々に森保クビを決定しなくてはならないのである。
では後任は誰か。オレがやるか。タンゴちゃんジャパン。
日本人がいいとは思うが、あまり適した人材は思い浮かばないなあ。いっそペトロビッチにしてミシャ式を極めるというのもエッヂが効いていていいかもしれない。
ポステコグルーには断られてしまつたようだし。
なんて相変わらず日本代表についてしか書いていないが、そろそろ飽きてきた。おもちゃだから、飽きるのも早いのだ。
2022.12.07
ももクロのれにちゃん、つまり紫が結婚したことは、今年のビッグニュースの一つである。
ツインテールを振り乱して必死に踊っていたJKたちも、今やアラサー。みずみずしくピュアだった歌唱も、はち切れそうに輝いていたダンスもなく、もはや酔っ払ったポンコツOLのカラオケと大差ない。
驚いたことにれにちゃんは、結婚してもももクロの活動を続けるのだそうだ。メンバーの結婚を期にももクロも年貢の納め時かと思ったら、なかなかしぶとい。
結婚してもアイドルを続けていることで知られるのは、あのNegiccoである。メンバー3人とも既婚者であるのに今もってアイドルなのだ。もちろんアイドルには資格も免許も不要だから、小じわの
おばちゃんであろうと「あたしゃアイドル」と名乗ればそれで成立する。
どうやらももクロも、Negicco路線へと舵を切ったようだ。
人妻ももクロ。
うーん、需要があるとは思えないが、まあ、好きにしてくれ。スタダの稼ぎ頭だから、簡単に解散もさせてもらえないだろうし。
そんなももクロの隠れた名曲が「空のカーテン」だ。冬が始まると、必ず聴きたくなる。
歌詞もメロディーもアレンジもものすごく高いレベルで完成されており、いつ聴いても心打たれるのだ。
もっとも今歌っているバージョンでは、ポンコツOLのカラオケボックスと大差ない。聴くならやはりリリース当初のバージョンだ。YouTuneでも聴けるので、酔っ払ったときは食卓に常備しているChromebookを起動してヘッドホンで聴いている。なかなかよいものだよ。
こんなことを書くと、またコマちゃんやオザキのようなももクロ原理主義者たちに「ディスってる」「ひどい」「薄情者」「恥を知れ」と攻撃されかねないから、気をつけねば。
そんなふうに身構えながら、今日は一日原稿に追われる。ひいこら言いながら、朝から原稿を書きまくる。いや、こんな日記を書いている時間があればそれを原稿仕事に費やせばいいのだが、そうはいかないのがオレの性。困ったものである。いや、別に困っていないが。
今日はいい天気だなあ。
2022.12.06
朝一番で仕事があったので、都心へ行く。
オフィスビルのエレベータに乗り合わせたのは7、8人。動き始めてしばらくしたら、中の1人のおっさんが「ねむい…」とつぶやいた。他のおっさんもうなずく。
それを見たお姉さんが「お忙しいんですか」と聞く。おっさんは「何言ってんだ、サッカーだよ」と返す。
エレベーターが止まって箱から出たおっさんは「惜しかったなあ」と天を見上げる。
日本中、そんな光景が見られたのだろうか。
いや、案外そうでもないと思う。昨日の日中、いろんな人にサッカー見てますかと聞いたら、見てますと答えたのは3人に1人。1人は「ニュースでは見るけど夜中に中継までは」だし、残りの1人は「自分は野球なんで」とサッカーにはまったく興味がない様子。
新聞やテレビは日本中が燃え上がっていると大騒ぎしているが、暴れているのは3割程度で、他はけっこう冷ややかである。そんなものだろう。
オレだってフィギュアスケートを見るかと言えば、テレビに映ってれば見るけど夜中にグランプリシリーズを見るかと言えば決して見ないし、野球に至っては日本シリーズでどこが優勝したかさえ知らない。
騒ぎすぎなんだよ、サッカーは。というか、ニワカとかライト層とかが増えやすいスポーツなのかもしれない。「頑張れ日本代表」と言う人も、ほとんどがJリーグなんて見てないと言うし。
もうちょっとJリーグをちゃんと見る人が増えてほしいものだなあ。そこがあくまで土台なんだから、上辺だけのワールドカップブームでは日本は決して強くならない。
そんな象徴が谷口ではないか。
川崎フロンターレの主将であり、イケメンでもあるのに谷口は、Jリーグのコアファン以外にはまったくの無名である。本来ならもっと知られて、そのマダムキラーなルックスでおばちゃん人気が上がってもよいはずだ。それなのに国内でしか仕事をしていないので知られていない。たぶんスペイン戦、クロアチア戦を観て「誰、これ」と思った人がかなりいるはずだ。
谷口は、センターバックとして実績豊富な実力者ではあるのだが、実は案外やらかす。大事な試合になればなるほど、余計なファールでPKを与えるという印象が強い。
よってオレたちJリーグ好きは、谷口のスペイン戦での出場が決まってからは、きっと最後の最後に谷口がやらかすぞ、さすがオレたちの谷口と、谷口事件を期待してちょっとワクワクしたのである。
だが期待に反して谷口は無難に仕事をこなし、まあ、それは普段通りの谷口の実力ではあったのだが、どうしてやらかしてくれなかったのかと少し残念だった。
要するに代表を強くするにはその土台であるJリーグを強くして盛り上げなくてはならず、そのためにも谷口の人気を上げる必要がある。谷口アイドル化計画こそ、日本サッカー界が次代のために取り組むべきテーマなのだ。森保の続投などで目先をごまかしてはならない。
というわけで、森保の采配である。
昨日オレは、PK戦の準備を何もしていなかったに違いないと書いたが、まさか本当だったとは。
「南野は、森保監督がPKのキッカーを立候補で決めることを、そのときまで知らなかった。全員で集まったものの自ら手を挙げる選手は現れない。5秒ほどがたった。──じゃあ俺が行く、と南野は言った」というのだ。
これはなかなか衝撃的な事実ではないか。オレは腰を抜かすほど驚いたぞ。
立候補制と知って5秒も誰も手を挙げなかったなんて、もしかしたら選手もたまげたのではないか。呆れたのかもしれない。チームがバラバラだったのかも。
「じゃあオレが」「どうぞどうぞ、お先にどうぞ」なんて空気だったりして。どんな冷え切った5秒だったのだ。これを、南野は勇気があるぞという美談にしがちなのがマスコミだが、これはとんでもない事実ではないか。
どうも森保は、東京オリンピックのニュージーランド戦で立候補制がうまくいったことで、それをやろうとしたらしい。まさに過去の成功体験が次の失敗につながる典型例である。
この事実に対してネットでは「戦時中の日本じゃねえか」という指摘もあって、なるほど、まさしく上層部の無策によって特攻隊として散っていくしかなかった若い命そのものだなあと思った。
道理でクロアチア戦の延長で、日本の選手たちがどこかおどおどしながらプレーしていたのがわかったわ。「このままPK戦になったらどうするんだ」「何の準備もしてないじゃん」「オレは蹴りたくない」と考えながらプレーしていたのだろう。
対してクロアチアはモドリッチとコバチッチを下げて「PK上等」と切り替えた。そのため選手たちも「よっしゃ、PK行っても勝てるでー」と自信満々で走り回っていたのである。
あげくに南野の泳いだ目と、とにかくこの場から逃げ出したいというような拙速キック。
ハイライトでヨメに南野のPKを見せたら、サッカー素人のヨメも「あららら、これじゃダメわー」と笑っていたほどだった。
もちろん悪いのは南野ではない。成功体験に酔ってワールドカップを舐めていた森保だ。そこをきっちり批判せず「感動をありがとう」「新しい景色が見たかった」と盛り上げるマスコミにはうんざりだ。オレはけっこう本気でうんざりしているんだぞ。
もちろん心ある人はしっかり批判していて、岡田武史も日刊スポーツのコメントで「PKだろうが90分の試合だろうが、勝つために最高の準備をして勝つためにベストを尽くすべきだと思っている」と追求している。森保にはそれが欠けていたという批判だ。
そのあたりを適当にごまかして次も監督は森保で、という流れになっているのがどうもおかしい。
森保は協会の言うことを聞く。電通の頼みにも協力的である。だから森保がちょうどいい。そんなネットの落書きが本当だとは思わないが、決して次の監督としてベストであるとも思わない。
なにしろ代表は国民のおもちゃなのだ。森保みたいな地味な人間ではなくて、もっと楽しめる人物を監督にすべきである。その意味でトルシエというのは最高の人物だった。
「勝てば自分のおかげ、負ければ日本の国民性」という態度はいっそすがすがしかったし、顔を真っ赤にして怒れば怒るほど、こちらもワクワクしたものだった。タイガー・ジェット・シンぐらい吹っ切れたヒールでいいのだ、代表監督は。
いや、そもそもサッカーの監督そのものがヒールでいいんだと思う。その点でJ2の監督は個性派だらけでキャラが立ちまくっている。
秋田の吉田監督とか金沢の柳下監督とか、やめちゃったけど水戸の秋葉監督とか。吉田監督が代表監督に就任して、勝利インタビューで「日本国民の皆様、おめでとうございます」とポエムを口走ってくれたらと思うと、もうそれだけでワクワクしてくる。
柳下監督もいいぞ。代表のゲーム後、インタビュアーの質問に対していつものように「はああ?」とキレてくれたらと思うと、もうそれだけでワクワクしてくる。
そんなわけで森保の次には吉田謙を監督として推薦する。そして2年後には柳下正明を推薦する。決して人材難なんかではないのだ。
2022.12.05
というわけで、タイムマシンでオレが見てきた未来とは違う未来になってしまったわけだ。
0時キックオフで、オレは翌日朝イチで仕事が入っているからPK戦だけはやめておくれ、できれば延長もナシにしておくれと願っていたのに、そこだけはタイムマシンで見てきた未来のとおりになってしまったのだから、オレとしてはバチが当たったような気分である。ちつ、予言なんてするんじゃなかったぜ。
何よりも腹ただしいのは、あまりにPKが下手くそ過ぎたことだ。
一発目の南野はまったく焦らしもせずに短い助走であっさり蹴って止められる。この瞬間に負けだなあと思ったわ。続く三笘は、南野の失敗にビビっちゃってやっぱりあっさり蹴ってあっさり止められる。
相手キーパーは、2012アジアカップの川口能活が憑依してはいたものの、それを別としても日本はPK戦に対してあまりに無策であった。
きっとPK戦の練習も準備もしてなかっただろう。そう思ったら案の定、何も用意してなかったことが判明。キッカーでさえその場の立候補で決めたそうだ。
ワールドカップでこれはありえない。
相手キーパーの特徴を分析し、相手キッカーの癖を読み、そして順番を決めてそれぞれどこを狙うかもきっちり約束事として定めておく。そんな準備を全くしなかったというのだから、調子に乗っていたというか、甘く見ていたというか。要するに舐めていたというわけだ。
おかげであんな下手くそなPKの連発。みっともないわ。
これならアルビレックスの小見のPKのほうがよほど上手くて確かだ。
ワールドカップの決勝リーグで小見が例のPKを決めてみせたら、世界に戦慄が走るだろう。想像しただけで腹を抱えて笑いたくなる。
長友が「ブラボーと叫んでやる」とか、権田が「サッカーの祝日にしてほしい」とか、調子に乗ったコメントばかりで、フラグが立ちまくり、それが全部天井に吐いたツバとなって落ちてきたということだ。
選手個人で言えば、鎌田が最後までひどかった。初戦からずっとひどくて、今日のゲームでもどフリーの堂安を無視して放ったシュートが枠から大きくはずれ、失点のシーンでは寄せをサボっている。
大然の交代では、アナウンサーからも解説の岡田武からもピッチレベルの小野伸二からも「鎌田じゃないんかい!」と突っ込まれたほどの出来。
もうひとりは久保建英だ。初戦からずっと何しに来たんたというレベルだったことに加え、途中交代では「ボクが一番よかったのに外された」とインタビューでぶーたれて不満を口にし、たぶん怒られたであろうことから気持ちのバランスを崩してしまったのではないか。今日の欠場はメンタルが原因だとオレは推測する。
それにしても常々言うように代表チームは国民のおもちゃなのだから、面白ければいいのであって、どうせ負けるならロストフのようにとてつもなく面白い負け方をしてほしかったのに、PK戦とはなあ。
試合自体もつまらなくて、これぞ塩試合というしょっぱさ。負けたくない一心のチーム同士のゲームだから塩試合も仕方ないが、エンターテイメントとは縁遠い寒さであった。つまらん。
朝イチから仕事だというのにこんな塩試合につきあわされて3時まで起きる羽目になって、実に悲しい。
もっと悲しいのは息子の大学の教授で「今日になって明日の一限が急に休講になった」というから「サッカー見るんだぜ、あの教授」とバレバレだった。あげくにPK戦負けということで、学生に合わせる顔がないだろう。
2022.12.04
モドリッチやコバチッチの“ッチ”というのは、「何とかさんちの息子」という意味らしい。ジョンソンやワトソンと一緒だな。
ということはストイコビッチは「ストイコさんちの息子」というわけか。
そんな息子軍団に対して臆することはない。こちらには、たまごっちもモンチッチもいるのだ。
それにしてもメディアは来る試合来る試合、なんでもかんでも「運命の一戦」なんだな。ちっとも工夫がないではないか。
そう言ったら息子が「アルビだって、“次の敵が最強の敵”ばかりじゃないか」と突っ込まれてしまった。ぎゃふん。
昭和の時代はプロスポーツと言ったら野球に相撲、時々ボクシングだった。外国人選手もトマソンやリーだった。
だがJリーグができて鎖国状態が解かれ、世界にはアメリカ人以外の外国人アスリートもたくさんいることを知った。ジーコにシジマールにリトバルスキーにスキラッチ。世界は多様であることを平成に生きるオレたちは学んだ。
あわせてタシケントやジョホールバルなんていう地名も知った。
世界には多様な価値観があって、女性がスタジアムでの観戦を許されていない国というのにも驚いたが、日本に対してむき出しの敵意を隠そうともしない国があるというのは衝撃だった。ナイーブでお花畑のオレたちは、世界には親日国家ばかりだと信じていたのだ。
そんな世界の新しいリアルを教えてくれたのもサッカーだったと思う。
というわけでクロアチア戦であるが、1-2と先攻されて苦しい展開になるも後半40分にコーナーから富安の起死回生のヘッドで2-2と追いつき、延長後半10分に権田に変えて投入された川島が、持ち味のPKに対する異常な強さを発揮して1本を止め、1本はコースを外れ、結局PK戦4-3で日本が勝利し、このために川島を連れてきてたのかと森保がまた名将呼ばわりされて大騒ぎが展開されるということろまで見えている。
これは予想ではなくタイムマシンに乗って見てきたオレが告げる、確定した未来なのである。
2022.12.03
今回のワールドカップの一番の発見は、解説者・本田圭佑であるという声が高い。
本田圭佑はABEMAの日本戦で解説をしている。
確かに面白いのだが、ABEMAは30秒ぐらい遅延するのが致命的だ。だからゲームは地上波でリアルタイムで観て、試合終了後にABEMAで見返している。本田の解説を聞くためだ。
一番の話題になったのがこれ。「さん付け」である。
「三笘さん」「前田さん」と若い選手に対しても「さん付け」で、一方で「マヤ」とか「ユート」とか一緒にプレーしていた仲間のことは下の名前で呼び捨てだ。最初耳にすると、すげえ違和感があるのだが、すぐになじんで、妙に癖になる。あげくにこっちも「伊東さん」「堂安さん」なんて呼んでしまったりする。
考えてみれば、知り合いではない人のことを呼び捨てにするのはとても失礼なことで、たとえ年下であっても「名字にさん付け」は社会人なら当たり前のことだ。本田もその当たり前のことをしているだけなんだろう。
本人に言わせると、知らない先輩が部室に突然やって来て偉そうに後輩を呼び捨てにする日本の体育会の文化がイヤでしょうがなかった、ということらしい。
なるほど、そういうことか。これには納得だ。こういう話を聞くと本田圭佑は案外常識人であるとわかる。
もちろん話し方だけではない。本田の素晴らしい点は。
とにかくゲームの読みが鋭くて、ドイツ戦では「右サイドが穴だからあそこに三笘さんを当てれば絶対にイケる」と見破って、その通りになった。
スペイン戦では富安が準備しているのを見て、誰に交替させるんだと実況も視聴者も「?」だらけだったところ「わかった、鎌田さんと代えて伊東さんを左にもってくるんだ」とドンピシャ。これには脱毛、いや、脱帽だ。
全体の局面を見た本田が「よし、ハマってハマってる」といった直後にプレスが効いてシュートまで行ったし。
こういう具合に試合の流れをものの見事に読んで当ててみせるあたり、さすがと唸らされた。選手としては好きではなかったが解説者、ひょっとしたら監督、コーチとしてはかなりイケるのではないか。
ピッチレベルの槇野が「エンリケ監督の娘と付き合ってるみたいですよ」というネタをぶち込んできたら「槙野、そういう情報いらない」と返したあたりは最高だ。
かといって上からの解説だけでなく、スペイン戦のロスタイムが表示された瞬間の「なあなふんっ?」という絶叫の素晴らしさよ。この「なあなふんっ?」は早速バズった。大好き。
という具合に本田圭佑の解説は今大会のMVPである。
選手出身の解説者と言えば、かつては北澤豪が一番だった。陽に焼けたホストまたはコオロギのような外見とは裏腹に内容はロジカルで、口調も聞きやすい。現役時代同様、小器用にいろんな状況に合わせられるのだろう。
その北澤を抜いてトップに躍り出たのが、福田正博だった。
現役時代のプレーから脳筋かと思いきや、語らせたら実にクレバー。試合の流れを瞬時に読みつつ、次の展開を示して、見所を教えてくれる。そしてイニエスタのプレーには「度肝を抜かれましたね!」と、こちらの驚きを見事に代弁してくれる。
勘所を見極める目も抜群で、真面目さが要求される番組では正統派の解説者となり、遊んでいい番組では好き放題に暴れ回る。
あれはDAZNの4分割画面の番組だったと思うが、サッカーそのものが大好きで酒を飲みながらとにかく面白いサッカーが見たいという視聴者を相手にした解説では、なんと「ボクはシステムとかわからないんで、そういうのはボランチに聞いてくださいね」と言い放った。
フォワードを自虐的に笑って、ボランチをからかってみせる、見事なボケだった。もちろんあれだけの解説ができるのだから福田がシステムのことはわからないなんてわけはなく、要するに居酒屋トークを一気に盛り上げてみせる芸だったのである。
選手ではラモス瑠偉も時々解説者に呼ばれたものだが、普段は何をしゃべっているか聞き取れないのに、興奮して怒鳴りまくるとよくわかるという不思議な芸風が持て余されたようだ。ラモスがセルジオ越後と一緒に解説に臨むと2人で何を言ってるかまったく聞き取れず、もはや放送事故だった。
そういう名物キャラ的な切り口でトップランクは、ご存じ松木安太郎である。とにかくはしゃぐ。吠える。笑う。ボケる。もはや解説者と呼んでいいかすらわからないほど、エッヂの効いた存在だ。当初はそんな芸風を面白がられたが、クラスのひょうきん者が次第にうざがられるように、松木も何度も繰り返されると飽きられてくる。
よく聞けばまともなことも多々発しているのに、その芸風が邪魔をして単なるノリにしか聞こえないという点もマイナスに働いて、要するに最近では遠ざけられているようだ。
選手出身の安定株は、内田篤人や戸田和幸である。
内田篤人はルックスにだまされるが、中身はいたって冷酷。あんまりサッカーが好きではないのではと思わせるときがある。
逆なのが戸田和幸で、日韓ワールドカップの時の真っ赤なヘアスタイルの印象が強烈だったためか、どうせ中身空っぽだろうと思っていると、実はすごくクレバーな解説をしてくれる。ただどことなく上から目線で、自分が一番すごいと思っているんじゃないかと感じさせるようなところが、好き嫌いが分かれる原因かも。
そんな選手あがりの中で評価が上がっているのが中村憲剛と坪井慶介だ。どちらも声がいい。しかも滑舌もいい。だから聞きやすい。
その逆が中村俊輔である。たぶん内容は素晴らしいことを話しているのだろうけれど、いかんせん、聞き取れない。常にぼそぼそとしゃべり続け、風貌のまんま、こいつはコミュ障じゃないのかと思わせてくれる。実に陰気くさく、楽しいはずのサッカーがちっとも楽しくなくなる。先日の、何の試合だったか忘れたが、ぼそぼそ解説は放送事故寸前だろうとネットで話題になった。
放送事故と言えば、2011年なでしこワールドカップの解説をやった川上直子が、オレとしては断トツの放送事故である。
ゲームの中盤でアナウンサーから「今なでしこに必要なのはどんなことでしょう」と振られた川上は「得点ですっ、キリッ」と断言してみせたのである。その瞬間、日本中がずっこけてイスから転がり落ちたほどだった。
と、と、とくてんすかっ! じゃあ、得点が必要じゃない状況ってどんな状況すかっ! 放送後、そんなふうにプロデューサーから詰められたとか詰められなかったとか。いや、オレの妄想だが。
これに肩を並べる酷さが、ご存じ、大久保嘉人である。
脳筋とはこいつのためにあるようなもので、感情と感覚だけでサッカーをしてきたから、どのプレーを見てもちゃんと説明できないし、頭で考えたことを言語化できない。
いつだったかの中継でも「ここからっすよね」「いやあ、後半が大事ですよ」しか言えなかったのには戦慄を覚えた。福田正博の言う「ボクはシステムとかわからないんで」とは、まさにこいつのことを示しているのである。
あまりに空っぽさに制作サイドも呆れたのだろう、それ以来、解説として呼ばれることはめったになくなってしまった。いいことである。現役時代の悪行にしれっとフタをして、すぐに家族ネタを持ち出していいパパを演じるものの、CM狙いの魂胆丸見えだから、誰からも相手にされない。このまま目立たないところでおとなしくしていて欲しいものである。
要するにオレは大久保をディスりたくてここまで筆を進めたのではないかと自分でも呆れるのだが、実はまったくその通りなのである。
そんな中で先日、彗星のように現れたのが、伏兵、チョン・テセであった。カメルーン対セルビアの解説を務め、そのあまりに上手な話しっぷりが絶賛されている。残念ながらオレはまだ見ていないが、もともとテセは非常に頭がよくてたいへんな人格者だから、解説がうまいのも当然のような気がする。
ピッチで失敗した若い選手に対して罵倒を浴びせ続けるのが大久保であるのに対し、テセは失敗を恐れずもう一度やってみろとエールを送る。ベテランの役割をしっかり認識しているからこそできる立ち振る舞いだ。
これからはテセの解説の機会も増えるだろう。注目したい。
なおそんな群雄割拠の解説業界の中で独特の立ち位置にあるのが、ご存じ岡田武史である。
今のところ日本人でワールドカップの監督経験をもっているのは岡田武史と西野朗、そして森保一の3人だけである。その中で岡田武史は唯一、2度の監督経験をもっていて、しかも「監督はもうこりごり」とライセンスを返上してしまっている。
つまり実績が十分すぎる上に何の損得計算をする必要もない、極めてフリーダムなポジションにいるのだ。
だから好き勝手なことしか言わない。基本的にサッカーオタクなのでサッカーが大好きで、気に入ったサッカーの話しかしない。ブラジル大会だったか、解説に呼ばれているというのに目の前の試合が退屈だと思ったのか、急に「そんなことはいいから、昨日の試合の話をしましょうよ」と言い出したのには仰天した。
オタクをフリーダムにすると暴走するという典型である。
だから一番面白いのは岡田武史というのが今日の結論。
クロアチア戦のロスタイム、本田の「なあなふんっ?」がまた出ないか、楽しみである。
2022.12.02
午前0時キックオフなら、頑張って長起して観る。
午前4時キックオフならば、早寝早起きすればイケる。
一番困るのは午前2時のキックオフだ。寝ないで観るか起きて観るか。どっちにしろ翌日はグダグダなのだが。
そういや以前、築地市場で働く人に話を聞いたことがある。
出勤時間は朝3時。当然電車は走ってないので、会社の乗合バスで出勤する。
仕事の終了は昼の12時。したがって仕事終わりの一杯は真っ昼間からということになり、午後1時とか2時にベロベロになって家に帰ってくるから、近所の視線が冷たいのだそうだ。
「朝3時出社の人間と一緒に暮らしてくれる女性なんていないから、なかなか結婚できないんですよー。カネを使う暇がないのでみんな貯金はもってるんですが」と嘆いていた。
話を聞いたのは17時。
「皆さんにとって深夜残業みたいなもんです、この時間は我々にとって」とイヤミも言われてしまったのだが。だはは。
というわけで4時キックオフならば早起きすればよい。市場の人たちは既に全力で場内を走り回って吠えている時間だ。
そして観たのがスペインがあっさの先制するシーン。なんちゅー緩さだ。こりゃダメだ。
だから後半の逆転には心底たまげたわ。すごかったですねえ、三笘の1ミリ。
いや、そのちょっと前。左サイドの深いところから1人で持ち上がって、浅野にドンピシャのパスを送ったシーンには仰天したわ。浅野のタコがまともなシュートもできなかったおかげで無駄になってしまったが、このシーンだけで朝からご飯3杯はいける。
こうした印象が強烈だったせいか、ネットには「彗星のように現れた」「やっとこんな日本人が」「すごい新人だ」というコメントがちらほら。いや、まてまて、三笘を知らんのかい。大卒でJリーグデビューして、こりゃすごいヤツが現れたとみんなびっくりしたのではないか。君はびっくりしなかったのか。
要するにJリーグなんて観てないのだ。もっとちゃんとサッカーを観ようよ。
とオレは上から言うのだが、まあ、好きでない競技なんてこんなものだろう。オレだってスケートに詳しくないから、紀平梨花ちゃんが出てきたときには驚いたのだが、スケート好きには何を今さらと思われたに違いない。
それでもメディアのはしゃぎっぷりはいくら何でも見苦しい。ワールドカップは日本のためにあると思ってるんじゃないか。これでは韓国人と同じメンタリティじゃないか。ワールドカップはサッカーのためにあるのだから、もっと謙虚にならなくては。
もちろんアルビレックスはJリーグのためにあるのではない。オレのためにあるのだ。
それはともかくとして次はクロアチアか。モドリッチが夏にJリーグに移籍するという噂があるが本当だろうか。どうせ神戸。
もしビッグスワンの対戦でモドリッチが観られたら、ちょっとワクワクする。
それにしても裏のドイツ-コスタリカの推移を気にしながらの観戦は最高だった。特にこのままいくと日本とコスタリカが決勝リーグに進出して、ドイツとスペインがグループリーグ敗退になるかもしれないという10分間は最高のスペクタクルだった。
結局落ちたのは2大会連続でドイツ。ひゃあ、ブラジル大会ではゲルマンは史上最強の民族とまでえばっていたのに、落ちぶれたものよのう。イギリス人とイタリア人の笑うこと笑うこと。
さらにベルギーまで落ちぶれて、凶暴なルカクが大暴れしてベンチをぶっ壊して逃走したとか。
サッカー観るならリーグ戦だが、こういう騒ぎを楽しむならワールドカップだ。
それにしても一発屋に決まっていると思った日本がまさかドイツとスペインを破るとは想定外過ぎる。一発屋はサウジだった。
早起きした息子は、1限は授業だけど2限がないので教室で寝ると言っていた。オレも少し昼寝したのだった。
次は0時キックオフ。となると寝るのは3時か。や、やばいな。
2022.12.01
飯田線の車内では、隣の座席ボックスに座った女子中学生たちが「ビートルズっていうグループが横断歩道わたってる、えーと、あれ」と話している。
きみたち、それは『アビーロード』っていうアルバムだよ。
B面のメドレーは名曲だよ。特に『ゴールデンスランバー』は涙ものだよ。
あ、そか、B面なんてわからないのか。あっはっは。こりゃまたおじさん、困ったもんだ。
などと心の中で突っ込みを入れつつ、半世紀も前のアルバムが飯田線なんていう秘境列車の車中で女子中学生の話題に上るなんて、やっぱりビートルズはすげえよと思うのだった。
飯田線は御殿場線とともに秘境列車として名高い。深い山間を走る。谷もあれば森もある。鉄橋も渡るし、鹿がぶつかることもある。
当然なかなか乗る機会はないから、ひそかに楽しみではあった。
だがオレんちから東京駅まで1時間。東京駅から豊橋まで1時間半。そして豊橋から飯田線に2時間とくるから、せっかく楽しみにしていた飯田線も乗った瞬間にうんざりなのだった。
目的地まで片道4時間半。往復で9時間。電車に乗っている時間もギャラのうちと自分に言い聞かせて、闘うのだった。
そんな秘境の地まで何をしにいったかというと、もちろん仕事である。深い山の中で電気の安定供給に取り組んでいる人たちに会いにいったのだ。
一番近いコンビニはと聞いたら「20キロっすね」と、25歳の彼は言うのである。
クマとか出ないのと聞いたら「クマは出ないっす。鹿とか猿とかは普通っす」と、大学院卒でここで体を張って頑張る彼は言うのである。
この冬に懸念されている首都圏の電力不足。それに備えて、万一の時にスムーズに電気を融通できるよう、今から準備をしているのである。コンビニから20キロの山の中で。
こういう人にこそ感謝をせねばならないのに、オレたちのバカ百合子はタートルネックを着ればいいじゃんと言う。さも自分の思いつきが世界を救うとでも、どや顔をしつつ。
秘境の山奥で寮生活を続けながら冬の電力不足に向けて準備を進める彼らに恥ずかしいわ、ほんとに。
どうか都庁には電気を送らなくていいから、と心の中でオレは申し訳なさに頭を下げる。
秘境から4時間半をかけて帰ってくる。
地元の駅について、今日は家に晩飯の用意がないことを思い出し、駅前で何か食べて帰ろうと考え、バイト帰りの息子をつかまえて新しくオープンした店に入る。ビール専門店だ。
確かにビールはやたらと旨く、塾講師の仕事で疲れて帰ってきた息子も上手い上手いと言いながらビールを飲む。食べ物はイマイチだったのが残念だが、そしてやたらと高かったのも残念だが、ビールは満足だ。
こういう都会での便利さも、山の中の人々によって支えられているのだなあと思い返し、そしてスペイン戦のキックオフは4時だから早く帰って寝ようと言いながら、ビールのお代わりを頼むのだった。
2022.11.30
うう、寒くなってきたなあ。寒くなると手がカサカサになるなあ。
そうだ、クリームを塗らなきゃ。
いや、その前に手を洗おう。手を洗ってからクリームを塗ろう。
そしてしっかりと手を洗い、、洗い終えた頃にはクリームのことなどすっかり忘れてそのまま洗面所をあとにし、玄関から一歩外に出た瞬間に思い出して自らの老いを痛感する、そんな日々である。
乾燥肌なのだ。だから晩秋から早春にかけて、保湿クリームは手放せない。愛用しているのはニベアである。
洗面所にはおなじみの丸くて青い缶のニベア。仕事場の机の脇にはチューブのラベア。そしてもちろんバッグの中にもチューブのニベア。
幼い頃、冬になると乾燥した肌をかきむしるオレのことを可哀想に思ってだろう、母親が毎晩ニベアを塗ってくれた。それ以来のニベア一択である。もはやオレの肌はニベアでできていると言っても過言ではない。
風呂上がりには全身にニベア。仕事の合間に手にニベア。電車の中でも手をすりすりしてニベア。
こんなにニベアを愛用していても、しかし乾燥肌はいつもしつこく、手はボロボロだ。なんとかしなければと思って皮膚科にもらった薬を塗ったり、薬局で買った塗り薬を試してみたり。
そんな中で先日、ウエルシアの店員にすすめられた栗薬を使ってみることにした。「乾燥肌にお悩みですか」みたいなPOPのコーナーでボケっと眺めていたら店員に「これなんとかはいかがでしょう」と勧められたのである。
小さいチューブなのに2000円もする。びびった。だが2000円にびびって逃げたと思われるのもしゃくである。
ふうん、じゃあ、ちょっと試してみようかなあ。
などと平静を装って一本購入したのである。
翌朝、早速試してみる。そしたらこれか案外いいのよ。手のカサカサが収まり、しかもそれが一日中続く。これはいいかもしれない。
そう思って毎朝使うことを決める。そのあげく、手を洗って忘れてしまうという情けなさなのだった。
とほほほ、再来月には法的にも高齢者の仲間入りだもんねえ。手のカサカサより、頭のカサカサを防ぐ薬が必要かもしれない。
「女副署長 祭礼」松嶋智佐・新潮文庫。女性の副署長を主人公にしたシリーズの3巻目。この著者の中ではこのシリーズが最も面白い。キャラクターが多くてその書き分けが不十分なこと、やたらと物語を複雑にしがちなことといった欠点が、この作品ではかなり解消されていて、けっこう面白く読むことができた。サブキャラたちがなかなかに味わい深いのもいい。
調子よくなってきたシリーズだから今後に期待と思ったら、これでシリーズ完結だという。ははあ、警察ってのは異動が激しいようだから、副署長としての仕事はここで終わりで、次からは署長として新しい警察署で活躍するシリーズが始まるのだろう。だからこれはこれで完結だと。ところがそんな読みはあっさりと外れて、うへえ、そう来たか、という終わり方。想定外すぎて、ちょっと驚いた。
2022.11.29
請負産業とかっこつけてはいるが、要するに細かな仕事をぽつぽつといただいてはかき集め、食いつないでいる下請け業者である。基本的には受注しなければ何もできない、受け身の仕事なのだ。
従って一見忙しそうに見えても、突然のキャンセルになれば予定はなくなり、今日のようにボケッと一日を過ごさざるを得なくなる。
困るのは大方の取引先から、あいつは忙しいと決めつけられていることだ。
予定がバッティングすればお断りするしかない。それが続くと、どうせ断られるとお声もかけてもらえなくなる。これには参る。
あげくに当初予定していた仕事がキャンセルになるということも、よくある話だ。泣きっ面に蜂とか踏んだり蹴ったりとか、そんな言葉が脳裏を流れる中、「またお願いします」なんてメールの返信を書いたりしている。
何の改善もなく、何の手当もなく、そんなことを繰り返してきて、今がある。
今日のようにヒマだと、そして月末だからと請求書を書こうとしてそのあまりに少なさに呆然としていると、そんなしょうもないことばかり考えてしまうのだった。
まあよい。気を取り直してサッカーのことでも書くか。いや、さすがにサッカーは食傷気味だ。
ならばドラマの話でも書くか。フジテレビの「エルビス」である。
これは間違いなく今季一番のドラマだ。っていうか、これしか観ていないので一番に決まっているのだが。だはは。
主演は長澤まさみ。まちゃみちゃん、いい女優になったねー。もう若手とは言えないが、若手では間違いなくナンバーワンだろう。個人的には高畑充希がナンバーワンと思っているが。だったら、まさみちゃんじゃなくてみつきちゃんがナンバーワンでいいじゃないか、オレ。
もっと驚くのが鈴木亮平だ。
こないだまで白衣を着て救急車に乗っていたかと思ったら、あるいは新選組で近藤勇だったり。それが今回は報道記者。スーツ姿がびっくりするほど似合っている。
調べたら「海街diary」で、まちゃみと亮平は共演していたのね。かたや主役級。かたやちょい役。
「海街diary」はいい映画だったなあ。今でも時々見返している。特に大きな事件も起こらず、鎌倉を舞台にした4姉妹の日常を淡々と描いた作品で、流れる空気感がとても気持ちがよい。まちゃみは次女役。これば実に、次女ってこうだよねという存在感だった。
一瞬しか出てこない大竹しのぶがとんでもない技量の役者ぶりを発揮しているのに驚く。登場したその瞬間に、そのダメ女の歩んできた人生そのものをすべて語ってみせたような演技だった。
おっと、「海街diary」ではなく「エルビス」の話だった。
「エルビス」はえん罪事件をテーマにした堅いドラマで、テレビの裏事情を開き直ったように堂々と描いているのが面白い。この先が楽しみなドラマだ。
こんな具合に特に書くべきことがなくても無駄に文章をだらだらと連ねているのは、今年の日記の総文字数が前代未踏の50万字を越えそうだからである。今47万字近く。こうしてだらだらと書くことで、なんとか年内に50万字に到達したいと考えているのだ。
なおオレはいま、前代未踏と書いた。これはもちろん前代未聞と前人未踏をくっつけたオレの造語だ。そしてオレの日記という比較するものなど何もないものについて前代未聞とか前人未踏というのはまったく適した言葉づかいではないので、このボケも、実はボケにすらなっていないというボケなのである。どうだ、このメタ構造は。
まったくもってヒマだとこんなしょうもないことしか書くことがない。
「自転しながら公転する」山本文緒・新潮文庫。主人公は、牛久大仏の近くのアウトレットモールに勤める32歳、実家暮らしの独身女である。なんつー地味な設定なのだ。彼女が中卒無職(だけど大変な読書家。女流作家の文章ってクセになるよね、というセリフに深く共感したオレである)の恋人に振り回されたり、職場の人間関係やセクハラに悩まされたり、一緒に暮らす両親の病気に付き合わされたりする話だ。
彼氏に結婚する気があるのかと問い詰めたら破局しそうになったり、災害ボランティアに行ったら逆に体を壊して周囲に迷惑をかけたりと、とことんダメな女なのである。読んでいてうんざりするほど、ダメな女なのだ。だが時折みせる、人生に対しての深すぎる洞察に、こちらはちょっと驚かされる。
オレみたいなおっさんでも面白く読めたのだから、主人公と近い女性ならばもっと共感を覚えながら読めるのだろう。エピローグ前の寿司屋でのエピソードは、なかなか素晴らしくて、心が温まるのだった。
解説を読んで作者が昨年亡くなっていたことを知る。残念だ。
2022.11.28
早くもワールドカップには飽きてきた。
今夜はカメルーン対セルビアをぼけっと眺めていた。こんなカードを平日の夜に見るのはサッカー好きの暇人だけだから、中継も解説も、どうせ誰も見ちゃいねえべとばかり、好き勝手に話しているのが面白かった。
「あなたが監督だったらどうします?」「うーん、そうですねえ」と、もはや中継の体をなしておらず、サッカー好きがそのへんでやっている素人サッカーの大会をたまたま眺めて楽しく感想を言い合っている、そんな雰囲気がなかなかよかった。
戦術や言葉の解説などもまったくなく、言いたいことを言うだけである。
なんだかいつもの雰囲気に戻った感じがして落ち着くなーと思ってよく考えたら、要するにこれはDAZNの中継と同じスタイルだ。サッカーファンがサッカーファンのために放送する、タコツボコンテンツである。
サッカーというのは陸上競技ほどではないが、スポーツの中でかなりルールのシンプルな競技だと思う。面倒なのってオフサイドぐらいじゃん。
オフサイドは確かにとっつきにくいが、要するに審判がダメといったらダメと割り切ってみれば、さして面倒なことはない。
オレなんかオフサイドよりも、スケートの3回転とか4回転とかアクセルとかルッツとか、そっちのほうがよっぽど見分けが付かなくて難しく感じる。
そんなにもシンプルなルールだから世界中に広がったのがサッカーだと思うが、一方で「わからない言葉が多い」と感じている層もかなりいるとのことだ。それがもしかしたらとっつきにくさにつながり、あるいはライト層とコア層の分断を生み出し、ニワカに対してマニアがマウントするという酷い事態を引き起こしているのかもしれない。
先日は、天皇杯だったかルヴァンだったかJリーグだったか、とにかく国内のビッグゲームの中継がNHKであって、難しい言葉を徹底的にわかりやすくひもときながら中継するという試みがあった。
例えば「ダイアゴナル」という言葉を取り出して、「今のがダイアゴナルですね」「そうです、こうして斜めに走っていって」「あっ、ボールを奪われました」「ダイアゴナルに走るから相手はついていけなくて」「あっ、またダイアゴナルですよ」てな具合。10分間、他のブレーは関係なく、ひたすらダイアゴナルなプレーの解説が行われたのである。
あるいは「デュエル」も取り上げられていて、「よし、では次はデュエルを見ましょう」「デュエルですねー」「デュエルと言えば遠藤選手ですね−」「いやあ、ウチのヨメのデュエルもなかなかで、いつも押され負けてますわ、私、あっはっは」と徹底的にデュエルだけ解説するのである。
なかなか涙ぐましい試みだなあと思った。
そういや今回のワールドカップでも、何かの試合でアナウンサーが「キーパーチャージです」と口走ってしまって、ネットで総突っ込みされていた。今やキーパーチャージというルールはなく、センタリング、ロスタイムと同様に死語となっているからだ。
シンプルなところではラインとレーンの違いも、知らない人にとってはとっつきにくいだろう。だいたい縦と横のそんな線が何に関係するのだということになるのも当たり前の疑問だ。
スリーバックとフォーバックもそうだろうし、人数の少ないスリーバックのほうがどうして守備的なんだという疑問も当然のことである。
日韓ワールドカップの頃、トルシエ監督のフラットスリーという言葉が一人歩きして、飲み会で女子が「スリーバックって何?」と口を開こうものならいきなり男が3人も取り囲んでそれぞれが好き勝手に自分の解釈でフラットスリーを語るというギャグマンガがあった。
サッカー用語は面倒だ、鬱陶しいと思われるのも仕方ないだろう。
もちろん紀平梨花ちゃんが3回転したか4回転したかがわかればスケートを見る楽しみも倍増するように、サッカーのややこしい言葉もわかってくれば、観戦の醍醐味も深まることは間違いない。
だからといって別に無理して理解せず、見ていればそのうち自然にわかるようになるに違いないというのが、当たり前すぎる結論である。
それにしても今回のワールドカップの審判の厳格ぶりは、行き過ぎな感じがしてならない。ロスタイムの長さだって、極悪レフェリーの阿部四郎のスリーカウント並みに状況を見ながら適当にやって欲しいのだ。そうした人間くささが面白いのだがなあ。
このままでいくと、ボールロストで試合が止まった時間(アウトオブプレー)を専任で計測するタイムキーパー制度が導入され、必要なアディショナルタイムが細かく蓄積されていく様子が表示されるようになるのは間違いない。それはなんだかちょっと味気ないような気がする。
今大会のロボットオフサイドでも相当に味気ないと感じているほどだから。
もともとサッカーはかなり保守的なスポーツと言われる。きっとサッカー好きも保守的な生き物なのだろう。
JリーグのVARでさえ試合の流れが止まって興が削がれると言われている。そんなゲームに慣れた目で見ると、テクノロジーの縛りもなく人間同士がぶつかり合う草サッカーのいい加減さが妙に楽しく思えてくる。きっと時々J3のゲームを見るととても自由で楽しく思えるのも、そのためだろう。
そんな試合を見ながら「オレが監督ならスリーバックにするぞ」とか好き勝手なことを言い合うのも、醍醐味の一つなのだ。
って、今日もまたサッカーネタになってしまった。
2022.11.27
社会人になって40余年。多くの企業や事業の興亡を見てきた。
多かったのは、成功は失敗の元というケースである。人は過去の成功体験に酔って次も絶対に成功すると根拠もなく信じ込み、そして失敗するというやつだ。
創業して上場させたのだから、次の上場も簡単さ、オレなら。そう考えるベンチャーのなんと多かったことか。
コスタリカ戦の失敗も、同じことだろう。ドイツに勝ったんだから、次も前半は死んだふりをすれば勝てる。だってオレたちはドイツに勝ったんだから。
これではサウジアラビアのことを、浮かれすぎていたなんて笑っていられない。オレたちのほうがよっぽど浮かれすぎていた。
テレビの解説陣の勝敗予想が軒並み3-0や3-1。地力では明らかに優位。コスタリカは弱い。
などと始まる前からフラグ立てまくりだったものなあ。
その中で唯一目を引いたのが「アルビレックス対ジェフの試合のようだ」という書き込みだ。前半途中にネットに書き込まれたコメントのようだ。
こ、これは鋭い。圧倒的にボールを保持し、ゲームを支配しているように見えて、その実、相手のゲームプラン通りにはめられていて、後半30分を過ぎてからギアを上げた相手に唯一のチャンスを決められるというパターンである。
アルビレックスの場合、今年3月30日のジェフ千葉戦がそうだった。結局93分に鈴木大輔にヘッドを決められて負けてしまった試合である。
この書き込みは実に的確に今日のゲームの行く末を予言していたわけだ。
それにしても書き込みといえば、ABEMAの中継のコメント機能は面白いなあ。1人で見ていても仲間とワイワイやりながら楽しんでいる気分になれる。接続者数も表示されて、今日はなんと1600万人も同時に視聴していた。意地でもサーバを落とすもんかとABEMAが鬼補強したおかげで、なんとか落ちずに中継は終わったようだ。
もっとも遅延はネットの宿命。30秒ほどABEMAの映像は遅れていて、テレ朝のライブでは選手の整列が終わっていたのに、ABEMAではこれから選手入場というところで、ちょっと笑ってしまった。
ゲームに話を戻すと、前半終了間際、何かにぶち切れている鎌田の姿が大映しになったことが印象に残った。審判にクレームをつける状況ではない。オレには、ベンチに向かって何やら怒鳴っているように見えた。目を三角にして。
どうやらこれは右サイドバックの山根に向かって怒鳴っていたらしい。「もっと押し上げてこい」と。
そう聞くと、アトランタオリンピックの際、第二戦のナイジェリア戦のハーフタイムで中田英寿がディフェンス陣に「もっと押し上げてくれないと攻撃の形が作れない」と文句をつけたことと重なる。
あのときは、マイペースすぎてチームから浮いていた中田に対して「まーた始まった」という空気が漂ったそうだ。監督の西野も「なんでそういうことを言うんだ、みんな頑張ってるじゃないか」と中田を全員の前で責めて、それを受けた中田が「こりゃダメだ」と呆れたとかどうとか。
そんなことを思い起こさせる鎌田の怒鳴り方だった。
もっともその鎌田だってこのシリーズの出来は酷い。ちっともチャンスをつくれてないし、体調が悪いのではないかとさえ思えてくるほどなんだが。
ただサイドバックがダメだったのは確かにその通りで、オレは後半から入った伊藤洋輝が敗因の一つだとさえ考えている。
スタミナおじさんの長友が、例によって上下運動しかできない古いサイドバックの仕事しかできなかったので、これはとっとと代えてしまえと思ったわけだが、出てきたのが伊藤洋輝。これは悪くないぞ。J2の磐田時代、大型ボランチとしてデビューした伊藤洋輝には、アルビレックスもさんざんやられたし。
ところがこの伊藤洋輝が大ハズレ。三笘にまったくパスを出せず、バックパスマシーンと化してしまった。ボールを受ける前からバックパスする気満々なのである。
戦術的に三笘にはパスを出せない状況だったという指摘も目に付くけれど、オレには単にびびって三笘にパスを通せなかっただけのように見えた。おかげで日本の最大の武器の三笘はボールをもらえず、呆然と立っているだけ。これが鎌田だったら今度は伊藤にぶち切れているところだったろう。三笘は日本の異次元。
もう一人、敗因となったのがキーパーの権田だ。なぜ権田は、あのゆるーいシュートに対して、ステップを間違えてしまったのか。そのために反応が遅れた。さらに、なぜ両手でキャッチに行こうとしたのか。十分に右手で弾くことができただろうに。この失点は明らかに権田のミスだ。
“権田の18秒”とドイツ戦でのスーパープレーを称えられたことで、オレなら簡単にキャッチできるぜと過信してしまったのか。しまったのだろう。過去の成功は次の失敗の原因。いつもの清水エスパルスの権田に戻ってしまった。
要するに伊藤洋輝も権田も、結局はJ2なのである。日本のJ2こそ世界最強リーグだぜといばったくせに、すぐに手のひら返しするオレもオレだが。わははは。
トップの上田綺世もどうかと思うぐらい酷かった。何もできなくて、浅野への交替が懲罰交替に見えたほど、酷かった。
もっともそこは浅野ではなくて大迫だろうというのが衆目の一致。これだけ引いた相手に何の起点も作れなかった上田に対し、大迫ならしっかり収めて堂安や鎌田につなげられるはずだ。
おい、森保、早く大迫を出せ。すいません、連れてくるのを忘れてました、大迫さん。ズコーっ。
と日本中がずっこけた瞬間だった。
こうしてドイツ戦以来大騒ぎに浮かれていた日本のメディアに冷水を浴びせて、日本は負けた。テレビ朝日なんて翌朝にこのゲームを再放送するという編成の大失態。きっと大勝して大騒ぎできると思っていたんだろうなあ。
もし勝ってたら一抜けが決まっていて、確かに大きく盛り上がり、同じコンテンツで再び視聴率がっぽりという一粒で二度美味しい作戦が成功していたに違いない。残念でした。
サッカーには必ず勝てる試合なんてないんだよ。コスタリカのように弱者の戦術に徹し、前半は0-0、75分を過ぎたら一気に前に出てワンチャンスに賭けるという戦術をとったチームがこうして勝つことは十分あるんだよ。ワールドカップは日本のためにあるんじゃないんだよ。
要はドイツ戦の大博打に勝った森保が、コスタリカの仕掛けた大博打に負けてしまった試合だったわけだ。昨日の博打に勝ったから今日も博打に勝てると根拠もなく思い込んだほうが負けるのは当たり前だ。
次のドイツ−スペインが引き分けるという想定外の結果になったことで、日本はコスタリカに勝っておけば予選の一ヌケが決まっていたから、とことん罪な博打だった。
せめて引き分けになっていれば、最終戦のスペイン戦は引き分けでも日本とスペインが決勝に行けるという状況になっただろう。
となるとアレが見られた可能性がある。談合である。
両チームとも引き分けでいいのだから、ここは互いに攻めずに、穏やかにゲームを終わらせるという選択肢がある。ただ多くの場合、それは80分を過ぎてからの話だ。
ところがあろうことかスペインが開始早々、日本に談合を持ちかけるように、自陣でのパス回しを始めてしまった。びびる日本。お、おい、この誘いに乗っていいのだろうか。どうするんだ、ベンチ。どうするんだ、監督。
疑心暗鬼ながら自陣でのパス回しが続く試合展開となったのだが、後半からターンオーバーで入ってきたスペインの控えが、ここで結果を出してやるとばかりにいきなり猛チャージ。さらにびびって焦りまくる日本が、目を三角にして守備に追われ、それを指さして笑うベンチのスペイン人たち。
そんな素晴らしいスペクタクルが見られるはずだったのに、とことん残念である。罪深いのは伊藤と権田だ。こんな歴史的談合の機会を潰しやがって。
日曜の午後7時からというこれ以上なく素晴らしい時間帯にこれ以上ない醜態をさらした日本代表。過去の成功体験は未来の失敗につながるという貴重な教訓を、これからの日本を背負うちびっ子たちに教えてくれた。いや、そんなことはバブルからの失われた30年で既に証明されているか。
それを思えばいかにも日本らしいやらかしだった。
9時にゲームが終わって、我が家は早々にTVerに切り替えて「イッテQ!」を見る。どうせ今夜は裏番組なんて誰も見てないだろうとばかり、「イッテQ!」はアワードという名の総集編だ。
おなじみのオープニングが流れた途端カタールでの狂騒の空気は消えて、たちまち我が家のリビングにはいつもの日曜の夜の平穏が戻ってくる。
どうせ誰も見てないから「イッテQ!」では、トルティーヤで殴り合って口に含んだ牛乳を噴き出したほうが負けというゲームを初っぱなにもってきた。おいおい、食材をおもちゃにする、殴り合いという身体的苦痛を笑いものにするという点で、今のテレビでは完全にアウトだろう。
いやいや、どうせ誰も見てませんから、てへっ。そんな声が聞こえてきそうな「イッテQ!」であった。
何度も言うように代表のゲームはエンターテイメントだから、負けてもこうして楽しめればそれでいい。負けるなら負けるで、日本中を巻き込んだ派手な負け方でいいのだ。
だからオレたちも別にキレてないし、あはは、負けちゃったよ、バカだねーで済ませられる。
だがこれがアルビレックスだったらそうはいかない。負けは許さないぞ。何か何でも勝たねばならぬのだ。
なぜなら日本代表はエンターテイメントだが、アルビレックスはインフラだからだ。
電気、水道、ガス、アルビ。
蛇口をひねっても水が流れてこなかったら激怒するように、アルビレックスが勝たないとオレたちは激怒するのだ。
その点でも今日の代表の負けよりも、ベルギーに渡った本間至恩がついにトップチームで先発してしかも得点を決めてみせたというニュースのほうに価値がある。
間違いない。
2022.11.26
やっぱりこれは浮かれ過ぎちゃったんだろうなあ。サウジアラビアは。
アルゼンチンに歴史的勝利で、翌日は国民の祝日にしちゃったというあたりまでは、まあまあわかる。
だが選手全員にロールスロイスをご褒美にというのは(サウジ広報は、決まっていないと否定していたが)、やり過ぎだ。開幕の1試合に勝っただけではしゃぎすぎである。神様も、いい加減にしろと怒ったのだろう。
ポーランドにあっさり0-2で負けてしまって、このあたりは国民性かもしれないが、スタジアムにはなんとも言えないしらけた空気が流れていた。
アルゼンチンに勝ってしまって自分たちは地球上で最も偉大なチームと勘違いし、ワールドカップはもう終わりだと思ってしまったに違いない。
一方で嬉しかったのは、オーストラリアである。アルビレックス新潟所属のデンは出番がなかったが、トップに岡山のミシェル・デュークを発見。このデュークが見事にゴールを決めてチームを勝利に導いた。
シーズン中のデュークはとてもにくらしい存在だった。強くて上手いのだが、汚いので、とことん憎まれ役である。岡山のゲームを見るたびに、負けてしまえと思っていた。
そんなデュークがワールドカップに出ている姿を見ると、なんだか嬉しくなってしまうのは不思議である。おお、頑張れデューク。チュニジアなんてぶっ飛ばせ。
その通りにデュークがゴールを決めてチュニジアを吹っ飛ばしたのだから、大変に気分がよかった。
権田が勝ってデュークが勝った。おお、これは日本のJ2が世界で最も優れたリーグということの証明ではないか。Jリーグファンのオレは、鼻息も荒く、ふんぞり返るのである。
その姿はサウジアラビアそのまんま。J2こそ世界一という偉そうな自尊心は、きっとたちまちへし折られてしまうだろう。
そんなことはともかく、今日は土曜日だというのに仕事があって、阿佐ヶ谷までいった。阿佐ヶ谷は杉並区の閑静な住宅街である。
仕事を終え、帰りはバスにする。石神井公園までバスで一本なのだ。
東京の西部は横方向(東西)の電車網は発達しているのだが、縦方向(南北)に電車が走っていない。そこを補うように充実しているのがバス路線で、まあ、たいていのところにはバスで行けるようになっている。だから阿佐ヶ谷からの帰りもオレはバスだった。
バス停は中杉通りという片側2車線のちょっと広い幹線道路に面している。銀杏並木の美しい、いい道路だ。そのバス停でオレは石神井公園行きのバスをボケッと待っていた。
するとこの広いバス道路を、おばあちゃんが突然渡りだした。信号のある歩道へと迂回せず、キャリーをごろごろと引きながら、よぼよぼと渡り始めたのだ。
その歩みは非常に遅く、10メートルほど離れた場所でそれを見ていたオレは、あぶねえなあ、おばあちゃん、とハラハラする。案の定、一時的に途切れていた車の流れが徐々に戻ってきたというのにおばあちゃんはまだセンターラインにも届かず、バイクなどが急ブレーキをかけて停止するも、相変わらずの悠然とした歩きである。
と、突然、道を歩いていた姉ちゃんが飛び出して、おばあちゃんからキャリーをもぎ取り、手を引いて歩き出した。
身内かと思ったらそうではなくて、単なる通行人のようだった。おかげでおばあちゃんは無事にバス通りを渡り終えて、事なきを得たのである。
要するにオレは人助けもせずにそういう場面をただボケッと眺めていただけであって、どうしてオレは手を引いてあげようと思わなかったのだろうと、激しく自分を責めたのであった。まるで道徳の教科書だな、こりゃ。
もっとも下手に手を引いてあげて転んじゃったりしたら大ごとだし、それで最悪交通事故を引き起こしでもしたら、取り返しが付かなくなる。余計なことをしない方がいいというのも現代社会に生きる術であることは間違いない。だからオレがボケッと何もしなかったのは決して責められることではないのだが、いやだがそこはしかし。
などと考える間もなく石神井公園行きのバスがやって来て、乗り込んだらやたらと混んでいて、しかもオレはトイレに行きたかったんだということを思い出して、中杉通り老婆横断危機一髪事件のことなどはすぐに忘れてしまい、そして夜にはデュークのゴールに歓声を上げたという次第。あれはオーストラリア代表ではなくて岡山代表のチームだな。
2022.11.25
いやいや、今日も朝からドイツで勝った日本すげえの一色で、どんだけ同じネタで尺を稼ぎたいんだ、テレビは。いやまあ、いいんだけど。
ニワカが増えるのは裾野の拡大につながるから大歓迎だ。コアファンがニワカを小馬鹿にするのは見苦しいし、精神的に貧しいと思うので、よろしいことではない。
ただワイドショーあたりがあおり立てるのは、特に浅野の実家がパン屋だとかいう家族ネタをぶち込んでくるのは、どうしたものか。
そういや高校サッカーは全国の予選が終わって代表校が決まり、冬休みに全国大会が開かれる。
この地方予選の中継から、もう家族ネタと応援席ネタのオンパレード。試合の流れそっちのけで、選手のお母さんは朝早くから弁当を作って息子を学校へ送り届け、スタンドでは自分もかつてはサッカーをやっていたお父さんが応援に駆けつけて声援を送り、紅一点の女子マネージャーはユニフォームの洗濯に青春を燃やすのであった。
そういうことを、試合の流れに関係なく10分に1回くらいぶちこんでくるから、すげえ迷惑する。ゲームを見せろ。
マスコミがすぐにそういう家族ネタに走ってしまうのは一体どういうことなのだろう。ゲームの紹介だけではもたないと思っているのだろうか。いや、高校生の場合は教育の一環としての部活という位置づけだから、我が子の成長を温かく見守る家族というこじつけもわからくはないか。
だからといって、ドイツ戦の決勝ゴールと浅野の実家がパン屋だというのはまったく関係ない気がする。
それはともかく。
今日はイラン対ウエールズが死闘だった。
イングランドにボロ負けしたイランが、このままじゃ終われないと必死になって走り回る。そして後半40分にウエールズのキーパーが一発レッドで退場。これでゲームは大きく動き、なんと後半ロスタイムにイランが立て続けに2点を叩き込んで初勝利だ。
ものすごい熱気の試合だった。
ロスタイムに2点なんてAマッチでなかなかあることではない。
サウジと日本が大金星を上げ、韓国も善戦し、それに刺激されたか、イランも負けていられないとなったのだろう。同じアジア勢として嬉しい限りである。
なにしろカタールのしょぼい負け、イランのボロ負けを受けて、やっぱりワールドカップにアジアはいらないという空気ができつつあった中でのサウジと日本だ。イランとしても思うところは多々あったに違いない。この勢いで何とか複数チームが決勝トーナメントに出場したいものだ。
などと考えながら年賀状の準備をする。
年々、年賀状の数が減ってきた。出すのももらうのも減り続けている。もはや年末年始の挨拶なんてLINEで十分という時代だもんね。
まして今年の我が家は喪中だ。喪中ハガキを出し終えた今、これをきっかけにもう年賀状もやめてもいいかなと思っていたところだ。
そう思って今年の正月にもらった年賀状を広げていたら、やっぱりあの人やこの人には年に一度の近況を伝えたいし、知らせて欲しいと思った。自分でも意外なことである。年に一度しか仕事で一緒にならないのに、それが数年続いているという人も少なくない。そういう仕事仲間と互いの状況を報告し合うことも大切かと考える。
そんなわけで、枚数こそ少ないがやっぱり今年も年賀状を出すことにした。
面倒だけれど、正月にもらったらそれはそれで嬉しいのが年賀状。デザインは例によってテンプレートの中から最もインクの消費の少なそうなものを選び、あとは印刷して住所を手書きするだけである。って、その宛名書きが一番面倒なんだが。
かつて年賀状は人の信用を図るバロメーターなんていわれ、借金を申し込む際は年賀状の多寡によって融資額が決まるなんて時代もあったっけ。懐かしい話だ。
2022.11.24
1980年代は「日本の製品は世界一」と胸を張っていたのに、1990年代には「同じ値段なら品質は日本が世界一」とちょっと怪しくなり、2000年代になると「小型化技術や安全性能なら日本が世界一」とだいぶ控えめになり、2010年代前半には「製品に使用の部品は日本のものが多い」と相当しょぼくなって、ついに2010年代後半には「あの製品や技術は日本が発祥」とまで自信をなくし、そして2020年代には「日本には四季があり水道水が飲める」というところに落ち着いた。
今ではそれが「日本には四季があり、水道水が飲めて、試合後のロッカールームがきれいだ」となっている。
ドイツ戦終了後の日本のロッカールームがきれいに清掃されていたことに世界が驚いたという、いつもの話だ。そんな世界の人々に、ハロウィンの後の渋谷を見せたらどう言うのだろう。
と例によっておちょくるわけだが、それはオレの芸風。本音のところでは、大変に素晴らしいことだと思っている。
なにしろオレたち日本人は、来たときよりもきれいに片づけて帰りましょうねと、幼稚園の頃からしつけられて育っているのだ。出張でビジネスホテルに泊まったときも、帰るときにはなんとなくベッドの上をきれいにし、ゴミを捨て、部屋を片づけてからドアを出る。
飲み残しの缶チューハイとかペットボトルのお茶とかも、ちゃんと中身を洗面所で捨てて、そして片隅に並べてから帰っている。
そういうふうに暮らしているから、ロッカールームを片づけるのは当たり前のことだ。
スタジアムでのゴミ拾いも、パフォーマンス的な意味合いも多分にあることはあるのだろうが、お花見でも遠足でも、ゴミは持ち帰るのが当たり前と思っているから、特別なこととは思わない。
サッカーに限らず、野球でも陸上競技でもグラウンドに一礼することを部活動でしつけられてきたことと通じるものを感じる。
そんな具合に今日は朝から日本がドイツに勝ったというニュースで大騒ぎである。ワイドショーも大騒ぎで、浅野の実家のパン屋が兄弟だらけの子だくさんみたいな話題で盛り上がっている。知らんがな。
笑ったのはコメンテーターのおじさんたちが軒並み「次が大切です。ドイツに勝ったからと浮かれてないで、切り替えましょうキリッ」と力こぶだったことだ。
そ、そんなこと、百も承知に決まってますがな。素人のおじさんに言われなくても。
こういう騒ぎはサッカーに限らず、オリンピックにせよ、ノーベル賞にせよ、いつものことだから存分に楽しんでくれればいい。水を差すつもりはないぞ。
コメンテーターのおじさん以上に笑わせてくれたのが、あのサッカーライターの金子達仁だ。なんと今回の結果について「日露戦争勝利以来の衝撃を世界に与えた」と書いている。んなわけがあるか、アホ笑。自意識過剰すぎるのは文体だけにしておけ。ワイドショーがはしゃぐのはほほえましいが、サッカーでメシを食ってきたサッカーライターのこれは相当恥ずかしい。日露戦争以来って。
それはともかく。
次のコスタリカ戦の裏ではスペイン対ドイツが行われる。予選リーグ屈指の好カードだ。実はこの試合でドイツがスペインに勝ってしまうと、途端に日本は不利になってしまうのである。たとえコスタリカに勝ったとしても。
なぜならドイツがスペインに勝ち、日本がコスタリカに勝つと、3チームが2勝1敗で並ぶ可能性が高くなり、得失点差の争いにもつれ込むからだ。
日本がドイツに勝った裏でスペインはコスタリカを7-0で下している。5点差以上のことをサポーター界では夢スコアと呼んでおり、これぞ夢スコアだ。
もしドイツがスペインに勝つと、日本もスペインもコスタリカ戦での夢スコアがマストになる。そしてどう考えても日本の攻撃陣がコスタリカに夢スコアできるはずがないという現実がある。
ということは、2勝1敗なのに予選敗退という可能性も十分に考えられるわけだ。夢スコアができなくて悪夢になっちゃった、とか。実際アトランタではブラジルに勝って2勝1敗だったのに得失点差でグループリーグを敗退した過去がある。今回が同じ道を歩まないという保証はない。
つまり次のゲームで本当に声援を送るべき相手はスペインなのだ。勝て勝てスペイン! ドイツなんてやっつけちゃえ。
まあ、地力を見るにスペインの優位性は揺るがないとは思うが、サッカーでは何が起きるかわからないことを証明してみせたのは日本代表自身だったし、追い詰められ、国民に叱り飛ばされたドイツが、涙目になって窮鼠と化してスペイン猫を噛むことは十分に予想できる。これは恐ろしい。
万が一、得失点差の争いにもつれ込みそうな流れになると、日本は最終戦でのスペイン戦の勝利が絶対の条件になる。要するに予選リーグ3連勝。んなアホな。不可能に決まっている。
もっともそれはそれでしびれる展開だから、正直、ちょっと見てみたいという気持ちもある。なぜなら代表は国民のおもちゃ。勝つときも負けるときも派手なほうが盛り上がるではないか。前回のロストフが今もオレたちの心を熱くさせてくれるのは、あまりにも見事な散り方だったからである。さかのぼればドーハの悲劇が今も語り草なのは、サムライの国らしい美しい最期だったからである。
ドイツ戦に勝って世界を驚かせた日本が、スペインに力でねじ伏せられ、2勝1敗でありながら予選リーグで敗退したという物語はなかなかの悲劇ではないか。
そういうものを見てみたいという誘惑がオレの中にあることを否定しない。代表はおもちゃなんだ。負けるなら派手に負けたほうが盛り上がる。
2022.11.23
サウジアラビアがどれだけ凄いことを成し遂げたか、サッカーを知らない人に向けてどうやったらわかりやすく伝えられるかというスレッドがあった。
「たけし軍団が野球で阪神タイガースに勝ったようなもの」「のび太がジャイアンに勝ったようなもの」など、いろんな答えが出ていた。
触発されてオレも考えてみる。FIFAランキングをJリーグの順位に置き換えてみたらどうなるだろう。
するとサウジアラビアはJ3の福島ユナイテッドで、アルゼンチンはJ1で3位のサンフレッチェ広島に当たることがわかった。ということは、サウジがアルゼンチンに勝ったというのは、福島ユナイテッドが広島を破ったようなものなのか?
これは、すごい。金星どころではない。あまりにも衝撃的すぎるではないか。
この例えはとてもよいのではないか。そう気づいたオレは、息子に順位表を見せて調べさせてみた。
すると日本対ドイツはモンテディオ山形対サガン鳥栖だとわかった。ふむ。山形対鳥栖か。これはあれだな、山形が勝てるな。いくらJ1とはいえ、鳥栖なんざちっとも怖くないわ。山形の勝利である。
では日本対スペインはどうだ。これはモンテディオ山形対柏レイソルとわかった。ほほう、そうか。これも勝てるな。柏なんぞ、一応J1にいるが、ネルシーニョ監督はじいさんでえこひいきばっかりするし、全然強くない。山形の勝利である。
となると問題は日本対コスタリカである。これは山形対水戸ということがわかった。げ、J2同士の戦いじゃん。これは厳しい。水戸は難敵。山形は苦戦し、負けるかもしれない。
というわけでモンテディオ山形の2勝1敗ということになり、日本もこれで決勝トーナメントに進めることがはっきりしたのである。
だから今日のドイツ戦も、安心してゲームを観られた。だって相手は鳥栖でしょ。たいした敵じゃない。
だがしかし、前半のあまりの出来の酷さは逆に衝撃だった。ドイツにいいように蹂躙されているではないか。あえて言えば、こんな恥ずかしい姿を世界にさらすなんてと、前半だけで酔い潰れて寝ようかと思ったほどだった。
初っぱなの前田大然のアレも、猿でもわかるオフサイド。前田に期待したほうが間違っていたと言われればそれまでだが、あれこそ前田だ。大然というより天然。なんだ、あのオフサイドは。
というわけで結局、権田のケツキックからのPKで、日本のワールドカップは終わりました、お母さん、お疲れ様でしたと、ヨメに宣言したオレであった。
だから後半には心底驚いた。世界が驚愕した。
口火を切ったのは、三笘をウィングバックで入れるという謎の起用である。この奇策にテレビの前のオレたちは、三笘に何をやらすんじゃと戸惑ったが、もっと混乱したのがドイツだったろう。いや、当の三笘が一番頭をひねったかもしれない。オレは三笘じゃなかったっけ。
そして三笘に続いて浅野、堂安、南野と攻撃の選手がどんどん注入される。これは玉砕覚悟の神風アタックなのか。万歳しながら突っ込んでいくのか。
だがそのとき、息子が叫んだ。「ミシャ式だ!」と。おお、そうか、そうだったのか!
説明しよう。ミシャ式とは、広島と浦和で指揮を執り、現在は札幌で監督を務めるペトロヴィッチ監督が得意とする極めて特徴的な戦術である。世界でも類を見ないほど、ユニークなものだ。
何がユニークかというと、簡単にいえば攻撃時には思い切り人手をかけて5トップのような形になることだ。超攻撃的な布陣なのである。そのかわり中盤はすっかすか。全員がわーっとボールを追いかけてなだれ込む幼稚園児のサッカーのように見えなくもない。百姓一揆かも。
なるほど、こうなると三笘がウィングバックに投入されたのも、ミシャ式のためだったか。納得である。
こうして秘策・ミシャ式によって5人が前線で暴れ回るという超攻撃的戦術に切り替えたことで日本は一気に生き返る。恥ずかしい姿を世界にさらしたのは、もしかして油断させるための死んだふりだったのではないかとさえ、思えてくる。
こんなにも魅力的な戦術であるミシャ式がなぜ世界でも類を見ないほどユニークであるとされるのかというと、そして結局はこの戦術が理由で浦和をクビになってしまったのはなぜかというと、攻撃に手数をかけて中盤がすっかすかのため、負けるときはド派手に負けてしまうからである。要するに優勝はできない戦術なのだ。
その意味で神風アタックの一種であることは間違いない。
ただし非常に魅力的なサッカーであることも間違いない。
ペトロヴィッチ監督がミシャ式を導入したサンフレッチェ広島で、コーチを務めていたのが森保である。
極東のJリーグで偏愛されているこのミシャ式を、ペトロヴィッチとともに完成させた森保が、ドイツ戦というここ一番で大ばくちのために使ったことに、オレたちJリーグファンは胸を熱くさせ.る。
まさに伝家の宝刀。一世一代の大ばくち。日本でしか観られないミシャ式が世界を驚かせたことで、オレたちは「やったぜ、ペトロヴィッチ。ありがとう、ペトロヴィッチ」と天を仰いだのである。ってまだペトロヴィッチは札幌で元気でやっているが。
とにかくこのミシャ式で息を吹き返した日本は、堂安の同点弾、浅野の逆転弾と、途中出場した攻撃的な選手によって試合をひっくり返してみせた。堂安の同点弾のきっかけとなったのは、三笘のヌルヌルドリブル。オレはこれが見たかったのだ。三笘のドリブルが相手を混乱させ、崩し、そして堂安のシュートに結びついた。まさにミシャ式の真骨頂である。
それにしても浅野には驚いた。完璧なトラップに完璧なシュート。角度のないところから、あのノイアーのニアをぶち抜いたのだから、信じられないものを見せられた気分だった。浅野って、こんなことができたっけ。たまげたわ。この一発で浅野はサッカー市場で食って行くには困らないだろう。
いつだったかアルビレックス新潟のゲームで、左右のポジションこそ違えど、小見がまったく角度のないところからゴールを決めてみせた。浅野のシュートはあれと似たような角度だ。小見もきっといつかは代表で活躍する日が来るだろう。わかんないけど。
というわけで、ともかく日本はまさかの大逆転、大金星。世界は驚いただろうが、オレたちも驚いた。
驚かなかったのは後半の3バックを鼻で笑って、森保をコケにしていた城彰二ぐらいであろう。ネット番組の中継中、鼻で笑ったその戦術で浅野が逆転弾を決めたとき、城は腕組みしたままむすっとしていたらしい。わははは、いいからダイエットせえよ、城は。
文句なしに素晴らしいゲームで、代表史上、1、2を争うものだった。感動としてはジョホールバルにゆずるが、クォリティという点では文句なしである。
ただ懸念材料はある。富安の体調はまったくよろしくなく次は出られないだろうし、酒井もたぶん無理だろう。なによりもサイコパス権田が不安だ。今回はたまたま18秒で4回のスーパーセーブと神が降りてきたが、毎度そうもいかないだろう。
権田が活躍するほど、この代表キーパーと得点王がいてJ2に降格したチームと清水が世界中で笑われ、清水サポは権田に対して「どうしていつもそういうプレイをしないのだ」と怒っている。
なぜ東口にしなかったんだろうなあ。現在の日本で文句なしにトップキーパーなのに。
こうした懸念材料を抱えつつ、あと2つ闘わなくてはならない。
次のコスタリカに勝てば決勝トーナメントも確実だろうが、負けてしまっては何にもならない。それどころか引き分けであっても、最終戦のスペインにボコられたら決勝トーナメントには出場できない。これも十分にあり得る結果だ。
なんせアトランタオリンピックで日本は、ブラジルとハンガリーに勝ちながら決勝トーナメントには進めなかったのだから。
あのときも初戦のブラジルに勝って世界を驚かせたが、次のナイジェリアにあっさり負けてしまった。あれと同じにならなければいいのだがと、オレは懸念するのである。
とにかくスペインには虐殺されることを前提に、次のコスタリカで何とか勝利しなくてはならないだろう。
もっとも山形が鳥栖に勝ったと思えば、結果は予想通り。難敵の水戸に引き分けて、その後の柏にも勝てるのではないか。そう思えば心も休まる。どうだろう、このたとえは。もしかしてオレは天才なんじゃないかと思ったね。誰か代表に、安心してスペイン戦に臨めと伝えてくれ。
ゲームが終わったのが午前0時。すでにオレは眠い。息子は明日から大学の試験が始まる。
0時45分までテレビの延長を観て、オレは布団に入り、息子はiPadを片手に試験勉強に向かったのだった。
2022.11.22
アラブ世界では偶像崇拝はありえないから、神の子・メッシなんて許される存在ではないのだ。だからこれは聖戦、ジハード。そんな大正義の戦いに見事勝利したのだから、熱狂も当然なのだ。
いやあ、感動したなあ。早くも今大会のベストゲーム確定と言われるのも納得のゲームだった。おめでとう、サウジアラビア。
アルゼンチンと言えばパタゴニアであり、借金であり、タンゴである。アルゼンチンタンゴ。だからオレは密かなシンパシーを抱いていたのだが、このゲームでは完全にサウジの応援だ。それほど凄かった。
前半の早い時間にメッシのPKが決まって、誰もがこれは簡単なゲームになると思った。誰よりもアルゼンチンの選手がそう思ったに違いない。だからオフサイドテクノロジーによって取り消されたときも、まあ、どうせすぐに点を取るから、と思ったはずだ。
だが2度目の取り消しはさすがに衝撃だった。観ているオレたちも腰を抜かした。
なにしろ脇の下がオフサイドラインを出ているかどうかが判定されて、ゴールが取り消されたのだ。人間の審判では絶対にあり得ない判定だった。
ボールにはICチップが埋め込まれ、会場の12台のカメラが1秒間に50回もボールと人の位置をチェックしているのだそうだ。どんだけ凄まじいシステムなんだ。だから脇の下が出ていたかどうかなんてのもばっちり判定され、しかもリアルな三次元映像で再現されてしまう。これを見せられては、選手はぐうの音も出ないだろう。この「ぐう」というのは、どういう意味なんだろうな。
人間が見逃してもAIは見逃さない。こういう判定をロボット・オフサイドという。
もちろん賛否両論だ。オレはどちらかといえば否に近い。
サッカーというのは、人間の弱さとか汚さ、ずるさ、愚かさなどが如実に表れる、実に人間くさいスポーツだ。ロスタイムを何分にするかなんて、プロレスのスリーカウントそのものではないか。オレはそのいい加減さ、アバウトさを愛しており、そこがサッカーの人間くささの魅力なのだと思う。
ホームチームが負けていたら露骨にロスタイムを長く取り、勝っていたらすぐに切り上げてしまう。まさに極悪同盟を勝たせる阿部四郎レフェリーそのものではないか。そんないい加減さに油を注がれ、スタンドの怒りの炎はさらに赤々と燃え上がる。そこが面白いのだ。
ロボットレフェリーはそんな阿部四郎の存在を許さない。なんとも味気ないレフェリングだ。
最も問題なのは、この大会でロボットオフサイドの威力が認められたことで、FIFAがこれからはAIが判定の中心になると宣言することだろう。日本のJ2では、いまだにVARさえ導入されていない。カネと人手が足りないからだ。ましてやロボットなんて、J1でさえとても無理だろう。
とするとこれからはレフェリングにも格差が生まれ、トップリーグとその他のリーグの差はますます開くことになる。ヨーロッパ5大リーグにさらに選手とカネは集まり、それはサッカーの未来にとってあんまりいいことではないような気がする。
もっともメッシたちアルゼンチンの選手にとっては、そんな先のことはどうでもよい。
なにしろこのゲームで2点を取り消されたのだ。人間の審判だけの判定であったら、このゲームは前半で3-1となって、ごく普通の南米対アジアの試合の、どうというこのない結果に終わっただろう。当たり前のようにアルゼンチンが勝った、何の変哲もないゲームになったはずだ。
だがロボットオフサイドによって2点を消し去られたアルゼンチンの選手たちは、考え込んでしまう。これではオレたちのやり方が通用しないではないか。
そして会場もABEMAテレビを観ている我々も思う。あれれ、ということは今までのアルゼンチンのゴールも、かなりの割合がオフサイドだったということか、と。
結果、会場の空気が変わり、アルゼンチンの選手の動きもぎくしゃくしてくる。もう裏抜けはできないんじゃね? メッシのスルーパスにも反応できないんじゃね?
そしてこれに見事にはまったのが、サウジのハイラインだった。
ハーフライン近くできれいに保たれたラインは実に見事だった。そしてこのラインが70分、80分を過ぎても一糸乱れぬ統率ぶりで、裏抜けを恐れることのないディフェンス陣によって高く保たれ続けたのだ。そのラインは実に勇敢で美しく、これがこのゲームの2つめの衝撃だった。
終盤まで揺るがない、こんな見事なラインを、オレは見たことがねえよ。イランのライン。違う、サウジのラインだ。
これを見て「よーし、ついに時代がオレに落ち着いた」と腕をぶん回したのがジェフ千葉をクビになったエスナイデルだったとか。
それはともかく、焦りまくって目を三角にして怒涛の攻めを見せるサウジ相手に、キーパーが神のようなファインセーブを連発し、ディフェンスが体を張って守り続けて、サウジはアルゼンチンを破るというスーパー大金星、スーパージャイキリをやってのけたのである。見事だった。
代償は大きい。イエローカード6枚は多すぎるし、選手2人が負傷で退場した。キーパーの膝蹴りを食らった選手は脳震盪だから、たぶん予選の残り試合は出られないだろうし。
この惨状はグループリーグ突破が難しくなったことを示すし、おそらくサウジは決勝トーナメントには進めない。この状況でメキシコ、ポーランドと闘うのはキツすぎる。
だがそれでいいと思っているに違いない。ジハードなのだ。これで歴史に名を刻んだから、その誇りだけでも十分なのだろう。
息子が言う。「アトランタで日本がブラジルを破ったことは世界中が覚えているが、一方でグループリーグを敗退したことなんて誰も覚えてないだろう。この試合はそういう試合なんだ」と。
確かにその通りだと思うわ。サウジの選手とサポーターは、この歴史的ゲームを胸に刻むだけで、これからの自国のサッカーに誇りを持ち続けられるに違いない。
それでいいのだ。
それにしてもこういうゲームが地上波で観られないとは、まったく情けない。オレはABEMAで観た。ABEMAならアプリをダウンロードするだけで、タダで簡単に観られる。もはやテレビはネットにかなわない。
いや、資金があるかとか技術力がというのではなくて、日本代表だけが世界の全てであるかのように持ち上げて、こういうゲームのことはあっさりスルーする、そのセンスが既に終わっていると思うのだ。テレビこそオワコン。
先日のイングランドのゲームといい、今日のサウジアラビアのゲームといい、サッカーは面白いなあ。これぞサッカー、自炊図いや違う、ジス・イズ・フットボール。
とはいえ、アルビレックスから代表チームに選出されたトーマス・デンのオーストラリアのゲームは、28時からだという。と、とてもそんな時間に起きていられるわけがない。オレはあっさり眠りにつくのであった。
2022.11.21
なんせ「満員電車をゼロにするっ、キリッ」とマジで掲げた公約が、首都圏の電車を2階建てにするというものだったから、今回のタートルネックごときで呆れてはならないだろう。
とは思うものの、都民はみんなため息である。なんだ、このババアは。とうとうボケたか。
いったい誰の入れ知恵なのか、タートルネックで過ごせば節電になるというのは。この程度のことを、さも素晴らしい施策のように堂々と発表するのだから、オレたち都民はとことん不幸である。いや、わかってる。選んだのはオレたちだから、天に吐いた唾が落ちてきているだけなんだと。
もしかするとこのアホな発言は、例の新築住宅への太陽光発電義務づけ条例から目をくらませるための見せパンツなのではないか。あまりにもアホな発言ゆえ、どうもそんな気がしてきた。
あの太陽光発電の件は、相当にヤバい。最近の安価な太陽光パネルは全部中国製で、しかも劣悪だからどんどん産業廃棄物化して、環境を汚す原因になっているというではないか。そんなものを都内の住宅に義務づけようと企んでいるのだから、笑い事ではない。
なにしろ外国人起業家に1500万円をどーんと融資するとぶち上げて中国人を狂喜させた張本人である。税金から捻出したその巨額の補助金がまるごと中国に流れて、薄ら笑いを浮かべているのだから、太陽光発電も同じ狙いに違いない。
本当はタートルネック如きに目くらましされている場合ではないのだ、我々も。
いや、そもそもタートルネックって首筋が実に鬱陶しいではないか。オレは嫌いだ。あんなものは。着たくない。
都庁の職員は半ば強制的に着せられているらしく、しかもテレビカメラを職場に招き入れてまでその様子がニュースにさらされているのだから、まっこと同情する。誰か幹部が、ババアへのおべんちゃらと点数稼ぎでテレビカメラを入れたほうがよいとご注進したのだろうなあ。「知事、ここは一つ、メディアでも入れて中継させてはどうでしょう」「いいわね、それ。すぐに呼びなさい」「ははあっ」てな案配か。
困ったものだ。
などと頭を抱えつつ、オレはワールドカップのイングランド戦を観る。
全然盛り上がっていないのに、いざ大会が始まったらテレビでは一斉に便乗企画が流れたのには驚いた。やっぱりまだワールドカップでの日本代表はキラーコンテンツなのだろうか。
今夜のカードはイングランド対イランだ。強度の強いゲームになりそうだ。
そう思って見始めたのだけれど、イングランドの強さにびっくり。ヨーロッパの強国が本気になるとこんなにも強いのかよ。
1点目、鋭い縦パスから崩しての、ベリンガムのヘッドの上手さに仰天する。ベリンガムは確かに化け物だ。
2点目は、サカのダイレクトボレーにのけぞる。絶対に宇宙開発だと思ったのに、見事に決まってしまった。右サイドのサカはなかなか面白く、オレのお気に入りである。
そして3点目、出ましたスターリング。右サイドからのケインのクロスが素晴らしく、絶対に無理だというタイミングで矢のようなクロスを放った。それにドンピシャのピンポイントで合わせたスターリング。どちらにもオレは腰を抜かした。
この3点とも年に一度レベルのすごいゴールではないのか。そうではないのか。イングランドでは日常なのか。
どうやらオレたちはJ2を少し長く見すぎたらしい。いつの間にか、あの呑気で牧歌的なサッカーに慣れ親しんでしまったらしい。技術やフィジカルではなく、選手の愛嬌と根性、そして監督のキャラで楽しむサッカーに浸りすぎてしまったようだ。
前半でイングランドの3-0となって、試合は終了。あとは怪我をしないようにきれいに終わらせるだけだろう。
そこで後半はチャンネルを裏番組の「激レアさん」に合わせる。この番組、当たり外れが大きいが、基本的に好きなんだよ。
今日はちょっと楽しみにしていた。日韓ワールドカップの際の、あの中津江村の大騒動を振り返るという企画だからだ。今改めて見返しても、本当に面白かったんだな、あの騒動は。目立つことだけが目的でキャンプ候補地に手を上げたら本当に決まってしまい、まさに瓢箪から駒、棚からぼた餅、宝くじも買わなきゃ当たらない。
そこから始まったドタバタ劇は最高だった。クライマックスはやっぱり来日が遅れに遅れて、深夜3時にやっとカメルーン選手が村に入ったくだりだろう。
カメルーン選手団は国際的な儀礼に反するほどの大遅刻というので、大ブーイング覚悟。恐る恐るという表情での入村だ。それを迎える中津江村は、深夜3時だというのにおばあちゃんたちも起きて元気よく旗を振っている。サッカーなんかわからんが、外国人しかも黒人を見るのも初めてというので、とにかく「よく来たよく来た」とニコニコである。この対比が最高だ。
などという20年前の中津江村の騒動を懐かしく振り返りながら、サントリーの新しいビールを飲んだ。
「ビアホール」という新商品である。西友にもセブンイレブンにも売ってなくて新商品だから品切れなのかなと思ったら、なんと「スギに普通にあるよ」とヨメから連絡が来たので、スギ薬局で1本買ってきてもらう。
高い。700円以上もした。このサイズで700円では、コンビニの店頭じゃ厳しいだろうなあ。
これがどういうビールかというと、炭酸で割って飲むビールなのよ。度数は16度というから日本酒より強い。それを炭酸で自分の好きなような濃さにして飲むわけだ。炭酸対ビールの目安は3対1。
とここまで書いてわかるように、これは明らかにホッピーつぶしの新商品なのだろう。今までありそうでなかった飲み物だ。
若い世代のアルコール消費量が減り、コロナで居酒屋に人が行かなくなってビール消費量がさらに減って、困った挙げ句にサントリーが手を出したのがホッピー市場ということか。セコい。セコすぎる。
ホッピーなんていうニッチな市場、というかジャンルの鬼っ子みたいなおこほれ市場を、サントリーほどの会社が本気で取りに行くとは。
そう考えれば、女子でも手を出しやすい洒落たデザインの小さな瓶も納得がいく。
早速冷蔵庫の炭酸水を注いで、割って飲んでみた。
美味い。美味いではないか、これは。缶チューハイの果糖たっぷりの甘さがなく、かといってホッピーのようなオヤジ臭もなく、大変に飲みやすくて美味しい。
しかも3杯分を割って飲み切ると、ちょうどいい塩梅に酔いが回って、眠くなる。そう考えれば700円という金額も決して高くはないということだ。
ありだな、これは。
一家に一台ビアホール。1日1瓶ビアホール。
もっともオレの場合、中津江村騒動の話があまりに面白くてビアホールだけでは足りなくなって、結局焼酎の炭酸割りも飲んでしまったのだが。だははは。
2022.11.20
綱島に行った。日曜だというのに、朝から仕事なのだ。
東横線の綱島には、学生時代に一度来たことがある。確か後輩の友達が住んでいたとかで、泊まったことがあるはずだ。
それが誰だったか、どんなアパートだったか、場所がどこだったか、まったく覚えていない。綱島駅で降りたことだけは確かというだけだ。
当然のことながら40数年ぶりに降り立った綱島は、昔の面影もへったくれもなく、そもそも記憶にないのだからまったくの未知の街であった。
仕事を終え、帰りは隣の駅の日吉まで歩く。
日吉と言えば、えーじくんだ。学生時代のえーじくんは確か登戸に住んでいて、一度泊まりにいったことがあるようなないような記憶がある。
それ以上に日吉と言えば、ヤマハだ。
学生時代、思い立って卒業記念にレコードを作ることになり(どういう経緯だったかまったく覚えていない)、その録音のために日吉にあるヤマハのスタジオを借りたのだった。
スタジオだと思っていたのはオレたち素人学生だけで、実際は研修施設だったのだろう。借りたのも研修ホールという名前の広い会議室だったからだ。
スタジオの前には坂道があって、今日もそこを歩きながらそうそう確かこの坂道だったと思い出したのだが、当のスタジオらしき建物は見つけられなかった。とっくに違う建物になってしまったのだろう。
こんなふうにいろいろとおぼろな記憶の綱島日吉あたりであるのだが、実は日吉の駅の反対側に限っては最近の記憶もあって、それが息子のアルバイトだ。
大学生になって塾講師のアルバイトを始めた息子は、新人だからか遠い教室を割り当てられて、1年生の頃は日吉の教室まで通っていたのだった。片道1時間。遠いなあ。
日吉での仕事は昼までに終えて、帰ってきて駅前の日高屋で野菜炒め定食に餃子を食べる。日高屋はイマイチだな。同じ金額なら満州のほうが何倍も旨い。
その後は家で今シーズンのサッカーの最終戦、J3のゲームを観る。鹿児島がよれよれのゲームをして、アルビレックスからレンタル中の岡本がカード2枚で退場という情けない結末。
途中から松本山雅を観たら、相変わらずの大観衆の中、相変わらずの情けないゲーム。
最後はJ2昇格のかかった藤枝のゲームを観る。買って昇格を決めればカッコよかったのに、プレッシャーなのか、引き分けがやっとだった。それでも見事に昇格を果たしたわけで、まずはめでたい。選手も大喜びで泣き笑いである。
これで本当に静岡にJリーグチームが3つも集まってしまった。磐田に清水に藤枝である。J2静岡リーグの始まり始まり。
もめ事というのは隣近所どうしでおきるものだから、磐田と清水はたいへんに仲が悪い。そこに藤枝が割って入るという構図なのか。一説によれば、日本代表ゴールキーパーとJ1リーグ得点王を擁しながら降格という離れ業を披露した清水に愛想を尽かした対象のサポーターが藤枝に乗り換えたらしい。
こうなると来季は藤枝対清水が恩讐の前妻対後妻みたいな対決になるだろうから、これは今から楽しみである。
コマちゃんもきっと藤枝に乗り換えるのだろう。
2022.11.19
娘と映画を観に行った。
徒歩圏内に映画館のある街に暮らしているなんて、なんて幸せなことなんだろうと、時々思う。などと言いながら、実際に映画館に足を運んだのは3年ぶりだ。コロナだったからな。
観たのは昨日封切りの「すずめの戸締まり」だ。
本来は娘とヨメが行って女子会のはずだったのだが、ヨメに用事ができて、ピンチヒッターとしてオレが行くことになったのである。女子大生なのに「お父さんじゃイヤ」と言わないだけ、娘は父親に優しい。
というか、男子と行かなくていいのだろうか。親と映画に行く場合ではなかろう。いや待て、男はダメだ、お父さんは許さんぞ。いやいや、許さんぞって、我が娘がまるでモテないというのも哀しすぎる。娘親の心は千々に乱れるのである。
そんなことはどうでもいい。映画だ。すずめだ。
なぜかオレの脳内では「すずめの戸締まり」は「スルメの中敷き」と変換されてしまい、夕べから「スルメの中敷き」を観に行こうと口走っている。人前でついこぼれてしまったらどうしよう。スルメの中敷きなんて、実に臭そうではないか。
車の中に駐車券を忘れてきたので、それを取りに戻っている間に、娘がスマホ片手にQRコードをチケットに変える。便利なもんだ。事前にネットで予約して金まで払って、あとはQRコードだ。航空券も新幹線も全部ネット予約のスマホ決済。そりゃあ誰もATMなんて使わなくなる。
パンフレットを買い、コーヒーを片手に席に着く。
コロナ以降は自宅で寝転んで映画を観ているから、2時間以上もトイレを我慢する自信がない。予約した席は、悪いことに列の真ん中だ。これでは途中にトイレへ行くこともできないから、今日は朝から極力水分を抑えている。それでも多少は喉を潤さないと風邪のシーズンには危険だからと、コーヒーを手にしたわけだ。
なんだ、このくだりは。もはや老人の映画鑑賞の備えみたいではないか。いや、みたいではない。オレも再来月には65歳。法律上は前期高齢者となってしまう。もっとも居住の安定確保という法律では60歳以上が高齢者と定められているので、実は知らぬ間にとっくに高齢者になっていたとも言えるのだが。
まあ、良い。高齢者のオレが娘と2人で映画を観に来たというわけだ。映画も始まっていないのに、それだけでよくここまで文章をかけるものだと自分で感心する。
客席は、朝一番の上映会なのに7割の埋まり方。朝一番だからカップルは少なくて、親子連れ、団体、お一人様が主だ。
やっぱり映画館はいいなあ。ワクワクする。
もっとも映画館につきもののドリンクとポップコーンのバカ高さはどうにかならないものか。しかもまずいし、接客はひどいし。というわけで、最近はスタバやタリーズなどを入れているシアターも増えてきた。この街の映画館もそうなって欲しいものである。
さて、映画である。「スルメの中敷き」である。
新海誠が東日本大震災で失われた何かを取り戻すかのようにつくった映画のようだ。
相変わらずグラフィックは凄まじい。だが美人が3日で飽きるように、始まって10分もたつとグラフィックにも慣れてしまって、驚きもない。マーベル映画も含めて、これはCG全盛時代の困った点だなあ。
グラフィック処理に金をかけられない貧乏映画なのに、ちょっとしたシーンがものすごく美しいことはよくあるので、映像とは難しいものだ。朝倉あき(大好き!)主演の「四月の永い夢」の終わりの映像なんて、息を呑むほどの美しさだったものなあ。それにこの映画は、エンディングのオチが最高! オレの中ではトップ1を争うくらいのエンディングだ。朝倉あきの笑顔にノックダウンである。
なかなか話が「すずめ」に行かない。困ったもんだ。
グラフィックはとてつもなく凄まじいのだが、しかし肝心のお話がなあ、とっちらかってなあ、テーマがとても伝わりにくい。これは「君の名は。」でも感じたことで、新海誠は話を盛り込み過ぎなんじゃないかな。
本人が宮崎駿リスペクトを口にしているので、この映画でも宮崎オマージュがふんだんだ。冒頭の荒ぶる神のシーンは「もののけ姫」のタタリ神だし、旅の途中で出会う仲間はウルスラで、泊めてくれたスナックのママはおソノさん。猫の立ち振舞は「ポニョ」であって、ドライブのシーンでは「ルージュの伝言版」が流れてキャラが「ちょうどいいじゃん、猫もいるし」と魔女宅パクリを笑って済ませている。
話としては日本の地中に棲む化け物が気まぐれに暴れて大震災を引き起こすので、それを防ぐために戸締まりして全国を旅するというオン・ザ・ロード。そして行き着く先が福島の東日本大震災だ。
そういう話を、オレはとっちらかっているなあと感じながら観ていたのだが、娘の心にはけっこう響いたようだ。これはもしかして若い世代には響く物語だけれど、前期高齢者間近のおっさんにの感性ではわからない映画なのかもしれない。もしかしたら、とっちらかっていると感じた部分も、実は繊細さあふれる描写だったのかも。
とまあ、そんな具合に娘と映画を観て、そして帰りには蕎麦屋にヨメと息子が現地集合して、家族4人でそばとうどんを食べて帰ったのであった。うどんは血糖値を急激に上げるから、オレは食べないのだ。
2022.11.18
「シン・ウルトラマン」がAmazonPrimeで解禁となったので、早速観る。
朝から前半をパソコンで見て、仕事して、寄る、残りをテレビで観る。
映画を早回しで観るファスト映画が批判されているが、こういう見方もどうなんだ。よいことではないな。連ドラならぬ連映画とでも言うのだろうか。
「シン・ウルトラマン」は傑作「シン・ゴジラ」の後を受けて製作されたわけだが、うーん、ちょっとどうかなあという感じ。はっきり言ってあまり面白くない。
特撮はさすがだし、テンポはいいし、役者もいい(長澤まさみが素晴らしい)のだが、やっぱり物語としてイマイチだ。これは昭和おやじが怪獣を楽しむだけの映画だろう。
オープニングが「ウルトラQ」だったのは嬉しかった。
「ウルトラQ」が始まったのはオレが小学校1年生のことで、第一回があまれに恐ろしかったので二度と見るもんかと思ったのだが、弟が第二回も見たいと言ったことに加え、新聞の番組欄のタイトルが「ゴローとゴロー」と面白そうだったのに惹かれて結局見見ることにし、そこからどっぷりとウルトラシリーズにはまったのだった。昭和の高度成長期の小学生あるあるだな。
「悪魔っ子」だったっけ、幽体離脱した男の子の魂がうろうろする話は、子供心に心底恐ろしかった。
「向田理髪店」奥田英朗・光文社文庫。
奥田英朗は、人の悪意や底意地の悪さみたいなものを描くのがとてもうまい作家だ。例えば中学生のいじめ自殺を扱った「沈黙の町で」は、“いじめられる側にも理由がある”という身も蓋もないテーマの作品だ。連載していたのが人権派の朝日新聞だったから、途中で急きょ打ち切られたかのような終わり方をしたのも当然だった。
この「向田理髪店」は、しかし、そうしたブラックな味わいがまったくない小説である。だからといって奥田英朗の持ち味が活きていない作品かといえばそんなことはなくて、実にいい味に仕上がっているのだ。
舞台は夕張市をモデルにした北海道の過疎地。ここで営業している床屋を中心に、小さなコミュニティでおきる様々な出来事を描いている。どの話も人々がイキイキとしていて、しみじみとした生活が見えてくる。なんというか、味わい深い小説なのだ。人が死ぬこともなければ、エグい犯罪がおきることもない。ただひたすら、過疎地のわびしい毎日を描いているだけである。こういう小説は好きだなあ。
2022.11.17
日本の危機に、世界で戦っている戦士たちが立ち上がって駆けつけてくれる──。
90年代のサッカーファンは、そんなウルトラ戦士のようなシーンをイメージして、いつか日本代表もそんなふうにならないかなと夢想したものだった。同時にそんな時代は決してやってこないだろうなと諦めながら。
だがそんな時代は案外と簡単にやって来た。今や日本代表のほとんどは海外で活躍する選手で占められている。30年前のオレたちはそんな未来がやってくると聞かされても、絶対に信じなかっただろう。
もっともそんな時代が来たら、日本はきっとすごく強い国になっているに違いないという期待は見事に外れてしまったわけだが。
ワールドカップ直前の練習試合だから、カナダ相手に負けたこととかどうでもよいのは自明の理。結果はなんだっていいのだ。問題はその内容なのだ。
オレは前半だけ見て呆れて寝てしまったけれど、後半は酷かったらしいな。息子の話によれば「1列目と2列目がまったく連動していないからプレスがまるでかからず、あっさりとボランチの裏を取られまくっている。このチームには、きっと守備の約束事がないんだよ」とのことだ。
ドイツを油断させるためにあえて緩く臨んだか。あるいはサブメンバーの見極めのため、あえて約束事は無視して自由にやらせたのか。
いやいや、そもそもこんな程度のチームなんじゃないか。
それでなくても3戦全敗だろうに、これでは初戦のドイツには下手すりゃ5-0の夢スコアだべ。それはそれでいいのだが。
しょせんワールドカップはエンターテイメント。代表チームは国民のオモチャだ。
だから思い切り派手に散ってくれたほうがよい。前回のロストフみたいに、いつまでも咀嚼できるほどの味わい深い負け方をしてくれたら、エンターテイメントとして最高だ。
クラブチームとは違うのだ。クラブは負けたらダメだ。エンターテイメントではなくて生きる我々のよすがであり、糧であるからだ。インフラなのだ、クラブチームは。エンターテイメントの代表とは、所詮重みが違うわ。
それにしてもワールドカップがちっとも盛り上がらないと各所で話題になっているが、そもそも単一のスポーツで日本中が盛り上がる時代なんてもう終わったということだろう。かつてはジャイアンツの出場する日本シリーズは日本中をその話題で染めたのに、今では日本シリーズなんて一部でしか盛り上がらない。
だからサッカーも同じようなものだ。一部でちゃんと盛り上がっている。日本中が盛り上がるスポーツなんて、もうないのだ。
ワールドカップがこんな程度の盛り上がりになって、ようやく日本のサッカー文化も成熟してきたのかなという気がする。いや、成熟は言い過ぎか。定着した、というぐらいでちょうどいいか。
それにしてもカナダ戦を見ても、大迫をなぜ選ばなかったか、森保のアホさが改めて際立った。相馬とかいらないじゃん。浅野と大前なんて、どっちか1人で十分じゃん。柴崎に何をさせようというのだ。
そういや思い出したが、久保くんがちょっと変わったように感じたのはオレだけか。ちょっと視野が広くなったか、大人になったか、プレーの幅が広がったような気がする。もしかしたらトップ下で真価を発揮するようなお年頃に成長したのかも。この変化には、今後も要注意である。
2022.11.16
某メガバンクグループの役員にインタビューする。
業界の課題は何だというオレの問いに対して役員は答える。「FDだ」と。
この答えにオレは一瞬、けっこうな違和感を抱く。
FD、すなわちフェデュラリー・デューティが言われたのはかなり前ではなかったか(後で調べたら2016年とか、そのあたりだった)。そもそも顧客の利益を第一に考える、つまり顧客第一という発想はどんな商売にも当然のことではないのか。それなのに金融業界は5年も6年もたっても、そんな簡単なことがまだできていないというのか。
軽い衝撃とともにそんな突っ込みをしようかと思ったのだが、ここはそういう場ではないし、これ以上の合理的な論を展開できるわけでもないし、ははあ、それは悩ましいですねなんていう無難な受け答えでスルーしてしまった。
その後、インタビューは順調に進み、話は発展しておよそ1時間。役員は気持ちよく話し終えてくれたのだった。
金融は苦手な業界であった。以前から金融業界の仕事だけは勘弁してくれえと逃げ回っていた。
だから毎週一回、金融について好きなテーマで書いていいという仕事が来たときも、逃げようとした。だが結局逃げ切れずに引き受けることになってしまった。
好きなことを書いていいというのは、何を書くか、自分で決めなくてはならないということである。実はこれがライターとしては一番難しいところなのだ。
「どう書くか」というのは、技術と経験でどうにでもなる。たとえ読んでいない本だって、読まずに読書感想文ぐらい書けてしまうのがライターだ。だが本が決まらないと何も書けないように、テーマから自分で決めなければならないというのは案外難しいことなのである。
とはいえ、引き受けてしまったものは仕方ない。
とにかくテーマを見つけなければ始まらないから、オレは日経新聞で金融業界の記事を見つけては読み込んでGoogleKeepにクリップし、関連情報をネットで調べるということを繰り返した。毎週である。それで何とか一本の原稿を仕上げた。
もちろんネタなんてすぐに尽きるから、テーマ探しには毎週難航し、ヒントがあればすぐにクリップするようになった。
同時期に手がけることになったのが、某地方銀行の仕事である。フリーテーマで金融業界について書くのが俯瞰的な鳥の目だとすれば、地銀の現場を取材して書くのは地を這う虫の目だ。この地銀については3年ほど、べったり仕事をすることになる。
こうして金融業界全体を見つつ現場の話も聞くということを数年続けたところ、自分でも意識しないうちに金融についての理解は深まり、何となくわかるようになってきたのである。今でも決して得意ということはないが、少なくとも、苦手だから勘弁してくれえと逃げ回るようなことはなくなったわけだ。
そしてこんなふうにメガバンクの役員にサシでインタビューできるようになったのである。FDが業界の課題と言われて、なんでフェデュラリー・デューティが、と疑問に感じるぐらいには成長したのである。
西川きよしではないけれど、まったくもって「小さなことからコツコツと」というのは大正義なのだと実感するのだった。
とまあ、以上はもちろんオレの自慢話である。誰も聞いてくれないから一人、黙々とパソコンに向かって自慢話を書き連ねているのだった。
などと書いていたら、ヨメから「三遊亭小遊三さんだ!」という写真が送られてきた。
三遊亭小遊三とは、あの「笑点」にレギュラーで出ている落語家である。
数年前、息子と一緒に池袋の演芸座へ落語を聞きに行ったところ、高座に上がったのが三遊亭小遊三だった。
オレは落語に関しては全くのド素人である。話もよく知らない。そんなオレでも、いろいろ上がった落語家たちの中でこの小遊三が群を抜いて上手いということは、すぐにわかった。ド素人がすぐにわかるぐらいなんだから、きっと本当に上手いのだろう。
そんな名人落語家がなぜに。
今日は酉の市である。二の酉だ。出かけていたヨメは、帰りに地元の大鳥神社に立ち寄ってお賽銭を投げているはずである。そこになぜ小遊三が。
送られてきた写真を見たら、小さな熊手屋の前で熊手を掲げて、柏手を打ってもらっているダウンジャケットに毛糸の帽子とマスク姿のおじさんが小遊三師匠らしい。ヨメによると境内で並んでいたら「小遊三師匠の熊手がどうのこうの」という声がしたので横を見たら、本当に小遊三が熊手を持ってニコニコと笑っていたというのだ。
柏手の時は毛糸の帽子もマスクも取ったそうだ。
小遊三師匠は練馬区に住んでいるらしいというのは知っていたが、どうやら同じ地元の街だったようだ。それで地元の神社に熊手を買いにきたのだろう。こんな有名人が、地元のこんな小さな神社の酉の市に弟子らしき人間も伴わずに夫婦でちまちまとやってきて、ニコニコしながら家内安全を願って柏手を打ってもらうとは、なんともほほえましいことだ。
たまたますぐ近くで目撃し、柏手を聞かせてもらったヨメにとっては、けっこうな縁起物である。いい福をもらったことだろう。
その数時間前には、娘を連れてオレもお参りをしてきた。娘は去年、ここで熊手を買って合格祈願の柏手を打ってもらった。そのお礼参りにお賽銭である。
石神井公園の駅前再開発がようやく動き出して、これから街の景観が大きく様変わりする。それに伴ってこの大鳥神社も来年から5年間、場所を移すことになるそうだ。現在の神社での酉の市はこれが最後ということになる。
そんな節目に小遊三という縁起物を見たことは、大変なことの多かった今年のヨメへの、ねぎらいでもあったに違いない。来年はきっといい年だ。
2022.11.15
永田町は久しぶりだ。
このあたりは乗り換えポイントなので駅はよく通過するが、実際に降りて何かをすることはめったにない。企業の数も少ないし。
駅を降り、地上に出たらスーツ姿の大群がいる。その中に混じって旗を掲げたおじさんがいて、その旗には「福井県」とか「群馬県」とか書いてある。砂防会館前だから、政治家への陳情団か。それにしては数が多いな。
集団の先頭に回ったら砂防会館に入り口に全国治水会議みたいな看板が立ててあって、なるほど、全国各県の河川行政の担当者が集まって会議を開いていたのかと納得する。
いつだったか親戚のおばさんを車に乗せてこのあたりを走っていたら「永田町」という交差点の標識を見て「あらあ」と軽く感動していた。新聞やテレビで毎日目にする永田町という町が本当に実在するということに、何やら心を刺されたみたいだった。
そんな独特の空気が流れているのは確かだ。
永田町も最近は人出が多いのだろう。電車もバスもかなり人が増えている。
インタビュー仕事もほとんどが対面式のリアルだ。もちろん仕事をする側としては対面のほうがリモートの何倍もやりやすいので、ありがたい。
今も依然としてリモートなのは、本当に場所や時間に制限があるケースと、リモートでできるのにわざわざリアルなんて面倒くせえよというケースである。後者の気持ちもわからないではない。メールで済むことをなんでわざわざ電話してくるの。そんな気持ちに似た感覚なのだろう。
最近困っているのは、リモートだから簡単だろうということなのか、オレが必要ない打ち合わせにもリモートで同席しろと要求されるケースである。
おいおい、その打ち合わせはそっちの仕事だろう。「一緒に聞いてもらったほうが早いので」って、そこまでオレに丸投げするのかよ。
そう思いながらも、一回だけは付き合ってやることにする。リモートのおかげで便利になった一方で、煩わしいことも増えたのだ。
仕事を終えて永田町から電車で帰る。秋の日は落ちるのが早い。5時前だというのにもうすっかりと暮れてしまうのだった。
2022.11.14
今日はだいじな日である。なぜならJ2のアウォーズがあるからだ。
アウォーズとは何か。簡単に言えば表彰式だ。輝け!日本レコード大賞みたいなものである。
日本レコード大賞の権威は平成に入ってどんどん落ちていって今や去年の受賞者さえ誰も知らないようなしょぼさになってしまったが、J2のアウォーズは違う。なんと言っても今年から始まったのだから、これから上がる一方なのだ。
日本レコード大賞がおかしくなったのはピンクレディと沢田研二が争った頃からだとか、五木ひろしと八代亜紀の五八戦争で裏金が飛び交ってからだとか諸説ある。
子どもの頃は武道館で日本レコード大賞に出席していた歌手が9時からの紅白歌合戦に間に合わせるべく車を飛ばしたなんていうエピソードに目を丸くしていたものだった。信号も青に変えちゃったりして、レコード大賞出席者はVIPという時代だったわけだ。ああ、昭和は遠くになりにけり。
今は時代が違うぞ。なにしろJ2アウォーズの受賞者は、ネットのオンライン参加だ。もう手軽なものである。信号を青にする必要もないし、パトカーの先導も要らない。ネットをポチッである。
もっとも見るほうだってネットだ。DAZNである。
今やサッカーはネットだもんなあ。サッカーに限らず野球だって配信が主だ。スポーツ見るならDAZN。いや、ワールドカップはAmebaというから、まったく時代は変わったものだ。
で、そのJ2のアウォーズであるが、優勝したのはアルビレックス新潟であるから、優勝チーム賞と優勝監督賞の受賞は当然である。さらにフェアプレー賞も獲得。なにしろ反則ポイントが最も少なく、退場がゼロというのだから圧倒的だ。いかに正しいフットボールをしたかの証明である。アルビレックスのサッカーが見ていて楽しいのは、正しいサッカーをしているからだ。
そしてベストプレイヤー賞では11ポジションのうち過半数、6人がアルビレックスの選手であった。どうだ、この圧倒ぶりは。
悔しいことにMVPは横浜CFの小川コーキに獲られてしまったが、これはベストプレイヤーはそっちだからMVPはこっちで、という審査委員のバランス感覚によるものだろうから、仕方ない。上に立つものは大人として優しく道を譲ってあげるのだ。
もってもJ2アウォーズのMVPの小川コーキなんて言ったところで、それこそ去年の日本レコード大賞受賞者並みに世間的には無名だから、別に悔しくないのだ。
負け惜しみできないぞ。ベストプレイヤーに優勝監督。全部で7人の記念写真を見ながら、いい1年だったなあ、最高のシーズンだったなあとオレは改めて感慨にふけり、そして明日から始まるであろう選手の移籍騒動におびえるのであった。
「殺人者」望月諒子・新潮文庫。
読もうかどうしようかとけっこう逡巡して、やっと手に取った。何しろ望月諒子である。面白いに決まっているのだが、いわゆるイヤミス(イヤーな気持ちになるミステリ)の範ちゅうなので、うんざりするような犯罪話であることが目に見えている。「蟻の棲家」では板橋区の貧民街を舞台に底辺の貧困層を取り上げたやりきれない小説であった。この作品もきっと気持ちが落ち込むに違いない。だが面白に決まっている。
駅前の書店の平台から何度か手に取っては戻し、また手に取ってを繰り返して、結局買うことにした。そして案の定、一気読みである。
そしてちょっと驚いた。想像を超えていた。想像を超える面白さだったぞ。望月諒子は面白いのだが、その面白さの度合いが一気に3段階ぐらいレベルアップした感じで、一気読みなのだ。
大阪で相次いだ猟奇殺人を取り上げた小説である。読み始めてすぐ、スティーヴン・キングの匂いがする小説だなと感じたら、案の定、物語の主人公が「キングのホラー小説に出てくるような街」と口にしていたから、意図的にキング的な世界をつくりあげたのかもしれない。なるほど、犯行の原点となった大阪の田舎町は、そんな退屈でなんの特徴もなさゆえに、キャッスルロックの浪速版だったのか。道理で面白く、一気読みのわけだ。
構成力、文章力、描写力。いずれも一級品である。伏線回収も素晴らしい。登場人物がやたらと多いが、ちゃんと書き分けができている。筋の運び方に若干のご都合主義があるようなないような。そんなことも気にならないほども面白さで、間違いなく一気読みのミステリーだ。
ただし内容は暗いぞ。うんざりするぞ。殺害シーンなんてエグいぞ。背筋が凍る。井戸に突き落として、這い上がれなくて衰弱していく様子を数日間見つめ続けるとは、なんというおぞましい殺害方法だ。こんな調子の犯罪なのだ。帯に「戦慄」とあるが、まさに戦慄の物語である。
連続猟奇殺人には大きく二つの謎解きが関わっていて、前半の謎解きについては、そんなことが動機になるのかと驚く。そして後半についてはさもありなんと犯人に同情してしまう。この心の揺れを読者に強いるところもすげえと思った。
ある重要キャラがこんなふうに吐く。
「だれだってなにかを抱えて生きている。それが大きい人もいれば小さい人もいて、正確にいえば、同じ問題でも大きく認識する人もいれば小さく認識する人もいる。取り出して比べることはできないでしょ。その全てを要素として、その人が形成されるわけです。だからその不幸な部分だけを取り出して否定しても仕方ない。人間は所詮生き物ですから。失敗や不幸に足を取られていては生きていけないはずなんです。ただ貪欲に、生きることを考えるべきだとわたしは思うんです」
ここに表れた異常なまでの“強さ”はこの物語を貫く芯となっている。なかなかのセリフだなとオレは感心した。
とにかく大変に面白いが大変に強い、というか大変に毒のある小説でもあるので、心が健康で人生や生活に負荷のかかっていないときでないと、読んではならないような気がするのだった。
2022.11.13
山から下りてきた猿が、里で人間に迷惑をかけている。
そんなふうに言われているのが、松本山雅のサポーターたちだ。言い得て妙である。
今回もやらかした。試合は宮崎に乗り込んでのアウエー戦。開催は今日なのに、山猿たちはなんと一昨日に現地スタジアムに到着して、入り口に荷物を置いて場所取りを始めたのだという。
場所取りが許可されるのは当日の朝8時半からだ。
激怒した宮崎は、地面に並べられた荷物をためらうことなく撤去し、公式Twitterで「禁止行為はやめろ」と告げたのである。だいたいこういう注意は自分のところの球団が自分のところのサポーターに向けて行うのが常だ。それが相手球団から公式に注意されるというのはかなり異例なことで、それだけ宮崎がキレていたということである。
さすがに日本一嫌われているサポーターだ。
呆れるのはこの山猿たちが、先週も同じ騒ぎを引き起こしていることだ。先週は富山である。やはり待機列に相当早くから荷物を置いて場所取りしていたそうだ。
本当にあちこちの里で迷惑をかけている山猿たちなのだ。
その松本と宮崎のゲームを見た。J3である。この試合に勝てば松本にはJ2昇格の可能性が出てくる。もし負けたらほぼ絶望だ。
ゲームは松本の先制でスタートしたものの、後半にまとめて点を決められて結局1-4のボロ負け。これで松本山雅は来季もJ3がほぼ決定だ。イキっていたゴール裏の山猿たちも、試合後は呆然。なるほど茫然自失とはこういうことを言うのかと納得できるほどの消沈ぶりであった。
いや、ちょっと待て。なんだ、このゴール裏。よく見れば、いや、よく見なくてもガラガラじゃないか。松本。
このガラガラのゴール裏で場所取りをするために山猿たちは、2日も前から荷物を並べて里の人たちに迷惑をかけまくったというわけか。めまいがするほどバカバカしい。さすが山猿の山猿たるゆえんである。
試合後、宮崎の選手が肩の喪章を外して掲げ、大空に向けて最高の笑顔で話しかけていた。天の工藤選手に向けてだ。これは感動したなあ。
ともかくこれで松本山雅のJ3が決まって、J2の各チームはホッとしている。山猿の襲来にうんざりしなくて済むからだ。できれば松本山雅はこのまましばらくJ3に沈んでいて欲しいと、誰もが願っているのである。
さて、そんな山猿たちの騒ぎを尻目に行われたのが、J1参入プレーオフだ。これは楽しみだ。
J1の京都とJ2の熊本が一発勝負。熊本が勝てば熊本のJ1昇格が決定し、引き分けなら京都の残留が決まる。不公平すぎると物議を醸し続けているレギュレーションではあるが、仕方ない。本来ならホーム&アウエーでやるべきだろうに。
来季のアルビレックスはJ1だから、できれば京都ではなくて熊本と一緒に上がりたかった。いいチームなのである。熊本は。
だが断念、参入プレーオフは結局引き分けに終わり、京都のJ1残留が決まってしまった。
熊本がいつもの動きでなかったのは、土砂降り後のピッチで足を取られたのに加え、連戦で勝ち上がってきた疲れ、一発勝負ですべてが決まるというプレッシャーのせいだろう。加えて京都は腐ってもJ1のチームで、やはりJ1とJ2で個人の力量には明確な差があることが素人目にもよくわかって、力負けした面もある。
残念だったが、熊本はよくやった。
貧乏チームだから、このオフには選手が大量に引き抜かれて辛いことになるだろう。地方の弱小クラブの悲哀である。アルビレックスもどれだけ同じ目に遭ったか。人ごとではない。
そうである。人ごとではないのだ。アルビレックスだってわからん。例えばボランチの高など、上昇志向の強さを常々隠そうとしていないから、案外あっさりと出て行くかもしれない。川アや東京から声がかかったら。うう、考えるだけで恐ろしいわ。
まあ、そんなわけでJ1参入プレーオフが終わって、今シーズンのJリーグはJ3の1試合を残すのみである。これから長いオフシーズンだ。Jリーグがないとつまらないなあ。
仕方ないから代表でも見るか。ワールドカップだ。来週ぐらいから始まるんじゃなかったっけ。日本頑張れである。
普段サッカーなんて見もしないのに、代表の試合となると急に盛り上がってウェーイとはしゃぐファンが多い。いわゆる「にわかサポ」だ。急造ナショナリストである。
そういうナショナリストを苦々しく眺めて斜に構えているのがJリーグ好きのドメサカサポ。ドメサカってのはドメスティックなサッカーのことね。
でもオリンピックの時は、ドメサカサポだって、全然知らない競技にも熱くなっちゃうじゃん。カーリングを応援し、卓球に燃え、スケボーでさえ声援を送って、テレビで仕入れたニワカ知識をひけらかしながら、オレも真夏の冒険がしたいなあなんて呆けているじゃん。
いいのである。ニワカで。ニワカが喜ぶから盛り上がるのである。普段からDAZNに高いカネを払ってJリーグを見ている人間は偉いから、ニワカサポを冷めた目で見ていいなんてことはまったくないのである。このあたりのドメサカサポたちのタコツボぶりというか村八分というか、京都人のような閉鎖的なところはまったく好きになれない。
日本代表が盛り上がればJリーグも盛り上がるだろう。いや、ちょっと待て、そうも単純でないから話は難しいのであって、要するにここで冒頭に戻るのだが、松本山雅のような山猿が里で迷惑をかけるからJリーグに眉をひそめる良識的な人たちが増えてくるという話なのである。やっぱり猿は猿らしく、いつまでも山の中でおとなしくしていてほしいものだ。
2022.11.12
ネットでちらっと見かけたのは「目が怪しいのではないか」という書き込みである。
ふむ、なるほど、目か。それは盲点だったな。わははは、どうだ、うまいこと言うだろう、オレも。
コロナの話である。実は目からの感染が一番可能性が高いのではないかという説だ。
しょせんはネットの書き込みである。チラシの裏の落書きだ。
それに目からの感染に注意とは、コロナの初期からいわれていたことで、さして目新しいことではない。わははは、どうだ、またうまいこと言ったぞ、オレ。
それでも改めてそんな指摘を見ると、やっぱりアリかもと思ってしまう。
なにしろ人間の体で最も長時間、外気に晒されている粘膜が目だ。面積も、口の次ぐらいに大きい。しかも顔の正面にあるのが目だから、飛沫を浴びやすい。こう考えると確かに目かもしれない。
それに我が家は今まで1人もコロナにかかっていないが、そういえば全員がメガネをかけている。
逆にコロナにかかって大変な思いをしたというカメラマンの××さんも、営業の××さんも、メガネをかけていないではないか。
なるほどなあ。
ネットの無責任な書き込みではあっても、案外これは正鵠を射ているのかもしれない。
コロナにはメガネ。
ファイザーより和真。
ワクチン射つならメガネをかけよう。
これからはみんなメガネをかければ、第八波も平気で乗り切れる。クリスマスも初詣も安心だ。
そんなことを考えながら向かった先が、大泉学園の居酒屋である。昨日、「11月11日はきりたんぽの日ですよー」というメールを取引先からもらい、おお、そうか、きりたんぽか、と突然きりたんぽが食べたくなって、近所の店を探したら大泉学園にきりたんぽを食べさせる居酒屋があったのだ。
バドミントンの試合に出ていた息子を帰りにピックアップし、ヨメと3人でその居酒屋に向かう。娘はアルバイトだ。
初めて行った居酒屋だったが、客がやたらとうるさいのをのぞけば、なかなかよかった。何より食い物が旨いし、酒が旨い。ハイボールを頼んだら異常に濃くて、普段かぶら屋や鳥貴族のうっすいハイボールになれているオレにとっては、たちまち酔いが回るハードさであった。
もちろんきりたんぽを頼む。
だがオレは痛恨のミスをしてしまった。ちゃんときりたんぽ「鍋」と言わずに、きりたんぽとだけ言ったから、串に刺さったきりたんぽが出てきただけだったのである。
ああ、オレが食いたかったのはきりたんぽ鍋だったのに。
仕方ない、串に刺さったきりたんぽをつまみに濃いハイボールを飲み、締めにはへぎそばだ。そうである、この店にはへぎそばが締めに置いてあるのだ。しかも550円と格安。立ち食いそば屋並みの値段ではないか。これは素晴らしいことである。
ああ、旨かった。
帰り道は息子に運転してもらい、オレは満足して帰ったのだった。
2022.11.11
1980年代、西武百貨店は輝いていた。
大学を5年かかって卒業したオレは親の希望をあっさりと袖にしてぽんこつ広告会社に入社し、コピーライターなる商売の道へと足を踏み入れた。その後の泥沼の日々を過ごすオレに向かってぶっ放された西武百貨店とサントリーの新聞広告やポスターは、実にまぶしく、決して手の届かないきら星であったのだ。
西武百貨店と言えば「おいしい生活」だが、オレはその前年のキャンペーン「不思議、大好き」が好きだった。時代の空気を見事にとらえたコピーだ。そんな傑作を次々とかっ飛ばす糸井重里はまさに80年代の西武カルチャーの象徴で、一方のサントリーは仲畑貴志が玄人好みの職人芸コピーを送り出していた。「角÷H2O」とか。
世代的にその少し後だったオレは、そうしたポラリスたちの絞りかすのような仕事をあさっては、いつかはオレも西武百貨店の新聞15段をなどと妄想しながら、不動産のチラシのコピーを書いたりしていたのである。とほほ。
そんなふうに80年代に我が世の春を謳歌し、西武王国こそ地上の楽園と人々を洗脳することに成功した西武グループが、その40年後にこのような悲惨な末路を迎えようとは。
今日発表されたのは西武グループがセブンアイホールディングスから切り離されて売られるということだ。
買ったのはアメリカのファンドとヨドバシカメラの連合軍。池袋と渋谷の西武百貨店は改装されて、どうやらヨドバシカメラの旗艦店になるらしい。
おいおい、信じられるか。オレたちが仰ぎ見たあの渋谷西武がヨドバシカメラになっちまうんだぜ。文化の香りも何もない、ドンキホーテ流のガラクタ空間に。
西武百貨店だけではない。西友とうの昔に外資に売られ、今や流浪の身。ファミマもとっくに西武から離れている。流通だけではない。鉄道だってプリンスホテルを売り払い、それでも青息吐息なものだから新しい車両も買えないで中古車量でガマンしようとしている。
誰だってこんな貧乏会社がプロ野球団を持っているのはおかしいと思うから、ライオンズの売却ももうすぐだろう。いやいや、飯能のあたりの赤字ローカル線なんて廃線にしてしまえという声だって、依然として強く残っているほどだ。
こんな西武に誰がした。
堤か。堤なきあとのぼんくらたちか。
いやいや、別に誰がどうしようと関係ないのですが、こんな貧乏グループの沿線に暮らしていると、こっちまで辛気くさくなっちまうぜという話だ。池袋西武がたたき売られてヨドバシカメラに変身なんていわれてもちっとも盛り上がらないし、この先の話題もせいぜいがハリー・ポッターではますますしょぼくなる一方だ。
こんな西武に誰がした。
やっぱり80年代の西武は、というより広告文化というものは、バブルのあだ花だったんだろうなあ。没落するのも当たり前か。
2022.11.10
大学生10人近くと話をする。オレの息子や娘と同じだから、親子ほどもというか、まんま親子の年の差だ。
若い人にインタビューするとき、無理に話を相手に合わせようとしがちだが、それは決してほめられたことでは亡く、むしろ話が噛み合わなくて当たり前ぐらいに思って、年相応の立ち振る舞いをした方がコミュニケーションはスムーズだ。
それにしてもこの世代、いわゆるZ世代はなかなかたいしたもんだ。考え方もしっかりしているし、頭もいいし。オレたち昭和世代はとてもかなわないなあ。
疲れて帰ってきて、駅前のしょぼい焼き鳥屋に寄る。最近はここが気に入っている。
狭いカウンターで肩をすぼめて、今日発売の文藝春秋を読みながらビールを飲み、焼き鳥を食う。文藝春秋には柳沢健のアントニオ猪木への追悼文が載っていた。さすが、柳沢健にしか書けない原稿だと感心する。
30分ほど軽く飲んでそそくさと帰る。カフェでクールダウンするのと変わらない。
もうどこかで飲んで電車で帰るなんて面倒なことはしたくなくなったなあ。地元でサクッと飲むのが楽でいい。
2022.11.09
小さい文字が見づらくなってきたのは当然のことではあるのだが、やはり不自由だ。
インタビューの前にいただく資料は大抵が小さなフォントで小綺麗にまとめられているから、見た目はしゃれてても、読みづらくて仕方ない。だから資料を受け取って最初にやることといえば、すべての文字を大きくして、フォントもメイリオなどの読みやすいものに変換することだ。当然レイアウトも調整しなくてはならない。
ちょっとした手間である。いや、けっこう面倒だ。
どうせなら最初から読み手に配慮して大きな文字にしてくれないかなあと思うのだが、老眼で文字が見えづらいなんて若いディレクターには想像できないから、しょうがないことなのだ。オレ自身、若いときには老眼の人の存在なんて頭になかったから、天に唾する類のことだ。嘆いても始まらない。
こうした物理的な視野の狭さだけでなく、加齢は精神的な視野の狭さももたらす。
快速準急が1分後にくるというので慌てて駆け込んでなんとか乗れたと思ったら、途中駅で直後の準急と待ち合わせることになって、慌てる必要はまったくなかったなんていうことは日常茶飯事。トイレが混んでいるからと焦って次のトイレを探し回るより、大人しく行列に並んだほうが結局は早いというのはよくある話だ。
だから落ち着いて状況を見ればいいのだが、精神的な視野が狭くなっているから、どうしても目の前のことや思いついたことにとらわれてしまって、他の選択肢に考えが及ばないのである。
加齢というのは困ったものだ。
先日、銀座でベントレーがタクシーと正面衝突した。ベントレーを運転していたおばちゃんは無傷でけろっとしていたので、さすがベントレーとちょっと話題になった。
原因は、右折しようとして右折レーンで信号を待っていたベントレーのおばちゃんが「やっぱりまっすぐ行くわ」と考えてそのまま急に直進したことだそうだ。そりゃ正面衝突するに決まってる。
このおばちゃんも、まっすぐ行くと考えた瞬間に視野が狭くなり、他の状況を把握することを忘れてしまったのだろう。まったく視野が狭くなるとは困ったものだ。
遠近両用メガネの度を調整するように頭脳の度も調整できたらなんぼかいいだろうに、そうもいかないし。
2022.11.08
昨日の日記に書いた、新幹線の自由席で礼儀正しい女子高生に遭遇するに至った事情について正直に述べよという声がコマちゃんから寄せられている。シャラップである。オレとしては非常に情けなく、恥ずかしい事情によってやむなく自由席に座ることになってしまったのである。到底思い出したくない。
ましてや日記に書くなんて、自らの心をえぐるような仕業だ。ここは黙って記憶にフタをするに限る。
などと考えながら向かった先は、豊洲だ。
豊洲といえばセンタービルだが、なんとできてから30年もたったそうで、ちょっと驚く。初めてこのビルに足を踏み入れたときは、その先進的なデザインと機能に驚いたものだった。
もっとも当時の豊洲なんて、地の果てもいいところで、とうとうこんな荒野まで来てしまったのかという感情に襲われたものだった。それが今やどうだ。タワマンが林立するおされスポットというではないか。
ちゃんちゃらおかしいのである。15年前にこの近くに暮らしていた人間としては、ぽっと出の田舎ものが慌てて下手くそな化粧をして済ましているような、そんな気恥ずかしさを豊洲に感じてしまうのである。
何もなかったからなあ、あの頃の豊洲は。
今はタワマンの建っているあたりにあった路地裏のしょぼい皮膚科クリニックに息子を連れて通ったものだった。メシだって駅前のしょぼいラーメン屋しかなく、徒歩5分の枝川で焼き肉を食ったっけ。
この枝川というのは昭和の東京オリンピック開催に際して、東京の街中から在日朝鮮人を一掃しようという目論見でバラック暮らしの彼らを強制的に押し込めるために造られた街だ。そのまま棲み着いた彼らの子孫が焼き肉屋を経営しており、それは実に旨い焼き肉を食べさせてくれるのである。そんな東京開発史の暗部のような街を眼下に覆い隠しながらそびえ立つタワマンたちよ。
などと人様がよかれと思って暮らしている街に一方的にケチをつけて悦に入っているのは、オレの悪いクセである。お天道様はそんなところを見逃しはしないから、オレに天罰が下り、自由席に座る羽目になってしまったのである。
それはともかくいつの間にか30年もたっていたことに驚きつつ、センタービルで仕事をする。
おっかしいのはさあ、事前に訪問の登録をするとQRコードが発行されて、それを入り口ロビーの機械にかざすと入館証が発行されるという先進のシステムなのに、その入館証を確認するのが警備員のおじさんというところだ。
先進のデジタルとよぼよぼの警備員というデジタル+アナログのハイブリッド。おいおい、せっかくの入館証をじいさんが一枚ずつ目で見て確認しているよと思いながら、オレは入り口を通ったのだった。
うーん、日本のDX。
仕事を終えて家に帰ったら、授業を早く終えた娘が先に帰っていた。こんな時間に家にいるのは久しぶりである。どうだ、カレーでも食いに行くかといったら喜んで「行く」というので、出かけているヨメと大学にいる息子にLINEで連絡し、地元のインドカレー屋に行くことにする。
空には大きな満月と、それが欠けていく月食ショー。たくさんの人が立ち止まってスマホを掲げて撮影する中、オレたちはカレーショップに向かって歩いて行ったのだった。
2022.11.07
それは神戸からの帰りの新幹線であった。
ちょっと事情があって、オレが座っていたのは自由席だった。3人がけの窓側である。
ちなみに新幹線の座席はこの3人がけの窓側に限る。富士山が見えないというデメリットはあるものの、中央が空席でゆったり座れる確率が高いからだ。窓際ならハンガーもコンセントも使い放題である。トイレに立つときにちょっと面倒だが。
ともかくオレはいつものように3人がけの窓側に座っていたわけだ。
大阪駅ではほとんど客が乗ってこなくて、ゆったりしたままだった。
次の京都駅ではそこそこ客が乗り込んできた。するとそのうちの一人の女子高生がするするとオレの方にやってきて、3人がけ席の通路側に立ち「失礼します、こちらに座らせていただいてよろしいでしょうか」とオレに話しかけてきたのである。
心底驚いた。普通に空いている自由席なのだから普通にそのまま座ればいいのに。それなのにこの女子高生は、真ん中の席が一つ空いているにも関わらず、窓際に座るオレに許可を求めてきたのである。
あわわわわ、ももも、もちろんどうぞ。
驚きのあまり思い切り挙動不審に答えたオレであった。
なんというか、いまとき、こんな礼儀正しい女子高生がいるとは。これは奇跡である。おじさんはとにかく驚いたのだ。
そして普段のオレ自身の立ち振舞いを振り返り、この女子高生の足元にも及ばないなあと反省した次第である。
新幹線は約1時間後、次の名古屋駅のホームに滑り込んだ。
するとこの女子高生はすつくと立ち上がり、オレに向かって「失礼しました、ありがとうございました」と深々と礼をして、そして立ち去ったのである。オレは再び、あわわわわ、お、お疲れさまでしたと間の抜けた挨拶を返したのだった。
名古屋のいいところのお嬢様が新幹線に乗って京都のお師匠さんに踊りでも習っているのだろうか。おじさんはそんな妄想をしつつ、夜の新幹線に揺られるのだった。
なお、なぜオレが自由席に座っていたかについては、あまりにも情けない事情のため、書きたくない。
2022.11.06
代表キーパーと得点王を擁する清水エスパルスがJ2に降格したことによって受けたショックが癒えぬまま、コマちゃんは2日続けてショックを受けることになる。なんと、ももクロのれにちゃんが結婚だ。
れにちゃんというのは、あれである、紫である。最年長である。一番地味で、もうすぐ30歳である。
最年長だから常に一歩引いて若い子たちを後ろから支えるのは女子の職場で大切なこと。れにちゃんはそれを忠実に実行している、いい人なのである。
いい人だから結婚しておめでとうである。コマちゃんもオザキもショックだろうが、そこは快く拍手を贈ろうではないか。
結婚して家庭に入ってお母さんになって、ももクロは3人になってしまうのだ。キャンディーズか、かしまし娘か。いや、てんぷくトリオだな。
3人でも、ももクロを続けるらしいが、さすがに無理じゃね? 痛々しくて見てられないのではないか。
今こそ解散のチャンス。ここで解散すれば、ももクロは伝説になれる。といっても、どいつもこいつもピンでやっていけるような芸人じゃないしなあ。いっそみんなまとめて結婚すればいいのではないか。
そんなことを言うと、コマちゃんやオザキにぶっ飛ばされそうだが。
などと考えながらJ2プレーオフの熊本対山形を見る。どちらもいいチームだ。岡山はこの両チームの爪の垢でもなめたほうがいいわ。
特に後半は両チームともほとんど足が止まることなく、ずっと走りっぱなし。よくぞこんな戦術に仕上げたと呆れさせられる。
特に熊本の大木監督は、弱いチームが勝つにはこれしかないと徹底して弱者の戦術を叩き込んだわけで、これぞJ2仕様。J1では選手が反発して絶対に採用されない戦術だろう。
心情的には山形に勝って欲しかったが、熊本が勝ったのもよいことだ。拍手である。
そして来週はJ1京都と入れ替え戦。京都対熊本となるとあまり新鮮味がないので、できればガンバか清水に相手をして欲しかったところなのに、清水はほら、あの体たらくで自動降格だし、ガンバはシュート1本でなんとか引き分けてJ1残留というセコさだし。仕方ないから来週は熊本に頑張って京都を破ってもらいたいものだ。
それにしてもプレーオフはしびれるなあ。
こっちは上から目線で面白がっているだけだが、当事者にとっては神経がすり減ってたまらないだろう。
先週は岡山、今週は熊本と、二週続けて大遠征をした山形サポは本当にご苦労さんだ。その様子を見ていると、オレたちも一度ぐらいはプレーオフを体験してもよかったかも、という気がしないでもない。
実際にやることになったら、精神的にも経済的にも大ダメージだったろうが。
2022.11.05
日本代表ゴールキーパーとリーグの得点王がそろっていて最終戦に4点取られてJ降格決定とは、さすがに呆れる。清水エスパルスのことだ。
しかも降格が決まった瞬間、日本代表ゴールキーパーは薄笑いを浮かべ、リーグの得点王は号泣だ。何の闇だ、これは。
ゴールキーパーは「しょうがねえな、次はどこのチームに行こうかな」と早くも移籍の算段をしていたのだろうし、号泣の得点王には間違いなくJ1チームから移籍の話がくるはずだ。
これは清水も千葉化待ったなしだな。
おかげで来シーズンのJ2には清水に磐田に、先ごろJ3から昇格したばかりの3チームがそろった静岡リーグになってしまった。幸甚の至りである。
などというふうに世間が大騒ぎしているのをよそ目にオレは、ヨメの母親、要するにおばあちゃんを連れて東大見学に出かけた。孫、つまりオレの息子ね、孫が東大に入学したのが嬉しくて嬉しくて、おばあちゃんは一度観に行きたいと思っていたのだが、残念ながらずっとコロナでシャットアウトされていた。
それが今年度から解除されて、誰でもフリーパスで入れるようになったので、今日はいいお天気だし、おばあちゃんを連れていってあげようということになったのである。息子はゼミの勉強のために大学に出ている。その息子を呼び出して、簡単に案内させたわけだ。
東大は、建築物のほとんどが文化財である。釘一本打つにも勝手なことはできない。堅苦しいのである。
特に図書館なんてすさまじい文化財で、息子が「図書館で勉強するよりスタバのほうがよほど落ち着く」と口にするのもよくわかる。その図書館は、基本的に部外者立ち入り禁止なのだが、受付で見学させてくれとねじ込んだところ、在学生が同行するなら可ということで、しっかり中に入ることができた。
いやあ、びっくりした。すごい建築物だわ。そりゃこんなところで落ち着いて勉強なんかできやしない。といいつつ、ちゃんとここで勉強するから東大生なのであって、オレみたいな私立文系なんかは恐れおののくばかりなのだ。
三四郎池を見学してドトールでコーヒーを飲む。
構内は一目でそれとわかる見学者ばかり。もはや東大は観光地だ。
平日はというと、これが大量の高校生であふれかえっている。修学旅行だったり社会科見学だったり。東大という場所を見るだけでなく、本物の東大生という生態を観察しようという目論見もあるようで、息をしている東大生とか歩いている東大生とか座っている東大生なんかを高校生が眺めているらしい。さすが東大生。いるだけで見世物だ。
そんなふうにオレたちも田舎から出てきた見学者そのもので学内を見てまわり、少しばかりアカデミックな気分を味わったのだった。
2022.11.04
西武鉄道が危うい。一部には「破産するんじゃないか」という噂さえある。
もちろん今すぐ破産するとは思えないが、けっこうピンチなのは確かだ。
先日「お金がないので新型車両が買えません。中古車両で間に合わせまーす」と発表したときは、みんなずっこけた。オレたちが普段乗っている鉄道会社は、そ、そ、そんなに落ちぶれていたのか。
東急や小田急や京王のお古をもらって、それにオレたちは乗るのか。東武だったらイヤだな。まてまて、同じように破産の危機にある京急のおんぼろ車両を買ってくるかもしれないぞ。
おちぶれた大きな原因はコロナにある。なにしろコロナ前と現在では、客が24%も減ってしまったというのだ。売上、大幅ダウンである。
だがコロナは他の鉄道会社だって同じではないか。ではなぜ西武だけが貧乏になったのだ。
そこには長期的な視点というものが欠けていたことが挙げられる。
例えば西武沿線には大学が少ない。東武鉄道が高齢化社会を見越して若い乗客を取り込もうと熱心に大学・短大・専門学校を沿線に誘致してきたのとは対照的だ。
では他に何か乗客誘引の仕掛けがあるかといえば、そうである、西武ライオンズがある。これはなかなか立派な仕掛けだ。年間を通してというわけではないが、オフシーズンにはライブなどにドームが使えるし、そこそこの乗客は期待できる。
だがそれ以外はどうだろう。西武園ゆうえんちを大幅にリニューアルしたと思ったら、何が面白いのか昭和レトロな遊園地に様変わり。聞くところによれば園内の買い物はチケット制で、このチケットがバカ高いらしく、誰もが二度といくもんかと思うらしい。
秩父のほうにはムーミンのテーマパークがある。ム、ムーミンかよ。とても誘因力があるとは思えない。
そして極めつけがこれだ。ハリーポッターのテーマパーク。
西武線で一番の集客力を誇ったのは、間違いなくとしまえんであった。そのとしまえんを潰して何ができるかというと、ハリーポッターのテーマパークだ。この発表を聞いたとき、沿線住民は、西武鉄道の迷走ぶりもここまできたかと天を仰いだものだった。
このテーマパークに合わせてターミナルの池袋駅もリニューアルするのだという。決定的に金の使い道を間違っているとしか思えない。
そもそもハリーポッターのテーマパークなんて、誰が行きたがるのだ。どこかの広告代理店と商社の口車に乗せられたとしか思えず、そこには長期的な経営戦略とは未来への展望とか高い志といったものはまったく感じられない。トホホである。
こんなことをしているから倒産するんじゃないかと思われ、海外ファンドでさえ逃げ出すのである。困ったものだ。
「一橋桐子の犯罪日記」原田ひ香・徳間書店。ここのところずっと昔読んだ本を読み返すことが続いている。一番多いのは浅田次郎の新選組三部作だ。もう何度読み返したか、わからないぐらい読んでいる。そして読むたびに面白い。これは読んだそばから話を忘れていくから、いつ読み返しても新鮮ということだ。とてもリーズナブルな読書である。だがこれでは完全にボケてしまうのではないか。たのにし新しい本も読まなくては。そう思って書店で手にしたのがこの作品、本当は話題になっている「三千円の使い方」を読もうと思ったのだが、老後の貯金など身につまされすぎる話だったので、切なくなるからやめてこっちにした。といってもこれも主人公は独居老人で、会社が買収されて仕事をクビになり、貯金もなく、アパートも追い出され、もはや生きていくには刑務所に入る以外にないと思いつめて、アホな犯罪に手を染めるという物語だから、やっぱり読んでいて身につまされるのであった。まあ、この小説は当然のように最後は善意の人々の手が差し伸べられてハッピーエンドで終わるわけで、そりゃ小説なんてそんなもんだわな、としか言いようがない。もっと違う作者の本を読もう。
2022.11.03
1980年代末期から1990年代初頭、つまり日本がバブル真っ盛りだった時代に、アメリカに留学していた人に話を聞いた。入社したメガバンクの社内制度を使って、会社のカネで留学したという人だ。
アメリカの大学院の授業では、教授の難しい質問への答えを求められるのは、いつも彼だった。そしてどんな答えだろうと、最後に「in Japan」と付け加えると、クラス中が「おお、なるほど」と納得したのだそうだ。世界の非常識であっても日本ではそれが当たり前。さすがジャパン・アズ・ナンバーワンというわけだ。
あの頃の日本は浮かれてましたからねえと、オレは口を挟む。
「浮かれてましたねえ」と彼も同意する。
そして「でも中国や韓国の留学生を見ていたら、すぐに抜かれちゃうんじゃないかって思いましたが」と続けた。
その彼は、今では日本を代表する大手メーカーの代表取締役社長。日本企業のポテンシャルはこんなもんじゃない、日本企業をもう一度世界で戦えるようにするんだという志で社長の座を引き受けたという。
「僕は国粋主義者なんですよ」と彼は笑う。留学生時代にアメリカで吸った空気から感じ取った何かが彼にそう言わせているのだろうし、今の日本企業の経営者にはこういう人が多いのだろうなあと思った。
銀行のカネで留学させてもらったのに帰国したらあっさり銀行を辞めちゃったんでしょ。大丈夫だったんですか。
そうたずねたら「当時はメガバンクを辞める人間がいるなんて誰も想定してなかったから、銀行も呆れちゃったのか、何も言われなかったですよ」と笑っていた。
時代は大きく変わったものだ。
2022.11.02
ジョホールバルの後のフランス大会の発表は、それは盛り上がった。例の「落ちるのはカズ、三浦カズ」の時である。
なんせ朝日新聞の一面でも報道されたほどで、サッカーの代表チームの報道が全国紙の一面に載るとはなあと、しみじみ驚いたものだった。
それに比べて今日の日本代表の発表がちっとも盛り上がらないのはどういうことだ、という話である。
いやあ、盛り上がらないのも当然だろ。
そもそも日常的にJリーグやヨーロッパサッカーが放映されているわけでもない。それらは今やわざわざカネを払って見る趣味の対象となっている。放映されないから選手も知らず、サッカーへの関心も薄れていく。
ジャーナリズムだって、先日の日刊スポーツの「カズPKで最年長ゴール」がJ2プレーオフを押しのけてどかーんとメインになってるとこと一つをとっても、サッカーそのものをどうでもいいと思っているとしか考えられない。ジャーナリズムがサッカーを殺している。これでは盛り上がるわけもない。
いやまて。そもそもオレ自身があんまり関心がないのは、やっぱり代表そのものに魅力がなくなったからだろうか。
いや、ちょっと前まではサッカーといえば代表だったのが、今ではサッカーといえばアルビレックス。クラブチームだ。代表の試合よりもクラブの試合の方が大事である。これはまるでスペインのサポと同じではないか。
ということは日本のサッカーファンの意識が、ようやくヨーロッパレベルに追いついたということかもしれない。おお、なんと素晴らしいことだ。
というわけで今回も、やっていれば観るけどそんなに真剣に応援する気もない、というのが日本代表へのスタンス。まあ、頑張ってくれ。富安と鎌田に期待する。
2022.11.01
本日は京都に日帰りである。
伏見稲荷近くの大学に現地集合というので、せっかく一人なのだからと早めに出かけて少し町歩きをすることにした。秋の京都である。さぞや風情豊かであろうぞよ。ところが生憎の雨で風情なんてもんじゃなく、散々であった。
雨だから歩き回るのはやめて、島原大門の輪違屋を眺めて帰ることにする。駅は嵯峨野線で2駅の丹波口である。
乗り換えのために向かった嵯峨野線京都駅で立ち食いそば屋を発見。どれどれと味わってみることにする。つゆはあっさりとして旨かったが、麺が全然ダメだな。そばはやっぱり江戸に限る。
そう息子にLINEしたら「田舎もんが何かゆうてはりますなあ」と返ってきた。京都のいけず。
雨の中で輪違屋を眺めて、あっこの窓から糸里と吉栄が土方はんを待っとったんやなあと、しみじみたたずむオレであった。
とって返して伏見稲荷まで行き、高校の修学旅行らしき団体に紛れて参拝。家内安全商売繁盛と100万回唱える。お賽銭は500円。奮発した。
さきほど立ち食いそばを食べたので腹は減っていなかったが、この近くに関西ラーメングランプリの味噌部門で1位を取ったラーメン屋があるというので立ち寄ってみる。カウンターばかり7席の小さな店で、店主が偏屈だったり変なしきたりがあったりしたら面倒くさいなあと思ったが、案に相違してごくまっとうな常識人の店主だった。
いただいた特製味噌ラーメンは慣れ親しんだ味噌ラーメンとはまったく違って、魚介の味が勝ったスープ。麺も太い。それなりに旨かったのは確かだが、好みでいえばオレは近所のラーメン屋の味噌が好き。
いや、サッポロ一番味噌ラーメンにとどめを刺すのではないか、味噌は。麺は縮れ麺が好きだなあ。
息子にそんなことをLINEしたらスルーされた。いちいち親がLINEしてくんなよ、めんどくせえ、と思われたに違いない。
その後、大学で取材仕事をこなす。これが近年にないほどグダグダで、確かにオレもうまくないが先方の仕切りや企画もどうなんだよというもので、どっと疲れる。取材相手の教授が「どうすんの」いうから、まあ、なんとかしますわと応えて、客が「さすがタンゴさん」と持ち上げるという、そりゃオレがやるしかないわな、任せとけと現場を去る。
長く仕事をしていればこんなことはよくある話で、それを別とすれば気のいい人ばかりの楽しい現場だった。大学はきれいだったし。
帰りの新幹線は18時を予約していたが、それより早いのに乗れそうだったので京都駅に向かう在来線の中でスマホを操作して列車を変更する。エクスプレス予約の最大のメリットはこれだよな。何度でもスマホで変更できてしかも無料。以前ならばいちいち窓口に並んで変更を依頼しなくてはならなかった。
おかげで時間も無駄にせずに済む。
品川まで2時間、品川から家までがっつり1時間。新幹線は座れるけど、品川からは山手線に西武線だから、こっちの方がずっと疲れる。出張あるあるだ。
あまりに疲れたので、駅前の焼き鳥屋でぐいっとビールを飲み、そしてへとへとになって帰り着いて風呂に入ったのだった。
2022.10.31
韓国で起きたハロウィンの大惨事には驚いた。
セウォル号といい、どうもあの国は時々ケタ外れのことをしでかすようだ。とはいえ、被害者はとことん気の毒である。何が悪いというわけでもなく、ただ人が集まっただけで命を落としてしまったのだから、やりきれないだろうなあ。
怒りのぶつようがないというか、責任者出てこいといってもそもそも主催者もいないわけだし。ここはやはりあれですな、日本に謝罪と賠償を求めなくては国民は収まりませんなという意見が出てくることはまちがいないだろう。
それはともかく、こんな騒ぎが起きて迷惑顔なのが息子である。というのは息子は大学の部活に行くために、ハロウィンの渋谷ハチ公前を通って井の頭線に乗らなくてはならないからである。
「大迷惑だ」と言いながら息子がLINEで送ってきたのが渋谷駅前通過時の動画。わははは、仮装より見物のほうが多いじゃないか。しかも行儀よく、穏やかに周回している。
息子によれば、なんと駅前のスクランブル交差点が一方通行に制限されているそうだ。なるほど、警察もなかなかやるな。そしてそれをちゃんと守る日本人もたいしたものだ。
というか、息子よ、なんで井の頭線の乗り換えでスクランブル交差点を渡るのだ。見物したかっただけじゃないのか。
2022.10.30
今我が家では、日本経済新聞に読売新聞、日刊スポーツを取っている。昔は5紙とっていたからだいぶ減った。それでも今時3つも新聞を購読しているなんて、と驚かれる。
日経新聞はビジネスの常識として、読売新聞は世の中を知る壁新聞として、日刊スポーツはエンタメ情報のためと、それぞれに役割はちゃあんとあるのだ。
ここで問題にしたいのが、日刊スポーツである。
朝刊を開いて驚いた。1面がオリックスの優勝というのは当然としても、サッカー面でカラーでどどーんと紹介されているのが「カズがカズダンスを踊った」というネタなのはどういう了見だというのだ。
カズは今、ポイントゲッターズという三重県のアマチュアクラブに所属している。もちろん控えだ。55歳のおっさんがアマチュアチームとはいえレギュラーだったらおかしな話だから、それはよい。
そのカズが途中出場して5分でPKのチャンスとなり、見事にゴールを決めたのだという。そして5年ぶりになるカズダンスを披露したというのだ。
なんなんだ、このニュースは。
同じ日、J2ではプレーオフの激烈なゲームが行われている。
その国のトップリーグの一つの下で重要なゲームが行われたというのに、アマチュアのロートル選手がPKを決めてダンスをしたというニュースのほうが大きいのだから、仰天を通り越して力が抜けてしまうわ。
これがスポーツメディアの体たらく。スポーツジャーナリズムの現実。
スポーツメディア自身がスポーツコンテンツの価値を貶めていることに、そしてその事実に無自覚であることに、オレは既に諦めの境地である。
だから購読している新聞を次にやめるとしたら、躊躇せずに日刊スポーツを切るつもりである。
とはいえ来年はアルビレックスがJ1だから、まだしばらくは購読するつもりだが。
というわけでJ2のプレーオフである。
みんなの敵、ファジアーノ岡山と青森山田。今日はその岡山が山形とプレーオフの一発勝負である。結果は3-0で山形。圧倒的な力の差だった。
興味深かったのは岡山が徹底的にファールを取ってもらえなかったことである。
戦術コロコロと呼ばれているぐらい、岡山はペナ内に入ると転んでPKをもらってきた。今日も試合中、ペナ内で転んだのは9回にものぼる。そのつど岡山の選手はファールをアピールしてPKを要求するのだが、ことごとく審判にはねのけられた。あげくにイライラして狼藉に及んでカードをもらったばかりか、ゲーム終了後も審判にぐちぐちと文句を言っていた。
シーズン中の岡山は、好き放題にPKをもらっていた。これはルール適用のミスで再試合をすることになってしまったという審判部の大失態が判明してから顕著で、要するに審判部としては岡山への詫びとしてPKをおごりまくっていたのである。
そのシーズンが終わった途端、審判部はもう忖度する気がなくなったので、当たり前のレフェリングに戻ったというわけだ。もちろん邪推であるが、そんな推理が正解に思えてくる試合であった。
つまり今までさんざん審判に助けられてPKをもらってきたから、プレーオフの今回も今まで通りにPKをもらえると思って転びまくっていたら、すべて拒否られてしまったという岡山だった。
シーズン中、ずっとコロコロ戦術で勝ってきたから、今さら変えられないのも道理。わかっちゃいるけど転ぶのはやめられなくて、それで9回もペナ内で転んでしまったのである。
見ている方も、ほーら、また転ぶぞ、ほら転んだと流れが見えている。審判も当然そんなことはお見通しだから、勝手に転んでろとまったく相手にしないのだ。
今までカンニングを見逃してもらって合格点を持ってきたのに、最後の進級テストになったら一切のカンニングを認めてもらえなくなったわけだ。そりゃ負けて当然。
この体たらくに日本中が青森山田と同じように大嫌い視線を向けただけでなく、岡山サポ自身も「恥ずかしい」「みっともない」「もうやめる」と嘆くのであった。因果応報、天に唾する自業自得。こんなチームとJ1に上がらずに済んで、一安心である。
もっともゲームという点ではその前の熊本対大分のほうが断然面白く、下位だった熊本が終盤の鮮やかな逆転劇で大分を破って勝ち進んだ。熊本はいいサッカーをしている。正しいサッカーだ。
この試合では、終了後、大分のサポーターが選手にブーイングを浴びせ、選手がそれにぶち切れて客席と怒鳴り合うという香ばしい展開になった。自分のところの選手にブーイングする感情だけは、オレにはどうしても理解できない。
ぶち切れた選手は昨シーズン「応援してくれるサポを置いて出て行けない」と移籍を断った選手だったので、このブーイングのせいで今度は移籍するだろう。
という具合に土日もサッカー三昧だったのでちっとも原稿が進まず、コマちゃんごめんなさいと、オレは謝るのだった。
2022.10.29
その日、オレは急いでいた。
銀座で朝一番の仕事を終え、早足で家へ帰るところであった。急いでいた理由はこの際どうでもよい。池袋で丸ノ内線から西武線への乗り換え時間は3分しかない。オレはその急行に乗らなくてはならないのだ。なぜ急いで乗らなくてはならないかは、この際どうでもよい。
3分間という乗り換え時間は、決して余裕ではないが、無理な間隔でもない。それでもベルが鳴ってからの駆け込み乗車はかっこ悪くて避けたいから、早足で歩いていたのである。
すると改札を抜けた先で、床に何かが落ちているのが目に入った。ゴミかよ。いや、定期券か。定期券なんていまどきまだあるのか。いや、SuicaやPASMOだってICカードだから、定期券もICカードなのかもしれない。オレ自身はもう30年以上、定期券なんて持ったことがないし、そもそも我が家の子供たちは大学へ通うのに定期券を使っているのだろうか。そりゃ使っているに決まってるわな。
などということを一瞬にして考えつつ、オレは目を見開く。
床に落ちていたそれは、なんとクレジットカードであった。
げっ。げげっ。立ち止まってオレは、床にあるそいつを凝視する。午前10時59分の池袋駅は、ターミナルとはいえ、さすがに閑散としている。立ち止まったオレの周囲に人はなく、誰もそのクレジットカードに気づいていないようだ。
あああっ、めんどくせええっ! めんどくせえよおお!
オレは11時発の急行に乗りたいのだ。そのために焦って早足でここまで来たのだ。それなのにどうして改札を抜けたというタイミングで、クレジットカードに呼び止められてしまうのだ。
「そんなこといわないで、早くボクを拾っておくれよう。お願いだよう」
クレジットカードはそうオレに訴えるのである。カードにはTOBUの刻印。
一瞬無視して通り過ぎようとするオレ。何しろ11時発の急行が目の前にいる。
だが無視できなかった。根が善人のオレは、我が心に住む宮沢賢治が頭をもたげるように「すべてのことに自分を勘定に入れない」とつぶやくのを脳内で聞きながら、腰をかがめてそのクレジットカードを拾い上げてしまったのである。
もちろんそのままポッケないないするわけにもいかない。
オレは来た道を急いで引き返して早足で改札脇の駅事務室に飛び込んだのである。そして目を丸くする駅員にほらよっとカードを投げ渡し、あの急行に乗らなきゃならないからオレは急いでいるから後のことは任せたからよろしくねオレは急行に乗るからと口走って、再び急行を目指して早足で進んだのだった。
幸いにもオレの俊敏な行動によって急行には余裕で間に合った。さらに素晴らしいことに11時発という中途半端な時間のため車内は空いていて、急行にもかかわらずしっかりと座ることができた。
お天道様は善行を見てくださったのである。
その後、オレは予定した時間通りに家へ帰って、事なきを得たのである。
ああ、いことをしたなあ。人助けは気持ちいいなあ。
先日のそんなことを思い出しながら、今日はJリーグの残留争いのゲームを眺め、そして悪の巣窟である磐田の降格決定に拍手を贈ったのである。お天道様はこんな汚いチームをお許しにはならないんだよっ。
こちらは昇格、あちらは降格。行き違いになったおかげで、来年も対戦しなくて済むというのは甚だ幸甚。善行とは、重ねるものである。
2022.10.28
チョンテセが引退した。ちょっと驚いた。
在日で北朝鮮国籍のサッカー選手である。日本で生まれ育ち、北朝鮮代表選手となった。誰もが「なぜあんな国を選んだのか」と驚いたけれど、そこには本人ならではの深い思いがあったのだろう。
日本代表と北朝鮮代表がワールドカップ予選で戦ったのを、埼玉スタジアムで息子と一緒に見た。チョンテセはにっくき北朝鮮の選手として活躍し、途中交替でベンチに引っ込んだ。
試合はロスタイムギリギリに吉田麻也のヘディングで何とか日本が勝った。その瞬間、スタジアムの大型ビジョンにベンチのチョンテセの顔が大映しにされ、心底悔しそうな表情に、スタジアム中が沸き返ったのだった。
そんなチョンテセが清水をクビになって、引退を覚悟したときに声をかけたのだアルビレックス新潟。テセにとっては地獄に仏だったらしい。一方オレたちアルビレックスサポーターは、そんなビッグネームが来てくれるなんて田中達也以来だと驚いたものだった。
家族を残して単身やってきたチョンテセは、想像以上に素晴らしいプレーヤーで、みんなたちまちファンになった。
熱くて人格者、ディフェンスを吹っ飛ばすほどの強さと柔軟さ。いろんなものをもった選手だった。
とにかく人間性が素晴らしくて、多くの若手がすぐになついた。クロスやパスを失敗して「すみません、テセさん」と謝ってきた若手に「いいよいいよ、ガンガン上げろ」と返す。これで若手は萎縮するどころか「はい、テセさん!」と勇気をもらう。「今度はもう一呼吸早く上げてみな」というアドバイスも忘れない。
ベテランのあり方というものを身をもって示してくれた選手だった。
もちろんストライカーとしても超一流。「フリーな時ほどダイレクトでシュートしろ」とか「走り回るな、シュートがブレる」とか、ストライカーならではの極意をいつも語ってくれた。
オレが最も印象に残っているのは、町田相手にハットトリックを決めたときの2点目だ。
本間至恩が相手から奪ったボールを中島元彦にパス。その瞬間、深いところにいたチョンテセは右サイドを猛烈に駆け上がる。それを見た中島が50mのダイレクトパス。これが見事にテセの足もとに入って、テセはダイレクトでゴールに突き刺してみせたのである。
絵に描いたような美しいカウンター。サッカーの醍醐味がすべて詰まったようなシーンだった。
その町田にテセは移籍し、そして最終試合がビッグスワンのアルビレックス戦。なんというドラマか。
嬉しいことにテセはアルビレックスのことを「大好きなチーム」といい、プロとして最後の試合をアルビレックスとできたことに感謝して、メッセージを寄せてくれた。「このクラブに関われたことの誇りを胸に、悠然とサッカー界を後にします」と、どこまでもカッコいいメッセージだった。こんなん、泣いてまうがな。
新潟だけでなく町田と清水のサポにもメッセージを残してくれて、これがどれも大変な美文なのである。テセはなかなかの作家でもあるのだ。この言語感覚を活かせば、解説者はもちろんのこと、文章の方でもサッカーに関わっていけるだろう。
正直、まだまだやれると思っていた。引退するなら、もう1年、アルビレックスでボールを蹴ってほしかった。それだけが残念だ。
チョンテセ。記憶に残る、素晴らしいストライカーだった。
2022.10.27
仕事に必要なのはA4サイズのRHODIAのメモに、資料を収めた同じくA4サイズのファイル、そしてICレコーダとペンを収めたペンケースである。これらすべてが同じオレンジ色で統一されているところが素晴らしいというかアホじゃねというか、アルピサポの鏡というか。
たったこれだけあれば(あとはオレの頭脳と癒やしの笑顔があれば)、仕事は完璧にこなせるのである。楽勝だ。
だが地方で一泊という事情が重なると、状況は途端に一変する。着替えやら何やらを持っていかなくてはならないので、荷物が数倍にも膨れ上がるのだ。
「ちょっと待て、着替えやら何やらの“何やら”ってなんだよ」
そういうつっこみは当然のことだろう。そうである、問題はこの“何やら”なのである。
正解を先に言うなら、“何やら”の正体はC-PAPだ。
睡眠時無呼吸症候群のオレは、寝ている間に息が止まる。だから強制的に空気を送り込んでくれるC-PAPという機械が、寝るときには必要なのだ。これが案外な大きさで、しかもけっこう重いのである。
こんなものを持っていくのは大変だし、空港の保安検査で引っかかっても面倒だ。一晩ぐらい使わなくても大丈夫だろう。置いていってしまえ。そうすりゃ荷物も軽くなる。
だがそうもいかないのである。何しろオレは重症なのだ。医者が「うひゃひゃひゃ、よく今まで死ななかったですね」と笑い、すれ違う看護師が「くすっ、タンゴさん、よく今まで死ななかったですね」と笑ったほどの重症である。最長で1分20分も睡眠中に息が止まっていたらしく、これは要するにオレの命に関わる問題なのだ。笑うんじゃねえよ、ナース。
つまりC-PAPはオレの生命維持装置なのだから、無理してでも出張に持っていかなくてはならないのだ。仕方ないではないか。
そこで一泊出張用サイズということで買ったリュックに詰め込む。小型のキャリーもあるのだが、たかが一泊の出張でガラガラと引っ張っていくのも大げさだ。客の手前、かっこ悪い。そこでリュックというわけである。
おかげでC-PAPやら着替えやらを飲み込んでパンパンに膨れ上がったリュックは非常に重く、それを背負って歩いただけで大変に疲れてしまったのだった。どこが疲れるって、羽田までの西武線や山手線などのラッシュの電車内が一番疲れるわけだが。
なお懸念された空港の保安検査ではC-PAPは何の問題もなく通過。オレは村田兆治にならずに済んだ。
ただ帰りの長崎空港では、保安検査所でも搭乗口でも、なぜかオレのQRチケットが読み込めないというトラブルが発生した。おかげでオレだけ止められて、最終の搭乗者になってしまったのである。えらくカッコ悪かった。
なぜオレのQRチケットだけ読み込まれなかったのだろう。もしかしてインチキに入手したチケットじゃないだろうなと、手配してくれたコマちゃんを責めるオレであった。
2022.10.26
諸君。私は今これを、羽田空港の出発ロビーで書いている。時刻は18時30分。こんな時間から飛行機に乗るのだ。向かう先は長崎である。
私は今まで全国の様々な地方に出かけてきて、43都道府県を制覇した。これから向かう長崎は初めての土地であり、したがって私にとって44番目の制覇先となる。残るのは鹿児島、高知、和歌山の三県だ。うーむ、地味に遠い。なかなか行く機会はなさそうである。
せっかく初めて長崎へ行くわけだから、ここは美味しい酒と美味しいツマミに期待したところだ。だが時間が時間である。美味しいツマミどころか、ちゃんと晩飯が食えるかどうかを心配しなくてはならないようだ。何しろ時間が時間だ。到着予定時刻の21時30分は、長崎のような最果ての田舎にとっては深夜も同然である。
おそらくコンビニでツマミとビールを調達して終わりではないか。そんな嫌な予感しかない。
果たしてどうなるのであろうか。続報を待たれよ。
というわけで諸君。ここからは長崎に到着してからのレポートである。
地方都市にとって21時半は深夜も同然である。それどころから長崎空港から高速バスに乗って長崎市内に到着したら22時半を過ぎていた。もはや日付が変わったも同然である。街は暗く、店舗は明かりを消し、人々は肩を落としてこの地の果てで朽ちていこうとしていた。
我々も晩飯はコンビニで、と諦めかけていた。と、その時。目に入ったのが、普通のしょぼい居酒屋であった。
我々に選択肢はない。前日に「居酒屋なんてこの世にいらないのだ」と吠えておきながら、その舌の根も乾かないうちに名も知らぬ居酒屋へとまっしぐらに飛び込んだのである。
女将が一人で切り盛りしているその小さな居酒屋でありついたビールの美味いこと美味いこと。刺し身も揚げ物も大変に美味であったのである。
その女将と何やら旅先のロマンスなどが生まれるわけもなく、こうして私の44番目の制覇は無事に成し遂げられたのであった。
コマちゃん、ごちそうさまでした。
2022.10.25
駅前の居酒屋が潰れそうである。潰れるといっても、大きなチェーン店だから撤退するという表現が適切であるが。
コロナ前は週末になると客があふれて、予約してなければとても入れなかった。仕方なく別の店を探して晩メシ難民になったりしたこともよくあった。
それが今ではいつ行ってもガラガラ。出勤してきたバイトが、あまりの仕事の少なさに途中で帰らされる始末であるという。気の毒に。バイトも、帰らせる店長も。
コロナのせいであることは間違いないのだが、もうこれは時代の節目を曲がっちゃったのかもしれないなあ。なにしろオレたちは飲み屋に行かなくなった。宅飲みの手軽さ、コスパを知ってしまった今となっては、そりゃあたまには居酒屋にも行きたいが、普段は宅飲みで十分と考えるようになった。
Z世代である息子を見ていても、飲んで帰ってくるという場合は大体が仲間のアパートでの宅飲みである。それどころか、打ち上げの飲み会すらない。娘も同様だ。
もうこの世に飲み屋というものは不要になったのかもしれない。
そもそも会社でさえ飲み屋に行かなくなった。
オレが一万円札をひらひらさせて必死になってタクシーをつかまえていたバブル時代はもちろんのこと、嫁がSEとして働いていた氷河期でさえ、毎日のように飲み会が開かれ、ともかく仕事が終わったら飲み屋だった。先輩の中山さんも、営業だったから週のうち5日は飲み会だったという。毎日じゃん。
今やそんなライフスタイルは軽蔑の対象だし、誘っただけでパワハラと訴えられかねない。時代は変わったものだ。
それで大きく困るかというとそんなことはないのだが、それでもたまには居酒屋にも行きたいから、多少は残って欲しいものである。
同じようにこれは世の中から不要になりつつあるのではないかと感じるのが、大学祭だ。
息子も娘も、学園祭なんて「ふーん」という感じでまったく関心がない。それどころか「部活が休みになるからじゃまくさい」と迷惑顔である。
一つにはコロナで中止が続き、学園祭のノウハウや熱さを知っている世代と断絶してしまったことが挙げられる。オンライン学園祭なんていっても、面白いものじゃないし。先輩からの伝承がきっぱりと途絶えてしまった。
高校はそれでもクラス単位での学校行事となるから半ば強制的に学園祭に参加するのだろうが、大学となるとなにかの団体に所属していなければ参加の機会はないから、コロナで人間関係形成の機会が失われてしまった3年生以下には、そもそもそういう団体に参加してすらいないから、必然的に学園祭なんてひとごとなのだ。
加えて意識の変化も大きいようだ。
考えてみれば学園祭なんてSDGsの対極のような存在である。ゴミは出るわ、フードロスだわ、エネルギーは無駄遣いするわ。準備のために深夜まで居残ったりするのもまったく無駄だし、要するに生産性ゼロでとことん合理性に欠ける馬鹿騒ぎが学園祭だ。環境問題や人権問題などへの意識が高く、社会課題との距離のとり方に敏感なZ世代にとって学園祭なんて、この世にいらないものの極みのようなのだ。
これはちょっと大きな変化である。昭和から平成に受け継がれてきた学園祭も、令和となってとうとう命脈を断たれようとしているのではないか。
年末忘年会と秋の学園祭。それを風物詩と言うなら、もう日本からこの風物詩は消えかけているのかもしれない。となったら、次はクリスマスとハロウィンとバレンタインか。
毎年、お返しのお菓子を山のように買ってカバンに詰めて出かけていく息子に言わせれば「クリスマスとハロウィンは宗教行事だから仕方ない。だがバレンタインはまったく無意味なバカ騒ぎだ。ただちに中止すべきである。とても迷惑している」ということになる。オレも同感である。
2022.10.24
電子マネーは便利だ。
今ではコンビニへ行くときも財布は持たず、スマホだけ手にして出かける。いや、昼飯を食べに行くときもそうだし、飲み屋に立ち寄るのもそう。打ち出の小づちではないから時々「残高不足です」とか言われて、慌てることはあるが。
郵便局で手紙を出したり切手を買ったりするのも、電子マネーでできるようになった。それでもヨメに聞いたら「電子マネーは少なくて現金で払う人が圧倒的」とのことである。まあ、郵便局って、若い人は行かないよね、年寄りばかりだよね、というわけだが。
デジタル化はこんなにも便利なのだから、保険証も運転免許証も一日も早いところマイナンバーカードに一本化すべきだ。
コロナワクチンの接種証明のアプリを入れたら「すげえ便利ですわ」とコマちゃんが喜んでいる。もはや神の証明書を持ち歩くなんてバカバカしいから、保険証も免許証も、なのである。利便性が一気に高まるのは自明の理だ。
それなのに立憲民主党あたりをはじめとする連中が反対するのは、バカバカしすぎて話にならない。「停電になったら医者に診てもらえない」「落としたら困る」とか、いやいや、停電なら診察そのものが行えませんて、と医者自身に反論されて終わりだ。
日本のDXを阻んでいるのは、立憲のバカどもである。いや、立憲に限ったことではないが。
保険証も免許証もマイナンバーカードそのものも、カードなんかにしないでアプリにしてスマホに入れてしまえばいいのに。
そうしたら持病の検査で毎月医者に通う際も、スマホだけ持てば受付から会計まで全部済んでしまう。薬の処方だってバーコード発行すればスピーディーかつ正確に進むのに。
などとパヨクのバカさ加減に呆れながら、今日から始まったフジテレビのドラマを見る。いわゆる月9だ。タイトルはなんだかややこしいので覚えられない。
主演が長澤まさみと鈴木亮平という芸達者な2人で、役者がいいとドラマもいいなと改めて感じる。ただテレビドラマって毎回テレビの前に座って見なくちゃならないのが面倒だ。
はい、そんな私にTVerがあります。というわけで、これもTVerで見られるようだから来週からはTVerでいいや。途中で止めてトイレも行けるし、なんだったらちょっとずつ分けて見られるし。TVerがあればテレビはいらない。こういうのって、換骨奪胎って言うんだっけ? マイナンバーカードがあれば保険証も要らないというのもそれなのか? 違う気がする。
2022.10.23
キャプテンのゴメスがJ2優勝のシャーレを掲げたら、きっとオレは泣いちゃうんじゃないかと思っていた。まったくその通りで、今シーズン終了のセレモニーまで含めて、オレの涙腺は崩壊である。
いいチームだったなあ。いいサッカーをちゃんとやって、しっかり結果が出たというシーズンだった。
今シーズンのアルビレックスは、以下においてすべて1位だったのである。
・勝点84 1位
・勝利25 1位
・連敗0 1位
・得点73 1位
・失点35 1位
・得失+38 1位
・得点選手数20 1位
・無失点試合18 1位
・連続得点15 1位
・ホーム連勝10 1位
・シュート数477 1位
・ボール支配率60% 1位
・先制試合勝率95.8% 1位
・反則392 1位
・警告34 1位
・退場0 1位
・ホーム平均入場者数14,954人 1位
なんとまあ、完璧ではないか。そりゃ優勝するだろという数字である。
前半戦が勝ち点42、後半戦も勝ち点42。つまりはまったく大崩れすることなく、着々とトップを走り続け、他を圧倒したわけだ。
しかも正しいサッカーをちゃんとやりきったという充実感がたまらない。個人的には退場0というデータがじわる。いかにいいサッカーを貫いたかという証明だ。
とにかく誇らしいサッカーをしたと思う。
あとは、見ていて面白いとかワクワクするというよりも、やっぱり楽しいサッカーだったなあ。強いとかすごいとかではなくて、「楽しい」ゲームばかりだったよ。
もちろんシーズン中にはそんな実感はまったくなかった。やべえよやべえよ、負けちゃうよ、やっぱり今年も昇格できねえよ。
だがそれはまさしく杞憂であったわけで、圧倒的な強さを放って結果を出してみせたチームに脱帽である。シャーレを掲げたゴメスの、なんとも誇らしげだったことよ。
そして今シーズンのオレ様選定ベストゴール賞の第2位は、そのゴメスのゴールである。
対戦相手は徳島。8月6日のゲームだ。
試合は0-2のまま進んで、これは負けだなあと覚悟したら78分から立て続けに2点を奪って、2-2の引き分けに持ち込んだのである。78分に決めたのが右サイドバックの藤原で、85分に同点弾を入れたのが左サイドバックのゴメスだった。
この時期、アルビレックスは勝ちきれない試合が続いて、やっぱりダメか、ここから去年のように落ちていくのかと弱気になっていたときだった。そんなときに0-2から追いつくゴールをゴメスが決めて見せたのである。
このときのゴメスは、なんというか「オレたちをなめるんじゃねえよ!」という気迫に満ちていて、サポーターを温い立たせてくれたのである。
そうだ、キャプテンがまったく諦めてないじゃないか、オレたちはこれからなんだ。
そんな勇気をくれた、ゴメスのゴールだった。これがオレ様選定ベストゴール賞の2位ね。
続くベストゴール賞3位は、翌週8月14日に行われた栃木戦の2点目、藤原奏哉のゴールである。前週のゴメスの「オレたちは死んじゃいねえぞ」というタマシイの叫びに続く、「これがアルビレックスだ!」という復活のゴールであった。ものすごいメッセージ性に満ちたゴールだった。
とても高い技術のビューティフルゴールだったのだが、それを右サイドの藤原が、真ん中にするすると忍び込んで決めたことに驚く。しかも86分だ。
ゴメスの85分といい藤原の86分といい、こんな時間に、しかも両サイドバックがペナに侵入してゴールを決めたことに驚く。まさに偽サイドバックだ。
ちなみにアルビレックスの選手の中でオレの一番のお気に入りがこの藤原で、次が星雄次。星はボランチだが実にフリーダムかつアグレッシブな選手で、フリーランからのとんでもないポジション取りにはいつもしびれる。とてもクレバーだから、自分の役割をきちっと理解して汚れ仕事をこなせることにもしびれる。
もっとも最近は本間至恩の後継者である三戸ちゃんにもしびれている。しびれてばかりだ、オレは。
さて、お待たせしましたオレ様選定ベストゴール賞の第1位は、5月8日、ヴェルディ戦の矢村の4点目である。
前半で3-0とゲームを決めてしまったアルビレックスは、だがしかし後半にヴェルディに追いつかれて3-3としてしまう。バカ試合の典型だ。調子がよくて相手をなめ腐っていた、その有頂天の鼻をへし折られた試合だった。
こりゃあよくて引き分け、下手すりゃ3-0からの逆転負けという大恥のゲームになるぞ思った瞬間、年一ゴラッソの矢村がスーパーゴールを決めてみせたのである。87分のことだった。
矢村はシュート技術がチーム一上手いと言われるが、なかなか出場機会に恵まれない選手である。好きな選手なのだがなあ。そんな鬱憤を晴らしてくれるようなビューティフルすぎるゴールだった。
1位が87分。
2位が86分。
3位が85分。
どうだ、オレ様選定ベストゴールが図らずもこんな時間に集中しているあたり、いかに今季のアルビレックスのゲームがしびれるものだったかがわかるだろう。しかも両サイドバックに控えのフォワードである。誰が出ても試合を決められると言われたシーズンを象徴しているではないか。
このほかにも5月22日横浜戦の三戸による開始5分の衝撃の1点目とか、8月27日盛岡戦49分の伊藤の超絶ミドルとか、10月8日仙台戦J1昇格を決定づけた94分のゲデスの3点目とか、印象に残るゴールは数知れず。どのゴールも、それだけでご飯三杯は食えるぞ。
そんな具合にシーズン最終戦を終えてみれば、文句なしに圧倒的な1位である。サッカーダイジェストの昇格予想では、アルビレックスのJ1昇格を予想したのは、並みいるサッカージャーナリストの中でたった1人だった。節穴どもめ。ざまあみろである。
シャーレを掲げたキャプテンのゴメスは、そのキャリアのトップシーズンをアルビレックスで過ごした。自分が移籍してきた年にJ2に降格してしまい、その責任を取るために残ってくれたのだ。
今季は酒絶ち、ラーメン絶ちをしてシーズンを過ごしたという。その結果のJ1昇格、完全優勝だ。
きっと今夜はビールを飲んでたらふくラーメンを食べたに違いないと思ったら、ちゃんこ鍋を食べに行ったらしい。それもきっとさぞ旨かっただろうなあ。
2022.10.22
今日はルヴァンカップの決勝にJ1ガチンコ最下位争いという、よだれもののゲームを続けて観た。
いやあ、どっちも面白かった。ミスからの自滅ありの、ロスタイムの逆転ありの。
サッカーの醍醐味を十分堪能させてもらった。
なんでこんなによそのゲームが楽しいのかなあと思ったら、アルビレックスが既に昇格も優勝も決めてしまっているからだと気がついた。完全に上から目線なのである。
J2のオレたちがJ1のゲームを上から見ているのだから、ことのほか気持ちいいわけだ。だははは。
勝負事はやっぱり勝たなくては。
というわけでいよいよ明日は最終戦。今のメンバーのアルビレックスが試合をする最後の日になるのであった。
2022.10.21
獣神サンダーライガーは、挨拶の途中で目も合わせない若手がいると、ぶち切れるらしい。さすが、足りない身長の分を気合いと根性で補って昭和の新日本プロレスに入団した男である。挨拶はすべての基本であるとわかっているのだ。
いつだったかセコムの営業担当が我が家を訪ねてきたことがあった。彼女は辞する際に玄関先で「失礼します」と頭を下げたが、目はまったくオレの方を向いてなかった。とても嫌な気がした。だからライガーの気持ちもよくわかる。
挨拶はとても大切だ。
仕事の現場へ行くと、オレ以外の全員が顔見知りで、オレだけが全員と初対面ということが珍しくない。ここで大切なのは先手を取ってこちらから「初めまして、よろしくお願いします」と挨拶を切り出すことだ。このタイミングを逃してしまって何となく現場に入ってしまうと、誰だこいつ、失礼だな的な視線の中で仕事をしなくてはならない。
そんな失敗をオレも何度も重ねてきている。だから挨拶はとても大切なのだ。
ライガーと同じく、名古屋グランパスの長谷川健太監督も昭和の部活男だ。当然礼に始まり礼に終わると考えており、挨拶は非常に大切にしている。グラウンドに向かって頭を下げることも彼にとっては当たり前だ。
そんなハセケンの指導を受けた高校生のブログがちょっと話題である。
急きょ練習に参加することになった高校生は、ハセケンを前にして緊張しまくりで、呼ばれても大きな声が出せなかった。
ハセケン「声小さいな。ユースで挨拶習わないのか?」
高校生「いや、習います」
ハセケン「お前、やる気あんのか」
高校生「あります」
ハセケン「ねぇよ。お前やんなくていいや。出てって」
そんなやりとりがあって高校生はピッチから追い出されてしまったのである。
その後ハセケンは「緊張もあったかもしれないけど話してる時に目線を外したのが嫌だった。もっとユース選手には元気にやってもらいたかった」と話したそうだ。
このブログがちょっとバズって、「パワハラじゃねーの、ハセケン」とネット民はいきるのである。そして「そもそも挨拶とサッカーのスキルは関係ねーじゃん」と広がるのである。結果、挨拶不要論がここで再燃するのであった。
挨拶不要論は根強い。
挨拶なんて無駄、挨拶なんて面倒、挨拶なんて鬱陶しい。タルい。うざい。挨拶なんていらねーじゃん。
そういう声は年々高まっている。
子どもの世界に限った話ではないぞ。大きな会社に行くとエレベーターや通用口あたりの守衛さんが、出社してきた社員一人ひとりに「おはようございいます」と声をかける姿がよくある。
「あれ、鬱陶しいんですけど、やめてもらえませんか」とのクレームが、OLから警備会社に寄せられるというのだ。社会人の間にも挨拶不要論はじんわりと広がっている。
挨拶不要論を後押ししているのはLINEである。LINEではいちいち挨拶などしない。すぐに要件に入る。
「ヒマ?」とか「飲んでるから来い」とか、前置きなしですぐにコミュニケーションが始まる。
いや、LINEばかりではない。メールだって「お世話になりますうんちゃらかんたら」の前置きが省かれようとしている。
挨拶されると思考が遮られ、考えがまとまらなくなる。挨拶を返すように強制されているようで、かえって負担になる。とにかく面倒だし、時間の無駄。
確かにそう言われればその通りだ。挨拶なんていらないのかもしれない。そうすればオレ以外の全員が顔見知りという現場に行っても居心地の悪い思いをしなくて済むし、さっさと仕事に移ってサクサクと進めていける。
名交換することが(対面でも)明らかに減ってきたのも、この延長ではないか。初対面だというのに名刺を持たずに現れる人が少なくない。確かに誰が来るのかが事前にわかっているのだから、たとえ初対面でも名刺の交換なんて手間は省いて、とっとと本題に入ったほうが合理的だ。
コンビニでいちいち「いらっしゃいませ」と声をかけるのは、防犯の意味合いもあるのだろう。
ひろゆきは「欧米では、自分は敵でないことを示すために大げさに挨拶する」と指摘する。なるほど、自分の身を守るために挨拶をするというわけか。確かにアメリカ人とか大げさな挨拶をするもんなあ。
挨拶なんてないほうが気楽で合理的という考えには確かにそうだなと思う反面、やっぱりオレもライガーと同じく昭和に育った人間だからか、挨拶は大切だよと考えてしまう。子供たちにもちゃんと挨拶しろと言い聞かせてきた。
ハセケンは行きすぎだが、やっぱり挨拶は必要だと思う。でも時代の流れは挨拶レスに向かっているようで、次の元号に代わる頃には挨拶のない時代がやってくるのかもしれない。
2022.10.20
地元のパパ友の佐伯が、ずっと長い間「赤羽で飲みたい、赤羽に行ってみたい、とにかく赤羽に連れていけ」とうるさかったので、とうとう今日、赤羽で一緒に飲むことになった。
といってもオレも特に赤羽に詳しいわけではない。年に一度か二度、昔の仲間と飲む程度である。そのときの記憶を頼りに案内するしかない。
まず赤羽と言えばせんべろ。安い酒で安く酔えるので有名だから、その代名詞のような店で洗礼を浴びさせる。そうである、「いこい」だ。
オレも初めてここに中山さんに連れてこられたときは衝撃だったなあ。
ポテトサラダが140円、鰹の刺身が150円。とんでもない安さで、注文はすべて現金引き換え。いまどき喫煙し放題で、吸い殻は床に投げ捨て。もちろん立ち飲みだ。あまりの店にパパ友は呆れるのであった。
途中、店の入り口が騒がしくなる。なんと警官を伴った男が大声を上げて店に文句をつけている。どうやらテーブルやビールの箱が道のはみ出していることにクレームをつけているようだ。
ところが警察官は店主に「何かあったらすぐ110番してください」と耳打ちしているのを目撃してしまった。どうやらこのおっさんは危ないヤツらしく、言い分を聞くことで落ち着かせ、とにかく穏便に追い払おうとしているらしい。
その場はそれでおさまったものの、数分後、またそのおっさんがやってきて店の前で大声で文句をつける。そして店とのやりとりを見ていて、次第に状況が飲み込めてきた。どうやらそのおっさんは店から出入り禁止を言い渡されたにもかかわらず、それが悔しくて、そしてこの店が好きすぎで、騒ぎ立てているらしい。
店主はおっさんに対して「それ以上一歩も店に入るな」と恫喝し、常連も「出てけ出てけ」と大はしゃぎである。
なんと香ばしいのだろう、赤羽。さすがろくでなしの集う街である。
続いて、有名なおでん屋に入る。ここはいつも長蛇の列で、一度も入れたことがない。それが今日は数人しか並んでいないではないか。これはチャンスだということで並んで、10分ほどで入店した。
入店といっても路上での立ち飲みである。おでんは文句なく旨かった。ワンカップの日本酒におでんの汁をつぎ足してもらうという世にも不思議な下世話な飲み物も旨かった。酒は1杯だけ、20分で出て行かなくてはならないというルールのようだ。
ともかくせんべろの代表店と、いつも長蛇の列の有名おでん店で飲めただけでも、赤羽初心者としては合格。十分すぎるだろう。
これに有名な川魚の店を加えれば三冠制覇となったところだが、残念なことに川魚の店は営業終了であった。酔っ払いお断りと看板に書かれているほどだから、おしまいが早いのである。
結局我々は3軒目に、なんということは普通の居酒屋で刺身を食べ、そして贅沢にもタクシーを飛ばして帰ったのだった。木曜の夜の環八は気持ちいいほど空いていて、タクシーは川の上を滑るように走っていくのであった。
2022.10.19
甲府のまさかの天皇杯優勝からの翌日の吉田達磨監督解任に始まり、中村俊輔引退、工藤の突然の重篤報道、もちろんアルビレックスの優勝と、ここのところのサッカー界の出来事は実に盛りだくさんで、Jリーグファンとしては目を白黒である。
そこに加えて今日はとんでもない爆弾が落とされた。なんと磐田が選手獲得の経緯に違反があったとのことでFIFAから厳罰が下されたのである。
罰金は、まあ、よろしい。たまげたのは来年1年間、新しい選手の登録ができないということだ。要するに補強がまったく許されないのである。ひゃあ、磐田、終わった。
さらに信じがたいことに下部組織の公式戦の禁止、つまりクラブ所属の小学生や中学生が対外的な試合に出ちゃダメということである。これはさすがにかわいそうだ。クラブがやらかしたとしても、子どもと保護者には何の落ち度もないからなあ。
1年間の補強禁止とは、新しい戦力の補充ができないということである。来年1年間、今いる選手で闘わなくてはならない。もちろん今いる選手は、こんなアホらしいクラブでやってられるかと移籍するだろうし、J2降格確実な最下位ということで有望選手には他チームから誘いがかかっているに決まっている。
要するに来年は新しい戦力なしで闘うどころか、今いる選手からイキのいい選手が引き抜かれてしまって、絞りかすのような高齢者だけで闘わなくてはならないということである。遠藤保仁とか大井健太郎とか、八田とか。
J2降格は間違いないから、こんな状態で来年闘ったらJ3降格一直線である。これはなんというか、面白すぎる。いや、さすがに気の毒すぎる。幹部がアホだと現場は苦労するのだ。
ただ発想を変えれば、今年はなんとかJ1に奇跡の残留をしてもらえば、来年の降格枠は確実に埋まることになるので、とても助かる。どうやら来年のJ1は降格枠が1つになる見通しなので、そこをぜひ磐田に埋めてもらえばありがたい。
なにしろ1枠ということで、下手したらアルビレックスがいじめにあってハブられ、よってたかって蹴落とされる危険性があるのだ。磐田さんがいてくれたら、とてもありがたい。心強い。
そんなわけで、熾烈を極めるJ1の残留争いでは、ここはぜひ清水さんに泣いていただいてJ2降格をお願いしたい。コマちゃんが悲しむだろうが。
アルビレックスは数年前、ホニというアホな選手のおかげで大きなトラブルに巻き込まれ、ブラジルチームを訴えることになった。今回の磐田はその逆。つまりアルビレックスの訴えた相手が磐田と同じ立場なのである。
まったく外国選手の扱いというのは難しい。今回の磐田は、悪意を持った代理人にころっと騙されてしまったのだろう。脇が甘かったな。
磐田はCASに上訴して処分の撤回を求めている。最終的な結論がどうなるかは見通せないが、いずれにせよ、仰天の出来事だ。間もなく予定されている磐田-清水の壮絶降格争いダービを前にしてのこのニュース、絶対に清水のヤツらがバラしたんだと磐田サポーターが激怒していることも含め、対岸の大炎上としてこれ以上のスペクタクルはないだろう。
2022.10.18
中村俊輔の引退発表は、そりゃそうだよねという感じで何の驚きもなかったなあ。事実上、既に終わっている選手だし。
もちろん先日のFC横浜と金沢のゲームを見たら、スペースさえあればさすがの動きを見せてくれる。
これからどうするのか知らないが、まずは来月のワールドカップの解説でがっぽり稼ぐんだろう。
あと残っているのは、小野伸二に稲本潤一あたりか。小野は今でもプレーで金の取れる選手だな。
いやいや、あれがいるぞ、キングカズ。ちょっと待った、忘れちゃいかん、伊東輝悦。
みんなサッカー一筋に頑張って、幸せだ。
かと思えば、今日のこのニュースは衝撃だった。工藤壮人がICUで治療中という発表である。
どうやら水頭症の手術をしたら、手術そのものは成功したものの、予後がよろしくなくて、急に悪化してICUなのだそうだ。推測ではあるが、数年前、アメリカでのゲームでキーパーと激しく衝突して顎を骨折するなど重症を負った後遺症ではないかとのことである。
このときの映像が残っていて、見てみたら目を背けたくなるほどの酷い怪我だった。キーパーと衝突した衝撃で後頭部を激しくピッチに打ち付け、同時に舌を切ってしまって口から一気に流血するという、凄まじい負傷だ。脳を打った怪我はやはり怖い。
工藤はいい選手だ。元日本代表である。柏時代にはアルビレックスもさんざんやられた。息子に言わせれば「あのゲームもこのゲームも工藤に決められて負けたじゃん」ということになる。
柏のあとはアメリカのチームに移籍し、その後、広島、山口などで活躍。山口時代にもアルビレックスは点を決められている。現在はJ3のテゲバジャーロ宮崎に所属しており、今回の発表もテゲバジャーロによるものだ。
この経歴は一般的なサッカー選手の移籍パターンのようなものだから特に落ちていったというものではないが、それでも中村俊輔の華々しい引退報道と並ぶと、やはり切ないものがある。
仮に回復したとしても当然のことながら選手生命は絶たれるだろう。それでもいいからなんとか命だけは助かってほしいものだ。
やっぱりサッカーは怖い競技だ。
という衝撃の報道のあとに、またまた衝撃の報道である。仲本工事の交通事故だ。
当初、重症ということだったのに、途中から重体に切り替わったということは、かなり深刻ということか。横断歩道のない4車線道路を渡ろうとして撥ねられたそうで、おじいちゃん、そりゃ渡る方がダメでしょ。
はねたのはどうやらデイサービスの車で、高齢者数人を乗せて、これまた高齢者が運転していたという。高齢者だらけの重大事故ということで、今の日本の世相そのまんまである。
高齢者を乗せたデイサービスの車ならば、当たり前だがそんなにスピードを出していたとは思えず、明らかに仲本工事の過失だ。運転手も気の毒なことである。
見晴らしのよい直線だったことから、ネットでは「自殺じゃね」という声もちらほら。そりゃあ、あのヨメのことが明るみに出たら、死にたくもなるわなあ。不謹慎を承知で書けば、遺産相続は大揉めに揉めるに違いない。
そんな具合に、いろいろと驚きのニュースが重なった一日だった。こんな特異日のような一日ってあるよね。
もっともオレは特異日でもなんでもなく、いつもの通りヒマな一日だったので、珍しく早く帰ってきた娘を連れて駅前の鳥貴族へ飲みに行ったところ、息子とヨメも合流して、一家そろって焼き鳥屋で晩飯ということになった。
平日に加え、外は冷たい雨。駅前にもかかわらず鳥貴族はガラガラで、それはどの店も同様で、飲食店は大変だなあと改めて実感。今年は忘年会とか、どうなるんだろう。もうああいう習慣が復活することはないのかもしれないなあ。
2022.10.17
いやあ、甲府の吉田達磨監督解任には笑ったわ。グッジョブ、ヴァンフォーレ。
J2で18位だから仕方ないとはいえ、天皇杯優勝の翌日に解任なんて、なかなかのサプライズである。本人は「もう少しやりたかった」とのことらしいから、リーグ戦の責任を取らされての解任だったのは間違いない。リーグ戦とカップ戦はまったく別物。解任も仕方なかろう。
そういや優勝後のコメントも「天皇杯を取っても来年はスケジュールや予算が厳しくなる」「甲府の皆さんおめでとうございます」と、どこか人ごとだった。「辞めていく監督のためになんとしても優勝しようぜ」と選手が一致団結したというなら、なかなかの熱血マンガだが。
日本サッカー界屈指の不思議ちゃんが吉田達磨だ。
柏レイソルの監督を途中で解任され、次にはアルビレックス新潟の監督を途中で解任され、その次にはヴァンフォーレ甲府の監督を途中で解任される。甲府の場合は、なんとゴール裏サポーターの挙手で解任が決まったという前代未聞の騒動だった。
こんなに解任が続けばどう考えてもサッカー界で居場所はなくなるはずなのだが、謎の就活力を発揮して、常にすぐ別の仕事が決まる。吉田達磨は不思議ちゃんなのだ。
監督として無能なのははっきりしているのに、なぜだか育成年代では抜群の人気を誇り、サッカースクールで講師をやらせると父母から絶大な信頼を集めるのだという。要するに人たらしなのだろうか。典型的なモチベータに違いない。
今回の甲府の監督就任だって、一度は解任されたチームに再就任というのだから、普通ではあり得ない。信じられない就活力である。
だから次の仕事も既に決まっているのではないかという見方が多く、代表のコーチとかU20の監督とか、育成の仕事が噂される。中には反町の後任として技術委員に、なんて声も。ありえねえよ。
天皇杯決勝で甲府は、5バックで引きこもってガチガチに守りを固め、セットプレーのワンチャンスにかけるという弱者の戦術を貫いた。広島との実力差ははっきりしていて、追いつかれてからはPK戦に勝機を求めた。なでしこジャパンが女子ワールドカップで優勝したときとそっくりだ。
そんな現実的な戦術を採れば、時には結果がついてくるのがカップ戦。サッカーの面白いところである。
だけど長いリーグ戦をそれで乗り切れるわけもないから、吉田達磨の解任は英断だよなあ。
かつて柏のサポーターが、新潟のサポーターに警告を発したことがある。「吉田達磨の本当に恐ろしいところは、解任後にわかる。後遺症が何年も続くからだ」と。
オレたちアルビレックスのサポーターは、柏サポのその警告について身をもって体験することになる。
確かにアルビレックスは吉田達磨を途中解任したが、そこからチームはグダグダになり、長い暗黒期間に突入したのだから。3年前にスペインからプッチを招いてなかったら、おそらくアルビレックスは今も低迷し、J3降格におびえるようなチームになっていたに違いない。
恐るべし、吉田達磨。
とはいえ人間性が素晴らしいのは間違いなく、遠くから見ている分にはなんの問題もない。次はどこで仕事をするのかわからないが、また遠くから眺めて楽しませてもらいたい。あ、もしかしたら次のチームには甲府から選手を引き抜いていくだろうなあ。その騒動も、遠くから眺めていたいものだ。
2022.10.16
天皇杯決勝は面白かったなあ。アルビレックスを壊して逃げていった監督、吉田達磨がはしゃぐ姿は見たくなかったが、そんな心の狭いことを言ってはいかんな。同じカテゴリーの仲間である甲府が見事のJ1の広島を破って優勝したのだから、シンプルに喜ばしいことだ。
NHKの中継では、応援機を振る腰の曲がったじいちゃんが大映しにされて、バズった。あれはどうみても80代のじいちゃんだよなあ。勝った後はしわくちゃの顔をさらにくしゃくしゃにして号泣する姿が映り、ますますバズる。
こういうサポーターに支えられているのが地方の弱小クラブ。
アルビレックスのゲームでも、客席にはじいちゃんばあちゃんの姿を多く見かける。先日は腰の曲がったおばあちゃんを、おそらく息子であろう50代男性が伴ってスタジアムの階段を登っている姿があった。
じいちゃんよかったなあ、冥土の土産ができたなあと、甲府サポの姿を見てネットも盛り上がるのであった。
さて天皇杯決勝の次はJ2の行方である。
まずはJ1自動昇格だ。アルビレックスの昇格は既に決まっているので、もう1チームがどこになるかということで注目されていた。可能性のあるのが横浜FCで、これが3位の岡山が負けてしまったので、今日の試合前にあっさりと昇格が決まってしまった。
いわゆるサイレント昇格である。おかげでまったく盛り上がらない。
そして夜には、その横浜が、今度は金沢に負けてしまったので、アルビレックスの優勝が決まってしまった。こちらもサイレント昇格である。
簡単に言うと、アルビレックスは昨日負けたのに今日サイレント優勝。
横浜は、今日負けたのにサイレント昇格。
まったく盛り上がらないこと甚だしい。横浜なんて念願の昇格が決まったというのに負け試合だったものだからスタジアムはさっぱり盛り上がらず、むしろブーイングが起きたそうで、エースの小川が客席をにらみつけていたからきっと移籍に違いないとまで言われる始末。めでたい夜に気の毒なことである。
ともかくこれで長かったシーズンは残り1試合。ホッとするような寂しいような。
2022.10.15
品性が下劣であるとか、信じられないほど知性が低いとか、今までオレはさんざん他のクラブのサポーターをバカにしてきた。だが今日オレは思った。我がクラブのサポーターも相当なもんだなと。呆れるほどの幼児性にげんなりだ。
今日のゲームは調布の味の素スタジアムである。相手は東京ヴェルディだ。
J1昇格を決めた我がチームは、今日勝てばJ2優勝である。
オレたちサポーターはいい気分で敵地に乗り込んだ。我が世の春だ。先週は昇格が決まった瞬間を、今週は優勝が決まる瞬間を目の前で観られる。浮かれ気分のオレたちサポーターがそんなふうに決めつけてスタジアムに乗り込んだのも仕方ないことだろう。まあ、許してくれ。今だけだ。どうせ半年後にはJ1降格圏をうろつきながら絶望的な気分で嘆いているのだから。
スタジアムには前監督のプッチもやって来て、客席に座ってオレたちに手を振る。おお、プッチじゃねえか。ありがとな。お前の蒔いたタネが見事に花開いたぜ。
そんな浮かれ気分が一気に冷めたのは、試合前のセレモニーである。主催者の東京ヴェルディはゲストを招いていたが、そのなかの1人が臓器移植関係者らしく、挨拶を兼ねながら臓器移植への協力を訴えていた。
こうしたセレモニーの間はおとなしく耳を傾けるのが当たり前の行為である。オレたちはビジターなのだ。ホームにはちゃんと敬意を払わなくてはならない。
だが驚いたことに、いわゆる中心部の連中はゲストが挨拶をしているというのに延々とチャントを歌い続け、大きな太鼓を鳴らし続けたのである。
オレはたまげたよ。こんな失礼なことが堂々とできるとは、なんという幼児性なのだと。
大変に申し訳なかった。オレはサポーターの一人として深く恥じ入ったのである。
そして試合はというと、優勝の瞬間を目撃どころか、あっさりと負けてしまったのである。これはあれだな、要するに天罰だ。天誅だ。
J2昇格で天下を取った気分で乗り込んできて、厚顔にもセレモニーを台無しにして薄ら笑いを浮かべていたアホなサポーターに、お天道様が罰を下したのである。恥を知れと。
ああ、情けない。
オレはがっくりと肩を落として、息子と一緒に飛田給から電車に乗ったのだった。
△△△●○○●○○△○○△○○●○○○△○○●○●○○●△△○○○●○○○○△○●
2022.10.14
東大島というところにいった。何年ぶりかである。
毎度思うのだがこの辺りの巨大団地群は圧倒的で、駅を降りてぐるっと周囲を見渡すと団地団地団地と見渡す限り団地である。別に団地だからどうのと見下しているわけではないが、この巨大なコンクリートの箱の中にぎっしりと人が詰まっていて、それがずらっと並ぶ様は、ちょっと息が苦しくなるほどだ。
シンプルにすごいなあと見上げてしまう。
そんなことに圧倒されつつ、ネットを見たら、なんとコロナウイルスに関する衝撃の事実が。
空気中に放出されれば3時間で感染力を失うのに、マスクに付着すると7日間も感染力を保ってしまうというのである。これはマジか。マジなのか。
ということはマスクで外を歩いてコロナウイルスが付着したら、それをそのまま家に持ち帰るというのが最悪のパターンじゃないか。
マスクが害ということになる。
しかも空気中では3時間で感染力を失うところ、日光が当たっていればなんとたった2分でコロナウイルスは感染力を失うのだそうだ。なんてこった。
晴れた日にマスクをして歩くことは、とことん愚かな行いということではないか。信じられない。本当なのだろうか。
最近ではマスクなしで歩いている人もずいぶん増えた。いいことなのだろう。
オレも電車の中、店、よその会社などではマスクをするものの、ただ歩いているときはマスクをしなくなった。爽快である。
このままマスクなしがデファクトとして広がるといいのだが、しかし人はマスクをしている安心感とか顔をさらさなくて済む気安さなどを知ってしまったので、なかなかノーマスには戻れないかもしれないなあ。
などと考えつつ、オレはかかりつけのクリニックへ行って、今日、インフルエンザの予防接種を打ってもらった。ふふ、何ごとも早め早めだ。
2022.10.13
民放テレビの番組をオンラインで観られるのが、Paraviである。似たようなサービスにTVerがあるが、あちらは無料。対してParaviは月1000円の有料サービスだ。
毎月1000円も払うなんて確かにもったいない。だがTVerがだいたい一週間で番組が観られなくなるのに対して、Paraviは過去の放送も視聴できる点が最大のメリット。コマーシャルも入らない。
だから「家、ついてってイイですか」の過去の傑作も観られるからというのでつい加入してしまって、そのまま勢いで使い続ける羽目になる。
そのParaviからお知らせが来た。毎月一度、有料の映画が一本タダで観られるというサービスである。そう、Paraviにはささやかながら映画もあるのだ。
はて、どれを観ようか、ヒマだし。
ということで候補に挙がったのが、以前ちょっと気になっていた「大河への道」と「私はいったい、何と闘っているのか」だ。前者は中井貴一主演、後者は安田顕主演。となると圧倒的に中井貴一だから、「大河への道」を選んだ。
千葉県の香取市はあの伊能忠敬のゆかりの土地である。ならば伊能忠敬を主人公にした大河ドラマで町おこしをしようじゃないのということで、中井貴一たち市役所の職員がNHKに売り込もうと奮戦する。
という話だというので面白そうだと思ったわけだ。ところが市役所のくだりはごくわずかで、場面はすぐに江戸時代に切り替わり、伊能忠敬の一番弟子たちが地図をつくるために奮戦するという話になる。
現代シーンと江戸シーンで、役者はまったく一緒。つまり全員が1人2役というのが見所というわけだ。
実はこれが案外腰砕けというか、だからどうしたという突っ込みで終わり。話自体も凡庸で、つまらなかったなあ。
こうなると迷った末に捨てた安田顕が気になる。結局「私はいったい、何と闘っているのか」をAmazonPrimeにカネを払って観る羽目になってしまった。オレこそいったい何と闘っているのか。
これは案外よかった。王道のホームコメディ。安田顕と小池栄子が夫婦である。オレは安田顕という役者があまり好きではないのだが、これはよかった。要するにこういうダメ中年をやらせると抜群にいいのである。へんな刑事とか新聞記者なんかまったく似合わないのだ。
いろいろと突っ込みはある。零細スーパーの主任なのに一戸建ての持ち家に住んでいて子どもが3人もいるとは、生活実態はどうなっているのか、とか。パートのおばちゃんが内びき(万引きの店員バージョンのことらしい)しているのを見逃すのはありえない、とか。重要な沖縄の場面がどう見てもセットなのは酷すぎないか、とか。ネットでもいろいろと突っ込まれている。
そうした点を差し引いても、なかなかによい映画だったとオレは思うよ。
家族の愛情とか、頑張るお父さんとかがしっかり描かれていて、オレたちおっさんの心にはずんずん響いてくる。物語の最後、長州力の名言が飛び出すのが、実に素晴らしい。
呑気な気分で何も考えずに観るなら、やっぱりこういう映画に限るとオレは思うよ。
2022.10.12
鉄分が実は健康にはとても重要ということは、先日、NHKで放送されていた。
今月号の文藝春秋には、意外なことにマグネシウムが長寿の栄養素として注目されていると書かれてあった。へえ、マグネシウムか。鉄とマグネシウムって一緒じゃないのか。違うのか。
ウイグルあたりにはマグネシウムをほとんど摂らない民族と、たっぷり摂る民族があって、100歳以上の長寿の比率がなんと10倍も違うことがわかったのだそうだ。10倍とはちょっと凄い。
短命の民族は、最悪のコンビ「脂と塩」を日常的に接種(日本人と同じだ)しているのに野菜をほとんど摂っていない。対して長寿の民族は、マグネシウムをたっぷり含んだ地下水で育った野菜を豊富に摂っている。その違いのようだ。
ちなみにかの泉重千代さんの家の井戸を調べたら、マグネシウムたっぷりだったという。
なるほど。ではオレたちもマグネシウムを摂ればいいのではないか。
手っ取り早いのはサプリだな。サプリ。
ところがサプリというのはだいたいが高いのがお約束である。それでも背に腹は変えられない。2000円だろうが3000円だろうが長寿のためには安いもんだ。
ところが調べてみたらマグネシウムは魚と大豆に多く含まれているので、要するに豆腐がいいらしい。
高いサプリメントより安い豆腐。海藻にも多く含まれているから、つまり豆腐とわかめの味噌汁が最強ということだ。なるほど、サプリなんかにバカ高いカネを払うんじゃなくて毎日冷や奴と味噌汁で過ごせばいいというわけだ。
冷や奴といえば焼き鳥と一緒に食べると最高に旨い。湯豆腐にすれば日本酒と抜群の相性だ。
やっぱり豆腐は最強だな。
「松田聖子の誕生」若松宗雄・新潮新書。今月号の文藝春秋に関連記事が掲載されていたので、読んでみた。筆者は松田聖子を見出してスターに押し上げたソニーのプロデューサーである。その過程での様々な裏話めいたものはほとんどなく、松田聖子がいかに凄かったかという話にかなり費やされている。アルバム制作の裏話はなかなか興味深かった。阿久悠が「FAXが登場してから、レコード会社のディレクターが歌詞に簡単にOKを出すようになった」と嘆いていたというエピソードはなかなか興味深い。今はメールでのやりとりが普通だろうから、ますます簡単にOKが出ているのかも。アルバム『PINEAPPLE』はかなりの名盤。
「逃げるが勝ち」高橋ユキ・小学館新書。これも今月号の文芸春情に筆者が記事を書いていたことから興味を持って手に取った。逃亡犯についてのレポートである。とはいえ、実際に出てくるレポートは2つだけで、ちょっとずっこける。これは逃亡犯という愉快なイメージから笑えるネタを期待したオレが間違っていたのかも。保釈金を積んで外に出て、それから逃亡しても罰せられないというのにはちょっと驚いた。カネなんかいらない、オレは自由がほしいと逃げ出したヤツに、法律は無力。そんな抜け穴があるそうだ。
2022.10.11
「ボクはアーティストなんだ」とイキがって「リぃぃぃー」とか叫んでいた頃から打って変わり、郷ひろみが「そうか、オレは大衆のおもちゃでいいんだ」と気づいたのは「あーちち、あーちち」と歌ったときだそうだ。
それはそれでなかなかに好感の持てるエピソードではあるのだが、だからといって「じゃんけんぽん」はないだろう。やりすぎだ。置きに行って、思い切り外した感がハンパない。
そんなことを言いながらNHKの「うたコン」を観る。次は誰だ。
読売新聞のテレビ欄には「布施は君バラ」とあったから、布施明が「君はバラより美しい」を歌うのは間違いないようだ。ところがこれががっかり。スウィングのへんてこなアレンジにずっこける。
余計なことをしないでもらいたい。普通のアレンジで普通に歌えばいいのだ。それなのに布施明もヘンテコな振り付けをしながらへんてこに歌う。スウィングのアレンジなのに歌がシャッフルしてなくてズレてるし、何よりも音程が外れている。途中、一度、歌詞が飛んでしまったし。布施明も遂に衰えたか。
続けて狩人が「あずさ2号」を昔のアレンジで昔の通りに歌う。いいんだよ、こういうので。歌番組は。こういうのが聴きたいんだよ、大衆は。思い切り振り切ったヅラを笑いつつも、つい一緒に「はーちじちょおっどっのおー」を口ずさんでしまった。
ところがその後、すべてを破壊するハルマゲドンがやって来たのである。
「さらばシベリア鉄道」だ。
大滝詠一の名曲をカバーするのは、名前も聞いたことのないお姉さん。そのボーカルが酷くて、ピッチは外れるわ、意味もなく絶叫するわ。これは朗々と歌い上げちゃだめな曲だろう。歌の世界観が台無しである。
いや、最大のハルマゲドンはそこではない。バックダンサーたちだ。全身黒ずくめの異様な風体をしたダンサー2人が、これまた異様で奇っ怪な舞いを見せるのである。
列車の歌だからというので、両手をロコモーションでぐるぐる回転させるのだ。汽車ぽっぽである。
そうか、機関車だから真っ黒なのか、ポン、と膝を打つオレ。
その破壊力は凄まじく、娘は呆然と口を開けて「ひどい…」と一言。儀式か、これは。邪教の。放送事故だろう、これ。
なお、これは太田裕美の「シベ鉄」のカバーということになっているが、オリジナルは大滝詠一。とにかくギターワークが見事で、間奏は「ツンドラのように」という大滝詠一のリクエストに応えて鈴木茂が創り出した奇跡の名演奏である。このオリジナルを聴いた太田裕美が「あら、よくできたデモテープね」とにっこりつぶやいたというのは有名なエピソードだ。
そんな記憶も消し飛ぶほどの衝撃の汽車ぽっぽダンサーズであった。
あまりの衝撃に我が家では黙ってテレビを消し、そしてTVerで「イッテQ!」を観ることにしたのである。
「イッテQ!」はいうまでもなく日曜の夜の番組である。だが先日は見逃してしまったので、火曜日の今夜、観ることになった。TVerは大変に便利である。録画しなくていいし、CMもほんのちょっとだ。
今では「最初に観るチャンネル」「TVerさえあればテレビはいらない」といわれており、カニバリズムの最たるケーススタディである。
今週の「イッテQ!」は、お待たせの出川哲朗と河北麻友子の英語おつかいだ。相変わらず出川哲朗のコミュニケーション力は凄まじく、汽車ぽっぽとは別の意味での破壊力である。もはや次元が違う。
オレたちは腹を抱えて大笑いして、そして、よーし今週もがんばろう、いやいや今週はもう始まってるよというお約束のボケをかますのだった。
2022.10.10
サッカークラブというのは常に選手が入れ替わっているから、アルビレックスが来春J1のゲームに臨む際、今の昇格試合に出場していた選手のどれだけが残っているかは、まったくわからない。変化し続けることがサッカーの本質なのだ。そう思うとどんなゲームも味わい深いものだ。
と考えながら、今日も昇格決定試合の映像を振り返る。いやまったく、あのゲームの時間と空間は、まさに夢のようであったわい。
と言いつつ、次の土曜日は調布の味の素スタジアムへ応援に出向く予定だ。
チケットは瞬殺。幸い発行と同時にネットで確保できたが、それでも指定席はすでになく、自由席しか買えなかった。これで4時間前に列に並ぶことは決定である。なーに、アウェイなんていつもそんなものだ。味の素スタジアムは駅から近いだけ、大助かりである。町田のスタジアムなんて駐車場に止めてから2キロの登山だものなあ。
それにしても笑っちゃうのは評論家たちである。春先に公開されたJ1昇格予想チームという記事を見返すと、26人の評論家のうちアルビレックスの昇格を予想していた人はなんと1人だけだった。舐められたもんですなあ。というか恥ずかしくないか、評論家。
恥ずかしいといえば、サッカーライターたちによる座談会ではアルビレックスについて「伊藤なんて獲得してどうするんだ」みたいな嘲笑を浴びせている。その伊藤がMVPの活躍なんだから、サッカーライターというのは節穴ばかりだ。
もっともこのサッカーライターたちは、町田とヴェルディが大好きという連中の集まりだそうで、新潟などの地方チームをとことん小馬鹿にするのがお約束とか。そんなのがジャーナリストでございますというツラで表に出ているのだから、サッカー業界の底の浅さが知れる。
想像だけど、あの金子達仁の記事に感化されて成長した小僧たちがライターを名乗るようになったのではないか。だから客観より主観、自分語りに酔うライターばかりになってしまったのだろう。まったく罪なことである。
もっともオレだってアルビレックス原理主義もいいところだから、人のことは言えないが。わはは。
2022.10.09
アルビレックスが勝利した夜は、新潟のアパホテルに泊まった。
なんとアパホテルは先日、アルビレックスのスポンサーになったのである。驚愕のニュースだった。
それまでオレはアパホテルなんて近寄らなかった。なぜならあの帽子のばばあの顔の付いた部屋に泊まるなんて、とても考えられなかったからである。
だがアパホテルがスポンサーになった瞬間、これからホテルはすべてアパにすると宣言したのである。
その言葉通りアパホテルに泊まることにした。
なおアルビレックスの昇格決定試合のチケットはとっくに完売したのはもちろんのこと、新潟市内のホテルも軒並み満室になった。最後まで残っていたのはANAホテルかどこかのスウィート1人8万6000円の部屋だったそうだ。
それどころか新潟に向かう新幹線の指定席も早々に完売となり、呆れるほどの経済効果がもたらされたのである。
さて、そのアパホテルである。
部屋に入ったら話に聞くとおり、帽子社長の顔写真の極右本が置いてあった。これは楽しい。
試合の半券を見せるとプレゼントがもらえるというので、さっそくゲット。何かというと、アパホテル社長カレーというレトルトカレーだ。アパホテルのカレーではなくて、アパホテル「社長」カレーである。パッケージにはもちろんあの帽子ばばあの顔写真がデカデカと載っている。
自分の顔写真の付いたカレーが全国で配られて悦に入っているとは、やっぱりこの帽子ばばあのメンタルは化け物だなあ。これからはお帽子様とお呼びしよう。
アパホテルには大浴場があって、息子と祝杯を挙げた後、たっぷりと時間をかけて湯に浸る。これが実に心地よい風呂で、おかげでぐっすりと眠ることができたのだ。枕元にはお帽子様の写真の付いた本。
そして今朝目覚めてからは実家に行って仏壇と墓に線香をあげる。今年のお盆もコロナの影響で墓参りができなかった。まったく親不孝なことである。
帰りは息子とオレが交代しながら運転する。おかげで帰省もずいぶんと楽になった。
車中ではずってアルビレックスの話で盛り上がって、どれだけ話しても尽きないのだった。
こうして親子2人で一泊旅行しながら盛り上がれるというのは、実はオレは大変な幸せ者なのだろうなあと感謝する。
2022.10.08
J1からJ2に降格することを「沼に落ちる」と言う。一度落ちたらなかなか這い上がれないという意味だ。
そんなことないだろうと思われるが、千葉やヴェルディを観ていればこの言葉の恐ろしさがよくわかる。20チームが40試合以上も戦って、上位2チームしか昇格できないという実に恐ろしい沼なのだ。世界一難しいリーグとさえいえる。
なんとアルビレックスもこの沼に落ちて5年もたってしまった。だが今日やっとJ1復帰を決めた。ついに沼から出ることができたのだ。
実は「沼に落ちる」にはもう一つの意味がある。案外面白くて居心地がよくて、出たくなくなるという意味だ。確かにJ2は面白い。全国各地の田舎にチームが散らばっていて応援に出かけるのが楽しいし、なんといっても戦術のバラエティが楽しい。
弱くて下手くそなことを自覚しているから思い切って極端な戦術を採るチーム(秋田とか岩手みたいに)もあって、それらとどう戦うかという純粋にサッカー的好奇心も刺激される。
オレらは下手くそだから必死で走る以外にないんじゃあという振り切ったチームの試合は、それはそれでとても興奮するのだ。
そんな具合に長くいればいるほどJ2が楽しくなって、気がつけば沼にハマってしまうのである。
アルビレックスも危ないところだった。5年もいたら、すっかり居心地のよさに慣れてしまっていた。まさにぬるま湯だ。
いや、このままじゃダメだ、オレたちはやっぱりJ1にいるべきクラブなんだ。
そのことに気づかせてくれたゴメスや本間至恩には感謝である。
ゴメスは札幌がJ1に昇格した年のレギュラーなのに、その年にあえてアルビレックスに移籍してきた。そして移籍した年にアルビレックスはJ2に降格してしまった。
「オレが落としてしまった」とゴメスは自責の念に駆られたそうだ。
降格が決まったゲームでは、スタンドから自然発生的にアイシテルニイガタの大合唱が起きた。誰がリードしたのでもない、自然なものだった。どこのチームでも降格が決まるとスタンドは罵声に怒号で大荒れになる。だがアルビレックスのスタンドは違った。
そのスタンドを見上げながらゴメスは「こんなクラブ、他にないよなあ」と仲間と話したという。
そのゴメスが、ゲーム終了の瞬間、ピッチにうつ伏せになって号泣だった。
よかったなあ、ゴメス。
オレたちは祝福と感謝で、全力で拍手する。
昇格!△△△●○○●○○△○○△○○●○○○△○○●○●○○●△△○○○●○○○○△○
※
2016年は吉田達磨のクソポゼッションを観られて愕然とした。
2017年はフミタケのホニ頼みの縦ポン行ってこいサッカーに唖然とした。
2018年はボケじじいの、苦しゅうないよきにはからえサッカーに呆然とした。
2019年は片淵→吉永の部活サッカーに諦めの境地に達しかけた。
そして2019年の11月。
買い物のために向かった西友の地下でオレは謎のスペイン人が監督になるという驚愕の報せにのけぞり、西友の売り場を彷徨いていた息子の首根っこをつかまえて、これを見ろとスマホの画面を突きつけたのである。その瞬間息子は大きく目を見開き、息を止めて、ひっくり返ったのだった。
だだ、誰だこれ。なんなんだ、何が始まるのだ。これがアルビレックス史上最大の転換点を迎えた瞬間だった。
やってきたスペイン人は日本ではまったく無名だったが、聞けばあのバルサでペップ・グアルディオラの片腕の片腕ぐらいの仕事をしていたという。
アルベルト・プッチ・オルトネダ。
このスペイン人はアルビレックスの選手たちのあまりの下手さ加減に驚きつつ、徹底してポゼショナルプレーを叩き込んだのである。プッチは回想する。「本間至恩は守備のことを何も知らなかった」。そのレベルの選手たちのケツを叩いてポゼショナルサッカーを教え込んだのである。
それはオレたちサポーターも同様だった。この年、オレたちは驚愕する。
どどど、どうしてこの選手たちはボールを前に蹴らないのだ。すぐにバックパスして後ろでボールを回しているんだ。なぜ攻めないのだ。
当時はバックパスのたびにブーイングが起きたほどだった。
そんな状態で2年間、プッチは徹底してポゼショナルを叩き込んだ。そして21年には怒涛の13連勝も記録するほどに急激に強くなった。
アルビレックスはそれまで反則ブラジル人を頼りに縦ポンの行ってこいサッカーだった。百姓一揆サッカーと呼ばれた戦術である。それが180度変わって、ブラジル色は一掃され、完全にヨーロッパサッカーに変わったのである。そのポゼショナルサッカーは、相手を寄せ付けない村八分サッカーと呼ばれている。
百姓一揆から村八分へ、アルビレックスのサッカーはまったく変わったのだ。かつてはブーイングだったバックパスも、今では拍手が起きる。バックパスで大きな拍手なのだから、信じられないほど変わったものだ。
一方でオレたちは気づく。プッチでは勝てないと。
結局のところプッチは教育者であって勝負師ではないのだ。選手が成長するなら目先の一勝を失ってもいいと考えるのがプッチなのだ。育成の人なのである。
そこで22年、オレたちはポステコグルーのマリノスを知っている松橋力蔵にチームを委ねる。松橋は攻めを知っているのだ。
その結果どうなったかというと、ポゼッションのためのポゼッションではなくて、ショートカウンターのためのポゼッションというサッカーができあがったのである。これはけっこう重要なところだ。
つまり村八分で相手を寄せ付けないでおいて、いざというときに電光石火の百姓一揆で攻め込むのである。
ポゼッションはあくまでカウンターのための手段なのだ。だからこそカウンターの鋭さが際立ち、あまりの電光石火ぶりに相手はなすすべもなく立ち尽くすというサッカーが完成したのである。
プッチが2年間かけてポゼッションを叩き込んでくれたおかげでこれができた。
プッチがいなかったら今のサッカーはできなかった。
だがあのままプッチが残っていても、今のサッカーはできなかったのである。
※
J2暮らしが長くて、J2でいっぱい勝って、楽しかったなあ。
でも来季はJ1。いきなり残留争いに巻き込まれて、目標は残留という状態に陥るだろう。やれやれ、やっぱりJ2のほうが楽しかったんじゃね?
そんなことが予見されるから、せめて今ははしゃごうぜい。今はしゃがなくていつはしゃぐのだ。
サポーターたちはそんな思いで泣き笑いである。
さらばJ2。達者でな。オレたちはもう戻ってこないから。たぶん。きっと。
2022.10.07
ここのところ、ヒマなんだよねー。今日も朝から原稿を一本仕上げたら、あとはフリータイム。もっとも今月後半は怒涛の忙しさが決まっている。次から次へと案件の相談が来て、それが全部日程かぶりだったりするので泣くのだけれど、ありがたい話だ。そんなわけで、ヒマならヒマでヒマを楽しむのだ。
そこで観たのが映画「ハケンアニメ」。
アニメ業界を舞台にした実写映画で、今年派手に爆死したので話題になった。舞台が西武線沿線というので西武鉄道も電車でさんざんタイアップPRしたのだが、映画はあっという間に終了。大コケだった。
オレは原作を読んでいる。それがなかなか面白かった。なにしろ作者は辻村深月。ハズレはない。
こんなに面白い原作なんだから、映画もきっと面白いと思った。そして期待に違わず、なかなか素晴らしい映画だった。どうしてこれが爆死したんだろう。不思議だ。
演出がとてもうまい。役者もうまい。特に主役の吉岡里帆と柄本佑が抜群によい。途中、長回しで吉岡里帆がスタッフにぶち切れるシーンは特に素晴らしくて、ちょっと感動した。
中村倫也もよかった。この役者は、クソ生意気なんだけどどこか憎めないというキャラをやらせるとものすごく光るのである。その意味でもはまり役だな。
事前情報では地元の石神井公園駅でも撮影が行われたらしい。だが確認できたのは一箇所のみで、それもたったこれだけかよという程度だった。こりゃあ西武鉄道のタイアップもこけるわけだ。
そんな具合に映画を観て、その後は荷造りである。何かというと、明日のサッカーのためだ。
明日はアルビレックス新潟のホームゲームを応援するために新潟まで息子と一緒に駆けつけるのである。引き分け以上でJ1昇格が決まるというビッグゲームだ。
たぶん生涯二度と体験できないゲームを現場で味わうのである。楽しみだなあ。どんなスペクタクルなスタジアムになるんだろう。
既にチケットは完売。3万5000人が入ると予想されている。
周辺の駐車場も予約で埋まっており、それどころか明日午前の上越新幹線も指定先は軒並み売り切れ。
さらには新潟市内の有名飲食店も予約で埋まっており、夕食難民が予想される。
もちろん新潟市内のホテルも満室で、昨日残っていた唯一の部屋がアパホテルの最上階スイート1人8万5000円だったらしい。ものすごい経済効果だ。
もちろんオレたちはチケットもホテルも万全。一緒に観戦する弟も駐車場を予約済みだ。
そしてオレと息子は、三連休で渋滞が予想されるので早朝から車をぶっ飛ばして新潟へ駆けつけるのである。
楽しみだなあ。今日はヒマだったから、もう一日中そわそわしていた。まるで子どもである。
早く明日にならないかな。そして明日がずっと続くといいな。
2022.10.06
しかし昨日のオレの日記は酷いな。改めて読み返してみて、その言葉の汚さに愕然とする。いくら事実だからといってもここまで鹿島を口汚く罵ってはいかんだろう。維新の人々をこけにしてはいかんだろう。
反省しつつ、今日は武蔵新田まで行く。
どこですかあ、武蔵新田。
先日は武蔵砂川という立川のハズレまでいったから、今日の武蔵なんちゃらもそっちのほうかと思ったら、全然違った。なんと大田区である。
大田区と言えば首都の蒲田が有名だ。
危険。スラム街。高い犯罪発生率。1年間で100人中3人が犯罪に巻き込まれている。女性の1人暮らしは危ない。街が汚い。川が氾濫すると街全体が沈む。
ちょっと検索するだけでそんな言葉がわんさかと流れ出してくるのが蒲田。そんな蒲池を首都とするのが大田区だ。
そんな大田区でも、今日行った武蔵新田は蒲田とはまったく異なる街。そもそもあの田園調布も大田区だから、大田区全体が蒲田というわけではなくて、むしろ蒲田は大田区のごく一部に過ぎないというわけだ。当たり前か。
なお武蔵新田は「しんでん」ではない。オレもつい「むさししんでん」と言ったら「むさしにったです」と訂正されてしまった。どうせ昔は田んぼしかない場所だったに違いないのだが、「しんでん」でもよかろうものだけどなあ。
この武蔵新田でオレは、朝から東証プレミア、つまり昔の一部上場企業の社長インタビューをこなす。きっと同世代だろうなと思って、私は33年ですが社長はと問うたら、案の定「33年です」という答えだった。
私たちの世代は社会に出て40年。振り返ってみれば日本を衰退させ、失われた30年を生み出してしまいました。そのことに忸怩たる思いがあります。もはやこれから日本の復活に力を尽くすことは無理ですから、せめて次世代の人財を育成してください。同世代としてのお願いです。
そう社長に伝えたら、社長も「まったくです」とうなずくのだった。インタビュー相手に訓示を垂れるオレ。わははは。
今日は気温が低く、北風が強くて、雨も降っている。一言で言って最低の天気だ。だからこうしてちょっと遠くまで出かけて重い仕事をすると、ぐったりする。帰ってきて昼ご飯を食べたらどっと疲れが出て、そのまま昼寝だ。
在宅勤務の醍醐味だよなあ。って、オレはここ30年ずっとこんな調子だが。
原稿を書くのは夕方からと決めつけて、午後はしっかりと寝たのであった。
2022.10.05
オレは松本や徳島、岡山のことを日本中の嫌われチームと言い、そのサポーターどもも下品で乱暴で驚くほど知性が低いと小馬鹿にしてきた。
だが忘れていた。J1はもっと酷いことを。
5年間もJ1を離れていた。そのためどれだけJ1チームのサポーターが品性下劣でアホで、信じられないくらい怒りの沸点が低いかということをすっかり忘れていたのだ。
今日は天皇杯の準決勝があった。甲府対鹿島である。
甲府はJ2の16位に沈むチームであり、鹿島は今シーズンの成績こそぱっとしないがJ1を代表する強豪だ。当然試合前は誰もが鹿島の楽勝と思っていた。だが驚くべきことに勝者はなんと甲府だったのである。もちろんこれはサッカーの醍醐味の一つだ。弱者は弱者なりの戦術を練って、リアリストに徹すれば、十分にジャイアントキリングを起こせる。サッカーの面白さだ。
当然鹿島は収まらない。サポーターは怒り心頭である。監督をゴール裏へ呼びつけ、サポーターが恫喝する。その姿を見ながらオレは、忘れていた、こいつらは半グレだったのだと思いだした。
サポだけでない。ここは選手も半グレだった。特にフォワードの鈴木優馬は手がつけられない半グレ。
前監督がコントロールしようとしたのにまったく言うことを聞かず、逆に監督が追い出されてしまう始末。どんなにゴールを決めても代表に呼ばれないのも当然のことだ。
もし来シーズン、こんなのとアルビレックスが対戦することになったら、三戸あたりは怖くて泣き出してしまうんじゃないだろうか。オレは心配だ。にらみ返せるのはマイケルかデンぐらいか。
甲府対鹿島のゲームでは、もう一つ面白いことがあった。試合はカシマスタジアムで行われたのだが、実はホームは甲府で鹿島がアウェー。トーナメント形式の天皇杯は先に会場が決定する。その後に勝ち上がってきたチームが決まるため、こうしたヘンテコなことがよく起きるのだ。
だが一番ヘンテコなのは鹿島サポの頭だった。その知性の低さゆえ、今日はホームスタジアムなのに自分たちがアウェーだということがどうしても理解できなかったようなのである。そのため何が起きたかというと、段幕を出そうとした甲府サポに向かって突進し、オレたちのホームで勝手なことをするんじゃねえと凄んだのだ。
鹿島のサポーターはインファイトという名前の組織だ。Jリーグ創生期にその熱さを持ち上げられたことが刷り込まれているから、令和のいまになっても熱けりゃ偉いと信じ込んでいる。北関東のヤンキーが熱くなればこれは半グレそのものであって、半グレ集団に取り囲まれて恫喝された甲府サポは実に気の毒である。
もちろん甲府サポには何の落ち度もない。結果的に事態は収拾し、甲府サポは予定通り段幕を掲出できた。だがその恫喝の様子がTwitterで流出し、大方のサポが「いつものことさ」「本当に悪質なのは浦和やガンバではなくて鹿島だということをみんな知っている」と反応し、鹿島の良識派は「本当にごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」「あいつらバカです」「恥ずかしいです」とコメントしたのであった。
この一連の流れをリアルタイムで見たオレは、そうだ、忘れていた、J1には鹿島がいるんだったと思い出したのである。
このままいくと来シーズン、オレの大切なアルビレックスの選手たちが鹿島のピッチで恫喝され、サポーターは客席で恫喝される。まあ、こちらのサポーターも似たようなものだから、田舎の半グレ同士がやりあったところで見苦しいだけだから放っておけばいいのだが。
そういや以前、この日記でアントラーズの選手のことをからかったら、それこそ涙を流さんばかりに怒ってきたおばはんがいたっけ。人の日記を勝手に見て怒り心頭とというのも知性の低い話だと思ったが、そういうサポの多いチームなんだろうな、あそこは。自分たちこそ正義。批判は許さない。大きな声を上げてやる。そんなメンタリティそのままのおばはんだった。大っ嫌い。今はどうしているかは知らない。
もっとも人のことばかり笑ってもいられない。
思い出すのは2014年だったかの最終戦である。新潟に大雪が降ったために、アルビレックスの試合は急きょカシマスタジアムを借りて行われた。ちょうどスタジアムが空いていて、鹿島アントラーズの好意によって貸してもらえたのである。大変にありがたい話であった。
ところが感謝こそすれ、アルビレックスサポーターは「こんなスタジアムで」と毒を吐いたのである。それを耳にした鹿島サポは「お前らにはこんなところかもしれないが、オレたちにとっては聖地なのだ」と激怒した。これは言うまでもなく鹿島に義があり、アルビレックスサポは恥ずべきことをしたと猛省しなくてはならない出来事だった。
そんな因縁とまで言うほどではないが、小さなあれこれを抱えたまま、来シーズンは鹿島スタジアムに乗り込まなくてはならない。もちろんオレは行かない。なぜなら、あそこはとんでもない田舎だからだ。関東地方ではあるが、はっきりいってカシマスタジアムでサッカーを見るぐらいなら、新幹線で新潟まで行ったほうがよほどラクに見られる。
実は以前、Jリーグバブルがまだ残っていた頃に、カシマスタジアムまで仕事で行ったことがある。サポーターにも話を聞いた。きっとあの頃から見ればスタジアムもサポーターも相当にボロくなっているはずで、それを見極めたいという好奇心はあるものの、いやあ、わざわざあんなへんぴなところまで出かけていって半グレに恫喝されるのもナンだしなあと思っている。
「義烈千秋 天狗党西へ」伊東潤・新潮社。かねてから気になっていた天狗党についての小説である。予想はしていたが、本当に幕末の連中はアホばかりで、中でもこの天狗党は底抜けのアホである。いったい何をしたかったのだ、こいつらはと首をかしげざるを得ない。新選組もアホだったし、まったく幕末から維新にかけては、日本そのものがアホだったのだろう。武士の連中が自分の藩しか見えてなくて、日本という国家を見ることができていなかったというのがよくわかる。
小説は、とにかく前半がタルイ。なぜ天狗党の連中がにっちもさっちもいかないところへ追い込まれてしまったのかということを淡々と説明している。それは微に入り細に入りであって、歴史書を読んでいるような退屈さであった。後半になって物語は急に動き出し、アホな天狗党の連中が京都目指してアホな行進を始めるのである。「やめようかこんなこと」「やーめた」「かえろかえろ」と言えば済むだけの話なのに、本当に困った連中だ。こんなアホな連中ばかりだったから、国家体制の転換という大事業が一瞬で片付いたわけだが。
はっ、今気がついたが天狗党と言えば水戸。水戸と言えば茨城。茨城と言えばアントラーズ。鹿島サポのアホは、天狗党由来のものだったのか。それじゃあ仕方ないなあ。せいぜい日本が再び転覆しないように気を付けなくては。
2022.10.04
西武線の武蔵砂川というところに行った。
どこですか〜、それ。玉川上水という駅は割と知られていると思うが、その隣のしょぼい駅である。東村山とか、多摩湖とかその近く。立川の上のほう。
玉川上水はとてもいいところで、聖蹟桜ヶ丘あたりの多摩丘陵とは違う趣がある。何よりも穏やかな自然が素晴らしく、いい街だなあと思わせる。
その隣の駅なのだから基本的には似たような雰囲気ではあるのだが、駅一つで天と地の差があるというのはよくある話で、玉川上水と武蔵砂川もその例に漏れず、武蔵砂川は実にしょぼい場所だった。
しかも今日の訪問先は駅から徒歩22分! もちろんタクシーもあるし、バスだってないことはない。
だが10月上旬の晴天である。この素晴らしいお天気の下、呑気に多摩の散歩を楽しむのもよかろうと歩くことに決めたのだった。
行きも帰りも22分。ウォーキングと考えればちょうどいい距離ではある。
だがとにかく今日は暑かった。天気予報では30度。今年最後の真夏日である。
だもんで全身汗だらけ。終わったのが夕方だから、当然のことながら帰ってきて駅前の焼き鳥屋に立ち寄ってビールを飲んだのだった。そうなると家へ帰っても使い物にはならず、とっとと風呂に入って極楽極楽などと言いながらだらだらと過ごしたのだった。
秋はいいなあ。
オレは秋が一番好きだ。
2022.10.03
テレビで昭和の事件についてのクイズ番組をやっていた。解答者には名取裕子がいた。
名取裕子はオレと同じ大学の同じ学年である。卒業アルバムにも載っているんだぞ。
そう自慢したら、ならばそのアルバムを見せてみろとヨメが言うので、見せてやる。
ほら、名取裕子だ。そしてオレだ。
娘は写真を見て「昭和ばかり!」と指さして笑った。ヨメもオレを見て「若いねー」と笑った。卒業アルバムなんて、やっぱり家族に見せるものではないなあ。
今日はヒマだったのでブックオフに行って本を買ってきて読んでいた。明日からは忙しくなるし。
買ったのは浅田次郎の維新ものの短編集2冊と、伊東潤の天狗党もの。
浅田次郎のは再読だ。歴史物について浅田次郎は、幕末から維新にかけてしか書かないと言っている。確かにこの時代の話はとても面白い。
伊東潤の天狗党は、以前から読みたいと思ってそのままにしていた本だ。ブックオフで新刊状態のハードカバーが300円だったのでお買い得。ちょっと読み始めたらむちゃくちゃ面白いではないか。
浅田次郎も伊東潤も、どちらの作品を読んでも、幕末維新の頃ってどうしてこんなにバカが多かったんだろうと呆れてしまう。アホな人間ばかりだ。
そのアホさゆえに、ヨーロッパなら30年はかかったとされる御一新がたった1年で終わってしまったわけだが。これは歴史上の大きな奇跡。
なお浅田次郎の歴史ものは、活字が大きくなって新装されている。ありがたい。
昔の文庫本って文字が小さすぎたよなあ。
2022.10.02
オレにとってのアントニオ猪木のベストバウトは、1984年8月4日の長州力との一騎打ちである。場所は蔵前国技館。これは確か現地で見たと思う。
この試合は当時の長州のハイスパートレスリングとはまったく異質の内容で、実に驚きだった。なにしろ30分近い試合のほとんどがレスリングの攻防。一度もロープに飛ぶこともなく、延々と道場のスパーリングが繰り広げられたのである。国技館という大箱のメインイベントでは、とても考えられないことだった。
猪木と長州は延々とアマレスばりの攻防を続け、それは実に手に汗握るスポーツ的な緊張感に満ちていた美しい試合だった。
当時はあのUWFがアンチプロレスを掲げて絶好調だった頃。オレも基本的にはUWF信者だったが、この猪木-長州戦はUWFに対するプロレスとは何かというイデオロギーの表現であるように感じて、しびれた。
一度もロープに飛ぶこともなく延々とグラウンド主体のレスリングが続いた試合は、最後の最後に長州がラリアートのためにロープに飛ぶ。おそらくそれが試合を終わらせる合図だったのだろう、猪木はラリアートを微妙にずらして肩で受けて、そして二度目のラリアートを返し、グラウンドコブラで長州を押さえ込んでフォール勝ちしたのであった。
それまでオリンピックレスラーらしく圧倒的なレスリングを展開していた長州がグラウンドコブラなんていうヘンテコなワザであっさり押さえ込まれてしまうのだから、最後はこれで決まっていたのだろう。
その合図が、ロープへ飛ぶことだった。直前、レフェリーのミスター高橋がスリーパーの長州に何かささやいているから「そろそろフィニッシュだ」というような耳打ちをしたのではないか。もちろんオレの完全な妄想である。
UWFブームに危機感を抱いていた猪木は、試合前、長州と徹底的にレスリングをしようと話し合ったのだろう。そして最後は長州のブランドを傷つけずに終わらせるために、ラリアート返しからのグラウンドコブラという流れだったに違いない。
場外乱闘も凶器攻撃も乱入もロープワークもなかった実に地味な試合だったのに、ファンの満足度は非常に高かった。今もネットで貴重な映像が見られる。
無人島に持っていくプロレスのビデオを3つ選べと言われたら、オレはこの「蔵前の猪木対長州」と「田園コロシアムのハンセン対アンドレ」、そして「闘龍門の4way」を選ぶ。いずれもプロレスとは何かという本質をついた鋭いラインナップではないかと、自画自賛するのだった。
今、つい「闘龍門の4way」をネットで見ちゃったけど、すげえなこれ。とんでもない試合だったんだ。
「1976年のアントニオ猪木」(名著)を読むと、猪木のプロレスラーとしての真価がどんなものだったかが、よくわかる。アリ戦も、本当に凄かったのはアリだったわけだ。
ただ1人の人間として見た場合、やはりその人生の歩みのすごさというのはとてつもない。これほどの浮き沈みがありながら好き勝手に生きてきたその様は、誰にも真似できないわなあ。
などとアントニオ猪木を偲びつつ、オレは金沢対岡山のゲームを見る。この試合でもし岡山が負ければ、アルビレックス新潟のJ1昇格はほぼ決まる。95%ぐらいだろう。
この試合のクライマックスは後半途中。
日本中が「天誅!」「天罰だ!」「お天道様は見ておられます」と叫んだのである。
なにしろ日本中の嫌われものの岡山の、その最大の嫌われ者であるバイス、要するにタイガー・ジェット・シン並みのヒールであるバイスが、10年に一度じゃねえかというような見事なオウンゴールを決めて見せたのだ。
まさかこの重要なゲームのこの重要な局面で、こんなにも見事なオウンゴールを決めるとは。立派だ。10年に一度の大事件だ。
岡山が嫌われる理由の一つが、プレーの荒さにある。とにかく汚い。審判の目を盗んで相手に肘打ちし、足を引っかけ、体をぶつける。その一方でちょっとしたことでファール狙いで倒れて、すぐにPKをもらう。
多くのチームがペナ内ではゴールへ向かってギアを上げるというのに、岡山はペナ内に入るとPK狙いに切り替えて、そしてすぐに倒れてPKをもらう。実際、岡山のPKの数は突出して多いのだ。これは審判も間抜けなのだが、その審判をすぐに囲み、恫喝するのも岡山の常套手段。
今日も狙い通り岡山はいんちきPKをもらってバイスが点を決め、金沢に1-1と追いついたのである。
その挙げ句に当のバイスが10年に一度のオウンゴールを決めたのだから、誰もが因果応報、天唾、自業自得という言葉を思い浮かべたのだった。
結局この試合は金沢が見事に勝ちきって、そして岡山は自動昇格戦線から脱落。アルビレックスの昇格がほぼ決まったのである。
オレと息子は来週新潟までアルビレックスのゲームを観に行くのだが、おかげでこれが昇格決定ゲームになりそうな予感。翌週は調布の味の素スタジアムへアウエーゲームを観に行く予定で、これが優勝決定ゲームになりそうな予感。
なんという幸せ者だろう、オレたちは。お天道様が祝福してくれているかのようだ。
2022.10.01
「現金があれば何でもできる!」「便器があればウンコもできる!」
というのをネットで拾ったので弟にLINEで送ったら、コピーライターなんだから自分で考えろと言われた。そこで
「チンコがあればオシッコもできる!」
と考えて送ったら「GJ!」とほめられた。こ、これでいいのか。
そんなやりとりを子供たちに見せたら「60過ぎた兄弟が」「こんな夜更けにLINEで」「なんとアホな」と呆れられてしまった。確かに情けない。
ではその弟がどこにいたかというと、山形だ。そうである、今日はアルビレックスが山形でゲームなのである。
Jリーグも残り4試合。決して簡単ではない。今日の山形も徹底的に対策をしてきて、非常に苦労させられた。84分になんとか追いついて、引き分けに終わらせる。この勝ち点1はデカくて、仮にこの先全敗したとしても昇格の可能性が残る。もちろん1つでも勝てば昇格だ。
やれやれ、早く決めて楽にさせてくれ。
そんな具合に昇格間近となったアルビレックスだが、調子に乗っているあまり、サポーターの評判が地に落ちている。あの松本や徳島、岡山あたりと似たような嫌われ方だ。
今日もいろいろとやらかしているぞ。
指定場所以外に段幕を掲げようとして警備員に止められ、警察が呼ばれるほどの騒ぎになる。
声出し禁止なのに、デカい声でブーイングする。
ホーム側の席でアルビ応援の音頭を取る。
駐車場で事故を起こして大渋滞をひき起こす。
喫煙者が異常に多くてやたらと歩きタバコをする。
今日だけでもこれだけの不始末を引き起こして、迷惑をかけまくっている。もちろん反省などするはずもなく、オレたちはアルビサポ様だという態度だ。ほとんど松本サポ状態。
田舎者が調子に乗ってさんざん迷惑をかけているなあと思われているから、気を付けなければならない。チームの頑張りに水を差すぞ。
というアホなサポーターのアホな振る舞いは別として
首位堅持!△△△●○○●○○△○○△○○●○○○△○○●○●○○●△△○○○●○○○○△
あと一つ勝てばJ1昇格だ。早く決めてくれえ。ラクにさせてくれえ。
そんな思いを胸に、来週のホームは応援に駆けつけるのだ。迷惑をかけないようにしなければ。
2022.09.30
70年代の1位が「また逢う日まで」で、80年代は「ルビーの指輪」だ。何かというと、ミュージックマガジンが発表した年代ごとのJPOPベスト100である。
その90年代版が先日発表された。1位は「接吻」である。
は? せ、せっぷん? 何それ。
お答えしましょう、OriginalLoveが93年に発表した歌であります。
続いて2位が「Automatic」、3位が「ロビンソン」、4位「スウィート・ソウル・レヴュー」、5位「今夜はブギー・バック」。
うーむ、5位はわからん。以下100位までを眺めると3分の1くらいは知らない曲が並ぶ。
9位SMAP「SHAKE」は意外だが嬉しい。この曲、かなりの名曲だと思うのだ。7位「LOVEマシーン」、10位「アジアの純真」あたりは納得だが、「少年時代」(25位)、「さよなら人類」(26位)あたりは低すぎないか。97位「夜桜お七」、100位「おどるポンポコリン」で90年代JPOPは締めくくりである。
1位がなんだこの曲というのに始まり、これだけ知らない曲が並ぶということは、要するに例の「国民誰もが歌える歌がなくなった」という嘆きが大きくなったのがこの頃だと推測できそうだ。
“誰もが知ってる歌”なんてものがそもそもおかしいのだから、ある意味で健全な結果といっていいかもしれない。
面白いのは、毎回のことだが、偏屈ものの選者たちのコメントだ。
「ライブハウスが増え、交通インフラが充実したことでツアーをベースにした活動がしやすくなった」と、バンド多様化の背景を社会的に分析する選者もいれば、「バブル崩壊の『LOVEマシーン』みたいなやけくそ気味に振り切ったパワーの曲が目立った」と解析するものもいる。
「当時親が“最近の曲はメロディが複雑すぎ”と言っていたが、今聴くとむしろ素朴」との見事な突っ込みで最近の曲のやり過ぎ感を諫めるコメントもある。
一方で「私にとって『ふにゃちん天国』を抜きに90年代を語ることは『ハートブレイク太陽族』を語らずして80年代を語ることに等しいのである」というまったく意味不明のコメントを寄せるものもいる。なんのこっちゃ。
ビーイング系やミスチル、trfが意外なほど低く、その代わり「H Jungle with t」が上位にいるあたりが実にミュージックマガジンらしいと、この媒体そのものの偏屈ぶりを指摘する声もあった。
70年代、80年代、90年代ときたのだから次は00年代ということになるのだろうか。ますますオレには知らない曲ばかりのランキングになりそうだ。こうして振り返ると、やはり70年代ランキングが一番共感できるというか、嬉しい内容だ。おっさんだからなあ、オレも。
そんなことを考えながら有楽町でイームラ君と酒を飲む。何年ぶりかで訪れた松忽だ。この店は路上に勝手にテーブルを並べて営業し、警察の注意を受けたら速攻片づけて、翌日からまたしれっと路上に机を並べるというデタラメな店である。店の作りは貧相だが、立地が立地なので案外高い。しかも食い物はまずくて不健康。生ものは決して口にしてはならないのだ。
久しぶりに立ち寄ったら、名物だった客引きのじいさんがよたよたとしている。よく見れば左半身が不自由なようだ。大きな病気をやったに違いない。帰り際、どうしたおっさん、病気したのかと聞いたら「もう血圧が高くて」としょぼしょぼ答えていた。体に気を付けろよなと言い置いて立ち去る。次に来るのは何年後か。
家に帰って、今日は音楽が聴きたいなあと思い、パソコンを立ち上げる。もはやオレはCDプレーヤーを持っていないから、CDで音楽は聴けないのだ。YouTubeが音楽プレーヤー。
山下達郎の「クリスマスイブ」を聴く。J-POP史上最も重要な曲だ。「君は天然色」が時代を変えたというような言い方をされることが多いが、オレは「クリスマスイブ」こそ革命だったと思う。とにかくこの音の作り方が30年たった今でも完璧。これほど耳に心地よいマスタリングをオレは知らない。オレが知らないだけかもしれないが。だはは。
のんの「星くずの町」を見る。最高だ。控えめに言って最高だ。
ワンピースにポニーテールの女の子が歌って踊るオールディーズ昭和感。年を取ったせいか、古きよきアメリカの音楽がとても心地よいのだ。オレは。
その流れで「明日があるさ」を見る。これも控えめに言って最高だ。
のんが抜群に可愛い。恐るべきレベルのかわいさだ。もはや神である。控えめに言っても神だ。
その神の後ろのばばあが誰かと思ったら、小泉キョンキョンではないか。真っ赤な女の子が今や真っ赤なばばあ。その事情抜きにしてみれば、さすがにフィットである。
尾美としのりを飛ばして、おお、渡辺えり。このおばちゃん、びっくりするぐらい歌がうまい。このグルーブ感や発声は、もしやジャズをやっていたのではないか、昔。素晴らしいボーカルだ。
驚いたのは、キャンディーズの藤村美樹の娘が歌っていることだ。これも実に伸びやかで素晴らしいボーカルである。「この世界の片隅で」のつながりで参加したそうだ。
そして何よりも素晴らしいのが、演奏である。アレンジは「あまちゃん」の大友なんちゃら。このアレンジが素晴らしく、それに応えるビッグバンドの演奏がこれまだ最高で、控えめに言って神である。
酔っ払った頭でオレは何度もこの動画を見返した。
明日がある、明日がある、明日があーるーさー。
実にクオリティの高い、控えめに言って神の動画で、コロナの日本に必要なのはこれだったんだとオレは膝をポンと打ち、そして秋の澄んだ空気に浮かぶ三日月を眺めつつ、酔い潰れて寝るのだった。
2022.09.29
ここのところ、とても暇である。暇すぎて、今日電車に乗ったのだって、実に二週間ぶりだ。
二週間ぶりだと、電車に乗るのもさすがに緊張する。だがそんなことを悟られてはならない。キョドらないよう、十分に気をつけるのだ。
向かった先は飲み会である。場所は池袋だ。
池袋は薄汚い街で、今日はその薄汚い街の薄汚いやきとん屋で飲み会なのである。
学生時代は渋谷が拠点だった。社会人になって40歳をすぎるまでは新宿が拠点で、今は池袋が最も近い繁華街である。渋谷新宿池袋と順調に格落ちしてきたわけで、こりゃまんま人生の転落絵図ですな、わっはっはなどと笑うのであった。このまま転落を続ければ赤羽、大宮、高崎と北上し、やがて故郷の新潟にたどり着き、人生の終わりを聖地ビッグスワンで迎えるという可能性もなくはない。ないか。
池袋の飲み会は、半分は仕事がらみであった。
やはり飲み会はおっさんどうしに限る。バカ話で大いに盛り上がり、大笑いの連続だ。
途中、バイトに行っていた息子から「今から帰る」というLINEが入る。おお、ちょうどいい、帰り道だ、こっちに顔を出せと返信する。
息子は嬉々として薄汚い街の薄汚いやきとん屋の引き戸を開けて、オレたちに合流するのであった。関係ない大学生を心地よく迎え入れてくれたおっさんたちには心から感謝である。
息子もよく来てくれたものだ。ビールを飲みながら、おっさんたちの会話に入ってくる。それなりに楽しんでくれているようでよかった。
そういやオレも学生の頃、夏休みに帰省した際、父親に飲み会の席に呼び出されたことがあった。車だったのでたぶん迎えに呼ばれたのだろう。「へー、これがタンゴさんの息子さんか」などと言われていろいろといじられたっけ。それを見ながら父親はニコニコと嬉しそうだった。
あのときは面倒くさいとしか思わなかったが、今になって、きっと父親はオレのことを職場の仲間に自慢できて嬉しかったのだとわかる。
きっと今のオレも、あのときの父親と同じ顔をしているんだろうなあと、薄汚れたやきとん屋で深まりゆく酔の中、思ったのだった。
ああ、面白かった。カナリツヨシさんには笑ったぜ。
2022.09.28
国葬反対の国会前のデモは、主催者発表で1万5000人。警察発表では500人。これだけでも笑えたのだが、腰を抜かしたのが、307人という野鳥の会の発表。
いやあ、いくらなんでも盛りすぎだろう、主催者。というか、なんなんだ、野鳥の会(笑)。グッジョブ過ぎる。
「紅白の採点より簡単だった」と言ったとか言わなかったとか。
さて、一時期はすげえ忙しかったのに9月後半になってパタッとヒマになってしまった。電車なんてここ半月乗っていない。
こんなにもヒマだと、もうオレは終わりなのかと不安になってくる。
だがじたばたしてもしょうがない。昔読んだ本を読み直したりして過ごしている。
確か我が家には山のようにKindleがあったはずなのに見当たらなくて、いったいどこに行ってしまったのだろう。仕方なくスマホで電子書籍を読んでいる。
かと思ったら掃除をしていたヨメが「こんなのが転がってた」とオレに差し出したのがiPadミニ。うげ、なんだなんだ、どこに転がっていたのだ。
これはたぶんドコモが無料キャンペーンをやっていたときにせしめた一枚だな。すぐにもっと容量の大きいのに買い換えて使わなくなったヤツだ。
もったいないので充電してみる。あまりよろしくない。どうやらバッテリーがへたっている様子だ。iPadはバッテリーがしっかりしているという印象だったのだがなあ。さすがに古いからダメか。
しかたなく再びスマホで電子書籍を読む。先日は浅田次郎の「輪違屋糸里」を再読したので次はやはり新撰組ものの「一刀斎夢録」だ。だがやっぱり「壬生義士伝」の素晴らしさにはかなわない。こうやって新撰組三部作を永遠にループしながら読み続けそうな気がする。安上がりではないか。
2022.09.27
小学校を卒業するまで朝日小学生新聞を読ませたらどんな大人になるんだろうなあと興味津々で試してみたら、息子は立派な右翼青年に育ちましたとさ。
オレも中学から大人になるまでずっと朝日新聞を読み続けたのに、今では極端な右翼おじさんになったから、どうやら朝日新聞は右傾化人材を育ててくれる立派なメディアらしい。
その息子が朝帰りして「今から献花に行こうぜ」と言う。だが既に4時間待ちとテレビは報じている。それはさすがに厳しいから、献花はデジタル献花で済ませて、あとはテレビで見ようぜという結論に落ち着いた。
デジタル献花というものがあるのよ。名前とメッセージを添えてネットで献花ができるサービスで、もちろん無料。オレが献花した時点で21万人に達していて、午後にヨメが献花したら23万人に増えていた。国葬反対のデジタル署名が40万人だったから、その半分か。ちっ。
まあよい。どんなに反対しても国葬は行われるのだ。
人の葬儀の最中に騒ぐのは、日本人のメンタリティとしてとても受け入れがたい。音の出るものを持参して黙祷中に鳴らそうという呼びかけは、品性下劣この上なく、もはや猿以下の振る舞いである。
猿以下ということでは、反対デモの中でマイクを持って絶叫しているばばあが落合恵子というのには仰天したなあ。かつてはレモンちゃんと呼ばれて、高校生や大学生に絶大な人気を誇っていた人だった。それが長い白髪を振り乱して絶叫する様は、まさにあみだばばあの生まれ変わりか。なんとも立派な市民運動家に成り果てられて、オレは時の無情を思うのだった。
阿倍さんの足跡を紹介する8分間のビデオは素晴らしかった。
友人代表としての菅さんのメッセージは、オレも思わずうるっときた。本当に心のこもったメッセージだった。直後、葬儀にはあり得ない拍手が自然発生的に起きたのも、納得だった。
先の葬儀の際の麻生さんの弔事「正直申し上げて、私の弔辞を安倍先生に話して頂くつもりでした。無念です」も実に見事なものだったが、こちらの菅さんの挨拶も素晴らしいものだった。
「××のカネはもったいないから××に使え」というのは立場や状況が変わればどんなことにも当てはまるから、「国葬の費用は無駄だから福祉に使え」というのは勝手な都合ということになる。「外国人生活保護のカネは無駄だから戦車を買え」というのも自由だからだ。
そんなこともわからず、左の人たちは何を反対しているのだろう。
「弔意を強制するな」と言いながら、反対を強制していることの滑稽さ。みっともなさ。
デモの多くがじじいばばあであることに、うんざりする。
国葬が終わって、オレは息子と一緒に焼き鳥を食いに行った。駅前のトリキである。右派親子の晩餐だ。
手には勝ったばかりの雑誌「Will」。安倍首相のちょっといい話30という特集にずっこける。
ラモス瑠偉がネットで激怒している。「そんなに日の丸と君が代が嫌なら、他の国に帰化すればいい。日本で戦争が起きたらオレは戦う。だって日本人なんだから」。
あみだばばあレモンちゃんは、ラモス瑠偉の爪の垢でも、だ。
2022.09.26
銀行の窓口に行った。
いつ以来のことだか、記憶にない。数年ぶりだ。それぐらい銀行の窓口なんて縁遠いものになった。
行った目的は、娘の通う大学の授業料の振込である。
オレんちから最も近い金融機関は郵便局なので、こういう類いの用事があるときはいつも郵便局の窓口で済ませているのだが、なぜだかこの大学の授業料の振り込みは郵便局ではダメだと書いてある。面倒くさい大学だ。
それで仕方なくメガバンクの窓口まで行った次第である。口座引き落としの手続きはしていなかったようだ。これは、こっちが悪い。
さて、メガバンクなら赤い銀行だが、駅前にあった支店は統廃合で消えてなくなったのではなかったか。おぼろな記憶を頼りに検索してみたら、やはり店舗は消滅していて、ATMしか残っていない。面倒だ。
仕方なく隣駅の赤いメガバンクに行くことにする。ここはオレが住宅ローンを借りて、今もバカ高い借金が残っている銀行だ。それを考えると、向こうから頭を下げて集金に来てもらいたいものだ。
車に乗って出かける。
銀行の窓口なんて、今書いたように何年かぶりだからさっぱり要領がわからない。とりあえず支店の入り口へ行ってみようと、赤い看板を目印に近づいてみる。そしたら仰天。店舗の前にけっこうな行列ができているではないか。これはもしかして阿倍さんの国葬の献花台でもあるのか。いや、違った、取り付け騒ぎか。円安でとうとう赤いメガバンクも倒産か。違う、単にATMに人が並んでいるだけだった。
とはいえ、現金を引き出すのにどうしてこんなに人が並んでいるのだろうと不思議になる。給料日あと、連休あとだからか。月末が近いからか。まあ、人様の財布の事情は関係ないか。
店舗に入る。何年ぶりかだから要領がわからない。入り口付近にいた案内係らしいおばちゃんに声をかけ、へっぽこ大学のぼったくり授業料を振り込みたいんですが、と相談する。おばちゃんは「それでしたらこの札で番号順にお呼びしますので」とオレにカードをくれ、そして3人待ちの末に窓口でちゃんと振込手続きをすることができたのである。
やれやれ、大騒動であった。
イスに座って順番を待つ間、オレの心にも余裕が生まれ、窓口のお姉ちゃんたちの様子などを眺めることができた。おぼろな記憶では、昔はずらっと一列に窓口が並んでいたものだったが、今ではたった3つしか窓口がない。へえ、やっぱり窓口の利用者なんてすっかりいなくなってしまったのだろう。
来春には給料の電子マネー払いが許可される。つまり初任給もボーナスも、銀行口座ではなくてスマホに直接振り込まれる時代になる。いよいよ本格的な銀行スルーが始まるのだ。
思い出せばオレの初任給は銀行振込だったが、初ボーナスは給料袋に入った現金だったなあ。隔世の感だ。
ぼったくり授業料を払ってすっからかんになる。払った金額は、オレの初任給の何カ月分にもなった。手持ち現金も銀行口座にも、カネがない。
オレは稼がなきゃならんのですよ、仕事ください。そう客に泣きついたら「一番カネのかかるときですもんねえ」と同情された。
2022.09.25
ベガルタ仙台の凋落ぶりには、さすがにびびる。
お盆の頃までは、オレたちが昇格するんだぜ新潟なんてメじゃないぜとイキっていたのに、それからあれよあれよの5連敗。1カ月後の今はプレーオフすら危うい6位だ。
さすがにサポーターもメンタル崩壊らしい。
そのサポーターたちの目の前で、今日は試合後にキャプテンのフォワードとベテラン選手が罵り合い。ゲーム中ではない。ゲームが終わってサポーター席へ挨拶に行く際、衆人環視で口げんかしているのである。
もう末期的だな、このチームは。こんなものを見せられたサポーターには心から同情する。
と、オレたちが上からいえるのも、今日もアルビレックス新潟は勝って着実に一歩を進められたからである。
4連勝!首位!△△△●○○●○○△○○△○○●○○○△○○●○●○○●△△○○○●○○○○
実質的にあと2勝で自動昇格決定だ。たぶんJ2優勝も。
なお状況によっては、こちらが試合のない日に岡山が負けちゃって昇格が決まるという場合も考えられる。これをサイレント昇格という。
やっぱり目の前で昇格を決めてスタジアム全体で盛り上がりてえよという声がある一方で、とにかくどんな形でもいいから早く昇格を決めてほしいという声もある。
オレは後者だな。浮き足立っているわけではないが、何が起きるかわからないし、とにかく一日でも早く昇格を決めて安心させてくれえと思うばかりだ。
などと今日も大宮とのゲームにあっさり勝ったことを喜びつつ、日曜夜のお楽しみ「イッテQ!」を見る。このご時世にいろいろと突っ込みどころ満載で、やってくれるなあという印象だ。
例えば新人女子ディレクターの高校時代の写真を回し見して、全員で爆笑するなんて、ルッキズムそのもの。あるいはバケツを逆さまにして顔にかぶせて水を満たすお笑いは、BPOの「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ」そのものだから、これも明らかに炎上対象だ。
もちろん日テレだってわかっていて、炎上狙いなんだろう。
BPOはどうかと思うが、高校時代の顔写真を笑いの対象にするというのもあんまりいい趣味ではないな。親の気持ちを考えろと。
などと鋭く批評しながらオレはビールを飲み、そして再び今日のゲームのハイライトを見て興奮するのだった。
今シーズンもあと4試合。2勝すれば文句なく決まる。仮に4連続引き分けでも決まる。いいや、そんなこといわずに、とにかく早く決めてくれ。
なお自動昇格と優勝が決まるのではないかというゲームは、既にチケットを確保。こんなことはもう二度とないからね。あっちゃ困る。
2022.09.24
村田兆治の逮捕にはびっくり。
空港の保安検査所で暴れて女性に暴力ふるうとは、コンビニのレジで大声出す老害そのものじゃん。粛々と仕事している若い人に向かってぶち切れるなんて恥ずかしすぎる。
スマホを手放さなかったため何度も警報が鳴り、スマホを置くように言われたことに苛立ったそうだ。
「晩節を汚すとはこのことだ」「いつも人の言うことなんか聞かなかったのだろう」「村田先生村田先生と周囲が忖度ばかりだったのだろう」「講演が全部パーに」「テレビが全部パーに」「名球会もパーに」と世間は騒がしい。まったくもって同情の余地はない。
老害と言えば、昨日の代表の試合を見たセルジオ越後が相変わらず老害ぶり。ゲーム中、スタンドであくびをしている観客の姿が映し出されたことを取り上げてセルジオは「退屈な試合だ。あの観客のあくびがすべてを物語っている」と偉そうだった。
客のあくびに選手は何の責任もない。とにかく噛みつけばいい思っている老害だ。いや、蓮舫か。
それはともかくとして、村田兆治の事件を受けて早くもオレたちの間では「村田兆治にはなるな」が合い言葉である。
昼飯は我孫子駅前の松屋だったのだが、ずらりとカウンター横一列に並んだオレたちに対して、店員は一人、ワンオペで、接客から調理、片付けまで走り回っている。だからちょっとぐらい料理が出てくるのが遅くても、順番が前後しても仕方ないのだ。
忙しく立ち働く女の子を見ながら、オレたちは「おとなしく待とうじゃないか」「村田兆治にはなるな」と言い合ったのである。
オレたちはというと、ご存じたんさいぼうである。5人組の還暦オーバーバンドだ。今日は1年ぶりのライブで、我孫子市役所に呼ばれてやって来たのであった。
我孫子、どこですかー。
千葉のハズレだ。ほとんど茨城県。手賀沼がある。
こんな遠くまで、しかも台風だというのに、えったらおっちらやって来たのだった。早めに出発したので時間に余裕があり、安藤君としゃべりながらとろとろ下道を走ってきたのだが、途中でこのままでは間に合わないと気がついて慌てて外環道に乗ったのである。おかげでことなきを得ることができた。
久しぶりのライブは大成功。いろいろ忘れているに決まってると思ったのに、案外しっかりと覚えていた。還暦オーバーでもやれることはやれるのだ。
帰り道、安藤君が地元に新しくできた道路の自慢をする。そこそこショートカットになるとのことだった。そうか、ならばその道を通ってみようではないか。
ところが新しい道はやたらと信号が多く、交通量も多いので、なかなか前に進めない。ちっともショートカットになっていないのだった。
どういうことだ、安藤君、まったくダメじゃないか、この道は。
そう責めたら安藤君は「ままま、村田兆治にならないように」とオレを諫めるのだった。
2022.09.23
日本人がガンにかかる原因の1位は相変わらず喫煙だそうだが、喫煙者が急激に減ったことで、感染症が原因のガン患者が増えているという。
確かに喫煙者はずいぶん減ったなあ。今や絶滅危惧種に近いのではないか。
オレは子どもが誕生してからタバコをやめた。今はやめてよかったと、しみじみと思っている。
何しろ吸える場所がないのだ。練馬区では店舗はもちろんダメで路上もダメ。喫煙者が駅前交番で吸える場所を尋ねたら、ドトールの喫煙席を勧められたという。
今やタバコを吸えるのは実質的に自分の家だけだ。
喫煙者にとってこれはつらいだろう。かつては1日50本のヘビースモーカーだっただけに、吸えないつらさはよくわかる。もし今でも吸っていたら、吸えない場所のあまりの多さにイライラしまくりだったに違いない。吸わなくなったおかげで吸える場所のないことに苦痛を感じなくて済むわけだ。
昭和の時代は凄かった。
インタビュー仕事に行くと、会議室でも応接間でもまず灰皿が出てくる。そしてタバコを吸いながらインタビューが進む。
もちろんオフィスでも喫煙。それどころか病院でも喫煙できたし、地下鉄の駅でも喫煙できた。飛行機も喫煙可能だったし、美容室でもタバコを吸いながら髪を切ってもらっていた。考えてみれば酷い時代だったのだ。
成人男性で4人に1人は喫煙者らしいから絶滅危惧種とまではいえないか。それでもここ20年ほどでの急激な減少ぶりにはちょっと驚く。昭和の人がタイムスリップしてきたら、きっとのけぞるだろう。
この急激な変化の大きな理由が健康増進法だ。法律で縛ってしまえば、もはや喫煙は犯罪扱い。それがこの大きな変化につながった。
これと同じことが環境問題で起きようとしている。
ここのところESGについていろいろ詳しく取材する機会があって、この先の変化の大きさには驚くばかりである。特に2025年をマイルストーンとしていろんな動きが加速しており、これからの3年間で世の中ががらっと変わるのは間違いない。
例えば今「まだタバコなんて吸ってるの」と言うように、2025年には「まだペットボトルなんて使ってるの」ぐらいのことは言われるようになっているかもしれない。
そんな大きな変化が楽しみであり、不安でもある。動き出したことは、もう止められないのだ。
などと考えながら「マツケンサンバ」からの「お嫁サンバ」というメドレーを見た後、チャンネルを変える。今日は日本代表とアメリカのトレーニングマッチだ。
スタジアムにはキリンチャレンジカップと書かれてあって、あれ、どこのスタジアムだろうと思って眺める。なんとなく芝の感じが見たことないなあと不思議に思ったら、ドイツだった。そういやヨーロッパに行くとかなんとか言ってたなあ。
それはいいんだけど、解説が大久保だったので仰天する。あんな猿に解説なんてできるわけないだろうに、フジテレビは何を考えているんだ。バカなのか。
案の定「ここからの流れがポイントですねえ」「フリーキックは重要な武器ですねえ」「フリーキックが決まるといいですねえ」と、素人の感想しか言えない。感覚と感情だけでサッカーをしてきた男だから、システムとか戦術とはまったく無縁。言語化しようにも、そもそも語るべき考えすらもっていないから、解説なんて不可能に決まっている。
一緒に座っていた坪井は実に的確な解説だったが、こんな大久保ごときの素人感想垂れ流しの画面なんて見てられっか。
そこで副音声はどうかと思って切り替えてみたら、げげっ、こちらは前園と丸山桂里奈の漫才トークじゃねえか。
丸山桂里奈は、前園に「オフサイドを知らなかったんだって?」といじられて「ええ、知りませんでした」とあっさり答える。げげっ、噂は本当だったのかよ。こいつも野生の勘だけでサッカーをしていたのか。猛獣使いの宮間と澤だから操れたのだろう。
もっともこちらの前園・丸山は、慣れてくればプレーヤー視点での「すげ」「うまい」という言葉があって、なかなかよかった。大久保のバカなんか二度と聞きたくない。
さてゲームはというと、アメリカが弱すぎて話にならんわ。なんだ、この守備は。これでは仮想ドイツとはほど遠いわ。この調子ではワールドカップ初戦、ドイツにはあっさり負けるだろうなあ。
なりふり構わず3バックの引きこもりサッカーに徹して0-0を狙うしかないだろう。そういうリアリストの戦術も、ありっちゃありだと思う。
2022.09.22
県民性というのはその土地の気候、風土、文化がつくるものだが、それをしっかりと踏み固めたのは幕藩体制ということになっている。
封建制の「封」は封じ込めの「封」。一歩外に出ればそこはまさに別世界。新潟にとって岡山なんて異国そのものであったに違いない。
そんな状態が何百年も続いたからその土地ならではの人格のようなものができて、おかげでケンミンショーみたいな番組も成立している。
県民性ということでいま一番嫌われているのは、間違いなくその岡山である。
ヤクザが多い。広島弁より言葉が荒い。駅前に創価学会と統一教会の施設があって激しい勧誘合戦を繰り広げている。
そんな評判がネットにはあふれている。倉敷の美しくて上品なイメージは限定的に演出されたものであって、実態は下品で暴力的なヤンキー県というわけだ。
本当かどうかは知らない。要するにイメージ、印象というのはそういう適当なものだ。
こうしたイメージづくりに大きく寄与しているのが、サッカーである。Jリーグのファジアーノ岡山だ。
とにかく汚いサッカーをする。いや、汚いを通り越して、今は酷いサッカーとまでいわれている。
PKの獲得率が異常に高いのは誤審のオンパレードだからで、今では有利に誤審してもらって当たり前とさえ岡山県人は考えている。まさに勝てば何でもいいんだよサッカーだ。
選手はもっと酷くて、例えばバイスなどは審判を恫喝して有利な判定を引き出している。相手にタックルするときは三沢光晴ばりのエルボードロップだ。VARのあるJ1じゃ絶対に通用しないことが自分でもわかっているから、J2専用と決めこんで好き放題に狼藉を繰り返している。
こんなバイスに影響され、他の選手も何かあればすぐに審判を囲んで恫喝する。
その様子の一つひとつが、確実に岡山県のイメージを毀損(きそん)している。Jリーグというのは地方の隆盛につながるのではなかったのか。まあ、浦和レッズのおかげで浦和のイメージが地に落ちたように、Jリーグは街の価値を下げかねないのだ。
そんなわけで今や岡山は、松本や徳島といった嫌われ者を追い越して、Jリーグで断トツで嫌われる土地になってしまった。自業自得であるのだが。
もちろん新潟も決して威張れたものではなくて、陰湿だとか閉鎖的だとか、よく言われる。
新潟から東京へ出て働いている人間に対して「地元を見捨てたお前らにアルビレックスを応援する資格なんてねえべ」と面と向かって罵倒するあたりは、陰湿の極み。罵倒されるオレとしては胸をかきむしりたくなるぐらい悔しい。
そういう土地柄だから岡山のことを笑ってもいられないのだが、この程度はどこの地方にもあることで、要するにそれが県民性。
県民性といっていいかどうかわからないが、とにかく東京を敵視するのが大阪人で、初めて東京に来た大阪人は必ずといっていいほど「ふーん、東京もたいしたことあらへんな」と見下したように笑うのである。
それも例えば住宅街の路地に貼り出された「痴漢に注意」みたいなポスターを見て「ふーん、東京もたいしたことあらへんな」というのだから、大阪人の感覚は理解不能だ。
そんな対応をこれまで何度も目にしてきたオレは、そのつど、うんざり。今や日本第二の都市は横浜であって、大阪なんかアウト・オブ・眼中なのだが。
その流れで思い出したのが京都だ。京都の閉鎖性、排他性は今さらいうまでもなく、京都人が「野蛮、田舎、同じ近畿圏とは思えない」と滋賀県をさんざんバカにするのに対して、滋賀人が「琵琶湖に毒入れたろか」とすごむのはお約束である。
その京都ネイティブの人に仕事で会ったので、洛内ですか洛外ですかと聞いてみたところ「いちおう洛内です」と嬉しそうだった。さらに詳しく聞いたら、まさしくザ・京都という場所に住んでいることがわかり、京都って住んでてどうなんですか、とつついてみた。
そしたら「閉鎖的とか排他的とか言われますけど、中に住んでいるとむしろそれが心地いい」という返事だった。へえ、なるほどなあ。封建制がまだ残っているのかもなあ。
確かに県民性なんて、そこに住んでいるときに意識することなんてないから、排他的で当たり前、これが日常どす、このいけず、ということになるのだろう。まさに住めば都。その土地で満足して暮らしている人に対してどうのこうのいうのは余計なお節介そのもの。オレも口を慎まなければと反省する。
2022.09.21
その瞬間、高木善朗は体の力を抜いて、衝撃を上手に逃がしたように見えた。
そもそもファール自体、悪質なものでも何でもなくて、アフター気味に軽く当たった程度に見えた。
転んだ瞬間の高木の「やっちまった」というふうな表情にはちょっと嫌な感じがしたが、交代後もアイシングはしたものの記念撮影にも立って収まっており、せいぜいが1、2試合の休養、どんなにひどくても年内一杯という感じじゃないかと思っていた。解説者の「メディカルスタッフの確認の仕方が、膝十字の怪我の時に似ている」という発言も、考えすぎだろうとスルーした。
だから前十字靱帯損傷という発表は衝撃だった。早くて半年。平均すれば完治まで8カ月はかかる重症である。
これではJ1昇格ゲームどころか、来年の開幕にすら間に合わないではないか。
いやあ、サッカーの神様は酷いことをするなあ。
高木善朗は、アルビレックス新潟がJ2に降格した翌年に移籍してきた。初年度はイエロー8枚をもらうなど常にカリカリしていて、苛立ちながらサッカーをしている感じだった。ゴールゼロは、メンタルに問題があったとしか思えなかった。
翌年もこの状態は続き、テクニックは抜群なんだけど、得点に恵まれない選手だなあという印象だった。
それがプッチが監督に就任してトップ下を任されるようになってから、一気に開花する。何があったかメンタルもがらっと変わって、ファールされても決して怒らず、まるで人が違ったように落ち着いてプレーする選手に変身したのである。
覚えているのはこのときの春先のJEF千葉戦。フクアリでのゲームだ。高木はいつ以来だろうというゴールを決めた後、両手で指を3本ずつ立ててクロスさせ、オレたちスタンドのサポーターに向けて胸を張ったのだった。
結婚記念日が3月3日であること、背番号が33であることをアピールする指3本ずつのクロス。満面の笑みだった。
高木が加入してから早くも5年。当初はイラつくばかりでゲームを壊すことの多かった高木も、この間にすっかりチームの中心選手となる。そしてこの期間はそのまんまアルビレックスがJ2に降格してからの暗黒時代と重なる。
特に2018年の鈴木政一監督は、チーム史上最低の監督だろう。オレもこの監督だけは許しがたいと思っているほど、チームをボロボロにしてくれた。
そんな状態のチームにあっても高木は残ってくれて、移籍のチャンスもあっただろうに、新潟の選手としての道を選んでくれたのである。
今年は島田から「高木は新潟にマンションを買った」と曝露された。そして先日は新聞のインタビューに「オレたちのサポーターを、日本一のチームのサポーターにしてみせる」とまで宣言し、オレたちを号泣させたのである。
その高木が日曜日のゲームで前十字靱帯損傷の大けがを負ってしまったのだ。
チームの残り試合はあと5つ。このうち2つ勝てばJ1昇格が決まる。
昇格が決まった瞬間にピッチに立っていてほしかったのは、やはり暗黒時代を支えてくれたゴメスと高木。その後優勝が決まったらゴメスと高木の2人にシャーレを掲げてもらいたかった。5年間、よく支えてくれた。そのご褒美として当然のことだ。
それなのにサッカーの神様は、本当に酷いことをするなあ。
その瞬間にピッチに立てるのは、ベンチ入りの選手だけという決まりがある。もしかしたら温情として監督は、怪我をした高木をベンチに座らせようとするかもしれない。
けれど高木は、そういうのは断りそうな気がするなあ。ゲームに出ないことがはっきりしている選手をベンチに置くのは他の控え選手のチャンスを奪うことだし、そもそも相手に対して失礼だ、と。
それでもそこを曲げてベンチに座ってくれたら嬉しいなあ。スタジアム全体で万雷の拍手だ。

本間至恩と高木善朗。2人のユニフォームを掲げて、これからのゲームを戦ってくれ。悲願の昇格は目の前だ。
その瞬間、ピッチにいてもいなくても、 高木は最高の選手だ。
2022.09.20
来年10月からインボイス制度が導入される。だいぶ周知されたとは思うが。
オレは先日、適格請求書発行事業者の登録を済ませた。オレは、というより顧問税理士がやってくれたわけだが。
ともかくこれで一安心。まったくやっかいなことである。
これは非常にわかりづらい制度で、要するにこの登録をしていない零細企業や個人事業主は次第に仕事を失うという仕組みだ。登録をしていない業者に仕事を発注すると税負担が重くなるので、そうした業者には仕事が発注されなくなるのである。
赤字の零細企業、いわゆる幽霊企業潰しと言われるのも仕方ない。日本の経済成長を阻んでいる、要するに失われた30年の原因は中小零細企業にあるのだから、日本の経済成長にまったく貢献していない業者は潰してしまえという狙いがある、との説もある。陰謀論だな。
だから弱いものいじめだ、暴挙だという声が上がるわけだ。きっと自民党がすべて悪いと吠える人も出てくるだろう。
とはいえ、そもそもは今まで消費税の支払を免除されてきた売上1000万円以下の業者が、これからはちゃんと消費税を納めなさいという制度だから、消費税が導入されて30年たってやっとまともな仕組みになったというたけの話である。「今までズルをして消費税を自分の懐に収めてきただろ。これからはちゃんと払え」というのがまっとうな感覚だから、陰謀論がまったく共感を呼ばないのも当然だわな。
そもそもほとんどの人はインボイス制度なんて知らないし興味もない。せいぜいコマーシャルで松重が騒ぎ始めたので「ん?」と思っているだろう。「ん?」と思っている人が調べようとしても、ややこしすぎてすぐに興味を失うし。
あと1年で導入というのにこの状況だから、きっと1年後にはそれなりの混乱が起きるのだろう。もちろん起きてもほとんどの日本人には関係ないことだから、たいしたことにはならないと思う。
というわけで、オレは登録を済ませたので憂いなしだ。
「登録しましたよーと取引先にアナウンスしておいてくださいね」と税理士にはいわれているので、ぼちぼち宣伝し始めている。
2022.09.19
お彼岸ウィークに入ったのでお墓参りを予定していたのだが、生憎の台風直撃となり、しかもかなりの大型かつ凶悪というから、はて、どうしたものかと親戚間でLINEが飛び交って、結局集まるだけ集まって様子を見よう、ダメなら一緒にメシでも食えばいいさということになる。
車で家を出て、ヨメの実家。出発するときはなんと青空さえのぞいていたというのに、途中はけっこうな土砂降りとなり、そのままずっとひどい雨が降り続き、親戚みんな集まったものの窓の外を眺めて「こりゃ無理だ」という話に。仕方ないので駅前の満州に行って昼飯にする。
満州はなかなかよい。ご馳走じゃなくて普段食べる中華ってこれだよねという感じがとてもよい。落ち着く。
食べていたら店員のおばちゃんがプリンを勧めてくる。壁のポスターで気になっていたので、じゃあ買って帰るよといってテイクアウト。帰ってから食べたら確かにこれが美味で、ちょっと驚く。満州が独自に開発したプリンのようだ。満州プリン。今月だけの限定販売というから、テストマーケティングなのかも。これは旨いから、ぜひいつでも食べられるようにしてほしいなあ。
数年前に秋葉原のジャンク屋で買ったのが餃子の形をしたカバンで、今日はそのカバンを肩から斜めがけしていたから、満州のレジでおばちゃんに見せたら大ウケ。おばちゃんは「店長、このお客さん見て、餃子!」と店長に大興奮で報告するものだから、店を巻き込んでの騒ぎとなってしまった。
結局午後は雨が上がり、日も出ていい天気。地面もすっかり乾いている。とはいえ、今から行くのもおっくうだし、来月の秋晴れの日にでも行きましょうかねと仕切り直しすることに。また来月満州だ。
「開署準備室」松嶋智左・祥伝社文庫。ここのところ昔読んだ本ばかり再読している。今は浅田次郎「輪違屋糸里」をKindleで再読中。
浅田次郎の新撰組三部作はいつ読んでも傑作で、この輪違屋の話も素晴らしい。なんとも哀しい女の物語で、おばちゃんにファンが多いのも納得。自分の人生を重ねるのだろう。糸里のような波瀾万丈でなくても女として通底する何かが、おばちゃんたちの心を震わせるに違いない。Kindleのいいところはこうして気が向いたらいつでも再読できるところだ。本来は紙の本で読みたいのだが、むしろ紙で読んで、これはずっと手元に置いておきたいと思ったらデジタルで再購入するのが正しいのかもと思い始めている。
昔、老人ホームに入所しているおばあちゃんに話を聞いた。おばあちゃんは一人なので、入所するに際してほとんどのものを処分した。今でいう断捨離だ。大学の先生か何かで大変な読書家だったようだが、本もすべて処分したという。でもおばあちゃんは「私は源氏物語を全部記憶しているので、頭の中でそれを再現して楽しむから大丈夫」と笑っていた。なるほどなあ、すごい人だなあ。オレも年を取ってきて、なんとなくそういう気持ちがわかるようになった。今も新刊にやたらと手を出すよりも、昔読んで感動した本を何度も読み返している。
振り返ってみれば古典と呼ばれる文学作品はたいして読んでいないから、ミステリーなんか読んでいないでそういう名作も読まねば。いやいや、ミステリーにも古典的名作は多いぞ。ジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」も再読したいし、デズモンド・バグリイ「高い砦」も名作だ。だが後者は今や絶版らしい。残念。
というわけで、駅前の本屋をのぞいたら松嶋智左の新刊が平積みしてあって、それが読み逃していたシリーズものであったからシリーズまとめて2冊を購入。これはそのシリーズ1作目だ。読み終えて、しまった、まとめて買うんじゃなかったと思った。参ったね、こりゃ。
この作者は「女副署長」が抜群に面白くて期待したのだが、忘れていた、他の作品はハズレなのだ。この作品でも、人物の書き分けができていないとか、視点がころころ変わりすぎるとか、著者のダメなところが目立つ。章ごとに視点が変わるならばいいが、同じ段落で視点が変わるのは実にまったくいただけない。しかも人物の書き分けができていないから、混乱するばかりである。加えて人物の数がやたらと多いし。
新しく着任した警察署長が、実は変装した犯人の入れ替わりでしたって、何日もそんなことがバレないなんてあり得ないだろう。最後のオチにはずっこけたのだった。
2022.09.18
先日、駅ナカの立ち食いそば屋が減っているということを書いたが、なんと品川駅京急線のホームの立ち食いそば屋もつい先日閉店したらしい。
あそこはなかなか旨いそば屋であった。
最初食べたときは鯵天のあまりのうまさに驚いたものだった。
品川駅がこれから大改造されるから、たぶんそれに合わせての移転・閉店なのだろう。ネットに上がった記事によれば、閉店を惜しむ寄せ書きがたくさんあったそうで、けっこうなファンがいたようだ。
かと思ったら、やはり先日書いた東京駅新幹線ホームの立ち食いそば屋も今月いっぱいで閉店だそうだ。カツ煮をそばの上にどーんと乗せたカツ煮そばはなかなかのインパクトだった。こちらの閉店の理由はわからないが、要するに儲からないのだろう。維持に手間もかかるし。
かと思ったら、立ち食いそばではないが東大の赤門の前の「赤門そば」の閉店したと、読売新聞に出ていた。赤門の前にでかでかと掲げられた「赤門そば」はインパクト大だった。こちらの閉店の理由は店主の高齢化とのことである。
息子に食ったことがあるかと聞いたら、何度かあるという返事で、息子も閉店を惜しんでいた。
その息子と、今日はアルビレックス新潟を応援する。相手は水戸だ。
もちろん力の差は圧倒的。最初から最後まで完全にゲームを制圧して2-0で勝つ。だか本来なら5-0でもおかしくない試合で、シュートしてもシュートしてもゴールが決まらない展開が続いたのに、ちょっとうんざり。監督もそのあたりはぶち切れていた。
まあ、よい。シーズンもここまで来れば内容ではない。結果がすべてだ。
内容がいまいちだろうが何だろうが、勝てばよいのだ。
首位!△△△●○○●○○△○○△○○●○○○△○○●○●○○●△△○○○●○○○
あと勝ち点7、つまり2勝1分けでj1昇格が決まる。もちろんここまできたら首位を狙うのだ。
それで気になるのが、高木の怪我である。今日のゲームで水戸のファールで交替。悪質なファールではなかったのだが、当たり所が悪かったようだ。
よくて今シーズン欠場、悪くすれば来シーズン途中までかかるのではないか。なんと残酷な。
高木はアルビレックス暗黒時代を過ごし、逃げ出すこともせずにキャリアトップの時代をアルビレックスのために尽くしてくれた。昨年、昇格を逃した試合でピッチに突っ伏して動かなかったシーンが目に焼き付いている。
そんな高木が、ようやく自動昇格するというその瞬間にピッチに立っていられないなんて、なんとまあサッカーの神様は酷いことをするのだろうと思った。
だが大丈夫。サポーターは見ている。君が一番の功労者だということを知ってる。今は怪我の治療に専念して、またピッチで輝いてくれ。
2022.09.17
来春、たんさいぼうの作品を数曲収めた単行本が学研から出版されることになった。たんさいぼうとは、オレがリーダーを務めるしょぼいバンドである。コロナでほとんど引退。
作品といったって、どうしょうもないアホな歌ばかりである。ガマンという名前のヒーローがひたすら大衆に向けてガマンを強いる歌とか、忍者に扮したヒーローが刀をぶん回して暴れるとか、いったい何が面白いのかわからない。そんなものを集めてカネを取って売ろうというのだから、気が違ったとしか思えない。いや、ほんと。
ギャラは極安。というか、不労所得なので文句を言うなということか。
たんさいぼうを紹介するプロフィール欄があまりにつまらなかったので、次のように差し替えてもらった。
「キャリアなんと40年以上の還暦オーバー5人組バンド。首都圏の園や児童センター等でしみじみと活動中。歌、遊び、アレンジに演奏、DCデザイン、写真撮影まで誰の世話にもならずにすべてをこなす。」
なかなかよいプロフィールではないか。
「しみじみと」ではなくて「しょぼく」とか「休み休み」とかにすればよかったかも。「持病の薬を飲みつつ活動中」「誰かが死んだら解散予定」などとも入れようかと思ったが、あまり受けるとも思えなかったので自制した。
コロナでほとんど引退状態とはいえ、こんな間抜けバンドにも出場を依頼してくる行政がある。大丈夫か。
ライブは来週末の予定だ。
そして本日の日記はここからが本題なのだが、ヘッドセット5人分には充電が必要なのである。
この充電か乾電池かというのは大きな問題で、充電だと充電が切れた場合にもうお手上げであるのに対し、乾電池式だと予備の電池に入れ替えればすぐに使えるというアドバンテージがある。
ただし問題は重量。ヘッドセットともなると軽量であることも重要なので、単四電池2本を頭にのっけるよりも、ここは充電という選択になるだろう。
というわけで、一気に5人分の充電をすることになった。そしてそれぞれに発信器と受信機があるので、計10本のケーブルで10台の充電が必要なのである。
さすがにそれだけのコンセントの余裕はなく、順番に行っていった。
つまりいいたいのは、オレたちはいつの間にか、こうして毎日充電に追い立てられる人生になってしまったということだ。
我が家でもスマホ4台にパソコン3台、iPad2台の充電が必要で、それに加えてKindleだとかモバイルバッテリーだとかの充電が必要になる。
毎晩寝る前には、食卓にずらりとスマホやタブレットが並び、それぞれからケーブルが伸びている状態だ。
もちろん従来のコンセントで間に合うはずはないから、タワー型の充電器を購入。一度に数台もUSBケーブルやコンセントを差し込めるようにした。
こんなにも充電地獄に陥るようになるなんて、20世紀の頃には想像もできなかった。この地獄から抜け出すための画期的なテクノロジーはないものか。
そうだ、充電地獄という歌を作って、たんさいぼうで演奏してはどうだろう。あんまり受けないような気もするが。
2022.09.16
年を重ねるにつれて体に不調が出てくるのは当然の話であって、血圧が高いだの、血糖値が高いだのは珍しいことではない。そういう不調とうまく折り合いをつけながら生きていくのが、老いるということなのだろう。
そのためには健康診断が欠かせない。ガンになる最大の理由だって加齢なのだから、ガンになること自体は防げなくても早期発見で対処すれば大ごとにならずにすむのだから、定期的にちゃんと健康診断を受けることが大切なのだ。
もっとも何も自覚症状がなければ健康診断なんて面倒くさいだけだ。後回しにしている間に深刻な事態が進んでしまうことだってあるわけで、その意味では一病息災というのは確かにそうだなと思う。
というわけで今日は眼科検診にいった。
本当は半年に一度ぐらいで行くべきなのだが、ずいぶんとサボってしまって、医者に「5年ぶりですねえ」と笑われてしまった。面目ない。5年もたっていたか。
健診の結果に重篤なことはなかったけれど、それでも加齢に伴う初期症状が出ていて、何もしないで放っておけばいずれは失明のリスクもあるということで、「これからは半年に一度は来てくださいね」といわれてしまう。いや、まったくその通り。
俗に体が弱くなっていく順番として「はめま」と言われる。オレは、「は」は3カ月おきに健診して歯垢を取ってもらっているのでまだ何とか持ちこたえているが、「め」はこうしてやっぱり徐々に弱くなっているということか。「ま」は、まあいいや。
2022.09.15
学生時代から駅の立ち食いそばが好きだったから、どんどん減少していく今の状況が残念でならない。
学生時代は東急線の駅ナカにあった立ち食いそば屋によく行った。だいたいがかき揚げそばにコロッケである。あの頃は常に腹が減っていたので、食事と食事の合間にも立ち寄ったものだった。
サラリーマン時代は、渋谷駅ガード下の立ち食いそば屋で朝飯を食っていた。やはりだいたいがかき揚げそばである。きったない店だったが旨かった。
今はさすがにそんなにそうそう立ち寄らなくなったが、朝早い仕事の時の朝ご飯代わりにはとても助かる。
先日は東京駅の新幹線ホームのそば屋に突撃。たまに寄るのだが、カツ丼ならぬカツそばというのを発見し、挑戦してみた。卵でとじたカツ煮が温かいそばの上に乗っているのである。
朝からどうかと思ったが自分を抑えられずに食べることにした。とても美味だった。汗がだらだらであったが。
JR系の駅ナカそばはだいたいマズくて食えたものではないのだが、これは旨かった。JR系ということで思い出したが、今まで一番旨かった立ち食いそばは新潟駅のホームの立ち食いそば。魚系の甘みがたっぷりきいたつゆが絶品だった。
残念ながら駅の改装に伴ってこのそば屋はなくなってしまった。実家に暮らしていた高校時代、よくこのそば屋のそばを持ち帰り用の容器に入れてもらって、列車の中で食べたものだった。
書いていて気がついたけれど、これってけっこう凄いことだったんだな。列車に乗りながらそばを食べるって。
田舎のことだし、そういうニーズはけっこうあったのか。列車持ち込み用の容器の料金が10円ぐらいだった気がする。
陸上部の大会に出場した帰りなんかは欠食児童そのものだったから、仲間と一緒にガツガツ食ったものだった。
今、あちこちの駅から立ち食いそばが消えているのは、どういうわけなのだ。
火を使うから危ないのか。匂いが他の客の迷惑になるのか。人の流れを邪魔するからなのか。駅ナカという一等地の割に商売として旨みがないのか。コストがかかりすぎるのか。自販機でも置く方がよほど割がいいのか。
いろんなことが想像できるが、理由はよくわからない。
今では、なじみに立ち寄る立ち食いそば屋も見当たらなくなった。ちょっと残念だ。
2022.09.14
「有休消化」。
いまこの4文字が世の中を熱くさせている。
ご存じのようにサッカースタジアムのスタンドは、さまざまなメッセージであふれてる。例えば段幕だ。
段幕とは横長の布にメッセージを記して掲出されるビッグサイズの膜だ。多くは単なる応援というより、サポーターが特定の誰かに向けてメッセージを発信する際に使われる。
本日、川崎フロンターレのスタンドに掲げられた段幕には「200万円で日程を変更できる?公平性とは?」というわかりづらいメッセージが記されていた。これは、対戦相手の名古屋が先日、「コロナが出たので試合できません」と大嘘をぶっこいて、200万円の罰金を食らったことに対する皮肉というか抗議というか嫌みである。
こういう怒りのメッセージが段幕のパターンAだ。
このパターンが得意なのはご存じ浦和レッズである。
「Jリーグ成人おめでとう、頭は赤ちゃんのままだね」「口先だけの計画に未来ナシ」など、言いたいことはなんとなくわかるが決定的に表現力不足のためにだから何というレベルで終わってしまっているものがほとんどだ。赤ちゃんなのはサポーターの方である。
選手個人に対するメッセージがパターンBだ。
かつてジェフからマリノスへのシーズン途中での移籍が決まった城彰二に対して掲出された「さらば城彰二 フランスで会おう」というメッセージの段幕はなかなかの名作だと思う。つまりジェフサポとしては別れを告げるが、フランスワールドカップの現場で今度は代表のサポとして応援してやるという気持ちを伝えたものだ。
こういう具合に引退する選手、移籍する選手への感謝の気持ちを伝える内容が多いのがパターンBである。引退するベテラン選手が、若い頃に所属していたチームのサポにねぎらいの段幕を掲げてもらったのを知って涙するといういい話も少なくない。
そして最も情けないのがパターンCの相手チームへの悪口を綴った段幕である。
かつて新潟がFC東京に向けて掲げた「東京陥落」とか、そのFC東京がセレッソに向けた「桜は散るのが美しい」とかがある。最も酷い弾幕についても知っているが、ちょっと書くのもためらわれるような下品さなのでやめておく。
パターンCは当然ながら悪意と下劣さに満ちているから、テレビ中継では映らないようになっている。それどころかあまりにも目に余る内容だとスタジアムの警備員やチーム関係者がすっ飛んできて段幕の取り下げを指示し、それに対してバカなサポーターがぶち切れておじさん警備員の胸ぐらをつかんだりする騒ぎに発展するのがお約束。
ほとんど猿である。
こういった段幕に対して、サポーター個人が1人で掲げているのがゲーフラである。たぶんゲームフラッグの略称。
ゲーフラは「藤原奏哉」とか「本間至恩」とか応援する選手の名前を書いたもの、「絶対昇格」「勝ち点3」など自分の希望や理想や妄想を書いたものがほとんどだ。
そんな中に今日、「有休消化」と書かれたゲーフラがあったわけだ。
今夜のアルビレックスは、甲府でナイトゲームである。アウエーだ。水曜日という週の真ん中に、遠く甲府のスタジアムまでアルビレックスのサポーターは駆けつけた。試合終了時間には既に中央線はなく、車を夜通し運転して帰るか、甲府で一泊するかしかない。いずれにせよ平日にはなかなかできない行動である。
それでもオレは愛するチームを応援するためにこうしてここにやってきた、だが心配するな、オレはニートでもなければ会社をサボったわけでもない、未消化だった有休を使ってやってきたのだ、正当な権利だ、だからオレは愛するチームを堂々と応援できるし、社会人としての矜持も持っている、会社だっていい会社なんだ。
それだけのメッセージを、大書された「有休消化」という文字に込めていたのだ。だから選手たちよ、オレのことは心配せずに戦えと。
こんな熱いメッセージを送られて選手たちが燃えないわけはなく、にっくき甲府を2-1と見事に破ってみせたのである。
さらに、おお、なんということだ。
2位の横浜が山形に負け、3位の岡山が徳島に負けたではないか。
徳島と言えばご存じJリーグで1、2を争う嫌われチームだが、それを上回る嫌われっぷりを見せているのが岡山だ。その岡山と徳島の対決だから、まさに嫌われチームNo1決定戦。えんがちょ対決。これを捌くレフェリーが、かつて新潟に所属していた田中アトムの実兄である田中レオというのがなんとも味わい深い。
試合は徳島が見事に岡山を倒したわけで、よくやった徳島と、まさかオレが徳島をほめてやることになるとは予想もしていなかった。しかも点を決めたのが、徳島の負の部分の50%はこいつのせいであるとされている藤尾だったところが、岡山征伐に似つかわしい。
おかげで、実に何というか、これ以上はない結果になったわけで、アルビレックス新潟は勝ち点3をつけての首位堅持。ちょっと抜け出した。
岡山は相当に厳しくなり、追い上げるとしても横浜をロックオンするしかない状態。このままいけば横浜と岡山の2位争いを高みの見物という夢のような展開も期待できる。
首位!△△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△○○○●○○
あと4勝すれば優勝である。いや、2勝でもかなり近づく。
だがまだ何も決まっていない。去年の終盤の、怒涛の5連敗を思い出せば、決して気を抜くことはできないと知っている。
大きな一歩だが、まだまだ目標は遠いのだ。
2022.09.13
今日は名古屋日帰りである。
昨日が大阪まで日帰りだから、東京に戻らずに一泊して名古屋に向かった方が時間的にも金銭的にもラクなのだが、いや、実は一泊するのもそれなりに面倒なので、帰ることにする。
新幹線の仕事をしていると、大阪名古屋あたりは全然出張の気がしない。八王子とか津田沼当たりに行く方がよほど面倒に思えてくる。
新幹線の中でパソコンを開いてメールを確認する。
すると国税庁からのメールが目に飛び込んできた。もちろん詐欺である。
最近この税務署を騙った詐欺メールが多いのだ。
最初に見たときは、実はオレもちょっとびびった。国税庁である。なにしろ。
そして内容もそれなりにしっかりとしていて、いかにもお役所的な体裁なのだ。
読んでみると所得税が滞納されているのでとっとと払えという内容だ。もちろんこれで納入サイトへと誘導してクレジット番号を入力させるという手なのだ。
金額は4万円。今すぐ払わないと明日には差し押さえに行くぞと書かれてあるので、びびってしまって4万円ならと思う人も、100人に1人ぐらいはいるだろう。100人に1人でもいれば十分成立する詐欺だから、それでいいのだ。
この国税庁詐欺メールはずいぶん流行しているようで、オレの顧問税理士からも注意を促すメールが来ていた。問い合わせもあるのだろうなあ。
気を付けなければ。
などと自分を戒めつつ、名古屋で仕事する。暑い。とにかく暑い。名古屋は。
とっとと仕事を終わらせて新幹線で東京に戻り、地元の駅で降りて鳥貴族で生ビールに焼き鳥だ。家でごろごろしていた息子を呼び出し、親子で鳥貴族。
2022.09.12
今日は大阪日帰りである。
向かったのは大阪の中心部からちょっと外れた場所にある某社の本社ビル。初めての場所だ。ほとんど初めての会社の役員へのロングインタビューだ。オレにとっては完全アウェイである。
十分に準備し、そして緊張感を忘れずに乗り込むのであった。
集合時間まで間があったので、受付の美人さんに、ちょっと待たせてほしいと伝え、ロビーに置かれたソファに向かう。ソファは一つで、おじさんが一人座っている。
するとそのおじさんが、空いているスペースを指さして「どうぞどうぞ」とオレに言う。あ、こりゃどうもなどと言いながらオレはそこに座る。
するとそのおじさん、しゃべるしゃべる。いきなりにトーク満開だ。
自分はここの会社のOBで定年退職後は取引先の小さなメーカーに再就職し、今はこうやってかつての職場に営業に来ているんやで、昼飯時なのでこうしてロビーで網張って知った顔を見つけたら飯に誘おうと思っとるんやで、とディテールたっぷりに教えてくれる。
そして「せっかくですから、これもなにかの縁ということで」と名刺交換をオレに促す。
オレを名刺を見たら、今度は東京から何しに来た取材ってあーたは新聞記者か違うんかと畳み掛けてくる。
オレは防戦一方だ。どうしてここから役員にインタビューする会社のロビーで、見知らぬ関西人のおっさんと親交を深めているのだ。
これぞ関西人。関西人の営業マン。しゃべってないと死ぬのか、関西人は。
やがてそこに待ち合わせていたスタッフがやってくる。オレが見知らぬおっさんと盛り上がっているものだから、スタッフは当然困惑顔で、オレは、えーとこの方は会社のOBで今日は営業にいらしたとのことでと、お互いの紹介をする始末。なんでオレが知らないおっさんと、二度目の顔合わせになるスタッフにはさまれて、お互いを紹介しなきゃならんのだと呆然とする。
こうしてオレは大阪のおっさんにすっかりやられてしまって、関西人の無遠慮というか傍若無人というかイケイケにすっかりやられてしまったのだった。
2022.09.11
ちょっと前にテレビ東京がやっていたドラマ「バイプレイヤーズ」はなかなか面白くて、我が家では家族そろって放送を楽しみにしていた。主役の大杉漣の急死という衝撃的な出来事で幕を下ろしてしまったのが、残念だった。
このドラマの劇場版がつくられて、当時はちょっと楽しみにしていたのだが、公開時期がもろにコロナにぶつかってしまい、映画館なんて誰が行くかという状況になったため、「バイプレイヤーズ」もちっとも話題にならずに消えてしまった。
もっともこれは「バイプレイヤーズ」に限ったことではなく、例えばあの重厚な大作「Fukushima50」も当時はほとんど話題にならなかった。日本中がコロナで、映画ところではなかったものなあ。
その「バイプレイヤーズ」をAmazonプライムで発見。1時間半という時間がちょうどいいので観ることにした。400円だ。
脇役級を100人集めたというのが一番のウリ。脇役級といいながら役所広司なんて大物もしっかり絡んでいる。
もっとも脚本がどうしようもないのか、話はちっとも盛り上がらない。主役がなせけか濱田岳と芳根京子。
いや、そうではなくて、松重とかエンケンとかのおじさんたがわちゃわちゃと遊んでいるところが楽しいのだがなあ。
ちょっと残念な映画だった。
2022.09.10
今月号の文藝春秋、巻頭コラムがなかなかよかった。
毎月何人かの筆者が入れ替わりでコラムを書いているのだが、最新号では楠木健と太田和彦が興味深い。何が興味深いって、別のことを書いているのによく読めば要するに同じことを書いているのだ。
経済学者の楠木健には、一度インタビューしたことがある。企業に頼まれて講演することも多いのだが、イケイケの会社に行くと露骨に「学者に何がわかるの」という態度をされて傷つくそうだ。とてもいい人である。
逆タイムマシン理論なんかが有名で、これはネーミングは凄いけど、要するに先行事例を真似すればいいという理論だ。まあ、当たり前のことである。
文藝春秋のコラムでは最近の著書そのままに絶対悲観主義について書いている。絶対非核主義なら凄そうだが、絶対悲観主義はどうってことはなくて、常に最悪を考えて過ごせば落ち込むこともないよという理論だ。
頑張ればうまく行くと思って起業するから失敗したときのダメージがデカいのであって、どうせ失敗する、うまくいくわけがないと最初から諦めていれば、失敗しても折れないというわけだ。
そりゃその通りだわな。「どうせうまく行かない」を前提に行動すれば、成功したときの喜びは想定外に大きいし、投資効果の非常に高い思考法だ、というわけだ。
一方、太田和彦は居酒屋評論で人気の出た人だ。酒を飲むことをマネタイズしちゃった人で、その手があったかと日本中の酒飲みが悔しがった。
その太田和彦は文藝春秋のコラムで、人生では失敗したり後悔したり理不尽な目に遭ったりするのはしょっちゅうだけど、そんなときは居酒屋で「こうして一杯飲めてるんだから、まあいい方だ」と思うことで救われると書いている。
確かにその通りだ。
オレもいろいろと人生に対して言いたいことがないわけではないが、それでも晩ご飯のおかずをつまみながらビールを飲んでいると、まあ、こうして家族と一緒に穏やかな日々を送れているだけで十分じゃないか、これがオレの身の丈だという肯定的な気持ちになって、食卓に置いた亡き両親の写真に酔った目を向けたりする。
という具合に楠木健と太田和彦のどちらも、人生には高望みせず、幸せの臨界点を低く設定すれば、そこそこ乗り切れるということを言っているのが、面白かった。
オレたちサポーターがこういう論に思わず首肯してしまうのは、普段から我が愛するチームのダメっぷり、情けなさを身に染みているからである。大事なゲームになればなるほど、どうせうまくいかない、どうせ負けるという気持ちになる。そして案の定、1点先制されると、まあ、サッカーなんて遊びで見ているんだしと言い訳が始まり、試合後には、あはは、負けたところで生活に影響があるわけじゃないし、どうせ負けると思ってたからショックはないしとつぶやく。
そんな具合にサッカーのサポこそ、絶対悲観主義が身に染みついているのだ。どうせ負けると思ってるから、勝ったときは超うれしくて、投資効果は非常に高い。
今日のアルビレックスは、最下位に沈む琉球が相手である。順位を考えれば勝って当然だが、その通りにならないのがサッカーの深いところ。弱いチームでもリアリズムに徹することでジャイキリを起こせる。
だから攻め続けながらも前半を0-0で終えてしまったときは、嫌な予感がしたものだ。琉球が後半勝負のゲームプランで臨んできたのは明らかだ。これはミスがらみであっさり失点し、負けてしまうに決まってる。どうせ負けるんだ、うまく行かないんだ。
そして案の定、琉球は3枚替えという勝負に出て、投入されたサダムスレイがオルンガ級の化け物。戦術サダムスレイによって明らかに流れを持って行かれてしまった。
ほうら、案の定だ。前半で点を取っておかないから、こうなる。
オレたちは絶対悲観主義に陥り、そして試合後にビールを飲みながら自分を慰めるシーンを想像したのである。
そんなオレたちの弱気を打ち砕いたのが、伏兵の2人。渡邉タイキとゲデスだ。どちらも結果を残せず崖っぷちの選手である。
タイキは秘密兵器のロングスローをここぞというところに放ってみせて(まさにスペシウム光線!)先制点をアシスト。ゲデスは抜群の技術でループを放って3点目を取って試合を終わらせる。
陽の当たらない場所でも腐らずに努力を続けてきた選手2人が大舞台で結果を残すという浪花節に、単純なサポーターたちは感動するのだった。
再び首位! △△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△○○○●○
つい1ヵ月前まで自動昇格を争って鼻息の荒かった仙台が、なんとここへきて5連敗でついに5位まで後退。今日も負けて、試合後のスタジアムのサポーターたちが映し出され、その茫然自失ぶりがネットでちょっと話題になった。ひゃあ、完全に折れている。
これは仙台のサポーターたちにこそ、絶対悲観主義を教えてあげなくては。
「先月仙台に行った時に呪いをかけてきたけど、こんなに効くとはなあ」と息子は、仙台のサポに向かってやりすぎましたと手を合わせるのだった。
2022.09.09
先週のことであるが、上海に住んでいる日本人にリモートインタビューした。
上海は6月にロックアウトが解除されたばかりである。
その影響もさぞ残っているだろうと思ったら「普通ですよ」とのことで拍子抜けした。
マスクにしても「電車では着けているが、それ以外はまったく」だそうで、オフィスでも全員がノーマスクという。
ほえー、中国様でさえ、コロナはもうええ状態のようだ。
今日も銀座で仕事である。
一昨日は外国人が全員ノーマスクだったと書いたが、今日の銀座は日本人のノーマスクも目に付いた。100m歩くと1人か2人のノーマスク日本人とすれ違うというのが実感。
特に気張った雰囲気もなければ連れの日本人はマスクをしていたりで、ごく自然にノーマスクが集団に溶け込んでいる感じ。
これは案外早くノーマスクが広がるかもしれないなあ。
もっとも2ヵ月もすれば風のシーズン。インフルエンザもやってくるから、そっちの意味でもマスクは続けた方がいいかもしれない。
2022.09.08
取引先の倒産に遭って不良債権をつかまされたことがある。恵比寿にある会社だった。取引は長い。
ここ2、3ヵ月、入金が遅れてるなあと思ったら、知り合いのカメラマンから電話が来て「××社が飛んだ!」と。
慌てて連絡したものの当然電話はつながらず、流れてきた噂によれば、すでにヤクザの一団が乗り込んで現場を押さえてしまっているとのこと。そんなところに乗り込んで債権者集会を開いたところで、ボコられて終わりだから、すぐさま諦めた。
被害金額はン十万円。知らせてくれたカメラマンは100万円を大きく超えていたというから。まあ、オレはまだマシと飲み込むことにした。
社長は穏やかでとてもいい人だった。中国進出を計画中と、身の丈に似合わないことを言い出したのがちょっと気になった。その関係でトラブルになったのだろう。偽装離婚をして逃げ回っているとも耳にして身を案じたが、どうしようもできなかった。
もちろん現場の社員には責任はないが、やはり恨みはどうしてもそちらに向く。
くだんのカメラマンには、別の会社に移った社員から新しい仕事の相談があったらしいが「受けるわけないじゃんね」と、社員を呼び捨てにしながら激しく憤っていた。いろんな人が被害者になるんだな、こういうときは。
これは25年ほども昔の話だ。30年以上もフリーをやってきて1度だけだから、少ないほうかもしれない。
そんな昔のことをふと思い出した。
2022.09.07
いつもの銀座に行った。仕事である。
中央通りはけっこうな人出だ。そこそこ賑わっている。
駅直結のメルクは建て替え工事。駅からのエスカレーターが使えなくなって、不便になった。
みずほに続いて三菱UFJの店舗も閉鎖。Appleストアは改修工事だ。
銀行の支店は基本的に駅前一等地の1階にあるから、金融が儲からない時代になって店舗の維持ができなくなってきた。ATMも1台の維持費が月30万円もするし。
逆に言うとそれだけコストをかけてもやってこられたんだから、いかにぼったくりだったかという話だ。
オレも普段はまったく銀行の窓口には立ち寄らないし、最近ではATMでさえ月に1度も使わない。それでも何かの振り込みのときとかに支店がないのは困るし、飲食店なんかの商売はもっと困るだろうなあ。
中央通りには、外国人の姿もちらほらと見かけるようになった。インバウンド、復活の兆しだ。
面白いのは外国人は誰もがマスクなんかしないで、がはははと大声を上げながら歩いていることだ。日本人は間違いなく全員がマスクをしているので、なんとも鮮やかな対比である。
こういう状況を目にすると、オレたちがマスクなしで外出する日も近いのかもしれないと感じる。もっともマスクに慣れてしまったから、今さら外すのは、パンツを脱いで出かけるみたいな心許なさがある。
もう感覚としてはコロナは普通の風邪だし、それよりもこれからはインフルエンザに気を付けなければ。やっぱりマスクは必要かも。
仕事を終えて、再び銀座一丁目の駅に戻る。杖をついた老人が、建て替え工事のメルクの地下1階で呆然としていた。エレベーターもエスカレーターも使えなくなって困っているのだろう。不便なことだ。
2022.09.06
睡眠時無呼吸症候群(SAS)が発覚して、寝るときにCPAP(シーパップ)を装着するようになって1年半。快眠である。実に快適だ。
以前は2時間おきに目が覚めていた。
年取ったからトイレが近くなっちゃったなあなどと思いながら、2時間おきに目覚めてトイレに行き、4回目に目覚めたら起床時間というわけだ。
起きていたのはトイレが理由ではなくて、実は呼吸が止まって苦しくなったからだった。要するに2時間ごとに首を絞められて、助けてくれえと苦しくなって飛び起きていたわけだ。
これで熟睡できるわけがない。
毎日8時間も寝ているのに、日中はとにかく眠くて仕方ない。車の運転も怖かった。
医者や看護師に「うひゃひゃ、タンゴさん、よく死ななかったですね−」と指さされて笑われたのも仕方ないことなのだ。
今は違う。
CPAPを装着しているおかげで、熟睡である。6時間も眠ればすっきりで、7時間だと寝過ぎた感じがする。この眠りの感覚を忘れていた。これが熟睡だよなあ。
もっともそれでもまだ1度は夜中に目覚める。決まって入眠4時間後だ。
理由ははっきりしていて、寝る前に飲んだ酒である。トイレに行きたくて目が覚めるのだ。
その証拠に、時々飲まないで寝ると、朝までぐっすり、目覚めることなく熟睡ができる。やっぱり酒はあまりよろしくないのだ。
そんなわけでもはやオレにCPAPなしでは寝られない。CPAPちゃんと、ちゃん付けで呼んでいるほどである。
やっかいなのは、出張だ。マクラが変わっても平気で眠れるが、CPAPなしでは熟睡できず、場合によってはそのまま呼吸が止まっちゃう可能性もあるから、泊まりがけ出張にはCPACを持参することになる。
これが案外デカい。重い。
仕方なく一泊出張なのに、大きなキャリーバッグをごろごろと引きずっていくことになる。同行者は、みんな不審な目だ。そこでオレは明るく、いやあ、睡眠時無呼吸症候群になっちゃって、などと言い訳するのである。
睡眠時無呼吸症候群で余計な仕事が増えたのだった。
2022.09.05
今日は名古屋だ。
朝の新幹線では。品川駅から大量の客が乗り込んでくる。5、6人の学生らしきグループの姿があって、オレの座席のすぐ前に集団で座った。
うるさそうだなあと思った。
だが案に相違して、けっこう静かである。会話はするものの、別にはしゃいでいる様子でもない。
なるほど、これは遊びに出かける仲良しグループではなくて、インターンシップに参加した学生なのだな。だから特に仲良しでもなければ、はしゃぐこともない。
オレの息子もあちこちのインターンシップに参加している。そういう季節だ。
コロナのせいで会社説明会がなくなり、代わりにインターンシップの回数を増やしているとのことであるが、おかげでかなりの狭き門と企業の人が言っていた。インターンシップに参加するだけでも大変である。
オレたちの就職活動の頃とはまったく様変わりで、オレたちは本当に呑気だったものなあ。今では思い出したくもないわ。
名古屋は暑い。というか、台風のフェーン現象の影響で全国が暑い。
屋外での撮影に立ち会っていると、ぐったりしてしまう。トシだなあ。
疲れ果てて帰ってきて、駅前の焼き鳥屋でビールを飲んでしまう。誘惑に負けました。
2022.09.04
人の顔が覚えられない。
先日も昨年会ったことのある人なのに「初めましてでしたっけ」と挨拶してしまい「えー、忘れちゃったんですかあ」と呆れられてしまった。たいへんに申し訳ない。
まあ、マスクしてるし、しょうがないかということで済んだわけだが。
以前から顔と名前を覚えるのは得意ではなかった。一年間に何百人もインタビューしているから、到底全部覚えているなんて不可能であるし。
それでもこないだは、たまたま同席した人から「その節はどうも」と切り出され、おやどうもどうもこちらこそなんて適当に合わせていたら、どうやら今までに二度もインタビューした相手らしいということがわかってきて、少しうろたえた。
インタビューされた側にとってはめったにない経験だから印象に残っているのだろうが、オレにとってみれば日常の出来事だから、全部覚えておくなんて無理である。
まあ、医者と患者の関係も似たようなものだろう。生き死にがかかったような大手術であっても医者にとっては日常業務だ。いちいち覚えてなんてられっかよ。
と書きながら気がついたが、ということはオレは相手を覚えてなくても相手はオレを知っているということだから、どこで見られてるかわからないということではないか。あ、あそこで裸踊りをしているのは去年アタシにインタビューしたバカライターじゃないの、って具合にバレバレのこともあるわけだ。気をつけなければ。
いやいや、待て待て、学校の先生はどうなるのだ。全部の児童生徒保護者を覚えているなんてありえないから、いつどこで見られているかわからないという気持ちは恐怖に近いものではないか。
接客業なんかも似たようなものか。
一般の人が顔と名前を覚えていられるのは一万人が限度らしい。政治家の場合は、それが二万人だそうだ。政治家というのはバカには務まらないなあ。
以前、あるミュージシャンのライブに行って、帰りがけにCDへのサインをせがんだら「タンゴさんですよね」と言われた。このミュージシャンには一年前にやはりCDへのサインをせがんだことがあった。え、まさか覚えてるんですか、と驚いたものだった。
メジャーデビューしていないとはいえ、サインを求めるファンなんて山ほどいるだろうに、どうしてオレのことを。そんなにオレは印象に残るようなナニカをやっちまったのだろうか。
それはともかく。
オレの場合、というか誰でもそうなのかもしれないが、先週会った人の顔はきれいさっぱり忘れても、昔の仲間の顔は絶対に忘れない。昨日インタビューした人の顔はまったく思い出せないのに、有村架純とか松岡茉優とか高畑充希とか芳根京子とか言われるとすぐに顔が浮かぶのはどういうことだ。
人の顔って不思議なものだ。いや、不思議なのは記憶のほうか。
インタビューといえば、以前、アナウンサーの久保純子にインタビューした際、じっと目を見つめられて「前にお会いしましたっけ」と言われたことがある。とぎまぎしながら、い、いえっ、と答えたら「ごめんなさい、初めましてでしたか」と頭を下げられてしまった。
さすがクボジュン、なんていい人なんだろうとぽーっとしていたら、コマちゃんに「そういう手に決まってるじゃないすか。ころっとやられてるじゃないすか」と呆れられてしまった。
オヤジ殺しの真髄を、オレは身をもって知ったのだった。
2022.09.03
「ザ・マスクド・シンガー」を観ていたら、アンミカが出ていた。仮面姿だったが、娘は早いうちに見破って、正体を当てていた。
アンミカは歌がすごくうまくてびっくりした。←主語は何だ?
「上を向いて歩こう」なんて、へえーってため息が出るぐらい上手だった。
多分この人って、いろんなところでものすごい努力をしてきた人なんだろうなあと思う。それをみじんも感じさせない雰囲気がすごいと思う。
韓国人でなければもっと応援するのだがな。韓国大嫌いのオレは唾を吐きつつ、アンミカはすげえなと驚くのであった。
同じように、絶対にものすごい努力をしているくせにみじんも感じさせないのが渡辺直美だ。東京オリンピックでの豚騒動の時に一言も発せずスルーしたことで、その男らしさが爆上がりだった。
ちなみに渡辺直美は台湾生まれだ。
今日の読売新聞には彼女のインタビューが載っていて、ニューヨークに拠点を移して活動することになった、その背景が語られていた。千鳥に背中を押されたらしいが、日本でそこそこやってれば十分に食えていけるはずなのに、さらに上を目指して努力するのがすげえわ。
たいしたもんだ。
この流れで行くと、久石譲にも触れなければ。
あのおじいちゃん、大御所となった今も毎日数時間、ピアノの練習をしているらしい。「もっと上手くなりたい」と思ってのことだそうだ。
こういう人たちを思いながら自分自身を省みると、なんと情けないのだという気になってくる。たかがアルビレックスが一敗したぐらいで折れてはならないのだ。
というわけで今日は大分を相手にホームで戦って玉砕。頭の方でデンがひやりとするミスをしたあたりで、なんだか今日の空気はおかしいなあと思ったのだった。
J1昇格はまだまだ。何も決まっていない。
変な皮算用などせず、目の前の相手と真摯に戦い、勝っていくしかない。それなのに3連勝したことでちょっと緩んでしまったのかもしれないな。
10月に入ったら厳しい相手しか残っていないので、比較的簡単な相手が続く9月に勝っておかなくてはならないのになあ。
これで年間6敗。もう一つも負けられない状況に追いやられてしまった。
まだ2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△○○○●
マジックは減らない。
2022.09.02
「モモちゃんと映画を観に行く」という娘を隣町の映画館まで乗せていく。朝から雨だ。
モモちゃんは中学の同級生である。
卒業後は別々の高校に進み、今、娘は都心の大学に通って、モモちゃんは地元のケーキ屋でパティシエ見習いをしている。今日は夏休みをいただいたらしい。
中学生の頃から「将来はケーキ屋さんになりたい」と話していたから、モモちゃんは見事に夢をかなえたわけだ。
先日、娘の誕生日にケーキをお願いした。特に明かしたわけではなかったが、モモちゃんは「たぶんそうじゃないかなと思って」生地をつくってくれたそうだ。
何を話しかけてもはにかんだように小さく「はい」としか答えなかった中学生のモモちゃんが、今日は仕事の面白さとか大変さとか、若くして独立した店長夫婦の奮闘ぶりとかを、目を見ながらたくさん話してくれた。その変貌に、一生で一番成長する時期なのかもしれないなあと改めて感心する。
ずいぶん大人になったねえ、モモちゃん。
きっとオレの娘も、ちっとも変わらないようにオレの目には映っても、実は人が見たらびっくりするほど成長しているのかもしれない。
子供というのは親にとっては本当にアメージングな存在なのだ。
2022.09.01
NHKで郷ひろみの特集を見た。SONGSという番組だ。
郷ひろみは66歳。オレの二つ年上。つまり同世代である。
郷ひろみがデビューしたとき、オレは中学生で、大人になっても「ひろみ」なんていう名前を使うんだろか大丈夫かこの人、と心配した記憶がある。
現実には大人になってもどころか、高齢者になっても「ひろみ」のままだった。
中学生のオレにそう教えてやっても絶対に信用しなかったろうなあ。
びっくりなのは名前だけではない。歌のパフォーマンスも、66歳とは思えない。いや、適切じゃないなこれは。このレベルの歌とパフォーマンスをずっと保ち続けてきたなんて、とんでもない芸人だ。もはやアスリートの域に達しているんじゃないかね。
オレも見習わなきゃなあなんて言いながらハイボール飲みながら「相席食堂」を見てゲラゲラ笑っているんだから、しょうがねえなあ、おい。
話は変わって、久しぶりに伊坂幸太郎が読みたくなったので「ゴールデンスランバー」を再読した。先日は一番好きな「僕の舟」を再読。
息子も伊坂幸太郎が好きだ。息子は「ゴールデンスランバー」を一番好きな作品としてあげ、オレは「僕の舟」「AX」「ゴールデンスランバー」の順。
と言いつつ、「ゴールテンスランバー」は例の「雅春、ちゃっちゃと逃げろ」(文学史上も最も素晴らしいフレーズ)のところ以外、あまり覚えていなかったので、久しぶりに読み返したわけだ。
全編に伊坂幸太郎らしい疾走感というかむちゃくちゃ感が漂っていて、素晴らしい。要は書いてる本人が一番面白がってるという感じが伝わってきて、こちらも楽しくなる。
2022.08.31
今日で夏が終わる。
過ぎていく夏は、速いものだ。
そして秋だ。秋と言えば「あのね、あきはね」という歌だ。
子供たちが幼稚園に入る前、「お母さんといっしょ」で歌われていた曲で、これを聞くと練馬に引っ越してきたばかりの澄んだ空気の秋を思い出す。懐かしいなあ。
などと郷愁に浸っている場合ではない。
今日はあれなのだ、山形と岡山の再試合というバカなイベントがあるのだ。Jリーグ初。たぶん空前絶後。
難しいことは省くが、要するに開始11分の時点から試合をやり直すという趣旨である。そしてこの時点の状況が、山形のゴール前5メートルからのフリーキックというもの。
いやあ、笑ったぜ。
山形が全員でゴール前に立って塞ぎ、岡山が蹴るぞ蹴るぞほら蹴ったばーかというフェイクを繰り返して山形を混乱させ、レフェリーがお前らいい加減にせーよと説教するというシーンが繰り広げられたのである。
結局はオレの大嫌いな岡山のバイスのバカが決めて山形が負けてしまった。そして警戒していた岡山が3位に上がってアルビレックスとの差が8となった。
まったくなんで山形は負けるんだよ。迷惑なんだよ、負けられると。ちゃんと勝てよ。
ともかくこれで岡山が最も目障りな存在となった。全力で岡山をつぶしにかかるのだ。
しかし岡山も2試合続けて相手キーパーの致命的ミスで勝ったり、異常なPK取得率だったり、ほとんどオカルトチームだ。ちょっとおかしいよなあ。
2022.08.30
アイスコーヒーを頼んだのに、カウンターに差し出されたカップはアイスティーだった。とほほ。
店員のミスだ。いや、オレの滑舌が悪かったに違いない。
オレは穏やかにそのアイスティーを受け取り、空いている席に座ってそれを味わったのだった。紅茶なんて何年ぶりだろう。
そんなちょっとしたアクシデントはともかくとして、今日は午後から愛知県である。小牧という、とんでもない山の中だ。コロナ前に行って以来だから3年ぶりぐらいじゃないか。
名古屋駅から関係者の専用バスが出ているので、乗り込む。高速を走って45分だからけっこうな距離なのだ。
そしてこれが2時間に一本しかないから、つまりは往復90分はかかるからそういう計算になるものだから、一つバスを逃すと大変なことになってしまうため、特に帰りのバスの時間は厳守なのだった。愛知県の山奥に取り残されて一晩を過ごすなんてことになったらおおごとだからな。
そんな大惨事に至ることなく無事に夜の名古屋駅まで帰ってきて、新幹線に乗って帰ってくる。駅までは息子が車で迎えに来てくれた。ありがとう、息子よ。
名古屋あたりは日帰りどころか午後の外出予定ぐらいの感覚だ。それでも遠距離移動の身体的な負担は大きく、帰ればやっぱりぐったりする。人間の生物としての許容範囲を超えるスピードと距離ということなんだろう。
新幹線は、それでもある程度は人が戻ってきていて、よかった。やっぱり経済活動は人が移動してなんぼだよなあ。
2022.08.29
品川のオフィスで撮影していたら、偉い人の席に座るあまり偉そうでない人が、ちらちらとこちらを見る。視線が合うので、オレもちらちらと見る。
あれえ、もしかして、とオレは思った。
だが何しろ顔の半分がマスクで隠れているので、確信がない。何よりもそんな偉い席にするような偉い人ではない。
半分疑いつつ、オレは視線を受け止め、ちらちらと見やっていた。
すると意を決したようにその人は偉い人の席から立ち上がって、こちらに向かってやってくる。
おおお、やっぱりそうか! そうだったか!
その人は、アキヤマさんだった。
前に名古屋のオフィスで同じようにばったり再会したのと同じような状況で再会だ。
いやいや、どうも。やっぱりそうでしたか。
どうしたんすか、あんな偉い席に座っちゃって。偉くなったんすか。
10年ほど前に一緒に仕事をさせてもらって、その縁から今もこうして声をかけてくれるとは、本当にありがたい話である。
アキヤマさんは「コマちゃんに会いたい、飲みたい」というので、早速コマちゃんと3人のグループLINEを作って話を進めたのだった。こういうことがとても便利な時代になったものだ。
そしてどんなにテクノロジーが発達してコミュニケーションが高度化しようと、根っこにあるのは人と人の信頼関係なのだなと気がつく。ベタなことだが。
それにしても品川に来るたび、かつての港南口を思い出して時代の変化というものにしみじみとしてしまう。
オレが社会人になりたての1980年代、そう、ちょうどバブルに向かう頃の時代、品川駅の港南口は荒くれ者たちが集う荒野だった。大げさはなく。
電車を降りたら、人けのない長い地下通路をくぐる。いかにもヤバそうな道だった。
やっと港南口の改札を出たら、そこはなにもない荒野。タクシーがたまに止まっている程度だ。
オレはその先にあった東京新聞の本社へ行くためにここに降り立ったものだった。まさかその20年後には高層ビルが立ち並ぶオフィス街に変貌するとは想像もつかなかった。茫洋とした荒野の片隅にはしょぼい飲み屋が並んでいた。港湾作業者や建設作業者らの荒くれ者を相手にした飲み屋だった。とても近づけたものではなかった。
やがて近くにはディスコがオープンし、芝浦を中心としたベイエリアはバブルの狂乱を迎える。思えばあの時から日本の凋落は始まったのだなあ。
新幹線はまだ品川には止まらず、名古屋の駅ビルもなかった。そんな遠い昔を思いつつ、でも振り返ってみれば一瞬だったなあなどと不思議な感慨を抱く。時間の流れなんてそんなものだろう。
2022.08.28
東横線から山手線に乗り換えるなんて、階段一つを上ればよかった。一昔前の渋谷駅の話である。
東横線を降りたら真っすぐ進んで改札を出て、すぐ左手の階段を登ればもう山手線の改札だった。簡単である。迷いようがない。
ところが今はどうだ。東横線から山手線に乗り換えるのに、いったいオレは何kmを歩かされるのだ。確かに案内サインはあちらこちらにあって迷うことはないけれど、それにしたがって延々と日が暮れるまで歩かなくてはならない。
しかも以前は地上2階にあった東横線改札が地下になったおかげで、位置感覚がまったく失われてしまった。
いったいオレはどこにいて、オレが向かっているはずの山手線の改札はどのあたりにあるのだ。このままでは日が暮れると思っても、地下だから日の高さを確かめるすべもない。北極星から位置を知ろうとしても夜空も見えない。
こんな具合に渋谷の地下の迷宮で迷子になってしまうものが後をたたない。オレのように。
当然である。
駅は日々進化するのに対し人間は日々老いていくのだから、今の渋谷が昔の渋谷と違うのは当然であって、置いていかれないように自身をアップデートすることサボってしまったら、いつの間にか渋谷が果てのないラビリンスと化してしまうのも当然なのだ。
などということを考えながら朝からParaviで「石子と羽男」を見る。TBSのドラマだ。
「アンナチュラル」「MIU404」と同じプロデューサー、演出家なので、大変に面白い。これらと似た匂いのする演出も心地よい。
今のところ第7話まで進んでいるようなので、そこまで土日をかけて一気に見終えてしまう。
有村架純を鑑賞するドラマだと思って見始めたら、同じパターンの表情、演技が鼻についてきた。これでは主役は厳しいなあ。オレの決める若手女優ナンバーワンは、高畑充希だ。続いて長澤まさみ、多部未華子、松岡茉優、伊藤沙莉といったところか。うーん、いいですねえ。
と思ったら、有村架純の相方役の中村倫也が上手くてびっくり。なんと読むのだ。りんやか。目と目の間が離れている顔をしているが、演技はとてもうまい。
若手では菅田将暉が一番だと思っているが、中村倫也もなかなかだ。
などと俳優論を一人でぶつぶつこぼしながら、日曜の朝からドラマの一気見である。この無駄な時間がなんとも心地よいのだった。
2022.08.27
マラソンは42.195kmだ。そしてJ2の年間試合数も42試合だ。
今日でJ2は33試合を終えた。つまりマラソンでいえば33km地点。一番苦しいとされるあたりだ。
この苦しさに耐えかねて、3位の仙台がついに3連敗。先頭集団から脱落してしまったのである。
そして残った2チーム、つまりアルビレックス新潟と横浜が1位・2位の先頭集団2人旅。
これから3位以下をさらに大きく引き離そうとしているのだ。なんという理想的な展開だろう。
理想的な展開といえば、ゲームそのものもそうだった。
今日の相手は盛岡である。J2残留争いをしている弱いチームだ。
もちろん弱いからといって油断できない。J2残留に目標を切り替えて、案の定、リアリストに徹した戦い方をしてきた。
具体的には堅守速攻。長いボールを使って、後のことは知らないとばかりに全力で駆け回り、何でもいいから先取点を取ってしまえというサッカーだ。そして1点取ったらあとは5バックに変えてとことん守る。恥も外聞もない。弱いからこれしかできないんじゃあと振り切ったサッカーは、案外手ごわいのだ。
この徹底ぶりが功を奏して前半は0-0。後半になって盛岡はPKを得た。なんという理想的な展開。ゲームプラン通りの流れだ。
だがそこに立ちはだかったのが、神・小島キーパー。
盛岡のモレラトのPKを見事にキャッチしてストップしたのである。
その直後、今度はアルビレックスがきれいに相手を崩して、神・伊藤のスーパーゴールが決まる。PKを脱してから1分後のジェットコースター展開で、まさに理想的な話の流れだ。マンガかよ。
盛岡のモレラトは、とてもいいやつである。サッカー選手としてというより人間として素晴らしい。小さい子供が大好きで日本のちびっ子とお話がしたいからという理由で、日本語を勉強するような男なのである。
そうした人のよさが出てしまったか、「とても丁寧なパスをキーパーにしてしまった」と盛岡サポが嘆いていた。確かにとてもキャッチしやすいシュートだったなあ。
こうして1-0としたアルビレックスは、さらに神・高木が2点目を叩き込んでゲームを決める。終わってみれば2-0の見事な勝利だ。
仙台の試合はその直後。オレたちは、わははは、まさに高みの見物者と笑いながら、3位の仙台が先頭集団から振り落とされていくのを眺めたのだった。
2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△○○○
3連勝でマジック5。あと5勝すれば、大丈夫だろう。まだまだ気は抜けないが。
2022.08.26
ちょっと前から話題になっていたけど、突如始まった東京都の外国人起業支援制度って、ひどすぎるよな。
東京都内で起業しようとする外国人に無担保・無利子で1500万円を融資するという制度だ。中国では既にけっこうな話題になっていて、東京で会社をつくれば1500万円がもらえると沸騰している。
いや、もらえるんじゃなくて、融資なんだってば。
もちろんそんなことは通用しない。中国人は実態のない企業を立ち上げて、開店休業。1500万円もらってとっとと逃げ帰るに決まっている。
1500万円はもちろんオレたちの税金だ。
持ち逃げ前提と決めつけるなという意見もあるが、では仮に持ち逃げしないで起業が成功した場合、今度は中国人の会社だけがやたらと儲かって日本人の会社を圧迫することになる。
そうである。無担保無利子で1500万円を融資するなら、日本人の起業に融資しろっていうことだ。
東京を国際金融都市にするため策なのだそうである。なるほど。だがちょっと待て。たかが1500万円で国際金融都市にふさわしい企業が誕生すると思っているのか。しょぼすぎる。
だから個人がなんちゃって起業をして持ち逃げするのにちょうどいい金額なのだ。
こんな制度をこっそり始めちゃって、本当に小池百合子は酷いなあ。
せんだっても急に新築住宅にはソーラーパネルを義務づけるなんて言い出して、ソーラーパネルをつくっているのはほとんどが中国企業だから、やつらに稼がせるための施策だというのが通説になっている。
やることなすこと、小池百合子は酷すぎる。そういやコロナで防護服がないとは大騒ぎしていたときに、勝手に中国に大量の防護服を横流ししたのも小池百合子だったなあ。
おばちゃん、中国大好き、中国人大好きなのだろう。
困ったものだ。
2022.08.25
ニューヨークで9.11が起きた後、日本でも一斉に警備が厳しくなった。
特に都心のオフィスビルでは警備員の数がどっと増え、入館者は厳しくチェックされた。
東京駅前のあるビルでは、じいさんの警備員が来館者一人ひとりを止め、免許証などの身分証明書を見せなければ中に入れないという強硬策が取られた。
これで本当にアルカイダを防げると思っているのだろうか。
飛行機が突っ込んでくるのを、このじいさんたちが体を張って止めるというのだろうか。
アホくせえよなと、オレたちは笑ったものだった。
単に「やってますよ」というポーズのためであるのは明らかで、警戒のためというよりは、世間の突っ込みを恐れてのことだった。もちろん現場は職務に対して真面目なだけで、じいさんたちに責任はないのだが。
これと同じことが、コロナ禍の今も行われている。
東京駅前の別のオフィスビルでは受付前に長机が並べられて、そこで体温や最近の健康状態などを記入してからでないと入れないようになっている。
別の会社では、直近3日間の体温や体調を記入した用紙を持ってこないと入れないようになっている。
いずれも世間の突っ込みを恐れてのポーズであることは明らかだ。
何にせよ、そんなことをしても感染者は増える一方なのだから、まったく意味のないことなのは明らかだ。
そもそも記入された内容が正確なものであるという担保はまったくないのだから、ちゃんと対策はしてまっせ、だからこっちに責任はないでっせ、あとは知りませんぜというポーズなのだ。管理者が後で責められないようにするためのアリバイに過ぎない。
実に日本的というか、悪い意味での日本的という気がする。
もちろん現場で職務を果たしている人たちに悪気はないからそんなことをオレたちは口にしないし、文句を言うぐらいならおとなしく体温を測った方がよっぽど早い。
そんなわけで今日もこのおかしな風習は粛々と全国で行われているのだった。
2022.08.24
今日は久しぶりに銀座で仕事だ。
銀座一丁目駅で降りたところにある銀座メルサのビルが、今月末で閉館。建て替えだそうだ。
石神井公園の西友(できてから53年!)もそうだが、当たり前のように慣れ親しんだ建物が消えていくのは、やっぱり寂しいものだ。
銀座メルサは、ここで乗り降りするたびに100円ショップをのぞいたりしたもんだ。銀座のメインストリートに面したビルに、地下1階とは言え、100円ショップがあるなんてと驚いたっけなあ。
えらく蒸し暑い一日だが、銀座に来るとやっぱり地上を歩きたくなる。この街の空気感というのは独特だ。
ルイヴィトンとかエルメスとかブルガリとか、もちろんどの店にも一歩たりとも足を踏み入れることはできない。せいぜいがベローチェで250円のアイスコーヒーを飲むぐらいである。
それでもブランドショップが立ち並ぶ中央通りを歩くだけで高揚してくる。
ちゃちゃっと仕事を終え、帰りは地下通路を通って丸ノ内線の銀座駅へ。
銀座の地下通路は最近ものすごくきれいでおしゃれになった。バブル後はここの通路にホームレスがごろごろしていたなんて、とても信じられない。
家へ帰って、例によってシャワーを浴びる。そして案の定、仕事をする前に居眠りしてしまった。とほほ。でもこれが夏の在宅ワークのお楽しみだなあ。
夜、家族で「東大王」を見る。高校生大会だ。3時間も見てられねえよと文句を言いつつ、結局見てしまう。ニコちゃん頑張れ。
東大王は勝田りおの一択だったのだが、いなくなってしまった。残念。
息子に、なんとかして家に連れてこれないかと言ったら、間に1人はさめばイケるよとのことだったので、よろしくと頼む。「やめなさい!」と激怒するヨメであった。
今日は実家ではお祭りの日である。コロナで今年も祭り自体は中止のようだ。
子供の頃は1年で一番楽しみな一日だった。大人も朝からそわそわして、みんなニコニコしていたものだった。
この日を境に季節は一気に秋へと向かい、一面の田んぼは濃い緑から黄金色へと変わっていく。そのときの空気感と稲の匂いというのは、なんともいえずに素晴らしいものなのだ。
2022.08.23
今日は静岡である。焼津だ。
焼津は初めて行った。魚だろうなあ。桜えびがよいようだ。
でも地元の人に聞いたら「さわやかはどうでしょう」とのことである。ハンバーグかよ。
ハンバーグを食べるのに行列する気はまったくない。あっさりスルーして、静岡駅に戻って駅ビルの寿司屋でランチである。
寿司は旨いなあ。
旨さのランクはあれど、だいたい寿司は旨い。スーパーのパック寿司だってなかなかのものだよ。
寿司なんていうのは、新鮮な魚介を切ってご飯に載せるだけだから、誰だって適当にやれば旨くできるだろうと思うのだが、まあ、そういうものではないのだろうなあ。
いつだったか地元の寿司屋で食べたとき、シャリのあまりの旨さにちょっとびっくりしたことがあった。シャリは案外大事なのだろう。
隣町の大泉学園には、日本一シャリが旨いと堂々看板に書いて自慢している寿司屋があるので、一度突撃しなくてはならないな。
駿河湾でとれた海鮮を堪能し、新幹線で帰る。本当なら新鮮な刺し身で冷たいビールを一気にいきたかったのだが、さすがに午後2時では早すぎた。
新幹線で切符を買おうとしたら4人チームの4人全員がアプリを入れていて、スマホで買った。もう新幹線もスマホで乗るのが当たり前なのだろう。
例によって汗まみれでぐったりして帰って、すぐさま風呂に飛び込む。静岡ごときの往復でも、案外疲れるのだった。
2022.08.22
仕事で牛久というところに行った。茨城県である。
遠い。実に遠い。オレんちからだと2時間コースだ。
なんでこんなに遠いんだよと思いつつ、考えてみればオレの叔父は牛久に住んでいて、長年、都内の会社に通っていたのだった。
ひゃあ、おじさん、毎日こんな思いをして通勤していたのか。
日本のサラリーマン、昭和の勤め人というのは、まさしく忍耐と根性の人たちだったのだなあ。
フリーランスとして通勤とは無縁の呑気な暮らしを続けてきたオレは、なんだかすみませんでしたと、牛久の駅前で頭を下げるのだった。
もっとも娘の幼稚園の担任は、やっぱり茨城県の五霞というところに住んでいて、毎朝、練馬の幼稚園まで通っていたものなあ。
幼稚園なので朝は早く、7時始業。だから毎日4時に起きてお弁当を作って、それから通勤していたらしい。
通勤というは大変なものなのだ。
こんなふうに極端に遠くなくても、都内での通勤だって、超満員のラッシュがある。あの非人間的な通勤空間は確実に心身を蝕むと思う。
だから今日行った牛久の研究所に勤める人たちが「車で15分のところに住んでます」なんて言うのを聞くと、こういう働き方が幸せだよなあと改めて思う。
とはいえ、例の牛久大仏の巨大な姿を目にすると、毎日これに見下される生活はやっぱりちょっと嫌だなあと思うのだった。
ググったら、牛久大仏ってなんと自由の女神の三倍の大きさなのだそうだ。ひゃーっと驚いたものの、オレは自由の女神も見たことがないのだった。
牛久の駅前はスポーツバッグを抱えた高校生であふれていた。なにか部活の大会でもあるのだろうか。夏休みだもんなあ。いい思い出をたくさん作ってくれ。
午後は一転、都心も都心、赤坂の議員宿舎のすぐ近くで仕事である。
すげえ立地ですね、やっぱりVIPとか通るんですかと尋ねたら「というか、マスコミがすごいです。河井夫婦の疑惑のときなんかすごかったすよ」とのことであった。
蒸し暑い一日で、都心を歩いているとすぐに汗だくになる。夕方、家に帰ってすぐに風呂だ。明るいうちからのビールもいいが、明るいうちからのお風呂はもっといいのだ。
娘のバイトは午前で終わって、部活の息子もすぐ帰ってきた。
夜は家族四人が揃って食卓を囲む。テレビはマスクドシンガーからの相席食堂。ビールを飲みながら、だははぎゃはははと他愛なく笑う。
これが大学が始まると帰りも遅くなるので、夏休みならではの家族団らんなのだった。
2022.08.21
ハグロトンボが飛んでいるのを見つけたのは、娘だった。
その名の通り、真っ黒な羽をひらひらさせて、不思議な舞い方で飛んでいる。
ハグロトンボは、あの世とこの世を繋ぐ存在。亡くなった人の使いなどと言われることもある。
娘は大好きな三浦大知のアルバムにあった歌を通じて、その存在を知っていたそうだ。
ハグロトンボは墓石の近くの雑草にとまり、しばし羽を休めていた。今日は義父の納骨である。
歓声を上げてハグロトンボを取り囲んだ我々は、口を揃えて「おじいちゃんが来てくれた」「お礼を言いに来てくれた」と盛り上がった。
ハグロトンボはその声に耳を傾けるかのように、気持ちよさそうに休んでいた。
雨上がり、秩父の山々を遠くに望む、とても気持ちのいい墓地だ。
オレもここでいいやと息子に話す。ビッグスワンを望む小高い丘でなくてもいい。
息子は「わかった」と答える。
オレは、その代わりせめて墓のプレートはオレンジ色で頼むと告げる。
息子は「それだけは断る。周囲と揉める」とあっさり却下する。
夏ももうすぐ終わりだ。
「昭和史の謎」別冊宝島編集部・宝島社新書。
昭和史というと必ず使われるアイコンが、3億円事件のモンタージュ写真。実はこれは実在した人物の写真を使ったやっつけ仕事だったわけで、そのあたりの事情が改めて詳しく書かれてある。宝島社の編集だから、あくまで軽い読み物だ。日刊ゲンダイみたいな感じ。
「インタビュー生地のつづり方」村中某・Kindle。
エゴサーチされたくないので書名も著者名も変えてある。Amazonでお勧めが来たので、騙されたつもりで勝ったら騙された。いや、オレが悪い。期待したオレがバカだったのさ。しかしこれで1250円とは! だいたいこの手の本を読むと、一つは役に立つノウハウが見つかるものであるが、これは見事に何もなかった。バカなディレクターをぎゃふんと言わせる方法とか、無知な広報を煙に巻く手段とか、そういう実務的な内容であれば1250円でも文句は言わないが、頑張っていい仕事をしましょうみたいな内容をすっかすかのボリュームでまとめてあるから、オレは腹が立つ。これでよく「ライターという仕事を世間に認めさせたい」と言ったものだ。
2022.08.20
完全にひいき目であるが、今のアルビレックス新潟のサッカーが楽しいのは、きっと正しいサッカーを真面目にやりきっているからだと思う。
ネットの書き込みにもあったけれど、コツコツと正しいサッカーを真面目に積み上げてきたから、今の結果が出ているのだろう。
今日は、似たようなタイプの熊本を相手にウノゼロ。熊本はかなり強く、正しいサッカー同士が真面目にぶつかり合ったゲームだったので、本当に面白かったわ。
2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△○○
プロ野球的にいえば、マジック6といったところ。だがまだまだ先の話だ。
これからも真面目に積み上げていくだけだ。
2022.08.19
結局この一週間がオレにとって夏休みとなったようだ。
イームラ君とリモートで打ち合わせをした以外は特にインタビュー仕事もなく、原稿をちょろょろと書いたり直したり。取引先が休みだから基本的に仕事らしい仕事はしないで過ごした。
では何をしていたかというと何をしていたわけでもない。ぼけっと過ごしたのである。
まあ、そんな夏休みもいいだろう。
息子はというと、ここのところインターンシップに参加している。外資系のコンサル会社で、リモート参加ではあるが、朝の9時から夜の10時までずっとパソコンに向かって話したり、書いたり。
相手の企業は大変だなあと思う。夏休み期間なのに学生相手に一日中だ。準備やフォローも含めれば相当の業務量だろう。親として、すんませんねえという気持ちになる。
さて、このヒマだった反動のように、来週からは激動の仕事モード。移動もけっこうある。秋に向けて、走り出さなければ。
2022.08.18
「家ついてってイイですか」が秋から日曜夜8時のオンエアになると書いてからの西友閉店だったわけだが、話を元に戻すと、そんな時間帯に勝負をかけて大丈夫なのか、テレ東は。
などといいながら昨日は久しぶりに「家ついてってイイですか」を地上波のリアルタイムで観た。
いつもはTVerもしくはParaviなのである。
観ていたら、途中でヨメが何か話しかけてきたので、え? なに? と聞き返そうとして、リモコンに手を伸ばし、一時停止しようとした。もちろんテレビなので一時停止はできない。
ありゃま、そうだったわ、不便だな。
と思いつつ、ヨメと言葉を交わし、そして見逃したところはそのままスルーなのだった。
続けてコマーシャルが始まった。うぜえなと思いつつ、待った。そしたら全然終わらない。長いな、コマーシャル。そう思ったらこれは地上波のテレビだった。Paraviだとコマーシャルは入らないし、TVerでもせいぜい30秒。
地上波、うぜえよ。
こんな具合に既にオレはネット配信に慣れきってしまって、地上波を観るのが面倒くさくなっている。
オレでさえそうなのだから、若い世代にとってはもはやネットがデファクト。誰も地上波なんて観ていない。
オレの息子や娘がもし今、一人暮らしをするとしたら、断言するがテレビなんて絶対に買わないね。iPadがあれば十分だろう。
ニュースはスマホ。音楽もお笑いもスポーツも全部ネットだ。
なるほど、改めてテレビにはもはや存在価値がなくなったんだなあと気がつく。
続けて今夜は「ケンミンショー」を観た。埼玉のソウルフード、満州餃子の特集だからだ。
埼玉のソウルフードといえば「山田うどん」。地元では「だうどん」と呼ぶらしい。
ちなみに埼玉ではヤマダデンキを「だでん」と呼ぶ。埼玉では名字の最後の「だ」は、下の名前にくっつくようだ。埼玉リエゾンの法則である。
満州餃子は、旨い。実に美味しい。オレが今、一番はまっている外食だ。
オレは餃子があまり好きではないので満州でも餃子は食べない。野菜炒めと冷やし中華だ。この野菜炒めが旨いのである。
しかも安い。満州は驚異の安さなのだ。なにしろ餃子一皿260円。
書いているうちに満州が食べたくなってきた。できればビールと一緒に、満州飲みがしたい。
満州は基本的に埼玉県内なのだが、嬉しいことにオレの隣町の大泉学園にも一軒ある。オレは衝動を抑えきれるか、自信がない。
2022.08.17
「家ついてったイイですか」が秋から日曜夜8時のオンエアになって、「イッテQ!」「ポツンと一軒家」「大河ドラマ」と真っ向勝負のテレ東大博打について書こうと思ったら、衝撃のニュースが飛び込んできた。
地元の西友が10月27日で閉店というTwitterである。
ぐえ、まじか。石神井公園はなにげにスーパー繁盛店で、駅前だけで西友にサミットにライフにクイーンズ伊勢丹にヨークマートと5つのスーパーがそろっている。
一番古いのはもちろん西友だ。だから他のスーパーがなくなっても西友だけは地元のスーパーとして残っていくだろうと、何となく誰もがそう思っていた。
その西友があっさり閉店してしまうとは。
建物はおんぼろで耐震基準も満たしてないだろうから、老朽化が閉店の理由だろう。なんと開店から53年間も営業してきたとは、驚くではないか。
客はそんなに少なくはない。というか、それなのによく頑張っているほうだろう。
とにかく安い。生鮮のしょぼさに目をつぶれば、驚くほどの安さだ。加えて服も家電も文房具もあるという品揃え。オレもワイシャツはここでよく買う。だって安くてサイズがそろっているんだもの。
ワイシャツを買ってノートを買って電気スタンドを買ってビールを買うという、そんな平和なワンストップショッピングができるのはとても貴重だ。なにしろ文房具を買おうとすると、この街には文房具屋がないから、西友の一択になってしまう。
建物がボロいから店内は暗く、しょぼかった。でも地元のスーパーなんてそんなもんだろうと思っていた。とにかく安いから日常の買い物には十分なのだ。
そんな、何の根拠もないけれどこの先も永遠に続くのを疑わなかった店がある日突然閉店を発表するなんて、当たり前の日常がぷっつりと途切れてしまうような感覚になる。
困ったものだ、西友。
西武沿線に生まれ育って、西友こそ地上の楽園と信じて生きてきたヨメがショックを受けているではないか。
2022.08.16
お盆が過ぎて、気分的にはもう夏休みも終わったという感じなのだろうが、オレ的には夏休みなしなのであんまりそういうパキッとした区切りのような気分はない。
とはいえ、取引先が軒並み休みだし、取引先が休みでなくてもその先のクライアントが夏休みだったりするものだから、仕事の連絡もほとんどなく、あったとしても事務的な連絡だけで(「業務委託契約書にサインして送り返してね」「9月ってヒマ?」)、基本的にオレも暇である。
暇だからといって何をするわけでもない。やるべきことはある。
例えば、オレの遊び歌バンド・たんさいぼうのPAチェックだ。
この秋に久しぶりのライブが予定されていて、そのために機材関係のメンテとチェックが必要なのだ。確か去年の暮に箱根の保育園でライブをした際、ボーカル用マイクの電源ケーブルにトラブルがあったような記憶がある。
その対応とか、他に不具合はないかなど、確認しておきたいのだ。とはいえ、それなりに面倒なことで、だらだらと先送りにして、怠惰に過ごす毎日である。
まあ、夏休みだから何かをしなければというのは、子供が成人となった今はもう昔のことであって、今や子供は親となんかは遊ばない。当たり前だ。
それでも今日は、息子がオレに付き合ってコメダ珈琲まで行ってくれた。コメダ珈琲で息子と向かい合って座っても別に会話をするでもなく、息子はパソコンを開いて勉強しているし(課題があるとかレポートがあるとかではない。純粋に勉強しているのだ)、オレはこうしていつものどうでもいい日記を書いている。
使っているのは、先日手に入れた新しいChromebookだ。ASUSの。台湾の。
いつも持ち歩いているHPのChromebookが重くて重くて、嫌になったので、もっと軽いやつはないかと探して見つけたのがこれ。ビックカメラを見に行ったら4万3000円。アマゾンで探したら3万4000円。ヨドバシカメラの中古で探したら2万3000円。
もちろん中古の一択で決定。中古と言ってもほとんど新品同様で使用感ゼロだからなんの問題もないのだった。
いい買い物ができた。
こうして手に入れた新しいChromebookの使い勝手を確かめつつ、この日記を書いている。
Chromebookの何がいいって、マイクロソフトと一切の関係を絶てることだ。
昔買って使ってなかったLenovoのヨガブックを引っ張り出してきて使おうとしたが、オフィスソフトの認証がどうの、セキュリティソフトがどうのと、とにかく金を取ろうとするのが鬱陶しい。その点Chromebookは、パソコン本体を買ってしまえば、あとはまったく金がかからない。セキュリティもすべてGoogleがやっつけてくれるので、任せっきりである。
もちろん弱点もあって、一番は大したことができないという点だ。画像加工も動画編集も音楽制作もできない。何しろメモリを4ギガしか積んでないから、非力この上ない。使用目的が限定されるところが一番の問題なのだ。
その点、オレはテキストを打つということにのみ使うので(あとはメールぐらい)、なんの問題もない。
Googleドキュメントを使ってテキストをとにかく入力しまくり、あとでメインのデスクトップマシンでWordファイルに貼り付けていっちょ上がり。メールで納品して、月末の請求書発行を楽しみにするわけだ。
とまあ、どうでもいいことをぐだぐだ書き続けているのは、この新しいパソコンの使用感を試しているからであって、今の所、なかなかいい感じだ。これで2万数千円だもんなあ。たいしたもんだ。ASUS
ちなみにASUSは、一時、エイサスだろう、いや、アサスではないかと言われていたが、最近ではエイスースで定着したようだ。
さて、明日こそはPAチェックをするか。面倒くさいなあ、誰か手伝ってくれないかなあ。ダテ君、手伝っておくれよ。
同じように面倒くさくて先延ばしにしていた経理作業は、今日、午前中にやり終えた。あまりの悲惨な財務内容に頭を抱えたオレは、逃げ出したくなった。辛いことはビールと一緒に飲み干してしまおう。
などと呆然と夏空を見上げていたら、日経新聞の片隅に近藤誠が亡くなったという訃報記事が載っていた。享年72歳。
近藤麻理恵がコンマリならば、近藤誠はコンマコ。放送禁止用語寸前ではないか。
この人が何かというと医者だ。「患者よガンと戦うな」という本で一躍有名になった人だ。オレも何冊か読んでみた。
例えば高血圧については、血圧を下げる薬なんか飲むなという。なぜなら確かに降圧剤を飲むと血圧は下がるが、降圧剤のおかげで寿命が延びたという証拠はないからだ(今オレはうろ覚えの記憶に頼って書いている)。
医者にかかるのは長生きするためであって、血圧が下がっても長生きしないのであれば、意味はない。そういうロジックでのスタンスの人だった。
ガンについても、肝臓がんや大腸がん、乳がんなどは、かかってしまったら治らない。切ったり、抗がん剤治療をしたところで治らない。だったら苦しい治療なんかしないで放ったらかしにしておいたほうが、長生きできるし余生も楽しいべ。これが近藤誠の「がん放置理論」だ。
治療してもしなくても、結局は死んでしまう。だったら治療なんかいらないではないか。要するそういうことをいう人だ。オレは、それはもはや医療ではなくて宗教だと思うのだが。
そのへんのことはここに詳しい。
慶応病院の医師だった。「慶応病院に行ったら、ガンなんか放っておけと言われた」という評判が立つから、慶応病院としてはとっとと辞めて欲しかった。だが慶応病院の看板がなければ単なるトンデモ医者になってしまうという自覚はあったようだ。慶応病院の看板があってこそ、人はありがたがって話を聞いてくれるから、定年まで慶応病院にしがみつき、そして本を書いてしこたま稼いだ。
退職後は自分のクリニックをオープン。今度こそ思う存分に布教ができる。
そこでガンになって、セカンドオピニオンを求めてあちこちの専門医を訪ね歩いて飛び込んできた患者に向かってコンマコは、ガンなんか放っておいたほうが余命は延びるべと説き、そしてコンサル料として30分で2万2000円を受け取っていたという。もはや医者の行為ではなかろう。
コンマコが一回患者とおしゃべりすれば、Chromebookが一台買える。
このパターンで命を落とした川島なお美は、亡くなる直前、コンマコを激しく非難していた。
また自身がガンになってしまったジャーナリストは、患者としてコンマコの診察を受け、診察室で「もっと僕の本を読まないといけないよ」と諭されたそうだ。
まあ、人の生命は人それぞれ。コンマコの指導によって余命が延びて、納得しながら亡くなっていった人もいるだろうから、そこはなんともだ。けれど降圧剤を飲むな、降圧剤で寿命が延びるエビデンスはないとまでいっていた人が、わずか72歳で亡くなるとは、新聞記事を読みながらオレはちょっとずっこけた。
コンマコ先生、やっぱ降圧剤ぐらい飲んでおいた方がよかったんじゃないの。
ガンということで思い出したのだが、甲状腺ガンの専門医にインタビューした話だ。以前も書いたけれど、本当にやばい甲状腺ガンは1%しかなくて、99%の甲状腺ガンは放っておいてよい、という話だ。自分が甲状腺ガンであることを知らずに、他の病気で亡くなる人も多いそうだ。
だから99%の甲状腺ガンは手術なんかしないでそのままにしておく。こういうのはコンマコ「がん放置理論」とはまったく別物としてちゃんと覚えておきたいものだ。
2022.08.15
かつて写植屋さんという商売があった。
写真植字というもので、活字を写真のように焼き付ける仕組みだ。焼き付けられた印画紙は、今度は版下屋さんというところへ回って、厚紙に貼り付けられ、印刷に回る直前のいわゆる「版」というものができあがる。
写植屋さんと版下屋さんは、料理を作る人と盛り付ける人みたいなもので、だいたいが両者兼ねていた。一つの会社の中に、写植の職人と版下の職人がいたわけだ。
フリーの版下職人というのもいた。写植・版下屋さんの下請けとして、急ぎの仕事などを請け負う人たちだ。人と接することなく、自宅で好きな時間に黙々とやれば、けっこういい稼ぎになったから、人付き合いの嫌いな変人が多かった。
こういう写植屋や版下屋というは、いわば印刷の前工程。完全な家内工業、職人の世界だった。
80年代初頭、オレたち広告業界の新人の下っ端仕事は、こうした写植屋さんや版下屋さんに手書きの原稿を届けて、版下ができあがったらそのコピーを引き取りに行って、校正が終わったら再びそれを届けに行くということだった。
オレたち大卒の新人は高卒のそれら職人におっさんに怒られ、説教されたものだった。写植屋や版下屋は下請けであるが、へそを曲げられたら仕事が止まるし、何よりも力量の差が広告の仕上がりにダイレクトに反映する。
腕のいいデザイナーと腕のいい版下屋が組むと、0.2ミリ単位で文字を切り貼りして間隔を調整し、10センチ×10センチなんていう文字ブロックを完璧にくみ上げる。社名や商品名が行をまたぐようなことは決してない。そんな時代を知っているオレたち昭和の広告屋は、だから何も考えずにテキストをIllustratorに流し込んだいまどきのレイアウトなんかを目にすると、げんなりしてしまうのだった。
そんな風に写植屋や版下屋を使い走りで回りながらオレたち新人は怒られながら仕事を覚えていった。
タイプ印刷屋での待ち時間の間、ぼんやりと眺めていた壁の「頭を使って知恵を出せ、知恵が出なけりゃ汗を出せ、汗もを出なければ黙って去れ」という人生訓のようなモノを、オレは今も覚えているもんなあ。
そんな職人の世界ががらっと変わったのは1990年代半ば。DTPの登場だ。
0.2ミリ単位で一文字一文字切り貼りしていた職人たちは、キーボードを叩くだけでパソコン画面の文字が一瞬にして整えられていくのを目にして、青ざめたのである。写植屋さんの社長が顔面蒼白になってその様子を語ってくれたものだった。
この嵐は一瞬にして業界を変えた。写植屋さん、版下屋さんはあっという間に仕事を失い、目端の利く社長はすぐさま出力センターに業態を変えて生き残りを画策し、フリーの版下屋は一瞬にして無職になって行方不明だ。
そしてDTPは業界構造だけでなく、オレたちの働き方をも一変させた。
下っ端が使い走りで版下のコピーを届けたり取りに行ったりすることはもうない。テキストデータをネットでデザイナーに直接送って終わりである。途中に写植屋・版下屋が介在しないから時間はとんでもなく短縮されたし、コストも大幅にダウンされた。
昔、写植屋の打つ写植文字は一文字4円と言われた。その分がばっさりとカットされて、ならばそれがライターの原稿料に上乗せされたかというとそんなことはまったくなくて、要するに広告代理店とか、カースト上位の層に吸い取られてしまったのである。
ただまあ全体で見てデジタル化の恩恵は凄まじく大きかったのは間違いない。
これって要するに、DXだったわけだ。
広告とか編集とかの業界は既に20年以上前にDXの荒波を経験していたわけだ。
振り返れば写植屋なんかが消滅し、業務の流れが革命的に変わって、スピードアップとコストダウンが一気に進んだ。要するにDXとは業務改革そのものであるわけだ。決してタイムカードを電子化したり、チャットで情報共有することがDXではない。
その本質を見誤ってカタチだけ、トレンドに乗っかっただけのDXがあまりに多いから、多分今のDXブームはもうすぐ終わるね、という話を先日某コンサルタントから聞いた。DXとは業務改革であるという本質を忘れないケースだけが、勝ち残るね。
とまあ、人ごとのように上から目線で書き綴るオレだが、では果たしてフリーライターのDXとは何かと問われると、これがさっぱりわからない。
もしかして原稿を書くのはAIに任せて、人はインタビューのみに集中するとか。
となるとインタビューが終わったら、直後には文字原稿が完成していたりするのかしら。
そんなことになったらフリーの版下屋と同じ運命を、フリーライターもたどることになるのだろうか。
そういやリクルートあたりがAIに原稿を書かせているという噂だし、案外、あり得ない話ではないかもなあ。
オレたちは既に20年以上前にDXの洗礼を受けたなんて威張っている場合ではない。むしろこれからやんけ。
2022.08.14
監督が勝利者インタビューで「日本一のサポーターです」と胸を張り、先制点を決めた鈴木が「アップで声援を聞いたとき、マジで鳥肌が立って泣きそうになった」と微笑む。
そんなん聞いたら、こっちが泣くわ。
気分のいいゲームだった。
相手は栃木。弱い。弱いが、現実的な戦い方をするチームなので面倒だ。
案の定、速い出足で面倒なプレスをかけてくる。とはいえ、サッカーの完成度としてはアルビレックスが上。何度かのチャンスを確実に決めていれば簡単なゲームだった。
それをミスで自ら苦しくしてしまったところが反省点。
素晴らしいのはサイドバックの藤原が3試合連続のゴールを決めたことだ。こんなサイドバック、なかなかいないなあ。
今日は2年半ぶりに声を出して応援できる日。スタジアムにアイシテルニイガタが響くのだった。
ゲームが終わって勝利の余韻が残る中、千葉と阿部という控えの2人がサポーターの前へやって来て、肩を組んでアイシテルニイガタを歌った。感極まった阿部が笑いながら涙を拭う。
島田が言うとおり、陰のMVPは阿部。
新潟ユースから筑波大というエリートコースに進んで昨年もほとんど正キーパーとしてゴールを守ったのに、今季は一度も出番がない。それでもまったく腐らず、誰よりも大きな声で鼓舞している。
その姿には胸か熱くなる。
首位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△○
今日の勝利で、再び首位に返り咲いて、さて、残りはわずか。
2022.08.13
朝日新聞を手にして天声人語に目を通し、毎度毎度バカなことを言ってるもんだと笑うのと同じようなものだから、ネットで誰が何を言おうと時間つぶし以外のナニモノでもないとはわかっているのだが、さすがにこれはちょっとひでえなと思ったのだ。
何かというと、例の自民大嫌いおじさんである。
阿倍元総理襲撃についてどの論評も「決して許されることではないが」という枕詞で始まっているが、そのことに対して自民大嫌いおじさんは「本当にそうだろうかという気がしてきた」と言うのである。そして「それだけの悪人だった」と阿倍元総理を断じるのである。
つまり阿倍元総理はとんでもない悪人だったから、襲撃されて殺害されても仕方ないというわけで、あげくに「犯人の心情に納得してる」というようなことも言うのである。
これはさすがに酷いよなあ。
人間としてここまで最低だとは思わなかった。
亡くなった人に対して、殺されても仕方ない悪人だったと決めつけてるんだから。
阿倍さん大嫌い、自民大嫌い、何よりも自民支持者が大嫌い。何でもかんでも上から決めつけて、人様の選挙区の結果に対しても「住民がバカだから自民が勝った」という決めつけをしている。そして「家族に乾杯」とか「ファミリーヒストリー」とかNHKの番組と清純派女子アナが大好きで、安いドキュメンタリーを観てすぐに泣く。
そんな程度のおじさんだからいつもは鼻で笑って小馬鹿にしているだけだが、さすがにこれは酷いと思った。だからあえてオレもこうして書き残しておこうと思うのだった。
などということを考えながらオレは大嫌いな「家族に乾杯」とか「ファミリーヒストリー」とかは観ないで、AmazonPrimeで「ザ・マスクド・シンガー」を観たのだ。
マスクドときたら続きはスーパースター。それが常識。昭和の時代の職人プロレスラーだった。マスクド・スーパースターは前田日明のことを最低のレスラーというふうに厳しく言っていた。相手の技を受けて試合を盛り上げようとせず、自分勝手なファイトに終始していると。いかにも職人らしいコメントだよなあ。
それはともかく「ザ・マスクド・シンガー」である。
シーズン1は半年前に終わって、今回はシーズン2。
正体不明の有名人(齊藤さんとか土屋アンナとか小林幸子とか)がド派手なマスクとコスチュームで身を隠し、口パクではあるものの、ノーエフェクトの地声で歌って踊ってみせて、みんなでその正体を当てようという番組だ。
いわゆるフォーマット販売の番組で、オリジナルは韓国。それがアメリカに販売されてアメリカ流のド派手な演出が受けて大ヒットし、日本にもフォーマットで販売されたというわけだ。フォーマット販売というのはよくあるパターンで、SASUKEなんか日本から海外に売られた好例だわな。
シーズン1を観たときは、いかにもアメリカのショー番組というバタ臭い演出が鼻についた。それもシーズン2ともなると慣れてきて、早送りのタイミングもわかってきたから、そんなに気にせずに楽しめるようになった。
正体を誰何する面白さはもちろんある。オレの娘とかヨメは、芸能人をよく知っているからよく当てる。オレはさっぱりだ。小林幸子を当てたぐらいだ。
もう一つの面白さは、カネのかけ具合だ。
とにかく衣装にしろ、演出にしろ、ダンサーたちにしろ、ハンパないカネをかけていることがびんびんに伝わってくる。ハリウッド並みとまではいかないが、観ているこちらとしては札束で顔を張られている気分だ。
いかに日本のバラエティが貧乏くさいか、改めて実感して、アメリカのショービジネスセンスにはかなわないなあと思ってしまう。
Netflixが自社制作のドラマで加入者を増やしたのに対抗して、Amazonはエンタメ路線で加入者増を狙ったのか。
Amazon制作の番組だから、もちろんスポンサーはつかない。だから余計な邪魔は入らない。制作予算もふんだんにある。
Netflixのドラマ制作に地上波の制作スタッフがごっそり抜かれたのと同じことが、起きているに違いない。そりゃスポンサーを気にせず、予算をふんだんに使って、ド派手な演出で盛り上げていいとなったら、制作者は誰だって喜んで参加するだろう。貧乏くさい地上波バラエティなんかやってられっかよ。
「家族に乾杯」なんてしょぼすぎだろ。田舎の人はみんないい人みたいな空気はおかしいだろ。鶴瓶ならずかずかどこに入っても歓迎されるなんて嘘くせえ。ゲストのさだまさしがびびって、店に客として飛び込んだのは、実に正直な臆病ぶりだった。
そりゃネットにテレビが勝てるわけがないと思うわ。
2022.08.12
いやあ、知らなかったなあ。
何がって、トランスジャパンアルプスレースというクレージーなレースを。
今日初めて聞いてのけぞった。なにしろ富山県の富山湾から静岡県の駿河湾まで自分の脚だけで踏破するという競走なのだ。
もちろんその間にはアルプスがそびえる。しかも北アルプス、中央アルプス、南アルプスの三つだ。8日間でこれを自分の脚だけで越えなければならないという。
寝るのもすべて山の中で一人。完璧な野宿だ。事故やトラブルもすべて自己責任だという。
選手にはGPSがついているから、今どこの山の中でもがいているかというのが全部リアルタイムでわかり、それまた物好きたちが息を潜めて見つめているんだと。
オレには一つもわからない。
出場しているのは30名。出場資格を得るまでにフルマラソン3時間とかウルトラマラソン完走とかいろんな厳しい条件があって、それでも希望者殺到なので抽選なんだとか。
ますます一つもわからない。
クレージーすぎるだろう。オレにとって縁がないといえば、これほど一生において最も縁のないものもない。
まあ、どんな形にせよ一生関わることはないと思うので、こういうものがあると知っておけばそれで十分だ。
などということを考えながら、夏休みなので日本テレビで「天空の城ラピュタ」を見る。お盆の恒例行事だ。
もっとも今年はウクライナもあるんだから、日テレには「火垂るの墓」をやってほしかったなあ。節子、今年はジブリパークが名古屋にオープンするからそれに関連した映画をやるんやで。
ラピュタが最初に公開されたのは1986年というから、今から36年前。オレが28歳の時だった。
あのときは封切り直後、会社帰りに歌舞伎町の映画館まで観に行ったっけなあ。まさか36年後も同じ映画を観て同じように興奮するとは思わなかった。
オープニング、最高。つかみとしてこれ以上はないだろう。飛行石と少女を巡って海賊と軍が入り乱れるという複雑な背景をわずかな尺できっちりと説明し、そして少女が天から降ってくるという驚愕の展開。神だ。神すぎる。
そして中盤、城の塔の上で軍隊に包囲された少女とロボットを救出するために海賊の一味に加わった少年が空を飛ぶ。
それまで複雑にからみ合っていたストーリーがここで一本にまとめられ、関係者が一同に集結。すべての流れが一つになったところで、宙に舞った少女を少年が鮮やかにかっさらうというクライマックス。この瞬間のカタルシスったから、ないわ。
オレとしてはここに至るシーンがすべてであって、後半はあまり関心がないので、ここまで観ておやすみーと寝てしまった。バルス祭りにも参加していない。
架空の炭坑の町を舞台にしていて、前半、やたらと地下の世界が描かれる。冒頭の山場、炭坑に浮かんだ線路でのバトルから地下に降りていくシーンとか。
こうした地下世界がしつこく描かれているのは、クライマックスの空中戦を引き立たせるための対比的な構図なのだろうなあと思った。
36年たって観ても、やっぱり面白いわ。映画として最高。個人的に好きなのは「ナウシカ」のほうだが。
シータが年を取るとドーラになるわけで、その間には「魔女の宅急便」のおソノさんがいる。こういう系譜の女性像が宮崎駿の趣味なのだろうなあ。
女性像といえば「となりのトトロ」のサツキがいい子すぎて、その反動で大きくなったらグレてヤンキーになるという説はなかなか面白い。
パズーがシータを救い出し、海賊の船の中でぐだぐだするくだりを音だけで確かめながら、オレは布団の中で宮崎駿の描く女性像について考えたのだった。オレは「もののけ姫」のエボシ御前がいいなあ。田中裕子がぴったりだなあ。
そういや「となりのトトロ」を観たのは下高井戸の名画座だった。「火垂るの墓」との2本立てだった。そういうと、息子と娘は「あの2本を続けて観たわけ?」と驚くが、いや、そもそも封切り時から2本立てだったから。
「トトロ」のキャッチコピーは「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん」だが、糸井重里の考えた「このへんないきものは、もう日本にはいないのです」が宮崎駿に直された結果だったというのは有名な話やで、節子。
「イマジン?」有川ひろ・幻冬舎文庫。テレビや映画などの映像を制作している下請けプロダクションの物語。「空と部広報室」に通じる、著者お得意のお仕事物語だ。でもなんだか「ハケンアニメ」ほど面白くないなあと思ったら、あれは辻村深月だった。だはは。有川ひろって、すげえ性格悪くて編集者泣かせで有名らしいが、書く作品は善人のオンパレードっていうのが面白い。この作品もベタすぎるぐらいいい人が出てきて、いい話に仕上がっている。基本的に誰も傷つかない。そこが物足りないといえば物足りないのだが、人が殺されたりする話がだんだんと辛くなってきたオレにとっては、これぐらいのヌルさがちょうどいいのかもなあ。なんだか、きれいな日本語の本が読みたくなってきた。
2022.08.11
いつの間に「山の日」なんてできたんだ。
きっと同じことをもう何年も思っているに違いない。オレは。
この日を休みにすると、12日に有休を取って、連続してお盆休みができるということだろう。
オレの場合、今年は夏休みなし。
以前ならばお盆は必ず実家に里帰りしていたのだが、両親が亡くなってからはその機会もガクンと減った。
時々、夏の実家周辺を思い出す。特に朝がいい。田舎は夏の朝がいいんだよな。
などと考えながら、今日も原稿仕事をする。
コマちゃんに「先生、玉稿をお願いしますよ」といわれていたので、玉稿だよと書いてメール添付で原稿を送る。
世間はとても静かだ。
2022.08.10
朝からのインタビュー仕事が終わったのは午後3時。今日も酷暑だ。動くだけで汗が出る。
これから家に帰ったらまずシャワーだな。
そう言ったらコマちゃんが「そんなことしたら寝ちゃうじゃないすか。もう使い物にならないじゃないすか」と鋭いことを言う。
シャラップ。オレはそんなヤワではない。
一言吠えて、コマちゃんを駅で降ろしてオレは家に帰り、そしてすぐさま風呂にお湯を入れる。お湯がたまる間はアイスコーヒーを飲む。
風呂に入って全身さっぱり。いやあ、やっと落ち着いた。
風呂上がりに冷房のガンガン効いた、乾燥した部屋に飛び込むのって最高だよね。
そして案の定、そのままオレは昼寝をしてしまった。いや、時間的に夕寝か。
そして目が覚めたらぼーっと脱力してて、気分もすっかり緩んでしまって、盛り上がらないことおびただしい。
結局そのまま仕事なんて何もしないで、コマちゃんの言うとおりになってしまった。使い物にならねえよ。
真夏の午後のシャワーと、エアコンのきいた部屋での昼寝は最高に気持ちいい。
オレの場合、今年は夏休みなしだから、まあ、これが夏休みみたいなもんだ。
この先しばらくは、インタビュー仕事もないし。
2022.08.09
インタビュー現場に入る前は、だいたいおされなカフェでヒーコーを飲む。
自分の中での切り替えというか、スイッチを入れるというか、単なるクセというか。
そして駅によってだいたい立ち寄る店は決まっている。幸麹町ならエクセルなんちゃらとか、大手町なら上島珈琲とか。
今日は品川だったので港南口のスタバだ。
ところがふと気がつく。
あのスタバって、駅のコンコース内とはいえ、オープンカフェじゃなかったっけ?
案の定であった。駅コンコースに向けた完全オープンな空間だった。
さすがに何とかしてるだろうと思って階段を上がって店内に入ったら、すげえ暑かった。屋外と変わらないとまでは言わないが、駅の通路と変わらない暑さだ。
窓からは日光も射し込んでいるし。
それなのに店内は混んでいて、しかも日光の当たる席だけ空いているところが妙におかしい。
今日の東京は36度だぞ。ここは少なくとも30度はあるんじゃないか。
とてもこんなところでヒーコーなんて飲んでる場合じゃない。オレはあわてて階段を降り、スタバから脱出したのだった。
だいじょぶか、あの店。店員が熱中症になるんじゃないか。
代わりのカフェと言えば。近くにブルーボトルがあるが、あそこはやたらと高いくせに、ついでに意識も高くなっちゃって何かと面倒なんだよな。店員もオレのことを名前で呼んだし。客を名前で呼ぶんじゃねえよ。
仕方ないので3分歩いてシンターシティのエクセルなんちゃらに行った。途中、一瞬だけ戸外を歩くが、あのスタバにいるよりはマシだと思ったのだった。
2022.08.08
挨拶は大切だ。
特にオレのようなフリーランスの場合、どこに行ってもそこはアウエーだから、自ら名乗らなければ「誰だこいつ」扱いされてしまう。全員が初対面の現場だってあるし、オレ以外の全員が知り合いという現場も珍しくない。
それなりの組織の人間ならば黙って加わったところで、ああ、あそこ会社の人なのかなと察してもらえるだろう。だがオレなんかだと誰も相手にしてくれない。
だから最初の挨拶はとても重要である。
その挨拶のタイミングを逃してしまって、何となく「誰だこいつ」的な空気を残したまま、現場が動いてしまったことが何度もある。けっこう気まずい。
そんな失敗を何度も繰り返しながら、挨拶の大切さを身に染みて学んできた。
挨拶ときたら、名刺である。
どの現場へ行ってもサプライチェーン的にオレが一番末端の出入り業者だから、オレから先に名刺を取り出して挨拶しなくてはならない。もちろんその場で誰が一番偉いかを瞬時に見極めてからだ。この見極めも経験で磨かれる。
面白いのは、そんなオレが中途半端に偉そうに見えるものだから、客の一番偉い人が真っ先にオレに名刺を差し出そうとすることだ。
そのときは空気を見て、あ、いや、私は後で、とか下がったり、どうもどうもとしれっと受け取るとか、臨機応変。
いつだったかは客の担当者が、オレのことを取引先の部長と勘違いして慌てて上着を取りに戻り、いつもの窓口に「連れてくるなら言ってよー」なんてこぼしてたのを目撃した。これには参った。オレは部長じゃねえです、外注先のさらに下請け業者です。
それ相応に年を重ねて、頭を坊主にして、スーツなんか着て、おなかが出ているものだから、そんな誤解が生じてしまう。すんません。
そんな具合に挨拶はとても大切であって、あるとき、1年間にどれぐらいの名刺を使っているのかなと数えてみたら、約600枚を消費していた。これが一般的に多いか少ないかわからないが、600人と名刺を交換したところで、その後も付き合いが続くのは10人もいない。つまり配った名刺の9割はその場限りということだ。
まあ、名刺なんてそんなものだろう。
ところがここへきて急に名刺の減り方が遅くなった。名刺を使わなくなったのである。おかげで新しい名刺を印刷することはなく、名刺屋も売上が減っただろう。
理由ははっきりしている。Webだ。オンラインだ。
オンラインでのミーティングやインタビューの場合、初対面であっても当然名刺の交換はしない。画面に名前が表示され、あ、初めましてよろしくお願いします、で終わりである。初対面はまず名刺交換というのを30年間習慣にしてきたので最初は落ち着かなかったが、今ではすっかり慣れた。
そしてそれが今やリアルにも反映されている。つまりコロナが落ち着いて対面でのミーティングやインタビューが復活しているにも関わらず、名刺交換という習慣は復活していないのだ。
もちろんちゃんと名刺交換をする場合もあるが、感覚として半分ぐらいは、あ、どうも、よろしくお願いします、と言い交わして終わり。そこに不自然さとか、失礼しました名刺を持ち合わせてませんで的な空気はまったくない。ちょっと落ち着かないものの、とても気軽である。いいことだ。
もっともオレの場合、インタビュー原稿を書くときに名前や所属部署などを正確に記すためにも名刺はあったほうがいいのだが、まあ、ある程度はわかってるし、正確なのはあとで本人が確認するだろうしというのが暗黙の了解になっている。
もしかしてこれからこんなふうに、徐々に日本の名刺文化は消えていくのかもしれない。
コロナでの接触を避けるためということで一時はオンライン名刺のようなものも登場し、アプリを仕込んだスマホを交信させることでデジタルな名刺交換ができたものだったが、あれは結局浸透しなかった。デジタル名刺の交換をしている人なんて、一度も見ていないもんな。特に新規開拓の営業マンとか、役所に行って担当者の名刺入れに名刺を放り込むことが日課のゼネコンの担当者などに、デジタル名刺は思いっきり不要だ。
名刺を交換すると、なんとなくちゃんとした仕事の場という感じになったものだったが、別に交換しなくても仕事にまったく影響のないことがよくわかった。
初対面の場がオンラインで、その後何度かオンラインでミーティングを重ね、数ヵ月後に初めてリアルで対面したときに、あれえ、リアルでは初めましてでしたっけと笑いながら名刺交換している光景を時々目にする。
ここまでくるともはや名刺交換に本来の意味はなく、単なるイベント。定番のネタになっている。それはそれで場が和むから意味はあるのだが。
名刺と言えば、芸能人は決して自分で名刺を持たず、ライターや編集者などが名刺を差し出しても絶対に受け取らない。なんていう失礼な素人なんだという目を向けてきて、慌ててマネージャーが受け取りにくる。名刺交換なんて下々の行いだとでも思っているのだろうなあ。
どんなぺーぺーの下っ端に対してでさえ、初対面では「私、矢沢と言います」と挨拶するという矢沢永吉は、だからきっとすごく礼儀正しい人なんだろうなあと思う。ちょっと話が脱線したけど。
「知事失格」小林一哉・飛鳥新社。静岡県知事の信じられないほどの暴君ぶり、無能ぶり、デタラメさはとうに白日に下にさらされてはいるのだが、それでもまだ辞めることなく知事のイスに座っていることには、軽く絶望感を覚える。このたった一人の老害のために、リニア中央新幹線という国家的プロジェクトが頓挫してしまっているのだから。愛知や大阪が静岡にぶち切れているのも当然である。この本は、地元のもと新聞記者が、それまでの取材を通じて明らかにしてきた知事のバカっぷりをまとめたものだ。私怨が混じっている部分も相当あるものの、それでもいかにこの知事が酷いかが克明に記されている。一地方の知事がやっていいことではない。日本の国力や国土の安全に関わる問題である。もはや日本全体にとっての老害。この知事のおかげで静岡県民全体が日本中からバカにされ、迷惑がられ、攻撃される。
2022.08.07
我が家から一番近くにあるファミレスだったサイゼリヤが7月いっぱいで閉店してしまった。たいへんに残念である。1年ももたなかった。
住宅街の、中途半端なバス通りにあった。開店前から集客が懸念された。
前はセブン―イレブン。狭いコンビニをそのままファミレスに転換したという大胆な店舗だった。狭さを逆手に取り、オペレーションを徹底的に合理化。人員も最小限で運営していた。家賃や人手にカネをかけない、徹底したローコストオペレーションの実験店だったようだ。
我が家は週末のランチによくいった。そこそこ入っていたが、紙に名前を書いて順番待ちするようなことは一度もなかった。
聞けば夜はガラガラだったらしい。加えて平日の午後は近所のママたちの集会場と化して、ローコストで回転数を上げる作戦が根底から崩れてしまったのだという。
サイゼリヤは旨い。かなり旨い。
そして安い。家族4人で、サラダにパスタにピザとたっぷり食べて3000円行かなかったときはびびった。
アルコールも安く、ワインなんて確か500円。我が家では「ゼリヤ飲み」と呼んでいるが、オレが酒を飲んで家族が晩飯を食って、ベロベロになってもたかがしれていた。
何度か仕事でサイゼリヤとからんだことがある。
「材料には徹底的にカネをかけているから、このビジネスモデルでやる限り、売上や粗利で業界トップを狙うのは諦めた」と聞いて、すげえ会社だなと思ったものだった。
ランチなんて500円だものなあ。サラダまでついて。
そういや先日はバーミヤンで飲んだ。紹興酒のデキャンタが1000円で、ベロベロになった。ぜひ行きたいと考えているのが、餃子の満州の飲みである。「満州飲み」はきっと安くて旨いに決まってる。
満州では坂戸市にあるセントラルキッチンから50キロ以内の場所にしか出店しいなそうだ。だから店が少ないという。しかもフランチャイズでなくて全店直営。いいですねえ、素晴らしいですねえ。
今度はぜひサイゼリヤを偲びながら満州で飲みたいものだ。近くに満州はないのだが。だはは。
2022.08.06
やれやれ、呆れかえるほどの弱さだわ、今のアルビレックス。
首の皮一枚で2位につけているけど、もう時間の問題だろうなあ。
そういうことを口にすると息子に首を絞められるのだが。
至恩三戸谷口千葉イッペイ。前半戦のレギュラーが一気に5人も抜けてしまったんだから、必然とは言えるが。
そんなあきらめ顔のオレたちでさえ、口をあんぐりとしてしまうのが徳島の神がかりぶりだ。今シーズン、J2の年間引き分け試合数を更新しそうな勢いで、引き分けばかりをやっている。今日もここまで4試合連続で引き分けだ。
もはやサポーターも相手に向かって「かかってこいや、引き分けにしてやるぜ」とイキがっているし、相手も「今日は負ける気がしないわ。勝つ気もしないがな、けっ」とイキがり返す始末である。
だがさすがに今日はオレたちも負けを覚悟した。だって78分まで0-2だったんだもの。
ところが今年の徳島は神がかっている。78分まで2-0で勝っていたというのに、終わってみればアルビレックスに2-2に追いつかれたのだから。
いやあ、かっこよかったですねえ。サイドバックの2人。藤原とゴメス。サイドバックが1点ずつ取って負け試合を引き分けに持ち込んだのだ。
特にゴメスの2点目は素晴らしい。見事なステルスぶりからビューティフルなゴールだった。こういう功労者が陽の当たる舞台に立てるのは嬉しいことだ。
それにしても徳島の引き分け力は、もはやギャグ。繰り返すが78分まで2-0だったのだ。いったいこのチームのゲームマネジメントはどうなっているのか。
もっともそんなことは徳島サポはとっくにお見通し。2-0になった時点で「70分過ぎたらタコ殴りに遭うだろう」との予言が現実になったのだから。
そりゃあここのサポが監督にぶち切れるのもよくわかるわ。ポヤトス。
もっとも、徳島以上にぶち切れていたのが横浜のサポーターだ。なにしろ前節の岩手に続いて大宮相手に3失点の連敗。ここで混戦から抜け出して昇格をかたいものにする千載一遇のチャンスだったのに連敗だからなあ。
しかも守護神ブローダーセンの、めったにお目にかかれないようなとんでもないミスが決勝点というのだから、怒りの収まりようがなく、吠えるばかり。
でも実際、この大宮−横浜はまれに見る好ゲームで、特に後半には感動した。いやあ、いいゲームだった。
というわけでまだまだ混戦が続くJ2。
1位横浜 57
2位新潟 56
3位仙台 55
というしびれる状況だ。
2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○○△○○○○●○○○●△△
さあ、勝負の8月だ。
2022.08.05
仕事というのは疲れるもので、インタビューして原稿にしてというルーティンをやっただけなのに今日も疲れてしまった。30年以上もその繰り返しである。
疲れて帰ってきて、夕方だけど汗を流したいから風呂に入る。さっぱりする。
もう仕事のエネルギーとモチベーションはわいてこない。ビールを飲まないだけマシである。
夏だなあ。
2022.08.04
北海道へ帰るという甥っ子を送るために羽田空港まで行ったら、出発ロビーの隅っこで何かの撮影をしている。
すぐ近くを通ったら、案の定「YOU は何しに日本へ」の突撃インタビューをしていた。
いたのはインタビュアーと音声、そしてディレクターの3名。最少人員である。偉いぞ。
通訳を立てているとか思ったがそれらしい人はいなかったので、ディレクターが通訳も兼任なのだろう。さらにスクリプターもいなかったから、あらゆる雑事(記録とか連絡先の確保とか)をディレクターが引き受けているのだろう。
ちょっと見切ってやろうかと思ったが、人様の仕事を邪魔するのは大人の振る舞いではないと思ったので自粛した。
その後、オレは京急電車に乗って移動した。今日の行き先はあのディープな鶴見線である。
戦後の闇市のような国道駅や、改札の外はすべて私有地なので駅の外には出られないという海芝浦駅など、ここにしかないレアな駅ばかりの路線だ。
一度だけ国道駅で降りて散策してみたことがあり、いずれは他の駅もじっくりと探検したいものだと思って果たせず、今に至る。
そんな鶴見線に乗るためには京急鶴見駅で乗り換えなければならない。この鶴見というところがいろいろと香ばしいのである。
11時過ぎだったのでオレは、ちょっと早めの昼飯ということで鶴見駅前のサイゼリヤに入った。パスタランチ500円が目的である。
そして店に入って驚いた。11時だというのに宴会しているグループがあったのだ。20代〜30代の若い客4人組で、ビールのジョッキを振り回しながら大声で盛り上がっている。
黙食を、と呼びかけている外食チェーンで真っ昼間からあり得ない光景だ。店員も何も注意しないところを見ると、これが鶴見の日常なのかもしれない。
席に案内されて、再び目を剥く。すぐ近くでピザを食っている30代の男が、なんとワインのデキャンタをがぶ飲み中なのだ。11時だというのに。
うーむ、これもやっぱり鶴見の日常なのだろう。鶴見では平日の昼間っからファミレスで大勢の人間が酒を飲んでいる。どうしてここが川崎市でなくて横浜市なのだろう。いや、ここは鶴見国と名前を変えるべきではないのか。
などと、例によって人様がよかれと思って暮らしている土地に対して、上から目線でケチを付けるという悪いクセが出てしまった。
オレは反省しつつ、鶴見線に乗るためにJR鶴見駅のホームに立つ。このホームが、これまで実に味わい深い昭和の佇まいなんだよ。これはやはり一度、鶴見線はじっくりと踏破しなくては。
2022.08.03
西友でセゾンカードの割引がなくなって、突然楽天カードに切り替わったのが今年の春。以来、レジでは楽天カードを持ってるかポイントいるかとうるさい。楽天カードなんて誰が使うと思いつつ、使う人もいるだろうなあと反省しながら店を出る今日この頃であった。
それはともかく、甥っ子が遊びに来た。
住んでいるのは北海道の北見というところで、あのボートが転覆して大騒ぎになったあたりの近く。仕事の出張で関東に来たから「お酒でもおごって」と言ってきたので、だったらウチに泊まれよという流れだ。
大学受験で泊まりにきて以来だから9年ぶりか。ずいぶんと久しぶりだ。
けっこう立派になってしまって。オレは嬉しい。
とてもいい笑顔をする甥っ子で、お母さんがことのほか可愛がっていたっけなあ。
「いやあ、オレには東京は無理だ、人が多いし暑い」とニコニコ笑いながら話す。北海道もいいけれど、新潟にも帰ってやれよ。できればお母さんと一緒に暮らしてやれよ。
オレは自分のことを差し置いて、そんな話をするのだった。
以前、この甥っ子が中学生だった頃、「魚せい」で刺身を食べながら満面の笑顔で「オレはお父さんが好きだから早く親孝行してあげたいんだよ」と楽しそうに話していたのを思い出す。
2022.08.02
第六だか第七だか、コロナが復活したせいもあってか外出を控える人も多いようだ(猛暑のせいもある。今日も39度!コロナかよ)。
それでも通勤時間帯の電車はやっぱり混んでいる。学生は夏休みだが、社会人は働かなくてはならないのだ(猛暑でも仕事は待ってくれない)。
そんな中で最近、ちょっとした異変が話題になっている。
石神井公園7時12分発の急行が激混みだというのだ。
いや、もともと急行は激混みである。今に限ったことではないだろう。
ところが最近になって明らかに乗客が増えたというのだ。いったいどういうことだ。7時12分の電車は特別に涼しいとでもいうのか。
違った。ポイントサービスのせいで、それまで7時22分の快速に乗っていた客が、一本早い7時12分にシフトしたというのだ。どういうことだ。
調べてみたら、どうやら西武鉄道のポイントサービスが原因らしい。
ポイントサービスとは電車に乗るたびにポイントが溜まってオトクに買い物ができちゃうというようなサービスだ。これに「混雑緩和のオフピークを組み合わせたらいいんじゃね?」と西武鉄道の賢い人が思いついたようで、指定の時間帯の電車に乗ればポイント倍増というような感じになったらしいのだ。
そしてこの時間というのが7時15分より前なのである。
つまり22分に乗っていた客が1本前の12分に乗ればポイント倍増で大儲けというので、雪崩を打って7時12分発の急行に乗り込んできたというわけだ。
ほほう、なるほど。そんな地殻変動にも似た民族大移動が起きていたとは。
息子によれば「実質的なダイナミックプライシングじゃね?」とのことであった。
だがしかし。本当にそんなポイントごときのために早起きして激混みの電車に乗り込む気になるだろうか。ちょっと考えにくい。
やはりこれはなにか別の理由があるに違いない。そう睨んだオレは、真実を探るべく、あえて激混みの7時12分発の急行に乗り込んだ次第である。
そして発見した。別に混んでないんじゃね? 人と体が触れ合うことはないし、文庫本だって無理なく広げられる。
どうやら7時12分の急行は混んでいるというネタ自体が、ガセだったようだ。これはきっと7時12分に乗っている客が、これ以上客が増えたらたまらんと考えて流したネタではないか。しょうもない話である。
そもそも西武鉄道はこんなポイントサービスなんかに知恵を使わず、もうちょっと便利なダイヤづくりに知恵を使うべきである。春のダイヤ改正後、不便でしょうがないわ。
2022.08.01
先日この日記を通じてオレが問題提起した「仕事の昼メシ代はいったい誰が払うのか」については、既に論点化の段階を過ぎて啓蒙のレベルに入ったらしい。そのことを実感したのは、今日、コマちゃんが「日記に書かれていたし、ボクが払います」と言ってくれたからである。
店はバーミヤンだ。やっすい中華である。だが旨い。コスパ最高である。
せっかくおごってくれた相手に向かって、コスパ最高などと言うのは下劣そのものであることを自覚しつつ、今度はバーミヤン飲みでもおごってもらいたいと伝える。
コマちゃんは言う。
「きのう。ももクロ行ってきましたよ」
もちろん、大人が自分の時間をカネを使ってどこで何をしようが、それは本人の自由である。勝手である。だからオレも、ふうーんという見下すにとどめたのである。
話はそれをきっかけに他のアイドルへと広がり、エビ中やBiSH、Perfumeなどといった専門用語が飛び交った。やっすいバーミヤンにふさわしいやっすい話題である。
もちろんオレは大人だから、そんな話題でもちゃんと乗っかって話を合わせる。そうだねー、Perfumeもばばあになったよねー、ももクロだってごにょごにょ。
なにしろ暑い。信じられないほど暑い。
だから冷房のガンガン効いたバーミヤンはありがたく、ついでに話も冷やしたくなる。
ここは下石神井。
コマちゃんは石神井公園の駅前を見て「あれー、イメージが違いますね、鷺宮とか、そんな西武新宿を想像してました」と失礼なことを口走った。黙れ、シャラップ。西武新宿なんて田舎と一緒にするな。
だが5分も走るとそこに広がるのは西武新宿の駅前と変わらぬ無秩序で統一感のまったくない低層住宅群。まるで張りぼての駅舎を見せられたような印象だ。
そんな中にあったのがバーミヤン。
バーミヤン、ごちそうさまでした。美味しかったです。
明日はジョナサンでお願いしますね。
コマちゃんは、「暑さで気でも違ったか」という目でオレを見るのであった。
2022.07.31
障がい者の乗ったバスで乗客を威嚇するなど犯罪行為すれすれ、人間として終わっている行動が問題になっているレッズサポが、今度はスタジアムにJリーグを批判する横断幕を何枚も掲げて騒ぎを拡大させている。
横断幕には
「百年構想?30年目でオワコン興行」
「悉く世界基準に逆行するリーグからは熱狂も客も消えていく30年目」
「フットボールに情熱を戻す決断は誰の責務?PRIDEを奪われたサポーターを無視して忖度を続けた結果、失ったものは何?」
などと書かれていたらしい。
オレたちは悪くない。悪いのはJリーグだ。
そんな内容ばかりのようだ。
驚いたのは、これが球団容認の上で掲出されたことである。
あの手の横断幕は事前に球団がチェックして、例えば公序良俗に反するものや特定の選手を攻撃するものなどには許可を出さない。ということは、今回のは球団が許可したもの、要するにその内容は妥当であると認めたものが出てしまったというわけだ。
あらま、ということは球団もJリーグはオワコンという認識なのね。こりゃたまげた。
もはやレッズサポ対全チームサポという構図が定着しただけでなく、浦和レッドダイヤモンズ株式会社対公益社団法人日本プロサッカーリーグという図式にな
りつつある。
とことんアホだなあ。
松本や徳島のサポもアホだけど、単なるアホで済まされる。だが浦和のサポはアホな上に凶暴だから始末に悪い。
要するに反社みたいなものだ。他人の家に勝手にクルマを停めたり敷地に火のついた煙草を投げ込んだりという行動は、完全に反社だしな。
多くの意見と同様、オレも半分くらいはもうあのチームは解散させてよいのではと思っている。でなきゃレッズなんてJリーグから抜けて、新リーグでもつくればいいんだよ。
2022.07.30
確かに宮市亮は気の毒だ。だからといって選手全員が宮市へのメッセージ入りのシャツを着てピッチに立って、感動お涙物語にするってのはどうにもこうにも。
そもそも宮市は昔から絶対に怪我をすると言われるプレースタイルで、実際に怪我を繰り返したにもかかわらずそのプレースタイルを改めようともしなかったんだし。30才近くの今になってさえ、まずスピードが一番の売り物というのもどうかと。
などとマリノスサポーターがいたらぶん殴られそうになるようなことを口走って、オレは長崎戦を見たわけだ。
今日もさえないなあ、アルビレックス。
ゲームを圧倒しながらちょっとしたミスで簡単に失点するし、毎度毎度のあの軽さは何なんだ。
まあよい。しょせん娯楽、しょせんエンタメ。サッカー如きに熱くなっていてはいかん。
というわけでオレは現実から目を背けて麻から一心不乱にキーボードを叩き続ける。いったいどれだけ文字を書いたというのだ。
週末には何の予定もなくてだらだらとAmazonPrimeを眺めて過ごすのが好きのだ、オレは。
いや、待て。仕事があるありがたさを忘れてはならないぞ。罰が当たる。
などとしょうもないことを考えながら、無駄に日記を埋めるのだった。
2022.07.29
連日、とにかく暑いしか出てこない。
今日はというと、麹町で朝からインタビュー仕事だ。
あまりに暑いので終わったらビールでもと思ったが、それよりもとにかく風呂に入って汗を流したいという気持ちの方が強く、とっとと帰って風呂に飛び込んだのだった。
あんまり暑いと日記に書くこともなくなるのだ。
仕方ないので、ご存じ浦和レッズの騒動について触れてみよう。
今日突然、清水エスパルスがぶち切れて公式サイトで浦和レッズのサポの悪行の数々を明かしていた。
今さらながらレッズサポは酷い。
・進入禁止の制止も聞かずに車でスタジアム内に突入する
・民家の敷地に勝手に駐車する
・負けた腹いせに民家に火のついた煙草を投げ込んだり、車に10円玉で傷を付けたりする
・選手に罵声を浴びせ威嚇する
・スタジアムと駅を往復する障がい者用の福祉バスに乗り込んで罵声を浴びせる
ほとんど刑事事件だ。他にも多々ある。
障がい者用バスでの罵声なんて、もはや人として終わっている酷さだ。もちろんそんなことで反省なんかするわけはなく「サポーターが騒いだのだから責任はJリーグにある」とか「誰が悪いなんて言ったら憎しみしか生まれない」とか、まさしく劣頭と笑われるにふさわしいバカっぷりだ。
昔からこんなにも酷いのにたいしておとがめもないのは、観客動員数に目が曇って、注意すべきJリーグの腰が引けているという説がある。レッズもレッズで、大人が経営しているとは思えないほど酷い球団だ。
もちろん本当に酷いのは一部のサポで、多くのサポーターは常識的で穏やかだ。だからレッズは、サポーター内部でも対立が酷く、ホームのメインスタンドでさえ殺伐としている。なにしろサポーター上層部が一般のサポーター相手にTシャツを売りつけるなどの商売をしているから、苦々しく思われて当然だ。
そんな状態がまったく改善されないのは少しも自浄作用が働かないことの証拠であって、その責任はすべて球団にあるのだ。
この騒動は、これからきっと拡大していくに違いない。
2022.07.28
今週は連日、朝から大手町で仕事だ。
大手町の素晴らしいところは、地下鉄の駅から直結という点である。朝、現場に入ってしまえばランチタイムも含めて一度も外に出ないで済む。だからオレの場合、地元の駅まで息子の車で送ってもらえば、土砂降りの日でも傘なしで1日を過ごせるわけだ。
逆に言えば息子の車の送迎がなければトホホな状態になってしまうわけで、今日がまさにそれ。行きも帰りも駅まで徒歩17分。炎天下は過ぎた夕方でもアスファルトの灼熱地獄だから、帰ってきたらもうぐったりなのだった。
当然風呂に直行してさっぱりして、あとはお約束のビール。
まあそれはともかく。
今日は仕事でJリーグ某チームに絡んでいる人にインタビューした。サッカーがらみの仕事をしている人はだいたいがそうなのだが、完全に仕事と趣味がボーダレスになってしまっている。仕事と考えたらこれほど割の合わないことはないのに、仕事以上の熱心さで嬉々として打ち込んでいる。
それでもちゃんと高い給料をもらえるのは、他の事業でしっかりと利益を出しているからであって、その中で好きなことに夢中で打ち込めるのは幸せなことだと思う。
大野和成は元気でやってますかなどと話しながらインタビューしたわけだが、そういう相手だからこっちも仕事の垣根をあっさり超えてサポーター同士の情報交換になってしまう。オレもほどほどにおめでたい男だ。
2022.07.27
「ゆず」といえば「栄光の架け橋」である。人気の高い曲だ。だが、いかにも置きに行った曲想はメジャーデビュー曲「夏色」の瑞々しさにはとてもかなうべくもない。
一方の「ゆづ」といえば、先日引退したスケート選手である。その特番の視聴率が爆死したことで、熱狂的ファンと同様にアンチも相当数いることが改めて明らかになった。彼を支えているのは熟女、つまりマダムであることがはっきりしたのである。確かにスケートなんて金のかかるものを追っかけるには、経済的にも時間的にも余裕のある層でなければ不可能だ。
そして、オレたちアルビレックス新潟サポーターにとって「ゆず」といえば、これはもう島田譲の一択で決まりなのてある。「ゆず」は島田以外にはいない。
島田は中盤の底、ボランチの選手だ。豊富な運動量と鋭い読みでゲームを組み立てる、実にクレバーないぶし銀の選手である。ときに見せる鋭いミドルシュートも魅力で、先日の岡山戦でも見事なフリーキックを決めてみせた。ホームで島田がゴールすると負けるというジンクスは残念だが。
仲間がゴールを決めたときには、島田は真っ先に駆け寄って天を仰ぎ、のけぞりながら雄叫びを上げる。その咆哮は熱く、オレたちも島田とともに吠えるのである。
だが何よりも魅力なのは、その笑顔だ。島田は端正な顔にこぼれんばかりの笑みを浮かべ、悪質極まりないファールを決めてみせる。そして、狙ってやったに決まってるのに、満面の笑みで「ごめんごめん」と相手に向かって手を差し伸べるのだ。1試合に何度も見られるその様子は、まさにサイコパス。オレたちは、邪気のないその笑顔の下に潜むどす黒い悪意に身を凍らせ、し〜ま〜だ〜と声援を送るのである。
昨年、スポンサーから一年分のマグロを贈られたゲームでMVPになった島田は、目録代わりのマグロの風船をバスの隣の席に座らせ、娘のために頑張ったぜとニヤリと笑った。笑う島田とマグロの風船。そのあまりにシュールな絵柄にオレたちは背筋を凍らせ、島田の恐ろしさを再認識したのであった。
その島田が、きょう、ちょっとネットをざわつかせた。
なんとあのアパホテルの女社長とのツーショット写真が流出してしまったのである。
アパホテルの女社長といえば、あの下品な帽子と独特のルックスで知られた有名人だ。その女社長をころりとたぶらかしてしまったのか。さすがサイコパス島田。「ゆづ」など及ぶべくもないマダムキラーの本領発揮である。
と思ったら、なんのことはない、アパホテルがアルビレックス新潟のスポンサーになったというニュースだった。なーんだ、島田がたぶらかしたんじゃなかったのか。残念。
と胸をなでおろした直後、オレたちは、げげげっと仰天する。なんだって、アパホテルがスポンサーだと??
アパホテルが一号をオープンしたという歴史を持つ金沢市は、な、なんで新潟に、とショックのあまり寝込んでしまったらしい。
なぜ金沢でなくて新潟か。理由ははっきりしている。
アルビレックス新潟のクレージーなサポーターたちは、全国どこのアウエーでも大挙して押しかけ、相手を威圧する。スタジアムの屋台の食い物はすべて食い散らかし、スタジアム周辺のコンビニも空にしてしまう。まるで田畑を食いつぶすイナゴのように、アルビサポの通ったあとはぺんぺん草も生えないと恐れられるゆえんだ。
これに目をつけないアパ女社長であるわけがない。アウエーのゲームのたび、スタジアム近くのアパホテルはアルビサポで埋まってしまうに違いない。東横インやルートホテルズにカネを落とすなんてもってのほか。アパだ。アパを使え。
さすがのビジネスモデルである。
さらに直近では新潟駅近くに1000室以上という巨大なアパホテルがオープン予定だ。ここは関東サポの宿泊に利用されるだろう。
実に素晴らしい目の付け所ではないか。
しかも素晴らしいことにアパ女社長はゴリゴリの極右思想でも有名だ。客室には南京虐殺を否定した本を置いて中国政府を激怒させ、日本の左翼も目を吊り上げて抗議する騒ぎとなった。それを見た右翼は客室の歴史本を「左翼ホイホイ」「虫除け」と呼んで、大喜びだ。
そんな素晴らしいアパホテルがアルビレックスのスポンサーになったのだから、左傾化はなはだしい新潟日報と一悶着あったに違いないにも関わらず、オレたちは大喜びなのである。
右にアパ、左に新潟日報。
これでアルビの両サイドは完璧だ。かかってこいや〜。
2022.07.26
先週は一度も電車に乗らなかった。だが今週は毎日電車に乗る。
しかも早朝7時過ぎの電車だ。いや、7時は早朝とは言わないか。
息子と娘も同じタイミングで大学へ向けて家を出る。だから三人一緒に改札をくぐり、三人一緒電車に乗って、三人で池袋で別れる。
よく親と一緒に朝から電車に乗ってくれるもんだと、子どもたちには感謝する。別れ際のグータッチも嫌がらずにやってくれるのだ。
電車は、一時は混雑が戻ってきたが、コロナの復活とともに、あとは学校の夏休みとともに、また空いてきた。
7時台という一番混雑する時間帯でも、肩が触れ合うことはない。そもそも新聞なんていまどき電車で読む人はいないから、新聞を広げたって平気かどうかはわからないが、本は問題なく広げて読める。雑誌も読んでいる人は見かけない。
雑誌と書いて突然思い出したが、90年代は月曜の朝に「ビッグコミックスピリッツ」を買って木曜には「コミックモーニング」、月に二度は「ビッグコミックオリジナル」を買っていた。そして合間に「週刊文春」「週刊新潮」。まさに雑誌漬けの日々で、雑誌こそがメディアの王者だった。言い過ぎか。
毎日電車に乗るということは毎日でかけて仕事をしているということで、それはつまり要するに取材メモがどんどん溜まっていくことを意味している。
実際このままいくと今週の取材メモは山のように積み上がり、しかも今週はまったく手を付けられない。恐ろしいことである。久々に追い込まれている感覚がある。
今や完全に朝型だから22時を過ぎたらとても原稿は書けないし。今週後半もこの上にさらの取材メモが積み上がっていくわけで、オレはひたすら怯えるのであった。
それにしても、と遠い目をする。
7月の末は、毎年、仲間たちと一泊の合宿を楽しんでいたなあ。伊豆のときは、海を眺めながらの帰り道、高中正義の「伊豆甘夏納豆」を聴きながらとてもいい気分だった。
奥多摩の合宿では、山の朝の澄んだ空気が最高だった。
ああいう楽しみを、仲間たちとはもう持てないのかもしれないなあ。
過去はどんどん遠くへと流れていくのであった。
2022.07.25
夜8時からコマちゃんとオンラインミーティングだ。
以前ならば、この時間だったら「ではメシでも食いながらサクッと打ち合わせを」となったはずだ。間違いない。
そして当然のことながらサクッと終わるわけはなく、延々とバカ話をしながら飲んだわけだ。
それがリモートになったおかげで、移動の時間も省けて交通費も不要、当然飲み代もかからず、いい事づくめだ。これが本当にサクッと終わるというやつである。
ちょっと物足りないという感情は残るものの、なんといい時代になったのだろうと思うのだ。
今は過渡期なので、こういうリモートの働き方と昭和な対面の働き方が混在している。というか、その時々で使わければいい。
おかしかったのは取引先の社長だ。この社長は「コロナなんて関係ねえ、リモートで仕事ができるか、営業は客のところに飛び込んでなんぼだ」と檄を飛ばしていて、社員から「あまりに昭和な」と呆れられている人である。
それはそれでいいのだが、先日突然何も告げずに三週間近くも会社を休んでしまった。
社員たちは「きっとコロナだぜ」とくすくす笑っている。これはちょっとかっこ悪い。ふふ。
リモートミーティングでコマちゃんは、某広告代理店ではAIに原稿を書かせているという情報を教えてくれた。ついにそうなったかと愕然とする。
でもきっと、AIを使うよりはまだオレが書いたほうが安い気がするから、コスパではオレが勝っていると思う。
DTPが登場して写植屋さんが消えて、スマホによってカメラマンが仕事を奪われ、次はライターがAIに退場を迫られることになるのか。それはちょっと嫌な未来だなあ。そんなことにAIを使うのは無駄遣いだから、もっと世の中の役に立つことに使ったほうがいいと思う。
ということはライターの仕事は世の中の役に立っていないということか。だめじゃんねえ。
2022.07.24
長崎に都倉という選手がいる。
決定力が高く、札幌時代は代表に呼ばれてもおかしくないと言われていたフォワードだ。それが流れ流れて今やJ2。決定力はあるかもしれないがとにかくプレーが荒くて汚いものだから、けっこう嫌われている。
この都倉が仙台相手に例の汚いプレー全開で勝利したものだから、おさまらないのが仙台サポ。なんとSNSで戸倉に対して殺害予告をやってしまった。
安倍ちゃんの事件の後にこれは通らない。当たり前だ。侮辱罪も先日厳罰化されたばかりである。そんなこともわからないのが、いかにも仙台サボらしいところだが。
当然これは洒落にならんということで長崎がベガルタ仙台に通告。仰天した仙台は宮城県警に連絡を入れて、とうとう仙台と宮城県警が連盟で事態解明に向けて取り組むと発表する事態になってしまった。
いわゆる警察沙汰である。
仙台サポは馬鹿だなあとみんなに呆れられている。
かと思えば、今度は名古屋だ。選手にコロナが出たので、保健所に相談したら「そちらで判断しいくださいよ、大人なんだし」と言われたことを受けて、「保健所の指導により試合を中止することにしました、相手は川崎だからあんまりやりたくないし、てへっ」と一方的に試合を中止してしまった。
かわいそうなのは、前日から名古屋に乗り込んで盛り上がっていた川崎サポである。新幹線代、ホテル代を散財した後、直前になって「試合中止、てへっ」とやられてしまったわけだ。
ところがこれに怒ったのが名古屋の保健所。「オレたちは中止なんて一言も言ってないぞ」とばらしてしまったのである。要するに名古屋グランパスが川崎と戦いたくないものだから、コロナ感染者数が試合中止の規定数に達していないのにも関わらず、保健所に言われたから試合を中止にしましたと発表してしまったからだ。
これはけっこうな大事である。0-3で名古屋の不戦敗、下手したら過去の勝ち点剥奪の上に罰金という制裁もありえる。
これがなんでなュースになったかというと、地元の中日新聞がすっぱ抜いたからだ。というわけで名古屋サポの間では「中日新聞が悪い」「中日新聞のせいだ」ということになっている。とことん情けない連中である。
という具合に今日もJリーグは香ばしい。常識知らずの連中が引き起こす常識外れの出来事ばかりである。
などとオレたちは上から見下ろして鼻で笑っているわけだが、昨日岡山に負けて、今日は横浜が勝ってしまったのでとうとうアルビレックスは首位陥落だ。とほほ。堂々の二位である。
もちろん二位までは自動昇格圏内だから目標達成には二位でも十分なのだが、本間至恩が抜けてからはっきりと調子を落とし、しかもけが人続出で選手が足りず、監督の采配もちぐはぐなことになっていて、あるのは絶望感だけなのだ。もし次の長崎に負けてしまったら、今シリーズは終戦である。タイミング悪く終戦記念日に原爆記念日もあって、こちらにははっきりと分が悪い。
やれやれ、昨年同様、今年の夏も真っ逆さまに墜落の夏になりそうだ。御巣鷹山の日も近いしなあ。
もっともそんなことを口走ると「黙れ、その口をふさいでやる」と息子に首を絞められる。アルビ原理主義の息子の前では、少しでも悲観的なことを口走ってはならないのだ。
ここはオレも顔を上げよう。また何も決まってないし、何も終わっていない。物語はこれからなのだ。
2022.07.23
運転免許証を取ったのは大学3年生、二十歳の夏だった。
教習場に通うのはかったるいし、別にクルマを運転する必要はないしで、オレは別にどうしても免許を取りたかったわけではないが、父親が「取っておけ」というので従ったまでだった。
今になっても、あのとき取っておかなかったらとても苦労したはずだ。父親の勧めに従ってよかったと思う。まったくもって親のありがたさというのは、後になればなるほどわかるものだ。
以来40数年。途中のブランクはあるものの、ずっと車の運転をしてきて、星の数ほども車庫入れをしてきた。
だが今になっても一度も真っすぐに止められたことはない。いや、一度ぐらいはあるかと思うが、100回止めたら100回斜めに止まっている。
練馬区の外れのコンビニのガラガラの駐車場であっても、スイーッと快適に止められたというのに車体は曲がっているのだ。ほとほと嫌になる。
ここまで曲がり続けると、今ではきっとオレの人間性が曲がっているせいだし、曲がった生き方をしてきたためだとしか思えない。きっとそうに違いない。
そんなふうに曲がった人間性だから、きっと神様もその罰に今日もアルビレックスを負けさせたのであろう。ああ、悔しい。
相手はにっくき岡山。天敵・岡山。ホームで一度も勝ったことのない、嫌な相手だ。
そしていつも岡山戦がそうであるように、今日もひどい誤審続き。PK見逃し、ハンド見逃し、オフサイド見逃し。そもそも決勝点を決めたバイスが、イエロー2枚で退場も妥当だというのに見逃されているのだから、話にならない。
きっと神様がオレに罰を与えるためにレフェリーの姿になって降臨したに違いない。そうとでも思わなければあり得ない誤審続きだ。
腹が立つ。
もっともこんな程度の相手にズルをされたからって負けてしまうようでは、昇格なんておぼつかないのも事実。2失点目は、何回繰り返せば気が済むんだというぐらいのいつもの失点パターンだし、途中交代する選手の格落ち感といったらハンパないし、先制された時点でこりゃ今日もダメだなと覚悟したわ。
これでまた一週間、イヤーな気持ちで過ごさなくてはならない。
来週はオレ、めちゃくちゃハードで、それでなくても今から気が滅入っているのだ。だからこそ岡山ごときをあっさり蹴散らして意気揚々と一週間を始めたかったのだがなあ。
あまりの悔しさに意気消沈し、家族で隣町のバーミヤンにメシを食いに行く。バーミヤンでは猫型の配膳ロボットが食事を届けてくれる。人間より猫型ロボットの方が多いくらいだ。
相変わらずバーミヤンは安い。だが、味では餃子の満州のほうが上だな。今度は満州で飲んで憂さを晴らしたいものだ。
2022.07.22
今週は一度も電車に乗らずに済んだ。
あんまり忙しくなかったことに加え、インタビューやミーティングもすべてオンラインで済ませられたからだ。楽ちんである。
昔から電車に乗るのはあまり好きではなく、年齢を重ねた今はますます疲れるようになった。体幹が弱いからすぐによろけるようになったし。
だがこうして電車に乗らない生活を続けていると、なんだか世の中から取り残されているような、引退してしまったかのような気分になる。その感覚自体が古いのだろうが。
もっとも来週は毎日早朝から電車に乗って都内を駆けずり回らなくてはならない。おあいこだ。
暑そうだし。雨だったら嫌だけど、暑いのも嫌だし。
今日もオンラインでのインタビューを3つほど片付けて、午後、駅前のタリーズへ行ってコーヒーを飲みながら仕事の整理をした。原稿を書く前の構成づくりである。
その後、書店に立ち寄ってのんびりと文庫本コーナーをうろつく。
こういう時間はとても気持ちよかった。やっぱり電車に乗らないのはいいなあ。
「偽りの捜査線」アンソロジー・文春文庫。
特に読みたい本もなく、時間つぶしにと手に入れる。警察小説の書き下ろし短編を集めたものだ。警察小説は面白いのだが、書き手が多すぎて玉石混交なのがどうにもこうにも。これも7人の作家が書いていて、それなりに面白かったのは半分程度。長岡弘樹には期待していたのだが、凝り過ぎ、ぶち込みすぎで、策に溺れた感じがする。警察小説はやっぱり横山秀夫、今野敏の一部、榎本憲男、佐々木譲あたりだな。
2022.07.21
知ってる会社の知らないヤツから電話が来た。よくある話だ。
知ってる会社といっても、仕事をしたことはないから、実際はほとんど知らないのだが。
それでも新しい仕事になるかもと考えて、いま忙しいからあんまり請けたくないんだがなあと思いつつ、話をする。
だがどうにも噛み合わない。
そこでハッと気がつく。こいつはオレのことを客だと思ってしゃべってるじゃないか。
オレは仕事がもらえるかもと思って相手をしていたのに、こいつはオレに仕事をくれと言ってるのだ。そりゃ噛み合わないわ。
どうせ転職する先輩から名刺をごそっと引き継いで、その名刺の束からオレの1枚が何かはずみで見込み客のほうに紛れ込んでしまい、そしてテレアポ営業中にオレにかけてしまったのだろう。
違うよ違うよオレは客じゃないよ。
やっしヤツも自分の勘違いに気づいたようで、大慌てで恥ずかしそうに電話を切った。とても心温まるほのぼのとしたエピソードである。
そんなことはともかく「ラブラブあいしてる」の特番で、吉田拓郎が最後のテレビ出演というので見てみたが、案外つまらなかった。
明石家さんまとか、あいみょんとか、要らないだろう。その分、演奏してほしかった。と思ったが、バックバンドもたいしたことがなくて、けっこうしょぼかった。
吉田拓郎もしょぼいしなあ。もうニーズはないなあ。
これなら過去の名場面だけを総集編として見せてくれた方がよっぽどよかった。
そうか、だからテレビはYouTubeに負けるんだ。
というわけでYouTubeで「LOVE LOVE あいしてる」の過去の番組を見る。伝説の森高千里がドラムを叩いた回だ。
バックが豪華だねえ。高中正義に吉田健、アルフィーの坂崎、武部聡志、コーラスには中西圭三もいる。こんなミュージシャンたちが森高のドラムに合わせてニコニコと楽しそうに演奏している。高中なんて歌まで歌ってるぞ。
このメンバーの「我が良き友よ」を聞く。この歌、最初は高校時代に聞いた。友人のタダシが「すげえいい歌が出たぞ」と教えてくれたのだが、そのときはあんまりピンとこなかった。
だが今聞いてみて、改めていい歌だなあと染みた。
サビで「あーあ、友よ良き友よ」とのところで唯一のメジャーコードをぶち込んできて、その瞬間の広がりがとても心地よくて、こういうところが拓郎の天才ぶりなんだなあと感心した。
それにしても森高千里のドラムはかっこよかった。ダダダダダダというフィルインを聞くだけで一発で森高とわかるくらい。
これだけの豪華なミュージシャンに交じってリズムを支えるのだから明らかに森高千里が一枚格落ちなのだが、そんなことに臆せず、この機会を精一杯に楽しんでやろうと一生懸命にプレーしている。サンジェルマンのサッカーの話じゃないけど、一生懸命そして全力で楽しんでいる姿というのは、楽器演奏でも人の心を打つのだ。
2022.07.20
東日本大震災の頃に改名してから、紅白歌合戦に初出場するまでの数年間、ももいろクローバーはとてもよかった。今でもあの頃のライブDVDは素晴らしい。
歌は下手だし、ダンスだってたいしたことない。だがまさに全力少女となって真剣に取り組むから、うまい下手を超越した感動を与えてくれる。幼稚園児や小学生の全力疾走が感動を呼ぶのと同じだ。
何の話かというと、パリサンジェルマン対川崎フロンターレの営業ゲームだ。
サッカーに興味のない人には説明するのが難しい試合だ。「これはJリーグですか」と聞かれたら明確にノーなのだが、「では何なんですか」と返されたら、えーと興業ですと答えるしかない。
パリサンジェルマンが新しいシーズンを前にして練習試合をやることになって、それなら日本旅行を楽しみながら金儲けもしようかということで企画されたイベントだ。Jリーグの真っ最中、東アジア選手権の真っ最中にのこのこやってこられてこんな興業を打たれるのだから、日本サッカーはフランスの犬かよ。
情けないわ。
チケットの最高額は100万円。目玉が飛び出たわ。もっとも20人で100万円の特別室のような席らしいから、企業が取引先の偉い人や銀座のお姉ちゃんなんかを呼んで接待用に使うとしたら、そんなにべらぼうではない。
脂ぎったオッサンが「ボクは君のメッシ使いになりたいでちゅ」とか「ボクは元気がネイマール」とか、滑りまくって、乾いた空気で貴賓室を満たしているかと思えば、エムバペだって悪い気はしないだろう。オレは何を書いているんだ。
旅行のついでに練習で汗を流すわけだし、シーズン前に怪我もしたくないから、サンジェルマンは基本的に適当である。歩いてみせるだけで「おお、メッシが動いた」と客席だどよめくものだから、すべてが適当である。別にこんな試合に勝っても仕方ないし。
そんなわけでオレたちはまったく走らないサッカーというものを見せられた。
なんだ、この試合は。
川崎の家永あたりが目を三角にて「なめんじゃねえ」とばかりにがむしゃらになっても、まったく走らない。さすがに控え選手が出てきた後半は、シーズン前の格好のアピールということで走るようになったが、もういいやと思ってオレはテレビを消した。
普段J2で秋田とか水戸とか琉球とか、後先考えずに「オレたちにはこれしかできないんじゃあ」と全力で走り回るサッカーを見慣れている身としては、実につまらないサッカーで、退屈だった。ちっとも心が躍らない。
さすがなのは日経新聞で、サンジェルマンのサッカーを「眼福」と表現していた。
なるほど、眼福。うまいことを言うもんだ。ありがたやありがたや。頭を垂れてありがたがればいいわけで、確かにその通りだな。
こんな眼福サッカーが、浦和、ガンバとあと2試合もあって、サンジェルマンの選手たちはがっぽり稼ぎ、そして「もう日本にはお土産に買いたくなるようなものは何もねえな」と飽き飽きした表情で帰っていくのだろう。
そんなことよりオレは、清水に移籍の決まりそうな乾が権田とメンヘラ対決とばかりに衝突することや、鹿島に戻りそうな昌子が鈴木優馬とヤンキー対決することのほうが楽しみである。
「ツナグ2」辻村深月・新潮文庫。死者と一度だけの面談をセットしてくれるのが「ツナグ」と呼ばれる使者。シリーズの2作目だ。辻村深月はうまい作家ではあるものの、基本的に暗い作風の人で、そのあたりが少し苦手。このシリーズは主人公の使者がとても魅力の薄い人間なので感情移入しづらい。次はもういいかなあ。
2022.07.19
期末試験が近いからと家で勉強していた息子を伴って、近所のコメダ珈琲に行く。オレも終日原稿を書き続け、一段落ついたので書いたばかりの原稿を読み返そうと思ってコメダに行くことにしたのだ。
自分の原稿を読み返すときは必ずプリントアウトしてからでなければならない。第三者的に見なくてはならないからだ。できれば一日おくといい。今日は場所を変えて読み返すことにしたわけである。
コメダ珈琲で息子と向き合いながら、一言も交わさずそれぞれの作業に没頭する。
終わって家に帰ったら、なでしこジャパンがゲームをしていた。E1カップで相手は韓国だ。
もう知らない選手ばかりだなあ。菅沢ぐらいだな、知ってるのは。
韓国相手に2-1で勝って、ますずはよかった。
夜は、今度は男子である。相手は香港だ。
いやあ、驚いたなあ、香港の弱さに。
開始2分、相馬のフリーキックが決まる。あまりのことにびっくりする。
なんだキーパーの立ち位置は。あそこ空けておいて触れないのか。
日経新聞が論評していたように、香港のキーパーが鈴木ザイオンだったら簡単にキャッチしていただろう。いや、アルビレックスのセカンドキーパー、阿部ちゃんでもあっさりキャッチしてたわ、あんなフリーキック。
こうした案配でとにかく香港が酷かったが、まあ、FIFAランキングが100何十位というチームだから、それも仕方ないだろう。
まったくこんな大会に出場してなんの意味があるというのだ。それなら、今ドサ回りで来日しているパリサンジェルマンに頭を下げて、練習試合の相手をさせてもらったほうがよほどためになるわ。
そう考えると、川崎から呼ばれた谷口や脇坂はお気の毒。ネイマール、メッシ、エムバペとゲームできる機会を奪われて香港の相手をさせられたのだから、本気で同情するわ。
なお香港にいたもと日本人の17歳、市川くんというのはちょっと面白いね。Jリーグのどこかが声をかけないかな。イケメンで若いから人気が出るぞ。
2022.07.18
先日、霞が関の官僚を辞めて民間のコンサルティング会社に転職した人に会った。辞めた理由を聞いたら「あまりにブラックだったから」というものだった。
「なにしろ20時に帰ると早退なんですから」と聞き、オレもひゃーっと驚いた。
だが待てよ、と思い直す。オレたちもかつてはそうでなかったか。
20代後半、例のポンコツ会社で働いていた当時、定時は22時だった。定時というのは就業規則でそう定められていたというのではなくて、だいたいそれぐらいまでみんな働いていたということだ。そもそも就業規則なんて誰も知らなかったし。
もちろん残業手当なんてつかない貧乏会社である。文句があるなら辞めろ、労基に駆け込むなら勝手にしろというのが当たり前のスタンス。当時はそんな会社ばかりだった。
仕事が立て込んでさすがにヤバいのではないかとなったとき、経理のばばあが得意げに買ってきたのは、人数分の寝袋だった。営業の女子・23歳の分の寝袋もあった。
「野獣どもに交じって、床に転がって寝ろって言うんですか!」と女子が激怒したのは当然である。ばばあは「そうだけど」と平然としていた。
夜9時に客先へ打ち合わせに出向き、終わったら深夜3時。そのままタクシーで会社に戻って朝まで作業したなんていうこともあった。
一番ひどかったのは、3連続で徹夜したときだった。最終日はさすがに2時間ほど寝たのだが、最後には幻聴が聞こえた。オレにもお迎えが来たのかと、一瞬びびったっけ。
フリーになった直後も、月曜日に事務所に出勤して日曜日に帰るなんてことが当たり前だった。独身だったこともあったし、通勤なんて面倒くさかったしなあ。
ともかくバブル前後の広告業界はそんな具合に異常だった。
客は経費を使い切れず、とうとうオレたち下請けにまで接待する始末。「予算を使わないと怒られるんだよ、付き合え」と言われ、オレは行きたくないもない六本木のクラブに連れ込まれて、そしてケバい姉ちゃんたち相手にヘネシーの水割りを飲んだのだった。カネを使わないのはバカ、使うのが偉いという、おしかな風潮だったなあ。
現場では「まさか昨日寝てないよね」という挨拶が冗談半分に交わされていた。つまり半分は本気。
業界誌ではどこかの社長が堂々と「寝るのは死んでるのと一緒」と話していた。
もっともあの当時、22時が定時なんていうのは広告業界に限らず、どこでもあった。ITも物流も酷いものだった。
それでも基本的に喜々として働いていたのはバブルの高揚感か、ワーキングハイか、昭和の価値観を引きずっていたからか。
今ではとても考えられないことだよなあ。ずいぶんと時代は変わってしまったということだ。
とはいえ、振り返ってみれば20代のうちにああいう異常なハードさを経験したから、たいていのことにはびびらなくなったというのは確かにある。どんなに忙しくたって、3連続徹夜するほどじゃないだろうし、たぶん乗り越えられると思えるからだ。終わらない仕事はないのだ。
そう思えば若いうちに修羅場を経験することには、それなりの意味があるということだ。
だから今の若い連中にも、と話を広げようとするのが老害の老害たるゆえんで、そんな昭和の価値観を押しつけちゃダメなのだ。オレも自戒しなくてはなあと思う。
2022.07.17
30代から40代の頃、仕事仲間の酒の席では、いったいオレたちはいくつになるまで働けるだろうという話題がよく出た。フリーだから定年こそないものの、そもそも年を取っても仕事がもらえるのかと。
そんなときはだいたい、高齢化社会だから老人向けの仕事がもらえるんじゃね、という楽観的なオチがついて話が終わっていた。
いまオレは60代も半ばに差しかかろうとしているが、50代の終わりから始まったのがある葬儀会社のPR誌の仕事だ。高齢者向けといえば高齢者向けの仕事には間違いない。少なくとも若い頃は葬儀会社の仕事なんて請けられなかったから、あの頃の楽観的な観測も外れではなかったのだろう。まったく人生というのは、高望みせず、地道にコツコツやっていれば何とか前へ進めるものだ。
そんなわけで葬儀会社の仕事をしていると、例えば老人ホーム(読者の大半が施設の入居者)などにはよく足を運んで話を聞く。だが墓地には今までいったことがなかった。だからよく耳にする樹木葬というものがどういうお墓なのか、いまいちピンときてなかった。
それが今日、仕事ではなくてプライベートの用件で樹木葬の墓地に足を運び、なるほどこういうものかと深く納得した次第である。
庭に置かれた週刊誌大のプレートに名前が彫ってあって、それがお墓。周囲はきれいな木々に覆われている。これは簡単でいいというか、重くないというか。確かにこれはアリだなと感心した。
そこでオレは、一緒に行った息子に頼む。
オレは、ビッグスワンを見下ろせる小高い丘の上の樹木葬で頼む。
息子はうんざりした顔で答える。「瓢湖に散骨して白鳥に食わせてやるわ」と。
うぬぬぬ、白鳥の餌になるのは、ちょっと嫌だ。
2022.07.16
アホさにかけてはガンバと双璧をなすセレッソのサポが、今日はダービーということで一層盛り上がり、にっくきガンバに後半45分に決勝点が入って狂喜乱舞。そこまではいいとしてアホなものだから大声で歌ってしまった。おかげで勝ち点剥奪、罰金2000万だと盛り上がっている。
かと思えばこちらはおなじみ浦和サポだ。清水のキーパー権田が試合後に場内一周したところ浦和のサポから大罵声を浴びてしまってぶち切れて、取材陣相手に罰金だ懲戒だと大声でわめき散らした。言ってる内容もその気持ちも100%支持するが、しかしその音声がヒーローインタビュー中のDAZNにすっかり流れてしまい、これまた大変な盛り上がりだ。
そんな具合に今日もJリーグはかぐわしいが、やはり正義は勝つ。アルビレックスは今日も勝つ。金沢相手に3-0の大勝利だ。
本間至恩が抜けた後も、堅実な試合ぶりである。
2点目のPKは確かに明らかな誤審だが、あれは前半にあった伊藤へのペナ内でのファールを見逃したのと合わせ技。帳尻あわせだ。
そんなPKがなくても、金沢のサポ自身が認めている。次元が違う、勝負にならなかったと。
ふふふ。相手の監督のヤンツーは、既に選手に怒鳴り散らした後だからだろう、インタビューでは妙にサバサバしていたのがおかしかった。激怒しまくりだと思ったのだがな。
これでアルビレックスはしっかりと首位をキープ。落ちると思った仙台がなかなかしぶとくて目障りである。とっとと負けてもらいたい。
とはいえ、こちらは次節から本当の天王山。岡山・長崎・徳島の3連戦である。
ここを最低でも勝ち点4、つまり1勝1敗1分けで抜けられれば、あるいは3連戦終了時で首位をキープできていれば、いよいよ首位・自動昇格が現実味を帯びてくる。だがこの3連戦の相手は強豪であり、難敵だ。簡単に勝ているとは思わない。
だからまずは初戦の岡山を下して、そして残りの2試合を引き分け上等の状態に持ち込みたいものだ。
全国各地でアホなサポが暴れる中、オレたちは正々堂々、胸を張って応援するのだ。アルービレックス!
2022.07.15
ときどき、ふとした拍子に三浦しをんが読みたくなる。
一番好きな「木暮荘物語」は電子書籍としてダウンロードしているから、いつでもスマホで読める。今日も家で焼酎の炭酸割りを飲んでいて突然三浦しをんが読みたくなったので、スマホで「木暮荘物語」を読んだ。
読んだといっても数ページだけ、三浦しをんの文章を味わうだけで十分だ。とても心地いい。
昔は、といっても独身時代だから20年以上前のことだが、居酒屋で1人で飲みながらよく文庫本を読んだものだった。ミステリーが多かった。
とても気分よく読めるのだが、だいたいは翌日になると内容をすっかり忘れていて、損した気分になったものだった。あれでも読書と言えるのだろうか。まあ、言えるのだろう。
ミステリーといえば最近は新世代の作家が続々と出てきているようで、なかなか頼もしい。
オレがリアルタイムに読んでいた綾辻行人や法月林太郎あたりが今や重鎮のレジェンドなのだから、時の流れは速いものだ。
ただ年を重ねるとともに人が死ぬ話はなかなか読めなくなってきて、ミステリーにも手が伸びない。うんざりするような悲惨な話もそうだ。やっぱりワクワクするような話、心が温まる話がいい。
かといって重松清的な世界は鼻につくし。
死ぬまでにあと何冊本が読めるかなあ。読み残してきた名著も多く、ためらうことなくページを開かなくては。
2022.07.14
仕事の上でのオレの師匠といえば、コピーライターの鈴木康之さんとSPプランナーの坂井田稲之さんの2人だ。
鈴木さんは直接会ったこともない。彼の書いた『名作コピー読本』という著作がオレにとってのバイブルであるという話だ。つまり鈴木さんはキリストみたいなものか。
大学を卒業してなんの知識もスキルもないまま、ポンコツ制作会社に拾われたオレに対して、ポンコツ制作会社の先輩や上司はポンコツだったため、何も教えることができなかった。今思ってもひどい会社だった。
このままではオレもポンコツで終わってしまうと、薄らボケた頭で薄ぼんやりとした危機感を抱いた社会人1年生のオレは、発刊されたばかりの『名作コピー読本』に飛びつき、それこそ聖書のようにむさぼり読んだのである。聖書がむさぼり読むものであるかどうかはわからないが。
当時はコピーライターブームだったので類書は書店の平台に山のように積まれていたが(言い過ぎだけど)、『名作コピー読本』は派手なキャッチコピーではなく地味なボディコピーの書き方に焦点を当てたところが違っていた。
この本で教わった最も大切なことは、コピーライターはサービス業だということである。
広告なんて余計なもの、邪魔なものだから、それを読んでいただくには、タダなのに読んだら面白かった、儲かったなと思わせなきゃダメだということである。簡単に言えば顧客志向を徹底的に貫けということだな。常に読み手のことを意識して書くという習慣は、この本から学んだ。
『名作コピー読本』は何度も繰り返して読んだ。ボロボロになり、書き込みで真っ赤になった。今もそれはオレの机の上にあり、オレにいろんなことを教えてくれている。こうなるとバイブルというより仏壇に置かれた般若心経である。
師匠とは言え、その著作から教わっただけだから、鈴木さんには一度も会ったことがない。この1冊のおかげでどうにかこうにかここまでコピーライターとして食べてこられたと本気で思っているので、一度直接ご本人に会ってお礼を言いたいのだが、手立てが思いつかない。ネットで調べたらご存命のようではあるが。
それに対してもう1人の坂井田さんには、直接の対面で教えを請うた。20代の後半、そろそろキャリアの行く末を考え始める頃だった。
坂井田さんは宣伝会議でSPプランナー養成講座を開いていて、オレはポンコツ会社の社長と経理のばばあを言いくるめて研修用との名目で受講料をふんだくり、1年間のその講座に参加したのである。会社のためではない。オレのキャリアのためだ。こんなポンコツ会社からはふんだくれるだけふんだくってやれと思っていたので、ちっとも心は痛まなかった。
講座では、SPプランニングという名のマーケティングを教わった。その全てが目から鱗が落ちるほどの内容だった。今思えばマーケティングの教科書的な基礎だったが、何も知らないオレには実に新鮮で感動的だった。
例えば「マーケティングはロジックであって、クリエイティブではない」という指摘は新鮮だったし「でも最終的に決定づけるのは才能と若さである」という言葉には衝撃を受けた。
そんな坂井田語録の一つに「売れなかったときの理由ははっきりしているが、売れたときの理由はよくわからない」というものがあった。よって「負けたときの責任者ははっきりしているが、勝ったときの担当者は山ほどいる」とも教わった。
新商品が失敗すると、なぜ売れなかったかという理由は比較的簡単にわかる。しかし成功すると、売れた理由というのが山ほど出てきて、「オレの手柄だ」と自慢するヤツも山ほどいるというわけだ。なるほどなあと思ったが、これは要するに、ヒットを生むための方程式などないんだよという身も蓋もない結論につながる。
なぜこんなことを書いているかというと、今日、ある人と渋谷で飲んで、クリエイティブはどこまでが手柄なのかという話になったからである。
場所は渋谷。井の頭線の改札を降りた地上、いまどき風にいえば「マーク下」で待ち合わせて、ではそのあたりの焼き鳥屋でもということになって、昔からある店の二人がけテーブルで向き合ってビールを飲んだのだ。
リクルーティング関係の制作物のディレクターである彼は「最終的によい人材の採用に結びつくことが大切であって、途中のプロセスは関係ない。いいモノを作ることが最も重要だ」という。
それに対してオレは、いい制作物ができたからいい人材が採れるなんてというのは作り手の思い上がりだ、そこはわきまえるべきだと反論する。
そして、せいぜい制作物が酷かったからいい人材が採れなかったと言われないようにするのが精一杯だと付け加える。
まあ酒を飲みながらのどうでもいい与太話なのだが、そんなことをいいながらオレは坂井田さんに教わった「負けたときの理由ははっきりしているが、勝ったときの理由はよくわからない」を思い出したのである。オレは、オレの書いた文章ょ読んだ若者がそれで自分の将来を選択するとは、とても思えないのだ。もしそう思えるとしたら、それは思い上がりだと思うのだ。思う思うと、同じ漢字ばっかり並べているような安いライターだが。
同じフィールドで仕事をしていてるのに考え方は様々だなあと改めて思った次第である。
しとしとと嫌な雨が続く井の頭線ホーム脇の路地を、渋谷の若者たちがにぎやかに行き交う。かつてはオレもあの中の一人だったのだなあ。そして、そんなオレをこうして焼き鳥屋のテーブルから眺めていたオヤジたちもいたのだろうなあ。
そんなことを思いながらビールを飲んで、そして地下の通路で別れる。
ちょうど1本違いの電車で帰ってきた息子と駅前で合流し、鬱陶しい雨の中、傘を差して息子と歩いて帰った。
2022.07.13
久しぶりに都心で仕事だ。品川だ。
あれ? 先週はずっと大手町をうろうろしていたから、そんな久しぶりでもないぞ。よく考えたら。まあ、先週の大手町うろうろが記憶の中では遠い昔になってしまったくらい、バタバタしていたということだ。
品川は相変わらず人が多いが、それでもコロナ前には戻っていない。
そうそう、品川といえば山手線のホーム問題だ。先日何も知らないで電車に乗ろうとしたら反対方向の電車が来てしまって大慌て。品川駅の山手線ホームっていつの間にか移動していたのね。
知らなかった。
品川駅の山手線ホームは上りと下りが線が同じホームを分け合うアイランド型だった。港南口の再開発に伴って人口が異常に増えた結果、朝夕などは人があふれかえり、かなり危険だった。その対策としてのホームの移動だったのだろう。ちょっと戸惑ってしまったわ。
品川でインタビュー仕事を終えて帰ると、ぐったりしてしまう。駅までは、今日はオフにしていた息子が車で迎えに来てくれた。いい息子である。
ぐったりしていてもそのまま風呂に入ってビールを飲んで、というわけにはいかない。なぜなら忙しいからだ。
そうである。オレは忙しいのである。
あ、今ちょっとまったく別のことを思い出したので書く。ポメラである。
ポメラとは簡易ワープロ。文章を書く人間に偏愛されているデジタルギアだ。オレも何台も持っていて、よく使っていた。文章を書く以外に何もできず、画面はカラーではなくて、ネットにも繋がらない。本当に文章を書くだけだ。そこがむしろプロっぽくて、多くのライターが偏愛しているわけだ。
だが偏愛していたオレも、今ではChromebookに乗り換えている。クラウドエディターの便利さは手放せず、しかもポメラと左程変わらない値段でノートPCが買えちゃうからだ。
そして最近飛び込んできたのがポメラの最新版がリリースされたというニュース。価格、6万円。
マジですか、6万て。Chromebookの上等なやつが買えちゃうではないですか。
さすがにこれは買えないなあ。AIが搭載されていて自動で文章を書いてくれるとかだったら別だけど、ちょっと賢いワープロ程度だとまったく買う気になれないなあ。
そしてふと思ったのが、AmazonのFireタブレットに外付けボードをつなげば、最高コスパのワープロが完成するのではということだった。これは面白いかもしれない。
Chromebookは便利で重宝しているのだが、なにしろ重い。重すぎる。持ち歩くのが辛い。
Fireタブレットならば、そこまでもないだろう。なかなか魅力的な思いつきではないか。ちょっと物欲が刺激された。
だが問題はオレが貧乏だということである。久々にATMでお金をおろし、画面に表示された残高を見て、思わず腰が砕ける。ここここ、こんなに少ないのかよっ!
忙しくて忙しくて、8月の予定がすでにすべて埋まり、9月も埋まりかけてきたという忙しさなのに、カネがないのはどういうわけだ。宗教に献金でもしたのか、無意識に。
これだけカネがない状態で、しかも大学生二人を抱えていて、Fireタブレットごときにカネを使うわけにはいかないだろう。ここはぐっと我慢なのであった。
と、ここまではいいのだが、今なら半額の5000円でFireタブレットが買えると思ったら、Amazonののセールが昨日で終わりだった。とことん間抜けなオレである。情けない。
2022.07.12
ビジネスの現場では、コロナはもはや風邪である。
「コロナで休みだって」「じゃあ、しょうがないな」という会話は当たり前で、特に身を案じたり感染におびえたりという流れにはならない。
「コロナにかかった?」「いや、まだ」「もうかかっちゃって治っちゃったんじゃないの」「かもね」なんて会話も聞かれる。
これがウィズ・コロナということだろう。
ここのところ感染者がまた増えてきて、完全に第七波だという声も聞かれる。
そこで喜々として駆け上がってきたのがこの人、ご存じ我らの百合子さん。
「緊急に実効性ある対策を取らなくてはならない」と、とても嬉しそうに話していた。
久々のチャンスだからなあ、やる気満々だ。今日にでも緊急事態宣言を出す勢いだ。
いや、いきなりそれでは間が持たない、まずはまん防あたりから始めれば、山場も作れるし、盛り上がるに違いない。
そんな腹づもりがありありと透けて見える。
まったく勘弁しろよな。それが都知事の仕事かよ。
既に娘のサークルが出場予定だった来週のイベントが中止になった。
来月には息子の出場する大会が仙台で、娘の出場するイベントが高知で、それぞれ数日間予定されている。久々に行われる夏のイベントで、息子も娘もこれまで大学生活らしい楽しみがなかったから、実に嬉しそうにその日が来るのを待ち構えている。
中止にするんじゃないぞ、百合子。
今から心配である。
2022.07.11
毎度毎度のサッカー話である。
もちろんほとんどの人がサッカー、しかもJリーグ、しかもJ2なんかにまったく興味がないのは事実である。だから改めてサクッと説明しよう。J2でアルビレックス新潟は現在首位である。このままいけばJ2に自動昇格できる。
だが実はそれが危うい。極めて危うい。
なぜなら本間至恩が海外移籍し、右サイドの三戸俊介が鎖骨骨折で全治3カ月になっちまったからだ。
三戸俊介を知っているのはJリーグ通でもかなりのマニアである。だが先日のU23の日本代表にも選ばれ、ちょびっとだが知名度は上がった。
なかなかのテクニシャンであることに加え、結構強気ですぐにシュートを撃っちゃって決めるあたりはなかなか頼もしい。
だが突然の怪我によってオレたちは本間至恩と三戸俊介を一瞬で失ってしまった。これは飛車角である。
なんで三戸ちゃんが怪我をしたかというと群馬戦での出来事だ。ヘディングのために高くジャンプした三戸ちゃんに群馬のディフェンスが思い切り体をぶつけてきたのである。
空中にある選手の体にぶつかるのは明白な反則でああ。あまりに危険だからだ。それなのにJ2のヘボ審判はイエローカードすら出さなかった。ああもう、J2イヤッ。
160センチちょっとしかない三戸ちゃんは空中で跳ね飛ばされ、肩から地面に落ちて、鎖骨骨折。落ちた瞬間はたいしたことないと思ったのだが、専門家に言わせると、鎖骨骨折の典型的な状況だったらしい。
だからJ1に昇格できなかったから、この群馬のディフェンスが犯人である。元凶である。諸悪の根源である。ひしては群馬全体が日本の敵、日本の犯罪現場である。
本間至恩の移籍は素晴らしいことなのだ。
極東の島国の、しかも2部リーグの地方の貧乏弱小クラブの、トップリーグで一度もプレーしたことがなく、代表にも一度も選ばれたことのない選手が、ヨーロッパのCLに5度も出場した名門クラブに高い移籍金をもらって完全移籍だ。これが快挙でなくて何であろう。
まるで大切に育てた我が家の娘が、なんとアラブの王族に見初められて嫁入りしたようなもんだ。
悔しいが、寂しいが、誇らしく嬉しいのだ。だから、後のことは心配するな、オレたちが何とかする、と笑顔で送り出したわけだ。
その直後の群馬の狼藉である。まったと許しがたい。
飛車格落ちで、この先、どうやって闘うのだ。
暗雲たちこめるどころではない。空は真っ黒、雷が鳴って、土砂降り寸前である。
とほほ。真面目に生きてきたオレたちがどうしてこんなメに遭うのだ。群馬、許すまじ。群馬に天誅を。海もないくせに、群馬なんて何の役にも立たないのだ。
2022.07.10
本間至恩が世界へ旅立った。仲間たちはそれを祝うため、ゴールが決まった瞬間、至恩の決めポーズだったXをやってみせた。感動したねえ。泣かせにきたねえ。
至恩よ、後は任せろといってるようにも見えたし、至恩がいなくなって弱くなったなんて言わせるものかという決意表明にも見えた。
高木善朗のインスタも泣かせに来てるねえ。
10番と33番が肩を組んでいる空いている背中の写真とともに、いつも左側にお前がいたという言葉。これは泣くわ。
などと泣いてばかりいるわけだが、そんな場合ではなかった。今日はあっさり勝って見事に首位奪還である。ふふふ、どんなもんだ。
ついでに選挙も自民圧勝でどんなもんだ。
森ゆうこが落ちて、正義が勝った。世は光に満ちあふれている。
なお最近の日記が短いのは、いろいろと忙しくてドタバタしており、なかなかじっくりと文章を余裕もないからである。
2022.07.09
9年前の昨日、オレたちは幼稚園時代の仲間の娘を一人、失った。医学ではどうにも手の施しようのない難病だった。
以来、毎年この近くになると幼稚園仲間が集まって彼女を偲んでいた。
コロナではしばらくお休みせざるを得なかったのは仕方ない。だが少し落ち着いてきたということで久しぶりにみんなで集まって彼女を偲ぶ会を開くことができた。
場所は、駅前のはなの舞。仲間の息子がアルバイトしているので、ごり押しで激安価格のコースで入れた。ありがたや。
今日は、仕事で不参加の一人をのぞき、ほとんどの仲間が集まった。もちろん子供たちも全員集合である。子どもっていっても全員が成人で明日は選挙に行く。
大人になっても昔の面影は完璧に残っていて、それが昔のように楽しくしゃべっている姿を見ていると、感慨深い。
幼稚園時代の家族ぐるみの付き合いが今も続いているのは、やはり珍しいことのようだ。地元にこうしたつながりのあるのは、とても幸せなことだと思う。
幼稚園の庭を大きく笑いながら駆け回っていた女の子が茶髪のおねえちゃんになって、オレたちのようなおっさん相手に恋バナをもちかけてくる。しみじみおかしく、楽しく、嬉しいことだ。
2022.07.08
いやもう、ここのところいろいろとありすぎて、もう何が何やら。
まず今日は朝から西武線の架線に飛来物がかかったとかで電車が半日以上も止まってしまって大騒ぎ。バスに切り替える客が続出で、バス停は最後尾がどこかわからないほどの大行列だ。
息子は家でZoomだったのに対し、娘は大学へ行かねばならぬ。パスに乗れとオレは指示したが、娘は自分の判断で自転車に乗って遠くの駅までいき、他の路線に乗ることができたようだ。父親の判断よりよほど正しかったわけだ。オレの面目丸つぶれ。
そういうオレはというと、今日は朝から大手町で仕事だった。予定よりだいぶ早い時間だけど行っちゃおうかなと乗り込んだ電車は7時39分発。飛来物がひっかかって大騒ぎになったのが7時47分。というわけでギリギリにすり抜ける。オレはやっぱり持ってるなあと少し自慢だった。
アポイント相手が遅刻してきたので、もしやと思ってたずねてみたら、案の定、西武線住民だった。
次の大騒ぎが、本間至恩の移籍だ。昨日の日記にも書いたが、新潟の至宝・本間至恩がベルギーのクラブに移籍することが正式に発表され、これは実にとんでもない衝撃である。
中学時代からアルビレックスでサッカーを始めた本間至恩。オレたちは一人のサッカー少年が青年となってプロデビューし、そしてトップアスリート目指して世界へと羽ばたいていく成長物語をリアルタイムで見せられている。そのことに感動する。
地方のJ2クラブからヨーロッパの強豪チームへ直接移籍するという夢物語を実現したことで、次に続く有望な若者がアルビレックスを目指してくれるだろう。
去年、徳島が2億円で至恩を買うという話があったが、きっぱり断ったことで「ふん、あんなチビに2億も払えるか」と徳島サポは捨て台詞を吐いていた。それがヨーロッパの強豪クラブが2億円近くで買ってくれたわけで、徳島サポは赤っ恥で地団駄踏んでいるらしい。もっともこちらも「オレたちの至恩は欧州に渡米するのだ!」と威張っているサポがいたりするので、どっちもどっちだが。
21歳、ヨーロッパに行くにはベストのタイミングである。チームとしても、仮にJ1に昇格しても直後に抜けられるより、よほどいい。どちらにとってもいい選択だったと思うし、10年近くクラブのために走り続けてくれて、そして夢をかなえた至恩に対して、サポーターも全力で熱い声援を送っている。裏切られたあというような声は皆無だ。
チームメンバーに別れの挨拶をする様子がクラブのサイトに上げられている。至恩は泣きながらも胸を張って決意を述べていた。チームメンバーはそんな至恩をボコボコにしながら笑い声で送り出していた。いいチームだなあ。
スタッフの一人が「そうか、至恩、行っちゃうのか」と呆然とつぶやいている声が入っていて、それはまさにサポーター全員の声。
成功しろよ、至恩。再会するのは代表だ。
そして10年後、再びアルビレックスのためにビッグスワンを駆け抜けてくれ。
そして最後の衝撃がアベちゃんだ。
大手町の大手コンサルティング会社でコンサルタント連中にこ難しいインタビューをしていたら、ヨメから「アベちゃんが」というLINEが来た。なんのこっちゃ、ヨメよ、と思いながらTwitter見たらえらいことになっている。
そこからたどり着いたニュース速報の画面を取り出し、オレは周囲の連中に、たたた、大変ですよ、えらい事件ですよと教えてあげる。周囲は「え、なになに」「え、マジ」「え、え」とたちまち大騒ぎ。輪の中心にいるオレは、お菓子を配って人気者になったチビのような気分だった。
それにしても、こんなことが起きるなんて信じられないという、もうそんな凡庸な感想以外、何も出てこない。おかげで西武線の大混乱も本間至恩の旅立ちも、まったく報じられなかったではないか。
そんな中、どうするかなと思っていたら、例の自民大嫌いSNSおじさんが、例によってとんでも反応。「罪は消えない」「罪はあがなわれない」などと大喜びで発言を続けて、それをまた絶賛するコメントがついている。
大手町での取材中、貧困は自民党政治のせいだという連中にはうんざりという話になり、自分で給料を上げる努力もせず、何も学ぼうとしないことに反省もない、という声が出る。きっと反自民の連中からすれば、大手町で働いているような人間は忌むべき敵なのだろうなあ。
自民大嫌いおじさんにはとにかくうんざりなんだが、あまりにも面白い生態だからついつい見てしまう。自民党が嫌いだから自民党に投票するヤツのことは全部敵視していて、自民党支持者を蛇蝎のごとく罵るのだ。あんたが大好きなれいわや立民に投票するのが自由なように、オレが誰に投票しようとオレの自由なのだが、彼に言わせればそれは間違った行動らしいから、話は噛み合わない。ほとんど頭がおかしいヒトだと思っている。
今突然、モダンチョキチョキズの「THE絶望行進曲」(天才・山本直純のアレンジが絶品!)が頭の中で鳴り響いた。あなたの友達カメだけねっ。
このまま自民党は圧勝するだろうから、さらに激怒して発狂するのだろうなあ。鬱陶しいが、まあ、それこそオレが見なければ済む話だ。
次の納税者を一人も育ててこなかったくせに、これから国の世話になって生きるというのに、為政者に文句ばかりつけて恥ずかしくないのかね。
まあいいや。それはともかく、とんでもなく衝撃的な事件だったなあ。マジで腰を抜かしたわ。日本も酷い国になったもんだ。あ、だから自業自得的なことを言われちゃうわけか、アベちゃんも。自民党政治に対する鬱憤がこのような形で暴発したということになっているらしい。おじさんの中では。
帰りにはさすがに西武線の混乱も解消され、何事もなく家路につく。暑い。髪を切ってさっぱりし、出かけていたヨメと西友で待ち合わせ、両手に買い物袋を提げて帰る。
疲れた一週間だったね。週末は少しゆっくりしようか。
2022.07.07
ななな、なんということだ。新潟の至宝、本間至恩がベルギーに移籍だ。ブリュージェという名門だ。
チャンピオンズリーズ常連クラブへ、地方のJ2クラブからの直接の移籍は、とんでもないサプライズ。これでワールドカップ後の次の代表入りは確実だろう。J2から代表は呼ばないと言っていた森保はざまあみろである。
だがしかし、こっちはどうなるのだ。アルビレックスは。これでは昇格は無理ではないか。
いや、至恩が抜けたから昇格できなかったなんて言われるのは屈辱だから、ガチで奮起するのではないか。いや、やっばり無理かも。とほほ。
ともかく至恩がんばれ。応援するぞ。
2022.07.06
目覚ましで起こされて、布団の中でまどろんでいるとき、なんだかいつも違うなあという感覚になって、ああ、そうだ、昨日は千葉に負けちゃったんだと気づく。くっそう、最悪な一日だ。
5-4-1なんていうバカなチームにダブルを食らうとは、情けなさ過ぎる。最悪だ。
2022.07.05
朝から大手町でメガバンクの役員にインタビューする。インタビューそのものはとても好調で、役員もとてもいい人なのでノーストレスだ。
大変なのは暑さである。外での撮影もあったから、それに立ち会うだけでぐったりだ。もっとも撮影される役員はもっと大変だろう。お察しする。
昔は夏は楽しい季節だったのに年は取りたくないねーなどと話ながら仕事を終え、オレはそのまま家に帰る。
地元の駅を降りたら昼間っからうるさい。選挙だから最近はいつもうるさいのだが、今日はこのほかうるさい。
よくみたらピンク色の「へこたれへん」という看板が立っていたので、またあいつかとうんざりする。そうである。辻元なんちゃらというおばちゃんである。
けっこう当落ギリギリらしく、辻元はこんなところまでやって来て演説するのであった。うるさい。面白いのは道行く人がちらっと見るだけで誰も相手にしないことだ。そりゃあこんな終わったおばちゃん、しかも関西人なんて、練馬では誰も相手にしないだろう。
インタビューで疲れたオレは、辻元の演説でさらに疲れたのだった。
家に帰って、ますせはシャワーを浴びる。この季節のお約束だ。メールの確認とか、全部後回し。まずはシャワーを浴びるのだ。
本当ならこのままビールをかーっとあおりたいのだが、そうもいかず、代わりに冷たいお茶をかーっと飲み干す。
そして、ふう、やれやれとやっと人心地がついて、そして案の定、昼寝するのであった。お約束だ。
そりゃあ暑いさなかに汗をかいて帰ってきてシャワーを浴びたら、さすがにぐったりして寝てしまいますがな。恐ろしいのは、気を抜くとそのまま1時間以上も寝てしまい、ぐったりして午後がまるまる使い物にならないことだ。
今日は10分ほどの昼寝で目を覚ましたので、事なきを得る。ふう、頭はスッキリだ。
夏はいつもこうして過ごしている。シャワーと昼寝は欠かせない。これで一日が終わるなら呑気な話なのだがなあ。
2022.07.04
気のせいかもしれないが、最近、電車の中で紙の本を読んでいる人が増えたように感じる。
今朝もドア近くで立っているオレの周囲で4人が紙の本を開いていた。もちろんスマホをの組成ている人図が圧倒的に多いが、それでも本を読む人なんて1車両に1人もいなかった頃に比べると、随分と増えた印象だ。なお新聞を広げている人は1人もいなかった。
そして今、この日記を大手町のカフェで書いているのだが、店内11人の客のうち3人が紙の本を読んでいる。4人に1人だからそこそこの割合といっていいだろう。
オレ自身も電子書籍から紙の本に完全にカムバックした人間である。理由は、やっぱり本は指で読むものだよねえと改めて思ったからだった。今では折に触れて何度も読み返したい本(例えば「大誘拐」とか「壬生義士伝」とか「岳」とか)だけ書い直して電子書籍に入れている。これなら、ついふらふらと入ってしまった焼き鳥屋のカウンターでも、すぐに読み返せて感涙にむせぶことができる。
オレのそんな個人的な事情は別として、なぜ紙の本を読む人が増えてきたのだろうと考えても、はっきりした理由はわからない。オレのように、やっぱり読書は指だよねーと思う人が急増したのか、コロナ禍のリモートワークでデジタル疲れで心が乾いて云々という理由なのか。
理由はまったくわからないが、紙の本を読む人が増えてきたのは、いいことのような気がするのだがどうだろう。
2022.07.03
手作りナイフの マニアの世界というのがあって、マイナーなジャンルではあるのだが、専門誌も存在するなど、それなりに熱い世界のようだ。
オレの甥っ子はその世界のセミプロ的な存在である。金属を削り出し、装飾を施して、完全に手作りで製造されるそれは、びっくりするほど精巧で美しい。もちろんナイフとしての実用性も十分で、アウトドアライフや料理に十分使える。
そんなナイフを作るマニア、買うマニア、収集するマニア、さらには仲介する業者などが一堂に会するショーも行われている。展示会でありトレードショーでもあるようだ。
業界で最も大きいそんなショーが今日、銀座で開催され、甥っ子はそこに招待出展された。
へえー、たいしたもんじゃん。ガンプラばっかり作ってたと思ったら、手先の器用さがそんなところで発揮されるとは。まさに芸は身を助けるだ。
アマチュア枠での招待ではあるが、これで業界デビューを果たしたようなものらしく、次回からはプロとして出展してトレードもできるのだそうだ。
日本最大のショーであるから全国各地の有名作家も揃って出展しており、もちろんそのほとんどが爺さんだ。そんな中に若手の作家の卵として加わったものだから、大喜びで迎えられ、かわいがってもらったらしい。
かつての石川遼や将棋の藤井聡太のように、若い人材がデビューすれば業界が活気づくのはいずこも同じこと。爺さんたちも嬉しいのだ。
そんな素晴らしいナイフのショーがあるというので甥っ子は新潟から車でやってきて我が家に泊まり、そして今日は朝から銀座の会場にでかけていったのである。
息子はというと、高校の友達と熱海へ行くのだといって朝からでかけていった。なぜ熱海なのか。熱海にいって何があるというのだ。まったくわからない。しかも結果的に熱海はやめて宇都宮へ行ったのだという。Z世代の考えることはわからん。さらに宇都宮からは高速代がもったいないので下道を延々と走って帰ってきたのだという。
娘はというとサークル活動のために、代々木公園へでかけていった。嫁もお出かけである。
というわけでせっかくの夏の日曜日だというにオレは一人、家に取り残されたのであった。原稿仕事はほとんど土曜日に終わらせている。仕方ない。残された日曜の一人の時間をどう過ごすかといえば、これは映画を観るしかなかろう。
というわけで今日もアマゾンプライムとNetflix三昧である。三昧ってほどでもないが。
「追憶」
小栗旬や岡田准一、長澤まさみ、安藤サクラなどが出演している、なんつーか、ヒューマンドラマっちゅーか。暗いのである。ひたすら暗いのである。朝、冒頭を観て、これは日曜の朝に観るようなものではないと途中でぶった切ったほどだ。午後になって続きを観る。芸達者の役者を揃え、演出にも力は入っているのだが、例えばなんで犯人と疑われた小栗旬が「オレは違うぞ」と名乗り出ないのかといった不自然さが随所にあって違和感が拭えなかった。
暗い。とにかく暗い。珠洲市という珍しい場所でのロケなので、もっと景色を見せてほしかったのだが、2時間ドラマのクライマックスみたいな岬の近くでの絶叫のやりとりなどがあるだけ。長澤まさみも無駄遣いだ。
「大怪獣のあとしまつ」
おお、ついにこれが。「見た後に怒りの後始末が必要な全方位にスベり散らす怪作ギャグ映画」「大勢が関わって作る映画で、ここまでつまらないものができる理屈が正直分かりません」と言われるなど酷評に次ぐ酷評で、ここまで酷評されると逆に見たくなるということで話題になった映画だ。ついにアマプラでも観られるということで500円も払って観ることにしした。そしてこれが予想をはるかに上回るつまらなさ。なにしろ500円払って観始めたというのに、あまりのつまらなさに寝落ちしてしまったほどである。
1時間ほどたっぷりと居眠りした後、心を入れ替えて再度観始めるものの、つまらなさには拍車がかかる一方。次から次へと打ち込まれる下ネタも薄ら寒いものばかりで、映画館が冷え切ってしまったというのも納得だ。
西田敏行以下、それなりにいい役者をそろえていて、この冷えっぷりはすごいわ。いくら冷えたとは言え、これもまた夏の日曜日に観るようなものではなかった。
2022.07.02
電気が足りないとか、電話が止まるとか、いったいどこの発展途上国だよ。やたらとATMが止まる銀行もあるし。千葉のどこかでは火力発電所が壊れちっゃたというし。情けないほどの落ちぶれぶりだ。
そんな嘆きとは関係なく、この異常な暑さの中でなんと14時キックオフという試合があった。秋田対山口だ。
鬼畜である。
絶対に足がつって倒れる選手が続出し、なんだったら熱中症が出てもおかしくない。なにしろアンチフットボールの犬走りだけが取り柄の秋田だからな。
こりゃあ見物だと思ってこちらも14時からクーラー効かせてゲームを見たら、案外けろっと試合をしている。なんと秋田の気温は27度だったらしい。いかん、人の不幸を楽しみにしていたような自分を反省する。
それにしても秋田のサッカーは、当事者として対戦すると迷惑この上ないが、端で見ている分には面白い。ひょっとしたら今なら神戸にも勝つんじゃないか。秋田のアンチフットボールに負けて、屈辱に呆然とするイニエスタが見たい。やっぱり人の不幸だ。
ま、人のことはどうでもよい。今日のアルビレックス新潟は群馬でゲームである。
試合開始は19時半という遅さ。なんでも地元のイベントの関係だとかだそうで、実に面倒くさいチームである。
群馬より多い新潟サポが駆けつけたのだが、終了時刻が21時半というので電車では帰れない。そもそも駅までのシャトルバスがたった2回しかないという素人運営。しかもそのバスが観光バス仕様なので座席分しか人が乗れない。
酷い。酷すぎる。
仕方なく新潟サポは一泊するわけだが、おかげで高崎、前橋のホテルは空室ゼロだったそうだ。地元の行事でなくて観光協会の悪巧みで試合時間が遅くなったに違いない。
群馬というのは、詳しいことは知らないが、もとは草津地方のチームで、それがなんだか地元のゴタゴタがあって紆余曲折の末に群馬全体が本拠地となったらしい。そんな裏事情が左右しているせいか、地元の応援がさっぱり得られず、しかも草津の湯もみ娘たちがスタジアムで湯もみダンスを披露するという応援風景も地元の冷たい視線を浴びている。へんてこなチームだ。
へんてこではあるが、先日の天皇杯ではなんと浦和レッズに勝っちゃったという大金星。ジャイキリ。侮ってはいけないのだ。
というわけで19時半スタートなのに33度という内陸特有の異常気候の中ゲームはスタート。そして2分にあっさり得点して勝ったのである。蹴散らしてやった。
目の上のたんこぶの横浜FCは水戸に勝つ。水戸はとことん使えないやつだ。
目の下のたんこぶの仙台は町田に勝つ。町田もとことん使えない。しかも監督のポポビッチが審判に暴言を吐いて累積4枚のイエローで次節出場停止。監督の累積出場停止はJリーグ初だそうである。なにやってんだか。ヤンキーで悪名高い町田のサポも呆れ気味である。
もっともヤンキー度合いでは横浜も負けてなくて、何だったら新潟だって似たようなものである。つまりJリーグ全体がそんなものなのだ。困ったものだ。
まあ、よい。今日の結果でJ2上位3チームがそろって勝ち、3チームのチキンレースはまだまだ続く。アルビレックスの負けは4つ。年間許容敗戦数は6だから、あと2つしか負けられない。つまり勝つしかない。
群馬はあっさり蹴散らし、次はホームで難敵千葉だ。千葉にはアウエーでロスタイムゴールで負けている。リベンジだ。ボコってやる。今から一人で暑苦しく燃えるのであった。
ゲーム後、サポーター前に整列した選手たちが、フォワードの谷口に向けて「東京で頑張ってねー」「行ってらっしゃーい」と声をかけている。実はFC東京が谷口を獲得するために動いているという情報がTwitterで流れ、ちょっとざわついていたのだ。それを踏まえてのいじりである。
谷口は苦笑しながらスタジアムに対峙する。そして「こんな時期ですが…」と切り出した。
静まりかえるスタジアム。
続けて谷口の「行きません!」との絶叫に歓喜の爆発だ。つーか、面白すぎる。かつてここまで移籍情報をネタにしてしまったことがあっただろうか。
実際にはFC東京から獲得の打診などなくて、行きたくても行けないというのが本当だったらしく、キャプテンのゴメスがTwitterで「行きませんじゃなくて行けませんが正解」とオチを付けたのも最高だった。
2022.07.01
若い頃、夏は好きな季節だった。むしろもうちょっと暑いくらいがちょうどいいぜなんて思っていたほどだ。
今は逆。夏は厳しい。非常に厳しい。
だから今日のように外出の予定もなく、一那智中机に向かって原稿を書いていると、オレ勝ち組なんて思ってしもう。
今は夏じゃなくて、エアコンが大好きだ。なんなら名前で呼んじゃうぐらいに好きだ。エアコン子ちゃん、愛してるよ。
書いててバカみたいだと反省する。
閑話休題。ベルギーのチームを2部にたたき落としてしまった鈴木武蔵が、のこのこと日本に帰ってきて、ガンバ大阪に移籍した。
ガンバには、やつがいる。東口だ。
実は武蔵と東口は同じ年にアルビレックス新潟でプロキャリアをスタートさせた、同期組。長い時を経ての再びの邂逅に、2人ともむせび泣いていることだろう。
もちろんアルビレックスのサポたちはシラけている。
そして、ふん、武蔵なんていらなかったんやと、なぜか上から目線だ。
いやいや、上から見られているのはこっちだって。恥ずかしいって。
まったくサポーターというのはしょうがない生き物なのだ。
2022.06.30
ほんのちょっと歩いただけで全身から汗が噴き出し、ぐったりしてしまう。疲れるのも当たり前なのだ。
あつがなついのは、いや、夏が暑いのは当たり前だが、さすがに異常すぎるな、今年の夏。おかげで日記に書くネタも思いつかない。
仕方ないので昼飯のことでも書くか。
今日の昼飯は大阪王将の冷やし中華と餃子のセット1000円。あんまりうまい冷やし中華ではなかった。麺はパサパサしているし。でもまあ仕事中の昼飯なんて別に何でもいいのだ。コンビニ弁当よりよほどマシだ。
というわけで今日で一年の半分が終わり。明日から後半戦なのだ。過ぎてしまえば早いものなのだ。
しょぼい日記になってしまったのだ。
2022.06.29
暑いと炭酸が飲みたくなるのはどうしてだろう。
仕事帰りについフラフラと駅前の焼き鳥屋に立ち寄って、気がつけばカウンターで生ビールのジョッキを一気に飲み干し、声を殺してくわーっと叫びながら全身を打ち震わせている自分を発見するのも仕方のないことなのだ。
その後に頬張ったネギマ塩の美味なことと言ったら。
もちろん炭酸はビールに限らない。
一昨日はコカコーラゼロを飲んだ。ゼロである。ゼロだから体にも悪くないのだ。
一体何がゼロなんだろうと思って調べたら、カロリーがゼロで糖分がゼロなんだそうである。糖分がゼロでどうしてこんなに甘いのかというと、甘味料というやつの仕業らしく、要するに脳にこれは砂糖だと勘違いさせるらしい。
ただし砂糖だと勘違いした脳は、血糖値を下げなければと焦ってインシュリンを出すように膵臓に命令するため、高くなっていない血糖値は不必要に下がっていき、結果として低血糖になって空腹を感じるようになって飯を大量に食ってしまってなんたらかんたら。要するに甘味料のゼロコーラだからといって体によいわけではないらしい。
ま、そりゃそうだろ。
たまにこうしてコーラを飲んだとこで大したことはない。普段のお茶碗一杯の白米のほうがよほど糖分とカロリーを含んでいるに違いない。
それにしても夏はやっぱりコカ・コーラだ。あの赤いラベルはオレたちの夏の象徴だ。
思い出すのは小学生の頃、地元のアホな友達と連れ立って海まで行き、浜近くの万屋で飲んだコーラの味だ。コージくんは飲めもしないのに1リットルのコーラを買ってじか飲みして、案の定たっぷりと残したのだった。
コージくんは中卒で大阪方面に旅立ち、按摩さん目指して弟子入りした。半ば口減らしのようなものだった。あの頃の地方はまだ貧しかったのだ。仲間たちが地元の高校へ行くのを横目にしながら一人大阪行きの急行列車に乗り込んだコージくんは、とても寂しそうだったと仲間が後になって教えてくれた。
そんな記憶と共に夏になると何かと言えばコーラを飲んだものだったことを思い出す。今さら体に良くないのどうのと言われたところでしょうがないのだ。コージくんは今頃どこでどうしているのだろう。
もっともオレが一番好きなのはコーラではなくてドクターペッパーだ。
大学生の頃、ろくでなしの先輩のサノさんがドクターペッパーを飲みながら「おお、この薬臭さがたまんねえよ」とろくでなしらしく叫んでいたのを目撃して、ほほう、どれどれと自分でも買って飲んでみてしびれた。
おお、この薬臭さはなんだ。ケミカル臭はなんなんだ。体に悪いに決まっている。もうやめられない。
その衝撃に打ちのめされたオレは、以来、ドクターペッパー一筋。今も最も好きな炭酸飲料だ。オレもろくでなしになったのかもしれない。
だがさすがに大人の分別がいついた今、というか64歳という高齢者に片足突っ込んだ年令になった今、ドクターペッパーをバカ飲みしたら本当のバカだろう。飲むのは年に一度か二度である。それも缶のせいぜい半分だ。
家の近くの自動販売機にはちゃんとドクターペッパーの缶が入っていて、いつでもすぐに飲めるようになっているのが嬉しい。
酷暑の一日の夕暮れにネギマとともに流し込むビールは最高だが、缶からコップに移して、シュワシュワと泡を立てているドクターペッパーを一気飲みするのも、それに劣らぬ無上の喜びなのである。
2022.06.28
いつもの銀座に行った。クソ暑かった。
銀座はやっぱり夏のイメージだ。ハレの気分にさせられる街だから、テンションの上がる夏がよく似合うのだろう。特に夏の早朝がいいのだ。
など考えて銀座一丁目駅から中央通りを四丁目まで歩いたわけだが、この異常な炎天下にあって無謀だったのは確かで、すぐにヘロヘロになってしまった。
帰りにはくじけてしまって、ビルの地下を通って銀座駅まで歩いた。
こんな日はビールが美味いよなあ。
今年の夏は久しぶりにビアガーデンに行こうかと思っている。
ビアガーデンはサラリーマン時代に新宿でよく行った。京王百貨店の屋上が多かったと思う。
ベチャベチャの枝豆にしなしなの唐揚げが定番。ビールのジョッキもびちゃびちゃに濡れたまま。それでも夜風に当たりながら飲むビールは最高だった。
今年の夏もたいしたイベントは予定していないので、せめてビアガーデンぐらいは楽しみたいと思う。
今どきは昔のようなことはなくて、つまみもジョッキもいくらかマシになっているに違いない。
銀座のビアガーデンなんかとても敷居が高いから、池袋の西武デパートあたりがちょううどいいな。
「ドリフターズとその時代」笹山敬輔・文春新書
これまでドリフターズ関連の本は数冊読んできた。だから今さらと思ってあまり期待しないで読み始めたのだが、これがどっこい、実に面白かった。文化史的に、あるいは演劇史的な視点から見て、ドリフターズは正当な評価を受けていないと筆者は断じ、改めて評価しようと試みる。結果、浮かび上がってくるドリフターズの姿は、確かに実に大衆演劇的な存在として際立っている。
高度経済成長期から幸せな70年代を経て狂乱のバブル時代に「ひょうきん族」に敗れていく様は、マスというものが日本から消えて個が主役になっていく流れと見事にシンクロしている。また、全員集合の視聴率が落ちていく裏側で、テレビの変質を見破った萩本欽一がドキュメンタリーの手法を持ち込むことによって帝王にのし上がっていったくだりは白眉である。
というようなこと以上に、例えば加藤茶がシングルマザーのもとでどれだけ苦労して育ったか、志村けんがどれほど父親を恐れ、それなのに芸名にはその父親の名を付けるなどどれだけ父親のことが好きだったのかなど、メンバーそれぞれの物語が実に味わい深い。いかりや長介と奥さんの物語など、なんというか、落涙ものだ。実に読みでのあった一冊。
2022.06.27
マジかよ、6月に梅雨が明けるなんて。
いや、それよりも暑さだ。もはや東京の暑さのアイコンと化した練馬は、都心よりも2、3度高いのが当たり前。どちらかというと天気予報でも熊谷、前橋あたりを参考にした方が実情に近い。
だから今日も予報は37度。昼にクルマに乗ったら、外気温は39度と表示された。
なぜ練馬はこんなに暑くて寒いのか。内陸だからだ。それでも畑が広がるから、風が通り抜けるのはありがたい。ありがた過ぎて強風となって土埃が舞うのには閉口するが。
それはともかく級に電力が逼迫しちゃって、世間は大騒ぎでござる。
再生可能エネルギーをもてはやしすぎたしっぺ替えだな。
ネットでは、原発再稼働に向けてメディアが盛り上げているに違いないという陰謀論が盛んだ。陰謀も何も、原発を動かせば電力の安定供給なんて一発で解決なのは自明だろう。
ついでに言えば、給料上がらないのは政治が悪いというのもアホな話であって、給料を上げるのは会社の責任、そのために頑張るのは個人の責任というだけの話だ。政府が給料を上げてくれるわけではない。
電力については、「テレビを消せばエアコンの1.7倍の節電になる」という調査結果を野村総研が発表したが、メディアに完全にスルーされているというのは本当だろうか。本当だとしたらNHKも含めて、呆れた話である。
電力が逼迫しているので節電を呼びかけておきながら、真っ昼間に業務スーパーでのお買い物特集やコストコでの特集なんかをやってる。外出自粛を呼びかけておきながら街ブラ番組ではしゃいでいたコロナ時代と同じだ。
こんなだからテレビは相手にされなくなったんだよなあ。大学生の息子は「ネットでもかったるいのに、テレビなんて観るわけがない」と言い、娘も「YouTubeがあればテレビがなくてもちっとも困らない」と言う。
もはやテレビは40代以上しか観ていない、とほほなメディアだ。実際オレもテレビを観るのは「イッテQ!」とニュースぐらいだが、「イッテQ!」でさえTVerで観ることがあるし、ニュースもネットで十分だ。
コンセントを抜きましょうと呼びかけるよりも、放送をお休みしますとやったほうがよほど社会のためなのだから、この夏を乗り切るためにもテレビ局はぜひ長い夏休みを取ってもらいたいものだ。
それにしても6月でこの天候って、この夏は平気なのか。雨だって必要なのだから、梅雨がこんなに短いといろいろと不都合が出てくるんじゃないだろうか。
「海馬の尻尾」荻原浩・光文社文庫。
荻原浩の持ち味は、なんと言っても抜群のリーダビリティとテンポのよさである。さすがコピーライター出身。常に客(読者)の目を意識し、いかにサービスすればよいかに腐心していることがよく分かる。素通りされることの怖さを身に染みてしている人の文章だ。ごく初期の「神様からひとこと」は特にそのあたりがよく表れていて、時々読み返す。かつての源氏鶏太のような作品だ。
ということは源氏鶏太も素晴らしい作家だったのだろうな。残念ながら今読み返そうと思ってもすべて絶版で、電子書籍でしか読めない。というか、そのために電子書籍があるわけで、これは素晴らしいことだと思う。
で、この作品だが、以前よ見逃していたのが文庫になったので手に取った。精神疾患をテーマにした作品で、主人公はヤクザ。こいつがワケありの精神病棟に押し込まれて脱出するという話である。珍しくハードボイルド調で、バイオレンスシーンもけっこうある。あんまりよろしくない。荻原浩は底抜けの明るさと楽観的な作風が持ち味だから、バイオレンスやハードボイルドは似合わないのだ。
店舗は相変わらず素晴らしく、リーダビリティも抜群である。だがあまり面白くないのは無駄に冗長であることと、物語の山が低すぎるからだろう。主人公のキャラも今ひとつ。後半に読み進むほど、つまらなくなってくる。
2022.06.26
負けてしまった。アルビレックス新潟が。横浜学会CFに。
しかも負けて2位に落ちて、横浜学会が1位だ。
完敗だ。ぬるっとした戦い方だった。
センターバックとボランチの間を好き勝手に使われているのに何の対策もしない。後半の松田が消えまくってしまって完全に右サイドが穴になっているのに何の対策もしない。「地元だから、教え子だから」という理由で交替させなかったのか。まさか。
1位対2位のゲームということで横浜学会の監督は「決勝戦のつもりで闘う」と燃えていたのにこっちの監督は「他の試合と一緒」と答えていた。「他の試合と一緒」は、試合の後にこそ言うべきだったな。
というわけで今日は監督の差で負けたのが1番で、2番は選手の意識の差。
やられ放題なのに途中で話し合って改善する様子もなく、そこには大いに失望だ。へたすりゃ去年の二の舞、ここから落下傘。
うーむ、調子に乗りすぎたか。
今日は36度という猛暑の中、てくてくと歩いて用賀まで仕事に行ったおかげで、疲労困憊。干からびて熱中症寸前で帰ってきた挙げ句にこういう試合を見せられたわけで、ダメージは非常に大きい。
こんなことならゲームなんか観ないで駅前の焼き鳥屋でビールでも飲んで帰ればよかったよ。と、隙あらばどんなことでも酒の理由にしてしまおうとする自分がいる。反省するのはアルビレックスではなくオレか。
2022.06.25
今日はオフである。
要するにヒマなのだ。
ヒマな週末はごろごろしながら映画を観るに限る。
1発目は「地獄の花園」だ。OLが派閥争いをしてやがて全国制覇するというバカバカしい物語だ。
永野芽郁に遠藤憲一、大島美幸、松尾諭となかなかよい役者がそろっているので、役者を楽しむ映画でもある。
週末の朝に観るのだから、頭を使わずに済むこういうバカバカしい映画がいいのだ。
期待したのはバカもここまでくるといっそすがすがしいということなのだが、実際はそこまでバカになりきれていなかったのが残念。見終わって一つも見返したいシーンがなかった。いくらヒマだからって、これは観て失敗した。
続けて「明け方の若者たち」を観る。明大前駅から下北沢といったあたりを舞台にした若者の恋愛物語である。
主役が、「猫」をうたった北村匠海と朝ドラヒロインの黒島結菜。途中、何度もねちっこい濡れ場がある。終わってみれば実は黒島結菜には旦那がいて、傷ついて別れた北村匠海が友達に慰められて終わるという、なんじゃこりゃ映画。
実に志が低くて中身の薄い映画で、その薄さをごまかすためのくどい濡れ場だったのかと納得。黒島結菜はいつも作品選びに失敗しているというのはヨメの評だが、オレもそれを納得したわ。
ただ北村匠海のやさぐれた演技はなかなかの拾いもの。あの目つきの悪さは、実はアウトレイジに向いているのではないか。ダークな演技をやらせれば案外ブレークするかも。ってブレークしてるのか、もう。
やっぱり恋愛映画なんて観るもんじゃねえなあとぐったり疲れて、お口直しに「SP」を再度観る。堤真一がテロリストとして国会議事堂を占拠するところからだ。このあたりの迫真のシーンは結構気に入っている。一度観たにも関わらず、同じシーンでドキドキしちゃって、手もなくひねられるオレであった。
合間に観た仙台-山形戦では、先行した山形が最後に先代に追いつかれる。使えないなあ、山形。映画の後に観た長崎-秋田戦は秋田が頑張って0-0に終わらせる。水戸-岡山も引き分けだ。
結局要注意チームが全部引き分けに終わってくれたことで、まあまあ、よしとしよう。それにしてもこの酷暑の中、日のあるうちにサッカーやっちゃダメだよなあ。
2022.06.24
小田嶋隆が亡くなった。
闘病していたらしいが、そのことを知らなかったのでオレとしては突然の訃報。ちょっとびっくりする。
「日経ビジネス」の連載が有名だった。同誌の定期購読はずいぶん前にやめてしまったので小田嶋隆の文章に触れる機会は減ったけれど、あの嫌みっぽい、それでいてくすっと笑える原稿はけっこう好きだった。
その「日経ビジネス」が小田嶋隆への追悼として
晩年について書いた原稿を読めるようにしてくれている。
晩年というのは人が決めるんじゃなくて自分で決めるんだ、というような内容のコラムだ。コラムっても相当長いが。
この中で小田嶋は、ライターという仕事の本質についてけっこう鋭い指摘をしている。「現在、ライターは買い叩かれている」として「低劣なテキストがアクセス数のランキングに並ぶ」と皮肉を言う。だがこんなバカなことが長続きするはずがないとして、いずれ質の高い原稿が駆逐するようになると予言している。
そうなってもらいたいものだ。
もっともそうなったときに真っ先に駆逐されるのがオレだったりして。だはは。
それはともかく、こういう書き手も世の中には必要だと思わせてくれるのが小田嶋隆だった。きっと理系だろうなあと思っていたら、テクニカルライターでスタートした人だったようだ。なるほどと納得。
2022.06.23
上野へ行った。仕事である。
行きは山手線の鶯谷駅から、帰りは上野駅から。このあたりは独特の空気感だ。なんというか、非常にダサいというか、ウェットというか、昭和というか。
台東区に住んでいる人は台東区のことが大好きなようだ。それだけ土着の人が多いということかもしれないが。
考えてみれば上野周辺で飲んだ記憶はあまりないなあ。数年前にアメ横のろくでなしの屋台で昼間っから飲んだくらいか。あとは30年くらい前にカマタ君のギターリサイタルの帰りに駅前で飲んだくらいか。
オレもそうだったが、上野は日本海側や東北地方の玄関口で、『三丁目の夕陽』のように昭和の時代に田舎から来る人たちが最初に足を踏み下ろす土地だった。そうした土地の匂いというものが染みついているのだろうねえ。
新幹線の起点駅でなくなってからは商売的な地盤はどんどん沈下していると聞く。渋谷だって東横線の始発駅でなくなってからは沈下しているというから、駅が街に与える影響というのは想像以上に大きいのだろう。
特急「いなほ」の終点として上野で降りて、それから日比谷線に乗って祐天寺の下宿まで行ったっけと、学生時代を懐かしく思い出す。
そういや息子が面白いことを言ってたけれど、新宿駅で道を尋ねるのは東京の人ばかりで、田舎から来た人は田舎者と思われたくないから道を尋ねないのだという。
確かに東京の人間は新宿駅で迷うのは当たり前と思っている。新宿駅だけでない。多くの東京人にとっては銀座も原宿も渋谷も迷って当たり前の街。
オレが大学受験のために横浜の親戚に泊めてもらったとき、おじさんがオレに「迷ったら聞けばいい。誰だって聞くんだから恥ずかしくないぞ」と教えてくれたことをはっきりと覚えている。きっと田舎の高校生だったオレはそのことを意外に思ったから、今も記憶に鮮明なのだろう。
「拾われた男」松尾諭・文春文庫。
シンゴジラで水ドンを演じた“泉ちゃん”こと松尾論の自伝である。評判が高かったので手にして読んでみたら、これが面白いのなんの。
根拠のない自信だけで役者を目指し東京に出てきたものの、まったく芽が出ず、借金まみれの日々を送る中でたまたま拾った航空券が縁で…というよく知られたエピソードから話は始まるのだが、途中からアメリカに舞台を移してからは物語が180度違う方向に転がり出し、とうとう最後はオレも涙ぐんでしまったほどの話になっていた。もちろん3時間一気読みである。
役者の書いた文章だから、決して上手くない。特にやたらと逆接の「が」を使いたがり、時に主語の異なる文章が一つにまとめられちゃったりするらには閉口した。それでも中身が濃ければ文章なんて荒削りでも十分に楽しめるというお手本だ。ああ、面白かった。
2022.06.22
オレの実家の敷地には鳥居が立っていて、小さな社の中にはお稲荷さんが祀られている。
物心ついた頃からなにかあるたびにこのお稲荷さんには手を合わせていた。年末年始はもちろんのこと、村祭りの夜に遠足の朝、大学受験のために上京する日といった具合だ。
ガンの手術のために入院することになった母が、車に乗り込む直前に一人鳥居をくぐって手を合わせたのもこのお稲荷さんだ。手術が成功し、再び生きてお稲荷さんに感謝を述べられるよう、祈ってのことだったに違いない。母は泣いていた。
守り神だったのだ。家族の。
お稲荷さんとは農業の神様で、ルーツは京都の伏見稲荷大社らしい。新潟の片田舎にある我が家の敷地にどうして稲荷神社があるのか、背景は全くわからないが、ともかくありがたい存在には違いない。
お稲荷さんといえば、狐である。正確に言えば狐が神様なのではなく、神様の使いが狐なのだそうである。
そして狐と犬とは仲が悪いので、オレの実家では犬を飼っていなかった。祖父は、犬を飼ってもいつの間にか自ら姿を消してしまうのだとオレに教えてくれた。主である神様を守るために狐が犬を追い出してしまうというのである。
なんだか不思議な話だけれど、オレが徹底して犬嫌いなのは、そんな神様の元で狐に守られて育ったからなのかもしれない。時折オレに対して敵意を剥き出しにする犬が現れるのも、背後霊のような狐が見えるからなのだろう。
お稲荷さんは全国にあるから、出先などで見かけると、つい鳥居の前で立ち止まって手を合わせたり会釈したりする。狐のネットワークがオレを守ってくれている。それも信心。あんがい悪くはない。
「三星京香、警察辞めました」松嶋智左・ハルキ文庫。
著者は元警察官、元女性白バイ隊員。退職後にミステリー作家としてデビューしたという変わり種だ。警察という昭和な男社会で生きてきた女性ならではの視点が反映されたデビュー作「女副署長」はなかなか面白かった。嵐の夜の警察署が事件の舞台になるという緊迫した内容で、男たちが事件解決に血眼になる傍らで女副署長の傍観者的な佇まいがなかなかユニークだった。荒削りながらも安東能明のような重みのあるシリーズになりそうだ。そう思って、今後に期待したものだった。シリーズ第二作の「緊急配備」では、過去に様々な事情をもつワケありの登場人物たちが右往左往しながら凶悪事件に挑むというものだった。これもなかなか面白かった。その後に突如新シリーズが出て、これはうっかり読み逃していた。そして今回また新しいシリーズが出たようで(シリーズ化するのか?)、それがこの一冊。松嶋智左ならと思って裏表紙の煽りも読まずに買ったわけだ。だがこれは問題作。いや、はっきり言って失敗作だろう。セクハラに耐えかねて本部長をぶん殴って退職した元・女性刑事が、今度は弁護士事務所にパラリーガル見習いとして勤めて悪戦苦闘するという設定だから、話はいくらでも面白くできるはずなのに自らその道を閉ざしてしまったかのようだ。プロットに懲りすぎて細部に「そりゃないわな」という不自然さが残る。例えば殺人を犯した犯人が現場にいた2歳児の顔を数ヵ月後もしっかり思い出せるなんて、そりゃありえないだろう、とか。この雑さに加えて登場人物の書き分けがうまくできていないため、読み手としては混乱する。それに拍車をかけるのが、というかこの作品の一番の問題というのが、視点がころころ変わることだ。主人公描写だと思ったら実はサブキャラの行動のことだったりと、何度も、あれ、これはいったい誰のことを語っているのだと読み返さなくてはならなかった。どうしてこんなことをしたのか。魅力的な主人公を設定できたのだから、その視点で徹底的に押すべきだった。ここでタイトルのダサさに気づく。なんだこの題名は。「女副署長」という魅力的なタイトルでデビューした作家がつけた書名とは到底思えない。察するにハルキ文庫の編集者がつけたのだろう。あるいは勝手に変えてしまったか。退職した女刑事という点をアピールして書店で手に取らせようという狙いで。この書名に引っ張られて、作品が実に薄っぺらいものになったと感じる。自らの体験に基づいたいろんなネタを持っているはずだし、潜在的な力のある作者なのだ。ぜひデビュー作のような緊迫感のある物語を期待したい。
「文章力の基本」阿部紘久・日本実業出版社。
娘の机を見たらまったく同じ本が載っていた。大学1年生と同じ文章ノウハウの本を、プロとして40年間文章を書いてきたオレが読んでいる。大丈夫か、オレ。軽くショックを受ける。
正しい文章を書くための基本的なテクニック77が紹介されている。今さらなもの、なるほどなものなど様々だが、実に具体的で分かりやすく、極めて実用性に優れている。要するに一番大切なのは、分かりやすく、読みやすく書くことなのだ。例えば「似たような言葉を並べない」「簡潔な表現を選ぶ」「意味のない言葉は書かない」「『という』を削る」「余分なつなぎ語を削る」など、いちいちごもっともなのだ。ちゃんと句点を打ったり、適宜改行を入れたりということも含めると、いつも書いている本のレビュー(↑のようなやつね)なんて、完璧に失格なのである。
大学1年生と机を並べる気持ちで、要するに初心に立ち返って、謙虚に学ぶ姿勢が大切なのだ。
そもそも振り返れば高校時代のオレの苦手科目の一つが国語だった。模擬試験でも国語にはいつも苦戦していて、英語と日本史は満点を取る自信があったものの、国語で減点されていた。志望校に合格したのも国語の問題に古文と漢文が出なかったからである。(なにしろ英語は満点が当たり前で、その他の科目で差が出るという大学だった)
そんなオレがよもや日本語を書いて人様にお見せする人生を送ることになろうとは予想もしてなかったから、まったく人間というのは面白いものだ。
したがってオレの心の中には常に日本語が苦手だとのコンプレックスのようなものがあって、いい方に言い換えればそれは謙虚さでもあったということになる。こうして文章の基本についての本を読むことにもまったく抵抗がない。
もっともオレは作家ではないので、美文麗文の類はまったく無用だ。事実を解きほぐし、「要するにこういうことでしょ」と整理して提示するのが仕事だから、文章のうまい・下手ではなくて、徹底してわかりやすい・読みやすいことが重要なのである。それかコピーだべ。
そんなオレでも、時々、ひょんなことで他のライターさんの書いた生原稿を目にすることがある。先日も取引先がオレに「とっとと書き直せ」と送ってきた原稿が、他のライターさんの書いたものであった。人様の仕事にこんなことを言うのは大変に申し訳ないのだが、興味本位で目を通したその原稿は、びっくりするほど下手くそであった。
オレ程度のライターに依然として仕事の発注があるのは、要するに競合がいないというか、ブルーオーシャンだからだろう。この原稿、なんだったらサービスにオレが書き直してあげましょうかと言おうかと思ったけれど、嫌味だから自制した。
「三四郎はそれから門を出た」三浦しをん・ポプラ文庫。
書評集である。タイトルはもちろん夏目漱石の作品をつなげたものだが、内容は漱石とは全く関係ない。
三浦しをんの好きなところは、文体だ。心地よく読める。軽さの中にしっかりとした論理が潜んでいるのだろう。それが抜群のリーダビリティにつながっていると思う。
これはいろんな書評やエッセイを集めてごった煮にした一冊。寝転がってペラペラとページを捲りながら読むには格好の一冊だった。
「傑作はまだ」瀬尾まいこ・文春文庫。
生まれてから25年、一度も会っていなかった息子が突然家に訪ねてきた。そんな魅力的なシーンから始まる物語だ。登場するキャラクターたちが魅力的な人たちばかり(悪人は一人も出てこない)で、まさしく瀬尾まいこワールド全開の温かさである。森絵都や宮下奈都のような。25年という長い空白を、息子はひょいと乗り越えて見せる。その軽さがとても心地よく、いい。涙が流れるような感動ではなくて、しみじみとよかったなあと思える小説だ。「そして、バトンは渡された」と同じく、傑作だと思う。
2022.06.21
今日は夏至である。一年で一番日の長い一日だ。感覚としては一年の折り返し。
しかも今日6月21日は、オレの事務所の創立34周年である。
1人でスタートしてずっと1人で、要するに成長もなければ衰退もなく、34年間何も変わっていないことに驚く。というか、呆れる。
まあ、そもそも経営者になるつもりはまったくなく、好きな仕事を好きなようにやって食べていけたら十分と願ってフリーランスになったから、その通りの結果ということで満足である。志とは高ければいいというものでもないのである。
ヘロヘロになりながらも勝手気ままな日々を送りながらメシを食って、23区内に家を買って、2人の子どもを大学に通わせているという時点で、これ以上何を望むのだと自分に問う。十分すぎる。足るを知れ。
それにしても売上は変わらないのに実感として実入りがどんどん減ってきているというのは、税金・社会保障費が上がる一方だからだろう。比率で言えばオレがフリーになった頃の倍にはなっているはずだ。多分あの頃は収入の2割程度だったのが、今は収入の4割はぶんどられている。
なんと立派な社会主義国家だろうと苦笑する。
それでも犯罪は少なく、戦争もなく、穏やかに暮らせているだけ、良い国なのだと思う。国だって、足るを知れということだ。
2022.06.20
オレの住んでいる練馬区では、野菜の無人販売というのが当たり前にある。
その数について、区の印刷物では100以上を紹介しているが、250以上あるとするネット記事もあって、区内のコンビニの数は210くらいらしいから、練馬区では野菜の無人販売はコンビニ以上ということのようだ。
これってすごくね?
当たり前すぎて何も思わないのだが、あれは他の地域の人にとっては珍しいものなのだろうか。そういやオレの実家の辺りではあまり見かけないなあ。
オレんちの隣の農家でも無人販売をしていて、朝、奥さんが畑で収穫したキュウリやトマトやナスやらを道端のコインロッカー形式のボックスに放り込んで、販売している。1つ100円とか200円とかで、例えば1日100個売れれば1万円〜2万円になるから、小遣い稼ぎとしてはなかなかよいだろう。なにしろ販売の手間いらずだから。
別の無人販売所では、野菜の他に自家製の漬物も売っている。これは時々買うのだが、新鮮だからとても美味だ。キュウリの浅漬けが一袋200円である。
先日はクルマで通りかかったらおばちゃんが野菜の整理をしていたので、浅漬けちょうだいと声をかけたらざわざクルマまで届けてくれた。
都心部ではもちろん見かけないし、都下まで行かないとなかなか見ない光景だろう。
しっかりした防犯設備が取り付けられているようではないから、外国ではあり得ない仕組みかもしれない。お賽銭同様、日本ならではのものだろう。
平和で穏やかな日常の象徴して、ちょっと嬉しくなる。
「シュートマッチ」宝島社。
前田日明対ジョージ高野とか、安田忠夫対草間政一とか。レアーな対談集。個人的には藤原喜明対キラー・カーンが面白かった。昔、キラー・カーンがアメリカで大成功してメインイベンターとして一晩に300万円を稼いでいた頃、日本に帰ってきたら前座で藤原喜明と試合をさせられた。藤原は嫉妬心からキラー・カーンにガチのシュートマッチを仕掛けた。戸惑ったのは、あくまで仕事として会場を沸かせようとしていたキラー・カーンだった。結局試合はまったく噛み合わず、やってられねえわとキラー・カーンが試合を放棄して帰ってしまった。そんな伝説の不穏マッチが言い伝えられていて、それは本当のことだったのだが、あるとき、新宿のキラー・カーンの居酒屋を藤原が突然訪ねてきて「よく来たな」「あのときは悪かったな」「いやいや、がははは」という具合に仲直りしていたようだ。昭和のシュートマッチの恩讐を、平成になって大人として手打ちする。いかにもプロレスらしいエピソードでオレは大好きだ。
「ま・く・ら」柳家小三治・講談社文庫。落語家の柳家小三治はもちろん落語の名人なのだが、本番の落語の前に適当なことをつらつらとしゃべる“まくら”も面白いのだそうだ。いわゆるつかみだな。そのマクラばかりを集めた本。いやあ、これは読破するのに3年ぐらいかかったなあ。難しいというわけではなく、気の向いたときにちょろっとマクラを読むというような読み方をしていたからだ。噺家というのはマクラもやっぱり面白いものなのだ。
「フットボール風土記」宇都宮徹壱・カンゼン。
Jリーグは素晴らしいスポーツ文化を育ててくれていると感じる。ではJリーグのない地域でのサッカー事情はどうなっているのだろうか。そういう視点で全国を訪ね歩いたレポートだ。もちろんJリーグがない地域でも、地元のチームがあって熱く盛り上がっている。嬉しいのはそんなチームを応援するサポーターたちの写真だ。カテゴリーは関係ない。地元のオレたちのチームを愛する姿勢は素晴らしい。残念なのは、ヒトとカネがからむだけにどうしても不正や犯罪の温床になりやすい側面を否定できないことである。そうした事情を含めて、この本では様々な地域の事情を紹介している。興味深いのは、これらの記事を発表した媒体だ。半分は「フットボール批評」というコアな専門誌に発表できたものの、半分はどこにも発表できる媒体がなく、Webマガジン化するしかなかったようだ。現代のメディア事情はなかなかシビアだ。
2022.06.19
その瞬間、フットボールの神様が怒った。
プレスに行く本間至恩の目の前で、なんと秋田のディフェンスが足を滑らせてコケてしまったのである。
時間は88分、スコアは1-0。
難なくそのボールを奪い取った至恩はゴール前へ運び、フリーで走り込んできたシマブクにパスして、シマブクはJリーグ初ゴールを決めて見せたのだった。
秋田というのはアンチフットホールのチームである。パスをつなぐことをせず長いボールをポンポン蹴り込んでくる、ボールを大切にしないサッカーなのだ。
ファール上等とばかりに肉弾戦を挑んできて、ピンチになるとすぐにファールで止めにくる。実際今日も秋田は3枚のイエローだ。
地方の弱いクラブが闘うにはこういうサッカーを選ぶというのも、生き残りの一つの手段だろう。それはわかる。ネタとして端から見ている分にはなかなか面白い。
だが対戦すると実にやっかいだ。というよりうんざりする。琉球の樋口監督が「あんなのはサッカーじゃない」とあからさまに苦言を呈した(Jリーグで対戦相手を正面切って批判するのは極めて異例)ように、あんなチームとは誰も対戦したがらないのだ。
輪をかけて酷いのが秋田のスタジアムである。ピッチは荒れ放題。ボロボロだ。こんなところでまともなサッカーなんてとても無理なのだが、パスなんかする気がないから荒れてても秋田にとっては一向にかまわないのである。
ここにアルビレックスが乗り込んでいったときは激しい雨が降っていて、ピッチは田んぼ状態。パスなんてとても無理だから、ボールがポンポンと飛び交う状態になり、負けてしまった。負けたけれど、これはサッカーで負けたんじゃない、事故だったんだと、奇妙な納得があったようなゲームだった。
まさしくアンチフットボール。あるいはラグビー。
そんなサッカーを飽きることなく続けてきたので、とうとうフットホールの神様も怒ってしまったのだ。
逆に言えばなんとか1-0の最少スコアを守り切ろうと、88分になっても必死に走ってプレスを続けた本間至恩に対して、フットボールの神様がご褒美をくれたとも言えるだろろう。
その後、ロスタイムにはシマブクが自陣ペナエリアからなんと80mのドリブル独走。これまたフットボールサッカーとは真逆のスペクタクルで持ち込んで、バスを受けた伊藤が超絶ループを決めて見せたのである。このループが実に絶品で、ものすごい技術の高さを見せつけてくれた。
それにしても80mのドリブル独走は快感そのもの。実に気持ちが良かった。お前はマラドーナかよと世界中が叫んだほどの快走だった。
終わってみればゲームは3-0。先日の負けをきっちり返すどころか、ボコボコにするのに成功したのである。
秋田はいい加減このラグビーサッカーから目を覚ますべきだ。ボールをどんどん蹴り込んでファールで相手を止めるサッカーなんて、本当に恥ずかしいことだと思うぞ。まあ、こういうチームがいることも2部リーグ地方クラブならではだとは思うが。
さて、これでアルビリックスは首位返り咲きである。そして次は2位横浜FCとの首位決戦だ。横浜は先日3-0でボコってやったから、やつらはホームで復讐してやると怒り心頭のハズである。もちろん我々は返り討ちを食らわせてやるのだ。
今間は順位など関係ない。目の前の敵が最強の敵。我々はJ2の1位ではなくてJ1の19位なのだ。
こうして週末にアルビレックスが勝ってくれると、実に心穏やかに新しい週を迎えられる。世界平和とアルビレックス。さあ、ずんずん行くのだ。
2022.06.18
本日は第2ラウンドの赤羽である。学生時代の仲間との飲み会だ。
息子も一緒に連れていく。父親の飲み会でも喜んで着いてきてくれる息子なのだ。いや、もはやオレが連れてってもらう状態。介護だな。
午後3時集合というのに、街は酔っ払いであふれていることに息子が驚愕する。飲み屋はどれも満席で「どうして3時なのに満席なんだ」と信じられないものを見た表情をする。
息子よ、わかったか。これが赤羽だ、底辺だ。
昼間っから泥酔者が徘徊し、喫煙者が彷徨く街なのだ。
1軒目は立ち飲み屋。30分も飲んでいたらうんざりして、座れる店に移動する。
2軒目は揚げ物屋。
そして3軒目が焼き鳥屋。
1軒目と2軒目は先輩が全部おごってくれて、3軒目も先輩がたくさん出してくれたのでオレは2000円しか払っていない。
息子と2人で3軒ハシゴしたというのに2000円笑。
底辺の街・赤羽は財布にも優しい街なのだった。
3軒ハシゴして帰ることになっても街はまだ明るい。なにしろ6時前だ。
息子には途中友達から連絡があって、水道橋で焼き肉を食うのだという。よく食うなあ。というか、もっと食え。父親と一緒の飲み会なんかより友達といっぱい遊べ。
父は泥酔しつつも自力でなんとか帰るぞ。
途中雨が降ってきたが酔っ払っていれば雨など関係ないわ。だはははは。
と笑っていたら出かけていたヨメに遭遇。オレに折りたたみ傘を渡し、自分は自転車で速攻帰るとのことだった。我が家の家族はみんなオレに優しいのだ。
家に帰って風呂に飛び込み、汗と焼き鳥臭さをきれいさっぱり流した後、Jリーグを見る。今日は横浜FC対仙台という2位3位の直接対決。どちらも負けたら一歩後退のしびれる試合だ。
こちらは余裕で行く末を見守る。まさしく高みの見物。ああ気分がいい。
2022.06.17
息子、娘と3人で駅に行ったら、木内バカタネが演説していたので腰を抜かした。
練馬区で民主党から出馬した後、離党。と思ったら小沢一郎にすり寄って国民の生活が第一に入党。日本未来の党、生活の党と進んで維新の党にたどり着いた思ったら民進党になったものの、あっさりと除籍されて小池百合子ににじり寄って希望の党に入る。と思ったらあっさり抜けて今度は日本維新の会。中央区あたりから出馬するもあっさり落選。要するに今は政治家でも何でもないただの無職。
よくもこれだけふらふらと。定見もなく。
そんなバカタネが、何を思って最初に立った練馬区にやって来て朝っぱらから偉そうに演説をしているのか。
あまりの茶番に息子も「どのツラ下げて」と吐き捨てたのだった。
夕方娘が駅前でアルバイトのビラ配りをしていたら、またまたバカタネがやってきて演説を始めたそうだ。バカタネはビラを配る娘に「邪魔してごめんね」と話しかけてきたそうだ。
こらあああ! バカタネっ! オレの娘に何するんじゃあ!
娘は「バカタネに話しかけられた」と泣くし、まったくゴキブリ以下に迷惑なやつだ。ああ、腹の立つ。維新なんてのも、こんなやつがいる程度の集団。バカ集団。
などと鼻息荒く、怒る髪が天を突く状態で考えると、今月はなんと4回も飲み会があることに気づいた。
第1ラウンドは中野である。訳ありだった男と女が30年ぶりに再会することになって、そんなのは勝手に再会すればいいのだが、「緊張して何をしゃべったらいいかわからない、着いてきて」と頼まれ、本当に面倒くさくて行きたくなかったけれど、仕方なく「途中で帰る、カネは払わない」という条件で嫌々参加することになった飲み会だった。そして約束通りオレは途中で「じゃ帰るから」と立ち上がり、カネも払わずに帰ってきたのだった。
第2ラウンドは赤羽だ。赤羽ときたら親分である。そうである。学生時代の仲間と、コロナもぼちぼち終わったし久しぶりに飲もうかということになったのである。これはいい飲み会だ。息子と一緒に参加する予定である。息子も幼稚園の頃からみんなには可愛がってもらったからなあ。久しぶりなのだ。それに息子を連れていくと自慢ができて、オレの気分がいい。
第3ラウンドは池袋の予定。ご存じオザキとコマちゃん、そしてイームラ君というD社スペックの飲み会で、これは仕事なのか、プライベートなのか。どっちでもいいのだが、どうせくだらないことをしゃべってガハハハと笑って終わりだから、やっぱり気楽でいいのだ。
そして第4ラウンドが渋谷である。取引先のベテランから突如「退職します。それで折り入ってお話が…」という連絡が来て決まった飲み会だ。これは完全に仕事。お世話になった人だからオレがおごる。渋谷の井の頭線ガード下あたりの焼き鳥屋で接待だな。
という具合に1ヵ月で4回も飲み会である。
今年前半ではたった1回しかなかった飲み会なのに、突然の狂乱ぶりだ。これはやはりあれだろう、そろそろコロナはどうでもいいべ経済まわすべという意識が浸透してきたということだろう。
もっとも台湾がここに来て感染爆発というのが面白い。オードリー・タンとは何だったんだ。
「評伝 ナンシー関」横田増生・中公文庫。
素晴らしい一冊だ。著者はAmazonやユニクロへのルポで知られる潜入男。だがこれはどこにも潜入せず、膨大な紙データとインタビューによって構成されている。素晴らしいのはその構成力で、よくぞここまで見事な物語に仕立て上げ、ナンシー関という空前絶後の異能をリアルに浮かび上がらせたものだと驚く。ナンシー関は、前にも書いたけれど、その残されたコラムを読むと、素晴らしく高い普遍性をもった文章を書いていたことに気づく。テレビ評論という泡のように消えるはずの文章がどうしてこんなにも普遍的なのか。それは限りなく本質を突いた見方がそこにあるからだと思う。すべてのコラムが絶品。
2022.06.16
生産緑地法が施行されて今年で30年だから、いわゆる2022年問題というのがえらいことになっていて、案の定、オレんちの隣の畑も売られてしまった。
隣の畑はサッカーのコートぐらい広い。その一部、テニスコートぐらいの土地が売却されてしまったのである。
仕方ない。オレの土地じゃない。納税者もオレではない。広々とした畑が気持ちいいからぜひ残してほしいと願うのは勝手だが、願うだけだ。
では売られてしまったテニスコートに何ができるかというと、保育園なのである。民間の保育園だ。
これに伴って隣接する区立保育園の廃園が決まった。順番としては廃園が先に決まって、その代わりに民間保育園が開園するために土地が売られたということかもしれない。
いや、さらに逆で、生産緑地法の指定解除を見越して以前から不動産業者が土地の売買に暗躍し、地主と保育園の会社と練馬区の三者をいっぺん言いくるめてしまったのかもしれない。フィクサーだ。お主も悪よのう、ぐふふふ。などという会話がかわされたかもしれない。
ただ納まらないのは古い区立保育園に子供を預けている保護者たちである。
いや、つい納まらないと書いてしまったが、納まるも納まらないもなくて、周囲からすればなんの問題もない真っ当な話なのである。
要するにあんまりにも老朽化が進んだ保育園が新しく建て替えられるという話ではないか。経営が区から民間に移るとしても、ボロい園舎ではなくて新しくて清潔な園舎に通わせられるというのは、子を持つ親としてはラッキーではないのか。
だから市民運動家っぽい仲間を引き入れて駅前で「閉園反対、区はひどすぎます」なんていうビラを配っていたところで、近隣としてはまったく共感できないのである。
それならせめて、新しい園舎ができると子供が増えてますますうるさくなるじゃないですかと訴えたほうがよほど共感を集めるのではないか。
何かコトを動かすには、大義と合理性が必須である。
新しい園舎の建て替えを反対するには、大義も合理性もまったくないというわけだ。
オレとしては隣の畑に保育園ができると、景色が変わり、風の流れが変わって、日照も影響を受けちゃうんじゃないかというのが一番の心配事だ。だがそれには合理性はあっても大義はない。私情だけだもんな。だから大人しくしているだけである。
2022.06.15
おっと危ない。代表の試合をスルーするところだった。オレとしたことが。いや、別にオレとしなくてもいいのだが。
対戦相手はチュニジアだ。息子に聞いたらアフリカの北の国だという。
「北の国」といったら、さだまさしだ。やつの高い商魂と低い志、そして底辺の音楽性はどうにかならんのか。
腹が立つなら見なければいいのだが、たまたまつけたNHKの歌番組で、ウクライナ戦争に乗っかった曲を歌を歌っていて、さすがに乗っちゃだめだろうと思ったわ。乗ったわけじゃないどうしたこうしたという言い訳はあるのだろう。だが結果として乗っちゃってるし、キーウから遠く離れた街で商売してるし。ゴールデンタイムの全国放送で。しかもそれが音楽的に陳腐すぎるとしか言いようのないレベルの低さだし。SMAPが2006年にリリースした「Triangle」のほうが、何十倍も素晴らしい反戦歌だ。
いかんいかん、さだまさしを前にするとつい怒りで我を忘れてしまう。くまだまさしの方がよほど世の中を平和にしているぞ。ちなみに息子の高校時代の友達に、すだまさしというのがいたそうだ。彼は周囲から常に「どっちなんだ」と突っ込まれ続けていたらしい。
その息子にチュニジアは強いのかと聞いたら、FIFAランキングでは格下だという。では格下に負けたということか、我が日本は。いや、別にオレのものではないが。
などと言いつつ、実はこのゲーム、ほとんど見ていないっす。すっかり忘れていたっす。キリンカップを。
例によって弟からのLINEで試合を知ったわけだ。そしてその時点で既に0-2と負けており、オレがちゃんと見たのは試合終了間際の3失点目だった。
もうチュニジアの勝ちは決まっている。だから一人でゴールに迫ったチュニジアの選手も、大きくゴールを蹴って時間稼ぎできれば十分と思っていたはずだ。宇宙開発でいいんだ、と。
そんな気楽さがいい具合に働いて力が抜けたのだろう、ミドルシュートが日本のゴールにきれいに決まったのだ。時間稼ぎのシュートのつもりが見事なゴールになったのだから、チュニジア人は大儲けだ。
問題は日本の守備陣だ。ディフェンス2人がチュニジアに併走していたが、左右にいたフリーの相手が気になったとは思うものの、ちっとも体を寄せず、自由に打たせてしまっていた。きっと「どうせこれは時間稼ぎの宇宙開発」と決めつけていたに違いない。困ったもんだ。
困ったついでに2失点目をリプレーで見てみたら、これも明らかに守備をサボっているではないか。
プレスしない、人任せにしている、声をかけない。
アマチュアかよ。素人かよ。まったく情けない守備だった。
いやいや、攻撃も酷かったぞ。ってこれは久保君を名指しなのだが。
終盤ボールをもらった久保君は、焦っているのだろうか、無理矢理中央に切れ込んでボールをロストしていた。仲間を使うことを知らないのか、しないのか。このワンプレーを見ただけで、とても代表選手としては使えないと思ってしまったね、オレは。
いや、オレが思っても、森保が使いたいと思えば使われるのだが。久保君は。
あのプレーはバカの一つ覚え。それでなくても左サイドをうろうろして三笘のスペースを消しまくっていた。三笘は実にやりづらそうで苦笑いである。
「森本二世かもな」という息子の予言が当たらないことを祈るのみである。
さて、そんなふうにさらっと日本代表の抱える闇を指摘した後、オレがここに持ち出すのが昼メシ問題である。
今日オレが昼メシに向かったのは本郷の大阪王将である。オーダーしたのは大阪チャーハンに餃子というセット。ジャンクすぎるメシで、決して食いたいと思ったわけではなく、半分ネタで頼んだのだ。そし出てきたそれは、とんでもない量のチャーハンだったのである。具にはウィンナにナルトにエビ天ぷら。一体何が大阪なのかよくわからないが、とても下世話な食い物だということはよくわかった。
もちろん64歳が食い切れるものではない。運ばれてきた瞬間オレは、やらかしてしまったことを悟り、ひゃーごめん、たぶん残すと中国人の店員に口走ったほどだ。そして当然のように半分残してしまったのである。
いや、旨かったよ。見たまんまの味で、タマネギのよく効いたチャーハンは美味だった。しかし量がとてつもないという話だ。
これで990円。学生ならペロッと平らげるのだろうが、64歳としては量は半分にしてもらって700円ぐらいで設定してもらったら嬉しかった。
そしてこの昼メシ、一緒に行ったウッチーがおごってくれたのである。おお、ありがたや。ウッチーはいつもこうして気前よくおごってくれる。感謝である。
この昼メシ問題について、先日、ある現場で話し合ったことがある。
オレに仕事を発注した制作会社の担当者が「社内規定が変わってお昼代を払えなくなりました」と申し訳なさそうな顔で言ってきたのである。以前は1000円以内という縛りはあったものの、確かに昼メシ代は払ってくれていた。コストダウンを進めていくため、それが払えなくなったというわけだ。
まあ、1000円以内というのもいまどきはちょっと微妙で、ラーメンなら食えるが餃子のセットは厳しいというラインだ。大阪王将ならいけるが。
もちろん昼メシ代が出ないからといって、そんなことでオレは暴れたりしない。穏やかに、気にしないでください、大丈夫ですよーと答えたのである。
担当者は「でも、他社はどうされているんですか」と聞いてきたので、払ってくれるところもあれば払ってくれないところもありますよと正直に答える。そして、どっちでもいいけど正直に言うなら、ファイナンスはそっちの仕事だろと思いますねと伝える。
そうである。制作会社だろうが広告代理店だろうが、間に立って中抜きしている立場の会社は、ファイナンスすべてに責任をもつべきである。だからメシ代ぐらい払うのが当たり前だろうというのが昭和なオレの考えだ。
担当者はそれを聞いて「うーん、そうですよねえ」と思案顔。オレはあわてて、でもメシ代の出る出ないでパフォーマンスに差が出るなんてことは絶対ないですからと付け加える。
担当者はやはり「うーん、そうですよねえ」と答えるのだった。
間に立って中抜きしているのは、いったい何のために中抜きしているのだ。抜いた金の使い道はちゃんと考えているのか。
オレはそう思うのだが、しかしそういう態度を出すのは物欲しげで下品でタカリのようであるから、心の中に押しとどめているのである。だが本心ではそう思っているのだ。メシ代を出すのだって仕事のうちだろう。
もちろん現場の人たちはだいたいが気持ちよく払いたいと思ってくれている。「会社の規定で」と口にするときは、だからとても申し訳なさそうだ。
その点ウッチーは自分の考えが会社の規定そのものだから、ためらうことなく払ってくれる。こちらも心置きなくごちそうさまと言える。ありがたいことなのだ。
昼メシが旨いと午後も元気に働ける。またよろしくお願いしますね。
2022.06.14
マツコ・デラックスが阿佐ヶ谷姉妹に対して「私たちはいったい何を見せられているのだろう」と書いたのを読んだとき、オレはその言語感覚の鋭さに舌を巻いた。阿佐ヶ谷姉妹という不思議な生き物をこれほど的確に言い表した言葉を、オレは他に知らない。
この感覚は間違いなくナンシー関に通じるものだ。
と、唐突にナンシー関のことに触れたのは、今、ナンシーの評伝を読んでいるからである。
これがめっぽう面白いのだが、なんとなくデジャヴ感があって、検索してみたら2012年の8月22日に既に読んでいた。自分の日記を検索する不思議なおじさんとはオレのことだ。
するとこの本もどこかにあるかと思うのだが、きっとブックオフに売っちゃったに違いないので、まあ、買い直したと思うことにしよう。
ナンシー関の本では「ナンシー関大全」という分厚い本が手元にある。3000円もしたやつだ。ナンシーが亡くなって編集されたもので、これは手元に置いておかなくてはと考えて買ったんだと思う。
これなんかをちらちらと眺めていても、ナンシー関の書いた文章の驚くべき普遍性に刮目する。テレビという刹那的に消えてしまうコンテンツを相手にして、その一瞬のたたずまいのようなものを切り取って書いているというのに、それは実に奇跡的なことなのだと思う。すげえよ、ナンシー。
そしてナンシーといえば早見優なわけだ。調べたら1983年のリリースだそうだ。「夏色のナンシー」は。だからというわけではないが、今日読んだのが
「EPICソニーとその時代」スージー鈴木・集英社新書。
「80年代と書いてEPICソニーと読む」と帯で煽っているように、この本はEPICソニーの送り出した音楽を通じて80年代を描こうというものだ。
暗く鬱屈した60年代の後にやって来た70年代は、荒井由実に象徴されるとことん明るくておしゃれな時代だった。そしてパラシュートを背負った沢田研二が華々しく号砲を鳴らした80年代は底抜けにアホな時代だった。いうまでもなくバブルに向かって一直線、仕事なんかやってられっか、飲め歌え踊れ遊べという時代だったのである。
ちょうど80年に社会人としてのスタートを切ったオレは、だがしかしそんな世相とは裏腹に地べたを這うようなコピーライター人生を送っており、マジで音楽なんか聴いている余裕はなかった。
従ってこの本で詳しく語られている佐野元春や岡村靖幸、大沢誉志幸といった連中の歌を、驚くほど何も知らない。だからこの本についても行ったことのない観光地の旅行案内みたいな感覚で読んだのである。
「My Revolution」で何かをつかみかけた小室哲哉が「EZ DO DANCE」で「狭い音域での繰り返しフレーズ」という鉱脈を発見したという指摘は見事。確かに「EZ DO DANCE」はドドーレレ、レレードドという「レ」と「ド」の2音しか使っていないという驚異のサビで、その繰り返しは仏教の声明に通じる軽いトランス状態をもたらす。
なるほど、小室哲哉の音楽がどことなく日本くささをまとっているのも、このためか。
この後EPICソニーはドリカムにたどり着くわけだが、オレがドリカムに感じる胡散臭さの正体は、意味のない転調と、なかなかトニックに落ち着かないという嫌みな小技を散りばめた曲作りにあるのではないか。
「晴れたらいいね」はバート・バカラックで「ラブラブラブ」はまんまアルバート・ハモンド「落葉のコンチェルト」。いや、そんなパクリはともかく、80年代のEPICソニーはドリカムの登場をもって終わりを告げたのである。
スージーはドリカムは吉田美和のルックスであると断じるが、オレはあの「上手いでしょ、アタシ」という歌い方がどうにもダメだわ。
ちなみにナンシー関は大のドリカム嫌いで、「ドリカムの歌を聴くならガラスを引っ掻く音を聞いてた方がまだいい」と言ってたという噂もあるほどだ。
なかなか素晴らしいドリカム評である。
2022.06.13
「足が速くなくてもいい。パスが速ければ」というバルサの考え方には深く納得する。
しかしイニエスタを見ていると「パスは速くなくてもいい。タイミングとコースさえ素晴らしければ」という方がさらに正しいような気がする。
などということを考えながら見たわけではないが、というよりそもそも試合を見たわけですらないのだが、オーストラリアがペルーとの大陸間弾道ミサイルじゃない大陸間プレーオフに勝ってワールドカップ出場を決めた。
ワールドカップを賭けた一発勝負。
それだけでもしびれるというのにゲームは0-0のまま延長戦になだれ込み、それでも決まらなくてPK戦に突入して6人目で決まるという、まあ、聞いただけでもヒリヒリする展開だったようだ。ジョホールバルを上回る緊張と興奮だっただろう。オーストラリアでは長く語り継がれる試合になったに違いない。
それにしても南米、よっわ。
日本がここ何年も負けていないオーストラリアに敗れてしまうとは。
もはや南米で強国と呼べるのはブラジルとアルゼンチンだけで、それ以外の国はアジア予選でも勝てるかどうかといったところだろう。
いろんな意味での経済格差とかがこういうところに表れているのかもしれないなあ。
などということを考えたわけではないが、今日は本郷三丁目で仕事をした帰り、まだ16時だというのに誘惑に負けて駅前の居酒屋でビールを飲んでしまった。これが実にいい居酒屋で、路面店で1階というベストポジションに加え、ホッピーに焼き魚のある昭和の王道居酒屋だ。
ネットを見れば「男子校のような居酒屋」とあって、確かにまだ16時という明るい時間に店にいるのはおっさんばかり。あ、オレもだけど。
こういう居酒屋でいいのだ、オレは。これから本郷三丁目に来たら寄るようにしよう。ちょっと高かったけれど。
2022.06.12
日曜の午前中、アマプラやネトフリで映画を観るのが好きだ。
何の予定もないヒマな日曜だと完全に時間つぶしという心理で観るので、実に心地よい。特に昨日は愛するクラブが難しいゲームを乗り切っての勝利だったから、今朝の気分のよさは格別だ。
日曜の朝には、のんびりしててほのぼのしたコメディが一番いい。恋愛ものは変にどろどろしてるとうんざりだし、最近の恋愛映画は予告なくエロをぶち込んでくるので油断できない。
コメディでなければアドベンチャー系やパニックものがいい。例えば「シンゴジラ」なんかは最高だ。だが「シンウルトラマン」はまだネットに来てないし、楽しみにしている「シング2」もまだである。「大怪獣のあとしまつ」もまだだ。
「マスカレードナイト」は先日観たが、前作の「マスカレードホテル」の方が数倍面白かった。
「マスカレード」つながりで言えば、木村拓哉の「HERO」なんかは日曜の朝に寝転びながら観るのにちょうどいい。
アマプラとネトフリをポチポチしてて適当なのが見つからず、仕方なく岡田准一の「ファブル」を観る。コメディとのうたい文句ではあるのだが、案の定、冒頭から人が殺されまくって、うんざりする。日曜日の朝の呑気な気分が台無しだ。
仕方なくというか、結局スポーツに走り、バルセロナの歴史を扱ったドキュメンタリー作品を観ることにした。バルセロナと言ってもサッカーのチームのことだが。
これがなかなか秀逸で、メッシの歩みやペップの戦術などを詳しく解説してくれた。興味深かったのは、ここで解説されているバルサの戦術がまんまアルビレックスの戦い方であることだ。やっぱり前監督のプッチは完全にバルサを日本仕様にして落とし込もうとしたわけだ。それが花開いたのが今年だと。
要するに彼は勝負師ではなくて、教育者だったのだ。
アルビレックスではキーパーがボールを蹴るとき、センターバックの千葉が隣に立つ。センターバックの後ろから蹴るのではなくて、隣で蹴るのだ。その理由についてもバルセロナの戦術解説を見たら、なるほどなーと納得してしまった。
午後、J2をさらりと眺める。高みの見物とはこのことだろう。
ヴェルディが秋田に後半40分まで2-0とリードしていたのに、残り5分で2-2に追いつかれてずっこけた。さすが大量得点大量失点が得意なチームである。2-0は危険なスコアなのだ。おかげで来週アルビレックスが対戦する秋田を調子づかせてしまったではないか。ああ面倒くさい。
ヴェルディも落ちぶれたものである。新井瑞樹は敵チームから見ていてもほれぼれするような選手なので、来シーズンは間違いなくJ1に引き抜かれているだろう。
アマプリが年間3900円か? ネトフリはケーブルテレビの料金に含まれている(頼みもしないのについてきた。きっと割高なのだろう)。あれば観るがなければないでなんとかなる。今のところ必須なのはDAZNだけだもんなあ。
ますますテレビなんかいらないよなあ。
サッカーの視聴率が下がっていて人気が落ちたと言われているけれど、視聴率が下がったのはサッカーじゃなくてテレビ全体だもんなあ。
2022.06.11
「神は細部に宿る」はドイツの建築家ミース・ファンデルローエの言葉だが、「髪は最後に残る」はハゲの悪あがきである。
いや、ちょっと待て。今はハゲとかそういうことではない。オレが言いたいのは、アルビレックスの松橋力蔵、略して松蔵監督の試合後のインタビューである。
「ディテールをしっかりやったから勝てた」。
後半48分、大分のコーナーキックからボールがこぼれてわーわーの時、アルビレックスの選手たちは一歩を踏み出してラインを上げた。その瞬間、大分の振り抜いたシュートはオフサイドとなったのである。
前半、アルビレックスが先制した場面で大分のディフェンスがセルフジャッジして足を止めてしまったのとは大違いだ。
後半ロスタイムで疲れは極限に来ている。それでも歯を食いしばって一歩を踏み出し、ラインを上げる。
松蔵が口にしたのはこういう場面のことである。
それにしても今日の相手は強かった。強くて当たり前、去年までのJ1で今年も昇格候補に挙げられていた大分なのだから。
この大分にアルビレックスは2-0と先行し、後半は怒涛の追い上げを受けて何とか2-1で逃げ切る。先日は負け試合を引き分けに持ち込み、今日は負け試合を勝ち切れた。ようやく本物の強さがついてきた感じがする。
おかげで前半戦を終えたところで2ポイント差の単独首位。勝ち点が試合数のちょうど倍、つまり試合数×2=勝ち点という自動昇格のメドにたどり着けた。やれやれ、よくやった。
今日の試合は本当に疲れた。いつやられるかとヒヤヒヤしながら見ていた。
ゴール前のヘディングの瞬間は、やられたと思って完全に諦めたのに、それがキーパーの正面を突くという幸運。これはキーパーの小島が以前に大分に所属していたことからくる、いわゆる恩返し弾だったのだろう。そのほかにも似たようなシーンがいくつかあって、神は舞い降りてきたという感じだった。髪は決して降ってこない。生えるだけだ。
反対に以前新潟に所属していた渡邊新太のシュートがオフサイドだったりしたのも、神様のおかげ。というのも渡邊はレフェリーの見ていないところでこちらの選手をこっそり蹴ったり、転んだ瞬間に膝をケツに入れたりと、言語道断の汚いプレーの連続。お天道様は見逃しはしないのだ。オレたちも見逃しはしなくて、渡邊はもう新潟に帰ってくるなという声のオンパレード。あんな薄汚い選手だとは思わなかったわ。ハゲてしまえ。
途中出場の谷口が途中で引っ込められるなど、不思議采配もあった。谷口、足首をぐるぐる巻きにしていたそうであるから、怪我か。ヤバいな、これは。
監督インタビューの際にアルビレックスの選手たちによる歓喜の咆哮がうるさすぎて、監督が「うるさい」と苦笑したのはなにげに名シーンである。
そうそう、この松蔵監督、とても穏やかで知的な感じのする素晴らしい人格者なんだけど、今日のゲームで一瞬抜かれたときは鬼神の表情でびっくりした。目を見開き、口を大きく開けて何か叫んでいる。こんな表情を見たのは初めてだったので、穏やかさの下の熱さに感動したぜ。この監督なら不思議采配の末の谷口交替も、しっかりフォローしてくれるだろう。
決して懲罰交替ではない。キジェや永井、田坂だったら懲罰交替もあり得るが、あんなヤカラのパワハラ監督とは違うのだ。こちらの監督さんは。
それにしても良いゲームだったというのに大分のサポは激怒していたなあ。本気で怒っていた。どうやら自動昇格は既定路線というぐらいに思っていたのに下位に沈んでいてもはや昇格は不可能なところまで落ちてしまったから、怒っているらしい。
めぼしい選手が軒並み怪我で、フィジカルコーチはぼんくらだ。選手は選手で、はやくもここから逃げ出そうと移籍のことを考えている。そうしたすべての罪は監督にある。
そんなことをまとめて怒っているようなのだ。
まあまあ、落ち着け。サッカーは終わりじゃない。まだ続く。呑気に楽しむJ2もいいもんだぞ。
とオレたちは上から目線で言うのであるが、いやいやいかんいかん、もっと謙虚にならねば。昨年の大失態を忘れちゃいけない。まだまだオレたちは何も成し遂げていないのだ。
いや、オレが成し遂げるわけではないが。
「リケジョ」伊予原新・角川文庫。
主人公は物理などを研究する理系の大学院生。リケジョだ。彼女が身の回りに起きる様々な事件を、豊富な科学的知識を駆使して解決していくという、著者お得意のパターンである。それはいいんだけれど、どうもキャラクターの書き分けがうまくなくて、話に入り込めない。唯一上手く書けていると思えるお手伝いのおばあちゃんが、結局は何のキーパーソンでもなく終わってしまって、もったいない。
2022.06.10
今日は日本代表の試合があったんだ。
まったく知らなくて、弟からのLINEで気がつく。ガーナ戦だって。どこだよガーナって。
テレビを付けたら久保君が代表初ゴールを決めた直後だった。リプレーを見たらほとんど三笘のゴールで、しかも相手に当たってコースが変わっているからオウンゴールじゃんね。
まあよい。これでまたも久保君祭りがメディアで始まるかと思ったら、ちょっとおとなしい。どうも最近、メディアは久保君から松木玖生に乗り換えたような節がある。
松木の方が若くてイケメンだし、活躍するのはこれからだから温かい目で見守りやすいし。
まったくメディアには困ったものである。きっとサッカーなんてどうでもいいと思っているに違いない。
まあ、テレビで代表戦をやっているときだけ見るライト層には何らかのアイコンがあった方がアピールしやすいのは確かではある。というか、そんな考え方自体がもう古い。今は令和なのだ。
それにしてもこんなゲームに意味があるのかよと思ったら、キリンカップだったのね。昔は盛り上がったものだったけどな、キリンカップ。オレも何度か国立競技場まで見に行ったものだった。
昔はテレビも酷くてゲームの間に平気でコマーシャルを入れて、対戦相手は忘れちゃったけど、CMの間に点が入ってたなんてこともあった。
オレが国立で見たキリンカップのパラグアイ戦も酷かった。クイックスタートのフリーキックでチラベルトの虚を突いて1点を入れ、日本が勝ったのだが、そのフリーキックの瞬間がテレビに映っていなかったという大事件が起きたのだ。ドイヒーなカメラワーク。要するにサッカーのことなんて知らず、フリーキックはアイドル選手の大写しタイムぐらいにしか思っていなかったから、こんなことが起きたのだった。
まあよい。ガーナ相手に4-1。どこだガーナ。
久保とか前田大然とかはいらないなあ。柴崎も。原口はベンチにいると心強いかも。久保だったらまだ中島のほうがいいだろう。
三笘と伊東純也はオレのイチオシで、今日は本領発揮。というか、ブラジルには歯が立たないけれどガーナには無双できるというのが今の立ち位置ということだろう。つまり世界的に見ればまだ二級品。没落日本も二流国。
でもこういう地元興業のカップ戦はもう役目を終えたのではないか。対戦相手は明らかに観光気分で本気じゃないし、そんな相手に地元で勝っていい気分というだけだ。協会の営業収益のため、そしてそれが代表の強化につながるというのは理解できるが、そんなことよりヨーロッパに遠征してどこかのクラブチームと練習試合をさせてもらった方がよほど強化につながる。今の日本ならけっこう喜んで相手にしてもらえるんじゃないか。
そんなことを考えながら今日発売された文藝春秋を読む。俳句のおばちゃんの夏井いつきのコラムが面白かった。亡き父親の思い出を語ったもので、短い中にも、少女時代の父親との心の交流について温かく描かれている。テレビで見るこのおばちゃんは嫌いだが、このコラムは良かった。
ビートたけしが上島竜兵を追悼していたが、中身の浅い言葉だった。経済学者が日本のハイパーインフレに警告を発していたが、息子に見せたら、意図的にミスリードした記事になっているとのことだった。名のある経済人がこんなことを間違えるわけはないから、どうせ読者には分からないだろうとわざと誤った方向に記事を展開しているとのことだった。ほえー。
総合誌各誌とも最近はウクライナ疲れ、コロナ疲れがあるようで、戦争ネタのボリュームが明らかに減っている。まあ仕方ないか。久保君から松木に気移りしたのと同じだ。
「東京タイムスリップ1984⇔2021」善本喜一郎・河出書房新社。
写真集である。1984年に撮影された東京の写真を左ページに、まったく同じ場所を同じアングルで2021年に撮った写真を右ページにという構成の写真集だ。オレが特に見たかったのが新宿である。それも新宿東南口。1984年ということは昭和59年で、オレは新宿でサラリーマン4年目だった。26歳である。泥船のような制作会社で泥を飲むような日々を送っていた時代だった。仕事が終われば新宿の街で飲んだくれていた。歌舞伎町でもよく飲んだ。
そんなオレが近づいても決して足を踏み入れることのなかった場所が新宿駅東南口だった。今のルミネやバスタのあるあたりである。今は大変にこぎれいな場所だが、当時は戦後のバラックがそのまま残ったような一帯で、恐ろしくてとても歩けなかった。なにしろこの一角に立って口元に手を寄せてオロナミンCでも飲む振りをすると、それが符丁なのか、シンナー売りのチンピラが近づいてくると噂されていた。そんな場所をオレは、酔った目で遠巻きにしながら通り過ぎるばかりだったのだ。
魔界のような1984年の東南口が、この写真集では実に見事に切り取られていて、そうそう、これこれと、オレは感動しながら見入ってしまった。写真を見ると新宿は実に汚くて品がなくて怖い街だったことがよく分かる。ついこないだのことのように感じるが写真は実に古くさく、人々の格好も戦後かよという感じで、よく考えれば40年近くも昔のことなのだからそれも当然のことだった。まったく昭和はノスタルジーとして振り返るには十分に味わいぶかい時代であるけれど、しかしモラハラパワハラ当たり前、人々は平気で煙草をポイ捨てして水も空気も汚れ放題の酷い時代だったと思う。
この写真集には渋谷駅周辺もたくさん紹介されていて、もはや昭和の渋谷と今の渋谷はまるで違う街。息子と一緒に見ていて気がついたのだが、昭和の渋谷はよく知っているけど今の渋谷の写真は「どこだこれ」と見たことのない場所ばかりで、オレの頭の中の渋谷は学生時代に過ごした街のままなのだ。とほほ情けない。
2022.06.09
三戸ちゃんは思った。
どうしてボクのところにはパスが来ないんだろう。いつもアルビレックスでやっているのと同じタイミングで動いてるのに。スペースもつくって、受けて、持ち上がりたいのに。でも誰もボクにパスをよこさない。ボールは頭の上を飛んでいくばかりだ。
三戸ちゃんは焦る。
松木クンは仲良くしてくれるけど、他の人はみんな年上でおっかないし。特にヤカラの中島クンなんて、ボクがボールを持つと「とっととオレによこせ」と怒鳴るし、手抜きプレスのアリバイ守備なのに1試合に1仕事すればいいみたいなおっさんフォワードだし、あれじゃ第二の鈴木優馬だよ。
そして三戸ちゃんはついに決心する。
このままじゃ選んでくれた大岩監督に申し訳ないし、次から使われなくなる。よし、だったら自分で取りに行くぞ。えいっ。あっ、やっちゃった。でもこれぐらい、J2では日常ちゃめしごとだし。
だがここは中東。しかも前半だけで何度目だというVAR大好き審判団。三戸ちゃんはあっさり一発レッドで退場となる。
ああ、かわいそうな三戸ちゃん。せっかく決勝トーナメントに進出したというのに出場できない。
でも、もういいよ、三戸ちゃん。こんなクソ代表にいても何も得るものはないし、次の韓国戦に出て怪我するより出場停止の方がよっぽどいい。もういいから帰っておいで、今すぐ帰ってくれば週末の大分戦には途中出場で間に合う。
アルビレックスサポーターはこんな心の声を送るのだった。
「昭和トワイライト百景」フリート横田・世界文化社。
鶴見線国道駅とか、飯田橋駅前の長屋ビルとか、東武練馬の楽天地とか。都会にぽつんと残された昭和な空間を訪ね、飲み屋ののれんをくぐり、一杯飲んでくるというルポものだ。どの建物や路地も、おじさんたちの心を激しく揺すぶってくる。著者はこういう建築物関係の著作を得意としていて、古いスナックに飛び込んでは店のママや常連客に一帯の成り立ち、歴史などを突撃インタビューしてくる。そこに描かれている物語たちのなんと熱いことよ。こういう昭和レトロな空間は、いつまでも残っていてほしいものだ。もっとも著者によれば今や平成レトロという言葉が飛び交う時代になっており、確かに考えてみれば昭和から平成に切り替わった頃に思春期を過ごした若者たちはもう40代から50代だから平成ですら遠い記憶になりつつあるのか。時の流れの速さときたら、まったく。
ところでなぜ急にこんな本を読んだかというと、久しぶりに「本の雑誌」を手に入れたからである。
特集が「いまルポルタージュが熱い!」。これは確かに熱い特集だ。ページをめくれば、平成からのノンフィクションの代表作がずらり。どれもこれも面白そうである。読みながらいくつかAmazonでポチッとして、そして届いた一冊が「昭和トワイライト百景」だったという次第だ。午後イチぐらいにポチッとしたら夕方には届くんだから、びっくりである。
一番面白かったのは「横田増生はなぜ潜入するか」というインタビューだった。この人はAmazonやユニクロでアルバイトとして働いて、その経験を本にした人。柳井さんの言葉なんて現場じゃ誰も聞いてないとか、実に赤裸々で興味深い内容になっている。ユニクロからは訴訟を起こされ、要注意人物としてマークされていたので、なんと戸籍まで変えて名字を変え、面接を無事にくぐり抜けてアルバイトとして採用されたという強者だ。そのあたりの経緯を振り返った内容は面白かった。
トランプに会いたいとアメリカに忍び込んで連邦議事堂突入のデモに巻き込まれるという体験までしている。
あとは小野一光というライターのストーカー被害体験が面白かった。
ルポライターとかノンフィクションライターにはこういう危険がつきまとうのだろうが、取材した相手が多重人格者で、そいつらが入れ代わり立ち代わりメールと電話で凄まじい抗議を浴びせてきたというのである。最終的には警察に被害届を出したそうだ。やっぱりノンフィクションなんて危ない仕事なんだ。
「昭和トワイライト百景」著者のフリート横田も同様のトラブルを「本の雑誌に」綴っている。インタビュー時は実に穏やかな態度の人だったのが活字なった途端とんでもない勢いで激怒して、結局全てをボツにせざるを得なかったそうだ。反社がらみだったそうで、これも危ない話だ。
そういや平成ノンフィクションの代表作の中に「ルポ川崎」が上げられていた。平成ではなくて令和の作品だが。
この一冊は文庫にもなったことだし読もうと思って何度か書店で手に取ったにも関わらず、目次をパラパラすると、いつもうんざりされらせ、結局は買うのをやめてしまっている。今日も「本の雑誌」を読んだその足で大手町の三省堂書店に入って「ルポ川崎」を手にしたのだが、やはりいつものようにページをパラパラしてうんざりし、そのまま棚に戻して帰ってきた。
この一冊は川崎のダークなところを深くえぐったものである。話は京急線の港町駅近く、例の中学生のいじめ殺人から始まる。もうそれだけでうんざりしてしまうのだ。相当にディープな話を深く鋭く探った素晴らしいルポなのは間違いないのだが、もうオレの精神はそういう強すぎる話を受け付けなくなっているのかもしれない。ミステリーや映画でも人の死ぬ話は避けて通るようになったしなあ。帯の煽り文句も「ここは、地獄か?」という凄まじいものだし。
ちなみに最初の案では「川崎」という書名の予定だったが、それでは検索に引っかからないという編集の判断によって「ルポ川崎」という書名になったそうである。ちょっと面白いエピソードだ。
なお「本の雑誌」では椎名誠の「哀愁の町に何が降るのだ」という連載が始まっていた。椎名誠の本が一番面白かった頃を思い出させるタイトルで、案の定、どうでもいい話をだらだらと書き連ねている、相変わらずの椎名節だった。こういうのはこういうのでなかなかいいのだ。次が楽しみである。
2022.06.08
みんなはどうしているんだろう。
昨日の私の真摯なこの問いかけに即座に反応してくれたのが、オザキである。ももクロ好きのクセして、オザキはいいやつだ。
オザキによれば、いまどきメーラーなんて使うやつはいないという。コンプラのセキュリティが漏洩するとか云々。代わりにヴラウザでメールを見るのが大正義なのだそうだ。
ふうん、ブラウザかよ。
なんだかつまんない回答だな。正しい組織で正しい社会人として日々を過ごそうとすると、メーラーなんかでメールを見ちゃダメで、ブラウザ一択のようだ。
今やなんでもかんでもブラウザだ。テキストを書くのもブラウザだし、進捗管理もブラウザ経由のスプレッドシートだ。ブラウザがなければ地球の上に朝は来ないとさえ言われている。
ブラウザといったら、オレたちはやっぱりネスケだな。ネットスケープ。1990年代半ばから後半にかけてはネスケの天下だった。オレはMacintoshにぶち込んだくっそ重いネスケを使ってネットサーフィン笑していた。
当時はネスケかIEかという対決が、MacintoshかWindowsかというぐらい熱く、いや、京王線対小田急線、町田対立川、栃木対茨城というぐらいに激しかった。
それがネスケもIEもどっちでもいいという時代になったかと思ったら今やどちらも消滅して、栃木と茨城も消滅寸前である。いっそ合併しちゃえ。
そして令和の時代はChromeとSafariの天下だ。一時期、私はLunascapeという国産のブラウザを使っていた。けっこう使い勝手が良くて、国産らしい安心感があったが、動きのトロいところまで国産らしくて、やっぱりいつの間にか使わなくなってしまった。
Chromeの圧倒的に便利なところは、これ一つでスマホもタブレットも全部同期されちゃうところである。ブックマークはもちろんのこと、GoogleカレンダーもGoogleドキュメントも全部同期されちゃう。もちろんGoogleでメールを見ていれば、メールも完璧に同期だ。なんと便利なのだ。もはや令和の時代の日本人はGoogleとAmazonがなければ生きていけない体になってしまったのである。
いや、そんなことはどうでもいい。メーラーであった。
オザキは、今時メーラーなんて使うのは河島英五よりも時代遅れの男なのだと力説するが、オレは頑として受け付けず、引き続きeM Clientを使うのである。結局どうしたかというと、アカウントをいったん削除して、再度設定し直すという手に出て、なんとか対応できた。荒技というほどではないが、面倒なことよという感じだった。
そういやカレンダー問題もあった。
オレは前述のようにGoogleカレンダーを使っている。PCでもスマホでもタブレットでもChromeパソコンでも完全に同期できるからとっても便利。紙の手帳など、もう10年以上使っていない。
だが時々飽きてくる。浮気がしたくなる。
そこで先日はYahoo!レンダーを使ってみた。これがけっこういいのよ。使い勝手がいいというか、ユーザーエクスペリエンスが素晴らしいというか、使うのが気持ちいいアプリなのだ。よってすぐさまGoogleカレンダーとは離婚し、Yahoo!レンダーと再婚することにしたのである。
だが蜜月は2日も続かなかった。
なんとGoogleカレンダーの情報は反映されるが、Yahoo!レンダーに新たに入力した予定はGoogleカレンダーには反映されないことが判明したのである。これは弱った。Yahoo!レンダーを使うには前妻の痕跡を一切消し去って、完全に身も心も捧げないといけないのである。こうなると過去10年以上のオレの行動記録が瞬時に消え去ることになる。それはいかにも厳しい。過去歩消し去るなんて犯罪者みたいではないか。
もちはと言えば浮気相手だったYahoo!レンダーに、そこまで義理立てする気はまったくない。
オレはハッと目を覚まし、自分が間違っていたと気がついて、あわてて正妻のもとへと戻ることを決心する。
飽きたけれど、面白みはないけれど、やっぱり普段通りが一番いいや。
旅行から帰ったおばちゃんが畳に寝転んで「やっぱり我が家が一番!」と叫ぶように、オレはすごすごとGoogleカレンダーのもとへと帰っていったのである。
オザキはどんなカレンダーを使っているのだろう。
2022.06.07
フリーランスとして30年以上も1人で仕事をしてきて、それはそれはお気楽な毎日で大変に快適であり、今さら世間が在宅勤務だテレワークだと盛り上がっていてもようやく時代がオレに追いついたなと鼻を高くしているわけのなだが、1人で働いていて困ることもあって、その一つが「他の人はどうしているんだろう」問題である。
こういうとき、みんなどうしてるんだろう。
これって、何を使う人が多いんだろう。
今って、どれなのかなあ。
そんなちょっとした疑問を、会社ならば隣の人や同期に聞いたり、他部署の机をこそっとのぞいたりして解消できると思うのだが、1人だとそうもいかない。仕方なくネットを見て何となく分かった気になるだけだ。もやっとしたままだが。
そんな疑問の一つが、メーラーは何を使っているのだろうということである。長年の疑問だ。
ネットを調べると、Gmailの比率が高かったりする。なんだGmailって。そういうメーラーがあるのか。それってso-netも使えるのか。
Outlook的なやつの使用率も高い。今はOutlookなんてもうないのか? 要するにWindowsに標準でくっついてくるやつ。使いやすいのか、あれは。Wordが死ぬほど使いにくくてダサいように、Outlook的なヤツもドイヒーではないのか。
どうにもよくわからん。
みんな何を使っているのだろう。そしてそれはどういう理由で使っているのだろう。たぶん会社で決まっているからというような理由だと思うが、決める立場にあるオレはどうやって決めればいいのだろう。
というわけで、なぜいきなりこんなことを言い出したかというと、最近使っているeM Clientというメーラーが突然変になってしまったからである。
eM Clientはフリーウェア、つまりタダであるのだが、実に素晴らしい使い勝手でデザインもなかなかよろしい。大変に気に入っている。もう他のメーラーには戻れないほど、オレは偏愛している。
そんなeM Clientなのに、突然メールが受信できなくなった。サーバーがオレを認識しないでエラーを送り返してくるのである。
あれえ、おっかしいなあ。
そう思ったオレは、以前使っていたジャストシステムのShurikenというメーラーを引っ張り出し、確かめてみた。そうしたらちゃんと受信できるからサーバの問題ではなくてアプリケーションそのものの不審な動作であることがわかった。
このShurikenというアプリケーションは、国産メーラーだからというわけではないが、とにかく信頼性に関しては鬼である。長く使ってて一度も不審な動きをしたことはないし、迷惑メール、スパムメール対策も国防級だ。まさに鉄壁。ウノゼロ上等のカテナチオ。
一方で使い勝手はとことん最悪で、使えば使うほどストレスに感じる。見た目もとことんだせえ。例えばアイコンサイズを小さくするとか、ちょっとしたことをしようとしても、ものすごく手間がかかる。ユーザーエクスペリエンスとかユーザーフレンドリーとか、まったく無縁のアプリケーションなのだ。
一言で言えば税務署か裁判所がつくったんじゃないかというメーラーなのである。
こうした点は、実はジャストシステムの製品にはおしなべて言えることで、例えば校正ソフトJustRight!にしても使い勝手は最悪で実にストレスフルである。よくもまあこんなに気持ち悪い使い勝手ができるもんだと感心するほどだ。
メーラーというのは一日に何十回、何百回と触れるものだから、この使い勝手の悪さに伴うストレスは致命的。だが信頼性だけは鬼だから、今回のようにeM Clientが調子悪いという時の緊急避難用としては適役であることは間違いない。困ったときはやっぱりお巡りさんが頼りになるのだ。
こうして駄文をつらつらと書き連ねている間にもeM Clientの調子が戻らないかと期待しているわけたが、そして再起動も何度か試みているのだが、事態は変わらない。もしかしたらこのまま再びShuriken頼りの官僚生活、いや、もっといえば旧共産圏のような暗いメール生活に戻るのだろうか。ちょっとうんざりである。
みんなはどうしているんだろう。
2022.06.06
今日は朝が早い。7時前に家を出なくてはならない。
生憎なことに土砂降りだ。風も強く、朝刊を取りに出ただけで傘が役に立たない状態であることがわかった。
大学へ行く子供たちも、一緒に車に乗ることにする。
ところが歯を磨きながらいつものニュースショーの画面を見たら、電車が止まっているという報せだ。人身事故だ。これは復旧が長引く。
すぐに車で光が丘まで行き、駅前に乗り捨てて、電車を乗り継いで行くことにする。予定よりも速攻で出発だ。
光が丘は始発なので確実に乗車できる。息子は都庁前で乗り換えて本郷三丁目に駅に向かい、オレと娘は新宿で降りる。明大前へ行く娘を京王線のホームまで連れていき、オレは新宿駅でプチ遭難しながらぐるっと回って丸ノ内線。大手町駅を目指す。
復旧した西武池袋線は、案の定ダイヤが爆死。ホームには人があふれ、危険なので入場制限され、ようやく乗車してもまったく進まず、超満員の車内で身じろぎもできず、しかもぬれた傘がべっとりくっつくという地獄だったそうだ。
光が丘経由で正解であった。こういう時のクルマは大正義である。
それでもヘロヘロに疲れてしまい、大手町駅に到着するまでに一日のエネルギーの大半を使い果たしてしまったのだった。
なので夜帰ってきてすぐに風呂に入り、仕事は放棄して、日本代表とブラジルのゲームを観ることにする。
弟がLINEで送ってきたように、これがまさに「大人と子どものゲーム」だった。
確かに昔に比べたら日本もまともに闘えるようになってきたのは間違いない。何よりブラジルだからって腰が引けることなく、過度にリスペクトすることなく、要するにびびることなく対峙している。遠藤とネイマールのマッチアップなんて面白かったよな。
だが、結局は力の差が歴然。
伊東純也も三笘も堂安も通用しなかったのにはちょっと愕然とした。もう少しなんとかなるかと思ったのだがなあ。だからといって柴崎を出したポイチもどうかしてると思うが。
PKの0-1とはいえ、それまで耐えに耐えて、けっこうなラッキーもあって、何とかしのいだという印象だ。
ブラジルはさすがブラジルである。驚異的な個人技に加え、連携が素晴らしい。ゆっくりと気持ちよさそうにボールを回しているように見えて、実はギリギリ日本の足が届かない境界線を通らせており、しかもそのパススピードがむちゃくちゃ速いからゆっくり走っていても攻撃は速い。これはまさに貧民街で子供の頃からボール遊びに本気になってきた連中だからこそ体に染みついている試合運びだろう。
それにしてもこんな彼我の差を無視して、日本すごい、今日こそ歴史的快挙、日本強いを連発するテレビは何なんだ。相変わらず久保久保久保と久保の連発。先日のパラグアイ戦の惨状を知らないわけでもなかろうに。ゲストのお笑い芸人についてはもはや意味不明すぎる。
ただ一つ良かったことは、例の「おーにっぽー、にっぽー、にっぽー」のお経チャントが聞かれなかったことだ。
それに気づいたのは、ブラジル戦終了の1時間後、22時から始まったアンダー23のACLの日本代表のゲームを観たときだった。相手はサウジアラビア。会場はウズベキスタン。
こんな遠くのゲームなのにスタンドには日本人が何人かいて、こいつらが「おーにっぽー」と叫んでいた。こ、国辱か。やめろってそのチャント。これが耳に入ってくるくらいなら、代表の試合なんて観なくていいと本気で思う。
前の試合では期待の大型新人チェイス・アンリがグダグダで、とんだ一杯食わせものレベルの非難を浴びていた。確かに酷かった。だが今年の春まで高校生だったのだ。そこまで避難することはないだろう。それを思えば、この世代で久保くんがどれだけ図抜けているかは、改めて納得できる。問題はメディアの持ち上げ方なのだ。
とはいえ、ちょっとできるからとヨーロッパに渡ることが正解とは言えないというのも、久保くん以下の多くの選手が証明している。チェイス・アンリもヨーロッパに行くそうだが、しばらくは日本で経験を積んだ方が良かったのではないか。
サウジ相手にアンダー23日本代表は0-0の膠着状態。後半に藤尾が悪質なファールで一発レッドだ。
ジャンプする際に相手の顔面に裏拳を叩き込むという酷さで、そりゃあレッドも当然だろう。さすが徳島クオリティと、J2サポは全員が思ったのだった。
というのもこの藤尾は徳島の選手で、徳島と言えば先日の新潟戦で26ものファールをしたことでもわかるように、とにかく荒い。悪質。何かあるとすぐにファールで止めるサッカーをしている。だから嫌われる。
そんな悪質サッカーの代表が、若いくせにファールばかり覚えてしまった藤尾で、評判では徳島でも図抜けてDQNな人間とのことだ。
国際試合でもそんな悪質ファールを出すところに、こいつの人間性が出ている。
おかげで0-0だというのに日本は失点を防ぐことが最優先になってしまった。
いやまあ、別にそんなことはせず、思い切って攻めに出ても良かったのだが、そして攻めに出てあっさり失点して負けて帰国しても良かったのだ。
というのも今日も後半途中出場したのが、新潟の三戸。彼がチームに不在の今、新潟はやはりピリッとせず、徳島ごときに引き分けてしまった。新潟としては何としても三戸に帰ってきてほしく、できれば代表の試合はとっとと負けてすぐに帰国してもらいたいものである。三戸君には活躍してほしいが、変に目立っちゃって川崎あたりの引き抜かれても困るし。
クラブのためには代表なんてどうでもいいのだ。「おーにっぽー」も聞きたくない。そんなふうについにオレは、地元チームは応援するが代表なんて応援しないというカタルーニャ地方のスペイン人のようになってしまったのである。
そのスペインはネイションズカップでチェコと闘って引き分けだが、ヨーロッパで今一番ホッとなのはウクライナ対ウェールズであって、このゲームの熱さっていったらとんでもなくて、実に64年ぶりというワールドカップ出場を決めたウェールズのキーパーは神の手そのもので、一方の敗れたウクライナは22年ぶりというワールドカップ出場を逃したものの会場全体を感動の渦に巻き込んだのだったと、オレのサッカー話は延々と続くのであった。
こないだのJ3の愛媛対今治という愛媛ダービーも味わい深かったよ。
2022.06.05
時々耳にする「医療はサービス業」的な言葉には、猛烈な違和感を禁じ得ない。
ネットには病院やクリニックの評判をまとめた口コミサイトが山のようにある。それらを見ると実際に利用した人が星マークをつけながらコメントを寄せている。
「受付の中年女性が感じ悪かった」「看護師が高圧的」「早口で何を言ってるか分からない」「電話の対応が最悪」「雰囲気が暗い」云々。
いや、ホテルに泊まるんじゃないんだからさあと、オレなんかは思うわけだ。
多くの医者にインタビューしてきた中で最も印象に残っているコメントの一つが「医者なんかになるんじゃなかった」というものだ。
どんなに手を尽くしても、力の限りに頑張っても、目の前で患者が死んでいく。そのときの無力感にはいつも打ちのめされる。医者なんか最悪の職業だ、なるんじゃなかったと思ってしまう。
そんな言葉を聞いてもオレは立ち尽くして、いや、助けている命もあるわけだし、素晴らしい職業じゃないすか先生、と言うだけだが。
救命救急の現場にいる若い医者の話なんか、すげえ面白いぞ。
深夜に患者が運ばれてくる。今にも死にかけている状態の患者を前にして若い医者は何もできずにただうろたえるだけだ。ベテランの医者からは「邪魔だ、どけ」と言われ、看護師からも相手にされない。しかしそんな修羅場で歯を食いしばっているうちにやがて命じられたことに対して体が自然に反応するようになり、2年目には頭も働くようになり、そして3年目には人を動かせるようになっていくという。
そうしたギリギリの現場が医療なのだから、感じが悪いとか高圧的とかサービス精神が足りないとか、そういうアホみたいな理由で医療を格付するんじゃねえよと思うのだ。
そもそも医療なんてまだまだ発展途上だ。
例えば糖尿病という数百年も前からあるシンプルな病気に対して、医療はそのメカニズムを明らかにすることすらできていない。治せる病気なんてほんのわずかで、ほとんどが自然治癒力をサポートするしかない。
身も蓋もない言い方をすれば医療は欠陥商品なのだから、サービスを要求したところで応えられるわけがないのである。
そんな考えも及ばずに「受付の感じが悪い」と断じるのは、おのれの無知をさらけ出していることに他ならない。
医療の現場で闘っている人たちの言葉に接する機会が多いからどうしてもそちらに寄り添ってしまうわけで、少なくともオレ自身は医療にサービスなんて求めず、常に敬意を持って接したいと考えている。その上であくまで患者と医者は対等であって、同じ視線で向き合い、論を交わすという姿勢を大切にしたいと思うのだ。
今はもう閉院してしまったけれど、昔通っていたクリニックのドクターは最高だったなあ。待っている患者がいないときなんて、オレと40分もいろんな話をしてくれた。普段の診察でも自分の見立てを述べ、その理由を明確にした上で、オレにも判断を求めてくる。そして一緒に相談しながら診療方針を決めていく医者だった。最高の医者だったなあ。
もう引退するといって閉院してしまったけれど、今はどうしているんだろうと時々懐かしく思い出す。あのときの診察券はなぜか捨てられずに今も免許証入れに大切にしまってあって、ほとんど御守り状態だ。
2022.06.04
Jリーグのどこのチームも、問題サポーターには頭を抱えている。もめ事はしょっちゅうだ。
熊本が公式ホームページで新潟とのサポーターとのトラブルについて発表した。
「新潟のサポとうちのサポがトラブっちゃいました」という内容である。ひっかかるのは「新潟さんから連絡もらってウチのサポに事情聞いたけど、新潟さんの言うこととずいぶん違うんすよね」と書かれてあることである。つまり、新潟が被害者ヅラしてクレーム入れてきたけど、事情調べてみたらこっちが被害者じゃねえかよというニュアンスなのだ。
なんだこれは。面白いのでもっとやってください。
浦和、松本、徳島、鹿島あたりがオレ認定Jリーグ4大バカサポである。しょっちゅうもめ事を起こしている。よそのチームに言わせればここに新潟サポも入るらしい。
民度が低い。裏日本のひがみ根性丸出し。田舎もん。どん百姓。関東在住も多いので変なプライドも持っている。と散々な言われようだ。今日はそんな新潟サポが徳島のポカリスエットのスタジアムに集結して大騒ぎし、さらに民度を下げたようだ。なんと香ばしいことだ。
もっとも徳島サポだって相変わらずである。毎度のことではあるが、そしてあらゆる対戦チームのサポから迷惑がられているのが、カネの音である。
察するに阿波踊りで使うカネのようだ。あれを大挙して持ち込み、スタンドでチンチンカンカン鳴らし続けるのである。うるさいったらありゃしない。
さすが阿波踊りにおのれの全ての存在意義をかけた県民である。阿波踊りこそ我が人生。阿波踊りは世界を征服する。
騒音以外のなにものでもないあのカネの音も、彼らには天から響く極上の音楽に聞こえるのであろう。新潟のチャンスになるとチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンと一段と音が高くなるから、明らかに嫌がらせだと分かってやっているわけだ。
ちなみに徳島県民に向かって「よさこい」をほめると、顔を真っ赤にして逆上するからなかなか面白い。試してみてはいかがだろう。大宮でレッズをほめるような、あんな感じ。
そんなカネの音を相手にしたものだから、アルビレックスの選手たちもげんなりしてしまったのたか、今日は引き分けてしまった。情けない。実に情けない結果である。
1位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○△
さえねえなあ、おい、というのがゲームセットと同時にオレが息子に向かって吐いた言葉だった。先行されて追いついてという展開だったから、ここで勝ちきることは何より重要なのに、なんだか今日は全員が重かった。ふわっとしていた。
先日の天皇杯で1-4という惨めな負け方をしたことで、よろしくない運気を引き込んでしまったかのようだ。どうにも気分が良くない。
もっとも徳島なんて、枠内シュートが1本だけである。しかもその1本がPKである。
なんという恥ずかしさだろう。そんな恥ずかしいサッカー相手に引き分けてしまったことが、実に恥ずかしい。
しかしそれでもポジティブに考えれば負け試合をなんとか引き分けに持ちこんで、悪い運気を最小限にとどめたのは間違いない。しかも谷口の久々のゴールというおまけもついている。
PKだってボケナスレフェリーのボケに伴う事故のようなものだし。
よし、切り替えよう。あの貧乏くさいカネの音が耳について離れないのは不快であるが。
2022.06.03
今日は札幌へ日帰りである。
札幌は今年2回目だ。縁があるなあ。
日本全国、どこだって日帰りだ。札幌だって羽田から飛行機で90分である。近いものだ。近くないのはこっちだ。オレんちから羽田空港。ガチで2時間かかる。札幌より羽田の方が遠いのだ。
しかも今日は山手線が異常な混雑。乗り切れずに一本見送り、やっと乗り込んだと思ったら体がねじれるほどの混雑である。人が戻ってくるのはいいことだが、でも電車に乗るのはやめてほしい。少なくともオレの乗る電車には乗らないでほしい。
インタビュー仕事をサクッと終える。上手いとほめられる。調子に乗って、チョロいもんでっせだはは的なことを口走り、反省する。どうしてオレは謙虚になれないんだ。持ち上げられるとすぐに調子に乗ってしまう。
帰りのANAに乗り込んだら、オレの座るシートに知らないおばちゃんが座ってすましている。だ、誰だ、おばちゃん。すぐさまCAに告げ口して、どかせてもらう。
羽田について9時半。石神井公園行きのバスに乗って、駅に着いたのが10時45分。夜はやっぱりバスの方がずいぶんと早いなあ。
「薬も過ぎれば毒となる」塔山郁・宝島社。最近人気の出てきた作家だ。読むのは初めてである。薬剤師を主人公としたお仕事ミステリーだ。可もなく不可もなくといったところか。脳梗塞にかかってワーサリンを服用している夫に妻が納豆を盛んに食べさせているということを聞いた薬剤師が、その妻を怪しんだ、というネタの一編があるが、そんなのは怪しむどころか常識だろう。この薬剤師には事情があって親から逃げて引っ越しを続けているのだが、律儀にそのつど住民票を移しているのであっさり親にバレてしまう。薬剤師は「じゃあ父は私がどこに住んでいるのか、すべって知っていたというのですか」と衝撃を受けるのだが、とことんバカすぎるだろう。こういう具合にミステリーとしてはしょぼすぎるネタだ。だから大切なのはキャラクターになってくるのだれど、これがなんの共感も持てなければ、驚かせもしてくれないキャラばかり。シリーズ作品のようだが、もういいや。似たようなテイストの「これは経費で落とせません」シリーズとは天と地の違いである。
「東京棄民」赤松利市・講談社文庫。最近の講談社文庫は、昔のビニ本かと思われるほど、きっちりとビニールで包まれている。中をちょっと読んでみようと思ってもできない。オレの近所の本屋だけかと思ったら、新千歳空港で立ち寄った書店でも同様だった。だから中身を見ないで買わなくてはならず、それには腰巻きの惹句が決め手となる。従っていざ読んでみてつまらなかった場合、はっきりと「騙された」と感じる。ちょっとでも中身を見て買ったならオレの見る目がなかったと思うのに、一切見せてくれないから騙された気になる。結果的にもう講談社文庫なんか二度と買わない、少なくともビニ本は買わない、となる。逆効果だろう。というわけでこの本、作者も知らず、帰りの飛行機で読むには手頃かと思って買ったのだが、実につまらなかった。下手くそ。退屈。下品。志もない。高度1万メートルから投げ捨てようかと思ったわ。そして誓う。もう二度と講談社のビニ本は買わないと。
2022.06.2
見始めてすぐに異常に気づいた。なんなんだ、この弱さは。パラグアイの。
走らない。プレスしない。やる気がない。
南米では北海道が人気らしいから、メインは観光というのもあながち冗談ではないのかもしれない。いや、ガチで。
チラベルトの頃のパラグアイとはまるで違うチームなのだった。
だから日本が勝って当然のゲーム。意味あんのかよ、これ。いや、選手選考ということでは、確かに意味はあるかも。
とにかく鎌田がすごすぎた。異次元。ちょっとこれはびっくりしたなあ。あと、堂安、原口は当確か。右は伊東で決まり。久保はいらない。前田もひどすぎた。
三笘、南野、遠藤、守田も決まり。
伊藤は、ジュビロではボランチだっはずなのにサイドバックさらにはセンターバックとは驚いた。長友を押しやって、富安のバックアッパーとしてメドが立った。
悩ましいのはキーパーか。数だけはいるのだがなあ。
2022.06.01
我が家から100mのところにウエルシアがある。ドラッグストアだ。
子供服の西松屋が撤退したあとに居抜きで入ったのが1年ほど前になる。このへんは住宅と畑ばかりで近所に店がまったくないから、ウエルシアは大歓迎。とても重宝している。
以前はやはり100mほどのところにコンビニがあった。懐かしのampmである。ampmは、ファミリーマートを傘下に持つ伊藤忠商事に買収されてファミマに吸収されてしまった。ならば近所のampmもファミマの看板につけかえればよかったのに、採算割れだったのか、あっさり撤退してしまった。
以来このあたりに小売店はなかったから、ウエルシアの進出はとても喜ばしい事件だった。
もちろん我が家も重宝している。ティッシュやシャンプーはもちろんのこと、ビール、酎ハイ、お茶、お菓子なども買っている。電球が切れたときも100m歩いてウエルシアだ。
最近のドラッグストアはコンビニ化しているので、スギ薬局派の嫁も「牛乳忘れた」といってはサンダルでウエルシアである。
コンビニ化が進んでいるとはいったが、さすがに生鮮は扱っていないし、弁当類や惣菜もおいていない。だが去年秋に大胆にも吉野家の牛丼を売り始めたのには仰天した。ウエルシア、なかなか攻めるのである。イオン系列だ。
そして今日、オレはペットボトルのお茶を買いにウエルシアまでいった。車に乗ってセブンイレブンでもよかったのだが、やっぱり近場のウエルシアにしたのである。
そして腰を抜かす。
なんとウエルシアの入口前に、トマトとナスの植木が大量陳列、略してタイチンしてあったのだ。ちょっと驚いてオレは足を止めて見入ってしまった。たしかにこれはトマトとナスの植木であって、しかもちゃんと値札がついているから売り物のようだ。どうしてドラッグストアがトマトとナスの植木を売るのだ。いや、売るのはもちろん店の勝手なのだが。
逡巡の後、オレはナスを買うことにする。ナスの植木だ。200円。
可愛らしい葉っぱの付いたナスの植木を片手に持ち、店内でペットボトルの十六茶をもう片手に持ち、そしてレジではPayPayで支払う。あ、袋はいいです、すぐそこだし、もうこのまま植えちゃうんで。
ナスの植木とペットボトルを下げて帰ってきたオレを見た娘は爆笑し、嫁は呆れる。オレはそのままためらうことなく庭に出て、片隅にスコップで穴を彫り、ナスの植木を植えたのだった。そして軽く汗を拭ったその瞬間、気がつく。
こ、これは。もしかして、ナスを植えるシア。
そうである。ウエルシア渾身のギャグだったのである。そのギャグにしっかり応えて植えてみせた自分を褒めてやりたい。
「清明」今野敏・新潮文庫。融通の利かない警察官僚を主人公にした隠蔽捜査シーリーズの8作目だ。シリーズ全部を読んでいるわけではないが、相変わらず面白い。ミステリーとしては底が浅いと思いつつも一気に読んでしまうのは、とにかく主人公のキャラクターが魅力的であることに尽きる。警察小説では憎まれ役がお約束の警察官僚。キャリアが主人公だ。こいつがとにかく正論だけを振りかざし、何でもかんでも真っすぐ通そうとする。実際にこういう人物が身近にいたら面倒くさくてたまらないわけだが、正論が堂々とまかり通っていく様は快哉を叫びたくなる。そのカタルシスが一気読みを促すのだろう。もう一つ、今回気づいたのは作者の文章力だ。決してうまいわけではないのだが、巧みなのだ。センテンスは極力短くして、接続詞もめったに使わない。だからテンポが良く、ポンポンと筋が運び、正論大好きな主人公のキャラと相まって気持ちよく読めるのだろう。先日、あまりのテンポの遅さとくどさにじれて、とうとう途中で放り投げた佐々木譲「雪に撃つ」とはまるで違う。「晴明」の文章の使い方には学ばなくは、と思った。
2022.05.31
広瀬すず、橋本環奈、阿部寛の3人から飲みに行こうと誘われたら、誰と行くか。
そんな問いをネットで見つけたので息子に聞いたら、間髪入れずに「阿部寛一択」という答えが返ってきた。もちろんオレも阿部寛であり、ネットでもほとんどの人間が阿部寛と答えている。
広瀬すずは絶対にアリスがついてきて、そして2人だけの話で盛り上がるに決まっている。
橋本環奈は絶対に大酒飲みで、しかも酒癖が悪いから、うんざりさせられるに違いない。
確かに納得だ。誰だって阿部寛の一択であろう。
などと考えながら銀座の中央通りを歩いていたら三菱UFJ銀行の閉店のお知らせがあった。銀座四丁目交差点近く、つまり銀座のメインストリートに堂々と構えていた支店である。利用者は多いだろうが家賃も高かろう。ネットでリアル店舗の利用者が減ったから、高い家賃を無理して払って店舗を維持する必要がなくなったわけだ。
その並びの、みずほ銀行の銀座の店舗も閉鎖した。
オレの地元でも駅前の三菱UFJ銀行の支店の閉鎖が決まっている。
いよいよあちこちで銀行の支店の閉鎖が本格化したわけだ。
みずほ銀行では支店長に専用車が支給されなくなって久しいらしい。せっかく支店長になったのにクルマもないのかよと不満たらたらの支店長もいるらしい。いやいや、クルマどころか支店そのものもなくなるって時代なんだから。
いつも言うことだが、もはやキャッシュに用はない。この一週間で現金に触れたのは、かかりつけのクリニックでも支払と、近所のラーメン屋の自販機だけだ。近所の蕎麦屋は既にPayPayに対応している。
もう銀行は決済専用機関になってしまったのかもしれないなあ。駅前一等地の支店なんてとことん無駄だものなあ。
というわけで今日で春が終わる。まったく季節なんてあっという間だ。
2022.05.30
1990年代前半はパソコン通信の時代だった。
オレは日商岩井がアメリカからビジネスモデルを輸入して富士通が技術面を担当したNIFTYサーブに加入。NIFTYとは、日商岩井のNIと富士通のFTを組み合わせて、可愛らしくYをつけたというのが由来だった。仕事でNIFTYのトップにインタビューする機会があったが、仕掛け人の日商岩井サイドの人間は「アメリカで流行ったものは数年遅れて必ず日本でも流行るんですよ、ふっふっふ」と、このビジネスを立ち上げた狙いを語っていた。
なるほどなあと感心したものだった。
NIFTYサーブには会員交流の仕組みとしてフォーラムがあった。同じ趣味をもつ会員が語り合うサロンのようなものだ。
モデムを使ったアナログ回線で300bpsなんていう速度で通信していた時代である。1200bpmにみんな仰天した、そんな呑気な頃だった。当然通信できるのはテキストのみ。画像やファイル添付なんて想像すらできなかった。なにしろメモリー1メガが1万円と言われていた時代である。ビル・ゲイツですら5メガ以上の記憶媒体なんて使い道がないと言っていたほどだった。誰もがフロッピー1枚で全てが事足りると思っていた、そんなWindows95前夜だな。
NIFTYでオレが加入していたのはプロレスのフォーラムだった。割とアクティブな会員だったと思う。当時のオレはUWF信者だったが、他にも新日信者、全日信者などが入り乱れ、割と平和に仲良くプロレスを語り合っていた。大きな試合があると誘い合って観戦に向かい、その後は酒を飲んで語り合ったものである。UWFが東京ドームで異種格闘技の大会を開いたときもフォーラムのメンバーと観戦し、後楽園ホールのエレベータホールで怪我欠場の船木誠勝を見たり、終わった後の飲み会で格闘技経験者が身振り手振りで技の解説をしてくれたことなどを覚えている。
そんなフォーラムのメンバーの1人に「とんかつくん」という男がいた。
彼も割とアクティブなメンバーだった。実は彼は唯一メディア側の人間であり、週刊プレイボーイを主な戦場としてなかなか鋭いプロレス記事を書いていた。だから時々耳打ちしてくれるようにチャットで教えてくれるプロレスネタは、なかなか面白かった。「ジャンボ鶴田は働かなくても食べていけるほどお金を持っている」「自分の土地を全日本プロレスに貸している」「馬場が家賃を払ってくれないので怒った鶴田は試合に欠場した」なんていう裏ネタには、へえーっと思ったものだった。
ネットでの交流は盛んだったが、リアルで「とんかつくん」に会ったのは一度だけだ。今書いたUWFの東京ドームでの異種格闘技戦の前、ポスターを分けてくれるというので現地で集まったのである。ポスター受け渡しの一瞬だけだったけれど、なかなかの好青年という印象だった。
パソコン通信が下火になるにつれてプロレスフォーラムも寂れていき、オレも「とんかつくん」とは交流が途絶えた。だが彼はUWF系を中心に記事を書き、本も出したので、オレもその本を買っては読んでいた。「とんかつくん、頑張ってるなあ」となんだか嬉しかった。
「とんかつくん」はなんで「とんかつくん」だったのだろう。
本名は佐々木徹だ。その疑問がやっと解決した。佐々木徹は週刊プレイボーイ編集部で「徹=とんちゃん」と呼ばれており、そこから自分のハンドルネームを「とんかつくん」と付けたのだった。疑問は30年ぶりに氷解したのである。そんなふうに感慨深く読んだのが
「週刊プレイボーイのプロレス」佐々木徹・辰巳出版。
佐々木徹がこれまで週刊プレイボーイに書いてきた、主に90年代のプロレスについてまとめた本である。合間には当時を振り返った裏話が書かれている。一番驚いたのが、ヒクソン・グレーシーと新日本プロレスの試合が実現寸前まで行っていたという話だ。
「とんかつくん」は、ヒクソンのマネージャーにして奥さんだった女性にインタビューしたときの裏話を紹介している。
それによるとヒクソンと新日本は「飯塚」「佐々木健介」「長州力」という3人との3連戦を東京ドームで予定していて、飯塚、佐々木はヒクソンの勝ち、最後は長州の勝ちというブックを持ちかけてきたというのである。
もちろんギャラは億単位。ビッグビジネスであり、ヒクソン側も逡巡したが、最終的には断ったという。長州が勝つというブックが、どうしても飲めなかったということか。
長州力は、他の本などでヒクソンとの対戦話があったことはちゃんと認めているので、この話はたぶん本当だろう。もしブックなしのガチでヒクソン対長州が行われていたらと思うと実に興味深い。小川直也もヒクソン攻略法を語っているように、長州もたぶんヒクソン攻略法が見えていたはずだし、それでなくても長州力はリアルに強かったから、かなりの確率で長州が勝ったんじゃないかと、オレは思っている。見たかったなあ。
そんなことを考えつつ、パソコンフォーラムのことなどを懐かしく思い出しながら、この本を読んだのだった。
2022.05.29
もしかしたら今年のアルビレックス新潟は次元が違うのかもしれない。
横浜・水戸・山形というくせ者チーム相手になんと3試合連続の3-0という勝利だ。2勝1敗の勝ち点6なら上出来、2敗だってあり得ると覚悟していただけに、斜め上過ぎる結果である。
おかげで対戦相手のサポからも「悔しいとさえ思わない」「近年のJ2で最強」「J11ケタ台のチーム力」と絶賛される始末。あまりのことにちょっと居心地悪く感じるほどだ。
なにしろこちらは昨年の記憶がある。
勝っていようが、上位にいようが、いつまた負けるかわかったもんじゃないと疑心暗鬼だから、今度こそ負ける今日こそやられるとネガティブ極まりながら見ている。1点が入ったら、もう頼むからこのまま試合が終わってくれと祈るほど、情けない心理状態だ。
とにかく強いのは確かだ。ほれぼれするほど強い。
去年までの2年間で叩き込まれたポジショナルの意識が浸透し、選手の位置取りが最高で、オフザボールの動きも最高。最終ラインでボールを回している間も単に時間を作っているだけでなく、選手がすべて動き直しをして的確な位置取りをしている。だから最終ラインからの一発のパスでたちまち優位な矢印を作れる。
この矢印のつくりかたが今年の新たな味で、とにかく縦に速い。まさしくポゼショナルにショートカウンターを組み合わせた最強のサッカーが展開されている。そこに加えて本間至恩に三戸俊介という突貫小僧が全速力で突っ込んでくるんだから敵としてはたまったもんじゃない。
今日だってそうだ。
2点目の本間至恩の動きの速さったら、腰を抜かした。電光石火。あっという間に敵を抜いて光の速さでゴールを決めた。たまげた。本間至恩、明らかに昨年より何段も階段を上がっている。もはや誰求められない。
今日は田上も良かったし星も良かった。
特に星。敗れた町田戦では散々な出来で、これではもう使われないだろうと思ったものだったが、はやくも次の試合で修正してきた。そして星が修正したのと同時にチームは3-0の連勝街道。
とにかく星野フリーダムっぷりはワクワクする。ボランチなのにチームで一番パスが多いというスタッツでもわかるように、いろんなところに顔を出す。こういうのを文字通り神出鬼没というのだろう。ジャングルの中で木々をかき分けながら疾駆する動物のように、星は自由に走り回る。それはなんだか自分の道を嗅ぎつけて興奮しているようなワイルドさに満ちていて、見ているこちらも興奮させられる。こんなにフリーなボランチは知らない。
加えてサイドバックの藤原が神。「残念そこには藤原奏哉」という言葉があるように、どんなに敵が切れ込んできてもそこには藤原がいるのだ。相手のサイドを徹底的に潰す殺し屋でありながら、時々しゅるしゅると蛇のように中に忍び込んでトップ下にいたりする。今最もJ1で見てみたい選手と言われるのも納得だ。
という具合にたぶん誰も読まないような文章を勢いのままつらつらと書いている。とにかく今のチームの状態をどう受け止めたらいいのか。想定をはるかに上回る強さであるのは確かなのだが、本当に強いのか、たまたまじゃないのかと信じ切れない状態でもあって、サポータ自身が心の整理がつかないというか、崩壊気味というか。
2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○○
ともかくこれで自動昇格圏は堅持。なかなか2位から上に行けないのは首位の仙台がヘロヘロながらもしぶとく勝ち続けているからである。できれば一人旅は嫌なので、3位の横浜に落ちてもらい、仙台と2人旅状態に持っていきたい。2位でけっこう。最後に交わして上がれればいいや。
とにかくこんなにサッカーを見ていて楽しいのは初めてだ。松橋力蔵、実はとんでもない名将だったのかもしれない。
2022.05.28
昨日は朝一番の新幹線で盛岡を出た。6時11分発である。
オレはカネを稼ぐために出張したのだ。カネを使うためではない。だからカネを稼ぐのが終わったら早々に消えるのだ。
いつものように天に向かってそう吠えて、オレは盛岡のホテルを後にした。
地元の食材をたっぷりと使ったおいしい朝飯も、パスだ。コンビニのおにぎりで十分だ。
問題は雨である。そう、昨日までの晴天はどこへやら、今日は朝から雨なのだ。
盛岡駅までは徒歩10分だから、覚悟して歩くか。いや待て、ホテルにも傘ぐらいあるだろう。
そう思ってフロントで聞いたら「ええ、1本100円でございますが」との返事。ひゃ、ひゃくえーん? ちょっとぶったまげる。
「こちらです」とフロントの兄ちゃんが両手で恭しく差し出したのは、立派なビニ傘。コンビニなら500円。こ、これが100円なのかよ。盛岡の経済はどうなっているのだ。
仰天しつつその傘を受け取り、現金でいいすかといいながらポケットから100円玉を取り出す。現金以外にどうやって100円を払うというのだと自分に突っ込みつつ、オレは傘を開いて歩き出した。
うーん、盛岡いい街ではないか。天から傘が降ってきたようなものだ。
朝一番の新幹線は50%ほどの乗車率。仙台からけっこう人が乗り込んできて、東京への日帰り出張組なのだろう。
オレは大宮で降りて、湘南上野ライン、埼京線と乗り継いで帰る。
この埼京線が、8時半を過ぎているというのにバカ混み。激混み。
うっそと叫びたくなるぐらいの混み方なのだ。あまりのことにうんざりしつつ、揉まれる。池袋駅で降りようとしたらドアの前に立っている奴が頑として動こうとせず、人並みが乱れに乱れてオレはピンボール。揉まれ、どつかれ、押されて、まったくひどい電車だ。埼京線は世界最低の電車である。
ガラガラなら経済を心配してもっと人が動かなきゃと言い、混んできたら乗るな家から出るなおとなしくしてろと叫ぶ。まっことオレは身勝手な男である。
這々の体で家までたどり着く。暴風だ。おかげで100円のビニ傘も家の前で骨が折れてしまった。100円分の命を使い果たしたか。
家では中間試験の始まった息子がリモートで試験を受けていた。
オレはしばしくつろぎ、そして午後から仕事に立ち向かう。
なにしろ関係各位には、今日も盛岡にいることにしてある。地方出張でして、対応は来週になっちゃうんです、てへっ。
おかげで誰にも邪魔されず、仕事ができるわけだ。ふふふ、猿知恵だが、猿に騙される方が悪いのだ、ふふふ。
2022.05.27
JR東海の葛西さんが亡くなったのは、ちょっと残念なニュースだ。
話をしたことはない。一度だけすれ違ったことがある。
「大義があり、理にかなっていれば、人を動かせる」(新聞記事によれば「こちらに大義があり、合理性があれば、妥協せず筋を通す」)という言葉には、なるほどなあと感心したものだった。これが大局観ということなのだろう。
とすると、静岡県の知事は、大義はあっても理にはかなっていないということになる。人が動かないわけだ。
国士であったという。
国の未来を憂い、中国を敵視していた。
昭和から平成の経済人がまた亡くなった。時代は変わっていく。
2022.05.26
『西の岩手山、北の姫神山。ぐるりを高い山々に囲まれて、城下を流れる中津川は桜馬場のすぐ下で、北上川さ合わさる。こんたな絵に描いたような城下に生れ育ったわしは、貧乏なぞ口にしちゃならねと思った。』
浅田次郎「壬生義士伝」の一節である。
ここに描かれているように盛岡の町は本当に美しく、この町ならば吉村貫一郎のような武士が生まれるのも当然だと思うのだ。
そんなわけで今日は盛岡である。岩手県だ。
仙台までは割とよく行くが、その先となるとめったにない。盛岡にしても20数年ぶりで、2回目だ。
前回は1990年代後半。みちのくプロレスのグレート・サスケと獣神サンダーライガーの対談を盛岡の温泉旅館で行うという、とんでもなくおいしい仕事だった。
オレは盛岡駅でライガーと待ち合わせた。もちろんライガーは普段は素顔で行動している。プロレスファンであるオレはライガーのデビュー時からその正体を知っており、新幹線のホームに現れた素顔のライガーもすぐに分かった。着るものにはとことんかまわないという話の通り、ライガーは全身ジャージ姿であった。
ライガーはオレに「ちょっと持ってて」と荷物を預けてきた。オレは直立不動でそれを受け取り、そしてなんという幸福な瞬間だろうと感動して立ち尽くしたのだった。
グレート・サスケの巨大なリムジンに乗ってライガーは温泉旅館に向かい、オレとカメラマンもその後を追う。そして温泉旅館で昼飯を食ったあと、いよいよ撮影タイムということでライガーとサスケは覆面姿のまま露天風呂に浸かり、ファイティングポーズを取ったのだった。
インタビューといってもたいしたことはなく、取材前にあらかたの原稿はできていて、それに写真を合わせるだけの仕事だった。
取材の合間に新日本プロレスの北朝鮮興行の裏話を聞いたりして、とても楽しい取材だった。ライガーに対してオレは、青柳とのセメントマッチを振り返って、そっちがその気ならいつでも切りつけてやるというナイフを忍ばせた感じが魅力なんすよと言ったら、ライガーは「よくそう言われるけど、自分としてはそんなことは思ってないんだけどねえ」と話していた。
取材と撮影が終わって解散となり、オレたちはそのまま温泉旅館に泊めてもらって、しかも宿泊も食事もすべてタダという大盤振る舞い。さすがに仰天したが、仕切っていた博報堂がそのあたりはうまくやっつけてくれたのだろう。
オレ史上、一番か二番においしい仕事だった。
あれ以来の盛岡である。今回はそんなおいしいことはまったくなくて、駅からバスに乗って岩手大学を訪ね、電気系の某研究室で学生たちに話を聞くというものだ。
何年も続けているシリーズで、こうして年に二度ほど、各地の大学を訪ねている。去年は岐阜大学に東工大だった。
今日会った学生たちも、今まで話を聞いた学生たち同様、とてもピュアで誠実で真っ直ぐな目をしていた。胸を張って堂々と自分の研究を語り、そして未来への志を口にしている。Z世代と呼ばれる彼ら彼女らに会って、今日もまた、日本の将来はまだまだ大丈夫だという気にさせらるのである。そんな元気をもらえるのがこのシリーズの取材なのだ。
「盛岡ってスタバ殺しって言われてるんですよ」と学生のひとりが教えてくれた。
自家焙煎の喫茶店が多く、しかもそれが猛烈に旨いコーヒーをだすのだという。へえ、盛岡はコーヒーも旨いのか。今度飲んでみよう。今度という機会があるかどうか、わからないが。
夜は盛岡ならば誰でも知っているという焼肉屋に行き、いわて牛の旨さに悶絶する。ななな、なんだこの肉は。締めには冷麺を食って、あまりの硬さに後悔する。
大宮から2時間。余裕で日帰りできるのに宿泊と食事がついているのだから、これも十分においしすぎる仕事なのだろう。
2022.05.25
「実家が新潟の鮮魚店でした。いわゆる仲卸」
どうして税理士の道を志したんですかというオレの問いに対して、2人の子持ちとはとても思えないその女性はそう答えたのだった。魚屋の娘がなぜ人妻税理士になったのかという話がこれから展開されることになるわけだが、その前にオレが食いついたのは当然ここだ。
へえ、新潟ですか。どちら?
美しい人妻は「佐渡なんです」と答えた。
嬉しくなったオレは、へえ、実は私も新潟なんですよと続ける。
当然、とても2人の子供がいるとは思えない若々しい人妻は「えっ、どちらですか」と食いつき返してきた。
タコタコ町っていうんですよ、タコタコ町。
途端に人妻は美しい目をさらに見開き「えーっ」とのけぞって、「タコタコっ! 旦那の実家です!」と叫んだのである。これにはオレも仰天した。この2人の子持ちにはとても見えない若々しくて美しい人妻の旦那が、オレと同じ町の出身だったなんて。
タコタコ町のどちらですかと調子に乗ったオレに対して人妻は「東本町です、タコタコ小学校の裏です」と教えてくれ、あっ、そこはオレの通った小学校の隣の学校ですよ(4キロは離れてるけど)と、オレはさらににじり寄る。
いやあ、まさか大手町のオフィスでタコタコ小学校なんて名前を聞くなんてねえ、びっくりですよねえと、2人の子持ちとはとても思えない若々しくて美しくてスーツ姿の良く似合う人妻とオレは目を見合わせ、心を通わせ、微笑み合うのであった。
という具合に新潟県人同士の心温まる偶然の出会いがあったわけだが、新潟県といえばシンボルにして誇りにしてアイコンなのが、そうである、アルビレックス新潟である。
今年は実に調子いい。はっきり言って強い。
前年までのプッチ監督が叩き込んだ基礎に、新しく松蔵監督が立派な家を構築してくれた。おかげで揺るぎないたくましさを身につけたのである。我らがアルビレックス。現在は自動昇格圏内の2位だ。
だが不安がないわけではない。ホームでは負け無しの強さだが、アウエーでは勝ててないのだ。そして今日はそのアウエー。しかも相手は苦手意識のある水戸である。
水戸はJ2中位のチームだ。しかし相性が良くなくて、去年も0-4でボコボコにされてしまった。とにかく苦手なのだ。
監督の秋葉はかつて新潟に所属した選手だ。とにかくキャラが立ちまくるタイプで、声が異様にでかい。ゲーム中途切れることなくスタジアムに響き渡るだみ声は、よく水戸の選手たちはメンタルをやられないものだなと感心するほどだ。
昨年の0-4で負けたゲームでは、後方でボール回しをするアルビレックスの選手にプレスしようとする水戸の選手に対して「ほっとけ、ほっとけ」と大声で指示を出していた。ダ・ゾーンでしっかりと拾われたその大声は我々にとって屈辱以外の何物でもなく、もはやトラウマレベルのだみ声。
そのことを知ってか知らずか、今日も秋葉は試合前のインタビューで煽りに煽りまくるのであった。顎にマスクを引っ掛けてインタビューに応じるでかい顔は、もはやJ2名物。
味方にとってこういうキャラは、最初はいい。勝っているときはなおいい。ところが負けが立て込むと、鬱陶しくなってくる。犬の遠吠えの口だけ番長じゃねえかと、思えてくる。
しかも試合後には「次のゲームにはしっかりお返ししてやりますよ」と、チンピラが尻尾をまいて逃げる「覚えてやがれ」そのままの捨て台詞を顎マスクで吐いたものだから、水戸サポは「恥ずかしい、やめてくれえ」と頭を抱え、そして「大宮の次の解任はこいつだ」とまで突き放すのであった。
そうである。今日のアルビレックスは苦手の水戸をあっさり一蹴。アウエーが苦手とはなんのことだったのかという、3-0の一方的な勝利だったのだ。
快哉。まさに快哉。
特に後半から出場した本間至恩が切れまくっていた。なにしろ前節で小僧の小見がいきなりの2ゴール1アシスト。
同じポジョンの本間至恩はこれに煽られ「なめんじゃねえぞ、小僧」とアクセル全開で煽り返しに来たのである。
後半から投入される本間至恩は、相手にとっては迷惑千万、嫌がらせ以外のなにものでもない。しかも本間至恩は昨年から遥かに磨きがかかって、テクニック、スピードはもちろんオフザボールの献身性も抜群だ。もちろんこれもコーチの田中達也のおかげだ。守備のために献身的に走り回る姿は、まさに達也が乗り移っている。もはや「Jリーグにいる意味がない。なぜJ1飛び越えてヨーロッパに行かないのだ」と他チームのサポから言われる始末である。
その本間至恩が今日は2得点。特に2点目は相手ディフェンスを切り裂いて決めた、圧巻のミドルだった。こんな本間至恩の相手をさせられた水戸は気の毒である。
こうしてアルビレックスはにっくきだみ声の秋葉の水戸に完勝。
2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○○
と自動昇格圏内をしっかとキープしたのである。
長いシーズン、昇格のためには6敗しか許されない。現在アルビレックスは3敗だ。
ネットでは早くも「自動昇格チームの一つは新潟で決まり」と言われているが、決して油断してはならないし、調子に乗ってもならないのだ。勝って反省しよう。
それでも「今の新潟は神戸より強いんじゃね」というネットの声を聞くと、自然に顔が緩んでしまう。うふふふ、そうかも。心のなかで、オレはそうつぶやくのだった。
2022.05.24
御茶ノ水駅から駿河台にかけてのあたりは、ずいぶんと変わってしまった。
今日足を運んで、改めてそう感じた。
最初は明治大学の建て替えだったと思う。この都心立地にリバティタワーというどでかいビルがドカーンと姿を表したときは、仰天したものだった。その後周囲のビルが次々と建て替えられて、今ではすっかりきれいな学生街へと生まれ変わった。
社会人1年目から3年目にかけて、オレはこのあたりをよく徘徊していた。会社のメインのクライアントが主婦の友ビルに入っていたのである。
パソコンどころか、ファクスもなかった時代のことだ。駆け出しの小僧であるオレの大事な仕事の一つが、先輩の書いた間抜けな原稿をコピーに取り、クライアントのもとへと届けることだった。要するに人間ファクスである。
一日に一回は、そんなお使い仕事のためにこの街を訪れ、そして目の前でクライアントが間抜け原稿を読む間、直立不動で待ち、そして「なんだこの間抜けな原稿は。お前の間抜けな先輩によく言っとけ」という小言ともに真っ赤なペンの入った修正原稿をおいただくのであった。
その行き帰りにオレは駿河台の楽器屋をのぞいたり、神保町の本屋に立ち寄ったり、ときには神保町交差点の角にあった回転寿司で寿司をつまんだりしていたのである。
あの三省堂書店のビルが今度建て替えられるというのだから、まったく街というのは日々変化していくものだなあと改めて感心する。
当時はセキュリティなんて概念はなく、たいていの会社が受付すらなくてフリーパス。そのクライアントにも受付なんてなくて、エレベータを降りたらそのままずいずいと会社の中に入って、担当者の机へ一直線だった。
メディアでさえそんな調子だった。このあとオレは日経新聞に長いこと原稿を書くのであるが、その日経新聞です受付のおばさんこそいたものの、完全にフリーパス。一切とがめられることなく受付の前を通って、直接担当者のもとへと向かっていた。
時々新聞社にある資料が欲しくなると勝手に資料室に立ち寄り、好き放題に資料をあさっていた。そんなことをしてもほったらかしで、通りかかった新聞社の顔見知りが「お、タンゴくん、何やってんの」と話しかけてきたりした。いやあ、これこれこういう資料がないかと思ってと答えると「あ、それなら、この資料を持っていきなよ」と勝手に分けてくれたりもしたっけ。いい時代だったなあ。
話は駿河台に戻る。
一日一回は通った主婦の友ビルはとっくになく、周囲のビルも建て替えられて、すっかり様相は一変した。もっとも以前、この界隈の街並みがどうだったかなんてもはや記憶にないからどう変わったとも言いづらいのだが、それでも抜群にきれいでおしゃれになったのは間違いない。
新しいビルは公共の空間をたっぷりと確保し、樹木がふんだんに植えられている。都心とは思えないほど、緑にあふれているのだ。なんとも贅沢で心地よい空間である。
校舎こそまったく新しく変わってしまったが、明治大学の学生たちが仲間と楽しそうに坂道を登っていく姿も昔と変わらない。
社会人になりたてで、右も左も分からないまま未来への不安だけを抱えてにこの街をウロウロしていたオレに、40年後も仕事のために同じ場所に足を運んでいると教えてやったら、とりあえず致命的なしくじりをすることもなく社会人として生きていけるらしいと少しは安心するかもしれない。
2022.05.23
バイデンさんが来ているという。今日は皇居へ挨拶に行くそうだ。
オレも今日は皇居だ。正確にいうと、大手町の皇居を見下ろすビルの中で仕事だ。
これはきっと職質を受けるだろう。オレは今まで職質というものを受けたことがない。人生初の職質の予感にちょっとワクワクし、心も軽く大手町のオフィス街をスキップして歩いた。
いるいる、警察官が。あちらこちらの道端に。
だがなんお咎めもなく、警官の前を横切ってオレはスタバに入り、アイスコーヒーを飲んだのだった。
そして再び心も軽くスキップしながら取材時に向かい、10時アポのインタビューに臨んだのである。
皇居のお堀のそばに建つビルの18階だ。窓から望めば皇居が眼下に一望。写真を撮って息子に送ったら「不敬者め」と怒られてしまったほど、真下に皇居が見下ろせる。
皇居は穏やかだ。ロシアからミサイルが飛んでくることもなかった。
そして後で知ったがオレの10時のアポと同じまさに午前10時に、バイデンさんも天皇陛下とアポがあったという。素晴らしいシンクロではないか。
職質はまたの機会にお預けということで、夜、オレは静かに大手町を後にしたのであった。
2022.05.22
「在宅介護だと相手が嫌いになる瞬間が必ずやってくる。でも施設なら笑って会える。私は大切な人を嫌いになりたくない。だから施設介護を選ぶ」という話を聞いたと息子に告げたら、息子は「なんという大正論。ぐうの音も出ないわ」と感心していた。
ふむ。
この「ぐうの音も出ない」の「ぐう」とは、一体何のことだろう。
ところで息子によれば、今やPayPayを使っていない大学生はありえないのだそうだ。例えば飲み会には誘われない。誘ってほしくて自分からおねだりすれば、その場でPayPayをインストールさせられる。
今どきの学生は飲み会の場で割り勘なんかしない。誰かが代表してPayPayで支払い、翌日に「一人3000円な」というラインが来て、PayPayで彼に送金するという流れになる。この送金機能がPayPayの一番使い勝手のいいところなのだ。こういう世代がこれから社会にどんどん出ていくわけだから、会社の飲み会もPayPayで精算、交通費もPayPayで精算、PayPay使えないやつは接待もできねえよという時代になるかもしれない。
とまあこんな具合に毎日つらつらとどうでもいいことをこの日記に書き連ねているわけだが、昨日も書いたアルビレックスの小見くんもブログを書いているそうだ。毎日ではないが、そこそこまじめに継続している。
読んでみるとサッカーのことばかりで、練習での反省やコーチから注意されたことなどが中心だ。たまには日曜日に釣りに行ったことなども書かれてあるが、基本的にはサッカーブログ。まさに継続は力なり、コツコツと地道な努力を続けることのできる真面目な青年だということがわかる。
ブログを書くということは、たぶんアスリートにとって大切なことなんだろうと思う。
ブログに書くためには気づきを言語化せねばならず、気づきを得るためには自分を客観視しなければならない。そして書くという行為を通じて、言語化された気づきを自分の中に定着させられる。これを日々繰り返すことで意識は変わり、行動が変わって、結果も変わってくるというわけだ。
小見くんのブレイクには、ブログが一つの理由だと思っている。
で、その書くということについてだが、「長+長+短」というのがオレの基本のパターン。基本的には長い
センテンスが好きなので、好き勝手自由に書くとなると長い文章を書いて、合間に短い文章を挟む形になる。ときにはリズムを整えるために、箸置き的に無意味な短文を入れることもある。今日の出だしの「ふむ。」などはその典型だ。
一方で、これがWeb用の文章ということになると話は違って「短+短+長」というリズムになる。「ちょうちょうたん」ではなくて「たんたんちょう」だ。
とにかくWebでは長い文章は読まれない。接続詞も不要。ちょっとした文章の塊があると、あっさりスルーされる。これは時代とともに読み手の読解力が明らかに劣化してきたことが一因だ。かつて評論家の中島梓が90年代終わりに「こんな程度の文章も読めなくなっている」と日本人の読解力の低下を嘆いていたが、令和の今はさらに拍車がかかっていて、長文は見向きもされない。
これには先日の日経新聞でも紹介されていたように、情報過多という背景もある。動画を二倍速で観る、映画はネタを確認してから観るといったことがZ世代で普通に行われているのは、情報が多すぎる現代社会ではいかに効率よくアクセスするかが重要になるという意識の現れなのだ。そう考えると確かに長い文章を味わうなんていうことは受け入れられず、短く、結論をすぐに伝えてくれる文章が好まれるのも当然だろう。媒体もスマホがメインだし。
なお、長い文章というのは60文字以上を示す。60字を超える文章を書いてしまったらぜひ読み直して、2つか3つに分けられないかを考えたほうがいい。ずっと読みやすくなるはずだ。これは豆知識。
さてWebでは長い文章は嫌われると書いたが、しかしこれが仕事となると話はそう単純ではなくなる。クライアントの担当者の読解力やクライアントのカルチャーということが影響してくるからだ。
要するに賢そうな仕事をしている会社、有名な会社ほど知的に見せたがるから、短い文章は嫌って、長い文章が好まれるということである。
だから請負ライターであるオレにとって大切なのは、相手企業の風土やステータスなんかを察して、場合によってはあえて長い文章を主体にして、少し読みづらいぐらいにしたりすることだ。寿司屋が客の風体や立ち振舞を察して「これぐらいのネタでも財布を開いてくれそうだな」と判断するのに似ている。
このあたりの読み方というか呼吸というのはなかなか説明しづらく、経験で感じ取れるようになるしかない。
先日はこうした読みが見事にはまって「素晴らしい原稿です」と喜んでもらった。あえてちょっと読みづらい部分なども含ませて、難しそうに見えるようにしてみた結果である。「読みづらい=難しそう」というのは、ある面で真実でもあるのだ。
というようなことをオレは今、バイデン大統領の来日で厳戒態勢が続いている皇居前のスタバで書いている。そして思い出す。「ぐうの音」の「ぐう」ってなんだっけ。
調べてみたら「息が詰まったときに出す音」だそうだ。なるほど。では、「ふごっ」でも「ぎゅう」でもアリではないか。「ふんぎゃの音も出ない」とか。ないか。
2022.05.21
結果にコミットメント!
日本中のアルビレックスサポーターがそう叫んだゲームだった。
1点目はなんと開始25秒。まさに電光石火の早業で、三戸君が決めてみせた。とにかくボール回しが劇的に速く、敵がまったくついて来られない。あれよあれよというのは、このことだろう。敵の目が回っている間に1点を入れてしまった。
そして2点目がなんと開始5分。
やはり目にも留まらぬポール回しで相手を崩しきって今度は小見君が見事に決めてみせた。小見君、Jリーグ初ゴールである。
横浜のキーパー、ブローダーセンは名手である。東京オリンピックにドイツ代表として来日して、そのまま日本に居残って横浜に加入した。なかなか素晴らしいキーパーなのだ。
このブローダーセンは見事なスキンヘッドで、小見君は昭和の野球部のような見事な坊主頭。このハゲ対坊主の闘いは、坊主の圧勝に終わったわけだ。
三戸君も小見君もどちらも高卒2年目の19歳である。フレッシュすぎる。三戸は三戸ちゃんと呼ばれ、小見は小見と呼ばれて特にお水方面のお姉様方からは大人気だ。
この三戸君と小見君が決めたことで、コミットメントという絶叫が起きたのである。
小見君は、さらに3点目を決める大活躍。初スタメンで初ゴール、そして複数得点の大活躍なのだった。
重心が低くてスライドの大きい走りっぷりは見事。その安定感といい、3点目の時のキーパーを交わした身のこなしといい、相当体幹を鍛えていたことがわかる。
使われないときでも腐らずトレーニングを続けてきた結果が花開いたのだろう。先日の矢村のドラマティックなゴールもそうだが、結果が出ない間も腐らずに努力を重ねているからこそ花開くのであり、サポーターはその努力している姿を知っているから全力で声援を送るのだ。まさしく結果にコミットメントである。
今日は星も良かった。先日の町田戦では散々で、敗因の一つに上げられたほどだったのに、この一週間で見事に修正してきた。相当にサッカー脳がある。
そして星をサポートして走り回っていたのが伊藤。星が自由自在にピッチを走りまわることで生まれたスペースを伊藤がこまめに埋めまくっていた。高の献身は言うまでもなく、まるであのレオ・シルバのよう。結果、可変式の4-3-3のような攻撃的なシステムになったようだ。
結果、横浜に3-0の快勝。いや、実は横浜にはきっと負けるんだろうなあ引き分けで上等だなあと覚悟していたから、まさかの一方的な勝利に驚いた。25秒の1点目は、だから衝撃的すぎたし、2点目に至っては想定外すぎて何が何だかわからなかった。
上位との直接対決、いわゆる6ポイントマッチを、アルビレックスはことごとく落としている。いつだって、ここぞというときに負けてがっくりさせるのがアルビレックス。
それが今回は文句なしの圧勝だ。
2位 △△△●○○●○○△○○△○○●○
よって2位に浮上。なんとも見事な勝利で、オレはとことん浮かれ気分。
それにしても先日の矢村、今日の小見と日替わりでヒーローが現れることの頼もしさよ。次は新人の吉田陣平に期待だ。
こうしてチームが快調な裏には、どうも田中達也コーチの存在があるのではないか。
例えばフォワードの谷口の猛烈な鬼プレスなど、現役時代の田中達也そのもの。乗り移ったかのようだ。これだけでビッグスワン4万人が大歓声だった。
谷口を見て小見なども鬼プレスをするようになっている。
現役の田中達也のプレスは、ただ単に相手に詰めるだけでなく、コースを限定しながら、自分の攻撃の道も残しつつという、絶妙なものだった。だから詰めてもあっさり交わされて終わりという間抜けなプレスにならず、ちゃんと次の攻撃につながっていた。プレスだって、やりゃあいいってもんではないのである。
そんな田中達也が昨年引退してコーチとして残り、始めたのが達也教室。田中達也自身が師匠となって秘伝のタレを若手に受け継いでいる。
背番号14を引き継いだ三戸はもちろんのこと、谷口に小見に本間至恩にと、達也教室に学んだ若手が目の覚めるような成長を見せているのだ。
いやあ、嬉しいねえ。ワクワクしてくる。
シーズンは長いが、もうすぐ折り返しだ。昇格のために許された負け数は6。今のところアルビレックスの負け数は3。なんとかこの調子を維持しつつ、自動昇格を果たしたいものだ。達也教室がこの先も続くためにも。
2022.05.20
「魔が差す」というのは、文字通り心の隙に悪魔が忍び込んだ状態のことをいうらしい。
この言葉で思い出すのは平成10年にレインボーブリッジで起きた交通事故だ。渋滞で停車していた乗用車に、脇見運転のトラックが突っ込んで乗用車の一家五人が亡くなったという悲惨な事故で、トラックを運転していたのは無事故無違反の優良ドライバー。それがなぜこんな事故を、というとつい景色に見とれて脇見をしてしまったのだという。
レインボーブリッジからの眺めに一瞬気を取られたか。ドライバーを知る人たちが「魔が差したんだろう」と口にしていた。
まったく恐ろしいことだ、魔が差すとは。
山口の4630万円男もこれだろう。
4630万円という金は決して一生をかけるような額ではない。だが、魔が差すには十分な金額でもある。
これが5億、10億というなら意を決して本気で人生を賭けただろうし、10万円程度なら笑って返却しただろう。
しかし4630万円だったから、青年は「もしかしたらイケんじゃね?」と一瞬思ったのではないか。まさに悪魔が忍び込んだ瞬間だったろう。
そう考えると魔が差す瞬間を作ったのは誤って入金操作をした側にあるから、青年にしてみれば迷惑な話で、まさに落とし穴。なんという罪作りなことだったんだろう。
新聞によれば真面目な働き者だったらしく、優良ドライバー同様、悪魔というのはそういう人を狙い撃ちするものかもしれない。なんともやりきれない話である。
などということを考えながらオレは今日も家でリモートインタビュー。楽ちんなものである。
空き時間に眠くなったらちょっと昼寝して、そして起きてインタビューして、その原稿を書いて風呂に入って寝る。実に快適だ。
オレが30年以上続けてきたこういう状態のことに、最近になってワークインライフという名前がつけられた。文字通り生活の中の仕事ということである。
例えば湯船に浸かっていい気分でいるときに、ふと仕事に関してアイデアが浮かんだというのは、誰にもあるわけだ(エウレカ!)。「明日の朝、会社で一番に電話しよう」と思うのが昔の働き方で、風呂から上がったらすぐにメールを書くのが今の働き方。これがワークインライフだ。
大谷翔平が野球を仕事と思って割り切っているわけはなくて、日々の生活そのものが野球と一体化しているだろう。これがワークインライフの理想型だ。
リモートワークが定着した今後は、こうした働き方が浸透し定着していくに違いない。
そういうことを論点にしようと思って、先日、インタビューの際にワークインライフについてどう思うかという質問をしようとしたら、担当者の姉ちゃんが「なんだこのおっさん、ワークライフバランスも知らんのか」という目を向けてきた。どうやらワークライフバランスをワークインライフと勘違いして言い間違えたと思われたようだ。
一瞬、ワークライフバランスのさらに先を行くのがワークインライフであってと説明しようかと思ったけれど、面倒くさいからまあいいやとスルーしてしまった。
こういうディスコミュニケーションの現場はちょっとつらい。細かなところでのこうした齟齬を乗り越えて何事もなかったかのようにずんずんと進んでいかなくてはならないのがオレの仕事である。
宮沢賢治のように、どんな場所でも置かれたところで穏やかに微笑んでいなくては。
2022.05.19
1年前のインタビューで聞いた「穏やかさこそプロフェッショナルの条件」という言葉が今もずっと頭に残っていて、確かにその通りだなあと何度も納得する。
実際、知的レベルの高い人ほど穏やかで怒らない。高校時代の模擬テストが全国1位で大学のGPAが4.08という息子は間違いなく最高水準の知的レベルにあるのだが、ほとんど怒らない。怒ったところを見たことがない。いつも穏やかでニコニコしている。オレなんかよりよほど人間ができている。
逆に言えば知的レベルの低い人ほど怒りの沸点が低いわけで、確かそういうことを身をもって証明したノンフィクションがあった。読もうと思って読み逃してしまって、題名も覚えていないものだから、今となってはもう手が出ない。作家が底辺アルバイトに身をやつして体験したさまざまな理不尽を振り返ったノンフィクションだったがなあ。
そういう流れでいろいろと考えていると、いわゆるマウントを取るということが実に下品で愚劣なことに思えてくる。
時々いるよね、すぐにマウントを取ろうとする人。初対面だろうが何だろうが、とにかくその場で主導権を握りたがる、いつでもキーマンでなければ我慢できないという人。
マウントを取る上で一番手っ取り早くてわかりやすいのがカネだから、そういう人はすぐにおごりたがるし、カネの話をしたがる。
人のことを笑ってばかりもいられず、オレだってそうした傾向がないわけではないから、気を付けねばと自戒する。マウントを取るのは恥ずかしくてみっともないことなのだ。
高い知性の人は決してマントを取ろうとせず、ただニコニコと穏やかに笑っているだけだ。なんだか宮沢賢治みたいだな。
やっぱり宮沢賢治的な価値観というのは、令和のいまも大切なのだろう。それでなくてもこれから老境に向かおうかというオレは、老害まっしぐらの可能性がある。若さへの嫉妬や劣等感を覆い隠すために無意識にマウントを取ろうとしちゃうかもしれない。気を付けねば。怒らず、おごらず、いつも穏やかにひっそりと、置かれた場所で咲いていたい。
「オッサンの壁」佐藤千矢子・講談社現代新書。
著者は毎日新聞の政治部長。オッサンだらけのメディア業界で、さまざまな“女性初”の道を拓いてきた人だ。その実体験に基づく、オッサン社会の最高峰、永田町のリアルが描かれている。驚くほどの発見はないが、まあ、そうだろうなあというひどいジェンダー差別の実例がいろいろと出てくる。もっともこれを読んでもさしたる怒りも共感も湧いてこないのは、やはりオレがオッサンの一部だからなのか。たぶん昭和の男社会で育ってきたからなんだろう。
「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」
シリーズ最新作。Disneyプラスならタダで観られると思っていたら、スパイダーマンはソニーピクチャーズなのね。とするとアペンジャーズにスパイダーマンがいるっていうのは、要するにアルビレックスに松田がマリノスからレンタルされてきたようなものか。仕方ない。AmazonPrimeで400円払って観た。スパイダーマンの素顔が世間にばれてしまって、正体の高校生がいろんな誹謗中傷を浴びてしまうという話だ。こりゃあ面白いと思って見始めたら話はどんどんと明後日の方向に行ってしまい、正体がばれちゃったなら世界中の人の記憶を消せばいいという話になって(なぜだ!)、そのためにドクター・ストレンジがお得意の魔術で大暴れして世の中をむちゃくちゃにし(デビッド・カンバーバッジはとてもいい俳優で、この役をどうしてもやりたかったというとおり喜々として実に楽しそうに演じている)、しまいにはスパイダーマンが3人現れて(!)チームを組んで、敵をやっつけちゃうという斜め上過ぎる展開。正直、想定外すぎて口をぽかんと開けたまま観る。なんなんだこの展開は。面白いとかどうとかいう以上に、ひたすら口あんぐり映画だった。まさにたった一度きりしか使えない見事な荒技、という評がぴったりくる。
2022.05.18
今日も朝から大手町の立派なオフィスビルに行った。
そして今日もそこはガラガラだった。ああ、もったいない。億という額の家賃が飛んでいく。
それにしても大手町の変貌ぶりにはびっくりである。
30年ほど前は日経新聞の仕事を連載していたので、毎日のように大手町をうろついていた。それが今やあらゆるビルが建て替えられて、昔の面影はまったくなく、はて、確かこの辺りにあのビルが…と立ち止まってキョロキョロするばかり。
日本を代表するオフィス街なのだからこれぐらい立派であってくれなくては困る。単にオレが時代遅れでまごついているだけだ。
もっともまさか30年前にはパンデミックからの在宅勤務が主流になるなんて想像もつかなかったから、こんなにも立派なオフィス街が平日の昼間もガラガラになるなんて信じられなかっただろう。
植栽もずいぶんと増えて、5月の風が緑の木々に気持ちよく、ちょっと回り道をして歩いてみる。1年で一番いい季節だ。
2022.05.17
緑茶を一日一杯以上飲むと、認知症になるリスクが74%も低下するそうだ。
ほんとかよ。ほんとだとしたらすげえよな。じゃあ静岡県民はなかなか認知症にならないのだろうか。今度調べてみよう。
オレは緑茶が大好きだ。一日1リットル以上は飲んでいる。
本来はお茶っ葉を急須で淹れて飲むのが好きなのだが、それではガブガブ飲めない。
2リットルペットボトルを買ってきて、一日中ガブガブと飲んでいる。外出先はもちろん500ミリリットルのペットボトルを持ち歩く。
好きなのは「綾鷹」だ。コカ・コーラ社の。次がサントリーの「伊右衛門」でで、キリンの「生茶」は独特の香料がどうにも好きになれず、めったに飲まない。
「綾鷹」と「伊右衛門」にたいして違いはない。聞いたところでは安売りセンターなどで2リットル98円と激安で売られているブランド製品は、残留農薬がヤバいから避けたほうがいいそうだ。
まあ、お茶っ葉だって決して安全ではないからなあ。それでも一応は気を使ってナショナルブランドの「綾鷹」「伊右衛門」を買っている。
死んだ母は、若い頃、農作業に出かける前に家で熱いお茶を一杯飲んでから畑に向かったという。「いつまでも喉の奥にお茶が残っているようで、夏でも不思議と喉の乾きを覚えなかった」と話していたのを記憶している。
緑茶にはそういう効用もあったのか。昔の人の知恵なんだろうなあ。
産地で言えば、静岡の掛川あたりのお茶が一番好きで、次が埼玉の狭山茶だ。
宇治茶はあまり好きではない。お茶にも産地の風土が表れるのか、宇治茶はどことなく京都のツンとすました上品さがあるし、狭山茶には荒々しさの中の純朴さのようなものがある。そして静岡のお茶は、やっぱり太陽をいっぱいに浴びて穏やかに育った、そんな健康的な味がする。
緑茶が好きだから緑茶ソムリエみたいな資格でも取ろうかと思ったこともあるけれど、結局手を出さなかった。いろんなお茶を味わえる緑茶カフェのようなところもあるそうだが、まだ行ったことはない。
昔のように受付に座っていると女性事務員が茶碗に入ったお茶を出してくれる会社は、もうない。絶滅した。
代わりに出てくるのが小さなペットボトルに入ったお茶か水である。色だけついた業務用のお茶を出されるよりペットボトルのほうがよほど嬉しいので、いい時代になったものだ。
そういえば先日静岡の藤枝というところに仕事で行ったのだが、その会社では珍しく女性事務員がサーバーで淹れだお茶をカップで出してくれた。それを一口飲んでびっくり。あまりに美味いのだ。
へえーっと驚いて、あとでこっそりそのサーバーを見てみたが、ごく普通のなんの変哲もないサーバーだった。
オレはお茶の味を一番左右するものは実は水ではないかと考えているのだが、このときもきっと藤枝の水が美味いからサーバーで淹れたお茶も美味いのだろうと思った。お茶に限らず、どこたってその土地で採れたものはその土地の素材だけで調理したほうが美味いのと同じことだろう。
これって建築にも通じていて、世界には様々な建築方法があるが、その土地の材料を使ってその土地の伝統的な工法で建てた住居が、その土地では一番快適なのだ。
だから日本に暮らすなら、日本の山林で祖だった木材を使って在来工法で建てた日本家屋が一番強くて快適だ。法隆寺は木材だけで建てられているのに500年経ってもびくともしない。
静岡のお茶は静岡の水で淹れると一番美味いように、新潟ならば新潟の水で淹れたお茶が一番美味いだろう。そう考えると、東京の緑茶カフェで全国のお茶を味わったところで、それは本当の味ではないような気もする。
2022.05.16
ブラジル人はきっと坊主頭が好きなのだろう。
以前、アルビレックス新潟の練習場で選手にサインをもらっていたら、シルビーニョという選手に頭をなでられた。シルビーニョは見事なハゲなのだが、オレの頭をなでながら「セイム、セイム」と破顔したのだ。
オレはハゲではない。だからセイムではない。だがまあ、似たようなものだから、シルビーニョ、許してやろう。
なぜこんなことを思い出したかというと、小見の頭を町田のドゥドゥがニコニコと笑いながらなでていたからである。
小見とは、アルビレックスの高卒2年目の選手だ。丸い丸い、実に見事な坊主頭の小僧である。
ドゥドゥとは町田の選手で、以前は甲府にもいて、アルビレックス戦では常に得点を決める天敵みたいな選手だ。いいアスリートである。
このドゥドゥが試合中、途中出場した小見にすりすりと寄っていって、ニコニコしながら頭をなでたのだ。小見もニコニコしながら嬉しそうだった。
ファールの多い殺伐としたゲームの中での一服の清涼剤のようなほほえましいシーンだった。
直前にいいプレーをした小見に「ヘイ、ボーイ! ナイスだぜ」という感じにも見えたし、「見事な坊主頭だぜ」というふうにも見えたが、いずれにせよブラジル人は坊主頭が大好きなのだ。
さて、その小見である。
埼玉県の昌平高校で選手権に出場していたときからオレは注目していた。いい選手だ。それがアルビレックス新潟に入ってくれたのにはとても驚き、そして喜んだ。
もちろん高校で選手権に出たくらいの選手は山のようにいるし、いきなりJリーグで通用する選手なんて数年に1人だ。だから小見もプロデビューこそ果たしたものの、ずっと下積みが続く。
去年は、あの遠藤保仁にけちょんけちょんに遊ばれてたなあ。餌を撒かれた釣り堀の魚のように簡単にボールに食いついて、そしてあっさり交わされて、失点に結びつけてしまった。大チョンボで、小見は深く落ち込んでいた。
2年目の今シーズンもなかなかチャンスはもらえず、昨日の町田戦で2度目の出場となった。
そしてこのときのパフォーマンスがなかなか素晴らしく、サポは誰もがおおっと目を見張ったのである。低い重心でのドリブルがなかなか美しく、これはなかなかボールを奪われないのではないか。格好が崩れないのは、体幹をずいぶんと鍛えたに違いない。スピードと技術はもともとある。
後半ロスタイムにPKが決まって残り1分。相手の町田このまま終わらせようと時間稼ぎに入る。
その瞬間PKのボールをゴールの中で奪い取り、脇に抱えて猛ダッシュした小見。相手選手がそんな小見の進路を妨害しようとしたのだが、ラグビー選手のような見事なステップで小見はそれをあっさりと交わし、そして全力でセンターサークルへボールを運んだのだ。周囲の先輩選手たちに「まだだ、こっから行くぞ」と叫ぶように。
その姿は、逆風上等、オレが火蓋を切ってやるという闘志にあふれたものだった。
このシーンにはしびれたぜ、小見。
小見と言えば、高校時代から有名だったのが世界一長い助走のPKである。
プロに入ってから一度も披露していない。町田戦は負けていて、しかもロスタイムだったから、蹴らせてもらえるわけがなかった。今度は余裕のあるPKで、ぜひ蹴らせてあげたいものだ。
見事な坊主頭の豆タンクのような小僧が全力で走り回る姿は、なかなか感動的である。これから出場機会が増えるに違いない。注目だ。
2022.05.15
町田ゼルビアのホームスタジアムは、当たり前だが町田市にある。それなのにスタジアムへ行くまでには川崎市を通っていかなくてはならない。それなのに町田市は神奈川県ではなくて東京都であると言い張るのである。
郵便物は「神奈川県町田市」と書いてあってもちゃんと届くというのに。
町田は神奈川じゃないよというのは定番の自虐ネタになっている。今日の町田対新潟のゲーム前には広場でイベントが行われていて、地元アイドルがゲストで歌っていたのが「オレンジ色のバスが走るよ」という内容の歌だ。オレンジ色のバスとは神奈川中央バス、略して「かなちゅうバス」。
つまり神奈川県のバスが走っているけれどここは東京なんですよという腰が砕けそうになる歌なのだ。
歌っているアイドルは、まちだガールズ・クワイアという7人組のグループだ。だが今日は4人しかいない。「3人はちょっとお休みなんです」と言っていたが、なんのことはない、発熱で療養中ということでコロナ感染だったのだ。
くっそう、これはアルビレックスに対する嫌みか。
こちらも選手5人が陽性で出場できない。大事なゲームだというのには2軍のメンバーで乗り込むしかないのだ。それに対するもてなしが、このコロナで半分欠けたアイドルグループということか。うぬぬ。
スタジアム前の狭い広場には屋台が所狭しと並び、大勢の人間が行列を作ってとんでもない密になっている。
そんな広場で「メンバーの半分がコロナでお休みでーす」というアイドルが歌うとは、むちゃくちゃな状態だ。
とにかく町田のこのスタジアムはインフラがボロボロなのである。
まず遠い。とにかく遠い。
徒歩だと「セルフ男気60分コース」と紹介されているのが最短で60分。つまり最寄り駅から歩いて60分なのである。公式サイトも遠いが文句あるかと開き直っているのだ。
従ってバスに乗るしかないのだが、バスも最短で20分なのだ。
しかも「天空の城」と偉そうにしているが、なんのことはない、スタジアムは山の上にあるのだ。よって徒歩の場合、登山と変わらないのである。
もちろんオレたちは車で行った。家からはわずか30kmの距離なのに実に行きづらい場所にあるので2時間近くかかった。余裕で越後湯沢まで行ける時間である。
しかも駐車場が圧倒的に足りない。数年前に来たときはキックオフ直前だったにもかかわらず簡単に停められたのに、今日は2時間前に到着したのにとっくに満車。「4時間前から満車です」と誘導のおっさんは言うのだった。
仕方なくコインパーキングを探すのだが、町田は田舎だからコインパーキングなんてないのだ。驚くほどないのだ。うろうろと探し回ってやっと見つけた駐車場は1日500円。六本木なら15分で500円だぞ。呆れるほどの格差である。
せっかく見つけた駐車場だが、スタジアムからは3.5kmある。だが、なめんじゃねえぞ。これならオレんちから駅まで往復するのと変わらない。歩いてみせるぜ。
というわけで歩いて突入した町田のスタジアム。
今日の入場者数は6000人。たったの6000人。それなのにインフラが整っていないから、帰りのバス待ちの行列はとんでもないことになっていて、あっさりパンクしてしまっていた。しかも当然のようにひどい渋滞だから、歩いているオレたちがバスを追い越していく始末。
さんざん待たされてぎゅうぎゅう詰めのバスの中で立たされて、あげくに渋滞で歩行者にも追い抜かれるという、試合に負けた上にどうしてこんな仕打ちを受けなくてはならないのだとサポーターたちは泣くわけだ。
3位 △△△●○○●○○△○○△○○●
しかも町田のスタジアムは非常に見づらい。角度がまったくついていないので、ゲーム展開がまったく見えない。目の前で選手が走るのを見るだけである。
だから町田の2点目がチョンテセのハンドだったにもかかわらず、こちらからはよく確認できなかった。
しかもいつもなら大型ビジョンで再現されるゴールシーンがこのときに限ってなぜか上映されず、つまりスタジアムぐるみでチョンテセのハンド疑惑を隠蔽してしまったのである。まさに貧すれば鈍す。貧相なインフラのスタジアムは精神も貧相なのである。
チョンテセと言えばスタジアムの外のテントの中で、チョンテセの奥さんが自家製キムチを売っていた。旨いと評判のキムチだ。奥さんはとびきりの美人である。もちろんオレも喜んでキムチを買って、帰って食べたのだった。ゴールはハンドで、キムチは手作り。たいへんに美味なキムチだった。
帰り道、息子と呪詛を吐きながらとぼとぼと山道を下っていたら、脇を全力で走り抜けていく着ぐるみの兄さんがいた。アルビレックスのマスコット、アルビくんのかぶり物をした兄さんである。
アルビレックスのユニフォーム姿で歩いている人間はちっとも珍しくないが、マスコット姿はさすがに珍しい。オレは初めて見た。
そのマスコットの兄さんが山道を全力で駆け下りていったのは、長蛇の列のバスを待っていてはとても帰りの新幹線に間に合わないと考えてのことだろう。なんで余裕を持ってチケットを買っておかなかったのだ。田舎の人の陥りがちな落とし穴だ。直行バスで駅まで20分といっても通常はその倍は見ておかなくては。今日はその3倍の待ち時間と3倍の渋滞時間がプラスされているに違いない。
兄さんはアルビくんの姿で全力で町田市を走り抜け、そして小田急線に飛び乗り、新宿でJRに乗り換えて東京駅から新幹線に乗るのだろう。頑張れ兄さん。町田の嫌がらせに負けるんじゃないぞ。
まったくもって町田は天敵のような街なのだ。
2022.05.14
FC東京の本拠地が味の素スタジアムだが、これが実に評判悪い。芝の状態が最悪で、選手がころころ転びまくるというのだ。
駅から近いし、甲州街道沿いだし、見やすいし、広いし、オレはいいスタジアムだと思うのだが、東京サポはそう思わないらしい。同じく味スタを本拠地としているヴェルディも特に文句は言っていない。東京の選手だけがころころと転び、そしてそのせいで勝てないのだと東京のサポだけが文句を言っている。
先日のことだが、オリンピックで使われた新国立競技場で初めてJリーグの試合が行われ、FC東京がゲームを行った。それがいたく気に入ったようで、東京のサポたちは「味スタなんかとっとと捨てて国立をホームにすべきだ」と言い出した。「オレたちは東京のチームだ。東京のチームには東京の中心にある国立競技場がふさわしいのだ」と、まるで天下を取ったかのような言い草である。
だがそのようなふんぞりかえった言動とは裏腹に、チームはまったく勝てていない。弱すぎる。このままでは神戸、浦和と残留争いに巻き込まれるのではとさえ言われている。
「ボール支配率ばかりが高くてちっともシュートを打たない」「前に行かずバックパスばかりしている」「バルサの選手ならできる戦術」と、昨年、一昨年とどこかで聞いたような愚痴ばかりだ。
そうである、すべて新潟から移籍した監督のせいなのである。
今オレたちは、かつてオレたちが苦しんだ泥沼を東京が味わっているのを、遠くから感慨深く眺めている。
プッチ監督のサッカーは選手に実に高いスキルと頭脳を要求する「ぼくのかんがえるりそうのサッカー」だから、Jリーグの選手がすぐにできるとは限らないのだ。
今、彼らは泥沼を感じているに違いない。実に感慨深いことである。
まあ、東京サポはそんなに悪くない。緩いほどである。浦和、松本、徳島、鹿島あたりに比べたら非常にまともである。だからしばらく我慢したら、少しはよくなってくるよと伝えておきたい。
それよりもオレたちが注意しなくてはならないのは、この夏の移籍市場で新潟の選手をプッチに狙われることだ。案外、やられるかもしれない。警戒しようではないか。
サッカーネタではもう一つ、今日のレディース、WEリーグの神戸対浦和のゲーム(これも国立競技場だ)で、宮間あやが登場した。キックインセレモニーに澤穂希と一緒にやって来たのである。
動く宮間を見るのは数年ぶりだ。ワールドカップ優勝からちょうど10年がたち、宮間もすっかりおばちゃん体型になっている。
今、宮間は何をしているのだろう。一時はサッカー界からきっぱり距離を置いたとも聞いた。
サッカーに対して厳しすぎるあまり若い選手たちからは嫌われ、遠ざけられ、そして湯郷ベルでの騒動を経て、宮間はサッカー界に身の置き所をなくしてしまった。
あれほどの功労者、レジェンドに対して女子サッカー界とはなんて冷たいのだろう。
今日のキックインセレモニーが雪溶けの第一歩になったら嬉しい。なんとかこれを機にサッカー界に復帰してほしいものだ。
2022.05.13
栃丸という相撲取りがいる。苦節11年でようやく関取になったという苦労人だ。
さも見てきたように書いているが、実はオレは相撲はまったくの素人である。だから関取になったというのがどういう意味なのかもわからない。
文脈的にみれば、やっとJ1昇格を果たしたとか、やっとAKBの神7になったとか、そういうことではないだろうか。古すぎるか、神7。
こり相撲取り、実は練馬区出身らしい。そして練馬区出身の相撲取りでは初めて関取になったらしい。日本海側から初めてJ1チームが誕生したとか、そういうのに近いのか。くどいか。
むろん地元で話題になっているのは、そんなことが理由ではない。バズる理由はマワシである。
栃丸のマワシには、ねり丸がデザインされているのである。
なんだそれ、ねり丸って。
お答えしましょう。ねり丸とは練馬区の公式キャラクター、いわゆるゆるキャラである。顔は練馬区の特産である「大根」をイメージしてデザインされ、体は練馬区の「馬」を表している。可もなく不可もない、ゆるキャラとしては何のインパクトも残せないタイプのキャラだ。
なんと栃丸はこのキャラを、マワシに堂々と縫い付けちゃっているのである。ねり丸自体にはなんのインパクトもないが、このマワシのインパクトはかなりのものだ。ねり丸が土俵の上で間抜けなツラを晒している状況は、実にシュールである。
後援会の地元商店街が贈ってくれたのだそうだ。栃丸はそれを喜々として巻いて、嬉しそうに土俵に上がるのである。
その様子を目にしたオレは、おお、なんといういい奴なんだと嬉しくなってしまった。相撲のことはまったくわからないが、これからは栃丸を応援することにしたのである。
相撲といえば一度だけ国技館で観戦したことがある。プロレスの応援では蔵前も両国も、どちらもよく足を運んだのだが、相撲観戦で両国国技館に行ったのはそれが最初で最後だった。
完全なご招待、完全なおごりだった。だからどういうシステムになっているのか、まったくわからなかった。
枡席に案内されたのだが、なにしろ何を頼んだわけでもないのに勝手に料理が運ばれてきて、勝手に酒も出てきて、さらに勝手にお土産まで手渡された。いったいこれはどういうシステムになっているのかと呆然。お茶屋とか小僧とか、まったくなじみのないナニモノかが介在しているようなのである。
見ていたら、何かものが届くたびに、小僧に5000円札をこっそり握らせていた。チップのようだ。なるほど。オレの推測だが、客は弁当や酒でおもてなしをされ、建前上それはおもてなしだからタダで、代わりにこっそりと小僧にお小遣いを渡すという仕組みになっているのではないか。
脱税じゃん、完全に。
そんな前近代的なやりとりを目にしながらオレは小錦の巨体がゆらーりと土俵に上がるのを眺めていたって。ずいぶんと昔の思い出だなあ。
栃丸の話で、そんなことを思い出した。
などと考えながら、届いたメールを開いたら、ドコモの電話料金のお知らせだった。
どれどれと確認する。素晴らしい。我が家のスマホ代が一気に半額になっていたのだ。
ドコモからahamoに切り替えたおかげである。
もちろん半額にしようと考えて切り替えたわけだから、半額になって当然ではあるのだが、実際に請求金額として見せられると、あまりの節約効果にびっくりしてしまう。というか、今までどれだけドコモにぼったくられていたのだという話だ。
ためらわずにとっとahamoにと切り替えるんだった。
ドコモからahamoに切り替えて困ったことはほとんどない。ちょっとはある。
具体的にはお昼休みとか夕方とか、大勢の人が一斉にアクセスする時間帯になると、ネットにつながりにくくなる。電話やライン、メールが届きにくいということはまったくないのだが、ニュースサイトを見ようと思ってもなかなかつながらなかったりするのだ。
これが困ったことと言えば困ったことなのだが、ニュースサイトにつながらなくて何か困ることがあるかというとまったくないので、要するにちっとも困っていないということになる。
もっと早く切り替えるんだったなあ。
スマホ代が半額という現実を前にして、オレはちょっと気分が良くて、誰かに向かって「早く切り替えたらいいよ、なんで切り替えないの」と上から言いたいのだ。
2022.05.12
朝から暗くなるまで一日中、大手町のビルで過ごした。ある大企業のインタビュー仕事のためである。
立地に加え、機能、広さ、内装、什器すべてが素晴らしい。いいオフィスですねと感心したら「ありがとうございます、でも人がいなくて」という答えが返ってきた。
そうなのである。ガラガラなのである。
すっかりリモートワークが定着して、誰もオフィスなんかに出社しないのである。
だから外部からやってきたオレが会議室に居座って備え付けの大型ディスプレイを使い、自宅で仕事をしている社員たちにリモートでインタビューするという不思議な状況が生まれるわけだ。
これだけの立派なオフィスとなると、月の家賃は億単位だろう。
大手町から丸の内にかけての狭いエリアに日本経済を動かしている企業が密集しているが、その多くでこういう状況のなのかと思うと、とんでもない無駄遣いが進行中なんだなあと改めて実感する。
都心立地も立派なオフィスも、マストの時代ではなくなった。
あるとすれば、例えば今日訪問した企業のように、ちゃんとしたオフィスじゃないと客に足もとを見られるから仕方ないという意味だ。コンサルタントが無駄に高い靴と高い時計を身につけているのと同じ理由である。
大手町の高層ビルにオフィスを構えているから仕事になるのであって、これが巣鴨の雑居ビルに分散して入居している企業だったら、コンサルティングを頼む企業なんていないだろう。そういう見栄の部分の投資だと考えれば、割り切れなくもないか。
人もそうだけど、企業も見た目は大事なのだ。
でもこのまま空っぽのオフィスが続くと、そんな無駄な家賃の分も請求に上乗せされているのかと、客が値切りするようになっていくのは目に見えているから、いずれごくわずかなヘッドオフィス機能だけ残して縮小されていくのだろう。そのほうがよほど合理的で自然なのは間違いない。
2022.05.11
上島竜兵の亡くなったことが自分にとって意外なほどに衝撃なのは、一つにはやはり同世代の人間の自殺だからだろう。功なり名を遂げて、これから穏やかな晩年に向かおうというときになぜ、という思いは強い。
もう一つは、その生真面目な生き方に対してだ。凡庸と言ってもいい。
ダチョウ倶楽部はお笑いの世界では決してトップランナーではなかったし、メインストリームでもなかった。これは同じ三人組のアルフィーとよく似ている。
トップランナーではなかったから、コツコツと積み重ねる以外になかったのだろう。同じ芸を、求められればいつでも喜んで見せた。それが不本意なものであっても、本当は別の芸を用意していたとしても、求められれば喜んでやってみせた。新しい必殺技を考えたとしても、スタン・ハンセンはやっぱりウェスタンラリアットで勝たなくちゃならないのだ。
そうした積み上げの40年というのはアルフィーも似ているし、こち亀みたいなものでもある。こち亀だって決してメインストリームではなかったし。
そういう生真面目さというか、地味さというのは、上は団塊の世代、下は新人類に挟まれた、オレたち世代に共通の生き方のような気がする。そこにシンパシーを感じて、上島竜兵の自死に衝撃を受けているのかもしれない。
人を喜ばせる笑顔の裏で、堪えようもない虚しさややるせなさ、だからといって今から新しい道を行くわけにもいかないという諦念のようなものを腹に溜め込んでいたんだろう。
2022.05.10
キョンキョンだと小泉今日子と混同されるから、深田恭子は深キョンと呼ばれている。
“真っ赤なおばさん”になってしまった小泉は相当に痛々しいが、深キョンのほうはけっこう深刻なようだ。
ネットニュースをつまめば、朝起きたらすぐにシャンパンを飲んでいる、夕方から飲み出して翌朝の昼まで15時間続けて飲んだ、泥酔して店から叩き出されたと、ヤバい酒ネタがあれよあれよと。あげくに、いくら止めても酒を飲み続けるから同棲中の彼氏も愛想を尽かして出て行ったとか。
これは依存症寸前ではないか。あるいはもうすでにラインを踏み越えてしまったかもしれない。酒が原因で仕事に大きなトラブルを引き起こしたら、もはや依存症確定。ギリギリのところで踏みとどまって、何とか引き返してもらいたいものだ。
深キョンと言えば「下妻物語」だろう。
茨城在住のロリータ大好き少女と地元のヤンキーとの奇妙な友情を描いた傑作だ。
深キョンの役どころはそのロリータ少女。「ジャスコでなんでもそろうのに、なんも知らねえんだな」と地元民に笑われながら代官山に通ってロリータのお洋服を買い求める天然少女を、とてもキュートに演じている。実は伝説のヤンキーの血を引いていたというのがネタで、最後はその血が騒いで暴走族相手に1人で大立ち回りをしてみせるところがクライマックスだ。
相手役のヤンキーは、地元レディースを敵にして一人でバイクを乗り回すお姉ちゃん。これをデビューした手の土屋アンナがとてもバカっぽく演じていて大笑いだ。
とても楽しめる映画で、今でも時々観返している。人を楽しませようというサービス精神に徹した映画なのだ。
監督は、実にクセのある映画を撮る中島哲也。力のありすぎる絵が、時に「怖い」とも言われ、避けられることがある。暗くて重い現場が好きとのことで、スタッフや役者は怒鳴られ、けなされ、大変なのだそうだ。パワハラだけど、映画の現場なんてこんなものだろう。
「嫌われ松子の一生」はあまりに暗くてうんざりしたが、次の「パコと魔法の絵本」にはガツンとやられた。大爆笑の直後に号泣という、とんでもなく心が揺さぶられる映画だった。
深キョンにはぜひ「下妻」の頃のみずみずしさを取り戻して欲しい。ものすごく真面目な人で、事務所の屋台骨としての責任を負いすぎている面もあるのかも。まずは酒を抜いてもらいたいなあ。
などと書いていたら飛び込んできたのが上島竜兵の自殺という衝撃のニュースだ。
えっ、としか反応できず、絶句とはこういうことを言うのだろう。聞いてないよーと言えたなら、かなり上手な反応だ。
自殺の背景はわからないから軽いことは言えない。
あんなにも人を笑わせ、楽しませた人が、最後にこんなふうに大勢の人を悲しませるなんて、なんとも切ない話だ。
直接的には関係ないだろうが、どうもテレビのコンプライアンス重視の行きすぎがダチョウ倶楽部のような体を張った芸人たちに生きづらさを強いているような気がする。体の痛みをネタに笑いを取るのもNGになったから、熱湯風呂なんか、もう見られないだろう。イッテQ!のイモトアヤコのケツでコンクリートを滑る芸とか、吹き矢をケツに放つ罰ゲームとか、ゴムパッチンとか、そういうものはもう地上波ではありえない。
若い世代がどんどんネットに流れるのも当然だ。
なんだかそんな時代の暗さを象徴するニュースになった。
それにしても、昨年もそうだったが、今年も世相の暗さは異常だ。
ウクライナは言うに及ばず、知床の遊覧船、共通テストのナイフ振り回し、アサリ偽装、三幸製菓の火災なざ、テレビをつければうんざりするようなニュースばかりが流れてくる。明るい話題は冬のオリンピックぐらいか。
このもやもやと雲のかかったような世相が晴れるのは、いつのことか。
2022.05.09
最近の若者はギターソロをスキップするというネットニュースがあった。
間奏でギターソロが始まるとあっさりと先送りして2番を聴くということらしい。
そのことにギタリストは猛反発しているそうだ。
え、音楽の聴き方なんて個人の自由なんだから、別にいいじゃんと思う。なんで反発するんだろう。
アナログ時代だって、聴きたくないときはカセットテープを早送りして2番にいってたよ。デジタルになってそれがもっと簡単になっただけだろう。別に今時の若者って、という話ではない。
そもそもギターソロもちゃんと聴くべきだというのは一方的な押しつけで、ギタリストの単なる自意識に過ぎない。
誰もが「ホテル・カリフォルニア」の長い長いギターソロを弾けるわけじゃないし、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」だってエリック・クラプトンだからできた間奏なのだ。
だいいちイントロを極端に短くしたり、30秒でサビがやってきたりと、マーケティング優先の楽曲づくりをしてきたのは音楽制作者自身なんだから、ギターソロが飛ばされるというなら、退屈なギターソロなんてない曲を作ればいいだけでは。
あるいはクラプトンになってから言えばいいのでは。
まあ、だいたいこういう自意識過剰なことをいうのはギタリストが多いというのは定説。レコーディングのミックスの際に「もっとオレの音を大きくしてくれ」というのはギタリストだし、ライブではギタリスト用のモニターだけギターが大きく聴こえるようにセットしてあるものだ。
目立ちたがり屋が多いのである、ギタリストは。
CDからネットに移ってサブスクが定着した今、音楽は完全な消耗品になった。消費され、使い捨てられる存在になったのだ。イントロだけつまみ食いされるからいかに早くキャッチーなメロディーを聴かせるかが勝負になるのも当たり前だし、間奏のギターソロなんて次の曲へスキップするためのきっかけにさえなる。
そういう時代ということ。
もっともオレ自身、(前にも書いたけれど)もうオレの人生に音楽なんてなくてもいいなあと思うようになってきた。以前はNoMusic,NoLifeだったくせに、我ながらびっくりである。
今や音楽はほとんど聴かない。CDプレーヤーも持っていない。運転中も何も聴かない。仕事中にAmazonで適当なヒーリングミュージックを流しているだけだ。
新しい曲、いまどきの音楽に興味がわかないという話ではなくて、音楽そのものに関心がないということである。この変化は、たぶん老いたということなんだろう。困ったものだ。いや、別に困ることはないが。
あれほど好きだった日本酒が今は一滴も飲みたいと思わないように、音楽も既に一生分聴いてしまっておなかいっぱいということなのかも。
アレンジャーとしての仕事は辞めてしまったし、音楽制作そのものももうする気がなくて、時々ギターやウクレレを弾いて楽しむ程度である。
ギターソロではなくて音楽そのものをスキップするようになったわけだ、オレは。
「認知症の始まりは歩幅でわかる」谷口優・主婦の友社。先日書いたけれど、読売新聞の編集手帳で紹介されていた本。つい勢いで買ってしまった。書いてあるのは正しいことばかり。要するに歩幅が65cmない人は早くボケる、認知症になる、ということである。著者は医者ではないが医学系の大学院を修了した人で、しっかりとした学術的な証拠のもとに書かれている。要するに歩幅の広い人は認知症になりにくいですよという研究結果だ。この研究はもっと注目されていいと思う。オレも自分の歩き方を反省して、なるべく歩幅を広くして歩くようにしている。もっともこの本については、それだけを繰り返し書いているのみなので、あえて読む必要もなかった。なんで買っちゃったんだろうなあ。
「みんなのユニバーサル文章術」安田峰俊・星海社新書。著者はネットでPVをばかすか稼いでいるライター。エゴサーチもしょっちゅうやってるだろうから、オレがこうして感想を書くと読まれてしまうかもしれない。よし、ほめよう。ほめておこう。というわけではないが、思った以上に有意義なことが書いてある。例えば句点は40文字に一回以上、改行はできるだけ多く、徹底的に文字を削る、といった具合だ。こうした具体的なノウハウは役に立つ。というか、オレが自分なりに工夫していることを肯定されたようで、ちょっと安心する。後半のメールやTwitter、LINEなどでの文章の書き方といったあたりは飛ばし読み。本書では、オレも以前読んだ「年収1000万!稼ぐライターの仕事術」という他の著者が書いた本についても触れられている。そこで「商業日本語」と表記されているのが、オレたち業者ライターが書く原稿のことだ。ユニバーサル文章も、それとまったく同義である。オレたちが書くのは商品としての文章なので、徹底して客のニーズに応える文章であるのは当然のことなのだ。うまいと感心させる必要はない。わかりやすいね、読みやすいね、ご苦労さん、請求書送っといて、でいいのである。徹頭徹尾わかりやすく書くことが重要なのだ。といいつつ、オレ自身はこうしてまったく改行もせずにだらだらと書いているのは何なのよと思うが、別に人に読ませるためのものじゃないからいいのだと開き直る。というか、書いたそばから忘れていく程度の内容だしなあ、わはは。
2022.05.08
何もしなかったゴールデンウィーク。
最終日も何もしなかったが、お祭り騒ぎだ。
そうである、オレたちのアルビレックス新潟のゲームである。相手はにっくきヴェルディ。
きょう勝って、1位の横浜が負ければアルビレックスが首位に浮上する。そんな重要なゲームだ。
そんな重要なゲームで、前半を終えたところで3-0だったのだから、これはもうお祭り騒ぎである。そりゃもうヴェルディ相手に好き放題、やりたい放題。オレと息子はうひゃひゃひゃと笑いっぱなしだ。
ハーフタイムには裏でやっている横浜と秋田の試合に切り替えて、秋田が見事に1-0で逃げ切ったのに快哉を送った。もうイケイケどんどんである。なめ腐っているのである。
それがよくなかった。よくない態度だった。ライバルチームの負けを喜び、目の前の相手にはやりたい放題だと見下した。そんな態度を、神様はお許しにならなかったのである。
なんと3-0でスタートした後半、アルビレックスは立て続けにゴールを許し、ヴェルディに3-3と追いつかれてしまったのである。
前半で3-0だったのに追いつかれるとは、いったいどういうチームなのだ。神様の罰は恐ろしいのだ。
だがそんな窮地を救ってくれるのは、この男しかいない。矢村である。矢村健、通称ヤムケンまたの名をキングヤムラ。
85分に投入された矢村は88分に閃光一閃。強烈なミドルシュートをにっくきヴェルディのゴールに突き刺したのである。その瞬間息子とオレは天に向かって吠え、神様はわたくしたちを優しくお許しくださった。
祭りも祭り、この日最大の祭りがここに待っていたのだ。
この矢村のドラマチックすぎるほどのシュートで乱戦を4-3と制する。
ゴールデンティーク最終日の今日は大勢の家族連れがスタジアムに足を運んでおり、7つもゴールが見られて子供たちも大喜びだったろう。いいゴールデンウィークだったね!
今日のこのお祭りによって、ついにアルビレックス新潟は
1位 △△△●○○●○○△○○△○○
である。首位である。J1自動昇格圏である。
8戦負けなし。1シーズンで負けられるのは6つしかない中で、まだ2つしか負けていない。
先は非常に長いので今からはしゃぐつもりはまったくないが、まずはホッと一息だ。
10日間もだらだらと過ごしたので明日からちゃんと社会復帰できるか非常に不安ではあるのだが、今日のこのお祭りの喜びをパワーに変えて、しっかりとオレも闘わねば。
いやあ、いいゴールデンウィークだった。
2022.05.07
今年のゴールデンウィークは10連休だ。
特に何の予定もなかったから、だらだら過ごすと決めて、本当にだらだらと過ごした。
出かけたのは福生の米軍基地の街と、隣のイオンぐらいである。
10連休といっても谷間の2日と6日は仕事をした。それ以外はだらだらと過ごすことができて、慶賀の至りである。
1日だらだらと過ごして夜寝るときに、ああ、明日もだらだらできるんだと思える幸せよ。できるならばもっとだらだらしていたい。
だが時間は待ってくれず、明後日にはいつもの日常が始まってしまう。そうか、大人が蒸発するのは、こんな気分の時なんだろう。オレも蒸発するか。するわけないか。
フリーランスになりたての頃はむちゃくちゃ忙しくて、1年目なんて元旦しか休まなかったし、月曜の朝に事務所に来て日曜の夜にアパートに帰るような生活をしていた。
あの頃に比べれば格段に余裕のある生活パターンだ。それだけ仕事が減ったのか。いや、それだけ仕事の段取りがうまくなって原稿を書くのも早くなったということにしよう。
確かに今は山のような原稿を前にしても、これは3時間で、これは90分で、と瞬時に計算ができる。よって今日は19時らは終わるから20時にはビールが飲める、と見通しが立つ。
ま、経験ということだわな。
そういや最近、突然NFTがいろいろと言われるようになった。商売になると踏んで電通あたりがからんでいるのだろうが。
NFTと聞いても何じゃそれという人が大半だ。それは、何じゃそれと思うように仕向けられているからだ。そのほうが大きい商売になる。
NFTを使った音楽と言えば、コピーのできない音源。
NFTを使った絵画と言えば、コピーのできない絵画。
それなのにひとくくりにして「今はNFTが来てます、NFTに投資しましょう」と言われるからわからなくなる。まるでNTFという投資商品でもあるようだ。
NFTが重要な技術なのは間違いないけれど。
と、いきなりどうでもいいネタをはさみながら、今日の夕方に観たのは「AWAKE」という映画だ。
AI対棋士をテーマにした将棋映画で、実話に基づく話らしい。
ならばと将棋オタクである息子と一緒に観た。
クライマックスはAIとプロ棋士の一対一の対決だ。すげえ盛り上がった対決だったのに、なんとわずか21手であっさりとAIが投了してしまう。息子に言わせれば、それはもはや事件だったそうだ。
アマチュアの棋士が見つけたAIのバグを、プロ棋士が利用して攻めてきたことで、AI側が見切って勝負を投げてしまったというのが背景である。ちょっとわかりにくいが。
将棋という地味な世界が映画になるのかと思いつつ、それなりに楽しめた。
将棋映画では「聖の青春」がよかったなあ。
さてゴールデンウィークも残りあと1日。きっと相変わらずだらだらとして無駄遣いするに決まっている。それもまた贅沢。窓を開け放して青空を眺め、爽やかな五月の風を室内で感じながら、ちょっとだけと言って昼寝するのだ。
2022.05.06
司馬遼太郎を読んだことがない。
Mr.チルドレンを聴いたことがない。
スターウォーズを観たことがない。
そんなオレだからどこか感覚がズレているのかもしれない。そしてズレたまんまで考えたことではあるが、日本はもしかして一発屋なのではないか。
戦後復興から高度経済成長までが奇跡のメガヒット。そのヒット一発で全国地方公演で食いつないできたが、途中、バブルという単発まぐれは放ったものの長続きせず、結局はじり貧になってしまったという。
メガヒットも津軽海峡冬景色と天城越えの2つを持つなら石川さゆり程度には長続きしただろうが、いかんせん高度経済成長という過去のヒットにあぐらをかいて怠惰を決め込んでしまった。あんな程度のヒットならいくらでも出せるぜと思った小室哲哉が落ちぶれていったように、日本も華々しい一発屋として落ちぶれるに任せてきたのだ。
だから今の1人あたりGDP世界30位くらいが本来の実力。
聞いた話だとアメリカのテキサス州あたりの平均年収は1300万円〜1500万円というから、日本の二倍だ。日本人はアメリカ様の半分しかカネのない貧乏なのだ。
それもこれも過去の栄光にすがって地方巡業で食いつないできたためだろう。
せめて安全に飲める水道水くらいは、この先も保ち続けたいものだ。
などとゴールデンウィークがヒマすぎるため、ろくなことを考えないのであった。
今日観たのは「誰も守ってくれない」。
2009年頃の映画だ。主演が佐藤浩市ということで観る。刑事である佐藤浩市は犯罪容疑者の家族を守るという仕事を任されるのだが、その家族というのが犯人の妹。これがよく観たら少女の頃の志田未来だった。
あのでかい目のチカラはなかなかに素晴らしく、つい引き込まれてしまう。
柳葉敏郎など脇役陣もなかなか力が入っていた。
その後、何本か頭だけを観てはやめて、結局2本目に観たのは「海街diary」。もう何回目なのかわからないほど、よく観る映画だ。
鎌倉美しい街を舞台に淡々とした日常を描いた映画で、悪人は一切出てこなくて、事件も何も起こらない。それなのにずっと観ていたくなる、不思議と心温まる映画だ。
綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆の三姉妹がとてもいい。長澤まさみはどこまでも次女で夏帆はとことん三女。これって末っ子だよねーという演技がとても素晴らしい。
この3人の娘を捨てて家を出て行ったダメ母が、大竹しのぶ。これがとんでもない存在感なのだ。自分のせいで堕落して今は絶対に不幸なんだけれど、せめて娘たちの前ではちゃんと母親らしくありたいとする姿を絶妙のバランスで演じている。もしかしてもう二度とこの親子は会うことがないのではないかと予感させる立ち振る舞いも素晴らしかった。
この大竹しのぶと対をなす重みが、樹木希林。親戚の口うるさいおばちゃん役だ。これはいかに樹木希林だから演じられた役だと思う。
あと笑っちゃうのがリリー・フランキーで、これって絶対に素だよね、素のままそこに置いたよねというぐらいのはまり役。
そんな芸達者な役者たちが、何の事件も起こらない鎌倉の日常を演じている。そこに流れる穏やかな空気感がとても素晴らしく、大好きな映画だ。本当に何も起こらない話なのだ。
2022.05.05
インドの狂虎、タイガー・ジェット・シン。その素顔はカナダの大富豪にして名士であることはよく知られている。人品高貴で多くの人々から尊敬され、地元には彼の名前を付けた通りがあるほどだ。
だからプロレスでの立ち振る舞いは完全に演技だ。事業で成功したのと同様の熱心さで演じたから、ヒールとしてあれほど成功したわけだ。
記者たちも「シンだけはガチ」とささやきあい、決して近寄らなかった。ほとんどの悪役外人はリングを降りればごく普通のあんちゃんなのに、シンだけは普段からリング上と変わらない立ち振る舞いで、誰に対しても暴れかかっていたのである。彼の生真面目さはこんなとこにも表れていたのだ。
エピソードは多い。
アブドーラ・ザ・ブッチャーが決して観客には手を出さなかったのに対し、シンは場外乱闘になると平気で客を巻き込む。地元のヤクザを乱闘に巻き込んで怪我させてしまったときは、その組が総出で新日本プロレスの宿舎に「猪木を出せ」と押しかけたらしい。
あまりの悪どい反則に怒ったファンが我慢できずにリングに乱入し、パイプイスでシンに殴りかかるという事件もあった。全国生中継でのことだった。
実はそのファンは警備のアルバイトにかり出された学生で、新日本に言いくるめられて乱入したらしい。それを知ってか知らずか、シンはその学生からパイプイスを奪うと思い切り殴り倒し、失神させてしまった。
気の毒なのは学生君である。演出だと思ったら、生真面目なシンに本気で殴られてしまったのだから。
今時こんなことがバレたらコンプライアンス的に大騒ぎになっただろう。昭和のプロレスは実にむちゃくちゃだった。
こんなエピソードもある。オレも知らなかった話だ。
1981年の2月、雪まつりの札幌で試合のあった日、タイガー・ジェット・シン一行は昼間っから酒を飲んでストリップ劇場で大はしゃぎ。客と揉めてしまった。そこに駆けつけた警官にシンがヘッドロックをかませて、メガネをへし折ってしまったのである。
当然一行は警察に連行されてしまい、その夜の試合に出られなくなってしまった。
青くなった新日本プロレスは人事院の××さんを通じて札幌道警に話を通し(おいおい、実名で書かれちゃってるけど大丈夫なのか)、何とか拘留は免れ、そしてその夜の試合は無事に行われたのである。
ちなみにそのストリップ劇場に同行していたのが上田馬之助。彼も極めてまっとうな常識人だ。新日本の関係者は上田に向かって「なんであなたがついていてシンを暴れさせたんですか」と怒ったらしい。
なかなかにほほえましいエピソードだ。
このネタが乗っていたのはプロレス雑誌「Gスピリット」。その最新号を買った足でオレは、地元の「かぶらや」に向かったのである。
「かぶらや」は安い店だ。メインはモツ焼き。いろいろ食べて飲んで2000円台である。
ここ数日、何の予定もない呑気すぎるゴールデンウィークを過ごしているせいか、無性に焼き鳥で生ビールを飲みたいと思っていて、今日、やっと「かぶらや」に行ったのだ。一人で飲み屋に入るなんて何年ぶりだろうというぐらいである。
「Gスピリット」の特集は1981年だ。新日本と全日本の引き抜き合戦が勃発し、タイガーマスクがデビューして、IWGP構想がスタートし、あの伝説の田園コロシアムのアンドレ対ハンセンが行われた年である。プロレス中継が常時20%以上の視聴率を取っていたという、異常な時代だった。
表紙は、血だらけのスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディが吠えている写真だ。実に昭和プロレスらしい一枚だ。こんな写真が表紙になったプロレス雑誌を読みながらモツ焼きを食べているととても幸せな気持ちになる。飲み物はレモンサワーだ。
なおタイガー・ジェット・シンと言えば新宿伊勢丹前の猪木襲撃事件が有名である。伊勢丹へ買い物に来たアントニオ猪木と倍賞美津子夫妻を、たまたまそこにいたタイガー・ジェット・シンが襲撃して怪我を負わせたという事件だった。
当然仕込みなのだが、公道での傷害事件ということで四谷警察が取調を行い、仕込みだったということで新日本プロレスが大目玉を食らったというオチがついた。
真相ははっきり明かされていないが、オレは、タイガー・ジェット・シンは「これは仕込みだから」と言いくるめられて襲撃し、一方の猪木にはあえて話を通しておかなかったのではないかと推測する。要するに片八百長だな。
もちろん猪木だって瞬時にこれがプロレスだとわかったはずで、うまく手を合わせて盛り上げたに違いない。うーん、実に昭和プロレスらしいいい話だ。
今日はこどもの日。どこへ出かける予定もなく、家族でイオンへ行って買い物をして帰ってきた。そんな平穏すぎるゴールデンウィークの一日に、オレはモツ焼きと昭和プロレスで熱く興奮したのだった。
2022.05.04
開幕から13戦無敗の快進撃を続けて、ようやく最初の敗戦を喫したのは14試合め。去年の我らがアルビレックスである。
そして今日、まったく同じく14戦めにして最初の負けを記録したのが、FC横浜だ。
去年のアルビレックスがここら転げ落ちて昇格を逃したように、横浜もここから転落を始めるのだ。その予感に震えるサポーターたちの阿鼻叫喚が聞こえる。ああ、気分がいい。
他の多くのサポーターの例に漏れず、横浜のゴール裏もたいへんに悪質である。クラブがリリースを発表して注意を促したほど、そして今日はゴール裏の要注意サポーターに球団係員がずっと張りついて監視するほど、連中は身内からも毛嫌いされている。そのサポーターたちがこれから待ち受ける転落のドラマの予感に打ち震えているのだ。
これは町田ゼルビアも同様だ。一時は2位につけていた町田だが、今日の負けを受けて今やなんと13位。あっという間の転落だ。一体何が起きたのかとサポーターは呆然。昇格どころか降格の心配をしなければ鳴らないのではないか、ハゲのポポビッチ監督は実は無能だったのではないか、と半ばパニックである。
実にJ2は魔境。恐ろしいところだ。
一方のオレたちのアルビレックス新潟であるが、今日は金沢を迎えてホームで勝負。あっさりと勝ってみせた。負け試合を引き分けにできる、引き分けを勝ちにできる、そんな強さもついてきたのかもしれない。
おかげで
2位 △△△●○○●○○△○○△○
と完全に自動昇格圏に食い込んだ。しかも1位の横浜との差は勝ち点3である。もはや背中に手が届くところまで来たぞ。
4月は無敗。ついでに今シーズンホームで無敗。
かつてのJ1末期のロペス時代、ホームでまったく勝てずに阿鼻叫喚だったことを思うと、隔世の感である。
結果だけを見れば快進撃ではあるが、もちろんいろいろと問題の種はくすぶっている。
ボランチ不足、センターフォワードの疲労蓄積、キーマンの怪我、千葉の劣化、明らかに相手から狙われている千葉のゆるーいパス。
これから夏の胸突き八丁を迎えるに際し、解決すべき課題は多いのだ。だからこそ勝ってかぶとの緒を締めよ。昔の人はいいことを言ったなあ。
2022.05.03
「ルート66」と聞くと、少し気持ちがアガる。高校生の頃に聴いていた深夜ラジオの記憶だろう。
もう50年近くも前の思い出だ。パックインミュージックかオールナイトニッポンか、何の番組だったかもう忘れたが、1970年代に流行った深夜放送で、番組のテーマミュージックとして流れたのが「ルート66」。
短いイントロだったが、ルート66とはアメリカを横断する道路の名前と知って、広大な国土の遙か向こうまで真っすぐに延びる道の上を1台のトラックが走って行く、そんないかにもありがちな光景を想像しては憧れていた高校生がオレだった。
サイモンとガーファンクルの「アメリカ」という歌では、ミシガンからピッツバーグまで、若いカップルが長距離バスに乗って自分たちの国の未来を探しに行くという歌だった。これがルート66を走る旅のことだったかは知らないが、この歌のイメージをルート66に重ねたのは自然なことだった。
調べたら今では廃線になっているらしい。道路が廃線というのはよくわからないのだが、アメリカならばそういうこともあるのだろう。
というわけで、きょう向かったのがルート66ならぬルート16。つまり国道16号線だ。
東京西部の国道16号線沿いには福生の米軍基地、正確には横田基地があって、その周囲に沿うように連なる店をひとくくりにして福生ベースサイドストリートと呼ぶ。ゴールデンウィークの真ん中、息子も娘も日中はヒマだというので、ちょっとアメリカンな空気を味わいに向かったのである。
以前、少し立ち寄ったときには休日の米兵たちがうじゃうじや歩いていて、ごっつい体つきの黒人たちの群れなどを見ながら、まさにアメリカンだなあと思ったものだった。だが今はコロナ。米兵たちもキャンプから不要不急の外出を禁じられているのだろう。アメリカ人の姿をほとんど見ることができなかった。
多くの店ではドルも使えるのだが、使っている人もいなかった。
それでも建ち並ぶ店をのぞくだけでも楽しい。
昼は有名なハンバーガーショップでハンバーグを食べる。旨い。ベーコンが最高。息子は「マックと違うぜ」と喜ぶのだが、1700円もするハンバーガーだから旨いに決まっている。
高い。高いが1700円のうち1000円はこの場所や空気に払っているのだと思う。
解せないのはうちの近所に数年前にできたハンバーガー屋だ。ここもハンバーガーが1つ1500円もする。飲み物を付ければランチで2000円だ。練馬の地味な住宅街にあるちっぽけな店で、どうしてこの価格なのだ。ものは試しと、二度と行かないと決めて一度だけ食べに行ったけれど、まあ、普通のハンバーガーだった。1000円払うような場所や空気だろうか。それでも今もこのハンバーガー屋は営業を続けており、どうしてそんな需要があるのか、地元の七不思議の一つである。
話を国道16号に戻す。
この福生ベースサイドストリートには食べ物屋が少ないので、どこも行列だ。吉野家やドトールがあればきっと儲かるだろうなあ。
代わりに多いのが雑貨屋である。もちろんアメリカンな雑貨屋で、店によっては米兵が本当に使っていた襟章などの払い下げ品も売っている。中には銃弾も売られていた。どうやって仕入れたのだ。
こういう店をのぞいて歩くだけでも楽しい。そしてどの店にも必ずと言っていいほど置いてあるのが「ルート66」のグッズ。日本の国道表示のように、アメリカの国道にも道路名を示す標識が立てられており、「ルート66」と記されたその標識のレプリカやステッカーやグッズなどが豊富に売られているのである。
ああ、憧れのアメリカよ。オレたち世代のおっさんはそんな郷愁めいた思いを募らせ、そうした「ルート66」グッズを買うのだった。
もっともオレが買ったのはコカコーラのグッズ。真っ赤な缶はペン立てに、真っ赤なステッカーはパソコンのおしゃれに。これでも十分なアメリカンである。
この福生ベースサイドストリートの歩道には、「ルート16」とデザインされたポストが立っている。「ルート66」のパクリだ。息子は何だろうこれはと思っていたらしく、「ルート66」の思い出話をしてやったら納得していた。
2022.05.02
ゴールデンウィークとは言え、今日は平日である。
息子は7時に家を出て大学に行き、娘も7時に自転車で飛び出してバイト先をめざし、ヨメは午後からアルバイト、オレは夕方に銀座でインタビュー仕事と、家族は普段と変わらない生活を送るのだった。
とは言え、息子をクルマに乗せて駅までいくと、さすがに人の出は少ない。改札に向かうのはほとんどが制服姿の高校生。スーツは見かけない。会社は休みという人が少なくないのだろう。
銀座もそうだ。人出は多い。
カメラマンが「いつもより駐車場が混んでる」と言って、買い物客が多いことを教えてくれた。仕事で銀座に来るのに車を使う人はそんなにいないから、普段は意外と銀座の駐車場は空いているのだ。
そんな一日であるが、今日はオレの父親の命日でもある。6年前だった。
薫風香る爽やかな季節で、実家の周辺では田植えのピークである。そんな時期にはた迷惑な葬式だったろうなあ。そうしたことをおくびにも出さず、様々に手伝ってくれた近隣の皆さんに地方の人のつながりの濃さを感じて、感謝したものだった。
5年前にはヨメの両親を連れて新宿御苑まで行った。1年で一番いい季節を家の中で過ごすのはもったいなく、広い公園で散歩しようと思ったのだ。
新宿三丁目の高島屋の地下でそれぞれ好みの弁当を買い、新宿御苑の芝生の上で広げたっけ。あの頃息子はまだ中学生で、部活があって後から合流した。今半のすき焼き弁当を買っておいてあげたら、運動した後の息子は旨そうに平らげたっけなあ。
そんな具合にいろんなことを思い出す季節だ。
そう考えると、家の中でごろごろと映画ばかり観ているのは、まったく冴えない。出かけないなら散歩でもしなければとと自分を責める。
散歩と言えば、今日の読売新聞の編集手帳に興味深いことが書いてあった。編集手帳とは一面下のコラム、いわゆる天声人語の欄のことである。社説が各紙の頭だとしたら一面コラムは顔。抜群に文章が上手いと言われているのが読売新聞の編集手帳で、オレも時々そのコラムを書き写して文章訓練をしている。ただこれはやり過ぎると編集手帳的なクセがついちゃって元に戻すのにけっこう苦労するから要注意である。
なお受験戦争を厳しく非難し続けているのは朝日新聞だが、一方で天声人語がいかに受験問題として採用されているかを自慢し、天声人語書き写しノートまで作って累計500万部以上も売っているのも朝日新聞である。笑っちゃうほどのダブルスタンダードだ。
朝日新聞なんか読んでるとこういう厚顔な左翼ができあがるので要注意。天声人語の書き写しなど、もってのほかである。
なお子供の頃に朝日小学生新聞を読み込ませると立派な左翼人間が完成するのではないかと我が子で実験したところ、息子は立派な極右人間に育って、今日も高市先生万歳と叫んでいる。
オレも中学から大学までずっと朝日新聞を読んでいたが、今ではガチガチの右翼人間として息子と一緒に高市先生万歳と叫んでいる。ひょっとしたら朝日新聞を読み続けると、しかも早ければ早いほど、長じて右寄りの人間になるのかもしれない。大変に興味深い事実だ。
それはともかく読売新聞の編集手帳であるが、今日書かれていたのが、歩幅の狭い人間ほど認知症にかかりやすいという研究の紹介だった。
歩幅を広く取ると「脳と足の間の神経伝達が刺激され、脳を活性化する。筋肉をより多く使い、心肺機能がアップ」するというのである。結果として認知症の発症を抑えられるそうで、逆に言えば歩幅が狭い人間は認知症になるリスクが高いというわけだ。具体的には65センチ以上がいいそうである。
確かに小さな歩幅でちょこちょこ歩くと、実にじじ臭いとは思っていた。それでオレも普段からなるべく狭い歩幅にならないように気を付けていた。今朝は編集手帳を読んでその思いをさらに強くし、意識して歩幅を広く取るようにして銀座の中央通りを闊歩した。
以前は人より速く歩いていたほうだったのだが、60歳を過ぎてから人より遅くなったなあと感じている。若い女の子に追い抜かれるのは仕方ないとして、おっさんたちに追い抜かれるのは、たとえ向こうが明らかに年下であっても腹の立つものである。
そんな無駄な競争心をエネルギーに変えて、大きく歩幅を取って歩くようにしたい。家の中でごろごろしているんじゃなくて、せっかくのゴールデンウィーク、近所でもいいからシャカシャカと歩くのだ。
「空飛ぶ車輪」
歩くのだと言ったそばから、ごろごろしながら映画を観ている、これは三菱自動車のリコール隠しをネタにしたもので、大手自動車メーカーを相手に零細運送会社がトラックの構造的欠陥を暴こうと闘う物語だ。
ちょっとテンポが悪く、物語に起伏がないので、退屈。同じような場面、例えば酒場で飲みながら情報交換したりする場面やラスボス役の三菱自動車の専務が料亭で三菱UFJ銀行の幹部と悪だくみをする場面などが何度も出てきて、またかよとげんなりした。
同じ作者が原作の「七つの会議」の方がが抜群に面白い。テンポもキャラも圧倒的に「七つの会議」だ。オレの好きな朝倉あきも出ているし。主役はTOKIOの長瀬くん。今では存在感のあるいい役者だが、この頃はまだ大根だったんだな。
「翔んで埼玉」
以前テレビでも観たが、Netflixでまた観た。バカバカしいったらありゃしない。「埼玉県人には草でも食わせておけ」は名台詞。
最後はいがみ合っていた埼玉と千葉が協力して東京に攻め込むという展開である。映画の中では港区千代田区あたりがAランクで八王寺町田がEランクとされている。だったら練馬はCランクがいいところじゃないかというのが我が家の認識だ。
実にバカバカしい映画だが、映画なんてこういうのでいいんだよという大切なことを再認識させてくれる映画でもある。
2022.05.01
スポーツ新聞を開くと、三浦知良が79分間プレーしたという記事が大きく載っている。テレビでも報じられていた。
3部リーグのさらに下のリーグに所属する55歳の選手が単に試合に出た(得点もアシストも決めたわけではない)ということが、トップリーグのチームの試合結果よりも大きく報じられることに、やっぱりメディアがダメなんだなあと呆れる。しかもACL、つまり国際的なカップ戦にリーグを代表して出場しているチームがあるというのに。
もっともイニエスタ抜きのヴィッセルよりもカズ1人のほうが一般的な知名度は高いから、と言われればそれまでだが。
確かにカズは知っててもカズがどこのチームに所属しているかは知らないというのが一般的な感覚かもしれない。
サッカーへの関心なんてそんなものか。正解は鈴鹿ポイントゲッターズ。ダサい名前のチームだ。サポーターは“ポゲ”と呼び、それ以外は八百長軍団と呼んでいる。この八百長問題はちょっと根が深そうだ。
もっともオレだって佐々木朗希は知っていてもロッテの監督が誰だか知らない。興味のないスポーツとはそういうものか。
そんなことを考えていたらオシムの訃報が飛び込んできた。元代表監督である。
ジーコの後を受けて、ほんのちょっとだけ監督をやった人だ。期間が短かったことに加え、特に目立った結果を残したわけでもなく、あまり記憶に残っていない。それでも存在感は大きかったと思う。
ジーコによってグダグダになってしまった日本代表の立て直しを引き受けたワケだから、ご苦労なことだった。様々な“名言”と共に語られることが多い。
正直、たいした名言でもない。ドラえもんや手塚治虫の漫画あたりの方がよほど名言だ。
有名な「ライオンに追われた兎が足をつりますか」にしても、人間だってライオンに追われたら足をつらないし、そもそも足をつってもつらなくてもライオンに追われた兎は食われちゃうから、足がつろうがどうしようが関係ないし。中学生みたいだな、オレ。
オシムは途中で病に倒れて交替を余儀なくされたから、あのまま代表監督を続けていたらその後の日本代表の歩みもけっこう変わったのではないかという気がしている。
同様に、オフトの後に1年でクビになったファルカンに長期政権を任せていたら、あるいはトルシエの後に噂されていたネルシーニョ二に代表を預けてみたら、いったい代表はどんな歩みになっただろうと考えることもある。
個人的にはサッカーオタクで嫌々ながら監督をやっていた岡田さんとか、けっこうな胆力と知性を感じさせた西野さんが好きだ。そして時々、トルシエのあのエキセントリックな立ち振る舞いが無性に懐かしくもなる。ワールドカップベスト16とアジアカップ優勝の両方を成し遂げたのは、今のところトルシエだけだ。
もうけっこうな年かもしれないけれど、どこかのクラブチームの監督でもやってくれないだろうか。そうなったらなったで、メディアはトルシエだけに注目するのだろうけれど。
「浜の朝日の嘘つきどもと」
アラサーの女優の中では高畑充希が抜群にうまいと思う。表情一つで場を変えられる人だ。自分の表情が相手にどんな影響を与えられるかを計算してるんだろうなあ。あとは個人的に松岡茉優が好きである。こうして並べると佐々木希や北川景子のような完成度の高いルックスより、ちょいと抜けたファニーフェイスが好みなのだろうというのが自分で納得。
充希ちゃんが全面的に主役を演じているというので、アマプラのGW特別料金100円のダンピングにも惹かれて観た映画。つーか途中でやめた映画。充希ちゃんや柳家喬太郎、甲本雅裕といった人たちの演技は素晴らしくて楽しいのだが、ダメ教師役の大久保佳代子が決定的に酷くて観ていてうんざり。加えて脚本がどうにも耐えがたく、結局半分観たところで投げ出した。つまり50円だけ観て50円は捨てた。
充希ちゃんを楽しむのに50円捨てたと思えば、割り切れなくもない。
「素晴らしき世界」
観ようと思ってアマプラで無料になるのを待っていたのだが、「浜の朝日」でぐったり疲れてしまったので、立ち直るためには仕方ないと考えて、500円を払って観ることにした。
刑務所で13年を過ごした元ヤクザが社会復帰しようとして右往左往する話である。この元ヤクザを演じているのが役所広司。今の日本で一番の役者だろう。個人的にはこの役所広司と中井貴一、佐藤浩市の3人がいい。
この映画でも、とにかく役所広司が抜群だ。これは役所広司を堪能する映画である。元ヤクザというダメ人間ぶりを実に見事に演じきっている。
監督は西川美和。終盤、知的障がい者を巡るトラブルで描かれる誰もが善人であると同時に黒い心を持っているというメッセージは見事。その際に一瞬インサートされたハサミのカットも秀逸で、最後の洗濯物を取り込むエピソードも素晴らしかった。その後のアパートの2階から1階に降りて、そしてそのまま“広い空”へと昇っていくカメラワークにも唸った。
残念なのは、長澤まさみだ。アラサーの女優でお気に入りの1人なのだが、もっと出てくるかと思ったら一瞬で終わってしまう。実に面白くない。長澤まさみの無駄遣いだったなあ。
長澤まさみと言えば「マザー」がNetflixで観られるので、頭だけ観てやめた。長澤まさみが演じているのは、全てにおいてダメな自堕落シングルマザー。長澤まさみ本人が「一つも共感できない」と語っているキャラクターで、だからこそ新境地として挑戦したわけだが、冒頭からうんざりする底辺エピソードの連続で、ぐったりして途中でやめた。落ち着いたら続きを観よう。
そういや長澤まさみの相手役の阿部サダヲが、こないだ観たドラマ「スイッチ」で松たか子とキスシーンを演じていたな。阿部サダヲ、うらやましすぎる。
松たか子は40代半ばで、熟年女優では一番気に入っている。「HERO」ではキムタクともチューしていた。
チューおばさんなのか。「HERO」での演技のような、ちょっとエキセントリックで壊れたところのある役どころが一番似合っているように思う。それは長澤まさみにも通じていて「モーニングショー」で中井貴一と不倫しかけたイタい女役がとてもよかった。
もっとも一番よかったのは「海街diary」の次女役。実にキュートだった。「海街diary」はとていもいい映画で何度か観かえしているのだけれど、これは是永監督のクセだと思うのだが、カメラが動きすぎるところが唯一気に入らない。そこで鎌倉のきれいな海をじっくりと見せてくれと思うのに、ひょいとパンしたりする。そこだけ何とかしてくれたらなあ。
2022.04.30
ネットには「J2ボトムズを語る」というスレッドがある。
J2ボトムズとはJ2の底辺チーム、要するにJ3降格の危機に立つ。背水の陣のチームのことだ。
スレッドではいかにこれらのチームが情けないか、そしていかにしたらボトムズから這い上がれるか、そして次の底辺入りはどのチームかということが熱く語られている。
このスレッドで「優しいなあ」と褒め称えられているのが、アルビレックス新潟である。
説明しよう。
今年のJ2ボトムズは、開幕以来わずか1勝の琉球と、わずか2勝の大宮が圧倒的な存在感を放っている。ここにやがて岩手が食い込んでくるかどうかという状況だ。
琉球と大宮の底辺ぶりは際立っていて、まだ4月だというのにJ3降格はほぼ決定とみられているほどだ。
そしてこの底辺2チームと見事に引き分けて勝ち点1をプレゼントしているのが、アルビレックス新潟なのである。まさに強きをくじき弱きを助ける正義の味方。月光仮面。
大宮には例の試合開始時間を1時間間違えてキックオフ直前に呑気にスタジアムに到着した時に引き分け、琉球には今日、引き分けた。
5連戦の真ん中、中2日という強行日程での沖縄遠征という超ハードスケジュール。
しかも相手の琉球が実に荒くて、まあ、怪我をせず、負けないで帰ってこられてよかったと納得するしかないゲームだった。息子は、最下位相手に引き分けとはなんたる恥知らずと怒り心頭だが、オレは負け試合を引き分けに持ち込んだと考えて飲み込もうと思った。そういうゲームである。
それにしいも琉球の荒さは酷かった。
高木へのファールがPKに相当するかどうかと言われるが、あれは明らかにそれまでのラフプレーの積み重ねだろう。主審が明らかに「目に余る。これ以上やったらカードだよ」と警告を続けているのに少しもラフプレーを緩めなかった琉球自身の自業自得だ。天に唾するとはこのことだ。
試合前には、なんとスプリンクラーのトラブルでピッチが水浸しになり、開始時間が1時間延期になったほど。天候や災害以外の理由での延期は懲罰対象だ。
水浸しのピッチではボールが走らず、アルビレックスは苦戦するというのを先日の秋田戦で知ったのだろう。
まったく姑息な手を使うものだ、琉球は。なーにがウチナンチューだ。まずいラフテーでも食ってろってんだ。
そんなわけで今日は1-1の引き分け。しょぼいゲームだった。
だがそれでも今日の勝ち点1で、暫定ながら2位に上がった。
2位 △△△●○○●○○△○○△
どうだ。自動昇格圏内である。
しばらくはこのまま目立たぬように地道に勝ち点を積み上げ、そして夏から秋にかけて一気にトップに登り詰めてやる作戦である。
作戦であるっていっても、オレが立ててる作戦だが、まあ、いいのだ。
これでゴールデンウィーク5連戦も折り返した。後半も突っ走るのだ。
「花束のような恋をした」
菅田将暉と有村架純が明大前駅で出会って恋に落ちるという話である。明大前駅が舞台かと思い、娘にも観せてやろうと思ってアマプラで観た。そしたら明大前駅は冒頭の出会いのシーンだけだったのでずっこけた。
話は単純な恋愛もの。最初から最後まで菅田将暉と有村架純が出ずっぱり。カップルのあれやこれやがくどくどと描かれる。脚本がいいのと、菅田将暉の演技が抜群に素晴らしいのでなんとか最後まで観ることができたが、基本的に退屈な映画であった。有村架純ちゃんのベッドシーンと入浴シーンはお買い得。
2022.04.29
今日からゴールデンウィークだ。
ああ、なんと凡庸な書き出しだろう。おのれの文才のなさに呆れてしまう。書き直そう。
今年もこの季節がやって来た。
これならなんだかワケありな感じがして、ちょっとはつかみにもなるのではないか。ならないか。そうか。
ゴールデンウィークといっても、子供2人が大学生にもなると、もはや家族での行動はありえない。幼い頃はオレの実家に数日間滞在させてもらい、越後平野を渡る爽やかな5月の風を全身に浴びたものだった。遠く離れてこそわかる、あの澄んだ空気こそ、一番の贅沢なのだ。
そんな日々もはるかに過ぎ去って、今やゴールデンウィークといっても何の予定もなく、今日は普通に仕事をして原稿を書いていた。
明日からも何の予定もなく、せいぜいがイオンへ行って買い物でもしようかというぐらい。買い物といっても特別なものではなくて、普段の食品・日用品の類いだが。
あとはAmazonとNetflixで映画でも観よう。
Netflixではあの『水曜どうでしょう』の全シリーズが観られる。
「ゴールデンウィークをそれに費やすというのは史上最低の無駄遣いだな!」と息子がオレに注意する。まあ、他の映画を観たとしても似たようなものだが。
あとはせいぜい近所を散歩でもするか。
夜、近所の回転寿司に行ったらあと15分でラストオーダーと言われた。別の寿司屋に行ったら30分でラストオーダーと言われた。
規制は解除されても客足は戻らず、アルバイトのシフトもうまく回っていないのだろう。
ならば23時までやっている牛角にでも行こうかと思ったが、とにかくあそこはオペレーションがむちゃくちゃで、オーダーしてから30分も待たされるなんて日常茶飯事だ。行ってもイライラするのが目に見えているからやめた。
結局近くのガストで晩飯。オレはビールにデカンタのワインで安上がりに酔っ払う。
サイゼリヤもそうだが、こういうファミレス系での飲みが一番コスパがよいのは間違いない。とはいうものの、バーミヤンに関しては価格を下げた分、味がかなり落ちたとの評判。1杯100円の紹興酒は魅力だが。
というわけでゴールデンウィーク初日はファミレス晩ご飯で終了。まあ、こんなもんだろ。
子供たちが親と一緒にメシを食ってくれるだけで、ありがたいわ。
2022.04.28
今日は平井というところに行った。江戸川区である。
ここにはヤマハの代理店である大きな楽器店があり、実は学生時代の就職活動でオレはここの内定をもらっていた。そのためにこの平井という駅には何度も降り立ち、会社までの道のりを歩いた。
もちろん今や当時の面影はない。というかまったく記憶にない。40年以上の絵のことだからなあ。
結局オレは新人コピーライターとしての職を見つけ、その楽器屋には電話1本で内定辞退を伝えて終わり。もしあのまま楽器屋に入社していたらオレの人生は180度違うものになっていたはずだ。きっとこの平井というしょぼい駅前で酒飲んで暴れていたに違いない。
まったく人生というのは一歩道を違えただけでまるで様相を変えてしまうものだなあと、妙に感慨を深くする。
楽器屋なんかにならなくてよかった。なんで楽器屋なんかを志望したかというと、楽器屋なら一日中楽器に囲まれて過ごせると思ったからである。もちろんそれは世間知らずの浅はかさであって、楽器屋の仕事とは楽器に囲まれることではなくて楽器を売ることなのだ。
いつでも寿司が食べられると思って寿司職人になったら、そいつはバカである。それと同じでオレもバカだったというわけだ。
まあよい。40年も昔のオレをディスったところで虚しいだけである。
平井のしょぼい商店街のようなところでガストを発見し、昼飯にする。ざっと見渡せばメシの食えそうな店は、牛丼にCoCoイチに王将にと、チェーン店ばかりだ。下町のおばあちゃんがやっている人情定食屋なんてものはウィズコロナの時代にあるわけがない。
浅草あたりが品のある下町だとすると、平井あたりは下品な下町である。下町だから全部下品ということはない。やはり地域差はあるのだ。
どういうところが下品かと言われると何となくとしかいいようがないが、もしオレが楽器屋でストレス溜めて駅前の焼き鳥屋で暴れたりしていたらオレもきっと下品になっていただろう。いや、きっと1年ぐらいで逃げ出していたに違いない。そして楽器じゃなくてレコードだぜなどといいながらレコードショップに転職して、今頃はサブスクの馬鹿野郎と泣きながら倒産店舗の後始末をしていたに違いない。まっこと人生は一歩踏み外すだけで奈落の底である。
などと妄想しながら、平井といえばと、学生時代の友人だったフジタ君を思い出す。
フジタ君は結婚して市川に住んでいて、新宿の職場から帰るのに総武線を使っていたから、毎日平井を通過していた。あるとき、フジタ君の家に泊めてもらうことになり、一緒に総武線に乗って平井を通過したとき、フジタ君は「けっ、平井かよ、平井なんてひでえところだよ」と毒づき始めたのである。
それは周囲の人にもはっきりと聞こえる声で、もちろん平井駅で下車する人も大勢する中での毒づきだったから、オレは驚くと同時にハラハラしたのだった。
なんでフジタ君はあんなに平井を毛嫌いしていたのだろう。平井で飲んで喧嘩したことでもあったのだろうか。
フジタ君は10年以上前に奥さんと娘さんを残して亡くなってしまったから、今となっては確かめようもないのだが、あれはいったい何だったんだろうなあと思い出す。
まあ、一昨日の鶴川といい、今日の平井といい、人様がよかれと思って暮らしている土地へ行っては無礼千万な悪態を吐きまくるのはオレのイケナイところであって、オレこそが実はもっとも人品卑しい男ということになるのだろう。いかんなあ、宮沢賢治のような人間を目指さなければなあ。
2022.04.27
今日は野々村議員(「世の中をーぶひっー変えたいーぐえっー一心でーっあ゛あ゛っ」)、小保方晴子(「STAP細胞はありまぁーっす!」)、船場吉兆(ささやき女将)、佐村河内守などと並ぶ歴史的記者会見が行われるというので、朝からネットがざわざわしている。
ともかく出るわ出るわとしか言いようがないほど、ひでえ船会社だ。もちろん他の船会社は真面目にやっているだろうが、ここまで来ると船という乗り物そのものに乗ってはならないとさえ思えてくる。
と思ったらいきなりの土下座かい。そうきたかい。
野々村や小保方などは世間を騒がせたものの犯罪ではなかったからネタで済んだが、こっちはシャレにならないからなあ。うんざりするわ。
などという騒ぎを尻目にホームのビッグスワンに迎えたのが、いわてグルージャ盛岡。今日は平日だがナイトゲームが行われるのだ。中2日でゲームで、この後も中2日で琉球という鬼畜のようなスケジュールである。
盛岡は昨年J3で、今年ようやくJ2に上がってきた。監督はあの秋田豊である。
インタビューではぶすっとしてろくな受け答えをしない。よくないなあ、秋田。本来はもっと陽気で人当たりのいい人間なのに、強面ぶっているのか。まあ、負け続きで笑ってなどいられないのだろう。
こっちが中2日なのに対し盛岡は一週間の休みがあったから、この間、徹底的に対策をしてきたようだ。緩すぎるラインコントロールもきちんと整備されている。何よりもパスカットとセカンドボール回収が徹底されていて、しつこいくらいにすがりついてくる。しっしっ。いくら追い払ってもまとわりついてくる。ああ、うぜえよ。
そんな盛岡を前半終了間際に技ありゴールで先制し、後半終了間際に三戸ちゃんのビューティフルゴラッソで突き放す。
この三戸ちゃんのゴールは素晴らしくて、中央でボールを持った瞬間、高木、本間至恩、谷口の攻撃陣3人が一斉に開いて敵をつり出して、まさに露払い。できた通路をモーゼのように突進して鋭いシュートを突き刺したのだった。
三戸は上手いなあ。ドリブルしたときのボールの置き位置が抜群で、デブルイネみたい。シュートも抜群に上手い。なにしろ足の振り幅が小さいのであれではキーパーがタイミングを取りづらいだろう。
こうしてアルビレックスは、下から3位の盛岡をあっさり一蹴。
3位 △△△●○○●○○△○○
4月になって負けなし。順位を一つあげた。自動昇格圏の2位とは勝ち点で1つしか差がないので、もはや完全に射程圏内である。
順調である。あまりに順調すぎてちょっとやばい気さえしてくる。しばらくは3位あたりでひっそりと身をすくめていた方がいいのではないかと思えてくる。
対策虚しく終わってみれば完敗だった盛岡は、秋田監督が試合後のインタビューで主審の名前を挙げて批判した。おいおい、名指しはダメだろう。これは懲罰ものではないか。
土下座記者会見よりも、こっちのほうがよほどひどかった。
2022.04.26
メタバースは瞬殺だったのか。eスポーツも息の根を止められたのか。
などと考えながら今日向かったのは小田急線は鶴川という駅である。遠い。とても遠い。こんな遠くからダテ君が朝早く埼玉方面までやって来ていたのかと思うと、改めて腰を抜かす。何と物好きな。それほど遠いのだ。
しかも今日は駅からバスに乗らなくてはならない。駅前のバスターミナルには山のようにバスが停まっていて、どれに乗ったらいいかとうろうろしていたら間違えて別のバスに乗ってしまったではないか。
大慌てで運転手さんに間違えちゃったよーと泣きついたら、そのまま降りて乗り換えれば別に問題ないとのことで発車前に降りて事なきを得る。実にみっともない。事なきを得てなんかいないじゃないか。
それにしてもこんなに遠いのに東京都って言うんだから笑っちゃうよ。冗談もたいがいにしろと思う。
何度も関所をくぐり抜けてきたようなこんな僻地が、どうして東京都なんだよ。しかも駅前の書店(当然のように啓文堂だ)には「東京の半分は多摩です」という開き直ったようなポスターが貼られていて、これでもオレたちは東京都なんだぜと主張している。
何より腹立たしいのが駅にやたらと町田ゼルビアのポスターが貼られていることだ。破り捨ててやろうかと思ったぞ。
鶴川と言えば、和光大学である。駅前のスタバには女子大生がたくさんいて、これが全部和光大学生。ああ、なんと多摩くさい。
同じ多摩丘陵といっても聖蹟桜ヶ丘には、『耳すま』バイアスがかかっていることは否定しないが、爽やかな緑の風が吹き抜ける青春の坂道というイメージがあるのに対し、町田にはそこはかとなく漂う川崎臭がしみついて離れないのも事実である。
もっとも川崎は町田なんかと一緒にするなといい、町田はオレたちは川崎じゃなくて横浜寄りじゃんと主張し、その横浜は町田に対して近寄るな臭いとばかりに冷淡である。仕方なく町田は川崎をちらっと見ているというのが今の立ち位置なのではないか。
つまりここに町田=川崎という図式が成り立ち、要するにそれは簡単に言えば目くそ鼻くそということになる。
町田はかつて相模原の校舎に通う青学のお姉ちゃんたちが乗り換えに立ち寄るために、一気に街の雰囲気が華やいだことがあった。そして街灯に吸い寄せられる虫のように周辺のヤンキーが集まりだして、華やかさの上に治安の悪さが上書きされた。青学の校舎が移転して理系学部しか残らなくなった今、華やかなお姉ちゃんたちは去り、今やオタクのメガネ小僧が徘徊する街になってしまった町田。治安の悪さは相変わらずである。
などと文句を付けながら6時仕事を終えて家に帰り着いたらもう8時。やっぱり遠い。とても東京都内で仕事でしたなんて言えないではないか。
無駄に疲れた一日だったぜ。
「コンタミ」伊予原新・講談社文庫。引き続き伊予原新を読む。今度はえせ科学を題材にしたミステリーだ。例えばナントカ水とかナントカ化粧水とか、ひどいものになると癌が治る奇跡のお茶とか、要するにそういう非科学的なだましの数々に化学者が立ち向かうという話である。相変わらず抜群の読みやすさで、難しい内容でもさらっと頭に入ってくる。登場人物がベタで、話の展開もベタすぎて先がすぐに読めるという点も、この作者の持ち味。要するにそういう本筋よりも、えせ科学がなんで糾弾されなければならないのかというサブストーリーの方が面白いという、真行寺弘道的な味わいだ。そして読んでいて思ったのだけれど、擁するのこの作者はきっと大変に真面目なのだろう。誠実と言っていいのかもしれない。先日読んだ津波予知装置の話でもそうだったけれど、物語が尻つぼみというか、そこまで持っていきながらそこで終わるのかよという展開なのだ。よーし、ここから悪いヤツらをやっつけてくれという期待がすとんと裏切られて、カタルシスがない。この先は大法螺でいいから派手に倒してくれ、コテンパンにやっちゃってくれ。そう思った気持ちが空振りに終わる。きっと作者はそういう展開が自分では許せないのだろう。きちんと整合性を取って、現実離れした展開では終わらせたくないのだ。それはそれでいいのたが、もうちょっとサービスしてくれよと言いたくもなるのだった。
2022.04.25
夕方、家の周りを散歩していたら、ブルーの服を着た2人組の男が軒並みピンポンして歩いているところに出くわした。先日も別の場所で同じような光景を目撃している。
あの服装はもしかしてと思って近づいて確認したら、やっぱりユニセフのユニフォームだった。大きくロゴも入っているし、よく見れば男たちの首からはIDカードのようなものがぶら下がっている。
もっと近づいて何をしゃべっているかを聞いてみた。
インターホンを鳴らした男たちは「難民支援の」というようなことを言ってるし、ドアを開けて出てきたおばあちゃんは「難民とか、よくニュースで聞きますけどねえ」と答えている。午後7時近く、忙しい時間帯だ。
どうしたってこれは、ユニセフが飛び込み営業で募金をセールスしているとしか思えない。でもそんなことってあるのかなあ。ユニセフのふりをした詐欺かなあ。それにしては堂々としているし。
家に帰って調べてみた。「ユニセフ 家に来た」という書き込みは山のようにあった。
確かに2006年のユニセフの報道資料には「ユニセフは個別(ママ)訪問での募金のお願いや物販の販売は一切行っておりませんのでご注意ください」とある。やっぱりユニセフを騙った戸別訪問詐欺は当時も横行していたようだ。
ならばさっきオレが目にしたのも詐欺だったか。
と思ったら最近になってユニセフは方針を180度変えたようで「現在、当協会ではご家庭への戸別訪問を行い、難民問題の最新状況のご案内とご寄付のお願いをさせていただいております」と2018年にリリースしていた。
なるほど、どうやら本当に戸別訪問して、募金をお願いして回っているらしい。
でも、それってどうなのかなあとオレは思案する。募金というのは本人の主体的な意志で行われるものであって、人に頼まれたり懇願されたり、ましてや強要されたりするものではないだろう。戸別訪問されて(しかもコロナの時代に)お願いされるっていうのはけっこう違和感がある。
ユニセフ自体の活動は何ら否定はしないが、こうして戸別訪問で募金を強いる姿勢は違うと思うので、ヨメには、たぶんウチにも回ってくると思うが断るようにと命じる。
ネットではこの戸別訪問はけっこう物議を醸している。実に評判が悪い。どうやら毎月2000円とか3000円とか、サブスク方式で定期的に募金することを強いられるようだ。
断ったら玄関のベビーカーを見て「高いベビーカーをお使いなんですねえ」と嫌みを言われて怖かったという若いお母さんの声があった。クレジットカードでの引き落としなので、いきなりやって来た初対面の人間にクレジットカード情報の記入を強要されるのはどう考えてもおかしいという声もある。
やっぱりこれはダメだよなあ。
一戸建てに住んでいるとユニセフに限らず、こうした飛び込みセールスは大きな脅威である。鬱陶しい。
先日は××ホームというリフォーム業者がやって来たので、××ホームさん? ネットで評判悪いよと言った。実際、地元の情報交換掲示板で名前が挙がっていたのを覚えていたのである。
リフォームのおじさんは「えっ、ウチの会社ですか? なんて言われているんですか」と心底心外そうな顔をしていた。オレは、自分で調べてみたら、じゃあねーとドアを閉めた。おじさんは呆然としていた。
ちょっとひどい言い方をしてしまったかもとオレは反省した。断るにしてもなるべく穏やかに収めなければならないと自分に言い聞かせている。
だからユニセフが我が家に突撃してきたら、お宅たち、ネットで評判悪いよ、自分で調べてみたらと追い返そうかと画策しつつも、やり過ぎはよくないと自戒しているところである。
もっともユニセフには実は息子がしょっちゅうバイト代を寄付している。駅前の募金活動だ。そのことを告げて追い返そうかとも思ったが「ならばそれをサブスクに切り替えれば楽ですよ」と突っ込まれそうな気がしている。
ともかくユニセフには戸別訪問で募金を強要するなんていうのは本当にやめてもらいたい。こっちは電話料金とか電気代とか月々のお金をいかに少なく抑えるかに汲々しながら生活しているのだ。
2022.04.24
「スパイダーマン」の最新作が面白そうだったのでNetflixで観はじめたのだけれど、最後の方までいったのに予告編で観ていたのと違う展開だったので、あれーっおかしいなあと首をひねったら、一緒に観ていた息子が「これ、一つ前のシリーズじゃねえか」と気づいた。オレは大いにずっこける。
日曜日にボケッと映画を眺めるのはオレの楽しみの一つなのに、情けないかぎりである。とほほ。
ということで、ハッと気がつけば今日は息子の誕生日。21歳だ。
まったく我が子ながら時の過ぎるのは早く、もはやオレなんかよりよほど立派な大人である。
昨日は地元のクリニックへ息子を連れていったのだが、もはやどちらが病院に連れてこられているのか、わからない状態だ。
なお息子の誕生日だということを、午後にヨメに言われるまで完璧に忘れており、夕方になってようやく誕生日おめでとうと言った。娘は例によって「おめ」の一言である。「おめ」だぞ「おめ」。
2022.04.23
Vファーレン長崎の親会社は、ジャパネットである。金持ちである。
単なる町のカメラ屋がどうして一代でこんな巨大企業になったのか、それはそれで非常に面白いお話があるのだが、今は長崎のチームは金持ちだというところが論点だ。
金持ち父さんが後ろにいるから、長崎は札束で頬をはたいて選手を獲得してきた。柏にいたスーパースターのクリスティアーノ、マリノスにいたエジカル、何でもできるカイオ・セザール、そして元日本代表の都倉。
予想スタメンの一覧を眺めたオレはクラクラし、そして試合前のセレモニーでずらりと並んだこいつらの顔を見ただけで負けを覚悟した。こんなん、反則やんけ。
ところがスーパースターたちは元スーパースターであって、今はおっさんである。だから走らない。ちょっと走るとすぐに休んでサボる。
なので、試合が始まってすぐ、このゲームは異常だということに気がついたのである。なにしろ長崎はドン引き。ハーフラインを越えてまで走る気なんてゼロ。みんなちんたらと休んでいる。だからアルビレックスのボール保持率が8割を超えるという異常な展開になってしまったのだ。
アルビレックスのサイドには誰も長崎の選手はいなくて、長崎のサイドにボールが入って、ようやく長崎の選手がはね返す。そんな展開の繰り返しなのだった。
だから都倉なんて文字通りのでくの坊。もともと足もとのない肉体派のプレーヤーなのに走りもしないものだから、当然コンタクトもなくて、パス6、シュートゼロみたいなスタッツになってしまったのである。要するにフォワードなのにパスも来なけりゃシュートも打てないという。
途中交代の退場際、荒ぶって主審に毒づいていたが、そうとうにストレスがたまったのだろう。
もっともおっさんはおっさんでも、タダのおっさんとは違う。特にクリスティアーノなんて89分ちんたらしていても、1試合に1度だけ決定的な仕事をしてチームを勝たせる選手である。
案の定、63分にクリスが閃光一閃のクロスをぶち込むと、エジカルがそれに合わせて見事な得点を決めて見せたのであった。さすがクリス。1試合に1度はこういう仕事をする。
もちろんサボっていても要所要所で決定的な仕事をするから交代させづらく、それが要するに聖域化するということであって、クリスティアーノをクビにしてからの柏が絶好調というのがクリスティアーノの恐ろしさをよく示している。
まあ、この失点のシーンはこちらのイッペイ・シノヅカのサボりが原因であった。クリスのカバーを捨ててサイドに逃げた選手のカバーに向かったゴメスがイッペイに対してクリスをカバーするように右手で指示している場面がDAZNにしっかり映っている。その指示に添えなかったイッペイの大チョンボで、こういうミスをクリスが見逃すわけがない。
この場面に限らず、ゴメスはずっと左サイドでイッペイに細かく立ち位置を修正し、指示を出していたそうだから、失点の場面でもサボったというよりは混乱していたということが正しいかもしれない。
実はこれが今のチームの一番の課題ではないか。つまり今の好調を支えているのが、昨年から残っているメンバーだけということだ。イッペイは点を取っているが単発の動きだし、伊藤もポジションが微妙に悪くてうろうろと漂っているように見える。
オフザボールで相手選手を引っ張り出す木の動き、さりげなくスペースを埋める島田の気づかい、常に島田とバランスを取ってボールを取って刈り続ける高など、要するに昨年までのプッチサッカーを体現している選手たちがチームを支えていて(谷口もそうだ。あんなに収められるワントップに成長するとは驚きだ)、ポゼショナルの上にカウンターを積み重ねた今の戦術に、新加入の選手たちがハマらないのは仕方のないことなのだろう。
要するにこのままシーズンを進めていく上で、全員が替えの効かない選手というわけだ。本間至恩だって昨年までの課題だった「右を切られたら何もできない」という弱点を克服して、今や左足からの鋭いアシストを連発している。
というわけで、クリスにしてやられて1点を失ったものの、その10分後に藤原のヘッドで同点に追いつき、さらに3分後に途中出場の至恩のファストタッチから高木がビューティフルに決めてあっさり逆転勝ちだ。
藤原もプッチサッカーの申し子だよなあ。泥臭く頭で初得点で、本当によかった。
それにしても高木が見たことのないようなはしゃぎっぷりだったのが、嬉しい。まさに会心の展開だったろう。見ているオレも息子と一緒に絶叫だぜ。今日のゲームは最高だった。
というわけで
4位 △△△●○○●○○△○
と、さらに順位を上げて4試合負けナシである。
3位のヴェルディとは同じ勝ち点、2位の仙台とは勝ち点差1。いよいよ自動昇格圏の背中が見えてきたぜ。
ヴェルディも仙台もどうせ落ちてくるから、ここはしばらくこのあたりの順位で英気を養おう。幸いにも次は残留争いの盛岡である。ホームゲームでターンオーバーできるチャンスだ。ここもあっさりと勝っておこう。
といってコロッと負けるのがアルビレックスの悪いクセなのだが。
まあよい。先のことは後にして、今は今日の感動的な勝利を味わおう。1点目から2点目に至る流れは何度も見返した。いい気分である。
2022.04.22
ソニーのXperiaから中華のXiaomiに買えて2ヵ月がたつ。
Xiaomi、実に快適である。3万円でこの機能は驚異としか言いようがなく、とてもXperiaの敵ではないと感じる。バッテリーの保ちも素晴らしい。
これなら家族全員Xiaomiにしたいところだが、娘はiPhoneだし、ヨメは何事も買い換えを嫌がるし、極右の息子は国産を絶対に譲らない。
オレだけがXiaomiユーザーであるしかないようだ。それでも次もXiaomiでいいし、何だったら明日にでも最新型に買い換えちゃってもいいぐらいである。それほどXiaomiに惚れ込んでいると言っていいだろう。
そんな中で一つ違和感が。
モバイルSuica、つまり電子マネーの使用状況に関するデータを吸い上げるから同意しろというアラートが一日に何度も出てくるのだ。鬱陶しいのでダメだと言うのだが、それでもめげずに何度も言ってくる。
使い勝手改善のため、バグ解消のためともっともらしい理由こそ述べているが、誰が中華に電子マネーのデータを流すかってんだ。恐ろしい。
オレなんかの電子マネーのデータを吸い上げたところで中華に何の益があるとも思えないが、それでもいい気はしない。中華にロックオンされたような、ざわざわした気分だ。
Xiaomiの使い勝手が最高であるだけに、電子マネーのデータ程度で済むならいっそ身も心も中華に委ねてしまえば楽になると思わないでもない。いや、オレも極右。高市先生、万歳。ここは頑張って踏ん張らねば。
そう思って今日も何回も表示されるアラートにノーを突きつけ続けるのである。
「ブルーネス」伊予原新・文春文庫。3.11を予測できなかったことで心に傷を負ってしまった地震研究者たちが、日本を取り巻くように地震観測網を敷設しようとする小説だ。ベタである。主人公たちは地震研究界隈のはぐれもの、異端児たちというのもありきたりで、彼らが出会い、チームになり、挫折や裏切りを経ながら目標に向かって一つになっていくという展開も、呆れるほどベタである。そのチームに裏から手を回して様々な嫌がらせをするのが学会を取り仕切る重鎮というのもお約束だし、最初は反旗を翻していた荒くれ者の漁師たちが次第に心を通わせて味方になってくれるというのも“ほーらきたきた”という流れである。少年ジャンプかよと言いたくなるほど実にベタすぎる展開の小説なのだが、ところがこれが面白いのだ。面白くてたまらないのだ。晩飯を食いながら、そして晩飯を食い終わった後も酒を飲まずに読み続けたほど、面白かったのだ。ベタすぎる展開なので安心して読めるとか、キャラクターが実にわかりやすくて感情移入しやすいという理由もあるが、一番の魅力は物語の背景にある科学的ファクトが説得力十分だということだろう。作者は、神戸大学の理学部を卒業後に東大の大学院の理学系研究科を修了したという博士である。理系最高峰の人材だ。その作者が地震や地球物理学、津波などの最新の科学的知見をベースにどうやって地震予知システムを構築するのかを、登場人物の後を借りてわかりやすく教えてくれながら話を進めてくれるので、これが面白くないわけがないのだ。理系ならではの揺るぎないロジックで構築された文章なので、すらすらと読める。前にも書いたように学術論文で鍛えられた、誤解されずに読ませるテクニックがいかんなく発揮されているから、難しい話でも順序立ててすらっと頭の中に入ってくるのだ。450ページ一気読みも当然である。読みやすい文章、わかりやすい文章のお手本のようだ。テンポのいい文章と聞くと、短文がポンポン並べられた文章のようなイメージがあるが、実は筋道が立っていて誤解されないというのが最もテンポのいい文章なのだ。そんなことを気づかせてくれる小説である。
2022.04.21
原稿に書いた「妻」という字を「パートナー」に直されてしまった。初めてのことである。
「妻も仕事をしているので保育園への送迎は私の仕事です」というような文脈でのことであった。
ダイバーシティとかインクルーシブとかLGBTとかジェンダーとかの流れがポリコレっちゃってのことなのだろうが、んなアホなである。
「妻」はれっきとした法律用語で、妻を妻と表記することがどうしてイケナイのか、まったくわからない。「妻」が実は男で2人は同性婚で未入籍というなら「同居している家族」とか、それこそ「パートナー」と書けばいい。「妻」は「妻」なのである。
ここまでくると、そろそろ「息子」とか「娘」という表記もNGが出るだろう。クィアだろうが何だろうが、親との関係において「息子」は「息子」なのだ。
そのうち性別について触れることはタブーになっていくに違いない。アホなことである。アホという言い方もNGになっていく。いや、もうなってるか。
マイノリティへの思いやりは当然のことである。だがそれとこれとは別だ。これは単にごたごたが面倒だから言葉を言い換えようとしているだけだ。単なる思考停止である。
なお「家事に参加」という言い方に噛みつく学生がいるそうである。Z世代にもバカはいるのだ。
そういや、ある企業のインタビュー原稿で「私は技術屋です」と書いたら「“屋”という表現が下品だ」と広報担当が激怒していた。同じく「プロジェクトで重要なのは人・物・カネです」と書いたら「“カネ”とはなんて下品な言葉だ」と広報担当が激怒していた。
極めつけは、入社年度、出身学部を書いたら「個人情報を何だと心得ている」と同じ広報担当が激怒していた。
結果、できあがった原稿はプレスリリースと寸分違わぬものだった。
こういう広報のいる企業の採用担当はかわいそうだなあと同情した。もちろんその企業の仕事は二度とするつもりがない。広報にもバカはいるのだ。
2022.04.20
ラーメン屋のラーメンは旨くて当たり前だし、カメラマンが上手に写真を撮るのも当然だ。寿司屋もうまい寿司を出すのが当たり前であって、うだうだとネタ自慢なんかする寿司屋はろくなもんじゃない。
だが医者だから病気を治せるのが当たり前かというと、そんなことは決してないわけで、要するに医者というか医学という分野はまだまだ未熟なのだろうと思う。
人間が人間の命を救おうなんておこがましいというのは「ブラックジャック」や「火の鳥」に通底するテーマだ。医療は決して万能ではなく、むしろ医療の手に負えないことの方が多いのだなあと、ここ数年、いろんな医療関係のインタビューをしていて感じることである。
だから面白い分野なのだが。
ある精神科医は、科学的エビデンスに基づく医療だけに頼らず人間的な直感に基づく要素も採り入れるべきだと言っていた。なるほどなあと思った。
ある研究者は、人間体は見れば見るほど美しいと畏敬のまなざしで語っていた。突き詰めていくとそういう境地に達するのだろうなあ。
「告白」宝島社。平成プロレスの10の大事件を取り上げてその裏話をまとめるという、宝島社ならではの企画本。同じネタを上手に使い回している。それでもちょろちょろと知らなかった裏ネタなどを混ぜてくるから面白い。「スタンドで僕からバックを取れる人間はいませんよ」と、長州がゴッチ道場で関節技を学ばなかった理由を語っていた場面なんか、ニヤッとしてしまう。そういや別の本であったが、フロリダのゴッチ道場で修行していた若い長州が、あるとき、ゴッチと完全に2人きりて道場にこもってガチでバトルし、2時間後に何事もなかったような顔をして出てきて、道場にはそれっきりというエピソードも書かれていたっけ。日本のプロレスでがちで強かったのは坂口征二にジャンボ鶴田、そして長州力ではないか。いや、マサ斎藤も相当なものだ。というわけでアマチュア格闘技でオリンピックに出た選手はやっぱり桁が違うというのが真実だろう。いやいや、オレは個人的にはランボー・桜田が一番強かったのではないかという気がしている。こういう幻想を語るのもプロレスの楽しみだ。ジャンボ鶴田対前田日明が見たかったぜ。いやいや、スタン・ハンセン対ローラン・ボックこそ幻。
「アントニオ猪木」瑞佐富郎・新潮新書。難病にかかって余命幾ばくもない猪木の、その時を当て込んでのお手軽新書かと思って手に取った新刊である。ところがいろんな取材の現場にいた人だったようで、アントニオ猪木にまつわる様々なエピソードがとてもうまくまとめられている。モハメド・アリ戦や北朝鮮でのイベント、イラクの人質解放など、なかなか読み応えがあった。もっとも猪木についてならばやはり「1976年のアントニオ猪木」こそが極北。ハードカバー、文庫、電子書籍と形式が変わるたびに新しく買い求めて、そして何度も読み返している。ここに描かれているルスカの哀しみの人生など、涙なしには読めないのであった。
2022.04.19
今はトヨタのシエンタに乗っている。
コンパクトで、とてもよくできたクルマだ。機能的で運転しやすく、シートレイアウトによって7人まで乗れる。このサイズで7人乗りというのは驚きだ。もっとも7人乗ったことは一度もなく、最高で6人しか経験ないが。
ハイブリッド。当然燃費は良くて、給油は3ヵ月に2回といったところか。
年を重ねると共に長い距離は走らなくなり、今は駅までの家族の送迎とスーパーへの買い物が中心だ。買って5年で走行距離は3万キロにも達していない。だからあと5年は余裕で乗れると思うし、そのつもりで、しつこく買い換えを勧めてくるディーラーのセールスをはねのけている。
故障やトラブルもまったくない。荷台にPA一式や楽器などをたっぷり積み、大人5人が乗って、関越道を走って一泊二日の旅に出てもなんとかなってしまうのだから、このサイズでたいしたクルマである。
昨日は冬タイヤから夏タイヤに履き替えた。交換タイヤを預けている地元の「タイヤ館」には新顔のお姉さんがいて、これがキビキビシャキシャキと動く気立てのいい娘で、たかがタイヤの履き替えでも気持ちよくお願いできた。
シエンタの前はエスティマに12年ほど乗って、その前は2台続けてゴルフに乗った。
シエンタに後5年は乗るとして、その次に買い換えるクルマが、おそらく人生最後のマイカーになるのだろう。
一生に一度はベンツというような気持ちはまったくない。もし何でも好きなクルマに乗ってもいいとなったら、やっぱりワーゲンバスを選ぶ。
なぜだか自分でもわからないが、ギターを放り込んで仲間と一緒に乗り込んで長い旅をするのはワーゲンバスに決まっているという、そんな60年代アメリカのヒッピー文化の象徴のようなクルマに思えて、たぶんそれは中学生ぐらいの頃に何かのきっかけで刷り込まれたイメージだと推測するのたが、そうしたシーンへの憧れが心の底にじんわりとある。街の中でたまにワーゲンバスとすれ違うと、無性に懐かしく、どうしても欲しくなってしまうのはそのためか。
調べてみたら日本では今も中古のワーゲンバスが流通していて、300万円から800万円ぐらいだ。シエンタより高い。中古のベンツも余裕で買える。それでも何を買ってもいいとなったら、ワーゲンバスを選ぶだろう。
だが現実には数年後、人生最後のクルマにワーゲンバスを買うなんていうふざけたことはない。一生に一度は行ってみたいと憧れながらとうとう行けずに終わりそうなパタゴニアへの旅と同様、こうして夢は夢で終わっていくのだ。
もっとも駅までの送迎だけに使うのだから、ワーゲンバスなんて選択は絶対にあり得なくて、たぶん人生最後のクルマは軽自動車になるだろうと考えている。
先日仕事でスズキの本社を訪ねたのだけれど、同社のクルマを様々に見せてもらって、いまどきの軽の進化ぶりにちょっと仰天した。車内は広いし機能は遜色ないし、これでこの価格かよと驚いた。
そして近所のガソリンスタンドではクルマのリース、要するにサブスクをやっていて、月々1万円ポッキリで軽自動車に乗れるらしい。税金も車検もオイルも全部込みで、必要なのは月1万円ポッキリとガソリン代だけ。激安だ。きっとリース期間がものすごく長いとか、何かのトラップがあるんじゃないかと睨んではいるものの、それでも激安。
人生最後のクルマとして穏やかに近所を転がすには、このあたりの選択が最適じゃないかな。
などと考えていたらトヨタからお手紙が来て、今乗っているシエンタがリコールだと。ずっこける。不具合対応のためにディーラーまでクルマを持っていかなくてはならないようだ。やれやれ、面倒なことだ。あと5年は確実に乗り続けるためにも、うんざりしつつも修理しておかなくては。
「月まで三キロ」伊予原新・新潮文庫。名前だけは知っている作家だった。小説誌「オール読物」でたまたま短編を読んだところ、ちょっとびっくりする。とても上手いのだ。定時制高校を舞台にした、不良生徒と教師の物語でキャラクターの描き方がとてもよくていきいきと浮かび上がってくる。へえーと感心し、ならば他の作品をと思って買ってきたのがこれ。そこそこ多くの作品を書いている作家のようだが、書店を2つ回っても置いてあったのはこの1冊だけ。Kindleで読まれるのも仕方ないなあ。この一冊は書店で買ったけれど、他の作品もと思ったら、ちょっと困るかもしれない。それはともかく、これは新田次郎文学賞受賞の短編集だ。何かを失い、何かに傷ついた人たちが、何かに気づいて何かを取り戻そうとする物語である。真面目で堅い荻原浩か、穏やかな三浦しおんか。三浦しおんは、先日も書いたけれど一本背負いを決めてくるのである。しみじみと読んでいると突然に一本背負いを繰り出してきて、こちらは何が起きたかもわからず、思い切り放り投げられて呆然としてしまうのだ。伊予原新はそのような大技を繰り出すことはなく、いわば関節技のようにじわじわとこちらを決めにかかる。とても染みる話ばかりだ。個人的には熟年主婦が反乱を起こす「山を刻む」がベスト。主婦としての自らの生き方を悔いつつも、新しい一歩を踏み出そうとする。その新しい一歩が、実はあっと驚くアキレス腱固め。なるほど、この意外な展開は想像しなかった。自殺志願者を乗せてしまったタクシー運転手の「月まで三キロ」も味わい深い。ひょうひょうとしたキャラクターの奥深くに沈殿する哀しみのようなものがじんわりと伝わってきて、それは決して大技ではないけれど、深く染み入ってくるのである。文章はとても読みやすい。外連味を廃して、センテンスも短い。理系出身の作者にとって文章修行とは研究論文を書くことだったらしく、そこで培ったのが曖昧さは一切排除して意味が一つに取れるように書くということだった。確かに理系の論文ならば、誰が読んでも誤解しないように書かなくてはならない。なるほど、だから明瞭で実に読みやすいわけだ。この作者の他の作品も読みたくなってブックオフにも足を運んだが、手に入れたのは1冊だけ。残りはやはりAmazonに頼るしかないか。仕方ない。
2022.04.18
吉野家のシャブ漬け発言は、まあ、いろいろと酷くてびっくりだなあ。
企業の役員が公の場で口にしたことに驚くし、しかも早稲田から招かれてのことだから早稲田大学まで毀損(きそん)するということにすら気づかないのにたまげる。女性蔑視云々は当然として、それ以上にあまりの危機感の欠如に、こんなのが役員であるのだから企業としてのコンプラへの姿勢を疑うわ。
しかも要するに若い女性は牛丼なんか食べないと発言しているわけで、自社商品を貶めてしまって、投資家への責任というものをまったく意識していない発言であるのが笑える。
要するにとことん間抜けというかバカじゃね、この役員。こんなのが役員なんだから企業としての吉野家もどうかと思うわ。真面目な社員がとことんかわいそうだ。
などということを考えつつ、今週はあまり忙しくないのでボケッと過ごす。
朝からリモートで広島の人にインタビューして、その原稿を書き終えたら、夕方には都内の制作会社とリモートでインタビュー。まったく便利な時代になったものだぜ。
便利というかお手軽でとてもありがたい。ちょろいもんだ。
などとなめた態度でいるとオレも吉野家のようななめた発言をしかねないから、自戒せねば。
それにしても、日経新聞の朝刊に連載中のデジタル庁の実態レポートは凄まじい。読んでのけぞるぞ。
一部の官僚が主要ポストを多数兼務しているので、根回しがハンパなく必要で、現場は同じような書類を何枚も書かされるらしい。コミュニケーションはメール主体で、最近になってようやくTeamsでの情報共有が始まったことが事件なのだそうだ。
しかも予算が下りないという理由で今までSlackも導入されていなかったという。
あまりのことに民間から派遣されていた技術者が「こんなんではやってられない」と大量に退職したそうだ。
これが日本のDXの舵取りをする役所の実態かよと心底のけぞる。没落した日本の再浮上は到底不可能だ。とことん絶望的な気持ちにさせられる。こんな日本に誰がした。
2022.04.17
というわけで、息子と一緒に地元の小学校に行って区長選挙の投票を済ませてから、サッカーを見たのだった。区長選挙に区会議員の補欠選挙だから、盛り上がらないこと甚だしい。地味なものである。
区長選挙は自民が推薦する候補とわけわからん候補の対決なのだが、どちらも無所属なもので、投票用紙を見ただけではどっちが自民推薦かわからない。区長の名前なんて覚えてないし、自民党でいいやとだけ思って投票所に足を運ぶと、いざ記入する段になってけっこうまごつく。
というわけでサッカーの始まりだ。
アルビレックス、今日は岡山が相手である。苦手チームである。ここ数年勝ったことがない。相性が悪いのだろう。
そんな相手に見事に先行するもののあっさり追いつかれて同点。結局は引き分けに終わる。こちらが点を取った場面は絵に描いたような美しい崩しだったなあ。
6位 △△△●○○●○○△
4勝4分2敗か。うーむ、まずまずだな。2位とは勝ち点で2つ差だから、引き分けのうちどれか1つ買っておけば自動昇格圏内に並んでいたということだろう。実に惜しい。負けなくて良かったという引き分けより、勝てなくて悔しいという引き分けが多い。
それでも2勝1敗ペースを守ることが絶対だから、ギリギリのところではあるようだ。
ちなみに岡山との試合は、笹団子対きび団子の団子ダービーと呼ばれている。ウソだけと。
試合が終わってインタビューなどを眺めていたら、弟から「佐々木朗希がまた完全試合を進行中」というLINEが来る。げっ、マジかよ。大事件じゃん。
びっくりしてDAZNをプロ野球に切り替える。スポーツ見るならDAZNだよなあ、やっばり。
ちょうど佐々木朗希が8回を投げ終えて完全試合を進行中であり、おお、これは歴史的大事件とばかりに9回の投球を待つことにする。
と思ったら9回は投手交代でオレと息子は思いきりずっこけ、そして鹿島対名古屋のゲームに切り替える。オレは2試合連続完全試合というとんでもない大事件をリアルタイムで目撃したかっただけで、ロッテが勝とうが日ハムが負けようが、まっとく関心がない。だから佐々木朗希が投げないなら野球なんかに用はない。DAZNも無駄なことはしなくてよいのだ。
鹿島対名古屋は見方を変えれば締まったいいゲームだが、要するに塩試合。北関東ヤンキーの集う鹿島のスタジアムで、ファールの多いぎくしゃくしたゲームが行われたのだった。まあこれも、鹿島が勝とうが名古屋が勝とうが、まったくもってどうでもいい。
夜10時、ケーブルテレビで区長選挙の開票速報が始まったので、切り替える。
これか実に盛り上がりに欠けるなんとも締まらない開票速報。有権者の街頭インタビュー一つとっても、練馬駅と石神井公園駅の2ヵ所でしか取ってなくて、しかも同じ人が何度も出てくる。ものすごいやっつけ感。そんなふうにしょぼいネタを何度もループするのであった。
肝心の投票速報はというと、これもざっくりしすぎで開票率88%で75000票対75000票という同数。そんな切りのいい数字のわけがなかろうに。
ざっくりしすぎとはいえ、これが正しい数字なら、新人候補が想定外の善戦だ。やっぱりオレが案じたように、投票用紙を見て、あれどっちが自民党だっけと戸惑った人が、えいやっと適当に○を付けちゃったのではないか。ひょっとしたらこれは大事件では。
などと思いながら温いやっつけ仕事の選挙速報を見ていたが、眠くなってしまったので途中で寝てしまった。あとで息子に聞いたところによれば、結局投票結果が判明したのは日付をまたいでからで、しかも12時過ぎたら開票速報はブチッと終了してテレビショッピングになってしまったというから、とことんやっつけ過ぎたようだ。そして区長は接戦を制してどうにか現職が当選となり、佐々木朗希に次いでこちらも大事件は未然に防がれたのだった。
2022.04.16
地元の区では区長選挙と区議会補欠設挙が行われている。けっこう鬱陶しい。もちろん我が家は全員投票に行く予定である。
区長選挙は、現職と新人の一騎打ちだ。
この新人の陣営が頭がおかしいというか、「区長交代プロジェクト」というのを勝手に打ち上げて、選挙期間前からあちこちで騒いでいた。特定の候補を持ち出して区長交代と騒いだら公職選挙法に違反するが、区長を交代させようというプロジェクトが活動しているなら問題なかろうという魂胆らしい。
なるほど、よく考えたものだな。
だがちょっと待て。区長を交代させるかどうかを決めるのは有権者であって、あんたたちではないのだがな。そんな理屈もわからず勝手に上からプロジェクトなどとはしゃいだところで、冷たい目で見られるだけなんだが。
あきれるほどセンスのないヤツらだなあと思う。
そんな具合に一見盛り上がっているようで、実はけっこう冷めているのが区民一同。そんな空気を知ってか知らずか、今日は駅前に枝野くんが演説に来たらしいし、自民党から夏の参院選挙に出馬する見通しの生稲晃子まで演説に来たらしい。
生稲晃子かよ。微妙だなあ。新田恵利なら問答無用で投票するのだがなあ。
新田恵利区長プロジェクトでもいいや。これならオレも大賛成。
そんなことを考えながら、夜は家族でサイゼリヤに行く。我が家から一番近いファミレスだ。
生ビールの後は、デカンタのワインを頼む。これがなんと500mlで400円。その辺の居酒屋で飲む薄いレモンサワーよりはるかに安い。驚くべきコスパだ。
この400円でベロベロに酔っ払ってしまえるのだからサイゼリヤは最高だ。
つまみにサラダやサラミやピザを頼み、家族はパスタなんかを適当に頼み、みんなでより分けながら味わう。これでしめて5000円ぴったり。安さに驚くのに加え、5000円きっかりというキリのよさに驚く。計算しながら頼んだのかよ。
大きな満月が流れる雲にかかって夜空に美しく、息子の運転する助手席でそれを眺めながらいい気持ちで帰るのだった。
2022.04.15
昔はプロスポーツと言えばプロ野球と相撲だけだった。プロ野球だってテレビでは巨人戦しか見られなかった。田舎の子供らがみーんな巨人ファンになるのも、当たり前だった。
それが今では何でも見られる。
プロ野球は全球団の全カードが見られる。サッカーはJリーグ全試合に海外のゲームも見られる。しかも生中継だけでなく、後になって何度も再生できるし、ハイライトだけを見ることもできる。他にもテニスに格闘技に自転車にモータースポーツに、とにかく様々な競技が見られる時代になった。
なんて素晴らしい時代なんだと、オレはシンプルにそう思う。
だからDAZNが大きな値上げをしても、仕方ないなあと思う。
新規の加入だと月額3000円。もし30年前に同じ価格で同じサービスが登場したら、衝撃的なこととして我も我も加入しただろう。
オレは初期の頃からdocomo経由でDAZNに加入したので、ずっと月額1000円だった。それがとうとう7月には2000円になるという。一挙に倍だ。
でもいいと思う。高いか安いかは人それぞれの価値観だけれど、オレにとって好きなスポーツの好きなチームのゲームをいつでも好きなときに見られるサービスというのは、月額2000円でもちっとも高くない。十分にお得な価格だと思う。
そんなことを考えながら、今日から始まったACLを見る。
川崎の対戦相手の韓国チームには、あのレオナルドがいる。そうである、かつてアルビレックスで26得点を叩き出してリーグ得点王になったフォワードだ。
「殺人と人身売買さえなければどこでもいい」と言ってブラジルから日本にやって来たレオナルドは、サッカーは金儲けのためと完全に割り切っていてすがすがしかった。そのプレースタイルも独特で、典型的なワンタッチゴーラー。
常に何かを吠えながらプレーしており、ポルトガル語のわかる奴がYouTubeで字幕を漬けてくれたら、「このうすのろ、オレにボールを出せ」「へたくそめ、早くよこせ」「ぶっ殺すぞ」と見方に向けて罵詈雑言だったので大笑いした。
そのレオナルドが、新潟の後は浦和、中国と流れて今は韓国のチームにいて日本の川崎と対戦している。
プレーは相変わらずで驚異的に上手い。今日もあっさりと1点を決めてみせたが、このゴールも一見簡単そうに見えて実は難易度の高いプレーだった。
試合はこのまま1-0で延長に突入。韓国チームが逃げ切るかと思ったら94分にキーパーがファンブルしたボールを川崎が叩き込んで劇的な引き分け。まさにドーハの再来だ。
大喜びする川崎に対して、青ざめる韓国チーム。と、重大なミスをしたキーパーを見たら、代表キーパーのあいつじゃないか。なんだか常にとんでもないミスをしているイメージがあって、今日もそのイメージ通りにミスをしたわけか。わははは、案の定だ。
DAZNは楽しいなあ。
「大村雅朗の軌跡」DU BOOKS。大村雅朗は一般的には無名に近いが、音楽業界では知らない人のいないほどの大物アレンジャーである。もう亡くなって25年だから、アレンジャーだったというほうが正しいが。作品は素晴らしい。『MyRevolution』や『君の朝』、『SWEET MEMORIES』は作曲までやっている。一言で言えば天才アレンジャー。46歳という若さで亡くなって、今や伝説だ。そんなレジェンドの仕事ぶりについて、実に豊富なインタビューをもとに紹介した一冊。とにかくインタビューに次ぐインタビューで、しかもその内容が「素晴らしかった」「凄かった」という同じことの繰り返しで、途中でうんざりしてしまった。いや、いいんだけどね。もうちょっとメリハリというか工夫というか。せっかくの素晴らしいテーマなんだから、そこが惜しかった。
2022.04.14
今日は朝からインタビュー仕事のアポがあったので、大学に行く子どもたちと一緒に3人で家を出た。
そのまま7時27分発の急行に乗る。子どもたちと一緒にこうして朝の電車に乗っていることは、やはり感慨深い。
池袋で山手線に乗り換える娘と別れて、息子と一緒に丸ノ内線のホームに向かう。激混みが当たり前の丸ノ内線も、たいして混んでいない。
そもそも7時27分発の急行だって、一日で一番混雑している電車のはずなのに人と全く触れ合わずに乗車できたから、通勤通学の人は大幅に減ったままなのだろう。そりゃあ鉄道会社が収益悪化に苦しんで、春のダイヤ改定で列車の本数を減らしたのも当然と思える。
本郷三丁目駅で降りて、息子と一緒に東大へ向かう。
時間に余裕があったのでオレも東大のキャンパスに立ち寄って中をのぞいて見ることにした。
これまでの2年間、東大のキャンパスにはたとえ保護者といえども部外者は立入禁止だった。それがこの春には規制解除となり、基本的にフリーパス。オレも入り口に立つ警備員に、おはようございますと挨拶してするっと潜り込む。
東大の本郷キャンパスに足を踏み入れたのは10年前に続いて2度目だ。さすがに広い。そして建物が古く、重厚だ。まさに知の総本山。日本最高の学舎にふさわしい空気が流れている。オレが通っていた青山のチャラチャラ大学とはえらい違いだ。
「広すぎて書店まで行って帰ってくるのに15分じゃきかないんだよ」と息子。いい運動だ。
早朝のために学生はまだちらほらだった。こうした若者たちがなんの気兼ねなく学んで遊べる時間を取り戻してほしいと切に願うのだった。
2022.04.13
Xiaomiのスマホに買い替えてから初めての新幹線改札である。
前回エクスペリアに機種交換してからの新幹線改札では、スマートEXがうまくいかずに大騒ぎになってしまった。
今回は果たしてどうだろう。ちょっと緊張しながら改札にスマホをタッチする。一番人の少ない日本橋口の改札を使うのは、オレ様のような事情通ならではである。
改札に立つお兄ちゃん駅員に「ども」とアイコンタクトしながら、スマートにスマホを自動改札にタッチする。ピコンと赤いランフが点ってゲートが閉まる。
だあーっ、やっぱり今回もダメかよ。
お兄ちゃんに、ダメだったどうにかしてくれとスマホを手渡す。
案の定だ、やっぱりICカード指定の情報が機種交換によってうまく引き継げなかったようだ。お兄ちゃんに教わって設定しなおして、再度自動改札に向かう。
ところがんやはりピコンだ。
だあーっ。自動改札の中で大きくずっこけるオレと、そんなオレを見てずっこける兄ちゃん。
再度2人でオレのスマホを覗き込みながら設定し直す。結局手動でICカードの情報を入力することにした。
こうしてようやくのリベンジで、3度目は無事に自動改札を通過。兄ちゃんはグッジョブと親指を立て、オレはようやく堂々と胸を張って新幹線ホームへと向かうことができのだった。
今書いた「向かうことができたのだった」という「××することができる」表現は、実にくどい。くどくてイラッとする。
例えば「話すことができた」なら「話せた」、「スタバでキャラメルマキアートを頼むことができた」なら「頼めた」でいい。できるだけ短く、シンブルにというのが文章の原則である。
でも「向かうことができた」を「向かえた」とすると、なんとなく違和感がある。言いたいことが伝わらないようなもどかしさがある。このあたりは難しいなあ。
「これは経費で落ちません!9」青木裕子・集英社オレンジ文庫。新刊が出ると必ず買ってすぐに読むシリーズは似鳥鶏「私立高校シリーズ」、榎本憲男「真行寺弘道シリーズ」とこの「経費シリーズ」である。私立高校シリーズは数年ごとに突然思い出したようにリリースされ、真行寺シリーズは逆に半年に一度くらいの驚異的なペースで発表され、そしてこの経費シリーズは定期的に年一回のペースで発刊されている。早いものでもう9巻目だ。シリーズの最初の頃は頭を使わない軽い読み物のつもりで手に取ったのだが、巻を重ねるうちにどんどん作者が上達するのがわかって面白くなり、今ではすっかり夢中である。中小の石鹸メーカーの経理の立場から描く社内事情を経糸に、主人公の恋愛事情を横軸に、物語が進む。経理という地味な裏方の仕事は、いわゆるお仕事小説の主人公としてはあまりに地味ではあるのだが、どうせオレンジ文庫の軽めのお話となめてかかると絶対にやられる。会計のからくりを盛り込みつつ展開される社内のどろどろはかなりシビアだ。何よりも主人公のキャラがいい。仕事とプライベートを完全に切り分ける徹底ぶりで、腹の中ではいろいろと黒いことも考えているのだが、絶対に二兎を追わないという心情のもとで、クールに割り切る生き方をしている。この割り切り方が実に小気味いいのだ。話は第一巻からずっと続いているので、最初から読まないとわからない。今回も多くの登場人物が出てきて、複雑な動きを見せる。Amazonで買ってすぐにむさぼり読んだ。読み終わって第一巻からもう一度読み返したくなるのも、このシリーズのいつもの読後感である。
2022.04.12
駅前の三菱UFJ銀行の支店が消えることになった。
正確には隣町の同行の支店との統合であるが、事実上の撤退である。時代の流れだ。
路面店ではなくてビルの2階にある支店だった。ビルの前にはいつも自転車が何台も停められ、警備のおじさんがこまめに整理していたから、それなりに利用者は多かったのだうろ。
オレもこの銀行に口座を持っている。だがこの店舗に足を運んだことはほとんどない。
振込等はすべてネットバンクだし、現金の引き出しはセブンイレブンや郵便局のATMを使うし、電子マネー主体になってその現金自体週に一度使うかどうかだし。
先日、娘の大学の入学金の振込に行ったのが、数年ぶりの窓口。税金や国保の納付はなんとなく現金で行うことを続けており、これは地元の郵便局て行っている。
そんなわけでビルの2階にある窓口までわざわざ足を運ぶ必要はまったくなくなったわけだ。
ビルの二階とはいえ、駅前の店舗だから家賃はそれなりにかかるだろう。ATMも維持費が月に30万円もかかる。メガバンクといえど経営が厳しい折、これだけリアル店舗にコストがかかるとなると、撤退も十分ありえる選択だ。
新卒採用もかつての3分の1まで減っている。数年ごとに支店を異動して最後は支店長で上がりとか、窓口で2、3年働いて同じ支店のイケメンと結婚して退職するとか、かつての金融人生すごろくも描けなくなってきた。まさに激変の時代なのだなあと感じる。
などということをオレは早朝の東海道新幹線の中で書いているのだが、品川から乗車してきた姉ちゃんが、三人がけ座席の通路側にドンと荷物を置くやいなや、真ん中の席にスマホとサンドイッチをボンと放り投げたのには驚いた。なんだこの姉ちゃん。
本格的なブロックチェーンの時代に突入しようとしているWeb3.0前夜の今、中央集権の権化であるメガバンクが急速に存在感を失いつつあるのは必然の流れだ。この流れに抗うのはもはや不可能である。メガバンクはどこへ向かっていくのだろう。この流れは止められない。
と書いたら、姉ちゃんがサンドイッチを座席から拾い上げ食べ始めた。どんなに忙しくてもちゃんと栄養は取るんだぞ。
2022.04.11
通学のために池袋駅から丸ノ内線に乗り換える息子が叫ぶ。
「けぶくろ経由キンタまるのうち!」
その言葉に、老化によって12歳並みに萎縮したオレの前頭葉が大喜びする。うひゃひゃひゃ、けぶくろ! キンタまるのうち!
などということはともかくとして、渡辺美里「My Revolution」がリリースされたのは1986年と、もう35年以上も昔のことだった。すっかりJ-Popのスタンダードになったが、今聴いてもまったくみずみずしさを失っていないのは凄いの一言に尽きる。
よく間違われるが渡辺美里のデビュー曲ではなく、よく知られているように小室哲哉のメジャーヒット第一作である。
ヒットの要因として挙げられるのがアレンジの素晴らしさと大胆な店長じゃない、大胆な転調、まっすぐ突き進んでいく歌詞、20歳前の女の子がRevolutionと叫ぶインパクトなどだ。
とにかくアレンジは素晴らしく、大村雅朗の真骨頂と言える。
サビではBb→Gと当時の日本ではあまりなかった大胆な店長、違う大胆な転調が行われている。いかにもコムロ的な転調だ。後にヒャダインなんかはこれを上回る変態的な店長、違う変態的な転調をみせるが、「My Revolution」の転調も当時としては十分に衝撃的だった。
このサビ前、Fsus4→F7→Dsus4→D7というコード進行がある。
小室哲哉の最初のアイデアでは、ここはD#dimのみでその後にGのサビになだれ込むものだったそうだ。
そこにあえてDsus4→D7という一小節を付け加えたのが大村雅朗。なんと、これは知らなかった。知って実に驚いた。天才の異名にふさわしい大胆さではないか。
狙いを大村雅朗は「歌い手を導くため」というようなことと説明していたそうだ。確かにこの一小節によって渡辺美里は格段に歌いやすくなったばかりか、ディミッシュの不安定さがきれいに取り払われて、サビの力強さが一気に増している。
キーが変わることを明確に示しつつ、トップノートもBb→A→G→F#と移動して、次のサビの頭のGの音へとスムーズに導いてくれる。ベースの音とユニゾンするメロディーの力強さが一層引き立てられているわけだ。
単純だが天才的なアイデアで、いやあ、これはやはり天才的なアレンジャーであるオレも思いつかなかったわ。
30年以上が過ぎて初めて知ったアレンジの妙に心底驚いたオレは、実は「My Revolution第2章」というのがあることも初めて知った。これはロンドンフィルを使ったオーケストレーションのアレンジで、早速YouTubeで聴いたところあまりの素晴らしさに悶絶。これも大村の仕事だ。というか、さすがにちょっとやり過ぎで、ぐったりと疲れてしまうアレンジだった。
1986年というとオレが28歳のころか。フリーになるのはその2年後で、まだ昭和天皇も健在だった。日本全体がバブルへと向かって駆け上がり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと浮かれていた。この状態が永遠に続くと誰もが信じていたっけ。
オレはおんぼろ広告会社で明日の見えない泥水を飲むような生活を続けており、この曲には少しばかり元気づけられた思いがある。
シンセのピコピコという八分音符のイントロは、今も永遠の輝きだ。
2022.04.10
1年のうちでも数少ないくらいの素晴らしい気候の一日。
窓を全開にして床に寝そべると、暑くもなく寒くもない風が吹き込んでくる。練馬の畑をわたる風だ。
その風を受けながらウトウトと昼寝をすると、こりゃたまらんです。最高の贅沢。
もっともこの季節、もっと最高なのが新潟の風だ。
水を張った田んぼの上を走ってきた風は実に澄んでいて、心身ともに洗われる。あの空気の味わいは、いくつにもなっても忘れられない。
そんな素晴らしい風を背中に受けて、今日も選手たちはやってくれたぜ。
5位 △△△●○○●○○
難敵、栃木に2-0の快勝だ。
決めてくれたのは今日も谷口。まさかというタイミングで左足でニアに決めるという、例によって再現性ゼロの天然ゴール。いやあ、サイコーだぜ、谷口。
これでチームは連勝。このあたりにくると競っている他チームも強いので、なかなか順位は動かず、5位のままである。
よいよい、このままキープを続けよう。
こんなに気持ちのいい日に気持ちのいい勝ち方をしたから、気持ちよくビールを飲むのだ。
2022.04.09
着る服がない。
エディバウワーが日本から完全撤退して、たいへんに困っている。
これまで息子の服はシーズンごとにエディバウワーでそろえてきた。学生らしくまとめてくれとなじみの店員に任せておけば、うまくコーディネートしてくれていたから楽だった。
それもできなくなって、困っている。
もっとも息子自身は身なりにまったくかまわないから、島村にユニクロにジーユーで十分だと考えている。もちろん地元でふらふらしているならそれでもかまわない。
だが都心の大学で学び、そろそろ就職活動の準備も、という時期なのだからある程度はちゃんとしないと。
実際、既にいくつかの就活セミナーの誘いが来ていて、毎週のように参加している。顔ぶれを見ると外資系金融をはじめとしてそうそうたる会社ばかりだ。上位校はすぐに唾を付けてしまおうというこのスピード感をみると、日本企業はとてもかなわないと感じてしまう。
いやいや、服の話だった。
モンベルはラインナップがイマイチだし、無難にL.L.Beanあたりでまとめるか。
そういうオレはもちろんユニクロなのさ。
2022.04.08
藤子不二雄Aが亡くなったことが大きく報じられているが、オレにとっては4月7日に中川イサトが逝ってしまったことのほうが衝撃だった。
ギタリストである。
出発点はあの五つの赤い風船。つまりは昭和のフォークだ。
グループ解散後は、ソロギタリストとしての道を歩く。スタジオミュージシャンになったら稼げるのにといろいろと声もかかったらしいが、頑として断って、ソロギタリストとしての道を歩く。生活費はギター教室の講師などで稼いだそうだ。
ソロギタリストとしての道をとぼとぼと歩いていた70年代後半、中川イサトはついにアルバムを出す。オールギターソロのオリジナル曲を集めたアルバムだ。
録音が終わって発売に踏み切るかどうかを決定する取締役会の席上、このアルバムを聴いたレコード会社の役員は「いったいいつになったら歌が始まるんだね」と担当ディレクターにたずねたとか。
フォークなのに歌がないなんてあり得ない。ギター音楽といったらクラシックかムード音楽だ。そんな時代にアコギ一本のソロ曲集を出すとは、まあ、レコード会社も思い切ったものだ。というか、別にどうでもよかったんだろう。
この「1310」というアルバムは、それでもギター少年たちにとっては一つの金字塔。オレも、日本にもこういうアルバムが出たんだと驚いたものだった。ここに収録されていた「狐の嫁入り」「六番街ラグ」は名曲。アコギ演奏のスタンダードとなっていまも受け継がれている。
このアルバムのあとも中川イサトは相変わらずマイナーな存在で、ギター教室で働きながら好きなソロギターを弾き続ける。30代〜40代にかけてのこの時期、中川イサトはマイナーレーベルからほとんど自費出版に近いようなCDを何枚かリリースしている。それらは今聴いてもけっこう瑞々しくていい。
その後2000年代にアコギブームが到来。ギター教室で学んでいた押尾コーターローなどがプロとして脚光を浴びると、その師匠ということで中川イサトも注目されるようになり、少しは陽の当たる道を歩けたんだろうと思う。
どんな仕事でも10年やりきれば、たとえ一流になれなくても、それで食っていける。そんな生き方をオレは中川イサトから教わった気がする。
そうなのだ、決して一流ではなかったのだ。ギタリストとしては。技術的に見ればもっとうまいアマチュアがたくさんいるレベル。演奏は人のパクリが多く、特にマイケル・ヘッジスもどきのタッピングやレフトハンド奏法は、まんまマイケルやんけという感じだ。
オリジナル曲もワンパターンで、特にサビの部分は平衡短調のクリシェ(Am→Ammaj7→Am7→Am6)ばかりだ。どの曲を聴いても、またかよと思ってしまう。
ライブも見たが、弦高を思い切り低くして、しかも半音下げたチューニングにしていた。そのためたいした握力もいらずに弾けるようになっていた。
服装はヨレヨレのTシャツにジーパン。およそ大人が金を稼ぐために人前に立っていい服装とは思えず、なんだこりゃと呆れたものだった。本人は、自分のやっているのは見てくれのエンターテインメントではなくてアートだから服装なんて関係ないと言っていた。アートの極北のクラシック畑の人たちはスーツ姿で演奏しているのだが。
そのライブのステージでは他のギタリストの演奏を酷評していた。同業者への批判を、公の場でするのはモラルとしてどうよと、ちょっと呆れた。
そんな具合にいろいろと面倒くさいキャラで、かつギタリストとしても一流とは言えなかったが、しかし日本になかったアコギのソリストという道を独力で切り拓いたのは掛け値なしに賞賛に値する。パイオニアであったことは間違いない。それに見合うだけの評価と稼ぎはついてこなかったと思うが。
オレも中川イサトの曲はずいぶんと弾いた。テクニックも学んだし、変則チューニングも教わった。決して一流ではないと書いたが、だからこそオレなんかが真似して弾くにはちょうどよかったのだ。マイケル・ヘッジスなんてとても弾けないし。
「狐の嫁入り」「六番街ラグ」「オレンジ」「マージャンピース」「鹿踊り」「シャドー・シティ」。こうして並べると耳に心地よい曲ばかりだな。サビは全部同じクリシェのワンパターンだけど。
2022.04.07
ロビーに備え付けの「タクシー呼び出し専用」と書かれてた電話を使ってタクシーを手配したら、やって来たのはドアに大きく「Go」とペイントされたクルマだった。いや、ペイントではなくてきっとこれはフィルムを貼ったのに違いない。
なるほど、これはGo Payが使えるタクシーだな。先日書いたタクシーアプリである。せっかくなので使ってみよう。
乗り込んで運転手に、GoPayを使いたいんですがと後席から伝えたら「どうぞどうぞ」ととても前のめりだった。初めてなのでと添えると、運転しながら丁寧に使い方を教えてくれた。
GoPayは様々なキャンペーンをやっており、おまけのクーポンが4000円分もたまっている。つまり4000円分タダで乗れることになる。
運転手の指示通りに操作した。助手席後ろに掲げられたタブレットをタッチして、スマホでピッと交信させるだけである。これで完了。走行中にこうしておけば、あとは降りるだけ。電子マネーで支払うこともない。感覚としては乗車中に前払いするようなものだ。確かにこれは便利だ。
もっともこうして流しのタクシーで支払いに伝うのは副次的に過ぎない。GoPayの真価はタクシーを手配するところにある。
タクシーに乗りたいと思ったらアプリを立ち上げる。すると現在地点の地図が表示され、ここに空車を呼びますかと聞かれる。所要時間の目安も「2分から4分」「近くに空車がないので5分」といった具合に表示される。
呼ぶとすると、タクシーのタイプ(スライドドアがいいとか)とか、タクシー会社とかも指定できる。降車場所も事前に指定できるので、乗り込んでから運転手に行き先を告げる必要もない。
まさに間もなく実現する自動運転車時代を先取りした感覚だ。
こりゃあいい。素晴らしいDXだ。
今回は流しのタクシーに乗り込んだので支払い機能だけを使ったわけだが、次は配車のところから使ってみよう。新しいデジタル体験に気持ちが高揚し、そして気がつく。しまった、クーポンを使うのを忘れた。操作に慣れなくてクーポンを使う指示を飛ばしてしまい、結局はクレジットカードからの引き落としになってしまったのだった。
新しいサービスを試したときにはありがちな落とし穴である。苦笑いとともに走り去るタクシーを見送ったのだった。
それにしても、と考える。
普段から自慢しているように今ではほとんど現金は使わず、電子マネー決済ばかりだ。それは便利ではあるものの、よく指摘されるように新しいストレスを生んでいるのも確かである。
現金の時は、財布を開き、お札とコインを数えてトレーに出し、お連れをもらって財布にしまうという手間がある。
電子マネーの場合は、例えばSuicaなら「Suicaで」と申し出る手間と、端末にSuicaをかざしてピッとやる手間がある。これだけなら確かにストレスは軽減される。
だが実際はというと、例えばPayPayのバーコード払いとなったらアプリを立ち上げてQRコードを読み取り、金額を入力してレジ店員に確かめてもらって、支払ボタンを押すという具合に一気に手間が増える。ここにdポイントなどを使おうとすると、さらにバーコードを読み取ってもらう手間が発生する。
先日は書店でdポイントを呼び出そうとしたらなかなか立ち上がらず、書店員に「ごめんなさい、ここは電波がよくないんです」と謝られてしまった。いえいえ、先に準備しておかなかったこちらが悪いんです。
支払う段になってようやく財布を開くおばちゃんのように、駅で切符を買うときに自分の番が来てコインを投入する段になってようやく料金表を見上げて行き先を探し出すおばちゃんのように、決済の段になってようやくアプリを立ち上げるという間抜けなことをついやってしまう。その挙げ句にいろいろな手間がかかって、結局ストレスをなくすためにできた新しい金融サービスが新しいストレスを生んでいるという現実がある。
金融というのは面倒なものだ。
PayPayには様々なクーポンがついていて、息子などはお得に使いこなしている。今日も吉野家で使えるクーポンというのが送られてきた。そうか、どうせなら支払だけでなくて吉野家から牛丼が届くサービスもやったらどうだろうと思ったら、それってUber Eatsじゃんね。
「ライティングの哲学」星海社新書。学者やライターなど4人が、“書くこと”についての対談や主張を行っている。“哲学”とあるように、書くということについて深く掘り下げた内容だ。個人的にはWorkfloryというアウトラインプロセッサの使い方に興味があって手に取ってみた。興味深い内容もあるにはあったが、しかし、やたらと小難しい論に発展するところに辟易。それにしてもこういう内容を読むと、ライターである自分自身の立ち位置というものが実はけっこうイレギュラーというかレアというか、なかなか独特のもののように思えてくる。この4人筆者はいずれも自己表現としてのライティングをとらえているが、自分の場合は単なる“商材”であり、表現が目的ではなくて“納品”が目的と位置づけている。そもそもの拠って立つ場所が違うのだから、読んでみてもまったく腹落ちしないのは当然と言えば当然か。
2022.04.06
駅へ向かって歩いていたら、いくつかの家の前で家族写真を撮っている様子が目についた。真新しいランドセルをしょった子どもにスーツ姿の両親。カメラを構えているのはおじいちゃんだろうか。
今日は地元の公立小学校の入学式のようだった。
息子と娘の同じような晴れ姿を写真に撮ったのは、もう10年以上も前にことになる。時の流れの速さには唖然とするばかりだ。あのとき一緒に笑って見送ってくれた隣のオガワさんは、引っ越してしまっていまはいない。大切な一瞬というものは永遠ではなく、儚いものなのだ。
「嫌われた監督」鈴木忠平・文藝春秋。ここ最近、非常に評価の高いノンフィクションとして気にはなっていたが、2000円を超えるハードカバーということでためらっていた。それでも先日、日経新聞の書評を読んで焼酎を飲みながらついにAmazonをポチッ。翌日の朝に届くんだから便利なものである。
風評通りの素晴らしい作品だった。久しぶりにむさぼり読んだ。ページをめくる手を止められず、朝机に向かって最初にすることがこの本の続きを読むことだった。柳沢健「1976年のアントニオ猪木」(名著!)を、青山の街を歩きながら二宮尊徳状態で読み続けたときのような興奮を味わった。
中日の監督だった落合博満がいかに周囲と軋轢を生みながら勝負したかという話である。いわゆる番記者としてそのすべてを見ていた筆者が、圧倒的な筆力と構成力のもとに見事に物語を描ききっている。
人間としての落合の、なんと魅力的なことよ。同時に一緒に仕事をしたくない人物の筆頭であることもリアリティをもって感じられた。
野球にたいして興味はないが、それでもグイグイと惹きつけられた。それは落合という人間を描きつつ、同時にダメ記者だった筆者が自分の仕事にどう向き合っていくべきかを見つけ出す、一つの成長物語とも重なっているからだろう。
本を読むときは印象的な文章や表現に出会うとページの端を折って、あとで読み返す。この本でもいくつものページを折ったが、中でも深く刻まれたのが「お前、ひとりか?」と落合が筆者に向かって発した問いだった。
それはうだつの上がらない末席記者だった筆者が誰に言われたわけでもなく世田谷の落合の自宅を訪れたときに、最初に投げられた問いである。落合は「俺はひとりで来る奴には喋るよ」と続けた。その言葉は筆者の心にしっかり刻まれ、やがて自分の足で歩くように背中を押すようになる。
終盤、シーズン中だというのに落合の解任が発表されてからのチームの変貌ぶりを描写するシーンは迫真の一言。そこに漂っていた空気は感動的ですらある。
この一冊はKindleではなくて紙の書籍として読んだ方がいいのでは思ってAmazonの宅配を待ったのだが、それが正解。良質のノンフィクションには紙が似合うし、この本の分厚さは読書の喜びを手に教えてくれる。
2022.04.05
いままで43都道府県に足を運んだ。行っていないのは鹿児島、長崎、高知、和歌山である。
行った・行っていないの基準は、メシを食ったか・食わないかとしている。もちろんオレが自分に課しているルールだ。佐賀県までは行ったことがあっても目の前の長崎には届かなかったとか、徳島までは何度も行っているのに高知県にはいままで用がなかったとか、そんなことばも多かった。
こうして日本各地をあちこち訪ねてメシを食った実感が、食べ物は北に限るということだ。
実家のある新潟は別として、一番旨いのはやっぱり北海道である。反対に評判の割にはさほどでもないのが沖縄。もちろんマズいわけではなく、オレの好みもあるのだが、やっぱり北海道にはかなわないし、海産物は東北や北陸に限る。
食習慣も様々で、最近驚いたのが沖縄だ。なんとこの島では、飲んだ帰りの締めにはラーメンではなくてステーキを食うのである。確かに地元のステーキ屋に行ったら深夜になるほど人が混んでいて、赤ら顔の酔っ払いがにぎやかにステーキに食らいついているのだ。
岐阜の山奥で食べた蕎麦は旨かったなあ。人生で最も旨かった蕎麦だった。深い山奥で人々が生きるために受け継いできた手作りの蕎麦だ。おばちゃんたちがそば粉をこねながら「油で揚げて、あげまんでも作りましょうかね」と笑っているのを聞いて、取材立会の若いお姉さんが何も返せずに下を向いてしまったのを覚えている。
北海道では、何気なく入った喫茶店が衝撃だった。昼時なのでカレーを食べようと頼んだのだが、「これ、サービス」と一緒に出されたのがイクラの醤油漬け。聞けばこの地では各家庭が自宅用にイクラを漬けているのだそうだ。まるでぬか漬けの感覚である。それを、旅人であるオレたちのもてなしにとサービスしてくれたのだ。
カレーにいくらかよとたじろぎつつ食べたそれは、もちろん問答無用、圧倒的に旨いいくらだった。どんな料理にもこうして自宅で漬けたいくらを合わせるのが、この泊地方の風習なのだろう。
青森ではごく普通の居酒屋で食べた帆立が感動的に旨かったし、金沢では安い回転寿司が劇的に旨かった。海の幸も山の幸も、日本は本当に豊かな食文化があるのだなあと感心する。広島のお好み焼きも熊本の馬の串焼きも、高松のうどんに添えられた天ぷらも、実に旨かったなあ。
もちろん東京では金さえ出せばどんなものでも食べられる。だが現地と比べて圧倒的に高いし、味は落ちる。今年1月に北海道の居酒屋で食べたホッケは、都内の居酒屋で食べるそれとは次元の違う味で、ホッケってこんなに旨かったのかと驚いたものだった。
安さとボリュームでは大阪が圧倒的で、とても東京はかなわない。東京が大阪に勝っているのは、寿司の味くらいではないか。
こうして思い出しながら書いていると各地の旨いものが食べたくなり、近くの酒の安売りセンターでイベント陳列されていたご当地カップラーメンを目にしていろいろと買ってしまった。カップラーメンだって、ご当地感は十分に味わえるのだ。
2022.04.04
「数学の講義なのに日本人の教授がいきなり英語で始めやがった」と、今日から新学期スタートの息子が話す。もちろん新学期だけのサプライズではない。ずっと英語で授業が進められるのだ。どうやらあの大学では英語での授業が珍しくないようだ。親は腰を抜かす。
いや待て、なんで文系なのに3年生になって数学なんだよ。さっぱりわからん。もはやオレの理解の範疇を超えている。
息子は、2年生のGPAが4.08だったという。これにもオレは腰を抜かす。なんだその成績は。
体育会でスポーツをして、アルバイト2つをかけもちで(3年生からは3つかけもち予定)、アルビレックスの応援もして、それでこの成績かよ。
この息子にはいろいろと驚かされる。親を嘆かせてばっかりだったオレとは真逆の出来だ。
などと言いながらヒマなので自分の日記を読み返してみると、ここ数日、サッカーのことしか書いていないではないか。しかも相変わらず誤字ばかりだし。
こんな内容では、一番の愛読者であるオザキに見限られてしまいかねない。ここはやっぱりオザキの歓心を買うためにももクロの話題でも。と思ったが、ももクロなんてさっぱり思いつかない。時々、テレビでちらっと見かけるが、その辺を歩いている普通の姉ちゃんと何ら変わらず、もういい加減出てくんなと思う。初期のころのDVDは相変わらず素晴らしいのだがなあ。
などと言いながら冷蔵庫に貼ったタクシーアプリのチラシを見る。
オレはほとんどタクシーに乗らない。1年に一度あるかないかである。しかも人が乗るのに同乗するだけで、自分でカネを払ってタクシーに乗ることなどめったにない。
それが最近ちょっと事情があって続けてタクシーに乗っている。もちろん自分のカネだ。
ポストに投函されていて、何気なく冷蔵庫に貼っておいたタクシーアプリのチラシをよく見てみると、8000円分のポイントがついているという。キャンペーンだ。このアプリを使って乗車すれば、8000円分がタダになるというのだろうか。いろいろと条件はあるが、どうもそのようだ。これはお得だよな。
スマホで呼び出せば自動運転車が家の前に横付けされる時代が、間もなくやって来る。決済はすべてオンライン。配車と道案内はAI。そんな新しいインフラの登場を見越して、タクシーアプリはいかにマウントを取るかに必死なのだろう。
普及しそうでなかなか普及しないウーバーであるが、これはそうした新しい交通インフラへの過渡期に現れたあだ花だったのかも。
月に1度の病院通い。でも家には車もなければ運転できる若者もいない。そんな高齢家庭でもスマホをピッと叩けば数分後には自動運転の車が玄関前にやって来て、病院までちゃんと連れていってくれる。きっと運賃にはいくらかの補助も出るだろう。
我が家の近くのバス停には、以前は都営バスが停まっていたが、いつもガラガラだった。結局採算がまったく取れずに都営バスは撤退。路線廃止になるところ、西武バスが同じ路線を走ることになった。
公営バスが撤退した後に民間のバスが走るという珍しい構図だ。
当たり前だが西武バスに変わっても相変わらずバスはガラガラ。鉄道とあわせて地元の交通インフラを支えている西武が意地でも走らせているだろうが、あの会社もプリンスホテルを売却するなど経営が厳しいから、このガラガラ路線もいずれ廃線の憂き目だろう。
そんな現実を前にすれば、自動運転の車がオンデマンドで走り回る社会は、とても便利で快適だ。そんな時代に乗り遅れないためにも、タクシーアプリには慣れておいた方がいいだろうという気がする。
タクシーと言えば思い出すのがバブル全盛期。六本木や新宿で飲んだ後にタクシーをつかまえるのは出入り業者であるオレの役目だった。当時はどんなに手をあげても空車のタクシーはスルーしていく。流しの安い客なんかに目もくれず、銀座で遠距離のチケット客を乗せようという魂胆なのだ。
そんな空車をいかに停めてみせるかが腕の見せどころで、オレも1万円札を右手にひらひらさせながら、歩道から飛び出して無理にタクシーをストップさせていた。
そんな話を息子にすると「友達のおじいちゃんが当時は新宿でタクシー運転手をしていたらしいよ」と答える。なるほど、1万円札をひらひらさせていたオレを見ていた側だったか。「そのおじいちゃんはお父さんの1歳年上なんだよ、ウケる〜」と息子は笑うのであった。
2022.04.03
ビッグスワンを望む小高い丘に私は眠りたい。
オレの墓について息子にはそのように頼んでいるが、ヨメと口を合わせ「うわっ、めんどくせっ」と瞬殺された。
まてまて。ビッグスワン霊園を開発したら、バカが買うから儲かるんじゃないか? ドローンで見下ろしたら全体がエンブレムの形をしているとか、けっこうウケるんじゃないか?
などとご機嫌なジョークを飛ばしながら穏やかな気持ちで明日から始まる一週間を迎えられるのも、今日のアルビレックスの勝利のおかげである。ちなみにビッグスワンというのはアルビレックスのホームスタジアムのことね。
今日はそのホームではなくて、遠く熊本でゲームだった。だから相手は熊本。J3から上がってきたばかりの熊本。
相変わらずアルビレックスの監督は素人丸出しの選手起用で、右サイドがすっかすかになる。そこを狙われて4分で失点。バカじゃねえの。
だがアルビレックスがそのまま終わるわけはなく、バカはバカなりに頑張って逆転する。1点目は谷口が40mのローングループを見事に決める。さすがに再現性ゼロの天然フォワード。谷口は熊本に所属していたから、絵に描いたような恩返し弾なのだった。
そして最後はロスタイムに逆転弾を決める。こちらは田上と鈴木のおかげだ。
特に田上。今やネットでは田神とさえ呼ばれている。
本職はサイドバックだが今日はセンターバックでの出場で、キーパーが前線へロングフィードしたら、なぜか田上が裏を抜けて最前線で受けて、そしてフォワードに見事にクロスを入れたのである。アルビレックスがいざという時に繰り出す幻の必殺技「なぜそこに田上」が決まって快勝したのだ。
このようにサイドバックもセンターバックもできて、自分で持ち上がって、裏抜けできて、フリーキックが撃てて、さらにロングスローもできるというのが田上だ。しかも人柄が素晴らしく、自分自身がシングルマザーに育てられて経済的にたいけん苦労したという経験から、シングル家庭を応援する活動も続けている。これで人気が出ないわけがない。
アルビレックスには謎の田上人気と、謎の阿部人気というのがあって、田上人気の理由がこれなのだ。
そしてオレたちは今日気がつく。オレたちが必要としていたのは田上じゃなかったのか、と。
ともかくロスタイムに田上の必殺技が出て逆転勝ちして、オレたちは大変に気分がいい。これで
5位 △△△●○○●○
という成績だ。先週は11位だったが、これで一気に5位と今シーズン最高位まで上がったのである。もうちょっとあげて3位か4位だと最高だな。
もっとも今はヴェルディが2位というから、今の時期の順位など当てにならない。夏から一気にまくってみせるぜ。
そんなアルビレックスに、今日はさらにいいニュースだ。
レディースのゲームが行われたのだが、ここでなんと田中達也の娘さんがプロデビューを果たしたのである。出場は終盤86分。まだ16歳の高校生だというのに父親譲りの突貫小僧ぶりで、いきなりキーパーと激突して相手を吹っ飛ばしていた。なかなか頼もしいぞ。
田中達也が新潟に残っているのは、この娘の存在が大きいといわれる。幼い頃からアルビレックスの下部組織でプレーしてきたからだ。
あの田中達也の娘ということで指導する側はだいぶ緊張したそうだが、そんなことは忘れて指導してくれと田中達也は言ったそうだ。そりゃそうだろうな。期待に応えて娘は見事にプロデビューを果たし、そして代表選手としてのワールドカップ出場を目指すことになる。
よかったなあ、田中達也。オレたちはみんなで応援するぜ。
2022.04.02
徳島に松本、浦和が嫌われサポーターのトップスリーだが、これらとは別格に嫌われているのが鹿島だ。サポーターはもちろんのこと、選手も、クラブ自体も、なんなら地域そのものも毛嫌いされている。要するに民度なのだが。
今日の鹿島もひどかった。
まずはピトゥカだ。途中交代直後、ピッチ脇のペットボトルを思い切り蹴り上げて、それが観客席に一直線。ポールにぶつかって水が客席に派手に飛び散った。
水でよかったものの、ペットボトルが客を直撃していたら傷害事件だった。
おかげでピトゥカは交代してピッチを離れたあとに退場という、世にも珍しい処分を食らう。選手が退場したのにピッチにはなぜか11人が残っているというのも、鹿島ならではのインチキさだ。
もっと酷かったのが、ご存じ鈴木優馬。あの岩下と大久保を足して森脇を掛けたような選手である。
今日は清水の外人選手に何か暴言を吐いたようで、そのシーンがしっかりとDAZNに映っていた。そしてキーパーの権田が「うちの選手が侮辱された。鹿島のスタッフにそのことを伝えたら、彼はそういう選手なのでと言われた」と、とんでもないことをメディアに曝露した。
彼はそういう選手なのでの“彼”が鈴木優馬だ。ほとんどヤカラ。
すぐに手を出し、足を出し、口を出す。自分が転んだときは大げさに痛がってみせて、少しでもうまくいかないことがあると罵りまくる。どんなに突破力があろうと、こんな選手を入れてはチームが壊れるとばかりに森保が代表に呼ばないのは賢明なことだ。
今回の暴言も、鈴木優馬ならやるだろう。
うんざりするのは鹿島サポーターの反応だ。鈴木優馬を非難する声はほんのわずかで、ほとんどが権田を非難する声だ。中には「彼はそういう選手」と口にしたスタッフをとがめる声まである。
自分たちがどんなにJリーグの品位を貶めているのかの自覚もなく、傍若無人すぎるその振る舞いはまさに北関東ヤンキーそのものだ。嫌われ者がますます嫌われて、嫌われ者上等とばかりにさらにイキがってみせている。
Jリーグ初期こそ優等生だったが、25年を重ねて、その自意識が悪い方向に働いてしまって天下のオレ様になってしまったのか。猿山のボス。
徳島や松本がかわいく見えるレベルだ。
2022.04.01
ロシアワールドカップの対ベルギー戦は、掛け値なしに名勝負だった。ロストフの14秒は、何度見てもしびれる。あれだけでオレはすぐにでもご飯三杯、文章にして3000字は一気に書ける。
日本が負けたとしても、あれほどの名勝負が見られればおなかはいっぱいだ。
ドーハのワールドカップでは、日本はドイツ、スペインと同組に入った。素晴らしいではないか。世界最高の大会で、ガチの競合とガチの闘いが見られるのだ。
ドイツに塩試合で0-0、スペインに塩試合で0-0、そしてコスタリカ(またはニュージーランド)にPKとオウンゴールを含めて3-0ならば決勝トーナメント進出の道が開けるはずだ。
逆に言えば初戦のドイツ戦で負けてしまえば、残り2連勝が義務づけられるので、塩試合を捨てて責めなければならないから2連敗必至だ。
初戦がすべてを握るのだ。って、いつの大会でも同じことだが。
思えば初めてワールドカップに出場した1998年のフランス大会。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカという相手に対してオレたちは2勝1分という胸算用だった。オレたちは何も知らず、ナイーブだったのだ。
それを思うとオレたちもずいぶん成長したものだ。
オレは日本代表のことを、決して弱くもないが競合でもない、必ず決勝トーナメントに進出するがベスト4には入れないというメキシコのようなチームになれたらと思っていた。今はまだそこまでは行けていない。
今回こそベスト8に入れたらと妄想するものの、まあ現実は厳しいだろうなあ。
それでもこうして勝敗を予想し、試合展開を想像するだけでワクワクしてくる。やっぱりワールドカップはお祭りだ。
2022.03.31
桜が満開だ。
花見をする予定も特にはないが、それでもやはり心は弾む。地元にもいくつか枝振りのいい桜があり、あそこの満開、こちらの満開と、楽しんでいる。
いずれ間もなく花は散り始め、そして年に一度の桜吹雪の贅沢を味わうことになる。このあたりから5月の終わりにかけてが、1年で最も快適な候だ。
仕事部屋の窓を開け放ち、春の風を呼び込みながら机に向かう。
目の前はサッカーのピッチくらいの畑が広がる。なんとも目に心地よいことよ。
2022.03.30
「勝ったらオレ様のおかげ、負けたら日本文化のせい」だったのはフィリップ・トルシエだった。これぐらいの自意識とメンタルでなければ、代表監督なんて務まらないのかもしれない。
サッカーというのはミスをするスポーツであり、運にも左右され、その中で少しでも勝つ確率の高そうな戦術を選んで積み重ねていくことが求められる。その上で最善の選手を送り出すことが監督の仕事だ。
だから今日みたいにアホな選手交代で負けると、がっくりとしてしまう。まったく情けない。
アルビレックスの今日の相手は千葉。お得意さんだ。特に千葉のホームでフクダ電子アリーナでは、アルビレックスは一度も負けたことがない。もう大楽勝なのである。
それが95分にコーナーキックから決められるというあり得ない展開で負けた。
11位 △△△●○○●
つい4日前には6位で、このままあっさり上位進出だなあと余裕かましていたオレがバカみたいじゃないか。いや、バカなのは監督だ。
どうして裏抜けできる谷口を下げて、怪我明けで体の重いイッペイを入れるのか(「谷口下げてくれて助かった」と千葉サポ)。潰されてブレーキになっている木ではなくて、サイドから切れまくってクロスを上げ続けていた松田を下げるのか(「新潟は攻撃になると決まり事のないちぐはぐな印象」と千葉サポ)。
あげくにどこのバルサのつもりか、ゼロトップだ。せめて三戸と小見を入れてから試せよと。
そんな具合で、監督がアホだから負けました。
甲府の監督が更迭されそうだとか、大宮の監督がクビになりそうだとか、他チームのことを笑っていられないわ。とほほほ。
あまりの悪夢にオレと息子はとっととDAZNを消してTVerで「YOUは何しに日本へ」を見る。先日放送された回だ。なんでも隣の大泉学園が舞台だそうだ。
確かに、おおあれは大泉学園駅じゃないか。ここにある嫁の実家を、スペイン野郎が訪ねてくるという展開である。ところが一瞬駅の外観が映っただけで、あとは家の中しか出てこない。ダメだこりゃ。
悪夢はさめず、続けて「家、ついていってイイですか」を見る。先日の3時間半スペシャルを3回に分けて見ているのだ。12本もロケネタがあり、軽い笑いを取る話題からだんだん重くなっていき、最後はシリアスに泣かせにかかるのがこの番組のお約束。いや、泣きたいのはこっちだよ、千葉なんかに負けやがって。
若い頃はグレていて家にも寄りつかなかったという男が、50過ぎて父親の介護を始めて、そしてその父を看取った今になって「父の介護は楽しかった」と涙をこぼす。「酔っ払いとボケ老人は相性がいいんだよ」には笑ったが、人生の最終局面になってやっと息子と一緒に心穏やかな時間を過ごせた父親の心情に、心打たれる。
千葉如きに負けて泣いてる場合じゃないぞ。次は熊本だ。難敵だ。バカ監督にも反省してもらって、ぜひ立ち直ってもらいたいものだ。
2022.03.29
64歳の今になっても、社会人1年目に教わった有象無象についてはしっかりと覚えている。それほど社会人スタート時の教育というのは大切ということだ。
あのとき怒られたことで反省し、学んだことは実に多い。誰だってそうだろう。
ところがパワハラ、コンプラに加えてリモートワークもあって、上司に怒られることのない新人が続出。徹夜なんてとんでもない、今や残業ですらさせてもらえない。
おかげで成長もせず、鍛えられもしない新人が続出。その結果、大企業ほど新人がどんどん辞めていくようになったという。理由が「緩すぎるから不安」。
怒られない、残業もできないなんていう環境じゃなくて、新人はもっと鍛えて欲しいのだ。厳しく指導して欲しいのだ。それが自分の未来につながると知っているから。
バネは強く沈み込むほど、大きくジャンプする。人間だって同じことだ。
なんていうことを考えながら、日本代表のベトナム戦を見る。
「前半に出てきた控え組は失格。最初からレギュラー組を出しておけ」とセルジオ越後はいちゃもんをつけているが、最初からレギュラー組を出していたら「どうして使っていない選手を試さないのだ」と難癖つけるに決まっているのに、何を言ってんだこのおっさんは。
それはそれとして、酷かったな。日本代表。
完全に消化試合になってしまった。まあ、消化試合なんだが。
そういや96年頃にフランス大会の二次予選の最後のゲームを国立競技場で観戦したんだけれど、勝って最終予選進出を決めたというのに、大量点差での勝利を期待して集まった観客がブーイングを浴びせたことがあったっけ。
スタンドの前でそのブーイングを浴びた北澤剛が呆然と立ち尽くし、両手を広げて抗議している姿をはっきりと覚えている。「最終予選進出を決めたじゃないか、目標を達成したのになんでブーイングされるんだ」と、その姿は訴えていた。
今回もワールドカップ進出を決めた後の試合だから消化試合でいいのだ。グループ分けのポッドがどうしたこうしたという話はあるものの、まずは怪我をせずに大過なく終えることが大事。適当な試合でいいと思うのだがなあ。
そんなわけで今日はベトナムを応援しながら観ることにした。いいチームなんだよ、ベトナムは。真面目な国民性のせいか、とても一生懸命に汗をかくサッカーをする。観ていて応援したくなる。
と思っているのはオレだけのようで、最近の日本で犯罪を起こす不良外人にはベトナム人が多くて、どうやら真面目な国民性というのは幻想になりつつあるという指摘もある。うむむむ、そういわれればそういう面も否定できないかもしれなくない。確かに今日もスタンドに押し寄せた大量のベトナム人サポーターが大声ではしゃぎまくる。場内アナウンスが再三声を出さないように呼びかけても一切無視だ。その姿は、確かに日本社会のルールなんか知ったことか的な乱暴さを感じさせる。
まあよい、ここでは真面目な国民性そのままの真面目なサッカーをするという前提で進めよう。
ベトナムは弱者のサッカーに徹して、5-4-1の布陣。それを見た息子が「うひゃひゃひゃ、久しぶりに見たぞ、5-4-1!」と大喜びするほど、リアリティある布陣だった。
当然セットプレーでの得点にすべてを賭けていて、日本の守備がアホすぎたこともあって、目論見通りコーナーキックで1点をもぎ取る。いやあ、その瞬間のベトナムの選手たちの誇らしげだったこと。胸を張って収まった写真は、きっと明日の一面だろう。
その1点を大切にしながら、キーパーの神がかり的なセーブ連発もあって、結局1-1に終わる。
25年前のマイアミで日本はブラジル相手に同じようなゲームをやってのけたわけだが、あのときと同じ興奮を味わっているのだろう、ベトナムは。そして今になってもオレたちはあのゲームのことを語るように、ベトナムも四半世紀後に今日のゲームを語り継いでいるだろう。
たぶん二世代後ぐらいにはベトナムも最終予選の常連くらいになっていると思うから、「あの日本戦がオレたちのスタートだった」と今日のことを振り返るに違いない。
それにしてもなんで川島を使ったのだ、森保は。どうして谷を使わないのだ。思い出出場なのか。三笘は途中出場でなければ力を発揮しないとわかったし、久保はすぐに頭に血が上ってわがままなプレーに走るバカさで呆れさせてくれた。柴崎も卒業記念出場だった。
まあよい。代表なんていうのは国民の玩具だ。突っ込みどころ満載なぐらいのほうが面白いわ。
それにしても今週には早くもワールドカップの組み合わせ抽選会が行われるそうだが、まだ出場国が決まっていないエリアはたくさんあるぞ。それなのに組み合わせちゃうんだ。ウクライナとかどうなっちゃうんだろうね。
「サッカー店長の戦術入門」龍岡歩・光文社新書。サッカーの戦術が大好きな、いわゆる戦術オタクだった筆者は、ブログに何千字もの戦術分析を書き殴っていたところ、それが関係者の目に留まって、サッカー未経験者なのになんとJリーグのチームの戦術分析担当になってしまったという人物だ。その顛末について面白く書かれているかと思ったらそうではなくて、徹底して多様な戦術の分析が述べられているのであった。しかもヨーロッパサッカーのみで、Jリーグは出てこない。よって個人的には退屈。よくぞまあここまで分析できるもんだと感心はしたが。
2022.03.28
「ドライブ・マイカー」がアカデミー賞ということで盛り上がっているが、あの映画は面白いのだろうか。テレビのニュースやワイドショーなんかでちらっとさわりを眺めているだけだが、なんだか地味で淡々としている印象だ。これで3時間は大丈夫なのか。
もちろん観ればきっと面白いに違いない。観もしないで第一印象だけで退屈と決めつけるオレのほうが間違っているのは当然である。
だが「ドライブ・マイカー」を観るなら「シング」の続編を観たいなあと思ってしまう。映画なんだから、2時間没頭して、ああ面白かったなあと笑えれば十分という感じがする。
というわけで最近観た映画。いずれもAmazonPrimeかNetflixだ。JComのプランが新しくなってNetflixも込み込みで観られるようになったのだ。
「マスカレード・ナイト」
木村拓哉と長澤まさみの掛け合いがなかなかよかった前作の続編。犯人役の松たか子もなかなかよかったし、品のないおっさんを演じたらピカイチの渡部篤郎もよかった。そんな前作を超えられなかったなあという印象。物語の転がし方にチカラを入れすぎた感じがする。伏線に張った腕時計が不自然で、きっとこれが伏線だろうと思ったら案の定、最後の引っかけに使われたし。まあ、この映画は役者を楽しむ映画だと思っている。木村拓哉もなかなかいいよ。そして案外いいのがカメラワーク。実に丁寧に計算されているカメラで、それを追いかけているだけでも価値がある。アマプラで有料。見放題になったらもう一度観てみよう。
「騙し絵の牙」
こちらはオレのお気に入りの松岡茉優が大活躍なのがとても嬉しい。いい女優さんだよねえ。大好き! 主役の大泉洋は、とにかく鬱陶しい。「水曜どうでしょう」以外の大泉洋は、なんであんなに人気があるのか不思議なくらい、ちっともよくない。これは出版界の裏側を描いた作品。実は原作を読んでいたのに、すっかり忘れていた。内容を忘れていたのではなくて、読んでいたという事実そのものを忘れていたのである。ちょっとうろたえた。松岡茉優だけをもう一度じっくり鑑賞したい。
「罪の声」
これは「騙し絵の牙」と同じ作者のミステリーで、こちらもしっかり原作を読んでいるはず。Kindleを確認したらちゃんとダウンロードして電子書籍で読んでいた。だがその内容にまったく記憶がない。完全に忘れていることに、ちょっとうろたえた。観たいと思っていた映画で、なかなか重厚な物語に仕上がっている。いい映画だった。素材はグリコ森永事件だ。犯行声明に子どもの声が使われたことは、当時も大きな衝撃だったが、その子どもが大人になった今、自分の声が使われていたことに気づいて深層を追いかけていくという話だ。過去と現在を行き来しながらクライマックスに向かって物語が重さを増していく構成は素晴らしかった。ちょっと登場人物が多くて相関関係を理解するのに手間取ったが、これはオレの理解度の問題。「騙し絵の牙」とあわせ、原作を読み返すのもいいかもしれない。
「ドント・ルック・アップ」
実はこれは途中で放り投げた映画だ。Netflixのオリジナル作品である。直径9キロという巨大な彗星が半年後に地球に衝突する軌道にあることを、若い天文学者が発見するところから物語は始まる。もちろん衝突したら全人類どころかすぺての生物が滅亡するという大変な危機だ。天文学者はそれを世間に訴えるのだが、アメリカ政府もマスコミもまったく相手にせず、頭のおかしい人間の戯言扱いをする。滅亡ものといえば最近ではドラマ「日本沈没」があったが、あんなちゃちなドラマとは比べものにならいスケールのホラ話なのだ。さすがNetflixでふんだんにカネをかけて制作したことがよくわかる。だが、とにかく荒唐無稽すぎていくらなんでもそりゃないだろうとシラけてくる。例えばアメリカ大統領(女性)はとことんバカで無能に描かれてるのだが、そんなわけないだろうとシラけちゃうのだ。そうしたことが積み重なって、とうとう3分の2ほどを観たところでギブアップ。どっと疲れた。
「決算書ナゾトキトレーニング」村上茂久・PHPビジネス新書。ファイナンスについて基礎から広く解説してくれる本。分かりやすいと評判なので、手に取ってみた。確かにとても分かりやすく書いてあると思う。面白いのは実際の企業を素材に上げて解説しているところだ。「228億円の巨額の赤字でもなぜメルカリは絶好調なのか」「Amazonが利益を出さないのは本当なのか」「ヒューマンヘルスケアのエーザイはなぜすごいのか」「電通の大誤算とは」など、こう並べるとつい読んでみたくなるではないか。それなのに半分くらいしか理解できないのは、オレの頭のせいだろう。もっと勉強しなきゃなあ。
2022.03.27
カウボーイ家族がもうすぐ閉店する。ブロンコビリーのようなステーキのファミレスだ。ロイヤルホスト系列。
うちの近くの店は子供たちが小さい頃から時々利用してきたが、あと一週間で閉店というのだ。
ならば最後に、ということで息子といってきた。娘とヨメはお出かけ中。
地元では地味に愛されていた店だったから混んでいる。順番待ちだ。
やっと座ってサラダバーやハンバーグを楽しんでいたら、隣の席に高校生らしい6人の男子が座った。ユニフォームのロゴを盗み見た息子が「I高だ」と教えてくれる。娘と同じ高校だ。どうもバスケットボール部のようだ。
きっと春休みの部活を終えて、「腹減った、肉食いたい」と飢えてやって来たのだろう。春休みの部活ってのは人生の黄金時間の一つだなあと、懐かしく思い出す。
その高校生たちが、メニューを開いて固まり、ざわつきだす。
実はカウボーイ家族っていうのはけっこう高いのだ。昼でも1人1500円以下は無理。ちなみにオレと息子の2人で今日は5000円を払っている。ファミレスとは言え、決して安くない。
大人が同伴していないと、高校生にはけっこう厳しい値段なのだ。
バスケ少年たちはメニューを開いて、頭を寄せ合い、ひそひそと話し合う。1人は財布を開いてメニューと突き合わせ始めた。そこに店員が「いらっしゃいませ」とカラトリーを運んできて、もはや退路は断たれてしまった。
やがて腹をくくったかのように注文を決めてタブレットでオーダーし、バスケ部員たちはセルフサービスのライスを取りに行き、山盛りにして帰ってきた。ここはセットでサラダバーがついていて、ライスはもちろん、パスタも、カレーも食べ放題。しかもこれがけっこう美味しくて、サラダバーだけ単品で頼んでもサラダとカレー付きスパゲティランチで十分に腹が膨れるのである。
メインに何を頼んだかはわからないが、腹をすかせた部活帰りの高校生たちは、山のように炭水化物を胃袋に納めたに違いない。仲間たちとのかけがえのないステキな時間だ。存分に楽しめ。
先日はこんなこともあった。早朝の人身事故の影響で電車のダイヤがグダグダになったときのことである。それなりに混んでいる車内に乗り込むと、高校生のような男の子のグループを発見。3、4人でスマホを見ながら頭を寄せて話し合っている。
通勤電車の中は基本的にシーンとしているから、そうした話し声は案外よく通るのだ。聞くともなしに聞いていると、どうやらディズニーランドへ行くところらしく、電車が遅れていて焦っているようだ。春休みだから、仲間たちと一緒に遊びに行くことにしたのだろう。女の子はいなくて男子だけのグループだ。女子とはどこかで集合するのだろう、それで焦っているようだった。
新木場行きの有楽町線直通列車は取りやめとなっている。「だったら、こっちがいいんじゃね」「どうやっていくんだ」とスマホのアプリを調べながら相談している。
「これがいいんじゃね」「えっ、メトロって山手線じゃないよな」という会話も聞こえて、微笑ましくなる。どうやら池袋から丸ノ内線で東京駅に出て京葉線というルートを見つけたようだ。
普段は都心まで電車で出ていくことなどないから、どう動いたらいいかわからず、焦りまくって、必死になって乗り換えを調べているのだろう。
ちゃんと間に合ったかどうか。いや、きっとこの遅れ具合では絶対に間に合わなかっただろう。東京駅での丸ノ内線から京葉線までの乗り換えには、きっと絶望するはずだ。そんなことも思い出になっていくに違いない。やっぱり高校時代の春休みは人生の黄金の季節だと思う。
2022.03.26
ゴールキーパーで個人的に最もウケたのは、コロンビアのイギータ。90年代に活躍した選手だ。トヨタカップで見て仰天した記憶がある。
とにかく飛び出す。いや、飛び出すなんてもんじゃない。キーパーのくせに自分でドリブルしてボールを持ち上がり(ゴールはがら空きだ)、呆れた相手にセンターライン付近でファールで止められると慌ててゴールまで戻るのだった。なんなんだこのキーパーは。
最高なのがスコルピオンという技である。キーパーなのにワザがあるとは笑。
コロンビア国民なら、負けてもいいからみせてくれよと叫びたくなる。
日本人キーパーで思い入れがあるとしたら、やっぱり川口能活かなあ。松永に楢崎に川島にいろいろといるけれど、マイアミでの鬼神のセーブやアジアカップでの神がかりのPKストップなど、やっぱり強烈だ。
今のJリーグはキーパーがけっこうタレントぞろいで、その中では名古屋のランゲラックが群を抜いている。仙台からFC東京に移籍したスウォビクもいいキーパーだが、何せビルドアップが苦手だからプッチサッカーにどうはめようとするのか、興味深い。
そんなわけでキーパーなのだが、今日はいいものをみせてもらった。怪我をした選手に申し訳ないが、実際めったになく面白いアクシデントだったのだ。
カードは大宮対岡山。J2だ。
大宮はここまで勝ちがない。今年まだ勝っていないのである。それが前半で先制し、今日こそは初勝利をという展開だったのだ。
ここでアクシデントその1。キーパーが怪我をして前半で交代してしまったのである。名手・南が珍しくファンブルして、その流れで岡山のシュートを至近距離で受けて、右目が大きく腫れ上がってしまったのである。名手とはいえ南ももう40歳。反応も遅れても仕方ない。
そこで後半開始から控えキーパーが登場したのだが、ここでアクシデントその2。なんとこの控えキーパーが右足をひねってしまったのである。別に衝突でもなんでもなく、ゴールキックしたときに勝手に転んでひねってしまったのだ。
せっかく巡ってきた出場チャンスをこんなふうにふいにしてしまうとは、準備不足だったのだろう。掴みかけたチャンスを自ら手放してしまったのだ。気の毒に。
いや、本当に気の毒なのは大宮のサポーターたちだ。なにしろキーパー2人が立て続けに怪我で退場してしまったのだから。
もちろん代わりのキーパーなどベンチにいない。フィールドプレーヤーの誰かがキーパーを務めなくてはならない、そこで白羽の矢が立ったのが(この使い方で合ってるだろうか)、センターバックの選手だった、実はこの選手、今日がJリーグデビューという31歳。この年令でなぜ今日がデビュー戦なのかというと、そこも語ることは山ほどあるのだが、話が遠回りしすぎるので今回はやめておく。
とにかくまったく想定外のシチュエーションで初めてキーパーをやることになった31歳がいたということだ。スタジアムは大騒ぎ、ネットも大騒ぎ。当の本人はというと薄ら笑いである。そりゃもう笑うしかないわな。
相手の岡山にしてみればこれは千載一遇。0-1をひっくり返すチャンスである。
何しろ相手のキーパーは素人同然というか、素人そのものなのだ。これはとにかくシュートを雨あられと降らせば何かが起きる。もちろん大宮もそんなことは百も承知。とにかく絶対にシュートは打たせないとばかりに鉄壁すぎるほどのファイブバックだ。
岡山はミドルシュートを放つだけにとどまらず、スローインではなんとゴール前めがけてロングスローである。さすがにこれは鬼畜の仕業であった。
そんな攻撃を耐えまくる31歳にスタジアムは割れんばかりの拍手だ。ホームだし。
そして耐えて耐えて迎えたアディショナルタイムは7分。ここをしのげば大宮は今季初の勝利というところまできた95分、岡山が目の覚めるようなミドルシュートを放って同点に追いついてしまったのだ。
これがアクシデントその3。というか、別にアクシデントではないか。このシュートが、どんなキーパーでも絶対に取れなかかっただろうと思えるほど素晴らしいもので、これこそなんという皮肉だろうか。
こうして結局ゲームは1-1の引き分けに終わって大宮の初勝利はお預け。こちらはめったにないエキサイティングなゲームを見せてもらって、大満足である。いやあ、サッカーは面白いですね。
という具合に余裕をかましているのも、本日アルビレックスがしっかりと勝ちを収めたからである。
6位 △△△●○○
ふふふ、2連勝で、ついに6位にまで上がってきた。プレーオフ圏内である。
1位は横浜が独走気味なので、できればそのまま夏まで独走して他チームの標的になってもらいたい。オレたちからしてみればいつか来た道だ。
その間アルビレックスは決して首位など狙わず、3位、4位あたりをうろうろしていればよい。そして秋になったら一気に勝負を賭けて、最終的に2位で自動昇格に滑り込めればいいのだ。それには今の時期の6位というのはなかなかいいポジションである。
ここから夏に向けて調子を上げていこう。
こないだ勝った甲府も、今日勝った群馬も、サポーターは「新潟が一番強かった」と話している。ふふふ、油断させようったってそうはいかねえぜ。と言いながらついつい偉そうになってしまう。
勝利はいいものだなあ。
2022.03.25
「日本の足を引っ張っているのは中小企業だ。生産性の悪い中小企業なんて潰してしまえ!」という主張で知られるエコノミスト、デービッド・アトキンスが日経新聞に書いたコラムを読んで驚く。なんとIMFが予想する2022年予想の1人あたりGDPで、日本は現在の28位からさらに落ちて世界30位なのだそうだ。
おいおい、FIFAのランキングかよ。
ニュージーランドとイタリアにさえ抜かれてしまうのだそうだ。そんな日本をアトキンスはきっぱりと「下位先進国」と呼ぶのであった。今や日本人は裕福でも何でもなくて、あの怠け者で女たらしのイタリア人より貧乏になってしまったのである。
いつだったか、銀座にヤマダデンキが店舗を出そうとして地元の猛反対を受けて取りやめたということがあったっけ。爆買いの中国人旅行者が土産に買い込んだ炊飯器を両手にぶら下げて並木通りを集団で歩くと恐れた商店街が、ノーを突きつけたのだ。
確かにあの頃、中国人の爆買い団体客が来日し、家電量販店やドラッグストアで爆買いする姿が笑いものになった。バブルの頃にパリでブランド品を買いあさって顰蹙を買っていた日本人もこんな感じだったのかもなあと思いながら、オレたちは中国人たちを鼻で笑っていた。実はその頃から中国人はオレたちより金持ちになっていたのだ。
世界30位かよ、オレたちは。もはやかろうじて先進国の仲間に入れてもらっているだけなのかもしれない。かつてのようにカネは出すから派兵は勘弁してという言い訳も通用しなくなっているのではないか。気がつけばシャープも三洋もなくなって、東芝も風前の灯火。今や自慢できるもの経済力や技術力ではなく、安心して水道が飲めることだけだ。あとはジブリぐらいか。音楽だって韓国に負けていて、いまだに「スキヤキ」がビルボードのトップを取ったことを自慢している。
30年かけてここまで没落した原因の一つを、アトキンスは中小企業の生産性の低さにあると指摘する。だから生産性の悪い中小企業なんて潰してしまって、全部大企業にしちまえばいいんだ。
ところが日経のコラムでアトキンスは、そうじゃないんだ、と言い訳する。中小企業を潰すことが真意ではなくて、中小企業が成長する国策を実施することが必要なんだ、と。どっちでもいいけど、要するに今の中小企業の生産性の低さが日本没落の要因ということに間違いはないらしい。困ったもんだ。
2022.03.24
取引先のお姉さん(もうすぐ入社2年目)は、ガチのマリノスサポーターだ。
先週は札幌でアウエーのゲームがあったので北海道まで飛んでいき、次の雨中の鳥栖戦ではゴール裏で絶叫する雨合羽姿をDAZNの中継でぶち抜かれていた。
だから今日の夕方、まだ会社にいるのを見かけてオレが、あれ、帰って代表の試合を見ないんですかと聞くと、こんな返事が返ってくる。
「まあ、いいかなあ。だってダイゼンが出ないし」
ダイゼンとはもちろんマリノスにいた前田大然である。今はスコットランドだが、彼女にとってはマリノスの選手なのだ。そんな前田大然が出ないんじゃ、代表の試合なんて観てもつまらないというわけだ。
その気持ちはオレにもよくわかる。だから、やっぱり代表よりクラブだよねと返してあげる。
お姉さんはその言葉に大変に喜び、そしてオレたちはしばしサッカー談義にふけるのであった。なんだかいけないあそびにふけるのだみたいな響きがあって書いててちょっとドキドキする。
昔はオレもJリーグは代表強化のためにあると考えていた。今はちょっと違う。クラブチームこそサッカーの王道。代表はいわばお祭り、オールスターゲームなのだと。だからワールドカップ優勝よりもCWC優勝の方がサッカー的には価値があると思っている。
お姉さんとそんな会話をしているということは、もちろんオレも今日の代表のゲームには間に合わないわけで、それでも後半から見られそうだから、それで十分だと思った。
息子に至っては仲間たちと千葉の銚子の方までドライブに出かけて深夜にならないと帰ってこない。本音を言えば今日はオーストラリア相手に負けてしまい、大陸間プレーオフに回って南米の代表チームとガチのアウエーを闘うところを見てみたいのだ。こうなったらとことんしびれるだろう。
結局日本は予想通りあっさりとオーストラリアに勝った。予想以上だったのはオーストラリアの弱さだった。明らかにケーヒルの後遺症だ。ケーヒルが長く居座って聖域化したために次の世代が育たず、それどころか戦術・ケーヒルしかできないチームになっていたのだ。そりゃもう笑っちゃうような弱さだった。
だから前半の(ハイライトで見た)南野がどれか一つを決めていれば、簡単に3-0で勝てたゲームだった。それを思うと日本もなかなかのしょぼさだわ。
キーパー3人入れて、長友先発で、というポイチの采配も相変わらずだわ。プレーオフに回った方がポイチもクビになっただろうから、かえってよかったんじゃないか。
それにしても三笘は見事だった。
南野と浅野がかき回したおかげで後半オーストラリアの足が止まったのは確かではあるものの、あの2点はスーパープレー。というか1点目はいつもの川崎フロンターレだし2点目はいつもの三笘。その意味では守田もスーパーだった。
三笘のドリブルは川崎時代からヌルヌルドリブルと呼ばれていて、オレも楽しみに見ていたのだが、どうしてあれが止められないのだろうといつも不思議に思う。たぶんボールを置く位置が絶妙に飛び込めない距離だったりするのだろう。スピードとフェイントも、すごいのだろう。
代表より川崎が強いんじゃね、とはJリーグファンの間でずっと言われていたことである。今日の守田や三笘を見ているとまったくその通りだと思う。あとは旗手を使って欲しかったなあ。
前田大然こそ出なかったが、今日のようなゲームだったらマリサポのお姉さんも大喜びだったのではないか。いや、川崎のゲームだったからマリサポとしては悔しかったかもな。
2022.03.23
ここのところ、我が家で一番忙しいのは大学入学が決まったばかりの娘で、準備にオタオタとしている。
一番働いているのは息子で、昨日はアルバイトを2つ掛け持ちし、今日もアルバイトに出かけて、帰ってからは就職活動に備えたリモートセミナーに出席していた。さすが東大生、外資系金融をはじめ、錚々たる企業が誘いをかけてくる。
一番頑張っているのは、そんな子どもたちを支えているヨメで、幼稚園から始まった弁当作りが娘の高校卒業と同時に終わってホッとしたところだ。
そして言うまでもなく一番役に立たないのがこのオレで、最近は暇なのでボケっとしているばかり。今日も一番の仕事はゼレンスキーの演説をリアルタイムで聞くことだった。
これまでずっと電子マネーしか使わないと偉そうにしてきたが、電力不足の大停電が起きたら現金なしでは何もできないような気がしてきた。そんな心配をするぐらいが関の山のオレであった。
「相棒はJK」榎本憲男・ハルキ文庫Kindle。榎本憲男の新刊は、えっ、こんなのも書くのかよというライトなもの。透視とか予言といった特殊能力を持つ女子高校生が警視庁の特別捜査官となって、くせ者ぞろいの捜査員と一緒に事件を解決していくというありがちなノベルスだ。面白くないわけではないが、榎本憲男にはこういうものを期待しているのではない。
「日本語の大疑問」国立国語研究所編・幻冬舎新書。日本語にまつわる様々な疑問を取り上げている。例えば「令和」は、明治のように頭を高く発音するのか、あるいは昭和のように平坦に読むのか、などだ。明治時代に犬は「カメヤ」ともいわれていたそうだが、それは外人が犬に向かって「Come here」と言うのを耳にしていたからだそうだ。ちなみに「令和」については、なじむにつれて平坦になっていくという法則があることから、次第に昭和のアクセントになっていくのではないかと解説している。ふーん、面白いもんだな。
「歩道橋シネマ」奥田陸・新潮文庫。短編集。玉石混淆だな。恩田陸はそこそこ好きな作家ではあるのだが、はて、どんな作品があったっけと振り返ってみても「六番目の小夜子」が好きだったなというぐらいしか覚えていない。いや、あれがあった。「蜜蜂と遠雷」。ピアノの音楽を文章で表現するという極めて難しいことに挑戦してね見事に成功した作品だった。あれはすごかったな。あと人気があるといえば「夜のピクニック」か。読んだはずだけれど、あまり印象には残っていない。たぶん恩田陸は長編で力を発揮する作家だから、こういう短編集はよくないのかも。
2022.03.22
本日は3回目のコロナワクチン接種だった。
場所はかかりつけのナカムラ医院。地元のかかりつけ医で接種を受けられる、いわゆる練馬方式というやつだ。
うってくれたのは顔なじみのナース。おばちゃんである。ベテランらしく採血などもとても上手なナースだ。
おばちゃんはオレをみて「あらー」といいながら接種の準備をする。「私はもううったけど、ちっとも副反応が出なかったのよ。若い子と違って悔しー!」と残念がる。まあ、おばちゃんだから仕方なかろう。
もちろんオレも出なかった。ちょっとだけ腕が痛くなった程度である。熱もまったくなし。もう若くないから免疫が反応しないのかねえ。
とほほほ。
接種を終え、車に戻ってセブンに寄った。そうしたらスマホがないことに気づく。慌ててクリニックに戻って、オレのスマホオレのスマホと受付にすり寄ったのだが、見当たらなかった。
あれれーと思って車に戻ったらちゃんと車の中にあった。
ワクチンの副反応云々よりも、こうした振る舞いにこそ老いは表れていると実感する。
◆
読売新聞夕刊で内田樹がいいことを言っている。
「世界のすべてを知っている人などいない。だから我々はわずかな知識を持ち寄って、集合で知を高めようとしている。その言葉尻をつかまえて論破したなんて言うのは学問的に無意味」と。
うーん、納得だなあ。ひろゆきみたいに常に逆張りのいっちょかみで、5分間レスポンスがなければ論破したとえばる人間の、なんと浅はかなことよ。
◆
電力供給が逼迫しているというので早朝から節電のお願いである。だったらテレビの放送を止めれば家庭のテレビも止まるだろうと誰もが思うことではある。
令和のこの日本で電力が足りないとは、どこの北朝鮮かよ。
我が家も協力しようと、暖房を付けるのは一部屋だけ、照明も一部屋だけ。テレビはつけない。オレも家の中なのにウルトラライトダウンをまとって仕事をした。
息子がアルバイトをしている学習異熟でも、今夜は暖房を切っていたそうである。
そうした小さな努力が積み重なったか大規模停電は発生せず、電力の逼迫率も次第に下がっていった。これが日本の民度である。どこかの中国とは違うのだ。
地震のためとはいえ、一度運転を止めてしまった火力発電所は再稼働までに数ヵ月かかるらしい。するとこの状況が夏頃まで続くことになる。うーむ、日本は大丈夫なのか。タワマン住民は恐れおののいているのではないか。
この騒ぎは、原発をストップしている影響をもろに受けたことになるが、しかしテレビはそのことにまったく触れようとしない。まあ、デリケートな問題だからなあ。
20時から大規模停電の恐れというので、入れるうちに入っておこうと早めに風呂を済ませ、一つの部屋に家族が寄り集まって暖を取る。懐中電灯の乾電池も新しいのに入れ替えた。いつの昭和だよ。
2022.03.21
やれやれ、今日はいろいろと大変な日だった。
全部書くのはとても無理なので、つかみだけ。
息子が「足が痛い」と訴えるので整形外科へ行くことにした。地元の整形外科は開店前から年寄りが長蛇の列をつくることで有名だ。これでは時間がいくらあっても足りない。
そこでちょっと遠くにあって、評判もよさそうな整形外科を見つけたので、車で行くことにした。名前をタコタコ整形外科という。
休日である。念のため電話をしたところ、休日でも開店しているという。素晴らしいではないか。
ナビに入力して快調に現地に向かう。
ところが到着してみたものの、見当たらない。駐車スペースはあり、タコタコ整形の看板もあるものの、肝心の店が見当たらない。なんだよ、やっぱり営業してないじゃないか。諦めて帰ろうとしたその時、息子が気づいた。「まて、目指しているのはタコタコ整形外科なのに、ここはタコタコ診療所整形外科じゃないか」。
そうなのである。タコタコという珍しい名前のクリニックが、なんとも紛らわしいことに同じ町内かと思うくらいに2つあったのである。しかも整形外科うんぬんの表記も紛らわしいではないか。
なんというトラップなのだ。引っかかったオレたちが甘かった。
大慌てでオレたちは本来のタコタコ整形外科を目指して移動し、そしてやっとの思いで現場に到着したのであった。おかげで出遅れてしまい、診察まで20番待ち。
まあ、とてもいいドクターで息子の足の痛みも大過ないことが判明したので、一安心なのだった。
タコタコ先生、ありがとう。今度はちゃんと確かめてから行くよ。もっとも再診は必要ないというから、いつになるかはわからないが。
2022.03.20
開幕して6戦だか7戦、未勝利だったヴィッセル神戸の三浦アツ監督がクビになったのは、まあ、仕方ないというか、あれだけの戦力整えてまったく勝てないのは監督に原因があることははっきりしているので、クビにするのはむしろ遅かったと言っていい。
問題はその後任だ。
リュイスなんちゃらとかいうスペイン人で、誰かと思ったら、J3の今治をクビになった監督だった。イニエスタや酒井高徳や大迫や武藤や山口蛍や槇野といった連中のいるチームにどうしてJ3クビの監督なんだろう。イニエスタにちゃんと指示を出せるのかね。ロティーナとか城福とか他にもいろいろと監督候補はいるだろうに、よりによって。
まあ、それはいい。もっと問題なのはスポーツダイレクター(?)にヴェルディを解雇された永井が就任したことだ。
永井がヴェルディをクビになったのは、パワハラ認定が原因だった。ひどいパワハラだった。
練習前のミーティングは1時間以上。ミスした選手の動画を繰り返し再生して全員の前で晒す。20代の女性スタッフに「体重を増やしてやる」と言って大量のバターを塗りたくったパンを無理矢理食べさせる。
「サッカーを辞めたい」と漏らす選手続出でチームの雰囲気は最悪。結局昨シーズン途中が解雇され、Jリーグからパワハラ認定されて指導者の資格停止処分も受けてしまった。そんな人物がなぜチームの上層部に就任するのか。資格停止処分中なのにどうして指導者になるのか。
さすがにこれにはサポータもぶち切れ。このままいくとパワハラなんてもっとも嫌うイニエスタもぶち切れるのではないか。
まったく三木谷の見識を疑うよなあ。マジで神戸は降格しちゃうんじゃないのかな。来年、やっとJ2でイニエスタがみられると思いと感無量。
20022.03.19
祝杯のために向かったのは地元の回転寿司であった。
回転寿司というのは安く手軽に食べられるところに魅力がある。確かに回らない寿司屋に比べればネタもシャリも落ちるが、しかし寿司であることには変わりなく、それに富山とか青森とか新潟とかの海鮮のうまい地域で食べる回転寿司は、東京の回らない寿司屋よりよほど美味しい。
だがしかし。
祝杯だからといって歯止めなく飲み食いすると、決して安くはない。ビールを頼むと「お会計用です」と一緒に金皿が運ばれてくるので、ぎょっとする。回転寿司では決して金皿の寿司なんて食べないからだ。それがアルコールとなるととめどなく金皿が積み上がっていく。
なんてこった。だから会計時に再びぎょっとする。これでは回らない寿司とあまり変わらないのではないか。
回らない寿司では、地元にある桃太郎鮨というのが安くてそこそこなので気に入っている。えばりくさった大将が面白くもなんともない冗談を口にして笑いを強要するような寿司屋はまっぴらごめん。その点桃太郎寿司はカウンターの中で老いた職人が5人ほど立ち働いていて、無駄口も叩かず、客にネタ自慢をすることもない。値段もそこそこだ。家族4人で飲んで食べて1万5000円もいかない。
だから回転寿司で豪遊するくらいなら桃太郎鮨で豪遊しても、さほど違いはないのだ。
そもそもなぜ回転寿司で祝杯を挙げることになったかというと、娘の高校卒業でもなく、娘の大学進学でもなく、当然のことながらアルビレックス新潟の今季初勝利を祝うためである。
今日の相手は甲府だ。ヴァンフォーレ。成績不良で一度は解任した吉田監督を、何を思ったか、今季再び監督に招いたということですべてのJリーグファンから頭は大丈夫かと笑われた甲府だ。しかも前回の解任はゴール裏に居座ったサポーターの挙手による多数決で決まったため、次の解任はどんなふうに決まるのだろうとすべてのJリーグファンをワクワクさせてくれている。
甲府は昨シーズン3位まで成績を伸ばした。その土台の上に積み上げていけば今年は昇格も狙えるだろうと思ったら、なんとあっさり監督を鬼畜の磐田に引き抜かれ、野津田などの主力も移籍してしまう。気の毒と言えば気の毒ではある。だからといって慌てて連れてきたのが、以前に多数決解任した吉田達磨監督であるところが迷走すぎる。
実は吉田達磨は、アルビレックスにとっての黒歴史そのものなのだ。まだJ1時代、アルビレックスの監督に昇任した吉田達磨は、ミドルシュート禁止、汚く勝つよりも美しく負けようという謎サッカーを展開し、オレたちのアルビレックスを大混乱に陥れた。
あのラファエル・シルバをウィングで起用したり、今や名古屋のエースストライカーである酒井宣福をサイドバックで起用するという大胆すぎる謎采配も光って、チームをあわや降格というところまで導きやがったのである。レオ・シルバ、ラファエル・シルバ、コルテースという3人がそろっていて降格寸前まで落ちるという芸当はなかなかできることではない。
結果、当然のように解任、つまりクビになったわけだ。個人的にはこのとき一緒にクビになった北島コーチの「監督一人に責任を負わせることはできない」という発言が許せない。一見すると男気発言のようであるが、その実は大混乱に陥れたサポータに対して何の責任も取ってなく、挨拶もナシでとっとと逃げるように地元の鹿児島に帰っていった情けない男なのだ。若い頃はこの先10年間、日本代表のフォワードを任せられるとまで言われた男の、なんとも薄っぺらい姿だった。
こうしてアルビレックスは吉田達磨軍を一掃したのであるが、ことはそれだけでは済まなかった。アルビレックスの前に吉田達磨が監督をしていたのが柏レイソル。ここも途中で解任されている。
その柏のサポーターが、吉田達磨の監督就任が決まったときのアルビレックスサポーターに向けて吐いた警告がある。「気の毒に。吉田達磨の本当に恐ろしさに気がつくのは、辞めた後なのだ」と。
なんという不気味な宣告であったか。
この予言は見事に当たり、その後数年間、アルビレックスは吉田達磨の遺産に苦しむ。走らない、当たらない、シュートよりパス、醜い勝利より美しい敗戦という毒が染み込んでしまって、後遺症のごとくチームは低迷してしまうのだ。
そしてその後に就任した甲府で多数決解任という前代未聞の騒ぎを引き起こし、これで柏・新潟・甲府と3チーム連続で途中解任という離れ業をみせてくれたのである。
常識的に考えればもはやサッカー界にこのあとはない。せいぜいどこか小さなクラブで育成コーチでもやるのが精一杯だろう。ところが吉田達磨はなんとシンガポールの代表監督に就任してしまうのだ。クラブチームではない。国の代表チームの監督なのだ。
この謎の就活力にサッカーファンは驚愕する。あげくに一度は解任された甲府に今シーズン再び返り咲いたわけで、まさしくゴキブリのような生命力。どうしてこいつはこんなにも就職できるのだ。
吉田達磨の魔力の一つが、サッカースクールの父兄の評判が異常にいいことだ。とても信頼できる指導者と信奉され、絶大な支持を得るのである。察するにこれは、人心を巧みに操って権力者に取り入るのが上手いという、歴史上ちょくちょく出てくる茶坊主タイプの人間ということなのだろう。
だからサポーターによる多数決解任という前代未聞の騒動を引き起こしたというのに、吉田達磨は再び甲府の上層部に取り入って、華々しく舞い戻ってきたというわけだ。不思議なのはサポーターが大反発したかというとそうではなくて、しばらくは温かく見守ってやろうじゃないかというヌルい空気に包まれていることだ。これも吉田達磨の魔力である。ああ、恐ろしい。
そんなわけで長年にわたる後遺症に苦しめられたオレたちとしては、吉田達磨率いる甲府には絶対に負けるわけにはかないのだ。
そして2-0の快勝をおさめたのだ。
めでたい。実にめでたい。
9位 △△△●○
どうだ。この○の神々しいことよ。
しかも1点目2点目ともに完璧な崩しからの完璧なゴールである。ビューティフルである。拍手喝采である。
もし万が一にも甲府に負けていたらと思うと、これは松橋力蔵監督、略して松蔵の解任騒動の引き金になったかもしれず、ここで完勝できたことは大変に喜ばしいことなのだ。
いやあ、勝利はやっぱり気分がいいなあ。回転寿司で冷酒を飲みながらオレは心浮かれて、いい気分なのだった。
「きたきた捕物帖」宮部みゆき・PHP文芸文庫。文庫化された読もうと思っていたので書店で見かけてすぐに手に取る。宮部みゆきの新作は久しぶりだ。しかも江戸もの。期待して読み始めたものの、短編4作のうちの前半2作があまりに退屈で、ところどころ笑いを取ろうとして滑る筆が見苦しくもあり、宮部みゆきってこんなにつまらなかったっけと首をかしげる。ところが3作目からがらっと面白くなり、物語に奥行きが出始める。そうなると滑ったように見えた筆もその軽さが心地よいリズムとなっていく。確かに宮部みゆきってそうだったよなあと思い出す。これはシリーズもので、16歳の少年が様々な謎を解決するミステリーであると同時に、その成長も描き出すという青春ものでもある。宮部みゆきはこれをライフワークとして書き続けると宣言している。ならばしばらく読み続けてみようか。オレが宮部みゆきで一番好きなのは「桜ほうさら」だ。これは人にあげてしまったので手元にない。再び読み返してみよう。また江戸ものの短編集もなかなかに味わい深いので、これも読み返したくなった。例えば「砂村新田」という短編では、自分の母親の娘時代にはどんな出会いの物語があったのだろうと深く思い入ることになる娘の気持ちを、それはもう鮮やかな筆で、しかも淡々と描き出している。真夏のたんぼ道に吹く熱く渇いた風そのものの文章が実に見事なのだ。
2022.03.18
オレが受験した46年前(約半世紀前だ!)、明治大学は滑り止めだった。母も後になって「明治しか受からなかったら浪人させるつもりだった」と言っていた。明治大学はそんなレベルだったのだ。
だが数年前、オレは仰天する。
青山学院大学を卒業したばかりの若い社員が「明治なんて恐れ多いですよ」と頭をかいていたのだ。なんと、滑り止めだと見下していたあの明治が、いつの間にか見上げる星になっていたとは。
理由は明白だ。
厚木だ、相模原だと漂流を続けた青山学院に対し、明治は都心一等地にどかーんとタワー校舎を建てて集客に力を入れたからだ。もともと明治は就職の強さでは定評があった。それに加えて都心立地の魅力を打ち出したことで一気に人気が上がったのである。
青山の広大な土地の取得に失敗し、世田谷のキャンパスまで売り払って、“厚木学院”と陰口をたたかれた青学に対して、明治の戦略は立派だった。ブランド力にあぐらをかいた青学の負け。明らかに経営陣の差が、ポジションの逆転につながったのだ。
その明治大学に、娘は4月になったら通う。
娘はオレの母校である青山学院にも合格したのだが(しかもオレと同じ英米文学科だ)、オレとは逆の選択をして明治に行くことを決めた。青学英文科は凄まじい女の争いが繰り広げられる魔窟だから、あんなものに娘が巻き込まれなくてよかったとホッとしている。
オレたち世代の人に「娘が明治に行く」と話すとふーんという反応だが、現役の学生や高校生に言うと「すごいねえ」と返ってくる。没落青学のOBとしては複雑だが、娘の大学が持ち上げられるのはやっぱり嬉しい。
3月も半ばを過ぎて、さて、これからいろいろと準備をしなくては。
入学式用にスーツは既に買った。娘は早々にアルバイトを決めてきて、その仕事用に早速着ている。通学定期も準備しなくてはならない。
京王線の明大前まで、どうやって通うのだ。池袋から新宿経由の京王線か、それとも副都心線で新宿三丁目で京王線直通都営線なら乗り換えは一度で済む、いやいやいっそ渋谷から井の頭線という手も、まてまて吉祥寺までバスで出て井の頭線という裏技はどうだろう。
パソコンも必要だ。先日秋葉原まで下見に行ったから、今度は娘を連れて買いに行かなくては。調べたところ明治大学ではOfficeはタダで使えるらしい。iPadはどうだ。必須なのか。そんなこんなでわさわさと落ち着かない日々だ。
この調子の我が家を天から見下ろしている母はきっと「昔は滑り止めだったのにねえ」と驚き、そして唯一の女の孫である娘の進学を喜んでくれているに違いない。
2022.03.17
甲状腺癌の専門家に話を聞いたら「本当にヤバい甲状腺癌なんて1%しかなくてほとんどの甲状腺癌は放っておいてよろし」というのでびっくりする。
オレの学生時代の先輩方が何人も甲状腺癌を摘出する手術を受けている。だがそのほとんどは無駄な手術だったというわけだ。
癌と聞けば誰だって驚くし、「せんせ、切ってください」とすがりつくに決まっている。でも最新の研究では放っておいていいというのだから、医学の進化というのはすごいものだ。
と感心していたら、日経新聞の夕刊には「花粉症の人は癌の死亡率が半減」という記事が載っていた。なんだってと目を疑う。
東大の研究なのだが、花粉症の人とそうでない人の8年間の調査では、花粉症の人は癌の死亡率が約半分。他の研究でも膵臓癌、大腸がん、脳腫瘍の発症リスクが大きく低下するのだそうだ。
文字通りがーんである。
ということは日本人の3割がかかっている花粉症は、日本人の約半数が罹患する癌から我々を救ってくれる福音ということではないか。花粉症にはなっておくべきということか。
これはどうも免疫が関係しているらしい。
オレたちの体は年齢を重ねるごとに遺伝子が痛んできて、毎日がん細胞が発生している。それを、できるそばから叩いて潰してくれるモグラ叩きをしているのが免疫細胞らしい。花粉症つまりアレルギーをもつ人は免疫のモグラ叩き機機能が強いというのだ。
さらに調べると免疫力を高めてがん細胞をモグラ叩きする方法は既に19世紀に発見されており、BCGを使って膀胱癌を治療するのもこれと同じメカニズムらしい。
へえ、そうなんだ。免疫ってやっぱりすごいんだ。誰もが自然な形で免疫力を強化できるようになれば、癌は怖くないということになる。
花粉症は日本人に多いといわれる。戦後復興のために大量にスギが植えられたからとか、きれい好きな国民性だからとか、その理由はよくわからないらしい。これにファクターXみたいな言葉が絡んでくると一気に日本人がコロナに強い理由にまで話がつながりそうな気もしてくる。
それはともかくとして、花粉症になると癌で死ぬ確率が一気に半減するというのは、驚愕の事実ではないか。
みんな、もっと花粉症になろうよ。花粉症は長寿の証し。花粉症こそ正義。
といいつつ、オレは花粉症などではない。くしゃみがよく出るけど、花粉症などではない。
いや、これからは花粉症になっていないことを誇るのではなくて、ああ、やったぞ花粉症になれたぞ、これで安心だと、花粉症を誇りにしなくてはならないようになる。
時代というものは大きく変わるのだなあ。
2022.03.16
いやあ、びっくりしたなあ、夜中の地震。
オレはまさに寝ようかと思ってトイレに入っていたのだが、2階からドタドタと娘が走り下りてきたので何事かと思ったら「地震地震!」という言葉に続いて本当に揺れ始めたのでびっくりだ。
どうせたいしたことないと思ってそのまま寝ようとしたらひどく大きく揺れ出したので、これはオレが酔っ払っているのではなくて本当に地震なんだと思い直して、NHKを見る。
また東北か。また3月か。
セコムを解除して、息子は玄関のドアを開け、いつでも飛び出せるように備える。オレは眠いので早く布団に行こうとする。
まったく夜中の地震は迷惑だ。これで被害が大きかったら、世相はどれだけ悪くなるというのか。ちっともいいことがないじゃないか。
「黄金の60代」郷ひろみ・幻冬舎。
冒頭、郷ひろみは40代になって「郷ひろみという名前のままでいいのか」と悩んだと打ち明けている。わはは、そりゃそうだ。郷ひろみとオレはほぼ同世代。野口五郎、西城秀樹の新御三家は、だからリアルタイムで観ている。
「きみたち、おんなのこっ、ゴーゴー」と歌っていた郷ひろみが、まさか50年後も郷ひろみという名前で活躍することになろうとは、夢にも思わなかった。ありえねえよ。でもここまでくるともはや郷ひろみは一つのジャンルであるから、名前を変える必要もないだろう。
これは雑誌「ゲーテ」に連載していた郷ひろみのエッセイをまとめたものだ。とにかく健康に対してはストイックであることがよくわかる。一方で驚いたのは、ものすごくスピリチュアルであることだ。水はナントカ水というバカ高いものしか飲まないし、下着は全部赤。家の中には神棚があって、毎朝なんだんか独特の作法で拝んでいるらしい。ほとんどあっちの人のようだ。
そういう生活習慣について自意識たっぷりに書かれているページが多く、そういうところは飛ばして読んだ。
「マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白」榎本憲男・中公文庫Kindle。出ました、榎本憲男の新刊。つーか、オレが知らなかっただけで1月に出ていたようだ。
いつも言うように榎本憲男は真行寺弘道シリーズが抜群に面白く、旧刊でも何度も読み返したくなる。今回はその真行寺シリーズに登場する実に魅力的な脇役である黒木を主人公としたスピンアウトだ。
相変わらず変なテーマを扱っていて、今回は伝統工芸は新自由主義経済の中で生き残れるかということが主題となっている。なんだよそれ、そんなことがミステリーになるのかよ。
驚くなかれ、というかいつものことではあるのだが、今回も何の事件も起きないのだ。警察や刑事は出てくるが何語も起きない。ただひたすら自由主義経済とは、金融とは、伝統工芸の生きる道はとかいったことを登場人物たちが延々としゃべり続けるという話である。
そんなものが面白いのかというと、これが実に面白いのだ。おかげで読み始めたら止まらなくなってしまって、ノンストップ読破である。
スピンオフということもあって、シリーズの作品を読み終えていないと楽しめない。そんなことも含めて、どこに書きたいことを好き勝手に書いているという雰囲気があって、それがとても好ましい。
2022.03.15
3月15日といえば、アレである。確定申告の締め切りだ。
自営を続けて34年のオレは、今に至るもこの手のことはさっぱりわからない。だから34年前から顧問の会計事務所にまるっとお願いしている。
責任者は父親の高校の同級生だから、実にしっかりと手堅くやってくれていて、しかも格安で、なんの心配もない。まるっと任せて安心なのだ。
その3月15日を目前にした昨日3月14日、電子申請のe-Taxが落ちた。
e-Taxとは、関係ない人にはまったくどうでもいいことなのだが、要するにネットで確定申告できる仕組みである。
数年前まで確定申告は、書類を税務署に持参するか郵送するかしなくてはならなかった。オレは顧問に一切お任せだったからその面倒くささをしらないが、締め切り直前の税務署の混雑ぶりや郵送の手間などは相当なものだったようだ。ネットにするのは当然のことである。さすがデジタル先進国の日本なのだ。
その仕組みがe-Taxというものであって、e-Taxが落ちたというのは要するに確定申告ができなくなったということだ。しかも締め切り日の前日に。さすがデジタル先進国の日本である。
当然阿鼻叫喚かと思ったら、あにはからんやそんなことはなかった。システムが重い、遅いという程度の障害だったようだ。
と思ったら実はそんなことはなくて、今日になって「実は受け付けられていませんでした」ということがわかったりしたようなのだ。一番面倒くさいパターンだな。
オレの息子は中学2年で簿記2級をとった腕前を活かして、吉祥寺の会計事務所でアルバイトをしている。確定申告の時期なので当然その業務に忙殺されていた。その息子によれば、今日になって「実は受け付けられていませんでした」と判明したというのである。さぞや面倒くさかったことだろう。
こういうシステムは絶対に落ちてはいけないというのに、デジタル日本は何をやっているのだ。一番起きて欲しくないことは最悪のタイミングで起きるという、懐かしのマーフィーの法則そのものではないか。
笑っちゃうのは、そんな混乱のさなかに届いたメールである。
オレはとっくに国定申告を済ませてこのシステムダウンは関係ないと高みの見物を決め込んでいたから、このメールにはなんだなんだと驚いた。実は受け付けてませんでした、てへぺろ。そんな内容かもしれないと一瞬焦ったのだ。
ところが使いづらくて分かりづらくてUI最低のe-Taxのサイトでメッセージを確認してみたら、「ただいま絶賛確認中でーす」という内容だった。確定申告前日にシステムがダウンとすると言う大混乱のさなかに、そのシステムを使って知らせるような内容ではまったくなかった。何をやっているのだデジタル日本。こういうことをするからシステムに負荷がかかって、回復が遅れちゃうんじゃないか。
結局システム障害の原因は不明で、一生懸命対応中とのことだ。そして嘘か本当か、ネットの情報によれば、思い切って「えいっ」と再起動したら直ったのだそうだ。
やっぱ再起動だよねー。再起動は神。再起動すればなんでもやり直せる。人生だって再起動なのさ。
再起動のおかげでどうやらe-Taxも正常に戻ったらしく、それを見ていたみずほ銀行が「そうか、その手があったか」と膝を叩いたとか叩かなかったとか。
それはともかくこうして今年も確定申告の騒ぎが終わった。
やれやれ、毎度のことながら売上の低さと税金の高さにため息しか出ない、そんな春なのだった。
2022.03.14
読売新聞にちらっと載っていたが、コロナで亡くなった人のうちの3割が実はコロナが原因ではないというのだ。えっと思って読んでみた。
厚労省が「死因にこだわらずに亡くなったらコロナ死者とするように」と指導し、自治体は感染者が亡くなったら死因に関係なくコロナで死んだことにしているそうだ。
「死因にはこだわらない」とか「死因に関係なく」とか、どういうこっちゃ。ひどすぎないか、これ。
結果、誤嚥性肺炎や老衰で亡くなってもコロナ死として数えられているらしい。こりゃあ交通事故で死んでもコロナ死にされてるんじゃないか。
神奈川県の担当者は「コロナは軽くても油断できない」という頓珍漢な答えをしている。
うーむ、これはひどくないか。3割がコロナで死んだことにされているわけだから、日々のコロナ速報もまったく当てにならん。大本営発表じゃん、これ。
とオレは、驚くというか、怒るというか、呆れるというか、しばし思考が停止してしまった。
いやいや、これではいかんと、停止した思考を再び働かせてオレは、榎本憲男の新刊をアマゾンで見つけたので、ポチッと押した。榎本憲男はなぜかいつもKindleで読んでいるので、早速ダウンロードしてスマホで読み始める。
先日買い換えたXiaomiのスマホはすこぶる快調で、電子書籍も実に読みやすい。ahamoにしてもまったく問題なく、サクサク普通だ。
続けてAmazonで、郷ひろみの本を買う。最近、郷ひろみって実はすごいんじゃないかと気がついて(遅いか)、興味を持ったのだ。オレより年上であの体はすごすぎる。その辺りの日常について適当書き散らかした本が出ていたので、読んでみることにした。これは紙の本なので届くのは翌日である。
最近はいろんな本に手を出して、途中まで読んでは机の上に放り出しているので、読みかけの本が山積みになっている。このままフェードアウトする本も多いし、一方で再び読み出す本も多い。集中力が続かなくなっているから、こんなふうにすぐに飽きちゃうのかなあ。
少し反省する。郷ひろみを見習わなくては。
2022.03.13
大坂なおみが観客のヤジで試合中に泣いたというニュースに仰天する。観客の前でプレーすることでカネをもらっているアスリートのくせに、意味が分からない。なんというメンタルだ。
そんなことで泣いていたらサッカー選手なんて一日一回は自殺してるぞ。
特にアルビレックスの連中は。
というわけで、3連続引き分けのアルビレックス。勝てないなあと思っていたら、とうとう今度は負けてしまったでござる。
おかげで今は
19位 △△△●
という成績だ。これは分かりやすいな。これからも書いていこう。
去年は開幕13試合負けなしだったのに今年は13試合勝ちなしをやるつもりらしい。昇格どころか降格の心配をしなくてはならないようだな、オレたちは。
こんなときは八つ当たりをするに限る。
と思ったらちょうどいい手紙が来た。トヨタからだ。
書留が届いたので何だろうと思ったら、オレの申込書を紛失してしまったという。
何の申込書かというとTコネクトとかいうサービスらしい。申し込んだ記憶はまったくないのは、たぶんディーラーで契約するときに適当に丸を付けたりしたのではないか。そしてこのサービスを利用した記憶も、これで何か得した記憶も同様にまったくないから、まったく不要なサービスなのだろう。
そんな具合にまったくだらけのサービスなのだ。
届いた手紙を読んでみれば、住所名前電話番号はもちろんのこと、車種やパスワードまで記載された文書を破棄または紛失していたらしい。「再発防止に電子システム化を図る」というから、紙の申込書をなくしちゃったということのようだ。
これは恥ずかしい。
ファイヤウォールを破られてハッカーにデータを盗まれましたというならともかく、紙の束をなくしちゃいました、てへっ、というのは昭和の出来事。顧客の情報を電子化していなかったということは、実に情けないではないか。トヨタ。
ついては継続してサービスを利用するかどうか意向を聞きたいとのことだが、どうするかなあ。全然必要のないサービスなんだがなあ。
こんな恥ずかしい失敗をして、泣きたいのは大坂なおみではなくてトヨタだろう。
2022.03.12
我が家では土曜の夜はだいたい外食だ。
オレ自身が外食好きであることに加え、少しの間でもヨメに家事から解放されて欲しいという思いからである。実際、朝晩のメシだけでなく、在宅ワーカーであるオレの昼飯や、娘の弁当など、いったいどれだけ食事の支度をすればいいんだというぐらいに働いている。しかも文句も言わずに。
少しでもそれに報いることができればということで、外食だ。
とはいうものの、コロナになってからはなかなかそうもいかず、最近は娘の受験も控えていたので、外食はずっとできなかった。ようやく娘の受験が終わったことで少しずつ外食を増やしている。コロナについてはもう気にしない。
今日は回転寿司の銚子丸に行った。
いつもは昼しか行かないのだが、たまには夜に行ってみようと。なぜなら夜ならば酒が飲める。寿司屋で飲みながらつまんでも、回転寿司なら安く収まるだろうとの狙いだ。
そうした狙いを実行に移せるようになったのも、息子がクルマを運転するようになったことが大きい。クルマで飲みに行くという長年の夢が実現できたのだ。
夢の実現という割りには近所の回転寿司屋というのがしょぼすぎるが、まあ、いいのだ。
ビールを飲んで冷酒を飲んでいい気分になり、気が大きくなったところでコンビニによっていろいろ買って帰る。自分は飲めなかった息子も「一番好きだ」という金麦のロング缶を買った。
テレビを付けたら金曜ロードショーで「シング」をやっている。面白い映画だよねえ、これ。酔っ払ったうえにさらにセブン―イレブンで買ってきた缶チューハイを飲みながらオレは、家族の土曜日ってこういうことだよなあと満足する。
家族4人でこうして過ごせるオレは、たぶんとんでもなく幸せ者なんだろうと思う。足るを知り、不相応なことは望むな。そんなことを考えつつ、ウトウトとするのだった。
2022.03.11
歩き方には年齢が表れるから、外を歩くときは大股を意識している。広い歩幅でずんずんという感じだ。
急がない。小さい歩幅でこちょこちょ歩くと年寄り臭くて、何よりも貧相だからだ。ゆっくりずんずんという感じがよい。
だがこれが夜中にトイレに目覚めたときなどは、よろよろこちょこちょという感じになる。朝起きた直後もそうだ。
小さな歩幅で、しかもすり足になってたりすると、ハッと気がついて、ああ、なんてじじい臭い歩き方なんだ、いやだいやだ、と自己嫌悪に陥る。
いや、64歳になって、年寄り臭いのが嫌だも何もないのだが。
それはわかるのだが、それでも少しは抗おうという気になって、できるだけ広い歩幅でずんずんと歩くことを意識する。
年は取りたくないものだなあ。
などと愚痴りながら昨日発売された「文藝春秋」を電車で読む。まるで石原慎太郎特集のようだ。面白かったのは藤原正彦の中国攻撃である。
日本人は子供の頃から「嘘つきは泥棒の始まりですよ」と育てられ。しかし中国人は「人に騙されてはいけませんよ」と育てられる。
なるほど、だから中国人は息を吐くように嘘をつくのだ。嘘をつくことに何の罪悪感も持たないのだ。こんな国家同士が仲良くやっていけるわけがない。
そう藤原は説くのであった。
まあ、中国人もいろいろだからねえ。それでも確かに藤原正彦のいうことには納得できる部分が多いと感じた。
2022.03.10
我が家はずーっと声優を使っている。それじゃアニメの監督だ。使っているのは西友だ。
近所にスーパーは5軒もあって買い物事情は実に充実している。それなのになぜあえて最もしょぼい西友を使っているかというと、西武線沿線育ちのヨメの意向だ。
西武線沿線に育った人間は、否応なく西友こそが地上の楽園だと刷り込まれている。
サミットもライフもヨーカドーもクイーンズ伊勢丹も目に入らない。西友こそ唯一にして無二の一択。恐るべし堤兄弟。恐るべし西武エコシステム。
ネットで「あそこはソ連のスーパーのようだ。ロシアではない、ソ連だ」と言われるほどしょぼいのが西友である。買い物をしていてもちっとも楽しくないし、客の高齢者比率はびっくりするほど高い。
おかげで何でも安いのが一番の魅力だろう。しょぼさや店内の暗さは慣れてしまえば気にならない。高齢者がセルフレジにまごついたところで、温い目で見守ればよい。いつかはオレも行く道だ。そんなことより安いのが一番。
生鮮がしょぼいのはいただけないが、それさえ目をつぶれば許容範囲だ。
そんな西友なのだが、セゾンやウォルマートに見切りを付けて楽天カードの導入に踏み切ったのには驚いた。今までは5%割引に惹かれてセゾンカードを使ってきたが、これからは楽天カードを使わないといけないのだろうか。
楽天カードは、職業欄に「海賊」と書いても審査が通るという噂がある。そのほかにもいろいろ書きたいことはあるのだが、ちょっと差し障りがあるのでこのへんでやめておこう。
とにかく西友を使うなら楽天カードが便利ということになるのだろうか。
こうなってくると西友のために使ってきたセゾンカードが不要になる。
今のところ諸々の買い物はセゾンカードで、車関係はトヨタカードと使い分けているが、これを機にカードの集約を図るべきかもしれないなあ。それはそれでとても面倒な気がする。
2022.03.09
午前中は自宅で原稿を書き、午後は出かけていってインタビュー仕事をこなす。
暗くなって帰ってきて、まず風呂に入り、そして明日の準備をして晩ご飯。
今日はこんな一日だったのだが、これって案外理想的じゃね? と思った。
30代の頃は朝から仕事をするなんて考えられず、その代わり夜ならいくらでも遅くまで働けた。早起きするぐらいなら徹夜しちゃうぜ、ってなもんである。
今やまっくた逆転。徹夜するぐらいなら早朝から起き出してやったほうがいい。
昔は椎名誠が朝の6時から原稿を書き出して午後に打ち合わせを重ねて、暗くなると同時にビールを飲み始めると聞いて、オレにはとても無理と思ったものだが、気がつけば同じような生活になっている。
長州力の高校時代の恩師へのインタビューを読んだら、この人も暗いうちから起き出して、日中に畑仕事などで汗を流したら、3時頃には風呂に入って7時頃に寝てしまうと言っていた。
そすがに極端とは思ったが、あり得ない生活ではない。というか昔の人たちはそういうリズムで日々を過ごしていたのだろう。
年を取ると人間はだんだんと先祖返りするということか。違うか。まあいいや。
昨日は今日と逆で朝からインタビュー仕事があって午後に原稿仕事だった。これはこれで一日を有効に使えた感じがする。
いずれにせよ、さして無理の利く年ではなくなったことは確かだ。
「欺す衆生」月村了衛・新潮文庫。話のテンポがよくて文章が平易だから、抜群のリーダビリティだ。すいすい読めてとても面白い。面白いのは確かだが、一方でうんざりもする。なぜなら出てくるのが人間のくずみたいな連中ばかりだからだ。そいつらだ詐欺を働き、暴力を働くという物語。あの豊田商事の残党たちが、結局は詐欺を働くしか生きていく道はなく、原野商法や和牛商法などに手を染めていく。当然のことながら途中から裏の世界の連中がからんできて、困ったことにこいつらがやたらと魅力的なキャラクターに描かれているのだが、こういうイリーガルな人間たちのドロドロとした悪事が続いていくという小説だ。とても面白いのですいすい読めていくのだが、心の中はうんざりするのだった。
2022.03.08
昨日、そんなことを書いたのを見られたのか、今日突然かかってきた電話が、いつの間にか取引先の会社を辞めていた人からだった。
その時オレは秋葉原の駅の中でカレーを食べていた。カツカレーである。昼飯時で、面倒だったので立ち食い蕎麦で済ませようと思ってフードコートに入ったのだが、ついふらふらとカレーに吸い寄せられてしまったのだ。
これがカレーマジック。ほんとにカレーって魔術師だよなあ。ついふらふらと吸い寄せられるように食券を買ってしまった。
特に旨くもまずくもないカレーだった。というか、まずいカレーってあんまりないような気がする。それでもせっかく秋葉原まで来たのだから、アルパカレーを食べればよかったと後悔した。
旨いぞ、アルパカレー。石川県の加賀のカレーだ。時々レトルトの持ち帰りを買って帰るぐらい、気に入っている。
先ほど店の前を通ったけれど昼時で混雑していたから立ち寄るのをやめたのだった。スルーしないで寄ればよかったなあ。
などと後悔半分でカレーを食べていた時、スマホが鳴った。
そもそもなんで秋葉原にいたかというと、娘のiPhoneを買うためである。女子のiPhoneが必ずそうであるように、娘のiPhoneも画面がバキバキに割れている。女子はみんなそうだ。どうして女子のiPhoneは必ず割れているのか、男子としては不思議でたまらない。ついでにどうして女子のiPhoneは写真や動画でストレージが満杯になってしまっているのだ。これも男子としては理解できない。
だがこの春から大学生の娘が、新しくできた友達から「この子のiPhone割れてる。バキバキじゃん。だっさ」と思われてはかわいそうだ。特に田舎の小娘たちは、東京さ出ていぐのに新品のiPhoneでなげればバカにされっぞ、と金持ちじいちゃんが14万円払って買ってくれたiPhone13をもたされているに決まっているから、石川あたりの小娘から「なーんだ、東京の女子ったってバキバキのiPhoneを買い換えるカネもねえんだずら。貧乏だずら」とバカにされては癇に触る。
ならばお父さんがバキバキじゃないiPhoneを買ってきてやると宣言して、朝から大手町で日本を代表するメガバンクの役員クラスに衆人環視の中でインタビューするという難ミッションを果たした後に秋葉原に向かったのである。
もっともそもそも当初から新品のバカ高いiPhoneなんて買う気はない。先日、息子にiPhone6の中古を買ってやった経験から、iPhoneなんて中古で十分だとわかったから、当然中古専門ショップを訪ね回る。
娘からは「ボタンがついてなくて画面の大きいヤツ」というリクエストを聞いていたので、iPhone10を買った。ちょっと予算オーバーで4万6千円だった。安いのだと3万1千円からあったが、まあいいだろう。
本当ならオレも安いOPPOの中古なんかを買って遊びたかったが、贅沢は敵だと諦める。ちょうど顧問会計事務所から確定申告の書類ができあがってきていて、売上も収入も昨年よりダウンしていたから、財布に余裕などまるでないのだ。
息子は「来年から年金がもらえるからいいじゃん」というが、ばかたれ、年金で生きていけるわけがなかろうとオレは立ち尽くす。メガバンク相手の割に合わない難仕事でも引き受けざるを得ないし、そうやってコツコツと小銭を稼ぐしかないのだ。アリはいつまでたってもアリなのだ。
というわけで娘のために手に入れた中古iPhoneの袋をテーブルに置いてカレーを食べていた時に、その電話は鳴ったということである。
見知らぬ番号だった。
面倒だし、食事中だから、スルーしようかと思った。だがahamoに変えてから、留守番電話機能が使えなくなった。これが案外面倒。なかなか止まる気配はないし、仕方ないからスプーンを皿に置いて電話に出ることにした。まだカツがたっぷり残っている。
そして出たらば、先日、いつの間にか会社を辞めていて愕然とした元担当者であった。
あらー、何やってんすか、へー、そうすか、恵比寿ですか、今度そちら行きますわ。
そんな会話をして電話を切り、再びカレーを食べる。こうしていつの間にか辞めた人から連絡がくるというのはなかなか珍しく、覚えてくれていたこと、そして連絡を取ってみようと思ってくれたことに感謝する。オレも案外見捨てたものじゃないな。
もちろんこれがそのまますぐに新しい仕事に結びつくなどという甘い展開は期待できない。まあ、種を10や20撒いて、やっと1つ花が咲けばありがたいのが、この商売。それでオレは34年やって来た。
カレーを食べ終えてiPhoneの袋を手にし、そのままオレは山手線のホームに向かう。家で留守番をしている娘はきっと喜んでくれるに違いない。その喜ぶ顔が見たくて、ただそれだけのために買ったようなものだ。
2022.03.07
よく一緒に仕事をした担当者が、最近顔を見ないなあと思ったら実は既に辞めてしまっていたということは別に珍しいことではない。オレの場合でも数人はそういうケースがある。
退職も転職も決してネガティブなことではない。
残念なのは、半数ぐらいが何の連絡もなく辞めちゃってるということだ。
いや、別にオレに仁義も切らずにどういうことだとヤクザのように因縁付けているわけではない。単に、一緒に仕事をしたのに寂しいなあという話である。
これは、挨拶しない相手が云々ではなくて、挨拶されないオレ自身が云々ということだ。人望がない。オレが相手を思っていたほど、相手はオレを大事に思っていない。そういうことだろう。
フリーランスとして仕事を続けるに際していつも思ってきたのは、常に最初に仕事の相談を持ち掛けられるファーストコールの相手でありたいということだった。現実は決してそうではないというわけで、これはがっくりとくる。メンタルやられる。
ああ、情けないなあ、オレって。
などと反省しつつ、今日は朝からリモートミーティングで午後はリモートインタビューが2つ、そして夕方には再びリモートミーティングとリモートまみれの一日だった。
リモートは移動がなくて楽だし、交通費もかからない。いい事ずくめである。
西友で買ってきたコーヒーとお茶を飲みながら、パソコンの画面と向き合ってふにゃふにゃと話しかけるのだった。
2022.03.06
中華スマホゆえか、操作にちょっと違和感があるが、それも含めて大変に良くできたスマホである。Xiaomi。
これだけのスマホがあっと驚く低価格で手に入るんだから、XperiaやARROWSも形無し。iPhoneの新しいのが14万円ぐらいするらしいが、こちらはその3分の1以下の値段で買えるのだから、中華、恐るべしである。
今日はその中華スマホに、今まで使っていたXperiaからの乗り換えを敢行した。
機種変更はけっこう面倒だからな。SuicaやPayPayなどの電子マネーや新幹線のチケットを買うエクスプレスものなどは特にやっかいだ。手順を間違えると、とんでもなくややこしい。
入念に準備して進める。
とはいえ中華とXperiaを並べて置いておいたら、勝手に動機が始まって、アプリも全部勝手にダウンロードしてくれていた。これは楽ちんである。ついでにオレのデータも全部中華に吸い上げられてしまったに違いない。
面倒なのは無印良品のアプリだ。
これは以前も間違えてしまい、結局解約して再加入してしまったためにポイントが全部チャラになった苦い記憶がある。あのアプリはなんであんなに不親切なんだろうと思うぐらいの面倒くささだ。
今回は慎重に行ったことで、これも問題なく移行に成功。
というわけで午前中には完璧に中華スマホが使えるようになり、昼に食べた銚子丸の支払にSuicaを使って問題なくできたので、ホッと一息である。
ホッと一息をついたらあとはすることがない。
そこでSIMを抜かれてWi-Fi専用機に堕ちてしまったXperiaを手に、ヨメにこっちのスマホに乗り換えろとオレの中古を押しつける。ヨメはAQUOSを手におびえる。
その様子を見ていた息子が「どうせSIMをいろいろと挿してみたいだけだろ」と呆れた声を出す。やっぱりバレたか。仕方ない。今度秋葉原に行ったら別の安い中華スマホを中古で買って、いろいろと遊んでみよう。
SIMフリー時代は楽しいなあ。
2022.03.05
勝てないなあ。勝てない。勝てないのである、アルビレックス新潟が。
今日はレノファ山口を相手に1-1。これで開幕以来3戦連続引き分けだ。0勝0敗3分け。
3試合やって勝ち点3だ。このままいくと42試合で勝ち点42という珍しい記録の誕生である。
3試合やって結局1勝2敗の勝ち点という計算になるし、いやいや、相手から2点を奪っているのだから2敗と2分けの差は大きいという見方もできる。
しかしここは、前向きに考えようじゃないか。
前節は大宮相手に0-2から2点差を詰めて追いつき、今日は0-1からやはり追いついて引き分けだ。先行して勝つしかなかった去年だったら、相手に先制された時点で勝つ気がしなかったので、まだマシである。
それにまだまだシーズンは序盤。しばらくはこのまま注意をキープして、夏からフルスロットルでもいい。
新しい外人も決まった。ポルトガル人である。名前はデゲスだ。
「はじめまして、私はデゲスでげす」という挨拶をするらしい。
ポジションはフォワード。なにしろ今年のアルビレックスはフォワードが大ピンチだ。今日先発した矢村のことをオレは強く推しているのだが、しかし目を覆わんばかりの出来だった。酷い。酷すぎる。
フォワードとして致命的なパフォーマンスだった。
推しているオレでさえ、矢村はJ3チームへレンタルして鍛え直すべきだと思ったほどである。なにしろ矢村も大卒3年目。ギリギリの崖っぷちだ。
選手としてはもう若くはないし、ここで残れなければ社会人経験ゼロの25歳として放り出されてしまう。踏ん張ってくれ、矢村。
などと考えつつ、今日は娘の高校の卒業式である。
式に出席できる保護者は1名だけということでヨメに出てもらった。
驚いたことに娘は高校の3年間、遅刻無欠席だった。一度も休まず、一度も遅刻せず、雨の日も風の日も夏の日照りの熱さにも黙々と通い続けたことになる。こりゃすげえや。
おかげで娘は表彰されてご褒美に3000円の図書券をもらってきた。ついでにクラスの代表として卒業証書も受け取っていた。
その後、娘はクラスや部活の仲間とぐだぐだと過ごした後に帰ってきた。コロナだからみんなで帰りにサイゼリヤに寄ったりしてはいけなくて、まっすぐ帰らなくてはならないらしい。ちょっとかわいそうだが仕方ない。
帰ってきた娘に、制服の胸のボタンを下級生にねだられ頭をかいて逃げたのか、と聞く。頭がおかしいのはとうさん、あんただと怒られる。
ああ、卒業式で抜けないと、冷たいはげーと言われそう、と歌ってごまかすオレであった。
2022.03.04
いやあしかし、ガチでこれだけの戦争をリアルタイムで体験できるとは思わなかったわ。原発攻撃とか、びびるわ。
などと震えながらオレが向かったのは、秋葉原。久しぶりである。コロナになってから初めてじゃないかな。
人はさすがに少ないが、メイドちゃんたちは依然として元気である。
オレに向かって盛んに声をかけてくるが、鬱陶しいことこの上ない。なにしろ娘と変わらない年齢なのだ。チミたちとお話ししたりするためにカネを払うぐらいなら、娘と一緒にサイゼリヤで豪遊するわ。
などとつぶやきながらまず向かったのは、アキバのヨドバシカメラ。
娘が大学生になるのでパソコンが必須となるため、その市場リサーチだ。半導体不足が何か影響しているかと思っていたけどそんな様子はまったくない。価格的にも落ち着いている感じだ。
おおよそのスペックと価格を見定める。大学によってはOfficeが無料で使える(息子の大学はそうだ)ので、進学先が決まってから買うつもりである。
ついでにiPadも必要だ。我が家には6枚ぐらいiPadが転がっているので、そのどれかを使えばいいと思うのだが、古くなって音量調節がきかなくなっていたりするので、やっぱり新しいのが欲しいという。仕方ない。
ヨドバシのMacintoshコーナーに立ち寄る。このコーナーはAppleの連中が鬱陶しいんだよな。しかもヤツらは明らかに人を見下す。意識の高い人たちなのだ。特にオレのようなおっさんに対しては露骨である。
iPadを持ち帰りできるかと聞いたら「在庫があれば」という素っ気ない答え。どうせ素人の冷やかしだろうと決めつけているのがありありである。もちろんこんなところで買うつもりはない。ネットだ。誰がAppleなんかとしゃるべもんか。
いかんいかん、ロシアのせいで妙に攻撃的になり、ウクライナのせいで妙に被害者意識が強くなる。たぶんAppleは決して見下してはいないのだ。
パソコンとiPadの市場調査は終わった。
そこで次の目的である中古スマホ作戦に移る。
息子はiPadにすべての教科書とノートをぶち込んでいて、授業もiPad一枚持ち歩けばそれで済む。ただスマホがAndroidなので、iPadをいちいち立ち上げないといけないところが面倒らしい。
iPhoneをもっていれば、電車の中で思い立ってノートの中身を確認したくなったときでも、ささっと簡単に済ませられるというわけだ。そこで安いジャンクなiPhoneをアキバで買ってきてくれと頼まれたのである。
アキバの中古専門店をいくつか回る。特にジャンクな店は凄まじいぞ。
昔のレコード店のような店では段ボールにノートパソコンがレコードのごとく立てて並べられており、客はレコードを1枚ずつ確かめるようにノートパソコンを1枚ずつ引き出して確かめている。1枚1000円ぐらいからある。仰天価格だ。
もちろん1000円となるとWindowsさえ入っていないし、ちゃんと起動するかもわからないので部品取り専用となる。だが5000円も出すつもりなら古くても十分に使えるノートパソコンが手に入る。急場しのぎにもぴったりだろう。
ハードオフの地下フロアはまるまるジャンク品のコーナーだ。ここも楽しいが、オレの地元の大泉学園のジャンクコーナーのほうが充実しているのではないか。
こうしてメイドたちの嬌声を浴びつつ秋葉原の裏道をうろうろしてジャンクなiPhoneを探す。見つけた最安値が3980円だった。iPhoneのことはよく分からないがたぶん三世代くらい前じゃないか。通話はできるようだ。
そんなふうにいろいろと歩き回ってジャンク品を見て喜んでいたら、じゃんぱらで新品同様のXiaomiを発見。Xiaomiは中華スマホで、その高スペックぶりに、オレは久しぶりに物欲を刺激されている。今はネットでポチる寸前までいって、なんとか耐えている状態だ。ここで見つけたのは、なんとネットより1万円も安いXiaomi。しかも付属品は全部そろって新品同様。
こ、これは買うしかないのでは。
問題はahamoに対応していないことだ。ネットの情報では問題なく伝えるとのことであるが、ahamo側は公式には認めていない。おお、ワクワクするねえ。なんとかして使ってみせようじゃないか。
ということでXiaomiの購入を決心。店員は片言のインド人で、スペックの説明などを聞き取るのには苦労した。
そしてこの店にはジャンクiPhoneも並べられていて、こちらは6000円だったが、Xiaomiと一緒購入する。iPhoneについてもインド人が説明してくれて、つまりはバッテリーが90%しか充電できないこと、傷があること、画面がちょっと浮いていること、docomoのSIMしか使えないことなどがジャンク品の理由だった。
もちろんそれでよい。十分である。
こうしてオレは当初の目論見通り、いや目論見以上の戦利品を手にし、大満足で秋葉原を後にしたのである。
夜、友達と晩飯を食って帰ってきた息子に、戦利品のiPhoneを渡す。息子は大喜びで立ち上げ、いろいろといじりまくって、iPadとの接続に成功する。
ついでだからと自分のスマホからSIMを抜いてジャンクiPhoneに挿してみる。すると問題なく認識して、問題なく通話ができた。
おお、いいではないか。ジャンクiPhone。
ただiPhoneのSIMを挿すところの穴が実に小さくて、お裁縫の針の細さ。SIMを挿したはいいが取り出すのにえらい大騒ぎとなったのには参った。やっぱりAppleは意地悪である。
2022.03.03
本日発売の雑誌『BRUTUS』が歌謡曲特集というのを掲載している。
表紙を見てびっくり。でかでかと「歌謡曲特集」と書かれてあるのもそうだけれど、西城秀樹の顔写真がどでかいアップで載っているのだ。
ほえー、西城秀樹は歌謡曲のアイコンだったのか。
マジかよと思ったけれど、落ち着いて冷静に考えてみれば、確かに山口百恵や松田聖子、美空ひばりなどよりよほど歌謡曲の人らしい佇まいだ。若くして亡くなってしまったこともアイコンらしいと言えば言える。
アイコンとしての一番の決め手は大衆性だろう。「ヒデキ感激!」のハウスバーモンドカレーは西城秀樹にしかできなかったし、昭和の老若男女が踊り狂った「YMCA」は大衆性の極みだ。
西城秀樹が亡くなったというニュース速報が流れたとき、定食屋でメシを食っていたオヤジ連中がいっせいに箸を止めてテレビに見入り、そのニュースが終わったら再び黙々とメシを食べ始めたというエピソードは以前も書いたけれど、これも大衆性に通じる話だ。
昭和の何かを共有するときのアイコンが西城秀樹なのかもしれないなあ。
ロッド・スチュワートばりのシャウトはかっこよかったけれど、今のオレは「ブルー・スカイ・ブルー」が好きだな。
ちなみに「激しい恋」の「やめろっと言われてもっ」の後に1小節の間が空いているのは、「ひできっ!」という掛け声を入れてもらうためで、日本でこうしたコール&レスポンスを仕掛けたのはこの曲が初めてだったと作曲家がどこかで話していた。
ん? 郷ひろみの「君たち女の子っ」「ゴーゴー」のほうが先じゃね? まあいいか。
そんなわけで表紙にアップで載った西城秀樹の写真に惹かれて問答無用に買ってしまった『BRUTUS』。内容は玉石混淆だったものの、それなりに楽しめた。
近田春夫とか小西康陽とかクセのある書き手がいたり、山口一郎(サカナクション)が中森明菜を熱く語ったり、もと少年隊の錦織一清がテレサ・テンへの思いを寄せたりと、なかなかの味わいである。
大江千里が松田聖子とのレコーディングについて語った、3回以上歌うと上手になり過ぎちゃうので適当なやっつけで録音するぐらいでちょうどよかったというエピソードには驚いた。藤井フミヤが田舎で初めて見たコンサートが山口百恵だったという話では、オレが初めて見たアイドルのコンサートが田舎の動物園へ営業でやって来た岡崎友紀だったか南沙織だったか、どっちかだったなあと感慨に浸った。
コーラスの伊集加代は、スタジオに入るまで何の仕事か知らず、楽譜を受け取って初見で歌って、すぐに次のスタジオに移動する、そんな日々だったそうだ。
こうして書くとなかなか興味深い記事ばかりのようだが、一方でコスプレグラビアなんていう無駄なページもある。
「東京娘」「パパはもうれつ」なんて隠れた名曲を特集するページでは畑中葉子の「丸の内ストーリー」の「乱れた口紅はキャリアで隠すのよ」なんていう暴走フレーズを紹介。このあたりの昭和アイドルB級ネタは、ダテ君が超絶詳しい。
とにかくダテ君のアイドル知識はハンパなくて、よくぞここまで無駄知識を極めたものだと唖然とさせられる。ここまで極めればもはや芸だ。誰かダテ君のあの無駄知識を活かす方法を知らないか。あのままではもったいない。
それはともかく、高校生の娘にこの『BRUTUS』を渡したところ、大変喜んでじっくり読んでいた。娘は昭和歌謡が大好きなのである。
突然「大都会」が聴きたいととか、「水色の雨」がすごいと言い出したり。最近では「買い物ブギ」がお気に入りだ。
そこでYouTubeで「買い物ブギ」を見る。笠置シズ子のオリジナルはともかくすげえよ。
ただ買い物するだけという状況を大阪弁でまさに立て板に水でまくし立て、「ややこしややこし」と愚痴をこぼす。なんというアナーキーさだ。
しかもオリジナルでは「わしゃつんぼで聞こえまへん」「これまためくらで読めません」という超弩級の放送禁止用語が堂々と使われている。カバーではこれを、耳が不自由で聞こえないなどと言い換えているが、まあ、アナーキー過ぎる。
カバーで出色なのは久和田佳代のパフォーマンスだ。この歌手もバンドも知らないけれど、なかなか完成度の高いカバーだぞ。
などと「買い物ブギ」を見ながら盛り上がっていたら、とうとう息子が我慢できずに「どうしてマツケンサンバをやらないのだ」と絶叫し、そして強引にYouTubeでマツケンサンバUを流し、続けてマツケンサンバVまで流した。
このマツケンサンバVというのが、どこをとってもまったくサンバでないというデタラメさに加えて、こんなんでいいんだよというやっつけ感満載のコラージュビデオが抱腹絶倒。こちらもぜひご覧あれ。どんなときでも元気が湧いてくること必至である。
大衆性ということではこれ以上の大衆性はなく、マツケンサンバこそオレたちの歌謡曲がたどり着いたポラリスなのかもしれないなあ。
2022.03.02
いま服用している薬の副反応で、咳が出る。
勘弁して欲しいものだ。電車で軽く咳き込んだだけで周囲の冷たい視線を浴びる時代である。こないだなんか隣に座っていたおっさんが席を立って出て行ってしまったぞ。
「でも、まあ、いいじゃん」。
かかりつけのナカムラはそう言うのである。仕方ない。オレも諦めて薬を飲み続けることにする。
加えてオレの場合、よくむせる。誤嚥だ。餅とか蒟蒻畑とか絶対口にしないようにしているほど、ガチでむせる。
だから咳が出そうになったからお茶を飲んで鎮めようとして、あろうことか器官にお茶が入ったりしたら、もう悲惨である。電車の中でそんなことになったら車両から人が消えてしまいかねないから、咳が出そうになったら、十分に注意してちょっとだけお茶を口に含んでいる。
さらに最近、どういうわけか、鼻水がだらだらと流れてくしゃみも出るようになった。
咳に、誤嚥でむせて、鼻水が流れて、くしゃみが出て、これらが一度に起きるとこれはもう救いようのない悲惨なことになってしまってもはやこの世の終わりの気分になる。どういうことなんだ、いったい。
「花粉症だね」。
ヨメはそう言い放つのである。う、うるさい、冗談じゃないぞ、オレはそんなものとは無縁だ。しょうがない。症がなければ花粉症はただの花粉。
わけのわからないことを言ってその場を誤魔化し、そしてオレはまた咳き込みながらくしゃみをするのであった。
2022.03.01
どこかの中学校のPTAで配られた文章表記ルールが話題だ。

友達の「達」は鎖につながれた奴隷という意味らしいから、NG。
「忙しい」し心を亡くすと書くから「ご多忙中」はNG。
こんな具合に細かく定められていて、これは名刺だが、他にも動詞や形容詞にもたくさんのNGがあるという。
どうやらPTAというのはこういうおかしなルールをたくさん作って、守らせることに命を賭けているおばさんたちの集団らしい。「うんざり」という声が聞かれるのもわかる。
「達」がダメなら達磨もダメか。広島の達川もダメか。古いか。
最近は筒井康隆が「美人、美女がダメとはどういうことだ」と怒りまくっている。行きすぎたルッキズムだな。
オレみたいにやたらハゲを連呼するのはダメだが、美人、美女もNGというのはどうなんだろう。デブ、チビは既に放送禁止だし。そのうちおめめぱっちりとか、すらっとスリムとかもダメになるのだろう。
オレが書く原稿も、クライアントによって細かくNGが定められている。
中には体にまつわる表現は一切ダメというケースもある。
目指す→めざす
自分の手で→自分の力で
膝詰めで→一緒になって
という具合だ。
明らかに行きすぎのような気もするが仕方ない。こちらは言われたままに従うだけである。
以前から「片手落ち」は身体障がい者への差別用語に当たるというので放送禁止ではあった。今では障がい者という呼称そのものが問題にされている。
人を傷つけるのはまったく本意ではないのでこのあたりは十分受け入れられるのだが、PTAのルールはほとんど言葉狩りだから笑っちゃう。そのうち使える漢字がなくなっちゃうんじゃないか。
2022.02.28
池上彰が日経新聞の朝刊に書いている。
「ロシアという国名の語源になった『ルーシ』は、9世紀ごろに現在のウクライナ地方に存在していた国家です」。
その後13世紀ごろにモンゴルの侵略を受けて滅亡すると、残った勢力がモスクワに移って、やがてロシア帝国になったそうだ。
「つまりロシアのルーツはウクライナにあるのです」。
なるほど、そういうことか。確かに息子も、ロシアの側に立つとウクライナへの思い入れが特別なものであることがわかると言っていた。ロシアにしてみれば、もともとオレたちの国だったじゃないかウクライナは、ということか。
オレは世界史はからきしだったから、いろいろ勉強になるなあ。
待てよ、ウクライナがかつては“ルーシ”という国だったとしたら、あいつはどうなのだ、ベラルーシは。
起き抜けにふとそんな疑問が浮かんだので、布団の中でスマホをいじる。まったく便利になったものだ。オレは夜中に目が覚めて、日中に書いた原稿のことを振り返り、もっとうまいフレーズが浮かんだところでスマホにメモするということがよくある。それをGoogleKeepでパソコンと共有するわけだ。本当に便利だ。スマホは神。
寝ぼけた頭で調べてみたらビンゴ。ベラルーシはかつてモンゴルに支配されていて、その時に“北のルーシ”と呼ばれていたという。なるほど、ウクライナ、つまり北にあるものな、ベラルーシは。
そしてモンゴルでは方角を色で表すことがあり、北は白。そして白が“ベラ”なので、白いルーシは北のルーシ、つまりベラルーシというわけだ。なるほど、勉強になるなあ。
確かに高校生の頃には白ロシアという国があると教わった記憶がある。これがベラルーシだったのか。
へえ、つながった。まったく無知というのは恥ずかしいことだ。
そんなことを考えながら、今日は世田谷区の高校へ仕事に行く。高校生たちにインタビューするのだ。世田谷は電車で行くとぐるっと遠回りになるが、クルマだと環八を一直線でとても近い。ロシアからウクライナみたいなものだ。
明日が卒業式という女の子たちに話を聞く。オレの娘と同い年だ。
高校生らしく最初はふざけたり、面倒くさがったりして、こちにの質問にもまともに答えようとしない。
しかしオレが言葉の一つひとつを確かめるように聞く姿勢を見せていると、次第にこちらと正対して真面目に答えるようになり、そして自分のホンネを真っ直ぐに口にしてくる。
なるほど、大人が正面からちゃんと聞いてくれるのは、子供たちにとっても嬉しいことなんだろう。教育関係者にとっては何を今さらの当たり前のことなのだろうが、オレは改めて納得する。
高校でどんな授業がよかった? と問うと「世界史や日本史」と答える。
「今まで日本が被害者だと思っていたことも、外国から見ると日本にも原因があったんだとわかった。争いごとも片一方だけの責任じゃないって、視野が広がった。だから今のウクライナも広い視野で見なきゃって思う」
いいこと言うじゃないか、女子高生。君はいま池上先生と同じことを口にしたぞ。
白ロシアとベラルーシが同じだったことを今まで知らなかったオレよりずっと立派だ。
祖国を守るためにいったん逃げ出したポーランドからウクライナに逆戻りした男たちがいる。ロシアの戦車の前に立ち塞がって、体を張って食い止めている男たちがいる。そんな連中の姿にウクライナという国への熱い思いを感じ、同時に戸惑うロシア兵士たちの心情にも思いを寄せたくなる。
ロシアの兵士たちも2000年代の生まれだったりするから、世田谷の高校生たちとさほど変わらない若者なんだ。
2022.02.27
改めて調べてみたら、docomoの利用期間はなんと29年8ヵ月にも及んでいた。自分でもちょっと驚いた。約30年じゃないか。
フリーになって3年目ぐらいに契約してからずっとdocomoだから、確かにそれぐらいになる計算だ。よくぞ今まで使い続けたもんだ。
当時は携帯電話の端末は買い取りじゃなくてレンタルだったから、保証金20万円を払わなくてはならなかった。それは後でそっくり返ってはきたが、その間、20万円をずっと寝かさなければならなかったわけだ。酷い制度だった。
携帯をもっている人はあの頃ほとんどいなくて、街の中や駅で通話していると変な目で見られたものである。それが嫌で、オレはほとんど通話はせず、外から事務所の留守番電話を聞くために使っていた。
当時の固定電話の留守番メッセージは小型のカセットテープに録音する方式だった。つまりアナログだ。それを遠隔操作で聞くために電話して、そして暗証番号などを入力してテープを巻き戻して再生したわけだ。もうちょっと昔になると音響カプラーという機械を受話器に当てて操作する仕組みだった。何とも大げさである。
オレはフリーで仕事をしていたから、メッセージはほとんど留守番電話に入っていた。多い日で23本の留守番メッセージが入っていたことがある。
今ならそれがメールだから、一日外出していたら23本のメールが入っていたという感覚だ。少なくはないが決して多すぎることもないだろう。そしてメールの返事を書いている間に新しいメールが入ってきてグダグダになるのがお約束なように、23本の留守番電話を聞き返して折り返したりしているうちに新しい電話がかかってきてグダグダになっていたものだった。
当時は留守番電話を聞くために駅で公衆電話を探さなくてはならず、そのために数分間の足止めを食らうことになる。その時間がいかにももったいなく、歩きながら事務所の留守番電話を聞きたいと考えて携帯電話を手にしたのだった。
だから音声通話はめったにしない。かかってきても出なかった。
そういう時代だったのである。
なんで突然docomoのことなんて振り返っているかというと、ずっと切り替えようと思っていたahamoに、今日やっと切り替えたからだった。これで29年8ヵ月続いたdocomoとの縁が切れたのである。つーか、ahamoもdocomoの一部だから完全に縁が切れたわけではないが。
手続きが面倒との話ではあったが、やってみたら特に面倒なことはなかった。1、2ヵ所、ちょっと戸惑ったがよく読んで進めればどうということもなかった。
今ある端末を使って切り替えたので、手続きが終了して「ahamoに切り替えました」というメールをもらっておしまい。何が変わったのかもわからないくらい、使用感はまったく変わらない。拍子抜けというか、あっさりしたものだ。
シミュレーションしたところ、これで我が家のスマホの通信費は一挙に3分の1に下がることになる。これはデカい。かなりデカい。切り替えない理由はない。もし何らかの不便さを強いられることになったとしても切り替えない理由はない思うぐらい、圧倒的な安さだ。
安さという点ではJ:COMも検討したのだが、こちらは今ある端末が使えず、端末ごと買い換えなくてはならなかった。これでは節約にならん。というわけでahamoにした次第。
とは言うものの、いずれ端末も5Gに買い換えることになりそうだ。その場合はどうするんだろう。
docomoのオンラインショップで買えばいいとのことだが、ろくな端末がないし。
実はXiaomiを使ってみたいと思ってるので、ネットで買って試してみようかなとも思っている。
30年前、初めて携帯電話を買った日から振り返れば、ずいぶんといろんなことが変わったものだ。
2022.02.26
大宮の街は春の陽気である。気分がよい。
髪〜が抜けて たば〜になって 流れてゆきます
もーすぐ は〜げですねえ〜
などと歌いながら、オレと息子は呑気に歩く。
向かうのはKNACKファイブスタジアム。大宮駅から徒歩15分のスタジアムだ。
そうである。今日はアルビレックス新潟が大宮なんていう片田舎に乗り込んでアルディージャと対戦するのだ。今シーズン2戦目。全42試合の早くも2戦目なのである。
アルティージャはユニフォームがオレンジで、名前にアルがつくところも一緒だ。しかも大宮と新潟の間は新幹線で1時間半。クルマでは3時間。昔から上越線決戦と呼ばれているほどの因縁の相手だ。
これで燃えないわけがない。
キックオフは2時である。オレたちは1時間前には着席できるよう、余裕を持って家を出た。ゴール裏の自由席だと座席を確保するために開場の2時間前には並ばなくてはならず、ということは10時に到着するために9時に家を出る必要がある。
だが声を出せない、チャント禁止となってからはゴール裏はやめてアウエー指定席にしている。だから座席取りに並ぶ必要もなく、呑気に10時半に家を出てメシを食って1時に着席すれば余裕で練習風景から見られるのだ。
もうすぐハゲですねぇと歌いながらオレたちは、腹が減っては応援もできないということで、スタジアムに到着する前にメシを食うことにする。アウエーゲームの楽しみの一つがスタジアムに特設の屋台、通称スタグルなのだが、KNACKファイブスタジアムのスタグルは実にしょぼい。甲府のスタジアムとおんなじぐらいにしょぼい。去年の秋に行った群馬のスタグルはなかなか素晴らしかったが。
というわけでまずは街の中でメシを食ってからスタジアムに向かうことにし、オレたちは呑気にラーメンを食った。
最近の息子は油そばが大好物なので、今日も油そばである。オレは豚骨チャーシュー麺だ。喉が渇く。
メシを食っていると12時になった。キックオフの2時間前なので、先発が発表される。おお、今日は至恩が先発か。高と藤原がいないのはターンオーバーか。まあ、大宮ならちょろいからな。トレーニングマッチのつもりでも行ける。オレたちは興奮しつつも呑気に戦術を話し合う。
ラーメンを食い終えてオレたちはまた大宮の街を呑気に歩く。お茶が買いたいねえと言うのだが、田舎の大宮にはコンビニすらもない。仕方なくKNACKファイブスタジアム近くの自販機で綾鷹を買った。腹立たしいことにこの近辺の自販機にはことごとくアルディージャのロゴが入っている。
KNACKファイブスタジアムへは有名な氷川神社の境内を通っていくのだが、敵地の神社に頭なんか下げられるかと、オレたちは境内を通る道は選ばず、呑気にその外側を通ってスタジアムに向かったのである。
アウエーでサッカーを見たことのある人ならわかると思うが、アウエー側の応援席はだいたい一番遠くにある。柏の日立台のスタジアムなんてひどいもんだぞ。待機列は草ぼうぼうの野原なのだから。そこでアウエーサポーターはヤブ蚊と闘いながら開場を待たなくてはならない。
KNACKファイブスタジアムも大宮駅から15分も歩いてやっと到着したと思ったら、アウエー応援席の入り口は真逆の対角線の場所にあるのだ。ヤブ蚊こそ飛んでないが、これもアウエーへの嫌がらせである。
本来ならばお金を落としてくれるお客さんなのだからそんな嫌がらせをしてはならないのに、心の狭い大宮だから仕方ない。同じような嫌がらせを大宮は浦和から受け続けてきたから、狭量になるのもしょうがないのだろう。かわいそうなことだ。
大きな心で大宮の嫌がらせを許しながら、オレたちは呑気に対角線上にある入り口を目指す。
空いている。混んでない。
入り口で持ち物検査をして(瓶缶の持ち込み禁止)、スマホをサッと取り出す。今やチケットレスが当たり前。ネットで購入してQRコードをダウンロードして終わりだ。
ちょっと前まではネットで買って紙のチケットを郵送してもらう、あるいはコンビニで発券してもらっていたから、DXは素晴らしい。どんどん簡単でクイックになっていく。
入り口でお姉さんにピッとしてもらって、3年ぶりのKNACKファイブスタジアムを、そうそう、こういうしょぼいスタジアムだったと思い出しながら客席に向かう。けっこうな入りでほぼ満席だ。オレたちの席を探したら、なんと見知らぬおっさんが座っているではないか。あれえ、どういうことだ。大宮の田吾作か。
息子が「そこは我々の席ですが」と声をかけると、おっさんは慌てて席をどいた。「あれえ、ダメなのかあ」といいながら逃げていったから、自由席のつもりで潜り込んだか。しっしっ、ゴール裏へ行け。
席に座り、我々は呑気にリュックからユニフォームを取り出して袖を通す。昨年はアウエーユニ禁止の席で見たので、ユニを着るのは1年ぶりだ。周囲の連中はみんなおとなしく座って、じっとピッチを見ている。なんだなんだ、君たちはそんなにピッチが珍しいのかね。
不思議に思いながらオレたちも呑気にピッチに目をやる。そして腰を抜かす。
なんと、選手が整列しているではないか。そして写真撮影をしているではないか。
ここに至って呑気だったオレたちもようやく事態を理解する。なななな、なんとオレたちはキックオフの時間を間違えていたのかあ〜!
そうである。呑気にもうすぐハゲですねぇなどと歌って大宮の街を歩いている場合ではなかったのだ。キックオフは14時ではなくて13時だったのだ!
己のあまりの間抜けぶりにオレたちは仰天し、そしてまったくそんなことを露とも知らずに境内を避けてちんたら歩いてきたにも関わらず、きっちりキックオフと同時に着席していたことに驚愕する。オ、オ、オレたちって、持ってるんじゃね?
そしてそんなオレたちの間抜けぶりが選手たちに伝染したかのように、立ち上がりのアルビレックスは酷かった。ミスの連発。集中し切れていない。おかげでバカみたいなミスであっさり失点だ。なんと冴えないゲームなのだ。
後半になってちょっと持ち直したと思ったら、今度はキーパーの小島があり得ないようなミスをして追加点を取られてしまう。0-2だ。どうも今年の小島はよくない。ミスばかりだ。阿部に戻せ。
ところが0-2となってからがアルビレックスはすごかった。まったく別のチームになったようにゲームを支配し、相手を制圧する。怒涛の攻めで、特にキレキレの本間至恩が2アシストで2点差を追いついてしまった。
完全にゲームをひっくり返して、後半15分で0-2から逆転というミラクルが見られると確信。ところがオレのお気に入りの矢村のスーパーシュートがバーに当たってしまうなど、非常に惜しいシーンはあったものの、結局2-2の引き分けだ。
今日の出来の大宮に引き分けとは、あまりに情けないし、2試合続けて引き分けという勝ち切れなさにもどかしい思いはするものの、まずはアウエーで2点差を追いついたことを素直に喜ぼうではないか。なによりもキックオフに間に合ったことを喜ぼうではないか。
帰りは6時くらいだなーとヨメに伝えてはいたのに、結局3時に試合が終わって5時には家に着いてしまい、早く帰れてよかったねーと手を取り合うオレたち家族なのだった。
なお大宮にはアルビレックスから移籍した三門という選手がいる。今日は怪我で休んでいた。きっとオレの、もうすぐは〜げですねぇという歌が届いて、心が折れてしまったのだろう。三門君、早く怪我を治して頑張ってね。
2022.02.25
本日は月刊誌『Will』と『Hanada』の発売日である。どちらも今一番気に入っている雑誌である。ここに『正論』を加えれば保守三兄弟のそろい踏みとなるのだが、『正論』はどうにも読みづらく、雑誌としての面白みに欠けるのでめったに手にしない。
部活に出かける息子に頼んで、帰りに2冊とも買ってきてもらう。立て替えてらった分は、例によってPayPayで送金だ。
『Will』と『Hanada』は今月号も絶好調だ。
「岸田よ、右向け右!」と特集しているのは、岸田大嫌い、阿倍大好きな『Will』である。右向け右とは、すがすがしいほどストレートな主張だ。
最初に読んだのは「巨乳のどこが悪い」というグラビアアイドルの対談。ルッキズムのフェミに向けた罵詈雑言だ。彼女たちは巨乳というだけで信じられないほどの攻撃を受けているらしい。その例を聞いてちょっと驚いた。
オレもフェミは大嫌いだから、とても爽快である。上野千鶴子も怖くない。
『Hanada』もたくかく安倍晋三大好き、立憲民主大嫌いだから、毎号、おんなじことをとことん繰り返して主張している。だが今月号は違う。なんと「トランプ元大統領独占インタビュー」が20ページを使った特集になっているのだ。
マジかよ。どうして日本のしょぼい右翼雑誌がトランプのインタビューを取れるんだよ。あり得ない。きっとトランプという名前の人へのインタビューでした、という内容に違いない。
そう思って手に取ったら本当に本物のトランプのインタビューだったのでびっくり。慌てて文末を見たら、なーんだ、なんとかというテレビ番組でのインタビュー文字起こししたものらしい。これが独占か? 文字起こししたのが独占だということなら、はあ、そうですかと引き下がるしかない。
『Will』も『Hanada』も高市早苗が大好きで中国が大嫌い。百田尚樹が大好きで岸田総理が大嫌い。
オレはきっぱりと右翼で、もともと右がかっていた上に大学でアホな左翼崩れの連中を目にしてますます右傾化したのが息子で、2人で一緒に『Will』と『Hanada』を回し読みしては、よし、靖国神社に行った後に高市先生の講演を聴こうなどと盛り上がっているものだから、ヨメが「やめてください」と激怒する。
今度はこれに『SAPIO』でも買ってこよう。
「東京ホロウアウト」福田和代・創元推理。オリンピック直前の東京で物流テロが起きたというパニック小説。物流テロと言っても派手なものではなくて、ゴミを首都高にばらまいたり、嘘の渋滞情報で特定の道路に車を集中させたりといったものだ。綿密な取材と丁寧な描写でなかなかリアリティたっぷりに読ませる。ただ話が単調というか、どこかにぶっ飛んだウソを混ぜて欲しかった。しょせんはホラ話なんだから。また人物造形がやや単調で、犯行動機も弱く、なかなか感情移入がしづらかった。でも基本的に筆力は高いので今後に期待だ。
2022.02.24
緊迫の最前線と書くとウクライナについてのようだが、オレがそう書くならサッカーの話に決まっている。昨日のゲームだ。カードは浦和対神戸。
ロドリゲスが監督になってから浦和は劇的に変わって、結果を出しながら世代交代を進めるという難事を見事にこなしつつある。
もともとオレは徳島時代からこの監督には注目していて、いつだったかの対アルビレックス戦でここが試合の山と見て取って一気に2枚替え(当時の交代は3人まで)したのを見て、これはすげえ勝負師だと驚いたのだった。この策が当たって徳島は勝利し、リアリストであり勝負師であるロドリゲスの真価が証明された。
そんなロドリゲスが監督になって選手もがらりと入れ替わり、戦術もポゼショナル志向となって、なかなか浦和はいいチームになった。森脇や柏木や槇野といった鬱陶しい選手もいなくなったし。
まあ、サポーターは相変わらずアレだが、そこを気にしなければ今シーズンは浦和を応援してもいいなとさえ思っていた。
ところが甘かった。浦和は浦和だった。
後半12分ぐらいだったか、浦和の明本が小競り合いの中で神戸の小林を、なんと喉輪で倒してしまう。衆人環視だ。胸をドンと突くのでもなく、体をぶつけるのでもなく、一直線に輪島ばりの喉輪をかましたのだ。
あげくに倒れ込んだ小林を蹴り上げようとさえした。これはさすがに他の選手に止められたが。
当然一発レッドだが、明本は「なんで」「おかしいだろう」と審判に抗議する。おかしいのは明本の頭なのだ。
明本はJ2の栃木から昨シーズンから移籍してきた。栃木時代は真っ直ぐでなかなかいいプレイヤーだと思っていたのだが、浦和に来て明らかに人間性が変わったようだ。金髪に染め、ガムをくちゃくちゃ噛みながらプレイする姿は、輩そのものである。
面白かったのは興奮する明本を押さえにかかったのが神戸に移籍した槇野だけで、浦和の他の選手は遠巻きにして、やってらんねえよ、なんだこいつ、という顔をしていたことだ。チームの中の明本の立ち位置が表れているのだろうか。いや、軽率なプレーで試合を壊してしまった仲間への苛立ちなのだろう。
オレもこんなプレーヤーのいるチームなんか少しも応援したくない。だから今シーズンの浦和はもういいや。名古屋を応援しよう。レオ・シルバもいるし酒井ノリもいる。
呆れたのは、浦和のスタンドだ。
依然として声を上げたり歌を歌ったりというのは禁じられているというのに、試合を通じて浦和サポは絶叫し、ブーイングし、時々小さくチャントを歌っていたりさえしたのである。明らかなルール違反。Jリーグは球団にペナルティを下すべきである。
以前はゴールキーパーの西川が「あいつら黙らせろよ」と吐き捨てるのがマイクで拾われ、今回は浦和OBの鈴木啓介にも苦言を呈されていた。身内にも迷惑かけていることを浦和サポは自覚すべきだが、いい年をして反体制を気取る中高年にはそんな気はまったくない。中二病がそのままおっさんになったようなものである。
もちろんそんなサポに嫌気が差しているサポも多く、特にライトなサポはスタジアムの空気に嫌気が差して足を運ばなくなっている。観客数がじり貧なのは、コロナで目立たないけれど、浦和の深刻な問題だ。
以前、浦和サポの人に直接聞いた話だけれど、サポーターも当然のことながら派閥ができて反目し合っているらしい。酷いのは、サポーターのボスのような連中がTシャツなどを押し売りしていて、それでけっこうな稼ぎを得ているという話だ。サポーターがサポーターから金を巻き上げているわけで、そりゃ嫌気が差してチームごと嫌いになるのも当然だろう。この話が本当だとしたら、野放しにしてきた球団も悪い。
ロドリゲス監督になってチームはだいぶ変わったが、明本を見れば本質は変わっていないようだ。サポに至っても同様。そんな様子を見ると、やっぱり浦和なんか応援するのはやめようという気になる。
浦和レッズの一番の功績は、首都圏のベッドタウンでしかなかった浦和という街の存在意義を高めたことだ。以前は「東京には住めないから」「しょせん埼玉だから」が浦和の立ち位置だったのに、「レッズは浦和にしかない」「東京にないものが浦和にある」と変わってきた。広島カープと同じだよね。
それはそれでいいことなんだけど、それが走り過ぎちゃって、浦和が日本一、浦和だけあればいい、レッズが勝てば何だっていいという考え方になっちゃったんだろう。実に近視眼的だ。コロナもJリーグの制約も関係ねえよ、レッズだけが正義なんだよ。
いやいや、世界は今大変なことになっているのだから、反体制を気取ってるのもいいけれど、もっと視野は広くもとうよ。そうすれば自分たちがどう見られているかがわかる。
2022.02.23
雪国の出身だからスキーが上手なんでしょとよく言われたものである。
実はスキーなんて得意でもなんでもない。むしろ苦手である。
大人になってからスキーをしたのは、学生時代に石打で一度と就職してから父親・弟と福島で一度、そして幼稚園に通う子どもを連れて実家近くのスキー場で一度の計三度しかない。
それも最後のは子どもを遊ばせるためだから、滑るというより単なる移動のためにスキーを履いたのだった。
そんなわけでスキーなんて未経験とニアリーイコールである。
もちろん子供の頃はそれなりに遊んだ。小学生の頃は近所の小山までスキー板を担いで出かけ、山の斜面を友だちと滑って転げては笑ったものだった。靴はもちろんゴムの長靴である。
札幌オリンピックが小学校4年か5年だったので、笠屋選手の日の丸飛行隊のインパクトは大きく、オレたちも膝小僧ぐらいの高さのジャンプ台をつくっては、真似をしたものだった。
先年、この小山が実は古墳だったことが判明し、オレたちは仰天する。
ひょっとしたら邪馬台国の北限の墓だった可能性もあり、周囲に点在する民家はその墓守たちの末裔ということになる。
知らなかったとは言え古墳の上でスキーでふざけて遊んでいたから、なんとも罰当たりなことだった。
中学生になると自転車にスキー板をくくりつけ、地元にできた町営スキー場で滑った。靴はもちろんゴムの長靴である。
スキーウェアなんて持っている人間はいなかったから、誰もがジーパンに長靴にジャンパーで滑っていた。リフトはなく、自動で動くロープにつかまって上まで登って滑り降りていた。
高校では体育の授業でスキーをやったが、体育の教師は「いいか、スキーがなぜ運動になるかというと、自分の足腰で山に登るからだぞ」と言ってリフトなんか使わせなかった。
要するにスキーなんていうのは、雪国の子供らが時間つぶしにやる、カネのかからない遊びだったのだ。
だから長じて社会人になると同時にバブルがやって来てスキーブームになっても、なんであんなものにカネを使うんだろうと不思議でしょうがなかった。スキーもウェアもホテルもバスも、全部ひっくるめていったいいくらになるというのだ。そんなカネ、もったいなさすぎる。
あの当時、雪国の人間の大方はそう思っていたのではないか。
スキーということで突然思い出した。母親の四十九日の法要で息子と一緒に実家に里帰りした、その新幹線のことである。
オレと息子は黒の礼服に黒のネクタイだった。
3月の新幹線は春とは言えまだスキー客であふれており、おしなべてテンションが上がっているから車内はうるさく、まるで修学旅行のバスのにぎわいだった。そこに黒ネクタイの親子が大宮駅から突然乗り込んできたものだから、車内は一瞬息をのんだように静まりかえったのである。
あれには笑った。水を差してやったぜ。
父と息子だけだから、ひょっとしたら「奥さんのお葬式なのかしら」と思った人もいただろう。骨壺でも抱えてたら最高だった。
そういうスキー客が大挙して降車する越後湯沢駅を過ぎると、新幹線の車内は「ふー、やれやれ」と途端に空気が変わる。スキー客にとってはテンションマックスの非日常であっても、他の乗客にとっては単なる移動の空間だったわけで、この空気の変わる瞬間は実に味わい深いものだった。
これと同じ空気がバブル時代のスキーを包んでおり、カネをふんだんにかけて盛り上がっている都会のスキー客と、それを理解できずに遠巻きにして都会にとどまっている地方出身者という図式があったのだ。
それから時は流れて40余年。
息子が突然「スキーに行ってくるわ」と言いだし、23時に手ぶらで新宿バスタ発の高速バスに乗り込んだのは昨日のことだった。部活の仲間たちと一緒らしい。
行き先は長野。バスの車内で一泊し、早朝から滑って、夜のバスで新宿に帰って来るという強行ツアーだ。というか、貧乏スキーだ。
幼稚園時代のオレの実家のスキー場、中学でのスキー合宿に続いて三度目のスキー体験だと思う。できるだけカネをかけず、気軽にサクッと出かけて帰ってくる、そんなカジュアルさがこの世代の身上なのかもしれないなあ。
学生時代に先輩たちといった石打のスキー体験などを思いだし、そしてオレの人生でスキーを滑ることなんてもう二度とないだろうと改めて気づいたのだった。
2022.02.22
青森山田からFC東京に入った松木玖生が、小野伸二以来の衝撃というふうに言われているが、その意見には到底納得しかねるね。
小野伸二の放つ輝きは唯一無二のものであり、もはや国宝級なのだから、高校を出たか出ないかの小僧なんかとは比べちゃいけないよね。
などと発言するのは、まさに老害だな、オレは。
自分を省みよう。
ここのところ急にヒマになって、ヒマはヒマでいいんだが、これから2人の大学生を養わなくてはならないかと思うと呑気にしてばかりもいられない気がする。よし、宝くじでも買うか。
これは特定の案件や人をさして言うのでは決してないのだが、我々の仕事には「仮押さえ」というシステムがあって、これがうまくハマらないとどうにも立ちゆかないという現実がある。
仮押さえとは文字通り仮に日程を押さえておくということで、これが入った日には他の仕事は入れられない。
「もしもし、タンゴちゃん? 来週の月曜、火曜、水曜と仮押さえ、しくよろー」
え、すんません、来週の月曜。火曜。水曜はもう仮押さえが入っちゃってるんですが。
「おりょ、オレの言うことがきけないわけ? せっかく美味しい仕事なのに。もういいや」
あっ、先輩、さっきの仮押さえがなくなりました! 月曜火曜水曜どこでもイケます!
「おりょ、タンゴちゃん、もう遅いよ、そんな仕事、他の優秀なライターに頼んじゃったわよ」
がーん。
という具合に月曜火曜水曜と連続で仕事が入ったと思っていたら、結果的にゼロになってしまったなんていうことは珍しくない。日常ちゃめしごとなのだ。
もちろんそのことにグチグチしていたらプロジェクトヒエラルキー最下層の請負フリーライターなんてやってられない。過去は忘れて、また雄々しく立ち上がる以外にないのだ。
そんな状況が複雑にからみ合って、今はヒマになったりしている。
まあ、来月は来月でいくつも仮押さえが入っているし、ヒマなのは今だけと考えて、じっと耐え忍ぶのだ。
2022.02.21
オレは64歳の今まで早稲田大学というところに足を踏み入れたことがなかった。今日初めてあの一帯に立ち入ってみて、なんとまあ広いんだと驚いてしまった。町全部が大学じゃないか。
ここに何万人という大学生がいるのか。産業だな、もはや。
もっとも地方の大学、例えば北海道大学なんて行ったら、もっと広大なんだろう。先月、北海道大学に行く仕事があったのにオンラインに切り替わってしまったのは、残念だった。
大隈講堂というところをのぞいてみる。大隈重信という人はいったい何をした人なのだ。天は人の上にハゲをつくらずと言ったのは福沢諭吉だったか。いや、諭吉さんはそんなことは言っていないような気がする。
まあよい。偉人なのだろう、重信さんは。
副都心線の西早稲田駅まで歩く。長い坂道が続く。
途中、学習院があって女子高生が元気に坂道を登ったり下りたりしている。おじさんはもう青息吐息だ。
それにしても副都心線は最強の電車だなあと、いつもそう思う。
埼玉の山奥から出発して、池袋・新宿・渋谷という都心三兄弟を通り、横浜の海際まで走っている。この電車に乗ればたいがいの用事は済みそうなくらいだ。
オレが今の家に引っ越したのは特に何の考えもなかったのだが、どうやら立地的には大当たりだったようだと、副都心線に乗るたびに実感する。今日だって西早稲田駅から終点が石神井公園という副都心線に乗って、ウトウトしながら帰ってきた。
夜、TVerで「相席食堂」を見る。この番組は面白い回とつまらない回の差が極端だ。下品すぎてうんざりすることもあるし。
今夜のゲストはランジャタイという芸人コンビだ。娘に聞いたら「つまらないと思うよ」とのことだった。実際、あんまり面白くなかった。
ところが最後の最後になって大どんでん返し。仰天した。神回かよ。
時々こういうぶっ飛んだ回があるから、この番組は油断ならない。いや、別に油断しながら見ていいんだけど。お笑いなんだから。
国民負担率が年々重くなって45%くらいになり、なんと稼いだお金の半分近くを国に持って行かれる時代になった。こっちは笑い事ではない。
そりゃあ年々くらいが厳しくなるという実感も当たり前のことだ。
オレももはや青息吐息である。いくら働いてもちっとも手元に残らず、毎月のやりくりは綱渡りである。決して誇張ではなくて本当のことだ。
稼いだ金の半分しか手元に残らず、それで大人4人が生活し、しかもうち2人が大学生というのだから、厳しいのも当たり前だわな。国民負担率がもうちょっと低ければどれだけ楽なことか。
よくこれで暴動が起きないものだと、心底そう思う。
最近あちこちでインタビューしていて耳にするのが、「海外に買い負けている」という言葉だ。例えばサーモンとか筋子とかの水産物を海外で買おうとしても中国や新興国が高く買って値をつり上げるので、日本人が買えなくなっているというわけだ。食糧しかり、資源しかり。
オレだけがやりくりに困って青息吐息なのではなくて、日本そのものが青息吐息だったようで、いったいどうしてこうなったと首をかしげるばかり。
まあすべてはこの失われた30年の結果なのであって、問題はバブル経済ではなくて、バブルの終わらせ方を間違えたことにあるのだろう。
日本の復活は早稲田界隈を闊歩しているZ世代に託すしかない。この30年で日本を駄目にしたオレたち世代は、ただ頭を垂れてZ世代に謝るしかないなあと、「相席食堂」に笑い転げながら酔った頭で考えるのだった。
2022.02.20
というわけで、今シーズンのアルビレックス新潟の闘いが始まった。42試合が予定されている。
オリンピックもそろそろ食傷気味だったので、ちょうどいいタイミングだと思う。やっぱりなんだかんだで異形のオリンピックだったよな。
アルビレックスの開幕ゲームの相手は仙台である。
仙台は去年までJ1にいて、降格してJ2に戻ってきた。今日闘ってみて、そりゃあ降格するわな、よくこれでJ2にいたなという弱さで驚いた。
J1下位にいるのとJ2で優勝するのでは明らかに後者の方が難度は高いようだ。
とはいえ、そんな相手に0-0の引き分けになってしまったのだから、アルビレックスも決して強いとは言えないのだが、それでもキャンプの大半をコロナで駄目にしてしまって完全に出遅れたことを思えば、まあ想定の範囲内だろう。勝ち点1でも大切なことだ。
それに、とにかく内容は素晴らしかった。去年までのプッチのポゼショナルサッカーの上に、明らかに縦に速い攻撃がミックスされている。各駅停車に準急が加わったような感じだ。
特にボランチの高とサイドバックの藤原が出色の出来である。加えて左サイドバックの堀米が見違えるようになった。去年まではプッチ監督に上がるなと言われていたに違いない。今日はガンガン上がりまくって、偽サイドバックまではいかずとも偽の偽サイドバックぐらいの動き方だ。その空いたスペースを高が埋めまくる。
あとは決めきれるフォワードさえいれば、確実に昇格できる強さだと思うのだがなあ。どこかにいないかなあ、フォワード。
そんな具合にJリーグが始まると週末の土日のどちらかは確実に潰れる。
うふふ、困ったものだ。
2022.02.19
早く、早く高木美帆を大谷翔平のヨメにしろ。遺伝子を残すんだ、遺伝子を。大谷翔平がアメリカ女に食われてしまう前に。
そしてできた子どもが「ボク、サッカーやりたい」と言ってくれたら、救世主の誕生だ。
などとアホなことを考えながらお姉ちゃんのマススタートを見て、最後の同じコーナーですってんころりんした瞬間、オレは車の中で絶叫してしまったよ。お姉ちゃんもヨメにいかせなきゃ。
マススケートっていうのはとっても面白い競技だから楽しみにしていたのに残念だった。
あれはもともとはエキシビションとして始まったものらしく、選手たちは遊びで参加していたそうだ。まさしく運動会だな。
そんな状態のまま正式競技になっちゃったものだから、妨害したら失格というようなルールもなくて、やったもん勝ちで競技が行われている。
確かに佐藤綾乃はずーっと韓国人選手に邪魔され、押され続けていたし、押し出された高木菜那が戻ろうとしても邪魔されて入れさせてもらえなかった。それで焦っちゃった高木菜那は最後のコーナーで一発勝負を賭けて無理なインサイドに入り込んで、遠心力に負けてしまったのだろう。
もちろん同じルールで全員滑っているわけだから負けは負け。
それでも失格したらイエローカードにポイント剥奪、2回めはレッドカード、滑走後にはビデオ判定あり、といったぐらいのルールの整備はされるんじゃないかな。
今の状態は体の小さな日本人選手にとっては恐怖であるらしく、高木菜那も「怖くてもうやりたくない」と言ってるらしい。
レッドカードといえば、今日のガンバ-鹿島戦は酷かった。
鹿島の鈴木優馬の演技のせいでガンバのパトリックが一発レッドの退場だった。
鈴木優馬ってのはギラギラ系のヤンキー選手の代表のようなヤツで、ベルギーから帰ってきて今シーズン鹿島に復活した。
鈴木優馬は自分からパトリックの足にタックルして倒し、しかも手でパトリックのポコチン辺りをむんずとつかんで離さず、払いのけようとしたパトリックの手が顔に当たったら、大げさに痛がって転げ回っていた。
明らかに鈴木優馬が悪い。パトリックの手が当たったのは事実だから、双方にイエローが妥当だろう。だが審判はパトリックにだけ一発レッドだ。
リプレイを見れば見るほど鈴木優馬の悪質ぶりが浮かび上がるる。しかも痛がって転げ回る演技の臭さはネイマール級。昔はもっとがむしゃらないい選手だったのに、こういう悪質な振る舞いをするようになったら、ほったらかしにしてはダメだ。
オレは鹿島アントラーズが嫌いである。あの自意識の高さが嫌いである。鹿島はこのファールについて球団としてどう認識しているのか、ちゃんと発表すべきだな。胸くそ悪いわ。
というわけで今日から本格的にJリーグが始まって、例年のようにオレは日々一喜一憂しながらサッカーを語るのである。今年も長いなあ。しかも途中にワールドカップまであるし。
今日のゲームでは、さすがに名古屋が抜けていた。メンツを見ただけでも一ヌケである。
ボランチにはレオ・シルバがいてトップには酒井宣福と、アルビの仲間がいる。特に酒井宣福はこのビッグクラブで堂々のワントップとして働き、スーパーなプレーを連発していた。出世したなあ、ノリヨシ。こいつをサイドバックで使っていたんだから、アルビの監督はとことんアホだった。
名古屋はキーパーのランゲラックが相変わらずの鉄壁で、相馬や吉田豊が絶好調で、柿谷や齋藤学がベンチというゴージャスさ。ため息が出るわ。息子の言うように今年は名古屋が本命かもしれない。川崎は確実に劣化しているし。
というわけで、明日はいよいよアルビレックスのキックオフだ。去年の記憶があるから、前半は6位くらいのペースでならしていって、夏の終わり頃からブーストすればいい。2位狙いで十分だ。なにしろ今年は長崎と横浜が抜けている。そこに割って入るだけでも大仕事だ。
終わったときに、いいシーズンだったと振り返れれば、それでいい。
2022.02.18
もちろん絶対にあり得ないことではあるのだが、もしもオレが何かのはずみで、例えば気まぐれでつくった鼻歌ソングが大ヒットして第二のゴールデンボンバーと呼ばれたり、偶然に永久機関を発明して人類の救世主になったり、娘が原宿でスカウトされてトントン拍子にハリウッド女優になってしまったりということがあったら、オレの今までの発言が掘り返されてけっこうマズいことになるだろう。この日記にもそこそこ酷いことを書いているし。
だからeスポーツのゲーマーのようなことにならないよう、オレも気を付けなくてはならないのだ。
チビには人権がないなんて、スポンサーにも当然チビはいるということが想像できなかったのだろうか、あのアラサーは。オレの「犬なんてこの世に要らない」に匹敵する暴言だ。
こういう連中がたむろしているのがゲーマー界隈のようで、それを思うとオレたちがなぜ藤井聡太を擁する将棋界に惹かれるのかが分かってくる。
年下の相手であっても敬語で接するのが将棋界である。競技中は正座だ。
eスポーツと対極のこうした居住まいの正しさに我々日本人は惹かれるのだろう。
などと考えながら今日もオリンピックを観る。まずはスキークロスだ。楽しみにしていた競技だ。何しろ、何でもいいから速いほうが勝ちというのが分かりやすい。競争だ。
しかも弟に教えてもらうまで知らなかったのだが、日本代表の選手がオレの地元の町の出身らしい。
ウソだろおい。オレの地元からオリンピアンが出てくるなんて、昭和の時代にそんな未来がやってくるなんて知ってたら全員が泡吹いて卒倒したわ。
ともかく地元選手が出るとあっては見逃すわけにはいかない。
そして結果は残念。なんと指の第一関節の差で負けてしまった。ルールはルール。とにかく速さを競うのだから、第一関節でも負けは負けだ。残念だった。
そして、こんなにオリンピックが盛り上がっているというのに、関係ありませんよとばかりにしれっと開幕したのがオレたちのJリーグである。今日はそのオープニングマッチ。カードは川崎対東京だ。
東京と言えば去年までオレたちのアルビレックスで監督をしていたプッチがボスのチームではないか。新潟で披露したあのとんでもなくクセのあるプッチサッカーが果たして川崎に通用するか、これは見物である。
その川崎だが、激しく弱体化しているのは間違いない。そりゃあ三笘、田中碧、旗手を抜かれたんだから弱体化も当たり前で、むしろこれだけいなくなってもまだ強いというのが驚異的だ。
特にダミアン、家長は驚異的。家長のキープなんて、腕の使い方が凄まじく職人的で、これを見るだけでもカネを払う価値があると思ったわ。
ゲームは、案の定、ダミアンが一発決めてフィニッシュ。どんな展開になってもダミアンが決めて勝つのが川崎の強さ。逆に言えばダミアンがいなければ普通のチームだ。
一方の東京は、プッチのポゼショナルサッカーはまだ定着せず、選手が疑心暗鬼で恐る恐るやっているように見える。キーパーのスウォビクの位置はあまりに低くて攻撃の起点になれないし。
これから徐々にプッチのサッカーが浸透していくと思うが、それに連れてバックパスが増えて選手は走らなくなり、各駅停車ののんびり攻撃が増えていくのだろう。パスのためのパスばかりとなって、相手の守備陣形が整ってからやっと攻撃に移るという、ああ、それはいつか来た道。
そうなったとき、果たしてサポーターは耐えられるだろうか。見物である。
驚いたのは青森山田から入団した松木だ。高校選手権では飛び抜けた存在であったが、プロになってそれ以上の輝きを放っており、想定を超えるすごさだった。
考えてみれば2月だからまだ高校も卒業していないんじゃないか。素晴らしい新人である。
この先どうなるかと思うのだが、気になるのはちょっと完成されすぎかなと感じさせる点だ。今後に注目だ。
それにしてもこんな東京に付き合っちゃう川崎の弱さが衝撃的。先日のJリーグカップで勝った浦和の方がよっぽど強いぞ。
というわけでオレのJ1予想では、今年の優勝は浦和、2位神戸。対して息子が優勝候補に上げるのが名古屋である。確かに今年の名古屋は、シヴィルツォフが恐ろしい。見物である。
そして川崎対東京が終わったと思ったらすぐに始まったのがこれだ。カーリング。
相変わらずルールはさっぱり分からないが、選手の表情で雰囲気をつかむ。息子の解説を聞くと、どうやら日本が優勢らしい。
相手は世界2位のスイスというから、これはガチの世界大会の準決勝で日本がブラジルに勝つようなものだろう。あるいは松本が川崎に勝ってしまうような。
LINEからはコマちゃんとオザキの「うりゃー」「やっちまえ」「五月ちゃんサイコー」「ヨメにしたい」などという絶叫が流れてくる。どうしてこんなグループLINEができたんだっけ。
謎だが、とにかく夜中におっさんたちがカーリングを見ながらグループLINEで声援を送るという異常事態になってしまった。
結局奇跡の勝利で日本が決勝進出。たいしたもんだ。
この子たちは万が一にもオレのように暴言をネットに残すなんてことはしていないだろうから、後になって叩かれるなんてことは心配せず金メダルを取ってほしいものである。
2022.02.17
オリンピックは要するに大きな運動会みたいなものだから、普段はよく知らないクラスのあの子が走ってるのも応援するように、よく知らない競技のよく知らない選手でもつい本気で応援しちゃうよね。
その挙げ句に、なーんだとか、ちぇっ残念とか、好き勝手なことを言ってるわけで、そこはちょっと反省しちゃうところもある。
今日は忙しかった。
まずカーリングだ。スイスにいいところまでいってギブアップ。五月ちゃんは号泣だ。
だがスウェーデンが韓国に勝てば日本が準決勝に進める。というわけでスウェーデン対韓国を見ながらスウェーデンを応援するわけだが、ちょうどクルマを運転していたところで音声しかわからない。
だが後部座席で息子がスマホで見ながら教えてくれる。オレはまだカーリングのルールがさっぱり分からないが、息子はすっかり理解したようで、しかも将棋や囲碁に似たところがあるのか、戦術もしっかり分かっているようだ。
その息子が「あっ、メガネ先輩がやっちまった」と叫ぶ。どうやら韓国が手痛いミスをしたようで、敗退決定。これによって負けた日本が準決勝進出を決める。
号泣しながらインタビューを受けていた五月ちゃんたちがアナウンサーから「準決勝が決まりましたよ」と教えてもらって驚きと嬉しさのあまり壊れてしまうシーンは、後でテレビで見たが、なかなかのものだった。これも今回のオリンピックの名場面。
カーリングって言うのは、試合時間が2時間ぐらいで、先攻と後攻に分かれること、ここは捨てて次に勝負を賭けるというのが「ここはバントで送って次はヒットエンドランで勝負だ」みたいな感じで、どうやら野球に近い感覚らしく、だから意外とおっさんがハマるという。なるほどねえ。
次はスピードスケートだ。
高木美帆のオリンピックレコードには、正直、こちらも口あんぐり。「まさかここで出すか」と息子も絶叫。ゾーンに入っていたようだ。見事な金メダルで喝采である。
これを受けて日刊スポーツが「姉ちゃん、獲ったよ」という見出しをつけていたが、そんなことは絶対に叫んでいない。まったくしょうがねえな、スポーツメディアは。
観てて辛かったのはオレのお気に入りの小平奈緒ちゃんで、周囲はもう小平は終わったという目を向け、本人も期待されていないと分かった上での滑走だったに違いない。35歳。おそらくこれか最後の滑りで、きっとすべてのものに感謝しながら滑っているだろうなあと思うと、とても切なかった。味わい深い佇まいだった。
そして最後がフィギュアだ。
坂本花織ちゃんの銅メダルは拍手だが、なんといっても一番はクルトワいやそれはベルギーのゴールキーパー、トワエモアいやそれは「誰もいない海」、ワリエワの騒動である。
ちなみにシュシュノワいやそれはソウルオリンピックで金メダルのソ連の体操選手は、なんと2018年に49歳の若さで亡くなっていた。やっぱり10代の頃に非人間的な育てられ方をして機械みたいな体になってしまうと、文字通り寿命を縮めることになってしまうのだろうか。
ワリエワにも同じような悲劇の臭いがする。
歴史に残るドーピング騒動の中、15歳の演技は痛々しく、かわいそうすぎた。実に後味の悪いものだった。
15歳の子どもが周囲の思惑に振り回されたのだろう。ドーピングだって本人に自覚はなかっただろう。
「さらし者」という声がネットで上がって、まさしくさらし者という表現がぴったりなほど、かわいそうだった。
まあでもこれで万一金メダルでも取っていたら間違いなく剥奪されて、落とされて上げられてまた落とされることになるところだった。それは準決勝で再びスイスと対決するカーリングのが味わうだろう。
15歳に背負わせるのは忍びないから30歳の五月ちゃんが、落とされて上げられて落とされてという辛苦を味わってあげることになるのだ。
さて、個人的に楽しみなのはスケートのマススタートとスキークロスである。マススタートは「いっせえーのせー」で全員が走り出す徒競走の味わいだし、スキークロスはまさしく障害物競走。世界大運動会そのものが見られるわけだ。西勝て、東勝て、どっちも頑張れー。まっことオリンピックは面白い。
2022.02.16
今日はちょっと重めのインタビュー仕事があって、朝、9時前に家を出た。行き先は麹町である。
家を出てちょっと歩いたら、制服姿の女子高生がスマホで空を撮影している。そして家の中のいる様子の、たぶん母親に向かって何か話している。
歩きながらオレもそれに釣られて同じ方角の空を見上げてみたら、なんと黒い煙がもくもくと上がっていた。
実はこの街では煙がもくもくと上がることは、そんなに珍しいことではない。畑が点在していて、そこで地主が堂々と野焼きをやったりしているからだ。畑だらけとはいえ一応は23区内なのだから野焼きってどうよとは思うが。
今日もどうせその類いだと思った。こんな季節に野焼きかよ、と。
だがちょっと気にかかる。
後になって、実はやっぱり本物の火災だったことが判明した。
こんな煙が上がっているんだけどとLINEしたら、ヨメが地元の情報網で回ってきたLINEから「本当の火災」と教えてくれたのだ。
午後にはネットニュースにも取り上げられ、さらには地上波のテレビでも放映されたようだ。オレんちから1キロほど離れた住宅街で戸建て住宅が燃えたらしい。被害は大きくて、気の毒なことだ。
時間を見れば、女子高生がスマホを掲げていたのは出火した直後だったようだ。オレが見た煙も出火直後だったということか。なんとも気が滅入る。
火事といえば、やはり三幸製菓の火事だろう。いっこでもにこにこ三幸製菓。
真冬の真夜中に出た火事で、最初は田舎の真面目な会社に不幸が降りかかったと思って、ひたすら気の毒に感じ、「雪の宿」を山ほど買って復興に貢献するんだと力こぶだった。
ところが事態が徐々に明らかになるにつれ、あまりにもずさんな防災体制に驚く。これは人災じゃん。
こんな会社で働いて命を落とすことになった田舎のおばあちゃんたちがあまりに気の毒すぎる。とても「雪の宿」なんか買う気になれない。社長は遺族に謝罪もせず逃げ回っているようだし。
まったく気が滅入る火事だ。
去年から本当にうんざりするような事件事故が続いていて、まったく日本はどうしちゃったというのか。
米津玄師の歌が急に流行らなくなったのは世相が暗すぎるからだそうで、マツケンサンバがブレークしたのも世相が暗すぎるからだそうだ。そりゃあ暗い世相の時に米津の暗い歌なんか聴きたくないわな。
コロナ以来のこの世相を、早くなんとかしたいものだ。
と考えながら麹町で重いインタビュー仕事をサクッとこなし、その足で六本木に回って別のインタビュー仕事をこなす。今日も寒い。
2022.02.15
リアルタイムで観ていたわけではないが、スノーボードで日本のお姉ちゃんが大技に挑むも失敗したとき、各国の選手たちがすぐさま駆け寄ってきて賞賛を送っていた。いい光景だった。
夏のスケボーの時も同じようなシーンが見られたっけ。
夜のニュースでそのことを問われたスノーボードの別のお姉ちゃんは「スノーボードだと当たり前にあることなんです」と答えていた。
雪の上でたたえ合う選手たちを見ていると、この子たちは決して国を背負って闘ってなんかいないんだなあと感じる。相手の国籍なんて知らないよ、というのも本当のような気がしてくる。
「初めてスノーボードが五輪に登場したとき、裏道カルチャー的な空気に違和感を抱いたが、今となっては最も五輪精神を体現しているのがスノーボードなどの横乗り系だ」と日経新聞は喝破している。
きっとこの世代の子たちが世の中を動かすようになったとき、IMAGINEの描いた世界は現実になるかもしれないなあなんて、ウクライナのニュースを眺めながら思うのだった。
スケートでは、楽しみにしていたパシュートで大事故が起きた。まさか最終コーナーですってんころりんするとは。振り返ればこのオリンピックでは後世に語り継がれる様々な出来事をオレたちはリアルタイムで観ていることになる。
世紀のやらかしをしてしまった木のお姉ちゃんは、号泣しつつもインタビューに答えていた。その中で謝罪の言葉は一度も聞かれなかった。謝罪の言葉なんて要らないのである。マスコミに対しても、国民に対しても。一緒に闘った仲間やライバルと思いを分かち合えば十分だ。
この謝罪なしインタビューも、国を背負ってなんかいない、立派なものだった。
2022.02.14
先日、隣町の書店で雑誌を買おうとした。レジに並んで、はたと気づく。ひょっとしてこの店では電子マネーは使えないんじゃないか。
SuicaもPayPayも、どっちも。
現金は一応持ってきた。財布が胸ポケットに入っている。
だが取り出して数えて払ってお釣りを受け取る手間を考えたら、面倒くさい。そう思ってレジから引き返し、雑誌は元に戻して店を出た。
それを見ていた息子は「そりゃ、そうなるよな」と笑った。
毎度同じことを上から書くけれど、もはや電子マネーの使えない店は数えるほどだ。オレの場合、現金を使うのはかかりつけのクリニックでの支払いと、近所のラーメン屋で食券を買うときぐらいである。
以前のように飲みに出かけていたら魚せいやとおるちゃんでも現金を使ったとは思うが、もはや日常的な買い物ではまったく現金を使わない。実に便利である。
とはいえ、レジで様子を見ていると、電子マネーのほうが現金より時間のかかることも少なくない。最初はオレもそうだった。慣れないギアの使い方にまごついてしまうことが原因だ。便利なはずの電子マネーがかえって時間のかかる原因になってしまって、後ろの客の舌打ちなんかも聞こえてきちゃったりする。それはそれで悩ましいことだ。
電子マネーではないけれど、先日は八重洲ブックセンターでdポイントを貯めようとしたところ、なかなか画面が切り替わらず焦った。レジのお姉さんが「すみません、ここは電波がよくなくて、もうちょっとそちらに移動していただくといくらか電波もよくなるかと」と気の毒がってくれた。こうなるとお笑いである。
そんな電子マネーだが、以前はSuica一択だったのに、最近はPayPayと併用している。使い分けに明確な基準はなくて、気分に応じてというところだ。
以前はSuicaが圧倒的に便利だと思っていた。何しろワンアクションで済む。画面を出してバーコードを読み取ってもらうこともなければ、こちらからむバーコードを読み取って金額を入力して提示する必要もない(後者のPayPayのこのアクションに、最初はオレも戸惑った)。
シンプルさではSuicaが圧倒的だ。
だが息子に言われてPayPayも使ってみると、なるほど、若い世代に支持されている理由がよく分かる。お互いのお金のやり取りに実に便利だ。
今さらの説明ではあるが、現金のやり取りをせずに飲み会の割り勘とかが簡単にできる。だからPayPayを使っていない仲間は飲み会に呼ばれない。これは極端な例ではなくて本当にそういうことが起きているのである。
給与が電子マネーで支払われるようにするために政府でも検討が進められており、もうじきアルバイト代がPayPayに直接振り込まれるようになるだろう。要は現金取っ払いと同じことだが、決済機関としての銀行がやがて意味をなさなくなるのだろう。すごい時代だ。
オレが書いた原稿料も、もしかしたらPayPayで払われるようになるのかもしれない。
そうそう、Suicaは残高2万円までだがPayPayは50万円まで可能だ。これも大きな違いだ。
とはいえ、おっさんが使う電子マネーとしては、やっぱりSuicaがなんだか似合っているような気がする。
なんとなくだけど。それは例えば、いい大人は楽天カードなんて持っちゃいけないよというような感覚に似ている。
2022.02.13
これはもう誰がなんと言おうと絶対的な主張として曲げるつもりのないことであるが、オレは犬が嫌いである。嫌犬家、つまりケンケンカである。
犬なんてこの世に要らない、地球上から消えてなくなればいいと本気で思っている。
ペット関連の仕事をしたとき編集者が「ペットショップで“犬”って言ったら“ワンちゃんですっ”て怒られたわよ」と呆れて話していたのを思い出すが、あのときの「なーにがワンちゃんだ、バカ」と笑い合ったときの気持ちは今も変わらない。
今住んでいる街に引っ越してきたとき、犬の多いことには驚いた。戸建て住宅が多いからペットを飼う比率も高いということなのだろう。この犬を飼っている連中が実にはた迷惑で、やたらとクソをさせて後始末せずにほったらかしなのだった。迷惑を通り越して被害と言ってもよかった。15年前のことである。
今ではだいぶその状況も改善されてきた。それでも2ヵ月に一度ぐらいはクソが放置されていて、それが保育園のお散歩コースに当たっていたりするものだから、激怒しつつオレが片付けている。犬を連れた連中に請求書を投げつけてやりたいぐらいだ。
それでも以前よりかなりましになったのは確かである。ネットで売っている犬猫が嫌う臭いの薬品というのを折に触れて家の前に大量に撒いたり、犬の散歩を見かけると鋭い視線を送ったりしているから、そうした嫌犬のオーラ、略してケンケン光線を発していることが伝わって犬どもに避けられているのかもしれない。実に慶賀の至りである。
もちろんこの世に要らないと思っているとは言え、オレの視界に入らなければ存在しないのと同じだから、遠ざけてくれていればよろしい。そこはオレも大きな心で許そうではないか。
愛玩の対象は人それぞれである。嗜好も多様でよい。他人に迷惑をかけなければ。
だから予告もなくオレの視界に飛び込んでくるような真似だけはするな。オレは激怒している。
などと頭に血を上らせつつ、今夜は小平奈緒だ。
滑走が11時を過ぎるというから頑張って起きて応援していたら、なんと衝撃の17位。最初の100mで驚くほどの遅さで、びっくりしたままフィニッシュとなってしまった。一体どうしたというのだ。
何かトラブルやアクシデントでもと思ったが、気を落ち着けて考え直す。これは要するに劣化したというか、年を取ったということなのではないか。単純に。
そういえば高木美帆のことはさんざん持ち上げていたのに、解説者はあまり小平に触れなかった。
岡崎朋美も「金メダル最有力みたいな目で見てくれてる方もいるかもしれないけど、今回は感謝の気持ちで挑戦するって言っているので、その気持ちを受け止めて」というようなことを言っていたらしい。
つまりプロの目から見れば小平奈緒は既にピークをとうに過ぎて、平凡な記録しか出せなくなっていたということか。それを自分でも知りつつ、これまで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちで滑ることにしたというのか。
前回のオリンピックで話題になった韓国人選手が解説席で号泣していた。
「私は彼女がどんな気持ちで臨んでいるかが分かるし、彼女がここまでどれだけ努力をしてきたかを知っている」と語ったそうだが、まさにもはや力がないことが分かっているのになんとかして期待に応えようともがいていたということだろう。
とはいえ今季、いくつかの大会で優勝もしている。高地での大会ばかりだったとは言え、自分を信じて可能性に賭けてみたということなのだろうなあ。
普段は幼稚園の先生みたいな穏やかな顔をしているのに、滑るときは一転して鬼神の表情になるのが好きなんだ、オレは。ゴール直前の歯を食いしばる表情が、求道者のようだ。
17位というのはあまりに衝撃的だったけれど、これがアスリートの世界ということだわな。
2022.02.12
NHKでエマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」が放映されたのは1973年というから、オレが高校1年の時だ。食い入るように見入った記憶がある。
終盤、イケメンでベースのグレッグ・レイクが金髪を振り乱して「They were sent from the gates」と歌った「キエフの大門」はとにかくかっこよかった。今はYouTubeで簡単にこれが見られるのだから、いい時代である。
タイトルが「キエフの大門」なんだから、グレッグ・レイクの歌ったgateとはキエフの大門のことなんだろう。キエフってどんなところなんだろう、きっと地獄のようなとこに違いないと思ったものだった。
今、ネットでウクライナの写真を見ると、キエフは地獄どころかとても美しい街ということがわかる。そして実在するキエフの大門は、イメージとはまったく違ってけっこうしょぼいことに笑ってしまう。
この街にロシアはガチで攻め込むつもりなのだろうか。
ロシアは、実は冷戦終結の際に分割されてしまったことを今も恨みに思っているという話もある。きっとウクライナも本来は自分たちのものだから返してもらうだけだと思っているに違いない。だったら北方領土も返せよと思うのだが、もらった物は返さないのは世の習い。
困ったもんだ。
と思いながら、今日はJリーグカップを見る。
長いサッカーシーズンの到来を告げる、オープニングマッチだ。
カードは川崎対浦和。去年のJリーグ王者と天皇杯王者の闘いである。
選手を見ると、明らかに浦和が格落ち。こりゃあ今年も川崎だな。
ところがゲームが始まってびっくりする。なんということだ、浦和が強い。
ボールの奪いどころがはっきりしていて、川崎が持つとすぐに2人3人とプレスして、たちまち数的優位をつくり出す。そのスピードは見事だった。やるなあ、ロドリゲス。
とにかく守備がすごい。きれいなラインをつくって高い位置を保ち続ける。「槇野が抜けて守備の統率が取れている!」とネットも大騒ぎだ。
守備で言えば伊藤が刮目の働き。ガンガンに攻め上がって獅子奮迅の働きだ。ちょっとこの動きには驚いた。徳島からゃってきた岩尾も、果たしてどうかと思われたのに、案に相違して実にいい働き方。中村憲剛が「気が利いている」と評したように、素晴らしい献身ぶりだった。
結局、立ち上がりの1点と終盤の1点という理想的な展開で、浦和が川崎を圧倒する。まさしく圧倒的なゲームだった。2点目にはロドリゲスが絶叫しながらぐるぐる回るというサービスカット付きで、ネットは大いに盛り上がった。
ネットではJ1対J2の闘いと言われた。確かに浦和は、リアリティと献身性を大切にするJ2らいしい戦い方だった。それをロドリゲスはJ1バージョンに仕上げたのだろうと思う。
ロドリゲス、日本代表監督もあり得るな、これは。日本人に適した闘いのできる監督だと思う。イケメンだし人気が出るぞ。
槇野も興梠も阿部も宇賀神も、みーんな抜けて結局浦和に残ったのは西川1人。浦和はもうまったく違うチームになった。結果を出しつつチームを作り替えるという困難な作業を成功させつつあるロドリゲスは、なかなかたいした監督だ。
2022.02.11
平野歩夢を初めて見たのは、大方の日本人がそうだったように、8年前のソチオリンピックだった。
まだ15歳というのに銀メダルとはすげえなと驚いたと同時に、まるで笑顔を見せない冷めた振る舞いに、ちっとも15歳らしくない体温の低い小僧だなと呆れたものだった。
そんな平野歩夢を指さして「こいつ、村上だよ」と教えてくれたのは、ちょうど我が家に泊まりに来ていた甥っ子のヒロトだった。
村上って、あの村上?
なんとオレの実家の隣町の人間だったのである。これには心底驚いた。
新潟県は長年スポーツ不毛の地で、新潟出身のアスリートと言えばジャイアント馬場が挙げられた時代が続いたほどである。その次が阪急ブレーブスで完全試合を達成した今井雄太郎で、山田太郎の明訓高校は新潟の明訓高校がモデルだというのが自慢だったほどだ。
そんなカラカラの不毛の地にオリンピックメダリストが現れただけでも驚きなのに、それが隣町の山猿だというんだから、オレは腰が抜けるほど仰天したのである。
村上というのは海と山に挟まれた田舎町である。スキーをしているのも、山猿しかいない。山猿がオリンピックで銀メダルとはなあ。
しかも驚くことに平野はオレの地元のバカ高校に通っているというではないか。バカしか集まらないバカ高校なのでスポーツだけしていれば卒業できるという利点があり、平野はその高校に通って早朝のたんぼ道を1人でジョギングすることが日課となっていて、その姿を誰もが普通に目撃していた。
田舎のたんぼ道を走る山猿が銀メダリストって、早朝の畑仕事で平野の姿を目にしていたじいさんばあさんたちも腰を抜かしただろう。
新潟県はスポーツ不毛の地だったが、オレの地元はそれに輪をかけてスポーツ不毛の地だ。まさかそこからメダリストが出るとは。
しかも今度は金メダルだというから、もはや抜かした腰が元に戻らない。
おかしかったのはテレビ各局だ。報道や情報番組がこぞって平野の快挙を取り上げるものの、スノボーなんて誰も詳しくないからキャスターもゲストも「すごい」「素晴らしい」「高い」「美しい」しか言えない。もちろんオレたちも同様で、オレたちレベルのアホみたいな感想をテレビも口走るしかなかったようだ。
もちろんオレもまったくの門外漢で何が凄いのかさっぱりわからない。だけどなんだか凄いというのはよくわかった。
ネットをポチポチしてみる。これもインチキ採点があったようだね。もう、今回、採点競技はことごとくダメだな。3回目のランでショーン・ホワイトが棄権しなかったら、ひょっとして平野はまたもや銀だったのではないか。うがった見方をすれば、そうした採点姿勢に抗議するためにショーン・ホワイトは自ら棄権の道を選んだのかもしれない。
ともかくそんなとんでもないプレッシャーのもとでの快挙だ。バカ高校のすぐちかくに実家のあるものとして、ちょっとばかり誇らしい。
そんな金メダルを見届けて、今日は祝日だというのに仕事のためにいつものように銀座に行く。
日に日に春の空気が漂い始めた銀座は、人出は多くはないが、それでも少しずつにぎやかになっている。
いつもの仕事をいつものようにこなしながら、客と「緊張感をもってやらなきゃダメですよねえ」という話をする。20代のその担当者は、社内の40代のおっさんの仕事ぶりがあまりにいい加減で激詰めしているところなのだった。
いつもの仕事であっても、気を抜いてはならない。緊張感をもって臨もう。
「負荷をかければかけるほど人は身軽になっていく」と平野は話したそうだが、その言葉の真意をくみ取ってオレも緊張感をもって臨まなくては。
銀座から戻って次は世界に目を転じれば、ウクライナがいよいよヤバくなってきた。
来週にロシアが侵攻を開始するとアメリカのメディアが伝え、ロイター通信も「空爆が始まる」と伝える。どうやらガチらしい。
これでロシアとドイツを結ぶパイプラインが死んで、アメリカが絶好の商機とばかりにヨーロッパにシェールガスを供給したら、ますますロシアが苦境に陥る。プーチンのメンツ丸つぶれ。政権崩壊寸前となり、一発逆転を狙っての第三次世界大戦の可能性すら出てきた。
同じ手で台湾を分捕ってやろうと狙っていた中国もこの機に乗じて仕掛けてくるかもしれない。そうなったら世界は大混乱だ。
「てめえ、ぶっ殺してやる」「ギトギトにしてやる」と吠えまくるプロレスだろうと思っていたのに、どうやらガチだったようで、いくらなんでも核戦争まではいかないとは思うものの、世界大戦もどきは起こるかもしれない。
呑気にオリンピックを見て「そだねー」とか真似して和んでいる場合ではないのかもしれないなあ。
2022.02.10
羽生結弦は傑出したアスリートだから、オレなんかリスペクトの感情しかわかない。だが相当程度のアンチがいるのも確かだ。ウソかマコトか、高橋大輔ファンだった連中が羽生結弦に牙をむき出しにしているという話もある。
だから今日の振る舞いを見たときも、あー、こりゃ叩かれるわと思った。
松岡修造のインタビューでは「修造さんとは長いから」と言って背中を向けて肩をふるわせ、荒川静香のインタビューでは「しーちゃんの顔を見ると」と言って背中を向けて肩をふるわせた。
その様が「わざとらしい」「あざとい」「気持ち悪い」と散々な叩かれようである。
なんでそんなに叩くのかなあと不思議だ。羽生結弦のチャレンジしたことは文句なしにすごいことなんだから、賞賛されて当たり前なのに。なんか嫉妬の気持ちでもあるのかな。
「努力は報われないんですね」とインタビューで語った一言には、ちょっとドキッとした。なんだかすごい言葉だと思った。
努力に努力を重ねて、努力をやりきった人だけが言える言葉だと思った。
そこまでやりきっていないのに、努力しても超えられないことってあるよねーなんて口にするのは、冒涜だと思った。
どんな道にせよ、突き抜けた人にはその人ならではの重い言葉がある。
一方、叩くという点で笑ったのはこれだ。
福島瑞穂がコロナで陽性になっちゃったという報道だ。
これに対してネットで一言。「おまえじゃない」。
このセンスには抱腹絶倒。福島瑞穂という存在についてのすべてが表現された名言だと、オレは心の底から感心したわ。
今日は雪。朝からぼそぼそと降り続く。もちろん雪国の人から見れば降ったうちには入らない。積もったなんてとても言えない。
だが例によってテレビは朝から大騒ぎである。
どこかの街の中からの中継では、道端の水たまりをアップに映して「水たまりができています」と女子アナが叫んでいた。仰天した。
この女子アナは「雨が降っているのでみんな傘を差しています」とも絶叫していた。
どどど、どうしてこれがニュースになるんだ。
雪も降っていないから誰もが普通に歩いて通勤しているだけなのにテレビは「混乱はありません」と叫ぶ。そりゃ降ってないなら混乱しなくて当たり前だろう。
雨が降っているのに水たまりがなくて誰も傘を差していないというなら驚きだし、意味もなく混乱が起きているならニュースだろうに。
いやあ、面白いなあ。
アナウンサーというのは新人の頃から「とにかく目に映ったものを説明しろ」と教育されるらしい。そこに一切の推測を交えてはならない。ただ目に映った物を正確に描写するのだ。
だから「水たまりがあります」「傘をさしています」というようなレポートになるのだろう。
スタジオでは「最新の交通状況はぜひホームページでご確認ください」と言っている。既に報道という点でネットには到底かなわないと、白旗を揚げている。なんだか面白い。
2022.02.09
三浦しをんが読みたくなったので、本屋で『きみはポラリス』を買った。ずいぶん前に読んだ本だが、完全に忘れているし、三浦しをんといえばまずはこれというイメージだったので再読である。
最近はこんな具合に昔読んだ本を読み返してばかりいる。先日は『壬生義士伝』をまるっと読み返した。
本の読み方も年を食ったのだろうか。新刊に手を伸ばすのでなく、分かっている本を読み返したくなる。スティーブン・キングもせっかく『悪霊電流』が文庫本になったので書店で待ち構えて手に取ったのだが、結局まだ買っていない。分厚さに恐れをなしたのと、新しい物語を吸収できる自信がなかったからだ。(といいつつ、今書きながらやっぱり読もうかなという気になってきた)
新しい音楽に関心が持てず、昔の音楽ばかり聴いているのと同じ心理かもしれない。
三浦しをんについては、たぶん、オレはこの人の文章が好きなんだと思う。肌に合うというか。
例えばこんな一節だ。
「そんなとき私は、文蔵と見た夜空を思い出す。全天の星が掌に収まったかのように、すべてが伝わりあった瞬間を。あのときの感覚が残っているかぎり、信じようと思える。伝わることはたしかにある、と。」(『冬の一等星』)
さらっと読んでいく中でこの文章に出会い、ほうっと思うのだ。いい文章じゃないか。
この『きみはポラリス』は初期の短編集で、若いカップルのとんでもない犯罪を描いた『私たちがしたこと』、しょうもない男を描いた『ペーパークラフト』などが面白い。
ちょっと興が乗ったので、三浦しをんで一番好きな短編集『木暮荘物語』も続けて読んだ。
こちらはKindleの電子書籍で買ったので、ダウンロードするだけでいつでも読み返せる。これは電子書籍の最大の利点だ。いつでもどこでもどんな本でも、簡単に再読できる。
『木暮荘物語』は、木暮荘というボロいアパート(小田急線の世田谷代田周辺が舞台)に住んでいたり住んでいなかったりする人々の物語だ。この中の、犬のトリマーとヤクザの交流を描いた『柱の実り』という作品が好きだ。もしかしたら三浦しをんで一番好きな作品かもしれない。
三浦しをんは一本背負いを決める、と評したのは誰だっけ。
そうなのである。三浦しをんの物語を読んでいると途中で不意を突くようにとんでもない展開へと話が大きく舵を切っていくのである。まさに予期せぬ一本背負いを食らったような感覚だ。こちらはただ呆然と投げられっぱなしである。
『柱の実り』も似たような展開で、途中でいきなり一本背負いされてしまう。これは三浦しをんならではの味わいだ。
三浦しをんはもちろん長編も書いているのだけれど、なぜだかあまり面白と思ったことはない。なんでだろう。そして実はエッセイをたくさん書いている。
今までエッセイには手を出してこなかったけれど、短編がこれだ面白いのだから、ひょっとしたらエッセイも面白いのかもしれない。今度読んでみよう。
2022.02.08
それはオレが出かけている間の出来事だった。
本日のオレは、いつもの銀座である。バレンタインが近いが銀座にはそんな浮かれ気分はなく、むしろ遠い春を待ちかねたように鳩居堂のディスプレイに飾られた可愛らしいひな人形が道行く人の目を楽しませている。バレンタインで盛り上がるなんていうの、銀座に限らずもはや日本全体でオワコンなのだろうね。
娘は受験で不在で、家にいたのはヨメと息子。その息子は今日は大学の定期試験だというので、家でリモートで受けている。今や試験までリモートなのだ。どのようにして受けるかというと、問題はネットで出題され、解答する様子をビデオカメラでライブ中継するという仕組みだ。その様子を監視して、不審な動きが認められたら注意を発するというわけだ。
従ってピンポンがなったときに対応するのはヨメしかいなかったわけだ。
そのピンポンに続いてインターホンから漏れてきたのは「隣のマンションで外壁工事が始まります」という声。工事業者が、工事前に近隣への挨拶を行っているという様子だった。
業者は続ける。「それでマンションの上から見下ろしたら、お宅の屋根に気になるところがあって、何かの部品がどうたらこうたら」と。
もちろんその瞬間ヨメはピンときて追い返したわけだ。
帰宅後、その話を聞いてオレもピンときた。昨年から隣町で噂になっていたアレだ。
「隣で工事をします」と挨拶に回り、屋根が気になると親切めかして上がり込み。法外なリフォーム工事を請け負うという悪徳業者のセールスである。
地元コミュニティのネットで話題になっていて、行動範囲が徐々に東進していたことから、いずれこの近辺にも仕事に来るだろうと睨んでいたヤツだ。
ヨメの対応は大正義である。
この悪徳業者、しばらくは近辺をピンポンして回るのだろう。高齢者世帯など心配だ。
2022.02.07
いやあ、高梨沙羅ちゃんの失格にはびっくりしたねえ。
仲間が頑張って追い上げたり、ドイツ選手が慰めに来てくれたり。それはそれで新しい物語が生まれたのはいいとしても、まさかスーツのサイズが違うからという理由で失格になるとは。
選手たちはもちろんその規定はわかっているから、厳格に体重をコントロールし、スーツにも神経を使っているらしいが、極寒の中で筋肉が萎縮してしまったことが理由ではとも言われてる。
全身をぴったりと覆うスーツだから、上半身の筋肉が萎縮すれば下半身のスーツに緩みが出るのも当たり前という話らしい。
確かに寒いときって、ポコチンも縮こまるよな。あれと同じ理屈かと、深く納得した。
でも寒いとポコチンが縮こまるなんて世界共通だろうから、寒いところでするスポーツでそんな規定なんておかしいだろう。いくらでも恣意的な運用ができる。
同じように失格となったドイツなんか「クレージーだ」とぶち切れまくっている。そりゃそうだ、誰でも当てはまるような適当な検査でビンゴになってしまったんだから、狙い撃ちにされたに決まっていると思って当たり前だ。
確かに強豪国を狙い撃ちにした仕打ちのようにも思えるなあ。悪意を感じる。
これと同じ状況を、思い返せばオレたち日本人は、昔にも体験したような気がする。そうである、極悪レフェリーの阿部四郎である。
阿部四郎は悪いやつだった。公平であるべき審判なのに、常に恣意的な判定を下していた。
極悪同盟のダンプ松本が反則攻撃を繰り出すときは気がつかない振りをして知らん顔なのに、クラッシュギャルズがフォールされたときは高速カウントを叩く。そのあまりに露骨なえこひいきぶりにファンは激怒。女子中高生で埋め尽くされた会場は悲鳴と怒号が飛び交うのだった。
あそこまで国民の憎悪を浴びた人間は、他には新本プロレス時代のラッシャー木村ぐらいしかいないのではないだろうか。
あの頃の阿部四郎と同じような立ち振る舞いをジャンプの審判には感じ、高梨沙羅はまるでクラッシュギャルズ。オレたちは喉も裂けよと絶叫する女子高生なのだった。
もちろんプロレスなら極悪攻撃に耐え忍んだクラッシュギャルズが立ち上がり、反撃に出る。長与千種のケリが炸裂するのだ。
だから日本のジャンプもここから一気に反撃に出るに違いない。極悪レフェリーなんかに負けちゃダメなんだ。
2022.02.06
地元の駅前ではずっと前から無料のPCR検査をやっている。
けっこう大きなテントを張って、大々的にやっているのだ。もちろん行政の仕事である。
ここが去年の暮れぐらいは閑古鳥が鳴いていて、担当者のお兄ちゃんたちがプラカードを持って呼び込みをやっていたのだが、最近はいつ見ても行列ができている。大盛況だ。
繁盛して何よりですななどと軽口を叩いてはいけない。それだけオミちゃんのことが気がかりな人が増えているということだ。
駅から徒歩30秒のところには整形外科のクリニックがある。整形外科と言えば、膝が痛いとか腰が痛いとか言う高齢者の人気スポットだ。しかも一回当たりの保険点数が低いらしくて、何度でも通わせれば通わせるほど売上も伸びるから(というか、そうでもしないと儲からないらしい)、週に何度も通う高齢者であふれている。
そのクリニックには早起きの高齢者が駆けつけて毎日朝っぱらから行列ができていたのだが、年が明けてからは午後にも行列ができるようになった。ワクチン接種のためらしい。
こうしてオミちゃんのおかげで、街の至る所に行列ができるようになった。
にぎわいが創出されるのは街にとってよろしいことではあるが、ディスタンス的にはよろしくないのだろう。
そういや関係ないけど、地元選出で経産大臣という要職まで務めたのにカニやメロンを配ったおかげで失職してしまった菅原一秀元衆議院議員が、精力的に活動している。
贈賄によって公民権を失ってしまったので、2024年まで出馬はもちろん、演説などの一切の選挙活動もできない。それでもめげることなく彼は、地元をくまなく回って人に会い、地元の店でメシを食っては、ネットにその様子を上げている。なかなか頑張っているようだ。
最近ではポスターも掲出しており、よく見るとそこに演説会の告知が出ている。
あれ、演説もダメじゃなかったっけと思ってよく見たら、なんと2024年6月がその開催予定日とのことだ。なんと2年以上も先の演説会を告知するポスターらしい。どうやら本気のようだ。
先日は、そのポスターの上に立憲民主の議員のポスターがべったりと貼られていて、その様子を菅原はFacebookで上げていた。
たぶん立憲民主の議員としては元自民の菅原の動きにピリピリして警戒しているのだろう。なんともしびれるバトルである。
そんなふうにオレの地元はコロナや選挙やらでにぎやかなことである。こんな田舎なのに。
2022.02.05
高木美帆が滑っている。
そろそろかなと思ってテレビを付けたら、ちょうどタイミングよく彼女の番だった。なにこれ、3000m? 予選か。え、決勝? つーか一発勝負なわけ?
何も分かってないままレースを見る。
おっしゃ、頑張れ。いいぞその調子。さすが高木美帆。オレたちの美穂ちゃん。
どうだ1位だ、1位。あっさりと。
あれ、なんだか速いのが出てきたんじゃね? あれ、抜かされた? もしかして。あれれ、結局6位だって。予選じゃないの? これで終わりなの?
なーんだ、がっかり。
てな具合に、たまたま見た程度のオレのような素人ファンなんてこんなもんだろうなあ。そんな素人をテレビが煽るから、どの選手も世界の強豪になって、日本人が全部の金メダルを取ってもおかしくない気持ちになってしまう。どたーんと上げられた分、落ちたときもどかーんだ。
まったく選手には申し訳のないことである。
2022.02.04
改めて言うまでもなくLINEって便利だ。
最初に出たときは面倒くせえと思ったものだが、すぐにLINEの便利さに気がつき、今では家族グループで連絡を取り合うほど。LINEなしでは日常のコミュニケーションはままならない。
「スマホがない時代って電車の中でどうやって過ごしていたの」と若い世代は不思議がるが、「LINEがない時代ってどうやって連絡取っていたの」と、さらに下の世代には言われそうだ。
もっとも便利さと鬱陶しさは表裏一体で、用もないのにLINEが飛んでくるとげんなりする。用があればいいのよ、用が。恋人同士なら用がなくてもLINEをするのだろうが、恋人でもない人に用もないのにLINEなんてしてほしくないのである。
カジュアルな分だけ、LINEはビジネスのコミュニケーションには使われづらい。実際、今でもオフィシャルなコミュニケーションはメール一択だろう。ある程度親しい人間関係ができないと、LINEやメッセンジャーは使われない。
もちろんそれでいいと思う。ビジネスでの連絡はLINEなんてやめてほしいものだ。
しかも用もないのに、というか、用はあるのだろうが、そんな用で連絡してくんな、という程度の内容のLINEが飛んでくると、心底、うんざりする。
今日はいきなり「住所を教えろ」というLINEが飛んできた。「資料を送る」のだそうだ。別にオレはそんな資料を頼んでいないし、必要とも思わない。そんな勝手な事情でLINEなんか送るな。そもそも紙の資料を郵送するという時点でどこのDXだよという話である。
世の中には頭の中に浮かんだことは何でも口に出さないと気が済まない人がいるように、思いついたらとにかくLINEせずにはいられない人もいるようで、何でもかんでもLINEするんじゃねえと切れそうになる。
ビジネスでLINEを使うのはやめようよ。
LINEと言えば句読点問題がある。
若い連中はLINEではほとんど句読点を打たないのだ。対しておっさん、おばさんは必ず句読点を打ってくる。だからビジネスのLINEはほとんどが句読点まみれ。ビジュアル的にも美しくないのだ。
若い子のLINEは、例えばこんな具合。
「すげ」
「神じゃね」
つまりワンフレーズというか、文字通りの一言というか。これがおっさんだと
「すごい。神ですね!」
となる。
句読点の代わりにLINEを送信するのが若い子のスタイルなのだ。だから仕事の場面でも若い子に向けてLINEを送る際に句読点を使うと「うぜえおっさん」「たりーおばはん」と思われるので要注意である。
LINEで句読点を打つのはやめましょう。
などという提言をしながら、夜、「沸騰なんちゃら」という番組を見る。
先日、オレの地元のラーメン屋で出川哲朗と堀田茜を目撃したという情報がネットで流れ、どうやらそれはこの番組のロケだったのではという話だったので、見ることにしたのである。
そして噂の通り、駅前のラーメン屋がちゃんと出てきて、ちゃんと出川哲朗と堀田茜がラーメンを食っていた。味噌ラーメン専門店である。オレは行ったことがない。ネットの地元情報ではそこそこ旨いとは聞いているが、なにしろ狭い店なのだ。
7、8人も座ればいっぱいになってしまうので、家族連れとしては入りづらい。開店当初、何度かのぞいたものの、いつもイスが埋まっていて、それで足を運ばなくなった。
もっともオレはラーメン対するこだわりはまったくなくて、どんなラーメンを食っても美味しいと思えるから、別にここが特に旨いと聞いても行列してまで食べる気にはなれないので、そのままにしている。いずれ食べる機会があれば食べてみよう。
ラーメンの好みは、味噌、醤油、豚骨、塩の順かな。この店は味噌ラーメン専門店で、何ラーメンかを当てようという番組内容だったのに最初から味噌って決まってるじゃんというわけだが、一応目隠しで連れていったりしてるから、余計な突っ込みはされないようになっているのだろう。
まあよい。オレが気になるのはラーメンではない。堀田茜だ。
アラサーのモデル上がりがこの先どうやって生きていくのか。そんな切実な問題に直面している堀田茜が実に興味深い。
汚れ仕事で汗をかけるからバラエティに活路を見出そうとしているのだろうが、実は案外演技がうまいという話もあるようで、まさかの女優道にも色目を使っているのかもしれない。
これという専門性や持ち味もなく、際立つ個性もないモデル上がりがどうなるのか。芸能界のベテランに取り入ってなんとか活路を開こうとしているのだろうなあ。
そうした角度で同様に興味深いのがフリーアナウンサーの新井恵理那である。既に30代。今や朝から晩までいろんな番組に出ずっぱりでCMにも顔を出している。噂ではとんでもなく稼いでいるらしいじゃないか。
もともとは女子アナ目指して民放を受けたものの落ちまくり、仕方なくどこかの事務所に所属してフリーの道を選んだそうだ。それが今や稼ぎ頭。
見ていてキャラに嫌みがないし、変な色がない。決して主役を食わない頭のよさがあり、自分に求められている立ち位置がよくわかっていて、そこから1ミリも動かず出しゃばらない。たとえ主役が間違ったことを口走っても否定せずにっこりとやり過ごす、そんな器用さがある。だから安心して使ってもらえるのだろう。
この新井恵理那は、サッカーの田中碧と同じ中学の出身だそうだ。それが縁で田中碧は新井恵理那のファンであることを公言している。
アラサーがこの機を逃すわけがない。当然のように新井恵理那は肉食獣のごとくパクッと食いつき、「私のどこが好き?」と田中碧に迫ったそうだ。お、お、おばちゃんじゃねえかよ。
蛇に睨まれたなんとやら。田中碧は震えながら「ぜ、ぜんぶです」と答えるのが精一杯だったらしい。きっと新井恵理那は「じゅるっ」と舌なめずりしただろう。今後の展開が見物である。
などということを思い出しながら続けてオレはオリンピックの開会式を見る。北京だ。
そしてあまりのことに口を開けて、圧倒される。なんという演出なのだ。なんというテクノロジーなのだ。
そして心底恥ずかしくなる。
半年前に東京で行われたイベントの、あまりのしょぼさ、情けなさ、みっともなさに。
よくもまあこの場で長嶋茂雄や大坂なおみを出したもんだ。閉会式だが、大竹しのぶに歌わせたもんだ。なんなんだよ、あの木遣りは。けん玉は。世界中がぽかーんとして、放送事故と思ったに違いない。
ああ、恥ずかしい。もはや開会式、閉会式の記憶は消してしまいたくなる。
北京の開会式は、最初こそ札束に頬を張られるような感覚だとか、ジェノサイドを頬っ被りしようとしているとか批判的に見ていたが、次第に圧倒され、気がつけばただ平伏するのみだった。
日本の完敗。中国の足もとにも及ばないことがはっきりした。恥ずかしい。
経済力で抜かれテクノロジーで抜かれ、そしてソフトで抜かれ、今や日本が中国に勝てるのは公衆マナーと水道水が安心して飲めることぐらいか。いや、中国の金持ち父さんは水道水なんて飲まないから、勝負にならんな。勝てるのは、やっぱりマツケンサンバしかないか。
結局オレたちがすがるのはマツケンサンバなのだといういつもの結論にたどり着き、そしてオレは恥ずかしい恥ずかしいと言いながら眠りに就くのであった。
2022.02.03
そういや昔、Eテレで「にほんごであそぼ」という番組(今もやっているのだろうか)では、しつこいくらいに宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」をやっていたっけ。朗読はもちろんのこと、歌にしたりもしていた。
企画したのは教育学者の齋藤孝じゃなかったっけ。
齋藤孝は「こうやっていつしか日本中の子どもたちが『雨ニモマケズ』を暗誦できるようにな寝るのが夢」というようなことを話していたのをうっすらと覚えている。
だとすると齋藤孝のこの企てはある程度成功したのかもしれない。というのも今のZ世代の言動を見ていると、明らかに昭和の時代とは異なる価値観が感じられるのだ。
人権や環境問題への意識が高い。争いを好まず、押すよりも引く。驚くほど所有欲がなく、必要なときに必要なだけ使えれば良しとする。
聖人君子かよ。
「雨ニモマケズ」の聖人君子的なまでの価値観を見事に刷り込まれたのではないかとさえ思えてくる。
やっぱり齋藤孝の企みはある程度成功したのかもしれないなあ。
などと考えながら「相席食堂」を見る。今日はオレの実家の隣町、村上市がロケ地だ。日向坂のなんとかという女の子がロケに行った。
本来はぶっつけ本番であたりに迷惑をかけまくるのがこの番組の醍醐味。お笑い芸人がスッポンポンでスキー場を走り回って、雪に埋もれたりしている。
だが坂道のアイドルとなればそんなことはありえず、現場にはマネージャーが同行し、映像はすべて事務所チェックが入るだろう。だから立ち寄る先が、ぶっつけの突撃ではなくてすべて事前にアポを取った仕込みであるのも、やむを得ないところだった。
時間の推移と撮れ高を見れば、事務所チェックでカットされたところも多いだろう。
そういう部分を割り引いても、なかなか楽しめた回だった。アイドルの女の子が鮭漁に挑戦するだけで絵になる。日本酒を飲まされて軽く酔っ払うだけで場が和む。
かわいいは正義。
かわいいは武器。
日本海の冬の寒々とした田舎町でも、ぱっと花が咲いたようになるのは、さすがアイドルである。
「相席食堂」を見終えて、ぼちぼち寝ようかと思ったら、今夜はなでしこの試合があることを思い出した。アジアカップの準決勝である。
相手は中国だ。これなら見なくてもいい。楽勝だろう。
と思ったらなんとPK戦の末に負けてしまった。なんということだ。
延長前半に日本が入れて突き放したと思ったら、後半、119分に中国に同点に追いつかれ、その挙げ句のPK戦負け。なんというか、ワールドカップで日本がアメリカに勝った決勝戦の逆をやられてしまったかのような展開だ。ちょっと呆れる。
2011年にワールドカップでチャンピオンになったチームが、10年かけてアジアカップの決勝にも残れないチームになってしまったでござる。
なんという没落、なんという退化。
欧米のデカい連中が体力にものを言わせたゴリラサッカーをしていたのに対し、日本は技術と戦術、そして献身によって勝った。プレスを厭わず、仲間のために走り、チームプレーに徹した。
だから当時、欧米のゴリラチームが技術や戦術、献身を日本に学んだら、日本は負けてしまうだろうと言われていた。その言葉がまったく正しかったことが証明されたようで情けない。
欧米のチームが追いかけてきているんだから日本はさらに自分を磨かなければならなかったのに、慢心と甘えによってその努力を放棄した。成功体験にあぐらをかいて気がつけば取り残されている、まったく絵に描いたような敗戦である。
再びなでしこが輝くには、相当の荒療治が必要だろう。失われた10年になってしまったなあ。
なでしここそ『雨ニモマケズ』を読んで、心を入れ替えた方がいいかもしれない。
2022.02.02
昨日、今日と二日続けて大手町だ。
オミちゃんのおかげか、大手町も人が少ない。聞けばオフィスもガラガラだそうで「家賃がもったいないですよ、ほんとに」ということであった。
大手町では地下鉄の出入り口や大きなビルのフロアーに、「接種会場はこっち」みたいな看板を持ったお兄ちゃんがやたらと立っている。アルバイトか。
寒いのにご苦労さんだ。
でも接種しに行く感じの人は見かけなかったから、もう慣れっこになってしまったということなんだろう。
芸能人たちも感染が相次ぎ、治った連中がそろいもそろって「熱も出なくて無症状でした」「鼻水が出たくらいですね」と口にする。風邪だよなあ。なんだかなあ。
北海道に暮らす学生たちとリモートで話をする。雪がすごそうだ。つい先日にはオレもそこにいたかと思うと、不思議な気持ちだ。
今は対面禁止なので、先日の北海道行きはギリギリのタイミングだったようだ。居酒屋で食ったホッケ、旨かったなあ。
2022.02.01
岡田武史のサッカー解説は抜群に面白い。ワールドカップ監督として2大会出場の経験を持つ日本人は今のところ彼だけだからだ。
例えば今日のゲームでは「中国戦はチームが合流して3日しかなかったからうまく機能していなかったのに対して、サウジ戦では1週間の時間があったからうまく融合できた」というようなことを言っていた。
そして「昔は1ヵ月の合宿もあったが、多くの選手がヨーロッパで活躍する今は、3日でもうまく融合できるようにならなくてはならない。隔世の感がある。時代は大きく変わった」と続けた。
自身の経験を持ちだしてこういう文脈で語れるのも、代表監督の経験を持つ岡田武史ならではだ。
という具合にPREP法でまとめてみた。確かに読みやすい。
これを起承転結で書くとこうなる。
「中国戦はチームが合流して3日しかなかったからうまく機能していなかったのに対して、サウジ戦では1週間の時間があったからうまく融合できた」と岡田武史は言う。なるほどと、オレは深く納得する。
岡田武史は「昔は1ヵ月の合宿もあったが、多くの選手がヨーロッパで活躍する今は、3日でもうまく融合できるようにならなくてはならない。隔世の感がある。時代は大きく変わった」と続ける。
なぜこういう視点で語れるかというと、日本人で監督としてワールドカップに2大会出場した経験を持つのは岡田武史だけだからだ。
岡田武史の解説が面白いのも、当然のことなのである。
まあ、こういう書き方も面白い。好き嫌いでいくならオレは後者の起承転結のほうなのだが、相手に伝わる文章となると前者のPREP法となる。だから請負仕事で原稿を書くオレの場合、仕事では意識してPTRP法を使う。そのほうが修正も少なく、通りやすい仕事になるからだ。
寿司屋が自分の好きなネタを握らずに客の好きなネタを握るのは、それが仕事だからに決まってる。
などとひとくさりどうでもいいことを述べつつ、今夜のサウジアラビア戦を振り返る。
岡ちゃんの言うように、日本は前のゲームとは見違えるチームになった。試合前は、引き分け上等のサウジに手こずって攻めあぐね、75分ぐらいにカウンターを食らって万事休す、森保を更迭するも次の監督が見つからないという大騒動を経て南米との大陸間プレーオフに向かうというスペクタクルを期待していたのだが、結果は圧勝。
サウジにまったくサッカーをさせなかったと言っていい。
後半、浅野のばかたれがあれを決めていれば3-0の虐殺もあり得ただろう。
これはサウジにとってはトラウマレベルの敗戦だったろう。かなり後を引くと思うぞ。
目を見張ったのは、大迫と長友という、オレがたたき続けている2大ベテランの働きぶりだ。大迫はディフェンス2枚をきちんと殺して仲間のスペースをつくってあげるなど、ポストプレーをさせたらさすがのワールドクラスだった。後半、大迫を下げて前田大然を投入した途端にボールが前線で収まらなくなって落ち着きのないゲームになってしまったことが、大迫がいかに効いていたかを示している。
長友は、守備だけならやはりまだまだ若い者に負けないというところを見せた。攻撃では相変わらずのポジションで、かつてアジアカップ決勝で李の劇的ボレーをアシストした成功体験が忘れられないかのような位置取りに、いやー、そこじゃないんだけどなあと息子とオレは画面に向かって叫ぶ。
だが守備ではまだまだ体を張れるし、さすがのスタミナお化けぶりだった。
対照的に交代で入った中山が、中国戦での粉塵ぶりが嘘のようなしょぼさ。ミスは多いわ、ボールは失うわで、まったくいいところがなかった。
こういうふうにベテランが機能したのも、岡ちゃんの言う一週間の融合のおかげのなだろうか。
もっとも日本も伊東純也がいなかったらどうなっていたかわからないし、サウジの伊東純也対策が甘かったおかげで助かった。次のオーストラリアは絶対に伊東純也を潰しに来るから、左サイド対策は緊急の課題である。やっぱり三笘だよなあ。
そこに旗手をサイドバックに入れれば、おや、守田も田中碧もいるし、川崎フロンターレのできあがりではないですか。あとは鬼木と風間を連れてくればいいだけだ。
というわけで想像を遙かに上回る日本の強さで、これでオーストラリアとガチンコの一騎打ちに持ち込めることになった。素晴らしいことである。
と思ったら、なんとその後深夜に行われたオーストラリア対オマーンで、オージーがやらかした! PKで追いつかれて2-2のドローになってしまったのである。これは痛い。オーストラリアにとっては実に痛い。
ハイライトを見てみたら微妙なPK判定で、まあ、これはオマーンのホームの中東の笛。こりゃあPKなんかじゃないね。ワールドカップ出場を逃す要因になりかねないとんでも判定で、オーストラリアはお気の毒である。
もっともオーストラリアだってよくないんだぞ。
なにしろJリーグの清水エスパルスをクビになって、今はJ2のファジーノ岡山に所属するミッチェル・デュークがレギュラーなのだ。J2の選手が代表というだけで、実力の程がしれるわ。
オーストラリアは今までデカい選手が多いことを活かした放り込みサッカーでアジアを席巻したが、さすがに時代遅れになってポゼッションサッカーに舵を切ったものの、それがまったくうまくいっていない。舵を切っていったい何年たつのか、切りっぱなし状態なのだ。それに歩調を合わせるように弱体化が進んでいる。
ケーヒル依存症が治っていないことは目に見えて明らかだ。
というわけで、次のオーストラリア戦はアウエーといえど今日の出来ならば普通に勝つだろう。そして勝ってワールドカップ出場が決まるだろう。大陸間プレーオフが見たかったオレとしては、ちょっと残念である。
2022.01.31
受付の「お熱は?」の問いに、おばあちゃんが思い切り「普通です」と答えるのを聞いていたオレは、あまりの衝撃に噴きだしながらイスから転げ落ちそうになった。ふ、普通かよっ、熱がっ。
もっとも受付は「いやいや、普通じゃなくて何度ですか」と平然としたもので、おばあちゃんは「あ、36.8度です」と答えていた。
その後も続々とやってくる。
「注射したら熱が出るのか。出ないのか。どうなんだ」と詰め寄って、受付が「人によりますね」と答えても「熱が出たら困る、どうなんだ」と粘るじいさん。このじいさんは「予約を変更したい」と言って「次は3月になっちゃいますが」と聞くと「いや、次の日かその次の日にしてくれ」と粘っていた。
毎日こうだから受付もあしらいには慣れたものである。
だがおかげで会計待ちをしていたオレはなかなか呼ばれず、じっと座って漫談を聞き続けたのだった。
これが地元のかかりつけ医の日常だ。ちょうどワクチン接種の時間帯に重なったようで、タイミングが悪かった。仕方ない。諦めよう。
このかかりつけ医のナカムラは、往診も行っている。地元の老人ホームにも通っているようだ。訪問診療をやっているわけではないが、いずれそのあたりも視野に入れているだろう。何しろクリニックの受付はいつでも高齢者であふれている。寝たきりになって通えなくなった患者もいるに違いない。
病院から家庭へという大きな流れはますます加速するだろうから、訪問診療は増えていく。だからふじみ野市の立てこもりみたいな事件はけっこうヤバい。
なにしろ医者は患者を選べない。断れない。中にはヤクザもいれば宗教もいて変質者もいるだろう。それでも断れないのが医者だ。
事件を受けて「警官と一緒に行けばいい」という声もあるが警察がそんなことで全部の訪問に同行するわけはないし、「ALSOKがいい」と言ったってそのカネは誰が払うんだということになる。結局現場の医師たちが体を張ってリスクを取るしかないんだろう。困ったものである。
なお「熱が出たら困るから予約を変更しろ」とねじ込んできたじいさんは、受付に「先生が熱冷ましをお出ししますから」と言われてなんとなく納得したようで「じゃあ、それでいいや」と帰っていった。
歴戦の受付の手腕は見事なものであった。
2022.01.30
あの大久保が「現役時代の自分はああいうキャラを演じていた」と言い始めた。自分を売り出すためにあえて悪童を演じたというのだ。
あまりのアホな言い訳に、総突っ込みが殺到。
「何を今さら」「嘘つき」「今こそ演技」「高校時代から口汚く罵っていた」「いい子ぶっている今が別人格」「イメージアップしたいんだろう」「バラエティに出たいんだろう」と散々だ。
オレもこいつのことは岩下と同じくらいに大嫌いだから、今さらふざけるなと思う。相手チームへのリスペクトに欠けるどころか同じチームメイトにも罵声を浴びせ、若手に怒鳴り散らして萎縮させる。そんな姿を、今さら“演じていた”と言われても。
テレビやCMの仕事もしたいのだろうが、あまりにイメージが悪すぎる。そこでこういう作戦に出たんだろう。
人間、やっぱり普段の行いが大切だという当たり前のことを思い出す。
この猛獣を唯一ちゃんと使いこなしていた中村憲剛がたいへんに穏やかな人格者であることは、実に象徴的だ。
そんなことを考えながら、今日は夕方からなでしこジャパンのアジアカップ準々決勝を観る。相手はタイだ。
まあ楽勝だろうと思って後半4-0になったところで観るのをやめたら、なんとその後さらに3点取って、結果は7-0。なんとも無慈悲な結果に終わっていた。
知らないメンバーも多いが、左サイドの宮澤ひなたというのがなかなかいい。猶本や長谷川唯ちゃんあたりは安定のパフォーマンスでさすがである。気になったのは岩渕真奈ちゃん。本調子ではないのだろうが、ドリブルでガンガンに仕掛けていく姿がなくて、スタイルを変えたのかなと思った。
真奈ちゃんにはもっとドリブルで突っ込んでいく姿を見せてほしいものだ。
それにしても7-0って。カップ戦の国際試合ではよくある結果ではあるが、さすがに決勝トーナルントに進出後にはあまり聞かない数字だ。タイのメンタルは折れただろうなあ。
夜「イッテQ!」を観る。
今日は練馬に宮川大輔がやって来たという設定だ。どうやら練馬は、世界の果てらしい。
内容は、ご存じ、大根の引っこ抜き大会である。練馬区では手垢のついたイベントで、実際に参加する人はめったにいないが、毎年テレビで何度も放送されるので、ああまたかと思われているイベントだ。
なお練馬大根は確かに練馬の名産だ。しかし実際に食べたことのある人は地元にはほとんどいない。スーパーで売られているのも一度も見たことがないし、我が家でも買ったことはない。
だが小学生はみんな給食に、大根おろしのかかった練馬スパゲティというのを食べて大きく育っている。たぶん収穫のほとんどはそっちに流れていて、スーパーとかには出回らないのだろう。あとは物産展なんかで練馬大根のたくあんとなどが売られる程度だ。
大根引っこ抜き大会は文字通り大根を抜くだけの大会で、なんのひねりもない。実にシンプルでどうにも盛り上げようのないイベントなのだ。案の定、宮川大輔のロケもあっさり終了。実に安上がりな内容のロケであった。半日ぐらいで終わったんじゃないのかな。
穏やかな日曜日、書くべき原稿もなく、だらだらと過ごす。昼にテイクアウトのインド料理を食って、うとうとと昼寝する。ナンが腹にたまって、いい気分なのだった。
2022.01.29
我が家から車で5分のところにコメダ珈琲があって、週に一二度くらいのペースで行く。今日は息子と一緒に夕方、行った。
オレは日中に書き終えた原稿の束を持って読み返すために、息子は間近に迫った大学の定期試験に備えた勉強のために。
オレはChromebook、息子はiPadを持つ。
ここのコメダ珈琲はいつもそこそこ混んでいて、タイミングが悪いと少し待たされる。移動中の営業マン、地元のおばちゃんたち、在宅勤務の人たち、勉強の学生たち。様々だ。
夕方近くなるとだいぶ空いてくるので、今日もゆったりと座る。
コメダ珈琲はタリーズやドトールなどのカフェに比べると高いが、昔の喫茶店が希少となった今では、広いテーブルにパソコンなどを十分に広げられてありがたい。かつ仕切りの板が高いので、店内の余計な動きが目に入らないのがいい。集中できる。
今日も気がついたら90分が過ぎていた。
コメダ珈琲で気になることと言えば、韓国系のファンドが経営しているという噂である。げえっ、韓国かよ。ガチ右翼であるオレたち親子はそれだけでぶち切れそうになるが、豆菓子が旨いので許す。それにどうやらそのファンドも既に売却しているという噂もあって、結局、要するに、つまりコメダ珈琲がどこの国の会社なのかはよくわからないのだ。
だからまあいいか。呑気に過ごせるからいいや。
発祥は名古屋だから、昼時などにサンドイッチ類を頼むと、どえりゃーことになる。とにかくボリュームが多いのだ。いつだったか、モーニングセットにサンドイッチも追加したらどえりゃーことになってしまって、腹が苦しかった。
息子のiPadにはすべての教科書とすべてのノートが収められているから、これ一つを持てばどこでも試験勉強ができる。オレもそろそろ紙のノートからiPadでメモを取ることに切り替えようかと思いつつ、タッチペンの信頼度がイマイチだったりして、まだためらっている。結局メモをばーっと並べて全体を俯瞰しながら話を構成するには、紙が一番いいような気がしているが、どうだろう。
一方でマジックキーボードは相当に優れているような印象で、一度は使ってみたいという気持ちもある。ただ高いんだよなあ、アップル製品は。とにかく。
娘の受験を控えている今はとにかくおとなしくしていよう。
カフェと言えば、昨日は銀座のみゆき通りのベローチェに行った。ここも銀座に行くたびに必ずと言っていいほど立ち寄る店だ。コーヒーがとにかく安いので助かる。この店舗はちょっと複雑な形状をしているので、座る位置によって店内の雰囲気がまるで違って見えるのが面白いところだ。
オレはコーヒーそのものは大して好きではないのだが、カフェで時間を過ごすのはけっこう好きだ。学生時代もよく喫茶店に行ったっけなあ。
下宿のあった祐天寺の駅前には個人経営の小さな喫茶店があって、マスターはいつも競馬のノミ行為をしながら接客していた。あらかじめ煎れてあったコーヒーを、客の注文に応じて、鍋で煮詰めて出していた。よくあんなまずいコーヒーを飲んでいたもんだなあと、懐かしく思い出す。
2022.01.28
今日は銀座である。久しぶりだ。今年になって初めてではないか。
オミクロンの話題になり、「濃厚接触者になったと嘘をつくヤツが続出して困っている」という話になった。どういうことかと思って詳しく聞いたら「サボるんですよ」とのこと。
要するに自宅待機と偽って仕事をずる休みするケースが増えているのだそうだ。これには笑った。
どうやっているのかは知らないが、なんとか知恵を絞って濃厚接触者の振りをしているのだろう。だからその会社では、職場で感染者が出ても濃厚接触者になりたがる連中に知らせないようにと内緒にしているそうである。
確かに「濃厚接触者になってしまいました」と言えば、堂々とサボって家でごろごろできるもんなあ。いろいろと考えるものだ。
夜、ニュースを見ていたら、渋谷の街頭で都庁の職員が「外出を控えましょう」という看板を持って立っている様子や、街頭宣伝のクルマが注意を促しながら走る様子が放送された。
まったくこれで本当に感染者が減ると思っているのか、相変わらずしょうがねえなあとテレビに向かって罵る。
そんなオレに向かって息子が「今自分にできることを一生懸命に考えてやっている人のことを、笑ってはいけないよ」と諫める。これではどっちが大人でどっちが子どもだかわからない。
実にその通りだなあとオレは、酔った頭で深く反省するのだった。
2022.01.27
今日は小田原である。
遠い。実に遠い。ドアツードアで2時間もかかった。新幹線ならばもうちょっと早いがそれでも30分くらいしか違わないだろう。それで交通費が片道4000円の往復8000円なのだから、割に合わない。片道2000円で在来線をとろとろと行くのだ。
せっかく小田原まで来たので、スーパーに隣接した海鮮丼の店でお任せ海鮮丼というのをいただく。当然旨い。やっぱ小田原は海鮮丼だな。
仕事を終えて帰りも2時間。さすがにこれだけ電車に乗っていると眠くなる。読書も続かない。
それにしても湘南新宿ラインは便利だな。始発駅の小田原から座りっぱなしで池袋だ。乗り換え一度で帰ってこられちゃうんだから、湘南新宿ラインは偉大である。
今日は男女とも代表のカップ戦予選だ。これを見るために早く帰ってきたわけではないということを、ちゃんと言っておかなくてはならない。帰ってきたらサッカーをやっていたのだ。
なでしこの相手は韓国。アジアカップの予選リーグだ。
開始32秒で先制点を決め、その後はなんだか舐めた試合運びに終始する。こりゃあやられるだろうと思ったら試合終了間際にバカみたいな失点をしてしまった。なんだ、このみっともない失点は。
舐めた試合運びをしているからこうなるのだ。
それ以上に舐めていたのが中継の解説陣。岩清水と大野というワールドカップ優勝メンバーで、これがうるさいのなんの。この世代の特徴なのか、女子の特徴なのか、試合のことなんかほったらかしての女子トーク。岩清水が大野のことを「忍ちゃんは」なんて呼び始めて、仕事を舐め腐っているのは選手だけじゃなくてこいつらもだった。
とにかくのべつまくなしにしゃべりまくっているのは、いったい何なんだろう。女だからか。あ、ジェンダー様に怒られるっ。だが女だからだろう、きっと。うるさくてうるさくて、試合に集中できないじゃないか。
なでしこの解説ということで思い出したのだが、優勝したワールドカップでの解説も酷かったなあ。アナウンサーに「今日本に必要なことは何でしょうか」と振られた解説がきっぱりと「得点です、きりっ」と言い放ったのには腰を抜かしたっけ。もはや伝説の名解説である。あれに比べればどんな解説も名解説。
ぐったりと疲れて、続けて男子のワールドカップアジア予選を見る。
こちらは前半は地上波のテレ朝で見た。相変わらずの松木がうるさい。中継も日本がんばれ、日本すごいの繰り返し。ちゃんとサッカーの仕事をしようよ。
もはやサッカーはDAZNで見るものとなってしまったのは、DAZNのせいじゃなくて、地上波の自業自得ではないかとさえ思えてくる。
そこで後半はDAZNに戻る。
DAZNの解説は、これもうるさい中村憲剛に佐藤寿人。実は当初はあの大久保の予定だったのだが、コロナにかかりやがって辞退だ。人様の病気を喜んではならないが、大久保だってさんざんサッカー選手を壊してきたんだ。お天道様はお怒りである。
代わりに入ったのが佐藤寿人というのが地味すぎるが、まあ、よい。はしゃぐよりよっぽどよい。しかも中継は桑畑さん。ちゃんと試合の流れを読んで強弱をつけられる。のべつまくなしに日本がんばれの地上波アナとは雲泥の差。
サッカーの解説と言えば地味にお気に入りなのが、梅山修である。DAZNでよくアルビレックスのゲームを解説していた。落ち着いていて、実にわかりやすい解説だった。
あるゲームでは相手のコーナーキックの際に、ボールの行き先を見事に当てて見せて「分かっちゃいましたよ」と笑っていた。実況アナは「サインが分かったんですか」とびっくりしていたが、オレも驚いた。
今年もこの人の解説を楽しみにしていたのだが、アルティスタ浅間というチームの監督に決まってしまった。残念。
それはともかく今日の日本の相手は中国だ。まあ、楽勝だろう。だがこちらも女子のように舐め腐った試合運びをして、点が取れずに後半15分くらいから焦り始めて、いつだったかの柴崎のようなとんでもないミスで失点という試合展開も予想される。それぐらい今の日本代表は酷い。
結果、なんとか勝ったのは慶賀の至りである。
だが相変わらず長友、大迫、南野あたりが酷い。長友は何をしたいのかさっぱり意味不明のポジショニングで、まるで攻撃の起点になれない。ふらふらと意味不明のポジションを取るから、例によってその介護に守田が疲労困憊だ。
大迫も毎度おなじみの敵ゴール前でのクリアーが冴え渡る。交代直前のゴール目の前の宇宙開発なんて、目も当てられない出来だった。
この2人を変えた途端、2点目が入ったのは、実に象徴的だ。特に長友に代わって入った中山がファーストタッチでアシストを決めてみせたのは、サイドバックっていうのはこうやって攻撃の起点になるのだというお手本だ。長友の徘徊ぶりには仲間も呆れているのか、ちっともパスを出さなかったし、もはや誰も長友に対して起点になることなど期待していないのかもしれない。
「Jリーグはぬるい」と帰国しての大放言は、外資系大企業から国内中小企業に転職した中年社員が上から偉そうに若手に向かって説教をたれている、そんな様子を想像させた。そんなヤツは嫌われるに決まっているだろう。そんなことも分からないとは、まあ、もともとその程度の猿頭脳だったということか。
酷いことを書いているな、オレは。とても64歳が書くこととは思えない。反省しよう。
まあ、それはともかくとして、2-0で日本は中国に勝ち、自動出場権の2位以内に踏みとどまる。よっしゃ、やったあ、と松木が喜ぶのもわからないでもないが、今日の展開を見る限り、ますます出場は厳しくなったのではないか。
日本は続くサウジとオーストラリアの勝利が絶対。けが人続出のうえに森保の謎選考でまともに選手がそろっていない状態で闘わなくてはならない。これは寒さに震えるサウジの体が温まる前に点差を広げる作戦しかないが、今日の森保を見る限りまた長友と大迫の先発が濃厚でちんたらした攻撃しかできず、後半になって寒さに慣れたサウジにドカンとやられるだろう。
仮にこれに勝ったとしても、ガチンコが続く日本に対して、オーストラリアの最終戦は出場が確定して捨て試合に臨むサウジが相手。
得失点差が響いてくる可能性は十分あるのに、今日の中国相手に2点しか取れないのでは、最終的に得失点差勝負でオーストラリアの後塵を拝するだろう。うーん、絶望的だ。
こうして第3代表決定の大陸間プレーオフに回ることになるのだが、相手は南米。コロンビア、ペルー、チリ、ウルグアイのどこかになりそうだ。そのどれと当たることになっても、アジアで2位にも入れない日本が勝つとは思えない。
すべてはアウエーのサウジ戦の柴崎のボケミスのせいだ。
ただ正直なことを言えば、実は第3代表決定戦はぜひ見てみたいのだ。ガチガチの真剣勝負である。本気になった南米チームとのアウエーでの闘いなんてしびれるではないか。あのジョホールバル以来の緊張と興奮だろう。なんだか今からワクワクしてきたぞ。
2022.01.26
ポール・マッカートニーが「When I'm Sixty-four」を書いたのは16歳の時だったという。この曲や「Golden Slumbers」のような、小さいけれどとんでもない名曲をさらっと書いてしまうあたりが、ポール・マッカートニーの天才たるゆえんなんだろう。
「When I'm Sixty-four」では、若い恋人に向かって「僕が64歳になってもバレンタインデーに贈り物をくれるかい」と問いかける、なんのひねりもない、他愛なくて可愛らしい歌だ。
ポール・マッカートニー自身は64歳の誕生日を前に離婚してしまったのだが、そんな彼を元気づけるために仲間が集まってこの曲を歌ってあげたそうだ。マジかよ。ステキなエピソード過ぎて疑ってしまうほどだ。
この歌で描かれているのは、なんとも幸せな夫婦の姿。同じアルバムの中の「She's Leaving Home」(これも小品ながら名曲)では親子の断絶が描かれているのに対し、とてもハッピーな気持ちにさせてくれる歌だ。
当たり前だが64歳の誕生日は人生に一度きりしかない。
そのたった一度の誕生日に、オレはギターを弾きながら自分に向かって「When I'm Sixty-four」を歌った。一生に一度きりのことを成し遂げて、なんだか少しいい気分だった。
子どもたちが大きく育った今、父親の誕生日だからといってハッピーバースデーをするわけでもない。
娘なんて「おめ」と言ったきりである。「おめ」だぞ「おめ」。まあ、JKなんてそんなもんか。
外は真冬の快晴。家族の誕生日を家族みんなで祝うというのは、人生の限られた時期だけの幸せな時間なのだなあと改めて思う。
それにしてもまさか本当に自分が「When I'm Sixty-four」になるとは。16歳のときには想像もしていなかったな。
次はサイモンとガーファンクル「Old Friends」の“70歳になるとは、なんてへんてこなことなんだろう”というフレーズを歌うために、これからの日々を過ごすのであった。
2022.01.25
フリーランスになりたての頃のことである。
ある建築家のもとへ仕事で訪れた。その建築家もフリーで、自宅で仕事をしていた。
彼はオレに向かって「仕事しながら飲んでる?」と聞いてきた。えっと思って問い返したら「いやあ家で一人で仕事してるとつい飲んじゃうよねえ」と、オレもきっとそうに違いないという口調の答えだった。
昼間っから、しかも仕事をしながら飲むなんてとても考えられなかったから、というより飲み始めたら絶対に仕事なんて放り投げてしまうから、オレは曖昧な薄笑いで「飲まないっすねえ」などと答えた。
あの若い建築家はその後どうしただろう。30年前のことだ。よもや依存症になどなっていないだろうな。
それはともかく、コロナでテレワークが定着し、おかげで家で朝から飲むようになってしまったという話を、たまーに聞く。手持ち無沙汰だから、寂しいから、手の届くところにあったから、人はテレワークしながら酒を飲む。そういう人たちは確かにいるようだ。
テレワークの罠だな。
仕事では誰だって理不尽な目に合う。自分の責任でないのに怒られ、言われた通りやっただけなのに責任を取らされ、ここで自分が我慢すれば丸く収まるとぐっと飲み込んで頭を下げる。お天道様はきっと見てくれているはずだと自分に言い聞かせながら。
そんなとき、隣の席の後輩が「気持ち、わかるっす」と話を聞いてくれたり、廊下ですれ違った同期が背中を叩いて励ましてくれる、それだけでどんなに救われることか。
「ちょっと聞いてくれよ〜」と1分間だけでも愚痴をこぼせることのありがたさよ。解決しなくていい。ただ聞いてほしいだけなのだ。
だがテレワークではそうはいかない。フリーランスもそうだ。
誰もすれ違いざまに愚痴を聞いて励ましたりしてくれないから、一人で理不尽な思いをごくりと飲み込み、腹の中で消化しなくてはならないのだ。
これが案外きついのよ。特に一人暮らしでは。だから酒を飲んでネットを見て忘れる、という道に向かう。
考えてみればフリーランスとして長くやってきたオレは、案外、ストレス耐性が高いというか、無神経というか、鈍感なのだろう。外注の下請けみたいな最末端での仕事が多いので、ときにはなんでオレがと思わないこともない状況にも直面するが、それでも過ぎてしまえばどうってことはないということを学んで、消化してきた。たまにブチ切れはするものの、年齢を重ねるに従って穏やかさを保つべく自分をコントロールするすべも身につけたと思う。
つまり繊細すぎる人はテレワークにはあんまり向かないような気がするのよ。
というか適者生存ではないが、ちょっと鈍感なぐらいのほうがテレワークには向いているんじゃないかな。今さら気づいたのかよと言われそうだが。
2022.01.24
昨夜「Mr.サンデー」を観ていたら、コメンテーターの木村太郎がものすごいことを口走ったのでガチでびっくりした。
木村太郎はおおむねこのようなことを言った。
「コロナ対策を緩めろというような風潮があるが、我々高齢者にとっては大変危険なことである。世代を代表して、厳しく規制して欲しい」
こういうことを、確か繰り返して二度発言した。あまりのことに司会の宮根はスルーしていた。
そんなに危険だと思うなら、スタジオなんか来なければいいのに。ちゃんとマスクをすればいいのに。芸能界でも感染者が頻出しているわけだから、そこまで言うならテレビに出るなんていうリスクを冒さなければいいのに。
そもそもなぜ木村太郎は、「我々は自宅でおとなしくして自分の身は自分で守るから、若い世代はもとの生活に戻って経済を回して欲しい」ぐらいは言えないのか。世代を代表してそれぐらいは言えばいい。
木村太郎は83歳である。「オレたち高齢者の命を守るために、若い世代は自粛しておとなしくしていろ」と主張しているのに等しい。こりゃあ、あんまりすぎる。
日本を没落させ、格差を広げ、情けない国にしてしまった連中の命を守るために、これから日本を支えていく若い世代は我慢を強いられている。これがコロナ規制の一番の問題だ。だから若い世代はもっと怒ってもいい。
今オレは浅田次郎の「壬生義士伝」を読み返しているのだが、「家族や民衆を守るために命を捨てるのが侍だ」と胸を張る男たちの姿に比べて、木村太郎のなんと貧相で醜い精神よ。
ネットは「老醜」「晩節を汚した」「消えろ」と怨嗟の声で炎上だ。昔はいいジャーナリストだと思ったけれど、もうダメだな、このじいさん。
なーにが世代を代表して、だ。
2022.01.23
日本が第2次世界大戦の終戦を迎えた前日、つまり昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾に反対した近衛兵たちがクーデターを起こして皇居を占拠したということは、日本人なら誰でも知っている常識なのだろうか。
オレは知らなかった。だから今読んでいる半藤一利の「日本の一番長い日」にそんな描写が出てきてびっくりした。オレが無知なだけだったかもしれない。
8月14日、天皇は既に玉音放送の録音を終えていた。クーデターを企んだ近衛兵はその音源を奪い取ってしまえば終戦とはならず、連合軍との本土決戦に持ち込めると考えたらしい。その目論見は、音源を保管したのが本来の録音技師や政府関係者ではなく、たまたまその場で一晩預かってくれと頼まれた侍従だったという偶然によってあっけなく潰えた。
クーデター派の動機は、連合軍から天皇を守るには天皇を人質にして戦争を続けるしかないということだったらしい。気持ちはわからないでもない。
この玉音放送の音声を収めたディスクが見つかってクーデター軍の手に渡っていたらポツダム宣言の受諾には至らず、首都圏は日本近郊に集結していた連合軍の一斉攻撃を浴びて焦土となってしまったはずだ。それどころかポツダム宣言にはサインしていないのに虎視眈々と北海道を狙っていたソ連が直前になって参戦し、どさくさに紛れて北海道をそっくりと占領されてしまったに違いない。
こんなクーデター騒ぎのことなどオレは今までちっとも知らなかった。まったく歴史のifというやつは面白い。
というわけで半藤一利の「日本の一番長い日」を読みながら、同じ題名の映画をAmazonPrimeで観たのだった。日曜日にこうして映画を観るのは無上の喜びである。本当は朝早くから浸りたいのだが、今日は午前中に片付けねばならない原稿があったので、昼飯を食ってから観ることにした。娘は塾で模試、息子はタリーズで試験勉強である。
映画「日本の一番長い日」では昭和天皇を本木もっくんが演じている。よく引き受けたなあ。右からも左からも難癖を付けられそうな仕事ではないか。そしてこれが好演。当初、もっくんはさすがに受けることを躊躇したらしいが、樹木希林に背中を押されて決断したそうだ。皇后との食事シーンも描かれている。
政府閣僚を前に皇居地下の御文庫でポツダム宣言受諾の決意を告げたとき、ハンカチではなく白い手袋で涙を拭いたというシーンまで、実に丁寧にリアリティたっぷりに演じている。
主役は役所広司。陸軍大将の阿南を演じている。さすがの役所広司という演技だ。そして首相の鈴木貫太郎は山崎努。圧倒的な存在感で、山崎努は山崎努でしかないということを示している。クーデターの首謀者の1人は松坂桃李が演じて、ぶち切れ熱血右翼ぶりが好ましい。
豪華な役者陣を使って、監督が丁寧に創り上げた映画だ。特に美術が見事で、昭和20年の世相を見事に伝えている。
こういう良質の日本映画は大切にしなければなあ。
続けて「一度も撃ってません」という映画を観る。
主人公の売れないハードボイルド作家を石橋連が演じる。この作家の裏の家業が伝説のヒットマン。しかし実はヒットマンとしての仕事は下請けの妻夫木聡に発注しているという構造だ。
基本的にはコメディである。ハードボイルド作家が情けない立ち振る舞いで、妻に浮気を疑われてうろたえたりする。
実にまったく面白くない映画で、脚本がとことんダメだ。要するにこれは金を取って人に見せようという作品ではなくて、クセのある役者たちを集めて何かやらせてみようという映画なのだろう。桃井かおりとか井上真央とかも出ていて、クセのある演技だし。クセがあるだけでちっとも面白くないのだが。
あれっと思ったのが、バーのマスター。見た瞬間、あっ、あいつだと思ったのだがしばらく思い出せない。すごくよく知っている役者なのに名前が出てこない。
しばらくしてやっと思い出した。プロレスラーの新崎人生だ。みちのくプロレス出身で、各団体を渡り歩いたレスラーである。お遍路さんの衣装で登場し、必殺技がロープ最上段を拝みながらつたい歩きするというやつ。一言も発しない寡黙なキャラで、存在感はたっぷりのレスラーだった。
その新崎人生が、キャラそのままに無口なバーテンダーを演じ、客のトラブルもあっさりと片付けてしまう最強ぶり。とにかく分厚い肉体が圧倒的な存在感を放っているのだ。ただ演技が棒。調べたらもともとは芸能界志望で菅原文化の付け人をしていたそうだ。プロレスラーになったのも「芸の肥やしになったら」という理由だったらしい。
それにしては棒すぎる。存在感は圧倒的なのだからもっと演技を磨けば面白い役者になりそうなんだが、惜しいなあ。
こうして例によって日曜の午後はアマプラの映画を楽しんで過ごす。
そういやDAZNが一気に3000円に値上げするというので騒ぎになっている。サッカーをはじめとしてこれだけのスポーツコンテンツが山盛りだから月額3000円でも高くはないと思うのだが、オレはアルビレックスの試合しか観ないというヤツにとっては惜しいのだろう。
どうもコンテンツは安ければいい、タダなら一番いいという考えが根底にあるようだ。観るならゃんと対価を払おうよ。
と言いつつ、オレはドコモ経由で契約しているので980円。実に安い。これも値上げの対象となるのかどうか、まだ発表がないので分からないが。
そもそもDAZNは巨大なコンテンツプラットフォーマーであるがビジネスは赤字。けっこうなマイナスを出している。日本代表アウエーゲームを独占するなど攻めてはいるが、それが加入者獲得にはなかなか結びついていないのだろう。だからといってDAZNが潰れると大変に困る。なんとか3000円でも加入者を増やしてほしいものだ。
2022.01.22
昨日、女子のアジアカップがあって、なでしこがミャンマーと試合をしていた。DAZNで中継を観たのだが、相手のシュートはゼロという、圧倒的に一方的なゲームだった。
でも結果は4-0。シュート精度がとにかく酷く、これだけ圧倒してたった4点しか取れないのかよと。でもまあカップ戦は結果がすべて。初戦、きっちり勝つことは大切だ。
ゲームの解説は、福西と海堀。福西はいいとして、問題は海堀だ。
2011年、あのワールドカップで優勝したときのキーパーが海堀。目の前で後輩たちが繰り広げるゲームのことなどほったらかしで「私たちの頃はもっとギラギラしていた」「ピリピリしていた」「口にしたことは責任をもって実行した」など、昔のオレたち自慢をする。一番うんざりするパターンだ。
こういう上司と酒の席で一緒になったりしたら最悪。
アナウンサーも福西も面白がっているのか、海堀をおだてて調子に乗せるような振り方をしていた。
時代が違うし選手も違う。過去の自分たちを引き合いに出して上からものを言うのは恥ずかしいからやめた方がいいよ、海堀も。
そういや、宮間あやはどこに行ってしまったんだろうか。
先日はネットの記事でちょっと見かけた。丸山桂里奈と、あのワールドカップのゲームを振り返るというサッカーマガジンの対談記事だった。話し相手はちゃんと選ぼうよ、宮間。
あれだけの功労者なのに石を投げられるようにサッカー界を追われ、以後、一切サッカーには関わらないと決めたという話も聞く。本当かどうか知らないが。
宮間の失敗は、若い選手たちの姿勢に我慢ができず、自分ができた努力がどうしてお前たちにはできないのだと振る舞ったことだろう。天才選手にありがちなことだ。代表の中で浮いて、チームでも浮いて、とうとう居場所をなくして消えていった。不思議なのは一緒に闘った仲間たちも宮間に対して口をつぐんでしまったことで、相手になるのは丸山ぐらい。なんだか不思議だなあ。あんなに素晴らしいチームだったのに。
「朝、目が覚めた時、もしその日一番やりたいことがサッカーじゃなかったら、私はその日に引退する」
こめは宮間あやの名言の一つ。素晴らしいプロ精神だ。見習いところだがなかなか難しいなあ。
目覚めたときに一番やりたいことが仕事です、なんて言えることじゃないもんなあ。まさに呼吸をするようにサッカーをしていた人なんだろう。
2022.01.21
本日のインタビュー相手の1人が、ドタキャンになった。聞いてみたら案の定、濃厚接触。家族が次々とオミっちゃって、ご本人は感染していないものの仕事どころではないというわけだ。
ついでに一緒に仕事をする予定だった代理店君もドタキャン。こちらは会社の隣の席がオミっちゃったらしい。そりゃあドタキャンしてもらわないと、こっちが困る。適切な判断である。
こんな感じでひたひたと周囲に迫ってきた感じだ。
笑っちゃうのはテレビだ。朝、いつものフジテレビのニュースをつけたらキャスターとか、全員知らない顔ばかり。なんでも昨日スタジオにやって来たジャーニーズくんがオミっちゃったらしくて、一緒にスタジオにいた全員がアウトだそうだ。お気の毒に。
早朝のニュースに突然呼び出されて、慣れない進行でさぞバタバタだっただろう。
1人、寒空でいつも震えながらお天気を読んでいるカヤちゃんだけが、外にいたというのでセーフである。
まあ、オレはニュースを見るというよりカヤちゃんを見るためにテレビを付けているから、これでまったく問題ない。カヤちゃん、スタジオの仲間に入らなくてよかったね。
しかしここまでくると政府だとか専門家だとか医療界の偉い人とか、さすがにバカじゃねえのと腹立たしくなる。都知事含め。
波が来た、大変だ、出歩くな、あれこれ禁止だと、ただ騒ぐだけ。医療崩壊って一体何回繰り返してりゃいいんだ。
ただあたふたと騒いで大きな声を出しているだけである。とことんバカじゃねえの。こういうのを無為無策の典型というのだろう。もちろん医療現場で汗を流している人たちは別として。
デルちゃんが弱毒化したのがオミちゃんで、明らかに普通の風邪に近づいているのだから、無為無策の連中もちっとは頭を使え。インフルエンザだって年間3500人死んでいるのだから。
オレは、あのキャラは嫌いだけれど、木村盛世の言ってることは圧倒的に正しいと思うのだがなあ。
そんな中でも気がつけば冬は半分が終わって、あと1ヵ月でJリーグが始まる。新しいシーズンだ。
アルビレックス新潟も今年こそはJ1昇格を目指して、高知でキャンプをスタートさせた。と思ったら初日からオミっちゃったヤツ、通称オミっちゃんが続出。オミちゃんだと無為無策専門家の代表のあのじいさんと紛らわしいので、感染者はオミっちゃんと呼ばれるのだ。
オミっちゃんが続出したものだから当然のごとく濃厚接触者も続出で、なんと50人が濃厚接触者の疑いだそうだ。キャンプ地の高知県としてはたまったもんじゃなくて「何しに来た」と怒り心頭だろう。
もちろん練習どころではない。すべてのスケジュールが中止で、濃厚接触疑いの50人は当面ホテルの部屋に一日中缶詰めだそうだ。
頭が筋肉で体力だけは有り余っている若いサッカー選手がホテルの部屋に転がって一日中スマホを眺めているのかと思うと、あまりのことにこちらもうんざりしてくる。
こりゃあ体の強化も、戦術の落とし込みも何もできず、本番を迎えることになりそうだな。とほほ。
とことんもってないクラブで、情けなくなってくる。全部オミちゃんのせいだ。そして無為無策の連中のせいだ。
2022.01.20
北海道から帰ってきたのが昨夜12時近かったので(息子が駅まで迎えに来てくれた)、寝たのも遅く、これは朝は少しゆっくり寝るかと思ったのだが、案に相違していつもの時間に目が覚めてしまった。高齢化あるあるである。
まあ、よい。今日は一日中家にこもって原稿仕事である。朝からガンガンと書きまくるのだ。
コロナで塾へ行けない娘も終日家で受験勉強、息子も家でリモート講義を受けている。
息子が大学に合格したのはつい先日のような感覚なのだが、早くも学生生活の半分が終わろうとしているのだ。まったく時の流れとは早いものである。
夜、テレビ朝日のバラエティを見る。練馬区のウラを特集するという番組だ。
どれどれと思って見てみたが、案の定、まったくウラでもなんでもなく、変わったメニューを出す店の紹介にとどまる。まあ、地上波バラエティなんてこんなものだろう。リサーチャーにカネのかからないネタを出させて、おてがるロケでいっちょあがりてなもんだ。
いんや、本日の番組で問題なのはそこではない。タイトルが練馬区vs足立区、住むならどっち、という点だ。
おい、ちょっと待て。どうして練馬区を足立区と競わせる。住民の誰もが怒りの髪で天を衝く。娘は冷静に「足立区民だって同じこと思ってるよ」と言い放つのだが、娘よ、ならばお前は足立区に住みたいと言うのかと問い詰めれば「いや、あの」と娘は口ごもる。
大学に入った頃に息子が驚いたのが、地方からやってきた仲間たちが揃いも揃って「足立区って本当にヤバいのか」とたずねてきたことだった。足立区がヤバいというのは今や全国的な共通認識なのである。
今では足立区もだいぶきれいになった。北千住あたりは、見違えるほどである。
だがちょっと奥地に足を踏み入れれば、例えばかつて足立区のビバリーヒルズを自認していた竹ノ塚は夜のフィリピーナの巣窟と化し、奥地の巨大団地群は限界集落としてスラムになっている。番組では足立区では10円で野菜などが買えると紹介し、大勢の客が先を争って商品を買い漁っている姿を紹介する。
その様子を見ながらゲストのタレントたちが「安いわ」「すごいわ」と目を丸くするのだが、見下してあざ笑っている本心が見え見えなのだ。おい、笑われてるぞ、足立区。
そんな足立区と並べて論じられて練馬区が面白い訳はなく、ふん、と言いながらテレビのスイッチを切る。地上波バラエティなんか見たオレが馬鹿だった。
もっとも足立区の住人に言わせると「本当に悪いやつは港区に住んでる」ということになる。確かにそれはそうだ。変なところで本質を突くんだなあ、足立区の人たちは。
もっと練馬区の紹介では農家が設置する無人の野菜販売ボックスが取り上げられていて、それはオレたちには当たり前の光景なのだが、区内のあちこちに設置されているという紹介に、実はこれって珍しいことだたのかと認識を新たにする。ここでもスタジオは「やすーい」という声だったので、バカにされているのかもしれない。く、悔しい。
実は先日、駅前のラーメン屋で出川哲朗と堀田茜がロケをしていたという情報がネットで流れていた。この二人なら「イッテQ!」だろうとは思ったものの、さすがに練馬はそこまで世界の果てではなかろう。
ではいったいなんの番組なんだと思って、今日のバラエティを見た次第である。
今日は出川哲朗も堀田茜も出なかった。ではなんの番組なんだろう。謎は深まるばかりである。謎ってほどでもないが。
2022.01.19
札幌近郊に建設中の新たなランドマークの取材をする。
隣接する高校では、グラウンドで生徒たちがスキーをしていた。体育の時間なのだろう。本当にグラウンドでスキーをするんだなあ。どうもオレは高校生ぐらいの若者たちが集団で楽しく過ごしているという場面が好きらしく、遠目に眺めて心を温める。
今日の札幌は最高気温がマイナス2度。最低ではない、最高気温だ。ひゃー、しばれるねえ。
広大な大地の向こうに山々が遠く輝き、おお、これぞザ・北海道という景色に感動する。でも住むのはいいや。旅行でいい。
取材を終えて電車で空港に向かう。
札幌あたりでは道に点々と石のようものが散らばっている。なんだこれは。
訪ねてみたら、滑り止めの砂利とのこと。「交差点にはその箱が置いてありますよ」というので気を付けてみてみたら、確かに「滑り止め用砂が入っています」と書かれたボックスが置いてあった。
この中には細かな石を収めたビニール袋が入っていて、そして気がついた人が新しく積もった雪の上にパラパラと石をまくという仕組みらしい。雪国の生活の知恵である。
オミクロンが猛威を振るっているというので、今年も雪まつりは中止だそうだ。オレも来月予定されていた札幌出張が中止になった。
行きの飛行機ではキャビンアテンダントのお姉さんが、荷物を戸棚にしまおうとするオレに向かって「空いてますからゆっくりどうぞ、広くお使いください、ええ、お隣の席も空いていますよ」とやけくそ気味の笑顔で話しかけてきた。
新千歳空港も驚くほど人が少ない。
相変わらずお土産コーナーや飲食コーナーが充実していて、広い分、ガラガラ具合が際立っている。それにしてもいつも思うが、この空港は充実しているなあ。出発まで時間があるので客の「豪遊しましょう」との提案に乗って、午後4時だというのにメシにする。
何にしましょうか。やっぱりここは魚介を。いや、ジンギスカンでは。いやいや、まずはラーメンから。
というわけでまずはラーメンを食って、後のことはそれから考えることにする。ラーメンと言っても空港の中だけで10以上もラーメンの店があるから迷う。相談して旭川ラーメンに決定。チャーシューが激しく美味であった。
その後、連れの一行は寿司も食いに行ったのだが、オレはラーメンだけでギブアップだ。代わりに土産物を見てまわる。ここのお土産コーナーはとても充実しているからけっこういろいろと買ってしまった。見るだけで美味しそうなんだよなあ。
8時過ぎの飛行機に乗って10時前に羽田。石神井公園行きのリムジンバスはちょっと前に終わってしまったので、池袋行きのリムジンに乗る。時間が時間だけにまったく渋滞せず、あっさり到着。池袋駅で降りたカメラマンのヒラセ氏とオレは、いやあ、東京は暖かいですなあなどと言うのだった。
2022.01.18
本日は北海道である。
夕方に羽田を発って夜に着くという、めったにないパターンだ。初めてかもしれない。
札幌は3年ぶりぐらいだ。日本中どこだって簡単に日帰りできるから、泊まりの出張は珍しい。たまにはいいもんだ。いや、仕事で行くわけだからあんまり関係ないか。とっとと片付けてとっとと帰りたいものである。
夜に到着した北海道は暗かった。当たり前だ。
雪がたっぷり積もっている。その上をそろりそろりと歩いていく。
ホテルはプリンスホテルだ。とても仕事で泊まるようなホテルではない。いつもはしょぼい限界ビジネスホテルばかりだから、ことのほかプリンスホテルが立派に見えてしまう。しかも部屋はツインのシングルユースという贅沢さ。
よくぞこんな無駄に豪華なホテルに泊まらせてくれたねえと客に言ったら、「意外と安いんですよ」との答え。なるほど、コロナで客が激減して、タダでもいいから泊まってくれという状態なのか。いや、さすがにタダはだめだろうが。
確かにホテルに人影は少なく、ガラガラだった。これではホテルも大変だ。ここも西武が持っていると思うのだが、先日、西武はホテル事業を手放すと発表したんじゃなかったっけ。コロナでいろんなものが壊れていくなあ。
晩飯を食おうと、ホテルの近くの居酒屋に飛び込む。これが大当たりで、とにかく旨い。いや、北海道は何を食っても旨いから、大当たりで当たり前なのだ。
お刺身と手羽の炭火焼とおでん、それに好きな飲み物2杯がセットになって1500円というのにもびっくりである。
北海道に来たらこれを頼まなきゃいかんということで、ホッケを食べる。これが激ウマというか、信じられない味わいというか。そりゃあ北海道の人が東京でホッケを頼んで、あまりのまずさに絶句したという話も当然である。
旨い旨いと魚を食い、旨い旨いと酒を飲んで、いい気持ちになって店を出たら、雪の積もった路上で派手にすっ転ぶ。ふんぎゃ。
雪国育ちのオレだから、雪道で転ぶなんて屈辱以外のなにものでもないのだが、昔とは違って体が脳の反応に追いついていけなくなっているから転ぶのだろう。やれやれ、年は取りたくないもんじゃ。
雪の冷たさに酔った体を落ち着かせ、そしてまたふらふらと雪道を歩いてホテルに向かうのだつた。
2022.01.17
水島新司が亡くなった。
「ドカベン」で少年チャンピオンの発行部数を10倍に伸ばしたり、「あぶさん」でパリーグの人気を(少しだけ)高めたりそれなりの貢献度はあったと思うが、結局生涯を通じて野球漫画以外は描かなかったことから新しいジャンルには挑戦せず、自分が君臨できる王座を決して手放そうとはしない権威主義の人だったのだろうと思う。
それはいくつかのトラブルからも察せられる。
「あぶさん」では実名で選手を登場させて好き勝手に暴れさせていた。権利意識の薄かった当時は通用したかもしれないが、やがて選手側が肖像権を盾に申し入れをしてきたのは当然の時代の流れだった。
その時王様は、今まで知名度アップに貢献してやったのにどういうことだと激怒したという話がある。それは確かにそうなので選手側も譲歩し、一定期間、肖像権の話を引っ込めたという。王様のオレに向かって、という鼻息が感じられる。
故郷の新潟県に立派な野球スタジアムができたとき、「ドカベン球場」という愛称をつけてもいいよと“下命”したという話も聞いた。ネーミングライツでの収入を考えていたスタジアム側は困惑し、当然のことではあるがその申し出を断る。案の定、王様は激怒した。太宰ならメロスが激怒するのだが、「ドカベン」では王様が激怒するのだ。
どこまで本当か知らないが、さもありなんという気はする。
新潟市内の大通りには「ドカベン」のキャラクターたちの銅像が並べられ、観光客の目を楽しませていることになっているが、実は地元の若い子たちの間では「邪魔くせえ、取っ払っちまえ」「なんだこれ、だせえ」と悪評しきりだそうである。そりゃ、あんな昭和の遺物、迷惑な話だわな。
学生時代、オレは「あぶさん」を楽しみにビッグコミックオリジナルを読み、友人のヤマグチ君は「ドカベン」派だった。
オレはヤマグチ君に向かって、ドカベンなんて現実離れした漫画より実在の人物が登場するあぶさんの方が偉いのだと主張し、ヤマグチ君は、あぶさんだって代打に立つと必ずホームランなんていうのは嘘じゃないかと反論してきた。なんでこんなアホなことを本気で論じたのだろうと、今さらながら呆れてしまう。要するにそれが昭和という時代だったのだ。
そんなことを考えつつ、深夜「激レアさんを連れてきた。」を見る。テレビ朝日だ。
レアな体験をした人を探し出してきていじるという番組で、当初は大変に面白かったが、次第にネタに困ってつまらなくなっていった。当たり前のことで、レアな体験をした人などそうそう見つかるわけもなく、やっと見つけたところで、レアであればあるほど出演拒否されるに決まっている。従って明らかに仕込みと分かるネタも増えてきて、それをなんとか面白く仕立てようとする努力が番組を冷え冷えとしたものにしてしまって、オレも見なくなった。
今夜はテレビのニュースを見終わり、そろそろ寝るかというタイミングでザッピングしたらたまたま遭遇したのである。
そして驚いた。番組のスタイルがレアな人を探してくることではなく、いじりまくるところに全力でシフトしていたのだ。
たまたま見た今日の素材は長渕剛。その振れ幅の異常さを、一見リスペクトしつつ、徹底的にいコケにして笑いものにしている。まさに抱腹絶倒。家族で深夜に爆笑した。そしていくら深夜ワクとはいえ、こんな内容のものを地上波で放送して大丈夫なのかと心配になった。絶対に事務所が怒る。ファンが激怒する。
長渕剛は、オレはまったくよくわからないのだが、ライブの動員数もすごいらしいじゃないか。たぶん右寄りの立場なのだろう。自衛隊のライブとかもやらなかったっけ。
そんなに人気があるというのに、オレは今まで長渕剛のファンですという人に会ったことがない。これはどういうことだろうと考えてみたら、つまりオレとは属性がかぶらない人たちがファンなのではないかと思い至った。
長渕剛と来て連想されるのが、ブルーワーカーとか、工業高校卒とか、地方出身とか、体育会とか、北九州の成人式の人たちとかである。地方出身者以外、オレとは明らかに属性が違う。だからオレが今まで過ごしてきたクラスターの中に長渕剛ファンはいなかったということなのだろう。
まあ、そんな勝手な分析はどうでもいいか。今週の激レアさん、TVerで見られる。爆笑ものだよ。
2022.01.16
仕事は午前中に終えてしまったので、午後はごろごろすることに決める。時間の無駄遣いは日曜の午後のお楽しみなのだ。こんな時はAmazonをポチポチして、知らない映画を楽しむに限る。
まずはこれだ。「スパイダーマン・ホームカミング」。見逃していたマーベルだ。だが冒頭10分を見て、日曜午後のまったり気分には合わないと感じ、途中でやめる。もっと軽くてぼけっと見られるのがいい。手に汗を握りたいわけではない。
人が死ぬ話は見たくない。恋愛ものも嫌だ。
田中裕子の「おらおらでひとりでいぐも」にしようかと思ったが、田中裕子には惹かれたものの、オレ自身の老後問題を突きつけられそうな気がしてやめる。
そういや今はHuluの無料お試し期間だった。「イッテQ!」のライブラリーを見ようと思って一ヶ月だけの無料期間に加入したのだった。
そこでHuluをふらふらと見て、これにする。「スペシャルアクターズ」。
あの「カメラを止めるな」の上田慎一郎監督の劇場二作目。間にショートムービーは制作されたものの、公式には「カメ止め」に続く第二作ということになっている。
そして「カメ止め」の勢いそのままに観客動員わっさわさと思ったら、なんと大コケして業界がズコーっとなったという伝説の作品だ。伝説と言っても去年の話であるが。
新興宗教を舞台にした騙し騙されのコンゲーム映画である。どんでん返しの連続だ。どうだ面白そうだろう。
ところがこれが脚本だめ、役者だめ、演出だめのダメダメ映画。低予算の自主制作映画そのまんまなのだ。オチも想定通り。B級と割り切って見ればそれなりに楽しめるし、日曜の午後の時間つぶしにはぴったりだろう。
だがどうしても「カメ止め」の次作ということで期待は高まるし、期待が上がった分、ズッコケの度合いは大きい。残念。
どうやら低予算の「カメ止め」をヒットさせたということで、今度も低予算でヒット作を松竹が企画した映画らしい。これはけっこうな物議となったようで、次も低予算でという映画人の志の低さが呆れられている。せっかく「カメ止め」で成功したのだから、今度はふんだんに予算を用意して好き放題にやらせてみようという声の上がらなかったことが、日本映画界の情けないところだ、という批判だ。
これはまったくそのとおりでオレもそう思う。
そういう反省に立ったかどうかはわからないが、上田監督の次回作は、なんとポコチンが家出してしまってそれを探しに行くという話らしい。なんとも言い難いではないか。さっぱり想像ができず、とりあえずは期待したい。
続けて「ワンダーウォール」を見る。こちらは京都大学の熊野寮をモデルにした作品。全編手持ちカメラによる長回しを基本とした撮り方が、ドキュメンタリータッチで面白かった。いつの昭和だよと言いたくなるボロい学生寮の建て替えを巡る学生側と大学の攻防を縦糸に、学生たちの葛藤を横糸に描いたもので、青春時代特有の青臭さが好ましい。結局、ボロい寮なんて建て替える以外に道はないわけで、そんなことも理解しようとしない青春期の無知無謀さが描かれている。
成海璃子が大学側の職員として登場(京大院卒、修士持ちの派遣ワーカー)。例によってそのバストが圧倒的な存在感を発揮していて映画に妙な緊張感をもたらすのだが、実はそのバストも物語の大切なキーの一つだったりするあたり、見事である。オレは支持するぞ、成海璃子。
というわけで日曜の午後を潰して見たのは結局2本止まり。映画館にも行かず、ビデオ屋に足も運ばず、こうしてまったりと映画を楽しめる時代になったのは喜ばしいことだ。もちろん一方で映画館で楽しむことも大切にしたい。
そういや今突然思い出したか、日経新聞の文化欄に群ようこが、電子書籍よりも紙の本がいい、ということを書いていた。群ようこは電子書籍の欠点として、良いフレーズがあったので後で読み返そうとしてもその位置がわからない、本ならなんとなくこのあたりということを指が覚えているのに、というようなことを語っている。
もちろんそれは単なる無知であって、電子書籍はちゃんとマーカー機能がついているし、マーカーしたところだけをまとめて読み返すことも簡単だ。そういう使い方を知らないだけなんだろう。
いや、そもそも電子書籍か紙の本かという考え方が違うのであって、デジタルもアナログもどちらも便利に使おうというのが正しいあり方なのだ。だから映画もネットでも見るし映画館でも見るという姿勢でいいのだ。
2022.01.15
本日は共通テストである。
共通一次試験とかいう制度すらなかった時代に大学を受験した昭和のオレは、今もってこの共通テストとかの仕組みがよくわからない。この共通テストを受けておかないと、大学受験そのものができないということなのか? そもそもいったい何のためにあるのだ? そのあたりから理解できていないのだ。
まあ、よい。オレが受験するわけではない。受験するのは娘なのだ。娘に任せておけばよい。それに我が家には東大現役合格で今は塾講師のアルバイトもしている息子がいる。わからないことがあれば全部息子が片付けてくれる。オレがどんな手出しをしたところでじゃまにしかならない。
要するに受験で親ができることなど何もないのだ。二つのK、つまり経済と健康だけだ、親が手助けできるのは。あとは黙って従えばいい。
実は娘は電車が苦手である。どこ行きに乗ってどこで乗り換えて、というのがさっぱりできない。そもそも理解しようとすらしない。
もっとも都内の電車事情は、都内に住んでいる人間ですら戸惑う。受験の時にオレは横浜の叔母の家に世話になったが、当時と比べれば電車の路線は激しく複雑になった。あの頃はまだましだった。
今日の共通テストの会場は十条駅下車だった。我が家の駅からは池袋に出てJRに乗り換えだ。乗り換えるのは埼京線だが、各停もあれば快速もあり、快速でも停まるからどれに乗ってもいいのだが、初見はやっぱり戸惑う。加えて湘南新宿ラインも走っていて、これに乗っていいものかどうかも戸惑う。
そもそも池袋に行くにも、池袋行きに新木場行きに横浜中華街行きがあって、戸惑う。そのどれも池袋駅には停車するのだが、全部場所の違う池袋駅ということで、なぜ池袋駅がこんなに何種類もあるのかが分からない。まさしくラビリンスだ。
娘はこういう複雑怪奇な電車網の理解をとうに諦めているので、一人で移動できないのだ。もっともオレだって上京したてのころ、渋谷から千葉の市川に行くとき、新宿で乗り換えればいいのか代々木で乗り換えればいいのがずーっと考え込んでどうしても分からず、結局どっちで乗り換えても同じなのだということも理解できなかったから、今の娘を笑うことはできない。
以前、京王線のつつじヶ丘に住んでいたとき、上京したばかりらしい青年に「この電車に乗って新宿に行けますか」と都営線直通本八幡行きを指しながら聞かれたことがあった。もちろん行けますよと答えたのだが、青年はそれでも不安だったらしく「これで新宿でJRに乗り換えできるんでしょうか」と重ねて聞いてきた。
住んでいるものにとっては当たり前すぎることでも、初めてならば不安だろう。あのときの青年も今頃「昔はそんなこともわからないで電車に乗っていたなあ」と思い出すのかもしれない。
そんなわけで娘は一人で電車に乗ることなどはなから諦めているから、息子とヨメとオレの3人で手分けして付き添いの当番を決めた。今日から始まる受験シーズン本番、どの会場には誰が付き添っていくかを予定したのである。2月前半は息子も大学の試験があるので、そこはオレとヨメが動く。試験が終わったら息子が動く。
もっとも今日の会場についても、息子は頼みもしないのにわざわざ昨日、下見に行って道順の動画を撮ってきてくれた。一家を挙げて、娘の受験のサポート体制を構築したのである。
初っぱなである今日の共通テストの付き添いはオレだ。先陣を切るのは、何事も気持ちいいものだ。
息子の運転するクルマに乗って駅まで行く。「受験は公共交通機関が鉄則。マイカー移動でのアクシデントに救済措置はない」と息子。まったくその通りである。
もっとも電車も決して平穏ではなく、共通テストの日を狙って痴漢が出没するという。被害に遭った女子高生も、試験に遅れられないから届け出るのをためらうという計算だそうだ。まったく卑劣なことである。本当に腹立たしいわ。娘に対しては、だから電車の中では意識的にオレに話しかけるようにしろと伝えた。寒いねでも、何時に着くのかなでも、何でもいい。とにかくオレに話しかけるようにすれば、親子であることを示せる。その逆はダメだ。坊主頭の怪しいオヤジが女子高生にしつこく話しかけているように見られてしまうからな。
娘も、以前は「おじさんどこ行くの、って言おうか」とオレに恐ろしいことを言って脅してきたことがある。決してそんなことはするな、いくら顔がそっくりでもオレが逮捕されてしまいかねないと娘に言い聞かせる。
池袋駅で埼京線に乗り換えて十条へ。
数年前、あるドクターにインタビューするために帝京大学医学部を訪ねた。その時以来の十条駅である。十条なんてオレにはまったく縁がないから人生二度目の十条ということになる。
実は大学に入学してすぐの頃、都内在住の仲間から十条がいかに危険なエリアかということを聞かされた。田舎から出てきたばかりの小僧にとってそれは衝撃的で、十条は危ないということがすっかり刷り込まれてしまったのだ。今に至るもその記憶は残っていて、だから無意識に十条エリアに足を運ぶことは避けてきたのだろう。
そんな危険なエリアを、娘1人で歩かせるわけにはいかない。オレは娘と並んで共通テスト会場へと向かったのである。
会場の入り口には警備員のばばあが立っていて、路上で帰りの待ち合わせについて確認している娘とオレに向かって「立ち止まるな」「道を空けろ」とうるさい。頭にきた。いったいぜんたいあんたはどんな法的根拠に基づいてオレに命令を下すのかねとねじ込んでやろうかと思ったが、オレが騒ぎを起こして娘に迷惑をかけてどうすると思いとどまる。
息子によれば、昨日の下見でもその警備ばばあはいたらしく、動画を撮っている姿を不審がられて、誰何されたそうだ。まあ、確かに相当に不審だったに違いない。職務に忠実な警備ばばあなのだ。
娘を送り届けて、いったん家まで帰る。帰って仕事だ。昨日取材した、ちょっと難しい原稿を仕上げるのだ。
帰ったら大きな事件のニュースが飛び込んできた。
東大の試験会場で人が刺されたというのだ。東大だからといって息子が犯人ではなく、試験会場だからといって娘が被害者というわけではない。それでも人ごとのような気がせず、なんという気の毒なことにと同情する。
事情が分かるにつれて犯人のあまりの短絡ぶり、アホさに呆れる。医者になろうと東大を目指したが学力が追いつかず、世をはかなんだって、そもそも医者になるのに東大に行く必要はないし、だいたい東大医学部を出たら医者になんかならなくて研究者か医療技官の道を選ぶだろう。医者になりたいなら十条駅から帝京大学医学部に通えばいい。オレのかかりつけのナカムラ医院だって帝京大卒だ。
この事件について日刊スポーツは「猛勉強しても報われない象徴が東大」という興味深い指摘をしていた。実は息子にとってこれは人ごとではないのである。
東大生である息子は、東大生ということだけで人に絡まれる。直接何らかの被害を受けたことはないが、周囲の仲間や先輩はけっこうそういう理不尽な思いを経験している。例えば飲み屋で騒いでいるとどこの学生だと問われて、東大と答えると「東大のくせに」「だから東大は」と詰められるのである。それは心底うんざりする経験であり、時には危険を感じるほどなのだ。
だから彼らは学習し、次からこう答える。「渋谷の大学です」と。
するとたいがいの大人は「ああ、だからバカなんだ」と納得の顔をする。渋谷の大学を卒業したオレも、やはり納得する。
息子は「決してこれは嘘ではない。身を守るためだ」と強調する。確かに嘘ではないし仕方のない自衛だと思う。だから今日の東大の刺傷事件に対しても決して人ごとではない、背筋の寒くなる思いをするのだろう。まあ、アホな高校生の短絡的な行動で、甘く言えば青春時代のやらかしと片付ける程度のことだとは思うが。
原稿を書き終えた後はアルビレックス新潟の激励会の様子をネット配信で見て興奮し、そして共通テストの終了時間に合わせて再び十条に向かう。十条は縁のなかった街ではあったが、ざっと駅前を徘徊したら実に魅力的な飲み屋が点在しており、なるほど、これは一度飲みに来なければと考えを改める。古い路面店のある街というのは、今や希少だ。
テスト会場出口で娘を待っていると、同じような風情のお父さんたちがパラパラと数人。朝の警備ばばあはいなくなっていて、オレに絡まれるのを恐れて逃げたのだろうと推測する。時刻になり、受験生たちがわらわらと出てきて、それが全員女子であることに愕く。こ、こ、ここは女子だけの会場だったのか。狭い道路は辺り一面女子高生で埋め尽くされ、その中で坊主頭のおっさんは呆然と立ち尽くすのであった。これではまるでオレが不審者じゃないか。
娘を見つけて拾い上げ、埼京線に乗り、池袋で西武池袋線に乗り換える。車中、偶然に娘は塾の仲間数人に遭遇する。別会場でやはり共通テストを受けてきた子たちのようだ。
お互いに「あれー」と声を上げた瞬間、オレは娘と離れて知らん顔をして吊り革を握る。女子高生にとって、父親と一緒に電車に乗っているところを友だちに目撃されるのは、何としてでも避けなければならない事態だからな。
知らん顔をしながら、窓に映る娘と友だちの様子を眺める。いよいよ受験本番がスタートして、それぞれがそれなりに高揚し、そして疲れているのだろう。試験の手応えには触れないように気を付けながら他愛もない話に興じる彼女たちの姿に、この先も頑張れとエールを送る。
地元の駅に着いたら息子が車をロータリーに停めて待ってくれていた。その緑の車体とスモールライトは実に暖かく見えて、ホッとする。我が家は一家を挙げて、家族全員、これから娘の闘いを支えるのだ。
息子の車に乗り込もうとしたら、その前に停まっているタクシーを警察官が取り囲んでいる。すわ、ここでも受験生を狙ったテロか。オレは体を張って娘を守るぞ。意を決してタクシーをのぞき込んだら、後部座席にはベロベロに酔っ払ったおっさんが1人。泥酔客を乗せて埒があかなくなった運転手が、駅前交番から警官を呼んだところだったのだろう。
「いきなり警官がこっちに駆け寄ってきたのでびびったよー」と息子は興奮気味に話すのだった。
2022.01.14
朝、フジテレビのニュースを見ていたら「銚子丸でノロウイルス」と流れた。ちなみになぜフジテレビかというと、お天気お姉さんのカヤちゃん目当てである。
銚子丸とは、おなじみの回転寿司チェーンだ。ネタは大きく、美味しい。ロボットなんかじゃなくてちゃんと目の前で板前が握ってくれる。その分、高めではあるのだが。
我が家が回転寿司へ行くときは、まずたいてい地元の銚子丸だ。平日ならあら汁無料。
その銚子丸でノロウイルスとは。コロナ対策で今はノロも極端に減っている。そんな中での不始末だ。
いったいどこの店だよ。そう思ってよく見たら、なんとビンゴもビンゴ、大ビンゴで我が家が行きつけの銚子丸・練馬インター店ではないか。
しょぅがねえなあ。ノロなんかで全国ニュースで名指しされ、しかも営業停止まで食らっているではないか。えらい恥さらしである。我が家のせいではまったくないのに、なんだか少しいたたまれない気持ちになる。
よく聞けば昨年の暮れに寿司を食いに行った客がノロにやられたらしい。ヤバいな。年末、つまり正月休みだから普段なら我が家も間違いなく行ってただろう。今年最後のお寿司だなあなんて言いながらマグロとかサーモンとかアジとかシメサバとか、むしゃむしゃ食って皿をうずたかく積み上げていたに違いない。なにしろこっちには飢えた大学生と高校生がいるからな。
だが今の我が家は特殊事情にある。娘が受験生なのだ。
共通テストから始まる本格的な受験ウイークを前に、万が一にもコロナやインフルエンザやノロにかかってはならない。仮にコロナにかかったら救済措置が用意されているが、インフルエンザやノロには用意されていない。
だから我が家ではクリスマス以降は一切の生ものを禁止している。これは息子の受験の際も同じだった。
この生類憐れみの令が発令されたおかげで、我が家は銚子丸へ寿司を食いに行くこともなく、ノロウイルスの被害から免れたのである。まさに人生、何が幸いするかわからない。禍福は糾える縄の如し。一寸先は闇であり、曲がり角で突然キスをするように恐怖は襲ってくるのだ(スティーヴン・キングの表現だ)。
こうして我が家はピンチを乗り切り、生ものを一切口にすることなく娘は明日、万全の体調で共通テスト本番を迎えるのである。この日が命日のオレの母親も必ず応援してくれるだろう。
そういや息子の受験が終わったときは、我慢していた寿司をたらふく食わせてやろうと銚子丸の件の店から大量の寿司をテイクアウトしたっけ。
そんな銚子丸には今回の騒動にめげず、なんとか立ち直ってもらいたいものである。なにしろ全国ニュースで流れて営業停止食らっちゃったしなあ。かなりのダメージだろうが、きっと大丈夫だ。また旨い回転寿司を食わせてくれ。
2022.01.13
相澤ピーターコアミが回復したというニュースは、とても喜ばしいものだ。
去年暮れ、トライアウトの場でのアクシデントで中心性脊髄損傷、全治未定という重症を負った20歳は、サッカーどころか日常生活さえ危ぶまれる状態と思われた。サッカー選手として次の道を開こうと挑んだトライアウトの場でその夢が絶たれてしまうなんて、なんと無情なことだろうとオレは天を仰いだものだ。
だが昨日所属するJEF千葉が公開した動画で、ピーターはリフティングしたりジョギングしたりしている。プロサッカー選手として仕事ができるかどうかは不明(本人はやる気らしい)だが、まずは生活の面で支障はなさそうだ。本当に良かったと思う。
などということを考えながら、今日は朝から一日中家にこもって原稿を書く。午前中に大きな原稿を一つあげることができた。
早速、「いい原稿が書けました」とのメッセージ付きで客にメールで送る。
だいたいの場合オレはこういう感じで、ほーら、いい仕事ができましたよという態度だ。自画自賛。我田引水。オレ様はいい仕事をする。
これはフリーとして生きてきた浅知恵だ。
ラーメン屋が「あんまり自信ないんですが」と言って出したラーメンなんて食べたくないし、寿司屋が「まずまずですが」と言って握った寿司なんて食欲をなくすではないか。
オレの仕事だって同じだ。まあまあの原稿ですと送ったら、受け取った側も「なんだ、まあまあかよ」というバイアスをかけてしまう。
ここは「ほーら、旨いラーメンができましたよ」「食ってみな、絶対に美味しいから」と言われた方が嬉しいに決まってるのだ。
だからオレもいつも「いい原稿ですよ」「いい仕事しましたよ」と言いながら納品するのである。まあ、これは詐欺師の本質的な手口なんだろうが。
午前中にリモートで大学の講義を受けた息子が、午後はヒマなもんだから娘にちょっかいを出し始める。おいこら、受験生のじゃまをするな。ヒマな大学生ほどうるさいものはない。そこでコメダ珈琲へ連れていって、しばし時間を潰すことにした。
コメダでオレは次の仕事の資料を読み、息子はiPadで定期試験の勉強をする。息子のiPadにはすべての教科書とすべてのノートが収められている。すげえ便利だよなあ。iPad一枚を持っていけばコメダ珈琲だろうがタリーズだろうがすべに勉強できる。
これは息子だけのスタイルではなくて、周囲も全部そうだというから、東大生のスタンダードなのだろう。やっぱり時代は大きく変わっているのだ。
2022.01.12
本日も朝からベイエリアである。といっても先日の芝浦方面とは違って、今朝は鮫洲のあたりだ。
鮫洲なんて学生時代に山口君と一緒に運転免許の更新に来て以来じゃないか。いや、あれは免許の更新じゃなくて山口君の筆記試験に付き合ってきたのだろうか。もうあまり覚えていない。
記憶にうっすらと残っている鮫洲の駅はおんぼろだったが、すっかり新しく造り替えられていた。駅前にはずらっと例の代書屋が並んで、おばちゃんたちが大声で客引きをしていた記憶があるが、あの異様な光景はさすがに昭和すぎてもはや影も形もない。駅前に残る代書屋は1軒のみだ。
今日の現場はゼネコンの工事現場。ヘルメットに作業着で約1時間も登ったり降りたり、工事現場をうろうろとしたので朝っぱらから既に疲労困憊。オレも再来週には64歳になるんだ。老体にこの肉体作業は堪えるぜ。
昼前に一日分の体力を使い果たしてしまったので、午後はパスして先に帰る。疲労困憊でなんとか家にたどり着いて、食卓で受験勉強している娘の前で昼飯を食ったらぐったりとしてしまい、つい横になって寝入ってしまう。
思いのほか深く眠ってしまったのだろう、目が覚めてもぐっりして頭はボケッとしたまま。結局午後はまったく仕事にならなかった。
まったく年は取りたくないものである。
夜「東大王」を観る。東大生361人にインタビューした結果をクイズにするという企画で、息子にもその声はかかったのだそうだ。というより友だち経由で赤門の前のラーメン屋に行くようにという声がかかり、行ってみたらそこにはTBSのスタッフが待ち構えていて強引にインタビューされたという流れだったらしい。
しょうがねえなあ。息子はそもそもラーメン屋なんかに行く気がなかったのでスルーしたそうだ。真面目に誘いに乗ってのこのことラーメン屋に集まった友人が何人もテレビでインタビューに答えていて、何をやってんだかと息子はあきれ顔。
その後、ビデオに撮っていた「家、ついていってイイですか」を観る頃には、早朝のベイエリアの苦行は既に遠い記憶の彼方なのだった。
2022.01.11
以前から電子マネーはSuica一択だった。なにしろ早くて簡単。パッピッと一瞬で支払が済む。
だが最近になって息子に勧められてPayPayも使うようになった。PayPayだとパッれろれろピッという感じで、Suicaより手間がかかる。それでもPayPayも併用するようになった理由は、利用者同士でお金のやり取りができるからだ。これが実に便利だ。
先日も出かけていた息子に、帰りに本屋によって文藝春秋最新号を買ってくるように依頼。帰ってきた息子に、代金としてPayPayから999円を息子に振り込んだ。実に便利である。
気を付けなければいけないのは、レジで「PayPayで」と言う際に、つい「パイパイで」と口を滑らしそうになることだ。普段からふざけてPayPayのことをパイパイと呼んでいるものだから、ついそれが口から出そうになる。
なにしろオレには前科がある。
「もののけ姫」のことを“しものけ姫”とふざけて呼んでいたものだから、あろうことか当の「もののけ姫」の制作スタッフにインタビューした際につい“しものけ姫”と口走ってしまったのである。その時はオレ自身がそんなことを口にしたとはまったく気がつかなかった。完全に無意識だったのだ。
あとで撮影していたカメラマンが「しものけ姫って言ってたぞ」とニヤニヤしながら教えてくれ、あまりのことにオレは倒れそうになってしまったのであった。
そんなことにならないよう、PayPayのことをパイパイと呼ぶのもやめなければと思っている。
この電子マネーだが、給料も電子マネーで支払われるように法整備が進められている。オレが息子に文藝春秋代を振り込んだように、会社が給料をPayPayに振り込むことが可能になるわげた。銀行振り込みではなく。
銀行口座開設のハードルが高い外国人労働者にとっては朗報である。いや、日本人にとってもこれは便利だろう。ピンチなのは銀行だ。給料が銀行を介さずに払われるのだから、「なんだ銀行なんていらなかったんだ」と思わせるに決まっている。
現代ってそんな大きな変化がいろんなところで起きているから実に面白い。日本は相当に遅れているとはいえ、社会全体でのDXが進んでいるのは確かだ。
飲み会の割り勘もPayPayでやるのが当たり前。逆に言えばPayPayを入れてなければ飲み会にも誘ってもらえない。そんなことが日常になっている息子たちの世代がこれから社会を動かすチカラになっていくのだから、世の中がますますダイナミックに変わっていくのも当然だろう。
2022.01.10
本日は成人の日で祝日だというのに、オレは早朝から仕事だ。しかも現場は芝浦、ウォーターフロント。
浜松町駅から徒歩で向かった先は寒風吹きすさぶ東京湾岸で、頭上は曇天。浜松町駅前のデニーズでモーニングセットを腹に収めて、まさにA Hazy Shade of Winterを頭の中に響かせながら現場に向かった午前7時なのだった。
本日はいろいろ段取りの関係で昼飯の時間はあったものの場所がなく、なんと路上でサンドイッチを食うことになった。支給されたコーヒーとサンドイッチを路傍の石に腰掛けて食う。旨い。オレは別にこういうのはまったく平気だから気にしない。ただひたすら寒いのには閉口した。
難なく仕事を終えて夕方、家に帰る。
都心を移動したのに電車の中で見かけた晴れ着姿のお嬢さんは2人だけ。成人の日だというのに寂しいものだ。晴れ着はやはり晴れやかで、なるほど娘を持つ親としての喜びがオレも少しは分かるようになった。
地元でも式典があるから、20歳になった息子は家にいない。
式典は90分の予定だったがコロナのおかげで20分に短縮されたそうだ。区長の挨拶などどうでもいいことが削除されて短くなったようで、若者たちにとってはむしろよかったかもしれない。飛び交うママともLINEによれば女の子たちは晴れ着で出席し、集まってはキャーキャーにぎやかだったし、久しぶりの友だちと再会して式典など出席せずにそのまま遊びに行ってしまった男子もいたらしい。まあ男の子なんてそんなもんだろう。
息子はというと、20分の式典が終わったら会場を後にして卒業した高校に向かったようだ。母校でも成人の日の式典が行われ、卒業生が集まるのだという。こういう機会を用意してくれた高校には感謝だ。
遅い時間に帰ってきた息子に、区の式典でどんな記念品をもらったか見せてもらう。袋の中にはなんと閉園した「としまえん」の売れ残りグッズ。どうやら廃品処分に新成人たちに配ったらしい。しょうがねえなあと脱力するのであった。
2022.01.09
「文藝春秋」2月号を読んで驚いた。「千と千尋の神隠し」の舞台化についての記事だ。
あの映画をオレは特にそんなに好きではない。冒頭10分程、もののけたちの世界に紛れ込んでゆくミステリアスな場面と、後半、水面を走る列車のシーンは素晴らしいが、全体としてはまあまあかと。もちろんよくできている映画ではあるのだが。
この映画の舞台化に際してイギリス人のフタッフは、件の水面を走る列車のシーンについて「不要だからカットしよう」と提案してきたというのである。これには腰を抜かした。
日本人の感覚だとリリシズムあふれる名場面だと思うのだが、ヨーロッパの連中にはそんな感性はなく、退屈な場面と映るということか。確かに言われてみれば、なんとなく日本的な情緒にあふれているような気もしないではない。
そんなことを考えつつ、Amazon Primeで映画「アルキメデスの大戦」を観る。菅田将輝主演だ。若き天才数学者が軍国化をひた走る日本で大戦を食い止めるために頭脳を使うという内容だ。以前から観たいと思っていたのが無料になったのでポチる。
ストーリーはやや無理があるなあと思ったが、菅田将輝の演技がなかなかよかったから合格。
などと映画を観つつ、新聞の発行部数が3000万部近くに落ち込んだというニュースに驚く。これは高度経済成長期以前の数字だそうだ。
どうして新聞はこんなにも凋落してしまったのだろう。ネットは確かに大きな理由の一つだ。スマホの無料アプリで常に最新のニュースが届く時代に、一日遅れの情報を、しかも紙で受け取るメリットは何もない。オレも電車の中ではずっとネットのニュースを見ているもんな。
今や新聞を宅配度購読しているのは、現金を使っているぐらいの少数派扱いされるらしい。確かにどちらもアナログだ。オレの近所4軒のうち、新聞を取っているのは我が家だけ。とほほ、時代遅れなのか、オレは。
近所と言えば、近所で大ニュースだ。
昼時、お気に入りのインド料理屋でテイクアウトして駅前を歩いていたら、おばちゃんたちがビルを配って「署名をお願いしまあす」と叫んでいた。よく見たらけっこうな人間のおばちゃんたちがいる。
どれどれと眺めてみたら「タコタコ保育園閉園に反対します」とのビラ。
ありゃま。タコタコ保育園って、オレんちの隣の保育園じゃんね。正確に言うと間にだだっ広い畑(サッカーピッチ大)を挟んでの隣だが。
そういや先日、この畑の一角に突如ロープが張られて、いったいこの区画では何が始まるんだろうと我が家の話題になったものだった。息子は「きっとあそこで牛を飼うつもりなんだ」と断じ、牛なんか飼われたらさぞうるさいだろうなあと一家でおびえたところだった。
それが牛ではなくてどうやら子どもを飼うためだったとは。
整理すると、築50年のタコタコ保育園はさすがにおんぼろになってしまったので閉園し、そのすぐとなりに牛小屋ならぬ園舎を建築して、そこに私立保育園ができるという話らしいのだ。今あるのは区立の保育園で、要するにおんぼろの区立保育園を閉鎖して新しい市立保育園にしちゃいましょうということのようだ。
おばちゃんたちは「そんなことは許されませえん」と反対しているのである。
なるほど。だがこれのどこが反対する理由なのだろうとオレは首をかしげる。ボロい園舎が新しくなるのなら歓迎すべきじゃないか。区立から私立に代わって、民間のサービスでかえって保育の質が上がるんじゃないのかな。いいことだらけじゃん。
むしろすぐ隣に保育園を建てられてしまうオレんちの方が被害者じゃないのか。別に被害は受けてないが。少なくとも事前に説明ぐらいはしてもらいたいものだった。いや、まあ、別にいいんだが。
そんなわけで署名はスルー。別に何も困らないじゃんなどと口走ったりしたら大勢のおばちゃんに囲まれそうなので、慌てて逃げ出して帰ってきたのだった。
隣の広々とした畑がとても気持ちよかったんだが、残念である。地主も事情があって売ったんだろうし。街の光景というのは時代と共に変わっていくものなのだ。
2022.01.08
俳優の阿部寛と作家の佐藤優、そして「こち亀」の両津勘吉。この3人が、息子の絶対的に尊敬する人物である。
「阿部寛のルックスに佐藤優の知性、両津のメンタルがそろったら最強だろ」
息子はそう言う。確かに最強だろうなと、オレも思う。
そんな息子と今日は高校サッカーの準決勝を観る。力の差は歴然で、開始早々、青森山田の勝ちははっきりした。あとはいつ高川学園がくるくる円陣を発動するかだけが関心の的となってしまったのに、青森山田は絶対にコーナーキックを与えないという戦い方。
一方的にタコ殴りする虐殺ゲームとなってしまい、退屈さのあまり息子はゲームの途中で居眠りする始末だった。
それにしても、と思う。メタバースってどうなんだよ、と。
ここのところの急激なメタバースの盛り上がりは、なんだかちょっとうさんくさい。オレは2年前に仕掛けられたeスポーツのことを思い出す。
あのときもeスポーツがくる、すごい市場が誕生する、早い者勝ちだみたいな流れが一挙に来た。裏では電通が動いていたという話だった。
だが今に至るもeスポーツはちっとも盛り上がらない。もちろん楽しんでいる人たちはいるだろうが、市場という点では見向きもされなくなっている。
あのときのeスポーツの持ち上げられ方に近いものをメタバースには感じる。もしかして東京オリンピックが終わったことで、電通が次の儲け口としてメタバースに目を付けたのではないだろうか。そんな詮索も否定できない気がしなくもないようなところもなくはない。
もっとさかのぼれば10年以上前に突如登場してあっという間に消えてしまったセカンドライフにもよく似ている。セカンドライフも仮想空間で、早い者勝ちだと煽られたものだった。
土地の売買も行われるから、早く投資しして土地を買ったものが、金持ちになれるぞ。
そんな口車に載せられた人も多かったのではないか。あれもあっという間に消えてしまったっけなあ。
メタバースも同じような運命なのだろうか。
いやいや、さすがに当時とはテクノロジーの練度が違う。GAFAも本気のように見える。もしかしたら本当にメタバースの時代が来るのかもしれないという、そんな気にもさせられる。
メタバースでは自分の分身としてアバターが活動することになる。アバターならば阿部寛+佐藤優+両津勘吉という最強の人物も可能だろう。それはそれでなんだか楽しい時代になりそうな気がする。
「昭和歌謡職業作曲家ガイド」馬飼野元宏・シンコーミュージック。東京駅丸の内側にある丸善はどういう理由か分からないが、音楽関係の書籍がたいへんに充実している。音楽の話が読みたいなあと思ってフラッと立ち寄ると、まず間違いなく興味深い本が何冊も見つかり、つい嬉しくて買い込んでしまうことになる。困るのは、この手の書籍はけっこう高価であるということだ。3000円、4000円も珍しくない。今回もジョン・レノン関係の本を手に取ったものの3000円もするので諦めて、この一冊だけにした。これでも2200円もするのだが。著者は、その変わった名字から馬飼野俊一(若草の髪飾り、てんとう虫のサンバ)・馬飼野康二(愛のメモリー、ブルースカイブルー)兄弟に連なる親族かと思ったら出身地もまるで違うし、関係ない人みたい。いわゆる昭和歌謡にくくられる作曲家たちの仕事を網羅的に紹介した本(タイトルのまんまだな)だ。各作曲家の代表的な楽曲にまつわる与太話が面白かったが、作曲家の紹介は教科書的で退屈。名曲解説のコーナーではドミナントモーションとかセカンダリードミナントなどの専門用語が羅列され、しかもその表現の仕方があまりうまくないものだから、読みづらかった。美人を前にして、ほーら、眼がぱっちりしていますね、鼻筋が通っていますねと説明されたところで共感も感動もしないのと同じだ。
2022.01.07
本日から本格的に仕事始めである。
忙しい忙しいと言いながら、実はそうでもないんじゃないかという気がしてきた。もっと働かねばと思う。何しろこの春は娘が受験だ。受験料を先日払い込んだらあまりに高額なので眼を回したほどだった。
この先が恐ろしい。早くも現実逃避気分である。
だが可愛い娘のためだ。オレの母親も天国からしっかり見張っている。何しろオレは死にゆく床にいる母の「家族をちゃんと食べさせていけるのか」という問いに、大丈夫だ心配するなと答えたのだ。今際の際に親と交わした約束を破るわけにはいかない。
その母の命日と娘の共通テストの日が重なるとは何という巡り合わせ。娘の頑張りを母も応援してくれるだろう。弟もそのために線香をいつもの何倍も仏壇にあげてやると約束してくれた。
新年最初の仕事は六本木でのインタビューだ。六本木は何でも高い。昼飯だって1500円だ。
インタビューした女子も「わだすは田舎もんだがら、お昼は500円しか払えねえだ」と、外でのランチは週に一度の贅沢なのだと打ち明ける。
仕事が始まると、またいつものようにいろんなことがチクリチクリと刺さってくる。おいおい、都心のオフィスへ撮影に来るのにその格好はないだろうとか、クライアントの発言を遮って自分の思いつきを口走るんじゃねえとか、社交辞令をいちいち真に受けて得意げにするんじゃねえとか。だが今年もそういうことにいちいち腹を立ててはならないと自分に言い聞かせる。
夜も、今になってそれを言うかという連絡が入ったが、若い世代の段取り不足に目くじら立ててはならない。オレだって若い頃はおっさんたちの小言が鬱陶しくて仕方なかったのだ。今のオレは鬱陶しがられる存在に十分なり得る。今年も気を付けてすごそう。
いつもニコニコ、穏やかなタンゴさん。
そうありたいものだ。でも腹は黒い。
そんなところに飛び込んできた報が関東一の出場辞退。
焼酎の炭酸割りを飲みながら息子に、明日は高校サッカーの準決勝だかんな、2試合観るかんなと命じたところ、「えっ、知らないの? まさか」と逆に息子にマウントを取られてしまった。
要するに準決勝で大津と対戦する予定だった関東第一にコロナの陽性が出たので、断腸の思いで準決勝を辞退し、不戦敗となったというわけである。
いやあ、これはどうなんだよ、マジで。感染者が出たらその選手がゲームに出ないというのはわかる。でもJリーグだって当該選手は休ませて、その他の選手によって試合そのものは行われるじゃないか。高校サッカーも同じでいいんじゃないかなあ。
先日もちょっと触れたように関東一の監督は実に気配りのできる常識人で、常に相手チームへのリスペクトを忘れず、周囲に迷惑をかけてはならないと言い続けている人である。今回も、相手チームや関係者に迷惑はかけられないと考えて、断腸の思いで決断したそうだ。
仕方ないか。
ただスポーツ界のみならず世間にはびこる、陽性が出たらその周囲全部アウトみたいな風潮はそろそろやめて欲しい。もはやコロナと同居しながらいかに社会を活性化させるかという段階に入ったのだから、陽性者をえんがちょして終わりという態度はよろしくないと思うのだ。
関東一の選手たちはかわいそうだ。ついでに不戦勝となった大津も、自分たちにはまったく落ち度がないのにかわいそうだ。なにしろ休養たっぷりで決勝に臨める。これで優勝したところで、準決勝が不戦勝だったからと言われ続けるのは目に見えているわけだし。
もっとも想定外に勝っちゃって、効率だから予算が足りなくなって緊急の募金を呼びかけた高校である。むしろ、ちぇっ、決勝まで残るのかよと苦虫をかみつぶしているかもしれない。
一方のオレの応援している高川学園は、みんなの敵・青森山田との対戦だ。実力差は明らかだから、たぶん青森山田が勝って決勝は大津対青森山田となるだろう。
不戦勝で勝ち上がって「ずるい」と思われている大津と、全国から選手をかき集めて「ずるい」と思われている青森山田の、嫌われ者同士の決勝戦だ。
まるで徳島対松本みたいな闘いだよな。
その意味でも第100回という節目の大会にふさわしい歴史的な決勝戦になるんじゃないか。よし、これは決勝も観なければ。
と思ったら決勝の日は成人式で息子は区の式典のあとに母校の高校での集まりに参加するし、オレは祝日だというのに早朝から極寒の東京湾岸で仕事である。高校サッカー決勝戦どころではない。仕方ない、今年は娘の受験のために働かねばならないのだ。
2022.01.06
オレが初めてビデオデッキというものを買ったのは25、6歳の頃じゃなかったかと思う。もちろんアナログ。当時の民生品としてビデオデッキは先端の製品だった。
ボーナス払いを入れたローンで買ったのだと思う。一度で払えるほどの給料はもらっていなかったはずだし。
なぜそんなに無理してまでビデオデッキを手に入れたかというと、プロレスを観たかったからだ。好きな試合を何度でも繰り返して観られるなんて、とてもステキなことに思えたのだ。
そのビデオデッキとほぼ一緒に購入したのがプロレスの名勝負シリーズのビデオ。アントニオ猪木対ストロング小林だ。
蔵前国技館を超満員にしたカードで、当時は日本人エースの対決はほぼ禁じ手だった。この試合をオレはリアルタイムでは観ていない。つまりオレにとっては伝説のカードで、ぜひとも写真ではなく映像で観てみたかったのである。
1万円近かったはずだ。それで収録されているのは猪木対小林戦のみ。わずか19分のビデオだった。そんなものに1万円も払って、しかも毎日繰り返し観ていたから、当時勤めていた会社ではさんざんバカにされたものだった。
あの頃はまだレンタルビデオ屋なんてものは近所になくて、ようやく開店したと思ってのぞいてみたらとんでもなく高かった。そのビデオ屋では堂々と違法ダビングもしていてた。当時まだビデオ化されていなかった「風の谷のナウシカ」について、「テレビから録画したやつがあるからダビングしてあげようか」と店長はオレに持ち掛けてきた。そして1本5000円というそれを、オレは買ってしまったのである。なんか今考えるととんでもないイリーガルな商売だったんだな。
天皇が崩御して昭和から平成へと変わるのは、それから数年後のことだった。
ストロング小林が亡くなったと聞いて思い出したのは、あのとき、三軒茶屋の一人のアパートで繰り返して観てコーフンした対猪木戦のビデオである。
あの試合がストロング小林にとって最も輝いていたときで、その後は新日本プロレスに入って坂口征二とタッグを組んだりする普通のレスラーになってしまった。怪力だけが売りの、不器用なレスラーだった。
ホモという噂も根強くて、たぶんそれは本当だったのだと思う。「スタン・ハンセンはボディスラムの時に股間に手を入れてくるから嫌だ」と言ってたとか。どうやらハンセンはタイプじゃなかったということか。
これで昭和の名物レスラーもずいぶんと逝ってしまったなあ。
一昨年だかに亡くなったケンドーナガサキがオレはやっぱり一番染みるわ。あれほどの実力と実績をもっていたレスラーが最後は孤独死だったなんて。
もう残っている昭和レスラーも数少なくなって、そろそろ猪木もヤバいのだろうか。一方で長州力がバラエティやCMで元気にはしゃぎ回っているとは、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
長州力はガチで強い。息子にそうは教えるものの「ふーん」とあしらわれて終わりだ。そりゃ今の玩具にされまくっている長州を見れば仕方ないか。
あの猪木対小林のビデオテープはどこにいったんだろう。DVDどころかネットで映像を観るのが当たり前になった今、何度もまき直して同じ試合に繰り返して熱くなっていた自分を懐かしく思い出す。
2022.01.05
昨日はリモート時代にあるべき人材像について、偉そうに上から目線で語ってしまった。まったくありがたいことである。
それに関連してだが、興味深い動きがあるようだ。
コロナ終息後もリモートは続き、新しいワーキングスタイルとして定着すると見たのだろう、大手企業がオフィスを縮小する動きが顕著になったことは、よく知られている。実際丸の内や日本橋あたりの企業を訪ねると「うちも縮小しますよ」「出て行きますよ」という声をよく聞く。
そりゃこんな立地の広いオフィスだから、家賃だって月に数千万円から数億円。それが10分の1程度の社員しか出社していないわけだ。誰だっていらねえよと思うに違いない。
面白いのは、そうやって空きの出たスペースにテナントとしてベンチャー系が入り始めているという話だ。
どうもベンチャーといえども都心の立派な本社には憧れがあるようだ。確かに本社が板橋区成増にあるよりは、千代田区や中央区にあるほうが名刺にも堂々と書けるだろう。丸ビルだったりしようものなら、もはや日本の表玄関。
それまで経済の本流から相手にされず、オールド経済の下請け企業に甘んじていたベンチャーにとっては、堂々と表通りに店を構える千載一遇のチャンスというわけだ。これなら優秀な社員も集まるし。その点、港区は裏通り感が満載だからやっぱり千代田区、中央区は格が違う。
だが、それだけなら何も広いスペースは要らない。最小限の本社機能だけを集約した機能的なスペースがあればいい。名刺にだって堂々と書ける。
それなのに物理的に広々としたオフィスを求めてベンチャーが不動産屋を訪ね歩いているということは、やはり立派なオフィスでみんなで集まって仕事をしたいなあという思いがあるからだろう。そもそもベンチャーほどリモートしたがっていたはずなのに、なかなか興味深いことだ。
もちろんリアルで顔を突き合わせて仕事することには大切な意味もある。立ち話文化はその代表だ。
OBがノーベル賞をもらったA化成の本社は日比谷の立派なビルの中にあるけれど、広いフロアのあちらこちらでは常に立ち話が行われている。2、3人の立ち話が盛り上がって、そのまま場所を変えてミーティングに移行することも珍しくないし、取締役クラスが廊下ですれ違った係長に「そういえばあのプロジェクトだけど」と声をかけて新しい事業への参画を促すこともある。これらはA化成の人から直接聞いた。
こうした立ち話文化が浸透しているから様々な化学反応が日常的に発生して、成長への大きなエネルギーとなっているのだろう。オフィスに集まって立ち話するということも大事な仕事なのだ。
都心の立派なオフィスを求め始めたベンチャーたちもそうした狙いを持っているのだろうか。よくわかんないな。ちょっと興味深い。
などということを考えながら、「家、ついていってイイですか」の2時間半特番を見る。テレ東だ。
この番組は面白いよねえ。TVer、Paraviでも再放送をやっていて、我が家はよく見ている。
特に先日は神回だった。北海道の実家へ50年ぶりに里帰りしたおじさんの話、ついさっき彼女に振られたばかりの武蔵小山住みの若手芸人の話、そして死んだ奥さんを偲びながら一人小樽で暮らすおじさんの話。すべてが最高だった。
特に小樽のおじさんについては、なんともドラマティックで涙なしでは見られないのであった。
今日は特番ということでネタが11本もあるぞ。ワクワクするではないか。
ということで晩飯を食いながら見る。そして晩飯を食っていることを後悔する。とても食事中に見られるようなしろものではなく、ネットでも「なんでモザイクをかけないんだ」との絶叫。
それは代々木の仙人の家だ。声をかけて訪ねていった先が代々木の一戸建て。これが絵に描いたようなゴミ屋敷でもう何十年も掃除をしていないという。
テレ東のディレクターはさすがの体育会系で根性が座っているから、住人のじいさんと一緒に掃除を始めてしまう。その様が酷かった。阿鼻叫喚。トイレが壊れているからブツは庭に埋めているとか、冗談としか思えない。タンスの引き出しを開けたらタマネギが満載だったシーンなんて、もはやドリフのギャグ。
見ながらヨメは「ひーっ」「ぎゃーっ」と悲鳴を上げたほどだ。
いやあ、凄まじいものを見てしまった。酷い。酷すぎる。
アルバイトと部活を終えて疲れ果てて帰ってきた息子に、部屋の掃除をしないとお前も将来は専任になるんだぞと諭したら、本気がびびっていた。
2022.01.04
元日の夜は毎年「ウルトラマンDASH」を見るのが我が家のルーティンだ。今年も見た。相変わらずの内容で、再現ドラマっぽい茶番も楽しく、正月番組らしいマンネリが心地よい。
一方で裏番組の「格付け」も見る。こちらはTVerで、2日ぐらいに分けて見ている。
オレの大嫌いな浜田が出ている点だけが許しがたいが、あの甲高くて下品な笑い声も正月だから許してやろうという気になって、なんとかスルーできる。こちらも相変わらずのだからどうしたという内容で、ゆるいマンネリがなかなか心地よい。ぐだーっと眺めるにはちょうどいい番組だ。
今年はこれに郷ひろみが出ていた。そして番組の途中、休憩時間から郷ひろみだけが戻ってこないという展開になった。遅れてスタジオに姿を現した郷ひろみは「歯磨きを15分ほどしていて」と言い訳する。何種類かの歯磨き粉を使って磨き分けているので、時間がかかるのだそうだ。
この一連のくだりが台本なのかどうかはわからなかったが、郷ひろみならリアルかもしれんなと思わせるものがあった。
信じられないことに郷ひろみはオレより年上である。
歯磨きの件も、若いときなら鼻持ちならないナルシストぶりとして冷笑の対象になったかもしれないが、60代半ばともなれば立派な健康習慣。さすが、おじいちゃん、体には気を使っているからいつまでも若々しいんですねーという賞賛の対象だ。
紅白でのはしゃぎ方を見ても分かるとおり、郷ひろみの元気さはたいしたもので、まさか50年後も郷ひろみという名前で歌って踊っているとは、デビュー時にはとても想像できなかったわ。
こんな具合に正月はだらだらと家で過ごして、まったく外に出ないので、書くこともテレビで見聞きしたことやネットで見つけたことぐらいしかない。こんな生活を続けていたら腐ってしまう。でも定年退職をして会社から放り出されたおっさんたちは、要するにこんな毎日を送っているわけだ。
朝からカラオケボックスに行って昼まで酒を飲み、ランチを食って帰ってきて午後は昼寝して過ごすという生活ぶりを耳にしたときは呆れたものだったが、無為な正月を過ごしてみて、なるほどと少し納得する。
そんなことを考えながら、オレはカラオケなんかには行かないぞ、だって午後から高校サッカーを見るんだからと息を荒くする。
娘は元日から毎日塾だ。息子は今日が仕事始めで進学塾の講師のアルバイトに行った。今日一日だけでン万円稼ぐのだそうである。そしてヨメは昼から出かけている。
よって家にはオレ一人。だらだらしながらキックオフを待って、そしてボケッと高校生たちのサッカーを見るのだった。
今日準々決勝も注目の高川学園が出て、そして見事に1-0で勝ち抜いた。後半に投入した選手が、この前の試合同様、見事にゴールを決めた。いわゆるラッキーボーイ的な存在となっており、期待に応えて大はしゃぎする様子が好ましい。
この得点も、例のぐるぐる円陣、かごめかごめ攻撃からの流れだった。コーナーキックの際、今度はファーとニアに二つの小さな円陣を作り、そして回らずにパッと散ったのである。相手チームは目を白黒。回るだろうと備えていたのに回らなかったから驚いたという様子だった。
なんと、回らないことも武器になってしまったのか。たまげた。
昨日も書いたようにこのぐるぐる円陣攻撃に対しては、放っておく、無視するという作戦が一番効果的なようだ。だが全国大会の舞台にやって来た高校生たちにそうした冷静さを求めるのは酷なことで、円陣がぐるぐる回ればどうしたって目は釘付けになり、ボールの軌道から視線は外れてしまう。回らない場合でも、げっ、回らないっと驚いて反応は遅れたようだった。
後で聞いたところでは、ニアでパッと散って作ったスペースにファーの円陣が飛び込む作戦だったそうだ。結果的にそれが崩れての得点となったわけである。こういう高校生らしい伸び伸びした戦い方は楽しい。
高川学園は1-0という最も美しいスコアで勝った。やっぱりサッカーの醍醐味はウノゼロだよなあ。90分間全力疾走して1点かよと野球好きに笑われるのがサッカーだが、いやいや、そこが醍醐味なのよ。
同時間帯で行われたもう一つの試合が、静岡学園のゲームである。強豪だ。優勝候補であり、決勝はみんなの敵・青森山田との対戦ではないかといわれている。
この静岡学園には総監督というのがいて、前回はこのじじいがサングラス姿でベンチにどかっとふんぞり返っていた。その姿は悪しき昭和の高校部活を象徴する空気をまっといて、まさに敵役。静学負けろというのが、青森山田負けろと同じくらい、ネットでの空気となっている。
静学の相手は東京代表の関東第一だ。実力差ははっきりしており、静学の圧勝と思われていた。実際ゲームは一方的だったようで、後半など関東第一のシュートは一本だけだった。
ところがこの唯一のシュートが後半40分に決まってしまい、土壇場でPK戦へとなだれ込んだのである。高川学園のゲームを見終えたオレは、このPK戦から見始めた。
そして案の定というか、さもありなんというか、静岡学園はPK戦に敗れてしまい、まさかの格下に負けて大会を去ることになったのだった。まあ、アリだろうなあとは思った。なにしろ静学の選手は完全に相手を見下し、舐めていたからだ。緊張感なくPK戦に臨み、そのヘラヘラした表情には「ちっ、たりーな、PKになっちまったよ」という感情が露骨に表れていた。
サッカーはたった1点で勝負が決まるスポーツだから、こういうジャイキリも起こりやすい。関東第一のように、圧倒的な実力差がある場合はとにかく守りを徹底して固めて、数少ないチャンスに全力でカウンターを仕掛けるという作戦は実に正しい。弱者が戦術を信じて貫くことの面白さを見せてくれた。
驚いたのはゲーム後の監督インタビューだ。
スタジアムの観客に向かって関東第一の監督は冒頭「皆さん見ての通り、静岡学園さんとの差は圧倒的でした」と自分たちが弱者であることを素直に認め、見下してかかってきた相手の強さをストレートに賞賛してみせたのである。その後に続く言葉も落ち着いていて、謙虚という以外の言葉が見つからないほど立派だった。この監督さんはきっと人格者なんだろうなあ。高校生の教育の一環としてのサッカーだということを、いつも忘れない人なんだろう。素晴らしいインタビューだった。
象徴的だったのは静学の総監督のじじいだ。体を壊したのかピッチの片隅で杖をついてゲームを見ていたじじいは、ゲームが終わったらくるりとピッチに背を向けて、ゆっくりと歩み去っていったのである。まさに老兵。昭和の時代が消えゆくようだった。
こうして今日もまた午後をたっぷりと使ってサッカーを見てしまった。ぐだぐだとした、いい一日だった。
三が日は既に終わり、早いところではもう仕事始めだ。息子だってバイトに行った。夕方には早速仕事先からメールも入った。
世間はこのように動き出しているというのにオレはぼけっとサッカーを見て、何の役にも立たないような分析をしては一人で悦に入っている。
再び思うのだが、なるほど、これが定年後に自宅にこもっているおっさんの思考回路か。そりゃあ時間はたっぶりあるからいろいろとろくでもないことを考えて悦に入って、でも現役時代と違って誰もその話に耳を傾けてくれないから、鬱々としてしまうわけだ。
話が面白いから部下が聞いてくれたのではない。上司だから聞いてくれたのだ。その事実に気がついて打ちのめされたりするのだろう。
そこから話を発展させると、そういう「オレの考えを聞いてもらうのは当然」という思考回路のおじさんは、リモートワーク時代の今、どんどん居場所を失っているのではないか。
若手の議論が百出し、白熱した会議の席で、最後に重々しく「じゃあ今回はA案でいこうか」と決断することを役目ととらえている古い上司は、リモート時代には用がない。なぜならリモートミーティングでは誰が何を話したかが一目瞭然で、席の軽重はまったく関係ないからだ。
ミーティング中一言も発せず、最後に重々しく断を下そうと待ち構えていたおじさんは、時間とともに回線をぶちっと切られて居場所を失ってしまう。リアルの会議ではその後に廊下で部下をつかまえて「さっきのキミの発言だが」と耳打ちしながら釘を刺すこともできず、帰り際に飲み屋に誘って「あのプロジェクトでオレはやってやったよ、バシッと」と武勇談を披露することもできない。
接待とゴルフで仕事を取っていたエース営業はもはやいなくなり、今はSNSを使って新規開拓をして契約を取ってくる人間が新しいエース営業となっている。車椅子の障がい者が最も成績のいいスーパー営業になれる時代なのだ。
新規開拓であっても直接面会するのは最後に契約書を交わす時だけ。発注先が「部長が一度挨拶に来させろってうるさいんですよ、申し訳ないですがご足労できますか」と恥ずかしそうに頭を下げてお願いすることも起きている。そんな部長は暗に接待を要求し、部下が「やめてくれ」と押しとどめている。
もちろんこれは部長だけの話ではなくなっている。
例えば「あいつがいるとなんか盛り上がるよね」とか「客受けがいいんだよね」といった曖昧な理由で会議やプロジェクトに呼ばれる人間っているよね。ひな壇に並ぶ芸人のような。主要メンバーではないけど、いてもいいかな、ぐらいの。
リモート時代ではそういう人間は呼ばれなくなっている。こういうスキルを持っていてこういうアウトプットができると提示できる人間だけがメンバーに呼ばれる時代になっている。
郷ひろみにお座敷の声がかかるのも「こんなことができる」という明確な価値があるからで、それがなければひな壇にすら呼ばれないだろう。
新人も同様で「あいつは可愛いところがあるから面倒見ようか」は通じなくて、能力があるかないかで判断される。教わって育ててもらうという教育の時代は終わって、自ら学び、自ら育つ姿勢が必須だ。「あいつは使える」と思われてこそ、成長のきっぷを手にできるのである。
まったくえらい時代になったもんだなあ。
ヒマなもので一日中ぐだぐだと過ごしているからそんなことを考えて、そして誰も聞いてくれないから(当たり前だ!)、こうしてぐだぐだと書き連ねている。まあこうやって文章を書くことも遅めの仕事始めに備えたトレーニングというかリハビリみたいなもんだろう。どうせ誰も読んじゃいないし。わははは。
2022.01.03
オレは青山学院大学の卒業生だから、箱根駅伝で母校が勝つとシンプルに嬉しい。昨年はずっこけて駒沢に負けてしまったが、今年は有無を言わせない異次元の圧勝だったことも大変に気分がいい。
オレが在籍していたのは70年代後半だった。例のコンサバなハマトラブームど真ん中の頃。青学女子はその象徴みたいな存在で、汗臭いスポーツとはまったく縁のない大学だった。せいぜいオレが4年生の頃、野球部が東都大学リーグ1部への昇格を決めて大騒ぎになったくらいである。
だから将来、陸上競技の強豪になるなんてとても想像できなかったし、もし当時の青学生に箱根駅伝の優勝を告げたら「青学にスポーツなんていらんべ。オレたちはおしゃれなシティボースだべ。余計なことせんでけろ」と反対されてしまうんじゃないか。
そんなことを思い出しながら駅伝を見ていた青学OBに、いやーなことを思い出させてくれたのが、そうである、ご存じ蓮舫である。
Twitterで「母校頑張れ」というメッセージと写真をアップして、それが沿道からのものだったから応援自粛のルールを政治家として堂々と破ったということで叩かれている。その騒動を見てオレたちは、ああ、そうだった、こいつも青学だったんだと思い出してしまい、文字通り冷水を浴びた気分になってしまったのである。
息子なんぞ「蓮舫の先輩の皆さん」「もはや蓮舫大学」などと呼びかけてくるし、最悪である。
青学にはいろいろな有名人の卒業生がいる。有名なのはサザンオールスターズだろう。桑田と原はオレも何度か学食で目撃している。「誰あれ」「こないだテレビに出てた連中だろう」「恥ずかしい」「うるさい」「小汚い」という感じで結構冷たい視線を浴びていたと思う。
当時は誰もが一発屋のコミックバンドと信じていたもんだ。先輩のハヤセさんは「こいつらは化ける」と予言し、それに対してサノさんが「冗談じゃない、すぐ消えるわ」と本気で反論していたのを思い出す。
オレの隣のクラスには名取裕子がいた。直接見たことはない。いや、見たのだろうけど、まったく意識してなかったからわからなかった。卒業アルバムを見たらちゃんと顔写真が載っていたから、本当に隣のクラスに在籍して卒業したようだ。
ネタとして有名だったのは川島なお美か。もう亡くなってしまったからいじりづらいが、カンニング事件が発覚して掲示板に名前が貼り出されたのはちょっとした騒ぎになった。
あとは確か郷ひろみがオレと同じタイミングで受験したものの不合格となった。その時点ではオレがひろみに勝ったが、子どもが青学幼稚舎との噂で今ではオレの負け。なにしろ青山学院は幼稚園が一番金持ちで、上に行くほど貧乏になり、田舎ものが大挙して押し寄せるということで最も青学らしさが失われてしまうのが大学だ。
幼稚園では毛皮を着てベンツに乗ったママたちが子どものお迎えに現れて、それを汚い格好をした大学生が遠巻きに眺めるのがお約束だった。セカンドカーがベンツという家庭でなければ幼稚園には入れないのだ。
オレのクラスの友人のオサダは受験組ではなくて内部からの進学組で、実家が銀座だった。田舎から出てきたオレはそれがどういうことかピンとこなかったが、大人になってからは実家が銀座というのがどんなにすごいことだったのか、改めて思い知ったのだった。
同様にクラスの女子で、比較的よくオレも話をしていたマツオという子は田園調布雙葉高校の出身で、デンチョーフタバの卒業生とは何を意味するのかを知ったのは、やはりずいぶんと後になってからだった。
なお「比較的よく話をしていた」とわざわざ説明したのは、青学の女子は同じクラスの男子なんぞ産廃ぐらいにしか思っていないから、めったに口なんてきいてもらえなかったからである。
話の流れでさらに続けるが、そんな青学女子はマツオのような「都内お嬢様高校出身組」と「青学内部進学組」と「田舎から頑張って上京しました組」の3つの派閥にきれいに分かれる。その分かれ方は、遠巻きに見ているオレたち圏外男子にも実にあからさまだった。決して交わらない。
1年生の夏休み明け、上京組がおぼえたての下手な化粧顔でクラスに入ってきて、その顔をお嬢様高校出身組と内部進学組が薄笑いを浮かべながら眺めていたシーンを、オレは明確に覚えている。
女子、こえーよ。
ちなみにオレたち男子は、女子対男子が50対10という圧倒的な差のもと、教室の隅で肩を寄せ合うようにして過ごしていたので派閥なんてできるはずもなかった。
そして話は急に戻るのだが、そんな青学の卒業生関係者保護者一同に対して冷水をぶっかけたのが今回の蓮舫のTwitterである。みんな、いやーなことを思い出してしまったと苦虫をかみつぶしている。
令和の時代に台頭してきたのがZ世代。デジタルネイティブである彼らは、びっくりするほど環境意識や人権意識が高い。国よりも仲間。国籍よりも個人。例のスケボーの選手たちも、ライバルたちの国籍なんて知らずに一緒に国際大会で戦っているのだそうだ。
このZ世代は争いや摩擦をとことん嫌う。だからなんにでも噛みつく立憲民主党のこともとことん嫌っている。
どうやら立憲民主党もそれに気づいたようで、カミツキガメこと蓮舫を表に出さないようになってきた。安住とかも。それはそれで静かになっていい案配だと思っていたのだが、今回のTwitterでまたしゃしゃり出てきて、そして大勢の人をいやーな気持ちにさせてくるあたり、カミツキガメもおとなしくしているのに飽きてきたのだろう。
まあ、よい。ほんの一瞬のことだ。一瞬カミツキガメが顔を出しただけなのだから、見たことを忘れしまえばいいだけだ。
そう切り替えて、青学の駅伝を祝福する。
それにしてもこんなにも箱根駅伝が盛り上がるようになったのは、野球の巨人戦人気が凋落したタイミングと重なっているようだ。
日本テレビが箱根駅伝の完全中継を始めたのは1989年だそうだ。その時の視聴率は約20%。それが今年は復路で33.7%だったというから、平成から令和にかけてぐんぐんと人気コンテンツに育ってきたわけだ。
実は90年代後半、3年間ほど日本テレビの仕事をしていたことがある。その頃日テレは「オレたちには巨人戦と24時間テレビという圧倒的なキラーコンテンツがある」と胸を張っていた。特に日本シリーズの巨人戦で実況を担当することは、同局アナウンサーにとって最高の名誉とされていた。
確かにあの頃はそれも納得の強いコンテンツだった。けれど次第に野球人気は凋落し、というかスタジアムでは相変わらずチケット争奪戦が繰り広げられているそうだから、テレビで野球を見るという行為が廃れてきたということだろう。それによって巨人戦は次第にキラーコンテンツとしての力を失い、一方で箱根駅伝がその座を奪ったということか。
惜しむらくは箱根駅伝は1年に1回きりのコンテンツなんだよなあ。強いコンテンツだけれど、決して美味しいコンテンツではないわけだ。
同様に24時間テレビもとうの昔にオワコンと化しており、こちらはそれに代わる何かが登場したわけではなく、なかなか厳しい状況である。
そしてここで話は例によってサッカーに飛ぶのだが、駅伝同様に冬スポーツの風物詩となっているのが高校サッカーだ。日本テレビでは全国の民放を束ねて番組制作するなど、非常に力を入れている。それはとても好感の持てる取り組みだ。
だがせっかくの良コンテンツも、地上波テレビで放送されるのはごく一部。地元の高校の出る試合のみだ。
一方でネットでは公式に全試合が中継されており、オレもテレビで関東一高のゲームをつけながら、パソコンで高川学園のゲームを見るということをしている。
せっかく民放各社を束ねて高校サッカーの中継をしているというのに、見るのはネット経由。しかもDAZNならば終わった試合もフルマッチをいつでもリプレイできる。
こうなってくるともはやテレビとネットの優劣ははっきりしていて、スポーツに限らず、放送は通信に絶対に勝てっこないという気がしてくる。スポーツに限らずドラマだってバラエティだって通信でいつでも見られるんだし。TVer最強。
そんなふうに駅伝を見ていて、蓮舫のことは頭から振り払いながら、オレはテレビの衰退を心底実感しているのだが、テレビが出てきても映画が残ったように、テレビが出てきても新聞が残ったように、ネットが覇権を取ってもテレビも細々と生き続けていくに違いない。その過程では局員が膨大な給料をもらって、現場で汗をかいている下請けが発給にあえぐといういびつな構造も徐々に解消されていくのではないか。
もちろん栄枯盛衰は世の習い。町の電気屋さんを駆逐した大型家電量販店がネットに客を奪われたように、勝者は常に移ろいゆく。
いずれネットだって安泰ではなくて、これからメタバース時代に突入したらどんな地殻変動が起こるかわからない。あらゆるプレーヤーがメタバース時代にマウントを取りたいと血眼になっている今、意外とリアルに全国ネットを持つテレビがコンテンツ制作者としては強いかもしれないし。
まあでも、そんな時代になっても蓮舫のアバターがうろうろして噛みつき回るようなことだけは勘弁してもらいたいものだが。
2022.01.02
一日のうちで最も重要な予定が高校サッカーを観ることというのだから、正月というのは素晴らしい。何の約束もなくだらだらと過ごして、ただ時間が過ぎるのを見ているだけだから、こりゃ最高だ。
通帳の残高が気になるが、通帳を眺めていても数字が増えるわけではないから、放っておく。もちろん通帳といっても紙ではない。はるか以前からネットだ。通帳って一冊書き換えるごとに200円の印紙税を銀行が負担しているらしいから、そりゃ廃止になって当然だろう。
通帳も使わなければキャッシュも使わない。今やそれが当たり前だ。
困ったのは初詣だ。先進的な神社ではキャッシュレスお賽銭というのをやっているらしいがこんな片田舎では相変わらずの投げ銭。普段キャッシュを使わないものだから小銭がなくて往生したわい。結局ヨメに借りてお賽銭だ。
帰りに立ち寄った西友で久しぶりに現金を使って買い物をして、1万円札を崩す。
もうしばらくするとこの1万円札を崩すという感覚も理解されない時代がくるだろう。
そういや先日息子に細かいのがなくて1000円を借りたのだが、返そうとしたところ「PayPayでなきゃ」と笑われてしまった。彼らZ世代は、割り勘もすべてPayPayである。
誰かが飲み代を全部立て替えて払って、家に帰ったらLINEで「1人3000円だった」というようなLINEが来る。それを見て各人が翌朝にでもPayPayで送金して、割り勘完了。まったくキャッシュに触れずに割り勘完了。なんとスマートな。
しかもPayPayは店によっては20%割引とかもやってるので、けっこう得したりする。ずいぶんといい時代になったもんだ。
つい20年前には、Amazonで買い物をしたというと「なんて危険なことを」「パスワード盗まれたらどうするんだ」と諭されたものだった。オレは、財布をポケットに入れて持ち歩いている方がよっぽど危険だと思ったものだった。
そんなことを思うとこの数十年で世界はずいぶんと変わったものだ。
さて、そんなことを考えつつ、本日最も重要な予定の高校サッカーを見る。
お目当てはもちろん山口県代表の高川学園だ。
先日もちょっと書いたが、このチームは世界があっと驚いた「ぐるぐる円陣」攻撃を開発した。
簡単に説明するとコーナーキックの時に5人の選手が手をつないで輪になり、かごめかごめのようにグルグルと回る作戦である。相手はなんだなんだとびっくりし、キーパーもびっくりしているうちに、ゴールを決めてしまう。
1回戦で初めて目にしたときは腰を抜かしたわ。なななな、何をやってるんだ、こいつらは。
実にクレバーな作戦で、スペインの新聞なんかも諸手を挙げて大絶賛。こんな作戦があったのか!
てっきりサッカーオタクの監督が考え出したとばかり思っていたら、なんと選手が勝手に考えた作戦らしくて、監督は「よくわかりません」と笑っているだけだそうだ。なかなかよい監督である。こんなことはプロでは考えられない。高校サッカーならではの醍醐味だ。
ちなみにこの技には「トルメンタ」という名前が付けられたそうである。付けられたといっても選手が勝手に付けたわけだが。意味はスペイン語の「嵐」。おお、いいではないか。まさに必殺技の香りを漂わせる名前だ。
先日の2回戦では、今度は輪が2つに増えた。なるほど、こんなバリエーションがあったのか!
この「ぐるぐる円陣」は、マンマーク守備の敵を惑わせるには最高の手なのである。なにしろマンマークすべき相手がかごめかごめでグルグル回っているのだから、マークしている間に目も回ってしまう。
これは逆に言えば、ゾーンディフェンスの相手には通用しないということだ。そこで高川学園の選手たちは考えた。ゾーンディフェンス対策には輪の数を増やせばいいのではないか。
このトルメンタver2を見て、オレはポンと膝を打ちましたね。なーるほど、この手があったか。
ところがトルメンタver2は思ったほど成果が上がらず、ちょっと相手が混乱したにとどまったのである。
うーむ、サッカーは深い。
そして今日の3回戦。高川学園が繰り出したトルメンタは、人数を1人増やして、回転数も上げた、よりダイナミックなトルメンタだったのである!
ぐるぐる円陣は大型化し、驚異のかごめかごめとなってグラウンドに竜巻でもおこすのではないかという勢いで回ったのだ。
そして直後、放たれたのはなんとショートコーナーだったのだ! ぐるぐる回る円陣に気を取られていた相手チーム及び観客は思いきりズコーっ。意表を突きすぎだろう。だがこの作戦もあまり功を奏することはなく、ゴールには結びつかなかったのだ。
このくだりを見てオレは気がついた。トルメンタ攻略法、それは「ほっておけ」だということに。
そうなのである。グルグルと回り始めても、最初は驚くだろうが、そんなにことには目もくれずに放っておけばよいのである。好きにやらせておけばいいのである。そのまま放っておいて、こちらはゾーンディフェンスを続ければいいのである。
この「ほっておけ」作戦、なかなか有効ではないか。今日の対戦相手もそれに気づいたのではないか。
幸いにして今日のゲーム、後半延長3分という時間に、途中出場の選手のファーストタッチでシュートが決まってしまうという劇的な展開で高川学園が勝った。よかったよかった。これでまた次のゲームが見られる。今度はどんなトルメンタが繰り出されるのだろう。それに対して相手はどんな対策を打ってくるのだろう。
ゲームは2日後だ。今日一日どころか、この正月休み一番の大きな予定になってしまったようだ。
2022.01.01
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
暗い世相のまま終わった2021年。所得がこの30年上がっていないとか、平均所得が韓国にも抜かれたとか、日本人全体が貧困化しているとか言われて萎縮する中、年末もギリギリになって私たちは勇気をもらうことができました。あれです、そうです、マツケンサンバです。
紅白歌合戦の舞台できらびやかに繰り広げられたマツケンサンバ。我が家では「そうだ、日本には安心して飲める水道水とマツケンサンバがあるじゃないか」「時間どおり正確にやってくる電車とマツケンサンバがあるぞ」「美しい四季とマツケンサンバがある」と大変に盛り上がりました。
マツケンサンバこそ勇気。マツケンサンバこそ正義。
かえすがえすも、どうしてこれをオリンピックでやらなかったのでしょうか。外国人はマツケンサンバを見ると「クレイジー!」「アンビリーバボー!」「アメージング!」と大騒ぎするそうです。確かにこれほどクレイジーな出し物はありません。聞くところによれば松平健は大変にその気だったらしいじゃないですか。
つくづくこれを閉会式でやって欲しかった。
私は思い出します。遠い昔、1983年のロスオリンピックの閉会式でライオネル・リッチーが「オールナイトロング」を歌い上げて大騒ぎに終わった場面を。あの頃のアメリカは傷つき、疲弊して、世相は暗かった。ああいう元気づけのフィナーレが必要とされていた。だからこそ今、日本の閉塞感を破るにはマツケンサンバが必要なのです。
マツケンサンバこそ力。
サンバなのに4分の2拍子じゃない、ボンゴはサンバでは使われない、オーレ!はスペイン語、ビバ!はイタリア語など突っ込みどころ満載だからこそ湧き出る迫力。令和の時代を拓いていく勇気を私たちにくれるのでしょう。
今回の紅白では、そんなマツケンサンバは必ず見ると決めていました。あと丸印を着けていたのは、ひろ子丸です。フルオーケストラにユーミンの旦那が指揮をする「Wの悲劇」。
ひろ子丸、今回はきれいな声で歌い上げました。さすがに声の迫力はなくなっていたけれど、まあ合格点でしょう。昔歌っていた「Wの悲劇」には及ばなかったものの、二重顎のひろ子丸、お疲れ様でした。
それにしても今回はビデオの出演が多かったですな。NHKホールが工事中ということで仕方なかったのでしょうが、おかげでよくある長時間の音楽特番的な雰囲気でいっぱいでした。もはや歌合戦でもないし。
大泉洋は、まさか今回も司会とは驚きました。前回のグダグダぶりに、さすがに一度きりだろうと思っていたのに、再度オーダーするとは。
今回はやたら「ブラボーブラボー!」とうるさかった。昨年の反省からか、少しは改善されましたが、相変わらず自分が場を盛り上げようとしすぎる。結果、うるさいだけの司会になる。大泉は「水曜どうでしょう」を見ても分かるとおり、自分がいじられる側に回らないと持ち味が出ないんです。自分がいじる側、場を回す側になったら無能。その辺りはわきまえて欲しかった。
茶番も目に付きましたね。
藤井風は自宅からの中継といいながら、暗転したら実は会場にいましたという設定。その瞬間に大泉洋や審査員の小池栄子が大げさにのけぞっていましたが、会場ではその間にピアノのセッティング作業が行われていたわけだから、茶番。「知らされていなかった」「サプライズ」とはよくぞ言えたもんだ。
それは呆れたけれど、藤井風そのものはよかったです。ピアノの表現力は素晴らしかったし、何よりコードのセンスがなかなかよかった。いいミュージシャンです。千鳥と同じ岡山弁というのもいい味でした。対照的に「猫」を歌ったバンドの、あまりに雑すぎる扱いが哀れでした。
なお小池栄子については大河に出演するとかでびっくり。映画「下妻物語」でスケバンのリーダーを演じたときは、巨乳が売りだけの、あまりの大根ぶりに腰を抜かしたものです。それが今や演技派とはいったいどういうことだ。
そんな審査員で別格だったのは、もちろん卓球の石川佳純ちゃんです。
もともと下地がよかったので想像はしていたのですが、メイクしたら想像を遙かに上回る美貌ではないですか。頭は超天然で部屋は片付けられない超汚部屋という、卓球以外はまるでダメ人間という辺りも好感度高し。ポロッとなんか変なことを口走ってくれないかとも思ったのですが、さすがに大人になったのでしょう。
これで卓球を引退してもテレビからオファー殺到は間違いありません。潮田玲子、浅尾美和あたりの席は確実に石川佳純に奪われてしまうのではないでしょうか。ちょっと楽しみです。
そういや関係ないけど卓球の水谷隼がバラエティで「アスリートは水谷隼かアロン・ウルフを出しておけばいいと思われてる」と口走ったのには笑いました。まさしくその通り。何が求められているのかがわかっている水谷隼やアロン・ウルフはなかなかクレバーです。アスリートはしょせん国民のおもちゃ。
さて、マツケンサンバとひろ子丸を見ると決めて臨んだ紅白。もう一人、必ず見ようと決めていたのが石川さゆりです。津軽海峡と天城越えを交互に歌うことで毎年の出場を続けてきたさゆり、今年は「津軽海峡冬景色」の番でした。マツケンサンバで勇気をもらった私たち日本人は、最後に「津軽海峡冬景色」でさらに癒やされたのであります。
「上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中」の冒頭二行だけで、さゆりは私たちを昭和のあの頃に連れていってくれます。そうだった、あの頃、私たちは上野駅から北へ向かったっけ。そして昭和の経済発展を支えた男たちは、故郷を出て上野駅に着いたのだっけ。上野駅は元気だった私たち日本人のシンボルそのものだった。
そんなことを思い出した私たちは、凍えそうなカモメ見つめ泣くのでした。
あの頃はよかった。人の二倍働けば人の二倍のカネを手にできた。明日は今日より確実にいい一日だった。人類は進歩と調和に中にあった。
しかしこの歌は、そんな私たちの感傷に向けて強烈な逆転打をぶち込みます。そうです、「さよならあなた 私は帰ります」と。さゆりは私たちにとっとと帰ろうよと呼びかけて、令和の現実に引き戻してしまうのです。
ああ、マツケンサンバとのなんと見事な対比でありましょう。前者が私たちに辛いことは忘れて酒飲んで笑えと言ってくれるのに対し、「津軽海峡冬景色」は辛い現実と向き合って生きよと諭すのです。
これぞ紅白の妙、これぞさゆり。
直前のさだまさしの「道化師のなんたら」に合わせて「フレディーあなたの〜」と歌いながら自分パクリやんけーと笑っていた私は、「津軽海峡冬景色」で襟を正したのでありました。そしてこれで今年は終わりと、布団に潜り込んだのであります。
その後にもなんだか歌が聞こえてきたような感じがしましたが、それはオマケ。私の紅白はこうしてマツケンサンバに始まり「津軽海峡冬景色」に終わったのでありました。